こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年01月29日

源と真本音6

真本音と反応本音の関係を、さらに具体的にご説明してみましょう。

例えば、自分がどなたか(Aさんとします)と会話をしていたとしましょう。
Aさんの一言に、カチンときたとします。
そしてAさんに対して、こちらもきつい一言を返したとします。
カチンと来た気持ち、これは反応本音です。
つまり反応本音とは、外部からの影響によって、その反応として生じる心です。
私達が通常、「心」という表現を使うときは、この反応本音のことを指していることが多いと思います。
この例では、「相手からの行為に対して、反応本音が生まれ、反応本音で返した」ということになります。

それに対して真本音とは、外部からの影響によらず、常に自分の心の中に変わらずに在り続ける心、と言うことができます。
Aさんからの一言により、カチンと来たわけですが、その「カチン」という反応本音で返すのではなく、真本音に基づいてこちらが対応することもできます。
例えば、自分の真本音として「いつも人との信頼関係を大切にする」というものがあった場合、その視点から対応します。
すると、「Aさんはなぜあんな一言を発したのだろう? どうすればAさんと信頼関係を築けるだろうか?」という純粋な疑問が浮かび、Aさんの心の中を理解しようとする対応に出るかもしれません。
何を真本音として持っているか?については人それぞれ異なります。
しかし一つ言えるのは、真本音とは「自分の心の中に変わらずに存在しています」ので、それは「自分にとって本当に大切にし続けたいもの」であるはずです。
「自分にとって本当に大切にし続けたいもの」に基づいて行動できたときは、誰よりも自分自身が嬉しいですね。
上記の例で言えば、思わずカチンとした反応本音で返すよりも、自分の真本音に基づいて対応できたときの方が、後になって後悔することはないと思います。

まずは、最も簡単な説明の仕方をすると、以上のようになります。

・・・が、ここでですね。
よ〜く考えますと、次のような疑問が生まれませんか?
例えば、

*では、反応本音とは、その瞬間に生まれる突発的なものだけなの?
*外部の影響を受けて生じる心を反応本音と言うならば、私達の心は、すべて外部からの影響を
 受けながらできているのではないの? 
 ということは、すべては反応本音ではないの?
*例えば、「人を信頼する」という信念があったとしても、それも結局は外部からの影響の中で
 できあがったものではないの?
*それに、真本音を大切にしようと思っても、上記のような例でいくと、真本音を大切にすることで、
 自分の感情をガマンするので、ストレスがたまるのではないの?
*真本音で生きる、とは、聖人君子になることなの?
*真本音で生きる、とは、結構苦しいものではないの?
*真本音で生きる、とは、できることとできないことがあるんじゃないの?
*そもそも真本音って、危険なものもあるんじゃないの?

これらのご質問は、よく企業研修で受けるものです。

つづく

2011年01月28日

源と真本音5

人間である以上、すべての人に真本音は存在しています。
しかし残念なことに、その真本音の存在を知らぬままに生きている人がほとんどです。
どのような状況になったとしても、自分の中に「揺るがない自分」がいる。
それほどの安心感と心強さはありません。
自分が最も信じることのできる存在が、自分自身の中にあるのですから。

「自分を一番信じる、というのは危ないことではありませんか?」
時々、こんなご質問をいただきます。
「自分の真本音が、社会にとって悪であったり、他者を傷つけるものである場合はないのですか?」
こんなご質問をいただくこともあります。
それについては、また改めて詳しくご説明することになりますが、ここでは結論のみ申し上げましょう。
「全くそんなことはありません。」
この一言で断言できます。
真本音を見つけ、大切にすることによって「本当に自分を信じる」状態が徐々に高まります。
それによって自然に生じるのは、「他者を大切にする発想とふるまい」であり、「自分の環境を愛する発想とふるまい」です。
ですから例えば会社組織であれば、一人ひとりが真本音を大切にすることが組織全体の活性化に「直結」します。
なぜか?につきましては、また改めて書かせていただきます。

さて、話をもどしましょう。
それぞれの人の中には必ず真本音が存在していますが、その実感のない場合が多いです。
どうすれば、自らの真本音を実感することができるでしょうか?

実は、「真本音そのもの」を実感するためには、それなりの時間が必要です。
研修を受ければすぐにその場で、というわけにはなかなかいきません。
研修という場でできる最大のことは、「その人の真本音が願っていることを見つける」ことです。
「真本音そのもの」ではなく、「真本音が願っていること」を見つけるのです。
特にその中でも、次の一点を見つけます。それは・・・、

自分の真本音が、今自分は「どう在りたい」と願っているか?
自分の真本音が、今自分は「どんな生き方をしたい」と願っているか?

・・・つまり、「今ここにおける願い」を見つけるのです。
これをSCCでは、“ねがいのもと”と呼んでいます。

“ねがいのもと”とは、「真本音の、今ここにいる自分自身に対する願い」です。
「今ここ」の願いを見つけ、それを「今ここ」で大切にするのです。
すると、「今ここ」の真本音が活性化します。
活性化すれば、いやおうでも、真本音そのものを実感できるようになります。
真本音そのものを実感できるようになれば、真本音の望む方向に人生を進めることができます。
その結果として、自分が人生で本当に望んでいるビジョン(つまり、真本音のビジョン。これを「人生の願い」と呼んでいます。)が明確になります。
「人生の願い」が明確になり、その方向に歩み始めると、私達人間は誰もがその一歩一歩に至福を感じます。
つまり至福の人生とは、自らの真本音を大切にすることから始まります。

「人生の願い」につながる「もと」となりますから、私共はこれを“ねがいのもと”と呼んでいます。
しかし企業研修では“ねがいのもと”という名称は使っていません。
企業研修ではこれを「人生理念」と表現しています。
ビジネス的に受け取りやすい表現を使っているわけですが、その本質は同じ意味です。

「人生理念」という言葉は、他でもよく使われていますが、私共が最も大切にしていることは、「それが真本音であること」です。
そしてその「真本音の人生理念」を見つけることを、すべてのスタートと位置付けています。
現在の企業研修では、約1日かけてグループコーチングセッションを行ない、そこで23問の問いにお答えいただくことで、自然に「真本音の人生理念」を見つけます。
そしてその上で、2日目からお仕事のテーマや課題と向き合うというスタイルが、今は基本です。
「真本音の人生理念」が見つかるだけで、心のパワーレベルは一気に高まります。
パワーレベルが高まった状態で、現実(会社やお仕事のことなど)と向き合えば、これまでとは全く異なる発想が生まれるわけですね。

つづく

※パワーレベルに関しましては、
 左欄のカテゴリ「私の使命について」全30回をお読みください。

2011年01月26日

源と真本音4

真本音の存在を知ってから、私の人生は劇的に変化しました。
そして私の仕事、・・・研修もコーチングも、大きな変化を遂げました。
その人の希望や願いやビジョンや欲求を掘り起こすにしても、ただやみくもにそれをすればよいわけではなく、それがその人の「真本音かどうか?」もしくは「真本音とつながっているかどうか?」が非常に重要になったのです。
そしてそこを一番のポイントとして押さえるようになってから、研修やコーチングをお受けになった皆様のご様子が、明らかに変わりました。
研修を通じて、心のパワーレベルが上がるようになったからです。
(※パワーレベルに関しましては、左欄のカテゴリ「私の使命について」全30回をお読みください。)

企業研修では、初めての方々には、次のようにお伝えしています。
「真本音とは、自分の中の揺るがない心。
反応本音とは、状況によって揺らぐ心です。」

・・・私達の心の中には「揺らぐ部分」と「揺るがない部分」があるという話は、一見当たり前のような気がします。
しかし、そういった視点で常に自分の心と向き合えば、実に様々なことに気づくようになります。
しかも、「では、何が揺らいでいて、何が本当に揺るがないのか?」という、さらに一歩深い視点を持てば、これはもう、深くて果てしないテーマであることがわかります。
でもそのテーマを持ちながら生きるだけで、私達の人生は「本当に望む方向」に動き始めます。

真本音・反応本音という視点を持つことで、人の人生、人のコミュニケーション、人の社会、などなど、人の営みに関するすべての物事を、非常にシンプルにわかりやすく捉えられるようになりました。
一見複雑に絡み合っていることも、この視点から観察することで、実にシンプルに理解できることも多いです。
シンプルとは、物事を動かす原動力になります。
「真本音・反応本音」を実感として捉えること、そして「真本音・反応本音」を思考ベースで捉えること。
その二つを、今の私の研修では大切にしています。

つづく

2011年01月25日

源と真本音3

私の心の中に忽然と姿を現した、広大な「海」。
私はそれを「真本音」と名づけたわけですが、実はそう名づけたのは、もう少し時間が経ってからのことです。

「海」を観てから、面白い現象が起こるようになりました。
何か物事の判断をしようとすると、自分の心の奥の方から心の声が浮かんでくるのです。
それは「海」からの声でした。
ですから、当時の私は「海」のことを「奥の自分」、そして通常の自分の心のことを「表面の自分」と呼び、自分自身で区別とつけるようになりました。
面白いのは、「奥の自分」の声に従って行動をすると、物事が予想外にスムーズに進むようになったということです。

例えば、こんなことがありました。
ある人(Aさんとします)と会話をしていました。
実はちょっと問題が起きており、かなり難しい局面での会話でした。
私はAさんの言うことにカチンときました。
それまでのいつもの私でしたら、そのカチンときた一言に反応して、何らかの一言を返していました。
それをしようと思った瞬間に、「奥の自分」が浮上してきたのです。
私はその「奥の自分」に任せてみました。
すると、自分が当初言おうとしている内容とは全く別の一言が口から出たのです。
その瞬間に、Aさんの心が氷解しました。
急に雰囲気があたたかいものに変わり、その後、私はAさんととても良い会話ができました。
まさかそんな展開になるとは思いもよらなかった私は、自分でも本当にびっくりしました。
でもよくよく後で考えますと、その意外な一言こそが、実は私が最もAさんに伝えたかったことだったのです。

こういった経験が続くことで、私の企業研修は根底から変化しました。
SCCを立ち上げる前から、私は企業研修をバリバリに行なっていました。
「自分の人生を大切にして、それを仕事と結びつけましょう」という主旨のこともすでにやり続けていました。
しかし、私の研修は根底から変化したのです。

「真本音・反応本音」という言葉は、その企業研修の中で生まれました。
当然のことですが、企業研修の場で「海」の話も、私が苦しんでいた経験も話すわけにはいきません。
もっと理論的にわかりやすく、ニュートラルにお話ししなければなりません。
しかも本質から外れずに、本質をきちんと捉えていることが必須です。
「奥の自分」の存在をいかに伝えていけばよいのか。
かなりの思考錯誤を繰り返しました。
その中で生まれたのが、今の私の研修のスタイルです。

つづく

2011年01月24日

源と真本音2

人生の苦しみというのは、誰もが体験することです。
私にも、もちろんあります。
私にとって、人生で最も苦しかったのは、恐らくSCCを立ち上げる前後の時期でしょう。

その時のできごとや状況、そして心の状態は、今でも具体的に人に語ることはできません。
しかしあの体験があったからこそ、SCCは立ち上がり、私の「人生の願い」は始まりました。

本来、苦しみとは、自分自身の心が創り上げているものです。
自分で自分を追い込み、追い込み、追い込み、そしてついには、その苦しみに耐える力を失うところまでいきます。
自分で自分を追い込む、・・・それが私達人間の苦しみの正体です。
そして私も、その限界までいったことがありました。

その時、私は自分の心の中に存在する限界線を確かに見ました。
それは一つの境界でした。
もう一歩進み、その境界を越えれば、恐らく私の気は狂うだろう、ということがわかりました。
気が狂ってしまえば、なんと、楽なことか。
あぁ、楽になりたい。
・・・私はそう思いました。

これと似たことが、昔々にもありました。
学生の頃、私はワンダーフォーゲルという登山をするクラブにいました。
50kgのザックを背負い山を歩くという、かなりハードなことをやっていました。
一年生の頃、その練成合宿で、ザックに石を詰め、ちょうど50kgの重さにした状態で山道を歩くという訓練をしました。
初めてそれをしたとき、あまりの苦しさに私は、死んだ方がましだと思いました。
ある崖っぷちを通った瞬間、本気でそこから落ちてやろう、と思いました。
その時の誘惑と同じでした。
私は本気で、このまま一線を越え、気が狂い、何もかもがわからない状態になってしまおう、と思ったのです。

しかしその時、私の背後から私を止める存在がありました。
それは、もう一つの自分自身の心でした。
それはそれは強い力でした。
私は、そのもう一つの自分の心に止められ、なんとか現実世界にもどったのです。

そんなことが、幾度となく続きました。
本当に苦しい時期でした。
でも、ついに本当に限界を越えそうになりました。
何度目かのとき、私は本当に決心したのです。
今度こそ、本当に私は限界だと。
人生のすべてを捨ててしまおう、と。
そして、最後の一歩を今まさに踏み出そうとしたのです。

するとその瞬間でした。
これまでとは次元の違う、圧倒的な力を、私は感じたのです。
はっと振り返ると、そこには「海」がありました。
果てしなく広がる「海」が観えたのです。
無限に続く輝く「海」でした。
それを観た瞬間、私の心の中にあったドス黒いもの達が、一瞬にして消散しました。
私はただ茫然と、その「海」を眺めるだけでした。

それは圧倒的な存在でした。
自分の心の中に、こんなに大きくて広くて深い「海」があるんだ。
こんなに揺るがない、完全なる存在があるんだ。
茫然としながらも、目からは涙が流れ続けました。
ある意味のあきらめを、その時の私は感じていました。
「もう抗えない。
 私の心の中には、こんなに凄い自分がいるんだ。
 この自分にはもう、抗うことなどできはしない。」

その「海」こそが、私が初めて目にした「本来の私」「真の私」の姿でした。
私は、それを「真本音」と名づけました。

つづく

2011年01月23日

源と真本音1

今日も大きな気づきがありました。
それは、「パワーレベル」と「意識の次元」の違いについてです。

まずは、結論だけを書きましょう。

「パワーレベル」とは、「真本音との結びつきの度合い」を表す尺度です。
そして「意識の次元」とは、「源(ソース)との結びつきの度合い」を表す尺度です。

・・・ということになります。
これがわかった瞬間、目からウロコが落ちたかのように、私はスッキリ合点がいきました。
しかし、この意味をきちんとご説明するためには、真本音とは何か、源(ソース)との違いは何か、・・・などをきちんとご説明しなければなりません。
そしてそれは、真本音の本質を明らかにすることにもなります。
よくよく考えましたら、このブログでは、真本音について、ダイレクトにきちんとご説明したことがありません。
そろそろその時期が来たようですね。

ということで、・・・
現在このブログは、真本音で生きる人(もしくは、真本音で生きようとしている人)へのメッセージとして書かせていただいていますが、
ではそもそも真本音とは何か? というところをじっくりと語ってみることにします。

つづく

※「パワーレベル」や「源(ソース)」の詳細につきましては、
 左欄のカテゴリ「私の使命について」(全30回)をお読みください。


2011年01月22日

ドトールにて

今、ドトールにいます。
最近、ドトールでコーヒーを飲みながら仕事をするのに凝っています。

すぐ隣に他の人がいるという少し雑踏とした空間なのですが、なぜかこういった空間にいると、事務所にいるとき以上に集中力が増します。
ですから、時間のあるときは、ほぼ毎日通っています。
そして、この空間で創造的な発想が浮かび、それがよい仕事に結びつくことも、何回もありました。

ふと、なぜドトールなのだろう?という疑問が湧きました。
で、試しにドトールのパワーレベルを測ってみました。
そうです。パワーレベルとは、企業そのものを測ることもできます。
私が研修に入った後で、その企業そのもののパワーレベルがどれだけアップするかも、
私自身の指針を見出す大事な指標なのです。

パワーレベルを測ってわかったのですが、ドトールのパワーレベルは高かったです。
もちろん他にも同じくらいのパワーレベルのお店もあるのですが、私が調べた限りでは
ドトールがトップです。
なるほど、だから私が惹きつけられるのですね。

喫茶店とか軽食のお店だけでなく、もっと広く外食産業として捉えますと、
残念ながら、かなり低いパワーレベルのお店が増えていることもわかりました。
創業当時は、今のドトールと同じくらいのパワーレベルがあり、その結果として大きく広く展開したのにも関わらず、今はかなりパワーレベルを落としているお店もあります。
数値で言いますと、パワーレベル125というお店が増えています。
125というのは、「我欲」を意味します。
最近、私がどうしても入る気のしないお店がいくつかあったのですが、それらはすべて125で測定されました。
やっぱり何となく、私はそういうのを肌で感じていたのですね。

以前から私は一人の時間を持つことがとても好きでした。
一人で事務所に籠って仕事をするのが好きでした。
でも、今は随分変わりました。
同じ一人でも、周りに人々を感じながらの一人もよいですね。

posted by はーん at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 真本音で生きる人へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月21日

意識の次元

今年に入ってからの最大の発見は、「意識には次元がある」ということです。

これまでも私は、現実世界のことを「3次元」、心の中の世界のことを「4次元以上」と表現してきました。
その「4次元以上」とは、具体的に何次元まであるのか、ということがかなり明確になってきました。

人類の過去から現在までの意識のレベルにおいては、その最高点は「9次元」となることがわかりました。
そして、パワーレベルの最高値が1000となることで私達は「7次元」に到達できることがわかりました。
ということは、パワーレベルが1000となったとしても、意識レベルでの成長はまだまだ続くという、実に当たり前のことがわかったわけです。
私は昨年末(12月23日)に8次元に達することができました。
それがきっかけで、「意識の次元」という概念を知ることができるようになりました。
現在、世界ではお二人だけ、すでに9次元に到達されている方がいらっしゃいます。

さて、ではその「次元」とは何でしょうか。
実は、これにつきましては、まだまだわからないことだらけです。
しかし現時点でわかっていることの要点を書かせていただきます。

まず簡単に申しますと、次元が低ければ低いほど、それは「独りよがり」の思考や発想となります。
そして次元が高まれば高まるほど、それは「全体とのつながり」「全体との一体感」に基づいた直観や発想となります。
こう書きますと、パワーレベルとほとんど同じように思われますが、ちょっと違うようです。
例えば、「4次元とは、パワーレベルでいくつまで」という明確な区分けはできないようです。
しかも、パワーレベルは最低値が高まれば、それ以下に落ちることは、特別の場合を除いてありません。
しかし、意識の次元は、たとえ8次元になろうとも、それは「8次元の意識が現れるようになった」だけのことであり、心の中には4次元の意識も5次元の意識も、すべて存在します。
ですから、8次元の意識に到達した人でも4次元での思考と発想をするときもあります。
ただ、その4次元の意識が現れたときに、その意識そのものを見つめる眼差しが、パワーレベルによって変わってきます。
そして、その意識の出所も変わってきます。

ちょっとわかりづらいですね。
ごめんなさい。まだ上手く説明できないですね。
例えば、次のようなことです。

「私なんて、どうせ上手くいかない」という意識が現れたとします。
これは、4次元の意識の一つです。
パワーレベルの低い人の場合は、その「私なんて、どうせ上手くいかない」という意識そのものは、現実との関わりの中で生じるただの反応として現れます。
そしてその「上手くいかない」という意識に完全に囚われてしまいます。

しかしパワーレベルが高くなりますと、「私なんて、どうせ上手くいかない」という意識は、真本音の意図として現れます。
わざと真本音が生み出すわけです。
つまり、「今の私には、その自信のなさや不安が必要であり、その心があるが故に、その後に最善の道を創ることができる」と、真本音が判断していることになります。
しかも、その「上手くいかない」という意識そのものに完全に囚われることもなく、その心を、ただあるがままに見つめることができるようになります。

・・・それがつまり、さきほど書いた、眼差しの違いということですね。

この「意識の次元」という視点を得たことで、私は物事の選択が、またまた楽になりました。
今の自分の心を占めている意識の次元がいくつかを測れば、「今、決断してよいかどうか」がすぐにわかるのです。
例えば、4次元の意識が心を占めているときは、「今は決断はやめておこう。それよりも今のこのままの心でしばらくいよう。そこに何か意味があるのだろう」となります。
心が8次元の意識になっているときは、「今こそ決断しよう」となります。

この「意識の次元」に関しては、まだまだ探究を始めたばかりです。
パワーレベルとの相関関係とか、これを企業で活かすとどうなるか、とか。
探究したいことはいっぱいあります。
今後も、何か発見があるたびに、ご報告したいと思います。

posted by はーん at 02:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 真本音で生きる人へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月20日

改めまして

今年初めてのブログです。
長らくお休みさせていただきました。
ようやく、次に自分が何を書くべきか、がわかってきました。
ブログを再開します。

このブログは、やはりメッセージです。
「どなたか」へのメッセージです。

さて、今年に入ってからのスピード感は尋常ではありません。
昨年も感嘆するほど色々なできごとがあったのですが、どうも昨年の比ではないスピードで、すべてが進んでいるようです。
ですから、メッセージも急がねばなりません。

真本音とは、すべてとつながっています。
真本音で生きるとは、そのつながりを実感しながら生きることになります。
ですから、一人が真本音で生きるようになると、その周りの人達への影響も大きいです。

真本音で生きている「どなたか」へ。
そして、これから真本音を意識して生きようとしている「どなたか」へ。
その指針となるメッセージを送り続けます。

改めまして、どうぞよろしくお願い申し上げます。

posted by はーん at 02:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 真本音で生きる人へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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