こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年05月26日

8次元の愛 17 〜楽ちんな愛

私は何者か? という問いは永遠のテーマです。
それは、私達人間全員が心の根底に持ち続けているテーマであり、
その答えも、実はきちんと用意されています。
ところが、その自ら用意した答えにたどり着くまでに、私達は様々な経験を3次元世界でしなければなりません。
その経験のすべてに共通しているのが、「一つになる」ということ。
つまりは、「愛のパワーを注ぐ」ということです。
これまでも書かせていただきました通り、愛とは「一つになろう」とする方向に私達を導くパワーです。
私達は「愛」を学びながら「一つになろう」とし、その経験を通じて、「私は何者か?」の答えを得ようとしています。
それが、人生を生きる、ということの目的の一つです。

「愛」とは探究するものです。
理論としての探究ではありません。
経験としての探究です。
愛を注ぐ体験・経験を積みながら、私達は「愛」を「思考」としてではなく、「実感」として学びとります。
その探究は、人生を生きている以上は、し続けなければなりません。
いや、し続けなければならないのではなく、「し続けたい!」と私達の魂は願っています。
だからこそ、愛の探究と逆の方向に向かうことで、私達の魂は曇り、心には淀みができ、結果として、自分が何のために生きているのか? 自分は何者か? が全く観えなくなってしまうのです。

このブログでは、「愛のパワーを注ぐ」という表現をし続けています。
愛のパワーを注ぐためには、愛のパワーを自分が創り出せる自分でなければならない、と思われるかもしれません。
ところが、そうではありません。
実は、愛のパワーは私達が創り上げるものではありません。
愛のパワーは、すでに「今ここ」にあるのです。
私達はもともと「一つ」です。
「一つ」が分離して別個の「現象」としてここに存在しているのが私達です。
もともと「一つ」である私達、・・・つまり源(ソース)は、「今ここに」存在しています。
源(ソース)に委ねることで、私達は「一つ」になる方向に自らを進めて行けます。
その際に、お互いに感じ合うパワーを、「愛のパワー」と表現しています。
つまり、変な言い方ですが電力に喩えますと、それは自らの力で自家発電するようなものではなく、そこかしこにコンセントがある状態です。
あやゆる空間に、愛のパワーを発生させるコンセントがあり、あとはそのコンセントから電源を得るだけのことです。
そしてコンセントから電源を手に入れるためのプラグが、「すべては私である」という、たった一言の言葉です。

「6次元の愛」とは、どちらかと言うと、自家発電に近い愛です。
自分が疲れてしまえば、愛のパワーも減退します。
自分の調子が良ければ、愛のパワーは増強します。
自分自身の状態によって、愛は変わります。
「8次元の愛」とは、源(ソース)のパワーをそのまま活用する愛です。
ですから、「私」という個人の状態は、いっさい関知しません。
これが、6次元と8次元の決定的な違いです。

ですから、(これも変な表現ですが)「8次元の愛」とは、とても楽ちんな愛なのです。

6次元の愛の実践者の皆さんへ。
次は、8次元の愛を目指しましょう。
それは、楽ちんな愛です。
私達は、もっともっと楽に、楽しく、愛を注ぐことができます。
そして、もっともっと楽に、楽しく、愛を注げば、その行為によって、私達は「愛」をより深く「実感」しながら学び、同時に、「私は何者か?」という永遠のテーマの答えに近づきます。

さて。
どうやら来月あたりから、意識の次元が一気に高まる人達が急増しそうです。
これまで4次元だった方は6次元に向かい、6次元だった方は8次元に向かい始めます。
その波は、最初こそはゆるやかですが、徐々に大きなものとなっていきます。
ですから私も最大の努力をもって、自分自身を活かしていきます。
皆様も、「自分」という存在を、最大に活かしてください。

いよいよ私達は、「真本音の時代」へと急接近して行くのです。

つづく

2011年05月25日

8次元の愛 16 〜安息の地へ

「私」とは何でしょう?
何が「私」なのでしょう?
皆さんは、自分の存在を確かなものとして感じていますか?

どこまでが「私」で、どこまでが「私」ではないか?
私達は、その境界を明確にすることで安心を得ます。
「ここまでが私だ」と思えることで、安定を得ます。
これも一つの「枠」です。
「枠」のはめ方は、人それぞれ異なります。

例えば、会社で大問題が起きたとします。
その問題を起こした社員さんがいたとします。(Aさんとします。)
もしAさんが入社したての人だとしたら、Aさんはこう思うケースが多いでしょう。
「私のせいで、会社に迷惑をかけてしまった。」
これは、あえて別表現をしますと、・・・
「私」という存在のせいで、「私以外」の存在である「会社」というものに迷惑をかけてしまった。
・・・ということになります。
ところが、もし問題を起こしたのがAさんではなく、Bさんだったとします。
Bさんは、その会社を創業した経営者だとします。
Bさんも「私のせいで、会社に迷惑をかけてしまった」と表面的には当然思うでしょうが、
その捉え方は、Aさんとは少し違うのではないでしょうか。
例えば、ご創業者の方々は、「会社=自分」と捉えている人が多いです。
ですから、「私」が「私以外の存在である会社」に迷惑をかけた、とは捉えません。
「私」は、「会社というもう一つの私」もしくは「私自身である会社」を傷つけてしまった
・・・と捉えるのではないでしょうか。
つまりBさんにとっての「私」とは、「会社」というものも含んだ「私」であり、Bさんにとって「人生をどう生きるか?」とは、「会社をどうしていくか?」ということとイコールに近くなるでしょう。
このように、どこまでを「私」と捉えるか。
それは人それぞれ異なります。

自分の子どもを「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の伴侶を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の趣味を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の仕事を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の夢を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の使命を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の価値観を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の国を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の体のみを「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の心のみを「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
「私自身」など存在しない、と捉えている人もいるでしょう。

皆さんは、どこからどこまでを「私自身」であると、捉えていますか?

以上のように、何らかの「枠」をはめ、「私」というものの「範囲」を決めているのは、私達の7次元の意識までです。
8次元以上の意識は、その「枠」を、「範囲」を特定していません。
「すべては私である」ということは、そういうことでもあります。

そして、「枠」や「範囲」を決めることで安心・安定を得ている私達であるはずなのに、「枠」や「範囲」を決めたとたんに不安になります。
つまり、「枠内・範囲内」のものと「枠外・範囲外」のものを分けて考え、「枠内・範囲内」のものだけを大切にしようとするからです。
愛であれば、「枠内・範囲内」のものだけを愛そうとします。
「枠内・範囲内」のものを「守ろう」とします。
その瞬間から、「枠外・範囲外」のものが「自分と関係ないもの」となります。
時には、「枠外・範囲外」のものが敵になることさえあります。
「自分と関係ないもの」や「敵」が自分に迫ってくると、私達は不安を覚えます。
「自分と関係ないもの」や「敵」が多くなればなるほど、私達の不安は増大します。
当然のことですね。

要するに、「私」と「私以外」。
「私以外」の存在が増えれば増えるほど、「私以外」が「私」に何をするのか、どんな影響を及ぼすのか、・・・常に不安がつきまとうようになります。
そして不安を解消するために、「私以外」に対して、要求を出したり、時には自ら攻撃に出たりします。

「枠」や「範囲」を決めることは、安心・安定を得ることには、残念ながらつながりません。
むしろ、不安や確執を増長させることにつながります。
しかしあえて、「枠」をはめることを本能として持っているのが私達人間です。
それは、表面的には自分を守るために「枠」をはめているように思われますが、本当は、「枠」を外すことを学び、それを通して、本当の心の安息とは何か、を学びとろうとしているのです。

人生に安息はあるのでしょうか?

どれだけ生きても生きても生きても、本当の意味で完全に、100%の安息を得ることは、なかなかできないのではないでしょうか。
しかしでは、人間は安息を手に入れることはできないのでしょうか?
いえ、できます。
実は、もともと安息はあるのです。

私達の中にもともと存在する、安息の意識。
それが8次元・9次元の「私」です。
そしてその8次元・9次元の「私」はなぜ、安息の状態でいられるのか?
それは、「枠」も「範囲」も特定していないからです。
「すべては私である」ということを「ちゃんと知っている」からです。

そんな、8次元以上の「私」が発するのが、8次元の愛のパワーです。
この愛を受けることで、人々の心が真にやすらぐのは、必然的です。

そして逆に、こうも言えます。
「8次元の愛」を目指すことで、・・・その「目指す」という行為そのものにより、私達の心は徐々にではありますが、安息の地に向かい始めるのです。

「すべては私である」。
まずは言葉だけでもよいのです。
理屈での理解は、あきらめてください。
まずはこの言葉を自分の中で呟きましょう。
呟くだけで、この言葉に共鳴する私達の心が、奥深くに必ず存在しています。
その心を目覚めさせるには、まずは日々、「すべては私である」と呟き続けましょう。
簡単なところから一歩一歩。
たった一歩でも進めば、たった一歩でも、安息の地は近くなるのです。

つづく

2011年05月24日

8次元の愛 15 〜「枠」を外す

「すべては私である」ということを、理屈で捉えようとすれば、私達の脳は破綻します。
しかし、真理とは往々にして、脳みそ(思考)を超えたところにあります。
私達はこの3次元世界で安心して生きていくために、すべての物事に「枠」をはめようとします。
「視界」というものがあるように、私達は必ず限られた範囲内で物事を捉え、その範囲内で理解しようとします。
しかもその理解とは多くの場合、過去の自分の「理解できていること」に何とか当てはめようとする理解です。
本能的に私達はそうしながら生きていますので、私達は各々の「世界」を持ちながら生きることになります。
私達は、自分の「視界」で見たこと聞いたこと感じたこと経験したことに基づいて「理解」をし、その「理解」に基づいて次の「理解」をします。
ですから人生観や価値観が人によってまちまちなのは当然のことです。
ましてや、全く別の環境で生きた人同士は、理解し合うのはなかなか難しいです。

愛の次元を高めることは、言ってみればこれらの「枠」を超えることにつながります。
わかりやすいところで言いますと、例えば誰かを本気で愛したとします。
すると私達の意識はずっとその人に向かい続けます。
意識がずっとその人に向かうということは、ある意味、自分の意識は自分の視界を離れてまでもその人のもとにい続けるということになります。
それにより、私達の視界は必然的に広がります。
誰かを真剣に愛することで、人間的成長がもたらされるのは、そのような理由によります。

愛が8次元に達すると、「すべては私である」という状態になります。
ということは、「すべて」が自分の視界、ということになります。
ということはイコール、自分の視界とか「枠」が外れた状態となります。
それをこのブログでは、「完全なる自由」と表現しました。
8次元の愛とは「完全なる自由」に基づいた愛です。

私達は自らの「枠」を自ら外すことは、基本的にはしようとはしません。
それは非常に怖いことだからです。
「枠」イコール「自分」くらいに私達は思っています。
「枠」がなくなることは「自分」をなくすことである、と私達は信じています。
ですから、「枠」は外れません。
「枠」に固執し、「枠」にこだわり、逆に「枠」に囚われるようになります。
しかし「本来の自分」とは、その「枠」をすべて取り払ったところで、初めて姿をみせます。

本来の自分。完全に自由な自分。本当に自分らしい自分。
私達は誰もが、そういった自分になりたい、という欲求を心の根底に抱いています。
しかし同時に、それらを阻害している「枠」を守りたい、という欲求も強く持っています。
この二つのせめぎ合いの中で私達は人生を生きています。
逆に言えば、そのせめぎ合いの中で徐々に「枠」を外し、自由を手に入れていくことによって、魂の成長が成されますし、本来の愛を学ぶことができます。

皆さん。
「枠」を外しませんか?
「枠」を外すとは、社会人としての礼儀を軽んじるとか、独りよがりの我がままになる、ということとは本質的に異なります。
一人が「枠」を外すことで、愛のパワーは一気に周りに広がり深まります。
逆に、愛の次元を高めることで、「枠」は自然に外れていきます。

「枠」を外すために、まず最初にできる方法。
それは、「すべては私である」と心の中で呟くことです。
ただそれだけのことです。
それを続けたときに、自分の見えているもの、聞いているもの、感じているもの、経験しているものがどのように変化するかを楽しんでみてください。
ある人を「大切にしよう」と思ったとき、「すべては私である」と呟いてからその人と接してみてください。
すると、それだけで愛のパワーは少し高まっているかもしれません。

つづく

2011年05月21日

8次元の愛 14 〜そこに戻るだけ

「本物の愛」(6次元の愛)を学ぶために試行錯誤する次元が5次元である、というお話を以前させていただきました。
これは実は7次元にも言えることです。
「すべては私である」という愛(8次元の愛)を学ぶために試行錯誤する次元が7次元とも言えるのです。

「すべては私である」というのは「すべてが一つである」ということでもあります。
すべてが完全に一つになることを「融合」と言い、8次元は「融合の次元」とも呼ばれます。
そしてその「融合」に至る大切なプロセスとして、「統合」があります。
すでにご存知の通り、7次元を「統合の次元」と言います。
別個のものが一つにまとまろうとすることを「統合」と言いますが、統合をする目的は、最終的には「融合」にたどり着くためです。

前回書かせていただきました「葛藤を超える」ということは、まさに統合から融合への道筋の例です。
葛藤とは、別個の方向に向かう意識の引っ張り合いです。
別個の意識が、完全に一つになることで、私達は葛藤から完全に開放されます。
その融合を学ぶために、統合という行為が必要です。
つまり、・・・
「統合」とは何か?
どうすれば「統合」は成されるか?
・・・それらの試行錯誤を繰り返すことで自然に、統合を超えた「融合」という状態を知ることができるのです。

「すべては私である」というのは、本当にすべては私である、ということです。
「すべて」とは、宇宙にあるすべて、です。
ですから、「私」以外の何かだと思っているすべての「もの」が(物、者、物事すべて含めて)「私」である、ということです。
太陽も空気も机も椅子も信号機も電車もAさんもBさんも世界で起きているあらゆるできごとの一つ一つも、すべて「私」です。
これを理屈で捉えようとすると、大変なことになります。
いや、理屈で捉えられるわけがありません。
しかし、誰もが魂の成長を続ければ、いつかはこれを実感する日が来ます。
なぜなら、それが真理だからです。
私達は、もともと「一つ」であり、そこから生まれ出た存在です。
3次元レベルでは別個に映っていますが、すべては「一つ」であり、それぞれはその「反映」に過ぎません。
そのことを、説明を受けなくても、誰よりも何よりもよ〜くわかっている意識が、すでに私達の中にしっかりと存在しています。
それが8次元の意識です。
ただそれが、今はまだ表面化(顕在化)せずに眠っている人が多い、というだけのことです。

真本音の時代に向かう過程と、真本音の時代に入った後において、この8次元の意識を思い出す人は急増していきます。

現時点では、「すべては私である」ということを受け入れるには、心に相当の無理が生じたり、かなり現実離れした勇気が必要な気がするでしょう。
しかし本当は、そんなものは一切必要ありません。
なぜなら、それが真理なのですから。
それを思い出し、そこに戻るだけのことですから。

そしてそこに戻ったとしても、自分という存在が消えてなくなるわけではありません。
むしろ、これまで以上に自分という存在が際立ちます。
8次元9次元の意識を思い出しても、4次元5次元の意識はずっと存在しています。
我欲だって、いっぱいあります。
それが人間です。
ただ、その我欲を「完全に活かす」ことができるようになります。
それは、「完全なる自由」を意味します。

8次元の愛は、「完全なる自由」に基づいた愛です。
「愛さなきゃ」という次元ではありません。
自分自身の愛のパワーで、自分自身も満たされます。
4次元も5次元も6次元も7次元も、すべての心が満たされます。

そこにたどり着くためには、まずは「統合」から始めましょう。
相対するものを闘わせるのではなく、「統合」しようとします。
別個のものを離反させるのではなく、「統合」しようとします。
本当に「統合」できたかどうか、という結果ではありません。
「統合」しようとする意志と選択と行為そのものが、7次元の意識を開花させ、8次元の意識を喚起します。

「すべては私である」。
これはどういうことか?を理屈で理解しようとせず、
ただ、「こういう真理があるかもしれない」という視点で、この一言を大切にしてみてください。
それがすべての始まりです。

つづく

2011年05月20日

8次元の愛 13 〜葛藤を超える

愛はパワーである、ということをお伝え続けてきましたが、
パワーであるが故に、ある程度コントロールすることもできます。
愛というパワーを誰かに集中的に注ぐこともできますし、あえて「注がない」という選択すらできるかもしれません。
誰か特定の人に対して「私はあなたを愛しています」ということは、「私はあなたに、集中的に愛のパワーを注いでいます」ということとイコールです。

さて、8次元についてです。
8次元とは、以上のような「パワーとしての愛」を、かなり自在にコントロールできる状態です。
そして「8次元の愛のパワー」を受けた人には、大きな影響が生じます。
「何かに満たされる幸せ感」や「淀んでいたものが浄化される感覚」などを得ることができます。
敏感な人であれば、8次元の愛を受けた瞬間がよくおわかりになると思います。

行為としての愛ではなく、パワーとしての愛を自在に発揮できる8次元。
・・・それは、「すべては私である」という真実に基づく意識だからです。
すべては私であることを理屈ではなく実感することで、私達は「愛」そのものの存在の意味を根本的本質的に理解することができます。

では、「すべては私である」とは、どういうことでしょうか?
このご説明は、非常に難しいです。
でも、何とかご理解いただけそうな角度から挑戦させていただきます。

目の前にAさんがいたとします。
「私」はAさんとこれからパートナーとして行動を共にしていこうとしていたとします。
シチュエーションとしては、お仕事でも結婚でも何でも結構です。
ところが、どうしてもAさんのことを信じ切ることができなかったとします。
Aさんのことは大好きなのに、信頼もしているのに、でもどこか信頼し切れない、信じ切れない部分があったとします。
そうしたとき、どうしますか?

完全に信じ切れないのなら、いっそのことパートナーをやめてしまおう、という選択もあります。
逆に、100%信じ切ることなんて、なかなかあることではないので、そこは我慢してパートナーとしてやっていこう、という選択もあります。
さらに、信じ切れないからこそ、パートナーとして共に行動する中で、お互いの信頼を高めていこう、という選択もあります。
もう少し様子をみながら、パートナーとしてやっていけるかどうかを確かめる、とか。
まずはAさんと腹を割って、その辺りのことを話し合ってみる、とか。・・・
様々な選択肢があります。
いずれにしても、これらの選択肢の根底にあるのは、Aさんに対する「信・不信」の葛藤です。

実はこの葛藤は、なかなか消えません。
この葛藤は、私達がたとえ7次元の意識を取り戻したとしても、なかなか解消されるものではありません。

この葛藤が「完全に」解消されるための唯一の方法は、「信・不信」という葛藤を超える必要があります。
「信か?不信か?」どちらかを選ぶのではなく、「超える」のです。
「超える」とは、「より高い視点から観る」ということですが、それは「信・不信」の結論を出すためにそうするのではありません。
「信・不信」という葛藤自体が「必要ない」という状態に入るのを、ここでは「超える」と表現しています。
それはある意味、「信でも不信でもどちらでもよい」という言い方になります。
しかしそれは、妥協でも諦めでも思い込みでもありません。
本当に「どちらでもよいし、どちらでなくてもよい」という状態です。

ここまでは「信・不信」という例でお話ししましたが、
これはいかなる葛藤についても同様のことが言えます。

そして、いかなる葛藤をも「超える」ものが、
「すべては私である」ということなのです。

「すべては私である」ということを(理屈ではなく)実感したとき、すべての葛藤は消散します。
それは見事です。
完全になくなります。
そして、すべてが「ありありと」そして「あるがままに」観えてきます。
そして、今自分がどのような選択と行動をとればよいのかが、淀みなく、確信としてわかります。
それが、8次元の意識です。

そんな8次元の意識に基づいて発揮されるパワーが、「8次元の愛」です。

つづく

2011年05月19日

8次元の愛 12 〜光が増すために

8次元について、いかにわかりやすくご説明するか? というのは、実は非常に難しいことです。
ある意味、誤解を招きやすい表現を、あえて使わなければならないこともあります。
一つの単語について、一元的に捉えるのではなく、ぜひできるだけ様々な角度からお考えいただければと思います。
これを書かせていただく目的は、「一人でも多くの方々が、7次元以上の意識を思い出す」ためのきっかけ創り、ということです。

「愛」という言葉を使うとき、多くの方々がまず真っ先に思い起こすのは、ご家族など、ご自分の身近にいる大切にしたい方々のお顔ではないでしょうか。
見知らぬ人よりも、まずは自分の身近にいる人を「愛したい」と思うのは、人として自然な気持ちです。
「身近な人間を愛せない人間に、その他大勢の人達を愛することなどできるものか。」という意味合いの言葉もよく聴きます。
しかしこのブログでずっと書かせていただきましたように、愛とは行為ではなく、その人の発散するパワーです。
それはまるで電球のようです。
人によっては40Wくらいの光を発している人もいれば、100Wの光を発している人もいます。
その人の傍に寄れば、自然に周りの人達は、その人の光に当たります。
光が強くなればなるほど、その人は強く、広く、そして多くの人達に愛のパワーを届けることができます。
そのように喩えますと、その人の近くいる人ほど、強い愛を受けるということは言えるでしょう。
しかし光(愛)とは、誰彼ということによらず、周りにいる人、接する人すべてに注がれます。
太陽が、誰彼構わずにいつも暖かい光を注いでいるのと同じです。

その光(愛)が、まずは大きく成長するターニングポイントが、5次元から6次元への境界です。
6次元の意識を取り戻すことで、光はとたんに強くなります。
そしてその境界を越えるために、私達は「本物の光を発するとはどういうことか?」を学びます。
その学び方のうち最も効果的で最も多く見られるのが、「特定の人に光(愛)を注ぐ」という行為です。
本物の光を学ぶために、まずは「本当に大切にしたい人」を選び、その人に対して真剣に関わって行く。
その中で、本物の光を自分の中から発する状態を学びます。
そして、「そうか、これが本物の光(愛)か!」ということを実感することで、同様に多くの人達に同じ光(愛)を注ぐことができるようになります。
ですから、「ある特定の人に愛を注ぐ」というのは、誰もが通る大切な成長過程だと言えます。

光が強まり、どんな時もその光を発散できるようになると、私達は6次元の意識を中心に生きていることになります。
ところが以前も書かせていただきましたが、6次元の心は、強い4次元の心などに接することで、引っ込んでしまうことがあります。
4次元の心への反発心が、自分自身の4次元の心を喚起し、4次元対4次元という、同じ次元での闘いに入ってしまいます。
6次元の人がいるにも関わらず戦争が絶えないのは、そういった理由です。
6次元の人でも、きっかけさえあれば、戦争を起こします。

どのような状況になろうとも、揺るがない愛を注ぎ続けることができるのは、私達が7次元以上の意識を取り戻したときです。
7次元の愛は揺るぎません。
では、6次元から7次元への愛の進化は、どうすれば起こるでしょうか。
そのための有効な方法の一つは、やはり「ある特定の人に愛を注ぐ」ということです。
ここで言う「愛」とは「8次元の愛」を指します。
ある特定の人に、8次元の愛を注ごうとすることで、その人の愛は6次元から7次元へと進化します。

そしてもう一つ重要なことを申し上げましょう。
7次元の愛を発揮する人が増えるために必要なこと。
それは、8次元の愛を発揮できる人が増えることです。
人は、8次元の愛のパワーに触れることで、自分自身の愛を急成長させることができます。

8次元の愛。
それは、「すべては私である」ということを前提とした愛です。
そしてそれは、「本来の自分にもどる」ことによって成されます。

人類が真本音の時代を迎えるための条件は、7次元以上の愛を発揮する人々が増えていくことです。
それは今の我々の急務であり、使命と言ってもよいでしょう。
我々の多くは、そのために生まれて来ました。

そして私は、8次元の愛を注ぐ仲間を捜しています。
それは、同じ舟に乗る仲間です。

つづく

2011年05月18日

8次元の愛 11 〜真本音の時代へ

人の持つ最大の欲求の一つは、「愛を求める」欲求でしょう。
これは、大人も子どもも変わりません。
むしろ、すべての我欲の根本がここにある、と言ってもよいかもしれません。

「得られないものを得ようとする」
「満たされないものを満たそうとする」
それが我欲のスタートです。
私達人間誰しもが「得たいもの」「満たしたいもの」の代表が「愛」です。

しかし、「愛」というのは「得よう、得よう」「満たそう、満たそう」とすればするほど逃げて行きます。
自分自身の愛を満たすための最も効果的な方法は、「自らが愛を注ぐ」ということです。
自分以外の人に愛を注げば注ぐほど、その行為そのものによって私達の愛は満たされ始めます。
その原理を見つける過程を経ることで、私達の意識は4次元から5次元、そして6次元へと開花します。
6次元の意識を取り戻した方々は、自らの我欲を満たすための愛ではなく、ただ愛そのものを注ぐ、ということの意味を(理屈ではなく)知っていますし、そういった生き方の幸せ感も知っています。
そんな方々が、今の日本には約26%もいらっしゃいます。
実はこの割合は、東日本大震災によって上がりました。
(それまでは23%でした。)
全世界でみますと、6次元以上の意識を取り戻している方々の割合は、9%です。
ここに日本という国の特殊性があります。

さて、以前の連載シリーズでも触れたことがありますが、私達人類は上手くいけば、2013年7月に新たな時代に入ります。
私はこれを「真本音の時代」と呼んでいます。(呼び方は人によって様々です。)
真本音の時代に入れば、日本に関して言えば、6次元以上の意識を取り戻す方々の割合が55%になります。
つまり半数以上の人達が、「本物の愛」を(理屈ではなく)理解できている状態に入ります。
すると、これまでは我欲に基づいて行動することで成功してきた人達が、全く通用しない世の中となります。
高次元の自分、もしくは真本音の自分に従って生きれば生きるほど、物事が好転していく時代となります。
政治も経済も、世の中のあらゆるしくみも大きく変わって行くでしょう。

しかし現時点では、私達が無事に真本音の時代に入れるかどうかは、まだわかりません。
真本音の時代に入るためには、私達自身の努力が必要です。
その努力とは、自らの心の次元を高めていくことです。
多くの方々が、本物の愛のパワーを取り戻し、発揮することです。
そして、「自らが本当に望む人生」を自らの力で創り上げようとし続けることです。

真本音の時代に入ろうとも、「我欲」とはとても大切なものです。
我欲があることで、私達は、人間としての生きるパワーや方向性を見出すことができます。
しかし我欲を我欲のまま孤立させることで、我欲は方向を失い、人のパワーを奪う力となってしまいます。
我欲を、本物の愛を育てる方向に導くことが何よりも大切です。
それは、私達自身の魂レベルでの成長を促します。

大変面白いことに、このブログをお読みいただいている方々の9割以上は、すでに6次元以上の意識を中心に生きていらっしゃいます。
これも一つのご縁です。
皆様がますます、愛のパワーの発信源としてご活躍されますように。
そんな祈りを込めて、さらにこのブログを続けます。
次回から、いよいよ核心部分に入っていく予定です。

つづく

2011年05月16日

8次元の愛 10 〜チャンククロスA

このブログでこれまで幾度となく書かせていただいていますが、
愛とは行為ではありません。
愛とは、パワーです。
しかもそれは、私達人間誰しもに、もともと備わっているパワーです。
もともと備わっているものが発揮されているか、それとも眠った状態なのか。
その違いしかありません。

「いかに愛すか?」という問いは、
「いかに、愛するという行為を行なうか?」ということではありません。
「いかに、愛というパワーが相手に伝わりやすい行為をとるか?」ということです。
愛が相手に伝わりやすいかどうかは、その「相手」によります。
その人の個性もありますし、その人のその時の心の状態にもよります。
その時のその「相手」をよく理解し、尊重することが、愛のパワーを伝えるためのすべてのスタートとなります。

チャンククロス型コミュニケーションとは、その原則に即したものです。
二つ以上の別個のものが、一つに統合するために(同じ方向を探るために)、
まずはお互いを理解し合い、尊重し合うところから始め、新たな最善の発想を生み出します。
・・・それは「愛のパワーを伝え合う行為」そのものです。

そして私達のいるこの世界は、チャンククロスによって進歩発展してきたと言ってもよいでしょう。
まったくのゼロから何かを生み出すよりも、既存の何かと別の何かを掛け合わせることで、新しい何かを生み出して来ました。
人間だけでなく、自然界全体でも、チャンククロスは至るところに存在します。
人と人が交わり、子どもが生まれ、子孫が増えるというのも、チャンククロスの一つです。

ところで、日本には「和」という文化があります。
「和」の本質とは、「仲良しこよし」ではありません。
「和」の本質とは、「各々の価値観や固定観念の枠を壊す」ということだそうです。
「枠を壊して、本当のつながりの中で、最善のものを創造する」というのが、本来の「和」の意味だそうです。
この言葉を最初に使われたのは聖徳太子さんだそうですが、当時は国のトップの意見よりも、皆がコミュニケーションを通じて得た結論の方が優先されたと、ある本に書かれてありました。
つまり、「和」とはチャンククロスそのものであり、日本人の血の中に脈々と流れ続けているものの一つがチャンククロスである、とあえて言ってしまってもよいでしょう。

私は企業研修では、まずはお一人お一人の真本音の理念(人生理念)を見つけるセッションから入ります。
するとお一人お一人の心の「核」や「中心軸」が明確になります。
その上で、チャンククロスの場を創ります。
例えば、AさんとBさんのチャンククロス。
一つの部署全員によるチャンククロス。
そして、Aさんの理念と、企業の理念とのチャンククロス。
自分自身の「核」や「中心軸」とチャンククロスすることで、すべての物事が「自分事」となります。
そしてAさんならではの非常に創造的な発想が生まれるようになります。
それが、Aさんご自身の新たな個性(それこそが本質的な個性)をさらに育てます。
一人ひとりが、より個性を発揮しながらも、組織として統合されていく、という状態が起こります。

私達は別個の存在(=人間)として生まれてきました。
それは、「一つになること」を成すためです。
つまり、源(ソース)に戻るためにです。
あえて別個になり、源(ソース)に戻ろうとすることで、新たな進化が生まれるからです。
そしてその「一つになろう」とする力が、愛です。
「一つになる」とは、統合そして融合です。
チャンククロスとは、統合の行為です。
ですから、愛のパワーを伝え合う、最も基本的な行為となるのです。
しかもそれは、私達日本人の得意とするところです。
日本人だからこそ、最もスムーズに力強くできることかもしれません。
私達は、私達の血を活かしながら、新たな時代を創造する大事な時期を迎えています。

つづく

2011年05月15日

8次元の愛 9 〜チャンククロス

最も大切なことは、私達の中にすでに「すべてを愛する自分」が存在しているという事実を実感することです。
それにより、6次元の愛は深化を始めます。

しかしそうは言っても、何もしなければその実感も得られません。
ですからここでは、「すべてを愛する自分」(つまり、7次元の意識)を開放し、実感するための具体的な方法をお伝えします。
それは、人とのコミュニケーションを通じて行ないます。

例えば、AさんとBさんが会話をしていたとします。
Aさんの意見とBさんの意見が対立していたとします。
お互いが相手の意見を否定しながら「自分の意見が正しい」と主張していたとしたら、その二人は同じ次元にいることになります。
しかも「否定」という行為が中心になっていたとしたら、お互いに「自分を守ろう」という意識と「自分の主張を押し通そう」という意識(両方ともが反応本音です。)が高まります。
それらは我欲ですので、AさんとBさんは共に4次元の場を創り合っているということになります。
4次元の場からは、4次元の発想しか生まれません。
そこで、この場の次元を上げるコミュニケーションをとります。
そのコミュニケーションを常日頃から続けることで、7次元の意識は開放され始めます。

そのやり方は極めてシンプルです。
「Aさんの意見とBさん意見のどちらが正しいか?」ではなく、
「Aさんの意見とBさんの意見の、どちらもを尊重すると、どんな発想が生まれるか?」
というコミュニケーションをとればよいのです。
これを、「チャンククロス」と言います。
「チャンク」とは、塊のことを言います。ここでは「発想の塊」という意になります。
「クロス」とは、「織り交ぜる」とか「紡ぐ」という意で捉えてください。
つまり、二つ以上の意見のすべてを尊重しながら、新たな発想を生み出して行く。
・・・そんなコミュニケーションのとり方がチャンククロスです。

チャンククロスをするためには、AさんはBさんの最も言いたいことを理解する必要があります。
そしてBさんはAさんの最も言いたいことを理解する必要があります。
お互いが「なぜその意見を言うのか?」、その肝を理解し合います。
ただし、「理解する」とは「肯定する」ことではありません。
「ありのままに知る」ことです。
つまり、お互いが最も伝えたいこと、大切にしていることなどを、お互いにありのままに知る、ということです。
理解し合った上で、「では、それらを両方尊重すれば、どのような発想が生まれるか?」を、できるだけ自由に語り合います。
その中で、思いもよらぬ結論が生まれるかもしれません。

相手のいることですから、これには二人の協力が必要なのは言うまでもありませんが、多くの場合は、一方がチャンククロス的な向き合い方をすれば、自然にもう一方もそれに近い向き合い方をしてくれます。
特に、6次元の意識を中心に生きている人であれば、その効果は大です。

ただしこの方法をとったとしても、すべてが上手くいくわけではありません。
結果として、どちらかが折れないといけないこともあるでしょう。
しかし、その結果が重要なのではありません。
「まずは、そういった向き合い方から始める」という姿勢が重要です。
その姿勢を取り続ける限り、(たとえそれが一方の人だけだったとしても)その場の次元は、間違いなく上がります。

普段のコミュニケーションのとり方が、
*まずは、すぐに「どちらが正しいか」という闘争型コミュニケーションから入るか?
*まずは、「どちらも理解し、尊重する」というチャンククロス型コミュニケーションから入るか?
によって、人間関係の根本が変わります。
もしそれが組織であれば、その組織の活性度合いの根本が変わります。
なぜなら、チャンククロス(=理解し、尊重する)とは、愛のパワーを最も相手に伝えやすい基本型だからです。

何度も申し上げます。
チャンククロスをしようとしても、決して上手くいくとは限りません。
しかし、チャンククロスしようとする向き合い方で、その場の次元が高まります。

7次元の別名は「統合の次元」でした。
統合とは、「二つ以上の異なるものが、一つになろうとして同じ方向を向く」ことです。
つまり、チャンクロスとは7次元的行為です。
逆に言えば、チャンククロス型コミュニケーションを普段から大切にすることで、私達の7次元の意識が開放されやすくなります。
7次元の意識が開放されればされるほど、「すべてを愛する」このできる愛のパワーが発現します。
すると、さらにチャンククロスがやりやすくなります。
そういった好循環が起こります。

6次元の愛をさらに高め、深めるために。
チャンククロス型コミュニケーションを実践してみましょう。

つづく

2011年05月13日

8次元の愛 8 〜二つの道

ある一つの意見(X)に対して、「それは違う」と否定し、別の意見(Y)を言ったとします。
この時点で、XとYは同次元となります。

例えば、Aさんの考え方に対して、Bさんが「それはおかしい。私の言っていることの方が正しい」と主張したとします。
Bさんとしては、「私の意見の方がすばらしい」ということを主張したいのでしょうが、「次元」という視点で観る限り、その時点で二人の意見は同じ次元なのです。
「どちらの意見がすばらしいか?」ということではありません。
同じ土俵で闘っているわけですね。

戦争もそうです。
お互いがお互いの主張があるでしょう。
どちらかが正しくて、どちらかが間違っているかもしれません。
しかし、お互いがお互いを否定し始めているその時点で、どちらもが同じ次元です。
そして同じ次元が重なるとき、その次元の世界(「場」と言ってもよいです)は一気に広がりをみせます。
4次元レベルの悪いことを誰かがしたとして、それに報復するという行為は、4次元レベルの意識を、世の中に広め、深めていることに他なりません。

本物の愛を思い出す意識の次元は6次元です。
6次元になることで、「何が本物で、何が本物ではないか?」の区別がつくようになります。
しかし残念ながら6次元の意識は、4次元・5次元の意識と反発することが多いです。
「こっちが本物なんだよ!」と主張し始めるのです。
しかしその瞬間から、その人の6次元の意識は、4次元へと下がります。

6次元の意識を取り戻しても、7次元の意識を取り戻しても、
8次元の意識を取り戻しても、9次元の意識を取り戻しても、
私達の中から、4次元5次元の意識が完全に消え去ることはありません。
しかし、7次元以上の意識を取り戻すことで大きく変わることがあります。
6次元までは、「4次元・5次元の意識に反発し、闘う」という行為をしていた自分が、
7次元になれば、「4次元・5次元の意識すらも愛する」ことができるようになるのです。
つまり、4次元・5次元の意識で向かってくる目の前のAさんに対して、愛のパワーを注ぎ続けることができるようになります。
そして、そんなAさんの真本音をキャッチし、Aさんに対して「今自分はどのような関わり方をすることが最善か?」を瞬時に判断できるようになります。

そしてそれは、自分自身の中にある4次元・5次元の意識に対しても全く同様のことが起こります。
自分の中の4次元・5次元の気持ちを拒否したり反発するのではなく、それらすべてを愛することができるようになるのです。
つまり、それこそが「自分への本当の愛」です。
自己愛とは根本的に異なる、揺るがぬ愛です。
それが、7次元以上の愛の力です。

7次元の愛とは「すべてを愛する」愛です、と以前書かせていただきました。
「すべてを愛する」とは、文字通り「すべてを愛する」ということです。
それが自分であろうが、Aさんであろうが、Bさんであろうが。
自分とは全く意見や考え方の異なる人であろうが。
すべての人に愛のパワーを注ぎ続けることが「すべてを愛する」ということです。
それは無理をして為されるものではありません。
6次元の愛が成長するに従って、自然に、そうなってしまいます。
愛とは結局のところ、「誰も(何も)愛さない」か、「すべてを愛する」か。
そのどちらかに向かって行くのです。

人類が「真本音の時代」を急ピッチで実現しようとしている今。
「すべてを愛する」流れと、その反動としての「誰も(何も)愛さない」流れと、
二つの流れの勢いが、急激に高まっています。
人類は、どっちに行くのか。
その二つの道の分岐点に、今の我々は在るのです。

つづく

2011年05月12日

8次元の愛 7 〜真本音を尊重する

ここで、真本音・反応本音という概念を思い出しましょう。
(詳しくは、連載シリーズ2『源と真本音』をご覧ください。)
反応本音とは、外部環境(3次元における現実)からの何らかの影響を受けることで発生する心・揺らぐ(変化する)心のことをいいます。
真本音とは、外部環境からいかなる影響を受けようとも、揺らぐことのない心です。
反応本音とは、「反応しながらできあがった心」であり、
真本音とは、「もともと存在する真の心」とも言えます。
そして、真本音とは「源(ソース)とつながっている心」であり、「本来の自分の心」であり、「3次元世界で最善の一歩を踏み出そうとし続ける心」とも表現できます。

さらに、真本音と反応本音とはもともとは反発するものではなく、「真本音が反応本音を活用するようになっている」状態が、私達の本来の姿です。
私達は、自らの真本音を尊重して生きることで、「本当に望む人生への最善の一歩一歩を歩み続ける」ことができるようになります。
そして、「私」が真本音で望むことと、共にいる「あなた」が真本音で望むことは完全に一致、もしくは調和します。
一人が真本音で生きることで、皆が真本音で生きることのできる状態ができあがるのです。

さて、以上はこれまでの連載シリーズでのおさらいです。
ここから本題です。

私達は7次元の意識を取り戻すことで、他者の真本音を理解する力が劇的に向上します。
例えば、Aさんと会話をしていたとします。
現在の日本人の真本音発揮度合いの平均は、だいたい20〜30%です。
ということは、Aさんの発する言葉の多くは反応本音です。
私達は通常、Aさんが発した一言(反応本音)に反応して、こちらも反応本音を生み出し、そこで自分の次の一言を決定しています。
つまり反応本音と反応本音の会話になりやすいのです。
ところが、7次元の意識を中心に生きるようになりますと、その会話の最中にAさんの真本音を理解できる瞬間が訪れやすくなるのです。
それは、直観や気づきという形で起こります。
すると、そのAさんの真本音を尊重した対応ができるようになります。

じいちゃんの話を思い出しましょう。
私が、じいちゃんに一切の関わりを持たない、という選択をしたのは、じいちゃんの真本音をキャッチできたからです。
キャッチできれば、「じいちゃんにとっての最善の一歩を尊重する選択」がわかります。
あとはその行為を選択しながら、愛のパワーを送ればよいのです。
それが結果として、愛のパワーが最も伝わりやすい状況を生み出します。

真本音をキャッチする力は、誰にもあります。
もともと本来の私達は真本音を中心に生きていくようにできていますから、それこそが自然なコミュニケーションなのです。

「6次元の愛」とは、本物の愛です。
しかしそれはまだ、本質を知らずして発揮されている愛に過ぎません。
「6次元の愛」をさらに成長させるには、私達自身が7次元の意識を取り戻すことです。
そのために最も必要なことは、・・・
そうです。
私達自身が、真本音で生きることです。
「6次元の愛」を発揮できるようになった人は、さらにさらにご自身の真本音を大切にしましょう。
すると、「6次元の愛」は「7次元の愛」へと進化します。
それは、「すべてを愛する」パワーを発揮します。

つづく

2011年05月11日

8次元の愛 6 〜愛のパワーに目を向ける

「今だからこそできること」があります。
「今だからこそできることを今ここでする。」
・・・これも、愛の本質です。
もちろん「できること」の中には、「何もしない」ということも含まれます。
私達はよく、愛を「行為」として捉えがちです。
「人を愛する」ために、「何かをしなきゃ」と思いがちです。
しかし、「何もしない」ことこそが、愛のパワーを最大限相手に伝えることになる、・・・ということもあります。
いや、むしろあえてこう言いましょう。
「何もしない」ことが本当にできる人こそ、「本物の愛」を注げる人でもあります。

このブログを読まれている皆さんに、ぜひお願いがあります。
ご自分自身がすでに発揮されている愛のパワーを、まずはご自分で認識してください。
理解してください。
くどいようですが、愛とは行為ではありません。
その人の心と体から発散されているエネルギーそのものでもあります。
ご自分が「ただそこにいる」という、たったそれだけのことによる、周りへの影響をよく観察してみてください。
例えば、皆さんがある部屋に入ったとします。
そこに何人かの人がいたとします。
皆さんがその部屋に入った直後と、しばらく経ってからの、その「場」の変化を観察してみてください。
もしくは皆さんが、お一人のどなたかと一緒にいたとします。
その人に会った直後と、しばらく経ってからの、その人の変化を観察してみてください。
ほんのわずかでも、そこに「開放」「自由」「元気」「自然体」「明るさ」などの高まりを感じたならば、それは、皆さんの愛のパワーによる可能性があります。

残念ながら多くの人は、自分の愛のパワーに気づいていません。
それは、非常にもったいないことです。
自分の愛のパワーが、どのようなものかに気づけば、自分をどのように活かしていけばよいか、がわかります。
愛とは、行為ではありません。
自らの行為のみに焦点を当てるのではなく、自ら発散しているものにも、ぜひ焦点を当ててみてください。
それは、本当の自己理解につながります。

私は普段は、企業などのビジネスの場でのサポートをさせていただいております。
ビジネスの場ですので、私は「愛」という言葉自体を、いつもはほとんど使いません。
しかし、組織活性化のお手伝いをしているときに、毎度痛感します。
お一人お一人の愛のパワーが高まることで、その組織は劇的に活性化する、ということをです。
もちろんそれはお客様にも伝わり、企業実績にも直結します。
自身のもともと持っている愛のパワーを理解し活かすことが、すべての原点であると、確信しています。

もう一度、申し上げます。
自らの発しているもの、・・・愛のパワーに目を向けてみてください。
あなたは、どんなときに、どんな愛のパワーを発揮し、どのような影響を周りの人達に与えているでしょうか?

つづく

2011年05月10日

8次元の愛 5 〜本当の愛情A

私達が7次元の意識を取り戻せば、「情」は「愛」と統合されます。
つまり、「愛」をより深める方向に「情」が作用します。
「愛」と「情」は、同じ方向を向きながら、目の前の人に向かって行きます。
「統合」とは、同じ方向を向くことです。
7次元を「統合の次元」と言います。

そしてさらに私達が8次元の意識を取り戻せば、「情」と「愛」は完全に一つとなります。
それを「融合」と言います。
「融合」とは「統合」のその先にあるものです。
8次元を「融合の次元」と言います。

8次元レベルでは、「私」と「あなた」も完全に融合しています。
もちろんこの3次元世界では、どこまで行っても「私」と「あなた」は別個の存在です。
しかし私達の「もと」は一つの存在であるということを、理屈ではなく「実感している」自分が、私達の心の根底にはもともと存在しています。
その次元では、「私」と「あなた」を区別することなく、いやもっと言えば、すべての物事を区別することなく「私」と捉えながら、すべての判断や行動を決定しているのです。

「愛」とは、「不完全(=別個)を完全(=一つ)にしようとするパワーである」ということは、連載シリーズ3『意識の次元の自由』でもご紹介しました。
「6次元の愛」とは、その愛の本質を「知らずして」発揮されている愛です。
ですから、まだ脆弱なのです。
「8次元の愛」とは、「もともと私達は一つである」という本質をよく「実感しながら」発揮されている愛です。
ですから、それは圧倒的なパワーとなります。

じいちゃんの話にもどしましょう。
私がじいちゃんを見たときに「6次元の愛」を発揮していたとしたら、恐らく私はじいちゃんに声をかけていたでしょう。
余分なヘルプはしなかったと思いますが、「こんにちは」の一言くらいはかけていたと思います。
そうやって、じいちゃんに少しでも安心感を与えようとしていでしょう。
しかしそれは「私」と「じいちゃん」は別個の存在である、という前提の上での私の判断です。
しかしその時の私は声をかけないどころか、全く関わりを持たない、という選択をしました。
その選択は、今でもなお続いています。
「私」と「じいちゃん」を全く区別しない「すべては私である」という8次元の「私」の選択です。
それは、「じいちゃん」の選択でもあるのです。

つづく

2011年05月09日

8次元の愛 4 〜本当の愛情

ここからは前回のじいちゃんの話に基づいて、進めてまいります。

必死に立つじいちゃんを見て、「なんとかしてあげたい。力になってあげたい。」という気持ちが湧いてきます。
これを「情」と言います。
私達人間にとってなくてはならない心。
私達を豊かにしてくれる心。
それが「情」です。

ところがもうおわかりの通り、「情」とは時によっては「愛」を妨げることもあります。
必死にがんばっているじいちゃんの気持ちを推し量らずに、ただ自分の思いだけに任せ、じいちゃんに力を貸してしまったとしたら、それは本当の愛とは言えません。
「愛」と「情」とは、きちんと結びつけばそれは「愛情」となりますが、「情」が「愛」を打ち消すことで、多くの場合は「自己愛(自己満足の愛)」となってしまいます。
つまり、4次元の意識です。
4次元の意識を中心に生きている人の多くは、残念ながら、本人は良かれと思いながら行なっている行為のほとんどが自己愛となってしまっています。
相手を本当には観ていないのです。
本当には理解していないのです。
そして、愛を与えている自分に酔っているケースもあります。

しかしながら、「情」とはとても強いものです。
しかも、心も人生も豊かにしてくれる重要なものです。
だからが故に、私達は6次元の意識を中心に生きているときでさえ、「本物の愛」と「情」の区別がつかなくなるときがあります。
「情に流される」という言葉がありますが、「本物の愛」を注ごうという意志があるにも関わらず、その時その時の「情」に負けてしまい、後で後悔することもあります。
自分の子どもに「今は厳しくしなきゃ」と思いながらも、泣いている我が子を見ると、ついついそれにほだされて、本来自分がとろうと思っている行動と別の行動をとってしまうことは、多々あるのではないでしょうか。

残念ながら「6次元の愛」とは、まだまだ脆弱なものです。
脆弱であるが故に、「情」と反発することがあるのです。
すると、「愛」をとるか「情」をとるか、という葛藤状態に入ります。
実はもうその時点で、本来の愛のパワーは半減してしまいます。

本来の「情」とは、「愛」をより深くするための存在です。
「愛」と「情」とは、決して反発するものではありません。
もし反発してしまうとすれば、それはまだその人の「愛」が本来のパワーを発揮していないからなのです。

私達の心が7次元の意識を取り戻せば、「愛」は圧倒的なパワーを発揮し始めます。
そこで初めて「愛」と「情」は、深い結びつきを始めます。
本来の「愛情」が生まれるのです。
「情」とは、人間ならではの心。
ですから「愛情」とは、人間だからこそ持てる尊い心です。
7次元以上の意識を中心に生きている人の多くは、目の前の人と共感できる度合いが高くなります。
そして共感できた状態で、「愛のパワーを注ぐ最善の行動」をとることができます。
そこに「情に流される」という状態は、微塵も生まれません。
あえて「愛」のために、その人に厳しい行動をとったとしても、「厳しいが故にあたたかい」という状態が生まれます。

「情」は大切にしましょう。
でも、「情」に流されてはなりません。
「情に流されない」とは、厳しい行為です。
勇気のいる行為です。
でも今の世の中には、(震災が起きた今だからこそ)本当の「愛情」が必要なのだと思います。

つづく

2011年05月08日

8次元の愛 3 〜じいちゃんの話

今回は、じいちゃんの話を書かせていただきます。
じいちゃん、と言っても私の祖父ではありません。

私の東京の事務所は、大通りから細めの路地を200mくらい奥に入った所にあります。
数ヶ月くらい前でしょうか。
突如としてその路地を、一人のじいちゃんが歩くようになったのです。
私はじいちゃんを初めて見たとき、思わず駆け寄ろうと思いました。
じいちゃんの年齢はおいくつでしょうか。
90歳? もっと? さすがに100歳まではいってないと思います。
そんなじいちゃんが、必死の形相で道端に立っていたのです。
右手には杖、左手には傘を持ち、倒れそうになるのをこらえながらじっと立っています。
一人しかいません。
私は周りを見渡して、介護をされている人がいないか捜しました。
でも、誰もいないのです。
何らかの事情で、一時、置き去りにされてしまったのでしょうか。
しかし形相が必死でしたので、
「おじいさん、大丈夫ですか?」
と駆け寄ろうと思ったのです。

ところがその瞬間、じいちゃんの真本音の声が聴こえました。
「私に関わらないでください。」
・・・これは、じいちゃんが実際に声に出したのではありません。
私の真本音が、じいちゃんの真本音を感知したのです。
私は駆け寄ろうとする自分を止めました。
そしてじいちゃんを少し遠巻きに見ていますと、なんとじいちゃん、必死に歩いているのです。
どう見ても止まっているとしか思えないスピードですが、ほんのわずかずつ前に進んでいるのです。
それこそ本当に、1cmずつ進んでいる感じです。
「私に関わらないでください。」
というじいちゃんの真本音の声がまた聴こえました。
それは周りを拒絶する感じの声ではなく、「これは自分にとって必要なことだから」という、自身の人生と向き合う真本音の声でした。
私は、感動を覚えました。
そして、何もせずにその場を離れました。

それからほぼ毎日のように、私はじいちゃんの姿を見かけるようになりました。
なぜかいつもタイミングよく、じいちゃんとすれ違うのです。
そんな日が、もう何ヶ月も続いています。
しかし私はいまだに、一声もじいちゃんに話しかけたことはありません。

どうやらじいちゃんは、私の事務所よりもさらに奥に入ったところのどこかの家に住んでいるようです。
そこから大通りを毎日往復しているようです。
あのペースでは、1分に2,3mも進めないでしょう。
ということは片道だけでも1時間以上はかかるはずです。
いつからじいちゃんが私のご近所にお住まいなのか、そしていつからこの散歩(?)を始められたのかはわかりません。
しかし、いつも必死の形相でジワリジワリと進むその姿は、本当に私の魂にパワーを与えてくれました。
そして、私はすれ違うたびに、じいちゃんとは一言も交わさないのですが、愛のパワーを送り続けました。

それから数ヶ月。
今のじいちゃんは、驚くほど元気になられました。
今では、必死の形相は完全に消えました。
ペースも、何倍にも速くなりました。
今では、片道2〜30分くらいで大通りまで行けるのではないでしょうか。
何よりも嬉しいのは、じいちゃんが周りの景色を楽しみながら歩いている姿です。
道端の花を愛でたり、空を見上げたり、じいちゃんの本質的な可愛らしさが発散されています。
この前は、ついに、杖一本で歩いている姿も見かけました。
愛のパワーを送り続けていたからでしょうか。
じいちゃんのパワーレベル(真本音発揮レベル)は、今ではなんと900もあります。

私達が7次元以上の意識を取り戻せば、私達は目の前の人の真本音の声をキャッチできるようになります。
そして8次元以上の意識を取り戻せば、私達は目の前の人に非常に強い愛のパワーを注ぎ続けることもできるようになります。
そして何よりも、その瞬間の「情」に流されず、本当にその人に必要なサポートができるようになります。

じいちゃんの例を書かせていただいたのは、「愛」と「情」についての話につなげたかったからです。
それについては、次回にまわします。

つづく

2011年05月07日

8次元の愛 2

前回は、本物の愛には段階がある、というお話をしました。
私達は、高い次元の意識を取り戻せば取り戻すほど、愛を深めます。
連載シリーズ3でも再三申し上げましたが、愛とはパワーです。
深くて強くて、人の心に癒しとエネルギーを与えることのできるパワーです。
それは本来の私達人間の大いなる力の一つです。
誰にも、もともと備わっている力です。
私達人間の存在意義(つまりは、“一つにもどるための別個の存在”)に関わる、なくてはならない力です。
私達は、高い次元の意識を取り戻せば取り戻すほど、それを思い出します。

6次元の意識というのは、まだ「人間」を「単なる別個の存在」として捉えています。
すると、「別個である自分が、別個である他の人にどう関わるか?」という前提に基づいた愛となります。
6次元の意識を中心に生きている人達は、本物の愛のパワーを発揮していますが、前提が本質とずれているために、そのパワーは脆弱なものとなります。
ただし、ここで言う「脆弱」とはあくまでも、さらに高次元の愛と比べて、という意味です。
しかしながら、例えば8次元の愛と6次元の愛のパワーを比べると、その違いは圧倒的です。

8次元の愛の前提は、「すべては私である」ということです。
それが、6次元の愛との根本的な違いです。
前提がきちんと真実に即したものになっていますので、そこには一切の淀みがありません。
私達の心とは、淀みがなくなれば、本来の力を発揮できるのです。
誰でも。

愛とはパワーですから、その強弱を意図的にコントロールすることもできます。
7次元以上の意識を中心に生きている人は、いついかなるときにも愛のパワーを発散しています。
しかしその上で、ある特定の人にパワーを集中させることもできます。
このように書くと、超能力のようなイメージを持たれるかもしれませんが、もっと簡単なことです。
愛のパワーを伝える具体的方法は、6次元以上の人であれば、誰でも実践できますので、いつかそれを書かせていただく予定です。
それはとても簡単なことですし、普通のことです。

お子様をお持ちの方はよくおわかりいただけると思うのですが、自分の子どもには自然に愛のパワーが集中しやすいですね。
子どもに対する愛を持つことによって、本物の愛を学ぶ、ということもよくあります。
ある特定の人に対して、本物の愛を注ぐ、という経験をすることで6次元の意識を取り戻し、結果としてそれが「すべてを愛する」という7次元につながっていく、ということも非常に多いようです。
大切な人を本当に大切にしたい、という気持ちは、私達人間にとってはなくてはならないものですし、それがあるからこそ、魂レベルの成長にもつながります。

しかしここで一つのテーマが生まれます。
特定の人に愛を注ぐことによって生まれるものがあります。
「情」です。
愛と情は違います。
情が、愛の成長を妨げることもあるのです。

つづく

2011年05月06日

8次元の愛 1

これまで3つの連載シリーズを書かせていただきました。
その中で、「真本音」「パワーレベル」「意識の次元」という重要な3つの視点とキーワードをご紹介してきました。
それらに基づきながら、今回からまた新たな連載シリーズを始めます。

3つ目の連載シリーズ「意識の次元と自由」では、「愛」についても触れました。
このキーワードは、私達が「本当に望む人生を生きる」上でも、「新たな時代を創る」上でも最も重要なキーワードとなりますし、ある意味最もわかりやすい切り口となります。
ですから、4回目の連載シリーズでは「愛」に焦点を当ててみます。

意識の次元を「愛」という視点から表現すると、以下の通りになります。
*4次元=「自己愛(自己満足の愛)」「我欲の愛」「愛もどき」を実践し続ける次元。
*5次元=「本物の愛とは何か?」を試行錯誤し続ける次元。
*6次元=「本物の愛」を知り、「本物ではない愛」との区別がつくようになる次元。
*7次元=「すべてを愛する」ことが自然にできるようになる次元。
*8次元=「すべては私である」という真実に基づいた愛を注ぐようになる次元。
*9次元=「すべては完成している」という真実に基づいた愛を注ぐようになる次元。

6次元以上の愛は、「本物の愛」です。
私達が6次元以上の自分を思い出すことができれば、私達は「本物の愛」を注ぐことができます。
しかし、「本物の愛」には段階があります。
6次元の愛とは、いわば自動車学校の教習所内での運転に似ています。
正しい運転を知ることができたとしても、まだそれは脆弱です。
教習所内では正しく安全に運転できたとしても、一歩外の一般道に出ると、そこには様々な現実が待っており、そのすべてに対応できるとは限りません。
あせるあまりに危険な運転をしたり、我流の運転に走るなどして、事故を起こすかもしれません。
残念ながら、私達は6次元の意識を取り戻し、6次元の愛を発揮できるようになったとしても、毎日の現実の中で、それが揺らいでしまう場合が多いのです。
その結果として、戦争が起こる可能性すらあります。

私達が、愛の本当の強さを実感し、発現できるようになるためには、7次元以上の意識を取り戻す必要があります。
7次元以上の意識になれば、例えばいかなる4次元レベルの意識を他者からぶつけられたとしても、それに動じることなく、逆にその4次元意識を浄化することができるようになります。
ですから、6次元の愛を発揮するようになった人は、さらにその次を目指す必要があるのです。

6次元の愛の次に目指すもの。
それは、8次元の愛です。
8次元の愛とは何か?を知り、それを目指すことで、私達は自然に7次元の自分を取り戻します。
これが、今回のテーマを「8次元の愛」とさせていただいた理由です。

私のこのブログ、特に連載シリーズをずっと読み続けていただいている皆様の多くは、すでに6次元以上の愛を注いでいらっしゃる皆様だと思われます。
実は、そうでなければ、私のこれまでの連載シリーズは、つまらなくて読み進むことができない、というつくりにさせていただきました。
本物の愛をさらに強く、広く、深く注ぎ続けたい、という皆様の願いにお応えできるものを目指し、これからこのテーマを書き進めてまいります。

つづく

2011年05月01日

意識の次元と自由28(最終回) 〜人間は・・・

自分のために生きるのと、人のために生きることは、全くのイコールです。
もし「イコールとは言えない現実」を感じているならば、どこかに歪みがあるはずです。
多くは、自分自身で起こしている歪みです。
「自分のために」と言いながら、自分自身の心を無視していたり、
「人のために」と言いながら、人を全く観ていなかったり。
何度も何度も書きますが、すべての(次元の)現実をあるがままに観ることが、自分も人も共に愛することのスタートです。
そして、自由に生きることのスタートとなります。

本来の自由とは、環境に因るものではありません。
本当に自由な人とは、どのような環境にいても、自由に生きています。
それは、心が自由だからです。
心が自由、とは、すべての次元の心が自由、という意味です。
すべての次元の心が自由になることで、私達は誰しもが、本来の自由を実感します。

「意識の次元と自由」というテーマで、ここまで書かせていただきました。
とりあえずこのテーマとしては、今回を最後とします。
まだまだ書き足りないことや、書かねばならないことはたくさん湧いてきますが、
それはまた別のテーマと視点から書かせていただくことになりそうです。

人は誰しもが、自由を欲しています。
自由になれば、喜びを感じます。
しかし3次元レベルで、どれだけの自由を手に入れても、どこかに不安があったり、
満たされないものを感じ続けているのも確かです。
それはいったい何なのか?
私達人間にとっての本当の自由とは何か?
どうすれば、本来の自由を手に入れられるのか?
このテーマは、今後も私の人生の探究テーマであることに変わりはありません。
現時点で私が「公の場」で(笑)、発信できることは書かせていただきました。
このテーマで、皆様とディスカッションできるとよいですね。

ブログは、これからも私の真本音の意図のままに、続けて行きます。
これからもどうぞ、よろしくお願い申し上げます。


“人間は、淡くて、深い。”

人間であることを、堪能し尽くしましょう。