こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年08月30日

8次元の愛 60 〜手放し満ちる

すべてを手放した状態を、
人はいつか必ず経験します。

手放すことで、
自分自身が、ありありと観えてきます。
自分が何に執着し、
本当は、何によって苦しんでいたか?
どこに無理な力を入れ、
どんなときに、淀みや歪みを生み出していたか?

そして、本当は心の底から何を願っているか?

手放すというのは、勇気の要ることかもしれません。
しかし必要なのは、勇気だけです。
あとは、何も要りません。

何を手放せばよいのか?
この問いも大切です。
しかしその答えも、
一番よくわかっているのは、自分自身です。

手放すことで観えてくるのは、
「人の幸せとは何か?」
ということです。
本当の幸せとは、
手放すものを手放せたときに初めて
訪れます。

・・・・・
すべてを手放した状態を、
「空」(くう)
と言います。

すべてを手放すということは、
すべてを存在承認することと
イコールです。

ですから「空」には、
「すべてが存在している状態」
という意味もあります。

すべてを手放すことで、
私達は、すべてを満たすことができます。
それは、人間としての至福です。

その瞬間は、
いつか必ず訪れます。

そしてその瞬間こそが、
すべての始まりとなります。

私達の本当に望む旅の
始まり、です。

つづく

2011年08月29日

8次元の愛 59 〜空気の声

「空気のような存在」という言葉があります。
空気は透明で、見ることができませんが、
もし空気がなくなれば、この世界は一変します。
私達が見ているすべての「もの」は、
空気によって色をつけられ、
空気によって、そこに安定して存在しています。

人と人は、絆が深まれば深まるほど、
空気のような存在になっていきます。

私達は普段、空気に気を遣いません。
しかし空気は、いつも私達のそばにいてくれます。

・・・・・
ところで、
空気の声を聴いたことはありますか?

いつも当たり前のように空気はそこにいますから、
私達はそこに意識を向けることはありませんが、
ちゃんと、空気にも声があるのです。

空気の声に耳を傾けると、
様々なことがわかります。

今、この場に自然の流れができているのか?
それともそうではないのか?

今、ここに委ねてよいのか?
それとも、抗った方がよいのか?
それとも、離れた方がよいのか?

今、自分はどのような空気を生み出しているのか?
今、自分はどのような空気に影響されているのか?

そして、空気の願いは何か?

空気の願いをキャッチできれば、
世界の願いをキャッチできます。

世界の願いをキャッチしながら、
目の前の人に向かえば、
その人の願いまでが、喚起されます。

空気は、
そんな向かい方のできる人の味方になってくれます。

空気が味方になる、とは、
世界が味方になる、のと同じです。

でも、本当はそれは当たり前の状態です。
なぜなら「世界」とは、「私」だからです。
「空気」とは、「私」だからです。

空気の声に耳を傾けてみましょう。
案外そこに、自分の求めている本当の答えが
あるかもしれません。

つつく

2011年08月27日

8次元の愛 58 〜心を超えた愛

思いがけない出会いによって救われた。
という経験を積めば積むほど、
私達の魂は、力を宿します。

自分の力の小ささや、無力感を味わえば味わうほど、
私達の魂は、本来の光を取り戻します。

あの時、こうすればよかった。
なぜ自分は、あんなことをしてしまったのだろう。
そんな後悔と真剣に向き合えば向き合うほど、
私達の魂は、輝き始めます。

現実が苦しいから、魂が苦しむのではありません。
心が苦しいから、魂が苦しむのでもありません。
現実と、自分の心と、
どのように関わっているかによって、
魂は、元気になったり、疲弊したりするのです。

私達の魂には、願いがあります。
こんな生き方をしたい。
こんな自分で在りたい。
こんな役割を担いたい。
こんな使命を果たしたい。 ・・・
それらの願いを大切にした「今」を生きているかどうか?
そこが、すべてです。

・・・・・
目の前に愛する人がいます。
その人を、私達は普段、どのように愛しているでしょうか?

私達は、その人の魂を愛せているでしょうか?

その人の、魂の願いを感じ取っているでしょうか?
その人の、魂の願いを尊重しているでしょうか?
その人の、魂の願いに力を注いでいるでしょうか?

そして今度は、目の前に鏡を置いてみましょう。

私達は、今その鏡に映っている人の魂を愛せているでしょうか?

その人の、魂の願いを感じ取っているでしょうか?
その人の、魂の願いを尊重しているでしょうか?
その人の、魂の願いに力を注いでいるでしょうか?

そして本当に、その人のことを理解できているでしょうか?

自分の魂を愛することのできる人こそが、
人の魂を愛せます。
魂から愛のパワーが発せられ、
それが、人の魂に直接届きます。

8次元の愛とは、そのようなものです。

つづく

2011年08月24日

8次元の愛 57 〜帰るところ

愛する、とは、つらいことですか?
愛する、とは、疲れることですか?

時に愛は、人を苦しめることがあります。
しかしそれは、愛によって苦しんでいるのではなく、
私達自身の中にある
愛のパワーを邪魔するものによって苦しんでいるのです。

その区別がつくと、よいですね。

愛のパワーを邪魔するものは、人それぞれですが、
もしそれが見つかったら、
それを排除しようとはしないでください。

それをも、愛してください。
愛のパワーを注いでください。

邪魔するものとは、実は脆弱です。
邪魔するものに抵抗するから、
それはより頑なになってしまうのです。

愛を注がれることで、
邪魔するものそのものが浄化され、
すべてはパワーに変わります。
邪魔することに使っていたその力が、
すべて愛のパワーに変換されるのです。

つまり、
自分の中に、好ましくない自分がたくさんいる人ほど、
それらを愛せば、逆に、
すべてを強く愛することができるようになるのです。

心の中にあるすべては、
愛に戻ってゆきます。
それが、帰る場所です。
そして、愛のパワーは、
私達を「一つ」に帰してくれます。

私達は皆、帰るところに帰りたいのです。

その欲求に応えることが、
愛の本質です。

つづく

2011年08月23日

8次元の愛 56 〜人と結びつく

人と人のつながりは、
いったいどこまで深く
結ばれるものでしょうか?

人と人との間に横たわる壁を、
いったいどの厚さまでなら
越えることができるのでしょうか?

人と関わるということは、
3次元的にみれば
制約を増やすということです。

しかし、人との本当の結びつきは、
一人でいるとき以上に
私達の心を自由にします。

他人とは、自分の人生を邪魔する存在ですか?
それとも、自分の人生を、願いへと結びつける存在ですか?

世界が変わる、とは、
人と人との結びつきが変わる、ということです。
次元が高まる、とは、
人と人の結びつき方を決定する「愛」が変わる、ということです。

私達は、人生において、
いったいどれだけ多くの人と関わるでしょう?
私達の人生とは、
その、人との結びつき方で決定されます。

私達人類が今、超えるべき限界の一つは、
「人と人との結びつきの限界」
です。
この限界を超えることで、
私達は、初めて新しい時代に
未知の世界に
入ることができます。

人とは、今私達が思っている以上に
奥の深いものです。
まだまだ私達の知らない
人の可能性を、
一気に開花してゆくのが
私達の使命です。

目の前のその人と、
どう関わり、
どう結ばれるのか?
その一歩一歩に
すべては懸かっています。

自分が本当に望む人生を歩むのと、
人類が本当に望む時代を創るのとは、
完全に一致するのです。

すべては私だからです。

つづく

2011年08月22日

8次元の愛 55 〜自分に委ねる3

奇跡も毎日起これば、当たり前となります。
「できるはずがない」と思っていたことが、
ある日突然できるようになり、
やがて「できるのが当たり前」となる。・・・
それが、奇跡に近ければ近いほど、
私達は、「自力」を超えた「大いなるもの」の力を感じます。

そしていつしか私達は、
「大いなるもの」に委ねている自分を発見します。
その事実に気づき、
自ら意図的に委ねることで、
さらに自分の力が開花することを実感します。

委ねれば委ねるほど、
道は開き、
人生の開拓者となります。

私達人類には、未開の領域がたくさんあります。
その開拓者となる者は、
委ねることのできる人です。

そして、開拓者として生きることを、
人生の大切な指針や願いとして、
心と魂の真ん中に抱いている人が、
今の時代は、たくさんいます。

今は、
・・・というよりも、これからは、
開拓者の時代です。

政治も経済も教育も、
あるいは、文化や文明という視点からみても、
私達人類は、完全に行き詰っています。
行き場をなくし、八方塞がりです。
・・・のように、見えます。
しかし、本当に次の一歩がわからなくなった今こそが、
私達人類が新たな世界を開くチャンスです。

そのために生まれて来た人達が、
たくさんいるのです。

自分がそうであることを、
気づくときです。

自分の心と魂の中心に抱いている願いを
見つけましょう。
そこに、すべての答えがあります。

「自分は、本当は何をしたいのか?」
その「本当にしたい」ことに委ねます。

すると、未開の地に、初めて道が開きます。

「大いなるもの」とは、「私」自身です。
「すべては私である」私自身です。

私達は、本当に、今こそ、自分自身に、委ねるのです。

つづく

2011年08月16日

8次元の愛 54 〜内から外へ

多分、この先こうなるだろう。
と、私達は未来を予測することがあります。
未来に何が起こるかわからない以上、
私達は、不安をやわらげるために予測をします。
時に、予測は当たりますが、
時に、それは外れます。
それでも私達は、予測をします。

より的確な予測をするために、私達は情報を集めようとします。
そしてその情報により、私達は自分自身の選択や行動を変えることもあります。
そうして私達は、「外にあるもの」に振り回されるようになります。

情報は大切です。
現実をあるがままに観察することも、もっと大切です。
しかし「現実」とは、「外にあるもの」のみではありません。

私達の「内にあるもの」にも、目を向けてみましょう。

外にある現実、つまり3次元の現実とは、
内にある現実、つまり4次元以上の現実の反映です。
そこには、すべての「答え」があります。

その「答え」とは、「私はどうすればよいか?」の答えです。
自分の選択と行動です。

それが見つかった上で、「外にあるもの」を見つめれば、
その「見え方」は劇的に変化します。
外にある様々な情報や現実が、
「なるほど、そういうことか。」
と、すべてつながるように観えて来ます。

つまり、「外に揺らされ、内を決める」のではなく、
「内で決めているものを見つけ、外を活かす」
という状態を創ることです。

それが、自らの人生・未来を創ることであり、
それをすることで、私達の8・9次元の意識は開花を始めます。

以上は、「自分一人の選択・行動」に限りません。
誰かと共に何かを選択・行動するときも、全く同様のことが言えます。
一人ひとりが、自分の内にあるものを見つけ、
そして、外にあるものを活かす。
それをすることで、私達は「一つとなる」方向へ向かいます。
愛のパワーの相乗効果が始まるのです。

つづく

2011年08月15日

8次元の愛 53 〜わかっていたかのように

やがて訪れるであろう人生の山場を、
あらかじめわかっているのが、
9次元の私達です。

しかし残念ながら、それが私達の意識に顕在化することはありません。
顕在化してしまえば、もうそれは「人間の人生」ではないからです。

未来がわからない状態で進むことにこそ、
人間の本質と、尊厳があります。

やがて訪れるであろう「その時」を、
「わかっていたけど、わかっていない」という心の状態で、
私達は迎えることになります。

すべてを知っている自分。
何も知らない自分。
そのコラボレーションで私達は進んで行きます。

「何も知らないから、どうするか?」
・・・この視点は、大切でしょう。
しかし、
「本当はすべてを知っているから、どうするか?」
・・・この視点に立つことで、
私達の高次元の意識は、開花を始めます。

やがて訪れるであろう「その時」を、
私達はまるで「わかっていたかのように」迎えることもできるのです。

自分の本当に望む人生を、
私達はまるで「わかっていたかのように」進むこともできるのです。

「わかっている人生」ではなく、
「わかっていたかのように進む人生」によって、
私達は愛を学び、
「一つ」にもどってゆけるのです。

つづく

2011年08月11日

8次元の愛 52 〜遥か遠くの宝物

「果てしなさ」を感じ取れるくらいに、
遠くを観渡せる瞬間がありますか?

私達の目は、近くも遠くも観れるようにできています。
現代社会においては、近眼の人が増えてしまっていますが、
私達人間にとって、遥か遠くを観ようとする目線は
とてもとても大切です。

遠くを観るからこそ、近くの答えがわかることも、
遠くを観るからこそ、今の課題がわかることも、
遠くを観るからこそ、身近な大切なものに気づくことも、
たくさんあります。

私達の寿命は、多くの場合100年に満たない短いものです。
ですから通常は、その100年以内の眼差しになりがちです。
でも、もっともっと遠くを観ようとすると、どうなるでしょうか?
自分の寿命よりも、もっと遠く。
何倍も何十倍も、何百倍も遠く。
それを、真剣に観ようとします。
どうなりますか?

案外、人生の願いのヒントは、そんな眼差しがもたらしてくれます。

・・・・・
例えば、1000年後、2000年後の未来では、
人類は、今よりももっと「一つ」になれているでしょうか?
そのときの人々の幸せとは何でしょうか?
人類は、何を目指し、何に生きがいを感じ、
何をテーマとして生きているでしょうか?

どうであるといいな、と思いますか?

そして、本当にそうなるために、今の私達にできることは
何でしょうか?

もしこの視点から、自分の魂が本当に喜ぶ発想が生まれたら、
それは私達の宝物です。

宝物は、私達の中にたくさん眠っています。
一つの宝物が見つかれば、さらに次の宝物が見つかります。
宝物の連鎖が始まります。

私達の奥の奥の奥にある宝物を、
太陽の光の当たる地表に、掘り出しませんか?

つづく

2011年08月10日

8次元の愛 51 〜来るもの、去るもの

来るものは拒まず。
去るものは追わず。

私達には抗えるものと、抗えないものがあります。
抗えるものと、どう向き合い、
抗えないものと、どう向き合うか?
抗えるものと抗えないものの区別を、どうつけるか?
それらを、いったいどこで判断するのか?

私達の魂の旅路では、
常にそれらの問いが私達の前に存在し、
それにより、魂は鍛えられます。

現実を、・・・そこで起きていることをしっかりと見つめれば、
それらの問いの答えは、
実にシンプルである場合が多いです。
シンプルであるが故に、わからない。
シンプルであるが故に、迷いが生じる。
そんなことも、よくあります。

シンプルな答えを、すべて受け入れること。
それが、「来るものは拒まず」の本質です。
その結果、自分が「何から去ろうとしているのか?」を本当に知り、
「去ろうとしている」対象を、すべて手放すこと。
それが、「去るものは追わず」の本質です。
実は、「去るもの」が去ろうとしているのではないのです。
私達自身が、そこから去ろうとしている、
それを、「去るもの」にしようとしているのです。

受け入れること。
手放すこと。
その連続が人生ですね。

・・・・・
私達の目の前にあるあらゆるものが、
私達にとって必要なものです。
必要なものだからこそ、
それは存在しています。

さぁ、ゆっくりと力を抜いてみましょう。
すべての力を抜いてみましょう。

すると私達は、「ただ、あるがままの存在」となり、
そこに在るものを、そのまま感じ取れる自分になります。

力を抜いて、そのまま・・・。
力を抜いて、そのまま・・・。

すべては、もともと「一つ」です。
「一つ」だったものが、ただ、分離して
そこに存在しているだけなのです。

それをよく知っている私達の魂があります。
力を抜けば、魂が何を感じているか、わかります。

何に抗うことができて、
何に抗うことはできないのか?
何を受け入れ、
何を手放せばよいのか?

力を抜いたそのままに、
魂の感じるそのままに、
答えは自然に明らかになります。

あとは、そのシンプルな答えの通りに
シンプルに進むだけですね。

「一つ」が分離し、
「一つ」にもどる。

その極めてシンプルな道のりを、
私達は欲しています。

魂の望む道のり、
愛の道のりです。

つづく

2011年08月08日

8次元の愛 50 〜人類共通の限界

3次元世界には限界はありますが、
心の世界に、限界はありません。

心の中では、すべてのものを自分の意思で創り上げていますから、
限界というものがあったとしても、
それは自らの意思として存在させている、ということになります。

私達は、3次元世界の現実に、自分の心を合わせようとします。
ですから、3次元世界に合わせて、自らの心に限界を創るのですね。

これ、逆にしてみると、結構面白いです。

3次元世界の限界に、自分の心を合わせるのではなく、
自ら意図的に、心の中で限界を創ってみるのです。

すると3次元世界でも、その設定した通りの限界が現れます。

次に、心の中の限界を、ちょっと変えてみてください。
すると3次元世界では、そのちょっと変えた限界通りの現実となります。

これやると、よくわかるのです。
実は限界の多くは、結局は自らが創り出していたものだ、って。

・・・・・
とは言え、私達にはもともと与えられている限界もあります。
3次元世界に生きるとは、それらの与えられた限界の中で生きる、ということでもあります。
命は一つ。
寿命もある。
体は一つ。
心も一つ。
他人が何を考えているかもわからない。・・・・
・・・限界だらけです。

それらの限界を愛するところから、すべてを始めましょう。

つまり、限界をあるがままに観て、
そこに、愛のパワーを注ぎます。

すると私達の心は、その限界からの影響を受けなくなります。
それは心の自由を意味します。

そして自由な心の発想は、現実世界での様々な限界を超える力を持ちます。
今の私達の生活に欠かせない多くの物は、もともとは世の中に存在しなかったもの。
それらを生み出してきた人類は、常に3次元世界における限界を越え続けてきました。

そして今、私達人類は、
「これ以上、どの限界を越えればよいのか?」
・・・を迷っています。
越えるべき限界が、わからなくなっています。
越えるべき限界がわかってこそ、私達は本来の力を発揮できるのですが・・・。

それを見つけるのが、今、です。
越えるべき限界を見つけるのです。
それが、今の人類共通のテーマです。

この、共通のテーマ。
すでにお気づきの方も多いでしょう。
なぜなら、答えはすべて私達の中にあるからです。

もしそれがわかったら、
まずは日常の一歩から、
そのテーマに取り組んでみるとよいですね。

つづく

2011年08月07日

8次元の愛 49 〜時代の波紋

明日、何しようかな?
私達が、意識を未来に向けるとき、
私達の心には、一つの波紋が広がります。

明日、これをしたいな。
もし、私達に欲求があれば、
その波紋は、さらに強まります。

その欲求が、本心であれば、
さらにさらに、波紋は強まります。

そしてその波紋によって、
私達の、「明日の自分」が決まって来ます。

私達は普段、心の中に、どのような波紋を広げ続けているでしょうか?

私達の行動は、世の中全体における波紋の一つとなります。
波紋と波紋は共振したり、打ち消し合ったりしながらも、様々な形で展開します。
波紋は次の波紋を呼び、それらの結果として、
私達は、「時代」を創り上げます。

心の中に起こる小さな波紋が、世の中全体に影響する大きな波紋を生み出します。

波紋とは、波です。
波は、一度起こしてしまうと、打ち消すことは難しいものです。
それが自然に姿を消すまで、待っていなければなりません。
もしくは、さらに強い波紋を生み出すか、です。

これまでは、どちらかと言うと、波紋の強さを競うような世の中でした。
バシャバシャと水面を叩き、少しでも自分の波紋が周りに影響するように、やみくもになっている人も多かったです。
しかしそれらは、本当の力を持つ波紋ではありません。

本当の力を持つ波紋とは、表面的な波形にはとらわれません。
むしろ、水面下で静かに広がっていきます。
深いところで伝わって行くのです。
それは一見、わかりづらいものかもしれません。
しかし、少し長い目で観れば、その影響の大きさは、計り知れません。

強い波紋よりも、深い波紋。
これからは、これが「時代」を創るでしょう。
なぜなら、その「深さ」に敏感に反応する人が、極端な速さで増えているからです。

波紋の第一歩は、
「明日、何しようかな?」
です。
このシンプルな問いに、魂で答えてみてください。

魂の素直な声が見つかれば、
それは、きっと深い波紋となるでしょう。

つづく

2011年08月06日

8次元の愛 48 〜覚悟を思い出すとき

止めどなく湧き上がる情熱と、
鏡のように澄み渡った静謐さと、
すべてを抱く大らかさと、
遠くも近くも観透す目。

すべて、私達が持っているものです。

私達は、限りない力を持ち、生まれてきました。
この力は、皆、平等です。

よく、人によって力は違うし、「でき」は違うし、可能性も違う。
と言われます。
3次元レベルでは、その通りです。
しかし力とは、「それが在るか、ないか?」ではなく、
「それが発揮されているか、いないか?」だけのこと。
すべては、もともと「在る」のです。

どこに在るのでしょうか?

ここに、在るのです。
それを一番よく知っているのも私達です。

力は、開花するためにあります。
力は、開花されるのを待っています。
今も。
ここで。

・・・・・
私達の旅は、私達が思っている以上に長いです。
そして、これまでの旅の道のりを、私達はきちんと覚えています。

旅の経験は、財産です。
経験を通じてのみ、私達は力を開花させます。

皆、ある一定以上の経験をすれば、
力は開花するようにできています。

それだけのこと。
必要な経験を必要なだけ、積み重ねるだけなのです。

私達の旅は長いですが、
永遠ではありません。

旅には、いくつものゴールがあります。
ゴールはまた新たな道へのスタートともなりますが、
今は次のゴールを目指すことが大切です。

経験の中で必ず育まれるものが、愛です。
逆に言えば、愛を育まない経験は、「経験」とは言えません。
それは、「停滞」と呼ぶべきものです。
しかしその「停滞」も、実は経験の一つです。

愛は、バロメーターです。
自らの愛が深まっているかどうか?
深まる方向に向かえば、経験のスピードはアップするでしょう。
力も、より速く開花します。

経験のスピードが尋常でなく速まっているのが、今の私達です。
その自覚はできていますか?

今の私達は、力の開花が異常とも言える事態です。
その自覚はできていますか?

自らに起きている経験と、力の開花、
そして愛の深まりを、
まずは自覚するところから始めましょう。

時代の潮流は、速いです。
そこに私達は乗っています。
私達は皆、その覚悟をもって生まれてきました。
ゴールを目指すために。

覚悟を思い出すときです。

つづく

2011年08月05日

8次元の愛 47 〜一貫性の愛

魂と心と体が、一直線に同じ方向を向いて生きていることを、
一貫性がとれている、
と言います。

一貫性をとるためには、私達の中心にある
魂の願い
を知る必要があります。

魂の願いとは、真本音の願いです。

そして、魂の願いとは、源(ソース)の願いです。
すべてが「私」であることを知っている、「私」の願いです。

この願いに基づいて生まれる意識が、9次元の意識です。
9次元の意識の入り口が、8次元の意識です。
そして、8次元の意識を開花する鍵が、8次元の愛です。

つまり愛とは、私達の魂レベルの開花への礎となるパワーです。

・・・・・
愛のパワーは、本来は無尽蔵です。
限りはありません。
それは、「すべて」(=源)から与えられているものだからです。
ところが、その「すべて」とのつながりを忘れ、自ら断ってしまうことで、
愛というパワーは枯渇します。
枯渇すれば、奪おうとします。
愛の奪い合いが始まります。

「すべて」とのつながりを思い出している愛が、8次元の愛です。
「すべては私である」ことを知っている私達が発する愛です。
ですから、8次元の愛は、永遠に与え続けることができます。
人を本当に満たすことができます。
奪い合いからの開放が成されます。

人は、愛を奪い合うことにより、自らの一貫性を失います。
本当の願いを忘れます。
一貫性を失った私達は、苦しみます。
苦しみから逃れるために、さらに愛を奪おうとします。
そしてさらに、一貫性から遠ざかります。

一貫性から遠ざかった私達に、希望はあるのでしょうか?

もちろん、あります。
なぜなら、一貫性のない状態は、不自然です。
一貫性のある状態こそが、自然体だからです。
自然体に戻ろうとするのも、私達の本能の一つです。

自然体に戻るためには、自然体の人と、じかに関わることです。
つまり、一貫性をもって生きる人と、向き合うことです。
そこには、8次元の愛も存在しています。

人は、人に助けられながら、生きています。
人は、人を助けながら、生きています。
一人でどうにもならない場合は、胸を張って、助けを求めてください、
一貫性をもって生きている人に。
助けを求められたその人は、よく知っています。
「どこまで助けることが最善か?」
ということを。
それこそが、8次元の愛の実践です。

8次元の愛とは、私達人間の本来の力です。

つづく

2011年08月04日

8次元の愛 46 〜真の成長

人の成長は、計り知れません。
特に、魂の成長は、無限に続くようです。

愛の成長も、無限です。

愛とは、その人の魂の発するパワーです。
愛の次元の高まりは、その人の魂の次元の高まりと一致します。

私達は知っています。
始まりはいつも、愛であったことを。
それも、
自らが、発する愛であったことを。

人の成長は、計り知れません。
気の遠くなるような道のりを、私達は歩み続けています。

一見すると、成長とは逆の向きに進んでいることもありますが、
そのときでさえ、すべての一つ一つは成長に結ばれています。

そして、その様子をじっと観察し続けている目があります。
自分に何が起ころうとも、
判断も解釈も評価もせず、
ただ、じっと観守る目があります。
その目は、ただ私達を愛し続けています。

その目、
その存在・・・。
それは、他の誰でもありません。
それは、私達自身です。

私達は、自分自身の成長を、ずっと観守り続けているのです。
愛を注ぎながら。

ですから私達は、全員知っています。
愛とは何か?
どうすれば、愛することができるか?
その答えを、紛れもなく全員が、よくわかっています。

それを思い出すだけ。

思い出すための道のりが、また成長の道とも言えるでしょう。

成長とは、新たな自分を創ることではありません。
すでに存在する本来の自分を思い出すことです。

そして、本来の自分に戻れたなら、
そこからいよいよ、進化の歩みが始まります。

人は、そのとき初めて、真の開拓者になります。

すべては、「私」です。
「私」は、すべてです。

すべて、予定通りに進んでいます。

つづく

2011年08月03日

8次元の愛 45 〜内と外の宇宙

心の中にも宇宙があります。
それは、私達のいるこの宇宙と同じく無限大です。
なぜなら、私達のいるこの宇宙と、私達の心の中の宇宙は、完全に一致するからです。

同じものなのです。
内と外は。
同じものの境界が、私達「人間」と言われる存在です。

突拍子もない話だと思われますか?

縦と横と高さ。
その3つから成り立っているのが、私達の住む3次元世界です。
逆に言えば、その3つの枠に閉ざされた世界である、とも言えます。
この枠の中での発想は、この枠の中での答えしか生み出しません。
しかし、私達の心はもともと4次元以上の世界です。
枠を大きく飛び越える発想やひらめきの宝庫と言ってよいでしょう。

3次元世界では、時間は、当たり前のように過去から未来へと、
一つの方向に流れ続けています。
しかし4次元以上の世界では、時間は自由自在です。
例えば、心の中では、過去に遡ることも簡単です。

・・・・・
もし宇宙船に乗って、私達の心の中心に向かって永遠に進んで行けば、
その宇宙船はやがて、私達の頭上から降りてくることになる。・・・

面白いでしょ?

そう捉えたとき、私達は自分の心を、どのように動かしましょうか?
外の宇宙を動かすことはできないのですが、内の宇宙(=心)は何とかなりそうです。
そして実際に、内の宇宙(=心)の動かし方によって、外の宇宙(=3次元の現実)で起こることは決まってきます。

この世界は、内の宇宙と外の宇宙のコラボレーションです。

そして、自分の心(内の宇宙)を愛すとは、周り(外の宇宙)を愛すこととイコールなのです。

内と外、両方の宇宙に存在している私達「人」。
人を愛するとは、内と外、両方の宇宙を同時に愛することかも知れないですね。

そして、人を愛するとは、宇宙が一番望んでいることかも・・・。

つづく

2011年08月02日

8次元の愛 44 〜自然のもと

すべての力を抜いてみましょう。
魂の力。
心の力。
体の力。

力を抜くためには、一度、思いっきり力んでみるとよいかもしれません。

力を抜いた状態が、ニュートラルな状態。
つまり、自然体です。

自然体から生まれる言葉は、
自然に、人に伝わります。

自然体から生まれる発想は、
自然に、自分を動かします。

もし、人を愛するならば、
自然体で愛したいですね。

・・・・・
自然体で、自然を観てみましょう。
どう観えますか?

この世は自然に溢れていますが、
その自然を創り出している「もと」を、
この世に存在しているすべてのものは、内包しています。

当然、私達すべての人間も、それを持っています。

私達の命をも創り出すその「もと」は、
常に、ここにあります。

それは、太陽のような存在。
すべてを育む存在。
誰もが知っていて、誰もが知らない存在です。

愛のパワーも、そこから生まれています。

この世に太陽が存在するように、
私達の中にも、太陽が存在するのです。

つづく

2011年08月01日

8次元の愛 43 〜未知なる星

私達の多くは、じかに外側から地球を眺めたことはありません。
自分自身の姿さえ、じかに外側から眺めたことはありません。
でも、まるで実際に眺めたことがあるかのような感覚を持っています。
それくらい「もう知っている」と思い込んでいます。

地球の青さとは、宇宙から観ると、どのように映るのでしょうか?

自分の輝きとは、傍から観ると、どのように映るのでしょうか?

もし私達に永遠の命があるならば、
何を「観たい」と願いますか?

もし私達に無限の視点があるならば、
何を「観たい」と願いますか?

観たいものがあるから、私達人類は進化してきました。
観たいという欲求を叶えることで、私達は世界を広げてきました。
世界を広げながら、進化を遂げようとするのは、
私達人類の本能的な欲求です。

その欲求の高まりが、今、あります。

私達が今、本当に「観たい」ものとは何でしょうか?
私達は、何を「観る」ことを欲していますか?

私達人類を、一つの生命体として捉えると、
この生命体は、何を「観たい」のでしょうか?
そして、どんな世界に向かいたいのでしょうか?

この生命体の願いはなに?
今一番望んでいることはなに?

今最も必要なことは、なんでしょうか?

・・・・・
私達は、地球に住んでいます。
こんなに小さな星なのに、わからないことだらけです。
観たことのないものだらけです。
ここは、未知の世界です。

未知の世界に、わけがわからず佇んでいる。
それが、私達人類です。

私達は開拓者です。
世界を広げる開拓者です。
「すべてをわかった」つもりで前進するのを止めるのではなく、
今だからこそ、未知なるものに向かう眼差しが、必要です。

私達は、未知の世界に進もうとしています。
その自覚が必要です。

地球は狭くありません。
地球は、深いのです。
その深さを、私達は今、知ろうとしています。

この星は、まだまだ未知なる星です。
この星の、愛とは何でしょうか?

つづく

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