こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年03月31日

意識の次元と自由13 〜日本人の使命

皮肉なことに、震災があったが故に、世界で日本が注目されるようになりました。
これから私達が何をするのか。何を創り出すのか。
それにより、今後の世界の動きは大きく変わるはずです。
過去と同じものを創っていてはなりません。
新たなものを創造するのです。
新たなものを創造するために必要なものは、一言で言いますと、「和」です。
「和」とは、もともと聖徳太子さんが使われた言葉です。
「和」とは、「仲良しこよし」のことではありません。
「和」とは、「お互いの価値観の壁を超えていく」という前提が入ります。
お互いの価値観を超えてこそ、本当の心と心のつながりと、本当の創造が始まります。

これから自分が何を為せばよいのか?
これからの自分の本来の役割は何か?
これから自分は、何のために生きていけばよいのか?
それらの答えは、すべて自分自身の中にあります。
真本音がすべてを知っています。
高次元の自分がすでに答えを持っています。
そして高次元の自分の答えに素直に動くということは、それは源(ソース)に基づいた動きであり役割でありますから、全体の調和がどんどん取れていきます。
つまり、一人ひとりが本当の自分の心に素直に動けば動くほど、全体に調和が生まれ、個人の思惑を超えた大きな道が、必然的に、そして自然に無理なく拓かれます。
それが、これからの社会の創り方の原則であり、それを世界に先駆けて行なうことが、私達日本人の使命であると、私は考えます。

私達人間は、自分にできることしかできません。
できないことは、できないのです。
ですから、できる最大・最善のことをしましょう。
「今、何が最大・最善か?」は、私達自身の真本音が、すでにすべてを知っています。
その、自分自身の本当の声に耳を傾けるだけです。

そのためにも、今こそ自分の心を自由にしましょう。
自分の中の本当の声(外からの影響で反応的にできあがっている声ではなく、本当に自分の中心から湧き上がる声、魂の声)に、まずは自分が耳を傾けましょう。

そしてその上で、お互いにコミュニケーションを取りましょう。
真本音のコミュニケーション。
それこそが、本来の「和」を生みます。
真本音コミュニケーションを取ることにより、たった一人の発想が、何十倍・何百倍にも増幅されます。
真本音の相乗効果は絶大な力を持ちます。
それをするだけの資質を、日本人はすでに持っています。
日本人だからこそ創り出すことのできる「和の社会」に踏み出す第一歩として、「今ここ」を位置づけましょう。

つづく

2011年03月30日

意識の次元と自由12 〜心を自由にする

楽しいことは楽しい。
つらいことはつらい。
腹立たしいことは腹立たしい。
悲しいことは悲しい。
怖いことは怖い。
嬉しいことは嬉しい。
やりたくないことはやりたくない。
やりたいことはやりたい。
・・・人として当たり前の心の動き。
これらを、私達は普段どれだけ自由にしているでしょうか。

この3次元世界では、「自由に行動する」ことは、なかなか難しいです。
やりたくてもやれないことは無数にあります。
逆に、やりたくなくてもやらなければならないことも無数にあります。
私達は、自分の行動を自ら制御したり、コントロールしながら生きています。
制御やコントロールがなくなれば、社会は成り立たなくなるかもしれません。

そして私達は、自らの行動を制御するために、自らの心を制御しようとします。
そして自らの心を縛り、不自由にします。
実は、ここがすべての歪みのスタートとなります。

心を制御するために、私達は自分の心の中の選別をします。
「この心は良い。」
「でもこの心は良くない。」
そして「良い心」のみに焦点を当て、「良くない心」は「無きもの」にしようとします。
除外しようとしたり、抹消しようとします。
しかし残念なことに、除外や抹消はされません。
私達の心の中にその「良くない心」は存在し続けます。
その結果、私達が最後にとる方法は、その心に「フタをする」という行為です。

「フタをされた」心は、不満が鬱積し、さらに自己主張を強めます。
つまり、「良くない」と思っていた心が増長するのです。
増長するからさらにフタを強固にします。
すると、さらに増長します。
そしてさらにフタをして・・・、という悪循環に入ります。
そして、自分自身が望んでいない「良くない」と思っている心が、心のあちこちに増え続けることになります。
増え続けたものにフタをして、それらが暴れ出さないように必死に制御しようとすることに、私達は莫大なエネルギーを費やします。
それにより、私達の心は疲弊していくのです。
疲弊すれば疲弊するほど私達は、現実と向き合う力を失います。

「良くない心」は大きくなると、私達の知らないところで、その影響を及ぼし始めます。
それは私達が自分では気づかないちょっとした表情や、ふるまいや、しぐさ、・・・それだけではなく、私達が無意識に醸し出すムード(雰囲気)として発されます。
そして周りの人達は、それを「感じます」。
私達がせっかく必死に制御しようとしている「良くない心」ですが、残念ながらそれに基づいた影響が、周りの人達にダイレクトに伝わってしまうわけです。
そして周りの人達の私達への反応は、その影響に基づいたものとなります。
そして私達自身には、私達の「良くない心」の影響に反応した人達の反応が返ってきます。
それが私達に降りかかる「3次元の現実」となります。

以上のパターン、実は非常に多いです。
自分の望む現実を創り上げることに苦慮している方々の多くが、以上のパターンに基づく「現実の創り方」をしています。

自分の行動を、本当に望む方向に制御したりコントロールするための最善の方法は、実は
「心を自由にする」
・・・ことなのです。
つまりは、「どんな心が存在していてもいい」と、自らの心の動きのすべてを「許す」のです。
「自分の心の中には、どんな次元の心が存在していてもよい」と、すべての心を存在承認するのです。

心の中のすべてのフタが取れると、心は自由となります。
心が自由となれば、高次元の自分が自然に姿を現します。
高次元の自分こそが、心の中のリーダーとなります。
そこで初めて、揺るがないリーダーに基づいた心の制御が始まります。
いや、それは「制御」ではありません。
揺るがないリーダーが表出すればするほど、心はさらに自由となり、
「自由だからこそ、本当に望む気持ちがわかり、本当に望む気持ちがわかるからこそ、制御せずとも自然にそこに向かって行く」
・・・という状態が実現します。
そしてそのリーダー(高次元の自分)とは、源(ソース)に基づいてすべての判断をします。
当然ですがそれは「独りよがり」の判断ではなく、自分にとっても周りにとっても「最善の選択」となる判断です。

心は「制御しよう」と思えば思うほど、制御できなくなり、
「自由であろう」と思えば思うほど、制御せずともきちんとした選択のできる状態となるのです。

つづく

2011年03月28日

意識の次元と自由11 〜思惑を超えて

私達人間は誰しもが、「思惑」を持ち生きています。
「こうなるといいな」「こうなってほしいな」「こうなるために、こうしよう」
・・・それらは、人として当たり前の心です。
その「思惑」の出所は様々ですが、「思惑」の出所として最も代表的なものが、前回のテーマで取り挙げました「我欲」です。
そして我欲の中でも、まずは根底に来るものが、「自分を守ろう」とする欲求です。
これを「保存モード」と言います。
保存モードとは、「自分を保存(守る)しようとする意識の階層」です。

それは動物的本能のようなものから、「怒られないために言い訳を考える」などの理論的理屈的なものまで様々ありますが、要するに私達は人間である以上、誰もが「自分の身を守りたい」のです。
そして「思惑」の多くは、その根底を覗き見ますと、この保存モードによるものが多いです。

私達が高次元の自分を現わすようになったとしても、保存モードはなくなることはありません。
もちろん、我欲がなくなることもありません。
前回書かせていただいた通り、それらを高次元の自分自身が活かすようになります。
つまり、低次元の思惑を、高次元の自分が活用します。
そういったものを「高次元の思惑」と表現してもよいでしょうが、高次元の思惑とはつまりは、源(ソース)そのものの思惑と言ってもよいですから、それはもう思惑という次元を超えています。
ですから、高次元の自分が現れるようになればなるほど、「思惑通りにいかなくなる」のです。
しかし、思惑通りいかなくなることによって、「本当に望む現実が開かれる」ことになります。

すべては、高次元の自分が知っています。
なぜそうなるのか、次に何が起こるのか、すべて高次元の自分は知っています。
しかし残念ながら、それらの多くは顕在化されていません。
顕在化されなくても、今この瞬間の直観は働きます。
その直観のままに動いてみると、後でそれらのすべての理由がわかり、「そういうことだったのか」と、深く合点がいきます。
それが楽しくてしょうがなくなります。

個人の思惑通りに進む人生も、ある程度は楽しいかもしれません。
でもその場合、思惑通りにいかないと失望が生まれます。
疲れます。
個人の思惑を超え、すべてを高次元の自分自身に委ねてしまうと、人生のあらゆる現象が、まるで違った意味を持っていることに気づくでしょう。
そしてその中で初めて、「本当は自分は何を望んでいるのか?」に気づくのです。
人生の醍醐味ですね。

今、本当に自分が望んでいることに向かうための一歩を踏み出せるかどうか?
それは「今、自分は自由かどうか?」とイコールです。
低次元の思惑に囚われ過ぎる人生とは、実は、不自由だということです。
思惑を超えた人生こそが、自由な人生なのかもしれません。

つづく

2011年03月25日

意識の次元と自由10 〜4次元と我欲

意識の次元は4次元から9次元までありますが、そのうち最も低い次元が4次元です。
4次元を「我欲の次元」とも言います。

「我欲」。
この一言を聞きますと、まずはあまり良い印象を受けない人が多いのではないでしょうか。
しかし人には皆、我欲があります。
我欲があるからこそ人である、とも言えます。
そして、我欲というものをあえて持つように創られたところに、人の存在の意味があるように思います。

「我欲はいけない」と、無理に思い過ぎることによって、その人の我欲はより大きなものとなります。
なぜなら、もともと存在するようにできている我欲を否定するということは人間否定、ひいては自分否定そのものとなるからです。
そして否定された我欲達は、不満を鬱積させ、反動としてより強いものとなってしまいます。
無理に我欲を抑えてしまうと、自分の気づかないところで(例えば、ちょっとした表情とか、しぐさ、ふるまい、雰囲気など)、我欲がにじみ出るようになります。

むしろ、我欲を持っている自分自身をありのままに受け止めること。
どのような我欲があるのかを、ありのままに観ること。
その存在を認めること。
それらが大切です。
これを「存在承認」と言います。
その我欲の内容が「正しいかどうか」「良いかどうか」ということではなく、その我欲が「存在していること」をただ承認します。
すると逆に、我欲によって振り回されることが少なくなったり、我欲をコントロールできるようになります。

そしてさらに意識の次元が高まることによって、高次元の意識が低次元の意識(我欲)をコントロールし、活用するようにもなります。
我欲そのものは4次元でも、その4次元の意識を9次元の意識がコントロールするようになる、ということです。
ということは、その我欲は9次元の我欲となった、ということになります。
(それはもう、「我欲」とは言えないかもしれませんが。)
例えば、「お金がほしい!」「もっと金持ちになりたい!」という我欲を大切にし、一つの仕事に向かうことで仕事の実績を上げ、それが結果として自分自身の魂レベルの成長と、周りの人達への良い影響につなげる、・・・そして結局は「お金を得る」という喜びだけでなく、もっと大きな喜びを学ぶ、・・・というようなことも起こります。
これは、高次元の自分が低次元の自分を活用している、わかりやすい例です。

ですから、我欲とは抹消するものではなく、活かすものです。
活かすためには、自分自身の意識の次元を高めること、・・・つまりは、真本音で生きることが重要です。

「自由」という視点から言いますと、一見すると「自分の我欲を満たすこと」が自由であるかのように映ります。
しかし、「自分の我欲を満たす」とは、「満たされないものを満たす」ことに他なりませんので、これは非常に不自由な状態です。
喉が渇いてカラカラのとき、私達は喉を潤すことばかりに躍起になります。
これは、それのみにしか意識が向かわない状態ですので、とても不自由な状態です。
ですから、我欲を満たすための人生というのは、「それをせずにはいられない」という意味で、実はとても不自由な人生なのです。

我欲に囚われず、我欲を否定もせず、我欲を活かしながら、自分の本当に望む方向に人生を進める。
これが本来の自由ではないでしょうか。

つづく

2011年03月24日

意識の次元と自由9 〜快晴の心

まるで何かの予兆を感じたかのように、自分の体が勝手に動くことがあります。
頭で理論的に何かを考えているわけでもなく、明確な根拠があるわけでもなく、自然に体が動いてしまうことがあります。
何かに突き動かされるような感覚。
根拠はないのに、確信はある。
もちろん、迷いはゼロ。
今、自分が取っている行動を完全に信じている状態。
いや、信じるとか信じない、という次元を超えた状態。
これ、誰もが一度は体験したことがあるのではないでしょうか。

今、何をすればよいか?
今、どうすればよいか?
今、何が最善か?
頭で明確に顕在化されているいないに関わらず、それらの答えを確信をもって得ている状態こそ、高次元の自分が現れている状態です。
そして一般的には、これを「直観の働いている状態」と言います。
直観とは、高次元の自分の発想のことを指しています。
そこには、理屈を超えた確信が伴います。
その確信とは、源(ソース)からもたらされるものです。

反対に、低次元の自分が現れているときは、心はいつもモヤモヤとしています。
何をするにしても、いつもどこかで迷い、自信はなく、歩みの一歩一歩は脆弱なものとなります。
同じ道を進むにしても、直観に基づいて進むのか、それともモヤモヤの状態で進むのかでは、その後の展開は根本的に変わります。

天気に喩えれば、高次元の自分でいるときは、澄み渡った快晴状態です。
低次元の自分のときは、暗い曇り空、もしくは雨が降っている状態です。
どちらが幸せか?と言えば、それはもう言うまでもないことです。
どちらが自由か?と言えば、それももう言うまでもないことです。
そして、どちらが周りの人に幸せをもたらすことができるか?
それも言うまでもないこと。
自分と周りの大切な人達の幸せを考えるならば、まずは自分自身の心の次元をいかに高めていくか。
これが非常に重要です。

結論を言います。
意識の次元を高めるための、最大・最善の方法は、「真本音を大切に生きる」ことです。
今の一歩一歩を、真本音で進むことです。

では、次回からは、それぞれの次元について、詳しく見ていくことにしましょう。

つづく

2011年03月23日

意識の次元と自由8 〜情報と向き合う

地震や原発に関する情報が飛び交っています。
テレビなどからの情報だけでなく、ネット上でも、メールでも様々な情報が入ってきます。
全く同じ事象に関しても、一方では「安全です」と言い、もう一方では「大変危険です」と言う。
何をどのように信じればよいのか、迷います。
これは、地震や原発に限ったことではありません。
今は情報過多の時代。
よく言われることですが、どの情報を取捨選択するか、が非常に重要です。

最近の私は、その情報の次元とパワーレベルを測るようにしています。
すると、結構面白いです。
情報の発信者が、どの次元から言葉を発しているのかがわかると、その情報そのものの本質も、ある程度は観えて来ます。

非常に論理的で説得力のある情報でも、それ自体がパワーレベル125というものも多いです。
125とは「我欲」を表し、次元で言えば4次元となります。
そういった情報は、「まぁそういう見方もあるよね」くらいに留めておいた方がよいでしょう。

パワーレベル540という情報も多いです。
これは、「いくつかある情報の一つとして、大切に心に留めておこう」というレベルの情報です。
次元で言えば、5次元が多いです。
発信者は嘘をついているわけでも、建前でもありません。
本気で言われていますし、とても参考になるものも多いです。
ですが、その人の「解釈」が入っていますので、すべてを鵜呑みにするよりも、あくまで一つの視点として捉え、さらに他の視点からの情報も得るとよいと思います。

そして、パワーレベル800という情報も多いです。
次元で言えば、6次元です。
前回、書かせていただきましたが、6次元とは「本物の次元」です。
このレベルの情報は真実性が高いので、まず信じてよいと思います。

複雑なのは、同じ人からの情報であっても、その中には以上の3つの次元が入り混じっていることが多い、ということです。

今の社会、情報は絶対的に必要です。
しかし、情報があるからこそ、こちらの目が曇ってしまうこともありますね。

こちらの目を、いつも透明にしておくためには、私達自身の意識の次元を高めることが重要です。
意識の次元が高まれば高まるほど、私達は「何が本当で、何が本当ではないか」を見極めやすくなります。
淀みのない心を持てば、「現実」が観えてくるのです。

「現実」が観えない中での「自由」は、あり得ません。
「現実」をありのままに観、ありのままに向き合うことで、私達の心は「自由」への道を見極めることができるのです。

つづく

2011年03月22日

意識の次元と自由7 〜次元の全体像

ではここで、意識の次元について全体像をご説明しましょう。

私達の心の中は、4次元から9次元まで次元の階層があります。
かなり大雑把な表現を使えば、4・5次元を反応本音、6次元以上を真本音、と言うことができます。
ただしこれは、あくまでも短絡的な表現です。

それぞれの次元には、以下のように別名があります。
4次元を「我欲の次元」と言います。
5次元を「試行の次元」と言います。
6次元を「本物の次元」と言います。
7次元を「統合の次元」と言います。
8次元を「融合の次元」と言います。
そして9次元を「完成の次元」と言います。
それぞれの名称が、その次元の本質を表しています。

次元を一つ上に上がる、というのは非常に大きなことであり、それは魂レベルの成長と言えます。
しかしこれまでも述べさせていただきましたが、「一つ上に上がる」とは、本質的には「一つ上の次元の自分を思い出す」ことに他なりません。
もともとすべての次元の自分が、私達の中には存在しています。

さらに、次元を一つ上に上がる際に、特に大きな段差が二つあります。
一つ目は、5次元から6次元に上がる段差です。
二つ目は、7次元から8次元に上がる段差です。
つまり、4・5次元と6・7次元と8・9次元がそれぞれペアであると捉えていただくとよいでしょう。
4次元の人は自然に地続きで5次元まで行き、6次元の人は自然に地続きで7次元まで行き、8次元の人は自然に地続きで9次元まで行くことができます。
しかし、5から6次元、7から8次元に行くには、大きな段差を越える必要があるということです。

意識の次元とパワーレベルの数値との関連ですが、
生まれたときから天然(天性)で当たり前のように真本音で生きている人の場合は、パワーレベル700の辺りで7次元となります。
(しかしパワーレベル500台の方でも、7次元の人はいます。)
私のように、天然ではなく、研修やコーチングなどを通じてパワーレベルを一気に上げた人の場合は、パワーレベルが1000に到達した辺りで7次元になるパターンが多いようです。

連載シリーズ2『源と真本音』でも書かせていただきましたが、
*パワーレベルとは、真本音との結びつき度合い
*次元とは、源(ソース)との結びつき度合い
を表しています。
(源と真本音の違いにつきましては、同じく連載シリーズ2をお読みください。)
この人生の中で一気にパワーレベルを上げた人は、まずは真本音とのつながり度合いを高めた上で、源(ソース)とのつながりを高めていく、というパターンが多いわけです。

さて、今回は全体像のみを書かせていただきました。
この時点では、何がなんやら意味がわからないと思います。
この全体像に基づいて、徐々にですが、「意識の次元と自由」について紐解いていきたいと思います。

つづく

2011年03月21日

意識の次元と自由6 〜3次元と向き合う

人の心というのは、非常に奥が深いです。
自分の心を知れば知るほど、さらにその奥の存在を知ります。
それはまるで宇宙のよう。
そうです。
人の心と宇宙の大きさは、イコールではないかと私は考えています。

心の奥へ奥へと進むに連れて、本当の自分が顔を覗かせます。
そして奥へ奥へと進むに連れて、より高い次元の自分と出会います。
ではどうすれば、奥へ奥へと進むことができるでしょうか?

その最も効果的なやり方は、「3次元と向き合う」ということです。
心の奥を知るために、心の奥の方ばかりに意識を向けても、実は本当の奥の自分は観えて来ません。
もし見えたとしてもそれは、「奥の自分であると思い込んでいる自分」にしか過ぎません。
「奥の自分」を無意識に自分自身の思い込みで創り上げているのですね。
それでは、本当の自己理解にはなりません。

奥の自分を理解するために最も大切なのは、3次元の現実と向き合うこと。
ありのままに向き合うことです。
なぜなら高次元の自分は(ここは、「真本音は」と表現してもよいです)、「今ここにある現実を、ありのままに受け止める」ことを望んでいるからです。
逆に言えば、「現実逃避」という行為を、高次元の自分は最も嫌います。

何かつらいことがあると、私達はそのつらさから逃れるために、どうしても「現実」から目を背けてしまいます。
しかしその結果、高次元の自分は引っ込んでしまいます。
そんな自分にあきれるのです。
そして逃げていることは自分自身が一番よくわかっていますから、心の中に「なに現実逃避してるんだよ!」という自分を責める気持ちが生まれます。
自分を責める気持ちのことを「罪悪感」と言います。
罪悪感とは、私達自身の心を最も苦しめるものです。
楽になりたくて現実逃避をすることで、逆に自分をより苦しめてしまうのです。

今回の東日本大震災では、被災された方々の、必死に現実と向き合っている姿が、たくさんテレビに映し出されました。
その姿は、海外の人達にも大きな感動を呼んでいるようです。
3次元の現実と向き合う、という行為はどれだけ尊いことか。
それをまた一番よくわかっているのも、私達自身です。
それをすることで、私達の心の中にいる奥の自分(高次元の自分)は喜んで顔を出そうとします。
こちらが「奥へ奥へ」と行かずとも、向こうから浮上してきてくれるのです。
そして自分でも知らなかった高次元の自分と出会うことで、私達自身が大きな喜びと感動を覚えます。
それは、心の感動というよりも、魂の感動と言えるものです。

そして、魂の感動を得ることができればできるほど、私達の心は自由になるのです。

つづく

2011年03月20日

意識の次元と自由5 〜本当に望む現実

4次元以上の世界(心の中の世界)での現実と、3次元の世界の現実のギャップが、私達に影響を与えます。
3次元とは、4次元以上の世界で起きている現実の反映です。
しかし、4次元以上で起きていることのすべてが3次元に現れるわけではありません。
4次元以上で起きていることのうち、その時点で最も強いものが私達の行動として現れ、それが3次元に影響を与え、3次元の現実を創っていきます。

例えば、AさんとBさんがいたとします。
AさんとBさんはちょっと険悪な状況にあったとします。
しかしAさんはBさんと「仲直りしたい」と思っていたとします。
仲直りしたいという気持ちは、4次元以上における一つの現実です。
しかし実際にBさんの顔を見ると、その瞬間にAさんはついつい文句を言ってしまったとします。
それはその瞬間にAさんの中にBさんに「文句を言いたい」という強い気持ちが起こり、それが3次元での現実化に至ったわけです。
では、「仲直りしたい」という気持ちはなくなったのでしょうか?
いえ、それはきちんとAさんの中に在り続けています。
しかしその瞬間は、「仲直りしたい」という気持ちよりも「文句を言いたい」という気持ちの方が勝ってしまったわけです。

つまり、「仲直りしたい」という現実と、「文句を言いたい」という現実、二つの現実がせめぎ合い、そのうちの一つが3次元世界で現実化したということです。
このように、私達は4次元以上における様々な現実の中で、一つを選び、3次元世界において現実化しています。
もしここで、4次元以上の自分を自分自身がコントロールすることができれば、3次元においても、私達は比較的望む現実を創りやすいです。
しかし、コントロールができていなければ、残念ながら、望まない現実を創り出してしまうこともあります。

ここで次に問題になってくるのは、「では自分は、4次元以上では、本当は何を一番望んでいるのか?」ということです。
実は、4次元以上の世界での力関係には、非常にシンプルな原理があります。
それは、4次元よりも5次元、5次元よりも6次元、6次元よりも7次元、7次元よりも8次元、そして8次元よりも9次元の方が強い、・・・という事実です。
なぜなら、高次元にいけばいくほど、それは「本当に望んでいること」に近づくからです。
ですから私達の本当の本当の本音は、9次元にあります。

ちなみに、これは一概には言えないことですが、あくまでも一つの目安として短絡的な表現をしますと、・・・
「真本音」とは、6次元以上の心のことを言います。
「反応本音」とは、4次元と5次元の心のことを言います。
ただしこれは厳密ではありません。
なぜなら、真本音があえて4次元の気持ちを生み出すこともあるからです。

さて、では私達は9次元の自分の気持ちに従って生きればよい、ということになりますが、実はそれがそうもいかないのです。
2011年3月19日現在、6次元以上の自分の心を基本としながら生きている人の割合は、日本人で言えば25%しかしません。
つまり4分の3の人達は、6次元以上の自分の心の存在に「気づいていません」。
以前にも書きましたが、本当は存在しているのにも関わらず、気づいていないのです。
そして、4次元・5次元の自分が「自分のすべてである」と思い込みながら生きています。
さきほど申し上げた通り、4次元・5次元とは、基本的には反応本音ですから、4分の3の人達は、自らの反応本音を基本としながら生きているということになります。
この連載の第3回で書かせていただいた「反応のサイクル」を創り出している状態です。

「意識の次元を高める」とは、「より高い次元の自分の存在を認識する」ことであり、「より高い次元の自分を思い出す」ことです。
思い出すことができればできるほど、私達は「本当に望む現実」をまずは心の中で創り出すことができ、それを3次元世界に反映させることができるのです。
つまりそれが、「本当に望む人生を創る」ということに他なりません。

つづく

2011年03月19日

意識の次元と自由4 〜3次元について

私達が存在しているこの3次元世界。
この世界の「進み方」はゆっくりです。

4次元以上の世界、・・・つまり、心の中の世界では、思ったことが一瞬にして実現します。
例えば、「宇宙旅行に行こう」と思えば、すぐにそのイメージをすることができます。
自分が望むことも、望まないことも、それを思い抱いた瞬間に、それはすぐに実現します。
それはとても楽な世界でありますが、逆に言えば、怖い世界でもあります。

私達は、自分の心のすべてをコントロールできているわけではありません。
特に、反応本音のコントロールは、一般的にはとても難しいものです。
ですから、自分が望まないどころか、自分が最も恐れていること、避けたいことなどを思い抱き、その結果として瞬時にそれが心の中で実現してしまいます。

「意識の次元が高まる」とは、「自分の本当に望むことが心の中で実現する度合いが高まる」ということです。
つまり、意識の次元が低ければ低いほど、心のコントロールはできていないことになります。
意識の次元が高まることで、私達が自由を手に入れることができる、というのは、そういうことです。

以上のように、4次元以上の世界(心の中の世界)は、ある意味制御不能の世界でもあります。
しかし、3次元世界は違います。
思い抱いたことがすぐに実現することは、ほとんどありません。
実現するかどうか自体もわかりません。
3次元世界では、私達が心の中で実現したもののうち、最も強いものが表出します。
しかも、それは「ゆっくり」です。
つまりは時間差があるということです。
すべてがスローモーションなので、一つのことを実現しようと動いている途中で、それを止め、別の行動に移すことも可能です。
スローモーションであるが故に、制御が効きやすいのです。

もし、この3次元世界がなければ、私達の「心の成長」は非常に難しいものとなるでしょう。
なぜなら、思い抱いた瞬間にすべてが実現してしまうと、その思い抱き方のパターン(それは意識の次元の高低によって左右されます)から抜け出ることは、基本的には不可能だからです。
スローモーションの世界があるからこそ、私達は「自分を変える」(=自分の心のパターンを変える)ことができるのです。
スローモーションの世界があるからこそ、私達は「自分の意識の次元を高める」ことができるのです。

しかし逆に言えば、3次元世界では本当に望んでいることも実現するまでに時間がかかったり、途中で何らかの原因でそれが頓挫することもあるわけです。

それが私達の住む3次元世界です。

つづく

2011年03月18日

意識の次元と自由3 〜今、ここから2年

ほんの一週間前の私達には想像すらできない状況となりました。
この震災で人生を終えられた方々、思いもよらぬ苦難に見舞われている方々、そしてこの厳しい現実に立ち向かわれている方々。・・・
多くの方々の“命”を感じる一週間でした。

“命”。
私達は、これをもってこの現実世界(3次元世界)に生まれて来ました。
3次元レベルでの“命”を失うことで、この世界での存在はなくなってしまいます。
この世界に存在しているうちに、自分は何をすればよいのか。
その答えを、すべての人は、真本音の中に持っています。
それに気づけた人は、人生の長短に関わらず、幸せです。
それに気づけた人は、人生の長短に関わらず、自由です。

命は自ら断つこともできます。
しかし、自らの意図によらずに、断たれることの方が圧倒的に多いです。
自分の人生がいつ、どのような形で終わるのかを知っている人はいません。
いつ終わるかわからない人生の中で、私達は今、ここで生きています。

意識の次元を考えるとき、どうしても今私達がここにいる3次元世界のことを、避けて通ることはできません。
この3次元世界の意味とは何か。
なぜ、この3次元世界は存在しているのか。
そしてなぜ、こんなにも理不尽なのか。
これらの問いに答えずして、先に進むことはできません。

私達の心には、反応本音があります。
私はいつもコーチングや研修を通じて、反応本音とどのように向き合えば、自らの反応本音を自らコントロールすることができるかをお伝えしています。
しかしそうは言っても、コントロールしづらいのが反応本音です。
コントロールしづらくできているのが反応本音です。
そしてその反応本音とは、この3次元世界だからこそ生まれるものです。
真本音が、3次元の現実と関わる中で生まれたものが反応本音です。
現実と向き合う、とは、自らの反応本音と向き合う、ことに他なりません。

現実との関わりによって反応本音が生まれ、その反応本音によって現実に働きかけ、そして現実からまた反応が返ってくる。
それによりまた反応本音が生まれ、・・・。
このサイクルが、私達の3次元世界での人生を創っています。
それは「反応が反応を生む」サイクルです。
実はこのサイクルに囚われてしまうと、私達は永遠にそこから抜け出せなくなってしまいます。

この震災という、言葉にならないくらいの厳しい現実。
この現実に、「単なる反応として」反応を返してしまうことで、その後にさらに大きな「反応のサイクル」が生まれてしまいます。
今こそ、私達日本人は、「真のサイクル」を生み出さねばなりません。
今だからこそ、です。
「真のサイクル」とは何か?
それは、私達が真本音に基づいて生み出すサイクルであり、私達が本当に望むサイクルであり、「最善の道を拓くサイクル」です。

今、ここから2年。
この2年間の私達の行動で、すべてが決まります。
「真のサイクル」を、私達は創ろうではありませんか!

つづく

2011年03月10日

意識の次元と自由2

私達のいるこの世界は3次元世界です。
これは一般的に、私達が「現実」と呼んでいる世界です。
そして、心の中の世界が4次元以上の世界です。
心の中の世界は、4次元から9次元まであります。
(本当はもっとあります。)
私達が「人間」という個体として到達できる最高点は9次元です。

今私は「到達できる」と書きましたが、実は正確な表現ではありません。
もともと私達誰しもの心には、4次元から9次元まですべてが存在しています。
ただ、その存在を認識しているか、いないか、だけです。
残念ながら多くの方々は、特に7次元以上の自分を認識していません。

もう一つ。
さきほど、「心の中の世界は、4次元から9次元です」と書きました。
「心の中の世界」と表現しますと、それはその人独自の世界であり、その人固有の限られた狭い世界をイメージするかもしれませんが、それもそうではありません。
実は、3次元世界こそが限られた狭い世界、・・・とさえ言うことができます。
しかも高次元では、源(ソース)とつながっています。
ということは、すべての人達同士がつながっています。
(詳しくは、連載シリーズ2『源と真本音』をご覧ください。)
それは、無限に広がる世界です。

3次元世界とは、その「無限に広がる」4次元以上の世界の反映でしかありません。
4次元以上の世界で起きていることが、そのまま3次元世界に反映されます。
つまり3次元世界で起こるすべての体験・経験は、私達自身が4次元以上の世界で既に創り出しているものだということです。
それが、時間差で投影されているに過ぎません。
よく喩えられることですが、映画で言えば、4次元以上の世界は映写機の中のフィルムです。
3次元世界は、スクリーンに映し出された映像である、と表現できます。
そして映写機本体が、私達自身ですね。
私達は、自らが心の中で起こしていることの通りに、3次元における人生を創り上げています。

ですから、次のようにも言えます。
「現実」とは3次元だけではない。
4次元の現実、5次元の現実、6次元の現実、7次元の現実、8次元の現実、そして9次元の現実。
・・・すべての次元に「現実」が存在している、と。
4次元以上の世界で、自分がどのような現実を創り出しているかを認識することができれば、人生の捉え方も、人生そのものも根本的に変化します。
本当に望む人生を送るためには、4次元以上の自分と向き合う必要があります。
そして、4次元以上の「すべての自分」と向き合うことができるようになれば、私達は、「完全なる自由」を手に入れることができるのです。

つづく

2011年03月09日

意識の次元と自由1

今回から「意識の次元」について書かせていただきます。
このテーマの始まりとして、9年前の私の文章を載せることにします。
SCC創設当時に書いたものです。
だいぶ前に、すでにこのブログでご紹介した文章ですが、あえてもう一度。
・・・・・

自生由遊 (じきゆうゆう)

人生の酸いも甘いも経験された、ある偉い方が次のようにおっしゃっているのを聴いたことがあります。
「人生、遊びのごとし。」
なんという凄い言葉だろうと思いました。
言うまでもないことですが、人生にはいろいろなことがあります。自分一人の力では耐えられず、立っていられなくなることも無限にあります。その方もそういった経験をいやといほどされてきて、でも最後にそう言われたのです。
格好いいですね。この言葉にはとてつもない「人間味」を感じます。
人間の強さも弱さも感じます。
人間の清さも汚さも感じます。
人間の潔さと中途半端さも感じます。
人間だなぁ、人間を極められてるなぁ、と感嘆しました。

「人生、遊びのごとし」と言えるくらい、私は私自身の人生を愛したいものです。そしてすべての人が「なんだかんだあるけども、これは私の愛する人生だ」と言えたらすばらしいなと思います。
ところが今の社会を見渡してみますと、なかなかそうは言えません。自分の人生なのに他人の人生のように生きている人、まわりや環境のせいにしながら、まわりのための自己犠牲的な人生を生きている人。そんな方が多いように感じます。かく言う私自身も実はそうでした。
「毎日がつらい」「人生が苦しい」と言いながら、実は自分で自分の首をしめている。「やる気が出ない」「無気力だ」と言いながら、実は自分で自分のエネルギーを奪っている。そういう人も多いですね。
人はもっと楽しく生きられるのではないでしょうか。人はもっと充実した生き方ができるのではないでしょうか。
なぜなら多くの場合、自分自身の今の状況・状態をつくっているのは、他でもない自分自身なのですから。

唐突ですが、私の好きなチンギス・ハーンのお話を少ししましょう。
彼が生きていたのはちょうど今から800年前です。ご存知の通り彼はモンゴルの方ですが、中国からヨーロッパに至るまでのユーラシア大陸のほとんどを彼一代で統一するというとてつもないことを成し遂げました。世界史上でも最大の国家を創り上げたのです。
そんな彼の統一のスタートはたった7人の家族からでした。7人から始まって何度も何度も挫折を繰り返しながら、しかし最後には大帝国を創り上げます。
当時のモンゴルは今の社会に匹敵するくらいの最悪の状況でした。数百に及ぶ部族が割拠し、家族と言えども人は人を信用せず、策略と謀略を繰り返しながら、いつ絶えるとも言えない戦争状態が続いていました。勝った部族は負けた部族を皆殺しにしていました。なぜなら恨みは次の戦争を呼び起こすからです。
そんな中でチンギスハーンは皆が安全に暮らすことのできる世の中にするためにモンゴルの統一を志します。
では、なぜ彼だけが大きくなっていくことができたのでしょうか。

実は彼は「自由」で人を統治したのです。
彼は戦争で自分が打ち負かした相手の部族を皆殺しにはしませんでした。なんと相手部族の一人ひとりと面接をしたのです。そして自分自身に対する絶対的な忠誠さえ誓ってくれれば「あとは自由でいい」と言ったのです。つまりその部族でずっと続いてきた慣習や宗教など、そのまま残せばよいと。絶対の忠誠さえすれば、力を発揮する者であれば自軍の大将にすることさえしました。この画期的な考え方とやり方により、彼は急激に勢力を広げていくことになったのです。
人は誰もが「自由」を手に入れることを望んでいます。
「自由」に生きれたらどんなによいでしょう。
でもいったい「自由」とはなんでしょうか。
チンギス・ハーンの時代での自由とは「束縛から解放されること」でした。今の社会も実は似たようなものかもしれません。しかし解放されることだけが自由なのでしょうか。
日本の社会は自由かどうか、というテーマがあったとしたら、様々な観点からいろんな意見が出てくるでしょう。ある面から見れば自由であるし、またある面から見れば不自由でしょう。
では、人はどうでしょうか。我々は皆、自由に生きているでしょうか。これもまた様々な意見があるでしょう。
つまり今の世の中は「自由」が複雑化しています。
でも、人は「自由」を求めています。

全くまわりから束縛されない状況の中でも自由に生きていない人はいます。
逆に、すごく束縛されていると思える環境下でも、本人は自由に生きていて満足している人もいます。
もう一度、問います。「自由とは、なんでしょうか。」「自由に生きるとはどういうことでしょうか。」「人はどんな自由を手に入れたら、本当に幸せになれるのでしょうか。」
実はこれが、今の私が事業をさせていただいている最大のテーマです。

私は思うのです。人はもっと自由になれるはずだ。もっと自分自身を開放させ、自分らしく、自分の魅力を発揮しながら生きることができるはずだ。そう思うのです。
自由になるとは、今の環境を捨てるということではないと思います。企業で言うならば「自由になるために私はこの会社を辞める」という短絡的なものではないと思います。自由とは責任の伴うものでありますし、まわりの環境を大切にできない人に、本当の自由は生まれないとも思います。
自由とは自分の人生に対して責任を果たすことのような気がします。
自由とは自分の人生を引き受けることのような気がします。
自由とは自分の生き方を大切にすることのような気がします。
自由とは・・・・
私はこういったテーマを持ち、「人の育成」や「人のサポート」をしていきます。

「自生由遊」とは「人生、遊びのごとし」と言えるくらいに自分の人生を愛し、そして自分の人生と向き合い、本当の意味で自由な人生を送る、そんな方が世の中に溢れていったらよいな、という私の願いなのです。

以上

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なぜこの文章を載せたかと言いますと、この9年前の私の問い「自由とは何か?」に、意識の次元という視点から答えてみたいと考えたからです。
今の私の答え、です。
意識の次元を高める、ということは、イコール「自由に生きる度合いを高める」ということに他ならないからです。

つづく