こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年09月28日

8次元の愛 76 〜すべてを知っている自分

急展開する現実を目の当たりにしたとき、
私達の多くは戸惑いますが、
その急展開が、自分の限界を超えたとき、
とてつもなく静謐な自分が
現れることがあります。

その自分は
「すべてを知っている自分」です。

すべてを知っていますから
自分が、いつどのように
次の一歩を踏み出せばよいのかも
わかっています。

ですから静謐な目で現実を観察し、
最善の一瞬を見出し、
最善の一歩を出します。

その自分は、
「待つ」こともできます。
あまりの急展開に心はオロオロし、
思わずつられて動き出そうとしてしまう自分を
しっかりと引き止め、
その時が来るまで微動だにせずに
待ち続けることを選択します。

無駄な動きがいっさいなくなります。

・・・・・
ところで。
急展開する人生は
好きですか?
嫌いですか?

私達の心には、安定を望む欲求があります。
ですから、急展開をし続ける不安定な人生よりも
平穏無事な人生を望む人が多いのは
人間として当たり前のことです。

しかし残念ながら、
これからは急展開の時代です。
急展開とは、
政治や経済などが急展開するという意味もありますが、
何よりも、
一人ひとりの人生が急展開していく、
という意味が大きいです。

私達は、
急展開の人生に入ることを「すべて知っていて」
この時代に生まれて来ました。

魂のレベルでは、
すでにその準備ができています。
ただ、多くの人は
心が追いついていかないかもしれません。

ですが、大丈夫です。
ちゃんと私達全員の中には
「すべてを知っている自分」がいます。
いざというときに、その自分は
必ず姿を現します。
まずはそういった自分がいることを
信じ、感じてみましょう。

その時代はすでに始まっています。
私達は、毅然と時の流れに向かっていきましょう。

つづく

2011年09月26日

8次元の愛 75 〜善悪と向き合う

善・悪とは、多くの場合、
人の解釈として判断されるものです。
ですから、善・悪とは
時代によって変化してきました。

しかし、本当は(本質的には)
何が善で、
何が悪か?
については、
私達は直観的に判断できるのでは
ないでしょうか?

それは、私達の魂が
一番よくわかっていることだからです。

魂が「善だ」と思っていることを
無視するかのように進んでしまうと、
私達の心の根底には
「罪悪感」
が生まれます。

これが、きつい。

ほんの些細なことでも、
罪悪感を積み重ねながら生きている人は
心が非常に苦しんでいます。
魂も疲弊しています。

特に「偽善」に生きる人は
そうなります。

偽善とは、偽りの善ですから、
常に自分にも人にも
嘘をつき続けていることになります。

これは、超きつい。

本当に、それで良いの?
本当に、それで良いの?

その問いを自分自身に連続して投げたとき、
心は、どうなるか?
いえ、魂はどうなるか?
その眼差しが大切です。

偽善がいけない、というよりも、
偽善をしている自分自身に気づくことが
何よりも大切です。

思うようにはいかない、この3次元世界。
時には、あえて偽善の方向に進まなければならないことも
あります。
そのときに、
自らを誤魔化しながら進むのか。
それとも、すべてをありのままに観つめながら進むのか。
それにより、魂の淀み方は大きく変わります。

私達が思っている以上に、
この世界は、
魂に素直に生きることができます。
勇気をもって、
その方向に進んでみませんか?

つづく

2011年09月25日

8次元の愛 74 〜命を守る

命、
とは、
限りあるものでしょうか?
それとも永遠でしょうか?

この問いには、様々な角度から
様々な答え方ができると思います。

では、
命、とは
何でしょうか?

命という言葉の背景にあるのは、
「生と死」
です。
もし「生」も「死」もなければ
命という概念すら
生まれなかったでしょう。

生、とはなに?
死、とはなに?

それは突きつめれば結局のところ
自分、とはなに?
というところに結ばれます。

源(ソース)とは
「生」も「死」も
超越しています。
「命」という概念すら
超越しています。

命も生も死も、
すべて源(ソース)から分離することで
生まれた存在です。

・・・・・
“命を守る。”

私達は、命を守ろうとします。
少なくとも、自分の命は、まずは
守ろうとします。

これは、とてつもなく
尊い行為です。

守ろうとする存在を得ることで、
私達はパワーを発揮します。

守るものがなくなったとき、
私達は、自らの存在意義を見失います。

命とは、
誰もが心の根底に抱いている
「守りたいもの」
です。

命とはなにか?
その問いは重要です。
しかしそれ以上に、
「自分は、本当に命を守れているか?」
という問いかけが、
今の時代こそ必須のような気がします。

今、私達は本当に、
命を守る方向に進んでいるでしょうか?
命を育むことができているでしょうか?

つづく

2011年09月22日

8次元の愛 73 〜快晴になれば

幻影。
これが心の中に溢れることがあります。

例えば、ストレス。
何らかの大きなストレスを抱えていた人が
そのストレスが解消されたにも関わらず、
そのストレスがまだ自分の中に残っているような感覚に
苛まれたりします。
本当はそこにそれはないのにも関わらず。
それが、幻影です。

本当は意識の次元が高まり、
これまでとは全く違った「現実」の観え方、
「現実」との向き合い方ができているにも関わらず、
それ以前の低い次元の心(のパターン)がそのまま残っているように思い込み、
それ以前と同じ場所で迷い、悩んでしまう。
それも、幻影に苦しめられているということになります。

そういった方が、実に多いのです。

自分の心と向き合うということは、
自分の心の中にある「実在」と「幻影」の区別をつける、
ということでもあります。

変な言い方ですが、
自分は今、何に悩めばよいのか?
自分は今、何に迷えばよいのか?
それをきちんと捉えることが、
私達の正常な成長につながります。

すでにもう悩まなくてもよい箇所で悩むこと。
すでにもう迷わなくてもよい場所で迷うこと。
それらは、ただの魂の疲弊につながります。

幻影から抜け出ることは気持ちの良いことです。
その、気持ちの良い方向に進めばよいのです。

成長とは、気持ちの良い方向に進むこと、です。
本当に気持ちの良い方向に進むこと、です。

快晴の日に傘は差しません。
快晴の日に傘を差して、下だけをうつむいて
「歩きづらい」
と悩むのではなく、
快晴の日には、傘をたたみ、
両手を振って胸を張り、
周りの景色を楽しみながら、
堂々と歩いて行きましょう。

あなたの魂と心はもう、
快晴なのですから。

つづく

2011年09月20日

8次元の愛 72 〜光のハーモニー

光の粒が私達の中心にあります。
その輝きは人それぞれ。
色も明るさも、
その人独自のものです。

その輝きを増していきたい!
誰もがそう願っています。

輝きと輝きは共鳴します。
共鳴しながら、
一つになることさえあります。

光の粒と光の粒が一つになるとき、
そこには、恐ろしいまでの
力が宿ります。
それは、その世界(場)を変えるだけの
影響力を持ちます。

・・・・・
私達は、3次元的・物質的に
一つになることはできません。
しかし、
私達の中心を成す光は、
一つになれるのです。

光の粒とは
魂の輝きです。
魂とは、
高次元と3次元を結ぶ
架け橋です。

高次元の私達の意思を
魂は3次元化してくれます。
その意思を尊重することで、
私達は魂レベルで
一つになれます。

でも本当は
もともと私達は一つです。
そういう意味では
もとの状態に戻るだけです。

10の輝きの光の粒と
10の輝きの光の粒が
一つになれば、
それは、1000にも1万にも
時には1億以上にもなります。
一つに戻るとは、
それほど素晴らしいことです。

一つに戻ったとしても、
私達の心と体が一つになるわけではありません。
そこには、
ハーモニーが生まれます。
人と人が共鳴する
真のハーモニーです。

それぞれの個性を活かしきる
時代を拓くハーモニーです。

つづく

2011年09月19日

8次元の愛 71 〜私と君の変化

私と君の間に、

何があるだろうか?

それは断層だろうか?
つながりだろうか?
それとも、
両方だろうか?

君は今、
断層を見ている?
つながりを感じている?
それとも、
両方を受け止め、
戸惑っている?

人と人の関わりは、
まるで走馬灯のように
変化してゆく。
変化に委ねても、
変化に抗っても、
変化してゆく。

人の心もそう。
常に揺れ、常に動き、
そして
常に何かに執着している。

私達はもっと、
自由になれないだろうか?
変化から、
自由になれないだろうか?

・・・・・
人は変化をし続ける生き物です。
その一方で人は、
変化を恐れます。

変化に囚われれば、
人生は、右往左往を繰り返します。

しかし、
その変化を見つめる眼差しがあります。
その眼差しは、
常に同じところから、
何の評価も判断もなく、
すべてをそのままに、
観続けます。

その眼差しの「もと」に戻るとき、
私達は、
すべてから解き放たれます。

すると、変化は
ただの「変化」となり、
私達はそれを、
「安定」
と感じることができます。

そうです。
本当は、
変化こそが、
安定です。

・・・・・
私と君は
変化を続ける。
ずっと続ける。

悠久の変化をし続ける。

そこは永遠に
変わらないね。

つづく

2011年09月14日

8次元の愛 70 〜源(ソース)の一つ手前

愛されることで、私達は喜びを得ます。
愛することによっても、私達は喜びを感じます。
そこに、愛というパワーが宿っているかどうか?
により、喜びの質が変わります。

外から与えられる喜び。
内から溢れる喜び。
私達の人生には、二つの喜びが存在します。

内から溢れる喜びとは、
私達の根源から来るものです。
愛というパワーは、
この根源から発せられるものです。

言うまでもなく、
根源とは、源(ソース)のことです。
でも今回は、
源(ソース)の一つ手前のお話をしましょう。

・・・・・
源(ソース)とは、「すべてが在る」という状態です。
源(ソース)から、様々なものが分離されることで、
「それ」は創造されます。
創造は、次の創造を生み出します。
それにより私達の宇宙は形成されてきました。

宇宙には様々な次元があります。
ですから、すべてを3次元の枠で捉えようとすれば、
宇宙の本質を見誤る可能性があります。

宇宙は、私達の外側にあるのと同時に、
私達の内側、つまり心の中にも存在しています。
内と外は完全に一致します。
3次元的に見れば、それは理解不能なことですが、
高次元から観れば、それは極めて当たり前で
自然な状態です。

すべての内と外は、完全に一致しています。

完全に一致する内と外を、
完全に結ぶための存在が
私達人間です。

人間とは、分離した存在。
その分離した一人ひとりが、
完全に内と外を結ぶことができたそのときに、
源(ソース)は、
人間を生み出した目的を達成します。

源(ソース)の一つ手前とは、
人間のことを指します。
人間とは、
それほど奥が深く、懐の大きな存在です。

そんな人間が
無限に発することのできるパワーが
愛、です。

愛を育み、
愛を交換し、
愛を循環させることによって、
私達は、私達の根源的な目的を
果たそうとしているのです。

「一つ」に戻る、とは
内と外に分離された宇宙を
「一つ」に戻す、という意味もあります。
それができるのは、
私達、人間だけです。

目の前にいるその人を愛する。
そんな日常的なたった一つの行為に、
宇宙の根源と呼応する
私達の深い意志が込められています。

つづく

2011年09月13日

8次元の愛 69 〜「人と人」から「一つ」へ

プレゼントを誰かに渡すとき、
私達の心はウキウキします。
相手の喜ぶ顔が、楽しみです。

この気持ちは、大人も子どもも同じです。
何かをもらうのも嬉しいですが、
大切な誰かに何かを贈るというのも、
独特の喜びがあります。

ところで、
プレゼントを渡す前と、
渡す瞬間と、
渡した後と、
どの時間帯が最も幸せですか?

そして、その理由は何でしょう?
どんな幸せ感を、いつも望んでいますか?

幸せ感は、人それぞれですね。

・・・・・
ところで、プレゼントとは、
受け取るかどうかは相手しだいです。
受け取った物を気に入るかどうかも相手しだい。
つまり、完全に相手に主があります。
相手に主があるときにこそ、
私達が独特の喜びを感じるのは、
これはいったいどういうことでしょうか?

ここに私達人間の本質の一つが見え隠れしています。

単純に、
人の喜びが、自分の喜びとなる。
・・・確かにこれは、人間の本質の一つでしょう。
しかしこれを、
「すべては一つ」「すべては私」という視点から
眺めてみましょう。

プレゼントとは、
「分離」している私達だからこそ
生み出せた行為です。
「一つ」のままでは体験できない幸せが、
そこには在ります。
分離しているからこその幸せ、です。

そして私達は、
分離しているからこその幸せを大切にすることで、
愛を与え合うことができます。
つまり、「一つ」に戻っていくのです。

分離を拒絶するのではなく、
分離を楽しむからこそ「一つ」になれる。
それが、真理であり、
愛の本質でもあるのです。

「人」とはあえて分離した存在。
だからこそできることが
無限にあります。
それらを尊重するところから
私達の「分離」は開放されていきます。

「私以外」のものに目を向けてみましょう。
私と私以外。
その両方の存在を楽しむことで
私達は「もとの私」への道を開拓できるのです。

つづく

2011年09月12日

8次元の愛 68 〜使命と遊び心

遊び心、とは何でしょうか?

私のクライアントさんで、
9次元の意識がすでに開花された方が何人かいらっしゃいます。
皆さんに共通していることは、
人生そのものが遊び心に溢れている、ということです。

もちろん、お気楽な人生を送って来られた方は
一人もいません。
それどころか、
この資本主義社会の荒波に
揉まれに揉まれ尽くした方々ばかりです。

そんな方々が、今は
まるで遊ぶような感覚で、
人生の一歩一歩を楽しんでいらっしゃいます。

「仕事と遊びの区別はないですね。
すべて、楽しんでいますから。」
というのが、皆さんの共通の言葉です。

9次元の意識が開花しているということは、
自分が何のためにこの世に存在しているか?を
完全に思い出している状態です。
つまり、自分の真の使命を知っています。
そのために日々、邁進されています。

・・・・・
仕事と遊び。
何かをしている時間と、別の何かをしている時間。
その区別をつけるところから、
私達は本来の遊び心を忘れてしまうのかもしれません。

よくよく考えれば、
すべては「一つ」です。
「一つ」であるものを無理に分離させれば、
私達の淀みやストレスは増えていきます。
人生の時間を、
私達の解釈で区切ることは、
ひょっとすると、その無理な分離のきっかけと
なってしまうのかもしれません。

時間とは、
区切るものではなく、
自然に区切られるものではないでしょうか。

自分の命をどのように使うのか?
その根本的問いと向き合い続けることで、
自然に時間は区切られ、
区切られることによって逆に
すべての時間で
遊び心が顔を覗かせるのではないでしょうか。

遊び心とは、ゆとりです。
ゆとりとは、
3次元レベルで、何をしているか?
には因りません。
真のゆとりとは、
魂の元気さによって生み出されます。
魂が元気な方向に、
つまり、自分の魂の願い、人生の使命の方向に
向かい続けることで、
私達は遊び心、そしてゆとりを手に入れられます。

“自生由遊”(じきゆうゆう)。
自分の人生を歩んでいる人であればあるほど、
心は自由になり、
遊び心に満ちてくるのです。

つづく

2011年09月11日

8次元の愛 67 〜誕生の瞬間

誕生、とは始まりです。
すべての物事には誕生の瞬間があります。
誕生のその一瞬に
宇宙の神秘のすべてが表出します。

誕生とは、分離です。
もともと「一つ」であったものから、
何かが分離する。
それが誕生であり、それは「創造」でもあります。

私達には全員、誕生日があります。
私という人間が、この世に「社会的存在」として
誕生した日です。

誕生したものは、
誕生したその瞬間から、
それ以前からそこに存在しているもの達から
制約を受けます。
私達であれば、
どこの地域に生まれ、誰のもとに生まれたかによって、
すでに人生の制約を受け始めています。

誕生とは創造であり、かつ
制約を受け始めるスタート地点でもあります。
つまり、制約のない誕生はありません。

私達の人生は、その制約とどのように向き合うか?
というテーマのもとで進みます。
その誕生は喜びとなるか?
それとも苦しみとなるか?
それは、その制約の中身ではなく、
その制約とどのように向き合う人生を送ったかによって
左右されます。

私達は「一つ」に戻ろうとします。
それは私達の根本的本能です。
「一つ」に戻るために、制約を超えていきます。
制約を超えずして「一つ」に戻ることは
残念ながらできません。
制約から逃げながら「一つ」に戻ろうとすれば、
すべては分離する方向に進んでしまいます。
分離は、次の制約を生み出します。

私達は、誕生日をお祝いします。
誕生とは、希望です。
希望が希望で在り続けるために、
私達は、誕生のその瞬間に生まれる様々なものを
すべて、愛していきましょう。

つづく

2011年09月08日

8次元の愛 66 〜素直とは

素直、という言葉があります。
「素」とは、「もと」ということ、
「直」とは、「そのまま」ということです。
つまり、「もとのまま」ということになりますね。

しかし8・9次元レベルでは、さらに深い意味があります。

「す」の本質とは、
「核」とか「コア」ということです。
「な」の本質とは、
「取り払う」「超える」ということです。
「お」の本質とは、
「形創ったもの」とか「枠」ということです。

「なお」とは、
「形創ったものを超える」とか
「これまであった枠を取り払う」ということになり、
それは「無限」を意味します。
それに「す」が加わりますから、
「コア(核)をもって、無限に広がる」
というのが、「素直」の本質的意味となります。

つまり、
自分自身の核(コア)を大切にしながらも、
既存の枠に囚われず、心をオープンにし、
すべての物事と向き合って行く。
・・・これが「素直」ということです。

この生き方は、私達の魂が望む生き方そのものです。
ですから、自らの魂を大切に生きている人は、
皆、素直です。

素直とは、力の源です。
素直に生きている人には、パワーが漲ります。

素直とは、人の和を育てます。
素直な人と向き合えば、
頑固な人も、ちょっと柔らかくなりますね。

自分に素直になったとき、
素直に感じるものがあります。
それを素直に受け取り、
素直に動く。
すると、素直の和が広がります。

そんな人達が増えているのは確かです。
そんな人達が活躍できる社会にしたいものです。

つづく

2011年09月07日

8次元の愛 65 〜最初の記憶

人には思い出があります。
人生における体験・経験の多くは、
きちんと私達の潜在意識に蓄積されています。
それらはすべて、宝物です。

人生で最初の記憶は何ですか?
最初の記憶として、顕在化しているそのできごとには、
自分自身の魂からのシグナルが込められている
可能性があります。

例えば、ある人(Aさん)の最初の記憶は、
「目の前の母親の顔」だそうです。
それが何歳の記憶かはわからないのですが、
とにかく自分を覗き込む母親の顔が
人生の最初の記憶だと言われました。

Aさんは、お母様のことをとても尊敬していました。
だからが故に、お母様の価値観の枠の中で
生き続けました。
しかしあるとき、その生き方自体がAさんの心を
疲弊させていることに気づきました。
そして尊敬するお母様のもとを離れ、
自らの意思と意図に基づき生活を始めるところから
初めてAさんは自立し、自由となり、
「自分の人生を生きている」という実感を得たそうです。
そして自由になれたAさんは、
それまで以上にお母様のことを尊敬し、
尊重できる自分になれたそうです。

「私は心のどこかで、常に母を恨んでいました。
 母に縛られている気がしていたのです。
 でも、自立できたことでその恨みが消え、
 母を本当に愛せるようになったと思えます。」
とAさんは言われました。
「では、Aさんの魂は、Aさん自身に何を
 学んでほしかったのだと思われますか?」
という私の問いに、Aさんは答えられました。
「人を愛するとは、どういうことか?を
 母を通して学んでもらいたかったのだと思います。」

・・・・・
私達の魂には願いがあります。
それは人生を通じて抱き続ける願いです。
その願いに基づき、私達の魂は自分自身に
様々なシグナルを発信し続けています。
そのシグナルをキャッチすることもまた、
大切なことです。

さて、ではもう一度、問いましょう。
人生で、最初の記憶は何ですか?
そしてその記憶には、自分の魂からの
どんなシグナルが込められていると思いますか?

つづく

2011年09月05日

8次元の愛 64 〜怒り、悲しみにこそ

怒りや悲しみの中にこそ、
自分自身の真実が隠されていることがあります。

怒るのはダメ。
悲しみからは逃げたい。
と、それらを避けることよりも、
その気持ちを発生させている根元を
観てみましょう。

そこに、魂の願いはありませんか?

怒りにも、悲しみにも、
真本音レベルのものがあります。
つまり、高次元の自分自身の怒り、悲しみ
というものがあるのです。
そして時には、
その怒りや悲しみに身を任せることが
必要なこともあります。

・・・・・
私達は、人間です。
人間としての命を宿しています。
人間だからこそできる生き方が存在します。

人を愛することができるのは、
人のすべてと向き合える人です。
人のすべて、
自分のすべて、
すべてを、あるがままに観れる人です。

私が怒れば、あなたも怒るでしょう。
私が怒れば、あなたは悲しむかもしれません。
でも、私もあなたも「私」です。
私は「私」として、あなたに向かいます。

私が怒れば、あなたは私から離れますか?
私が怒れば、あなたは私を嫌いますか?
でも、私もあなたも「私」です。
私は「私」として、あなたに向かいます。

自分の怒りの中に眠る真実、・・・願いを大切に抱き
人に向かうとき、
お互いの魂は、
初めて真の共鳴を起こすかもしれません。

つづく

8次元の愛 63 〜「私」と私

すべての人には個性があります。
自分と全く同じ個性を持った人は
自分以外には一人もいません。
過去にも一人もいませんでしたし、
未来永劫、現れることもないでしょう。

私とは、私一人だけです。

その一方で、「すべては私」でもあります。

「すべては私」の「私」が、私を活かしています。
私が「私」を思い出せば思い出すほど、
私の個性は、どんどん際立ちます。

人は誰もが、本質的個性を持っており、
それが発揮されるようになるのです。

私達の心の中には、一見バラバラな私がいます。
気の短い私もいれば、気の長い私もいます。
思いやりのある私もいれば、わがままな私もいます。
イケイケの私もいれば、すぐにウジウジする私もいます。
一見バラバラな私に見えますが、
その本質的個性が発揮されれば、
すべては統合されていきます。

「私」は、私を活かします。
しかも、「私」と私は別個のものではありません。
両方ともが、「真実の私」です。

・・・・・
「私」の願いと、私の願いは完全に一致します。
私達は、魂の成長を続ければ、
どんどん私が開花し、
「私」を思い出し、
「私」の願いを思い出し、
そして、私の本当の願いに行き着きます。

それこそが、人生の願いです。

人生の願いにゴールはありません。
それに向かう日々、一日一日がゴールとも言えるものです。
ですから、一日一日の充実度は、
尋常ではありません。

誰もが抱いている人生の願いを
誰もが見つけられるのを、望みます。

人生の開花とは、
人生の願いの開花であり、
人生の願いへの一歩一歩は、
自分自身の開花へと結ばれます。

そして私達は、「私」として、私として
存分に本質的個性、魅力を
開放させるのです。

それが、「一つ」に戻る唯一の道です。

つづく

2011年09月02日

8次元の愛 62 〜源(ソース)の愛

源(ソース)。
すべてはここから始まり、
すべてはここに戻って行きます。

とは言え、源(ソース)とは、
どこか遠くにある場所ではなく、
今ここに在ります。
3次元世界も4次元以上の意識の世界もすべて、
源(ソース)の中で「分離」して存在しているものです。

と同時に、
物質のすべての素粒子の中にも源(ソース)は存在し、
私達の意識の一つ一つにも源(ソース)は存在しています。

内にも外にもあるのが源(ソース)。
すべては源(ソース)であり、
一つ一つも源(ソース)です。

道端に落ちている石ころを観ましょうか。
それはただの石ころに過ぎない物体ですが、
その石ころも源(ソース)の一つの姿であり、かつ
石ころの中に源(ソース)は存在しています。

私達の意識が8次元、9次元へと開花していくと、
すべての物や者や物事に、
源(ソース)を感じ取ることができるようになります。
すると、この世に存在するすべてのものに
尊厳を感じるようになります。

そして私達の心の動きの一つ一つ、
喜び、悲しみ、怒り、苦しみ、感動、・・・
それらすべてにも源(ソース)を感じ取り、
素直に、あるがままに人間としての心を
受け取れるようになります。

・・・・・
愛のパワーの源泉は、源(ソース)です。
「愛する」という行為は、
源(ソース)とのつながりを思い出す行為です。
そして源(ソース)の持つ無尽蔵のパワーを
引き出し、発揮し、伝播し、開花する行為です。

何かを、誰かを、愛することで、
私達は、源(ソース)の願いを感じ取ることができます。
源(ソース)の願い。
それは、
一つ一つが、あるがままに存在すること。
そして、
一つ一つが、その「違い」を楽しむこと。
そして、
一つ一つが、「違い」を超えて、本当の「一つ」に戻ること。
そのためには、惜しみなく、源(ソース)は
私達にパワーを注ぎ続けてくれます。

私達は、いついかなるときも、どこでも、
源(ソース)と共に生きています。
いえ、源(ソース)そのものとして生きています。

それを思い出す人が急増している今の時代、
そしてこれからの時代は、
人類がこれまで経験したことのない
幸せな時代なのかもしれません。

表層に現れる「現象」のみに目を奪われず、
そのすべてに源(ソース)を感じ取ってみましょう。
人間としての次の一歩が、
自分としての次の一歩が、
燦然と観えてくることでしょう。

つづく

2011年09月01日

8次元の愛 61 〜「一つ」の視点

「すべては一つ」という視点から物事を観ると、
なぜ今それが起きているのか?
非常に合点がいくことが多くなります。

3次元世界で起こることはすべて結果です。
結果である以上、必ず原因があります。
その原因を、どの次元に求めるか?
ここが重要です。

3次元の結果を、3次元の原因で納得しようとするところから
私達の「迷い」が始まります。
なぜならそこには、真の答えは存在しないからです。

「すべては一つ」の眼差しは、
人生を劇的に変化させてくれます。
シンプルに原因(真の答え)がわかり、
自分自身もどんどんシンプルになります。

シンプルな目でシンプルに現実を観れば、
3次元ではすべて
「ただ、それが起きているだけ」
「ただ、それが在るだけ」
であることがわかります。
すると、次の一歩は簡単に決められます。

・・・・・
「すべては一つ」とは、愛の原点です。
人を愛することで、
私達はまず、心が「一つ」になります。
「一つ」になった心で、共に現実を創っていきます。
心が「一つ」になるからこそ、
共に創れるのです。

通常は、
「一人の人の一つの心」+「一人の人の一つの心」
=「二人の人の二つの心」です。
それが、
「一人の人の一つの心」+「一人の人の一つの心」
=「二人の人の一つの心」
となると、そのパワーは何十倍、何百倍にもなります。

愛とは、「一つ」に戻るパワーであると同時に、
「一つ」に戻ることで、とてつもなさを発揮する
現実創造のパワーです。

「すべては一つ」という視点は、
「今、愛はどうなっているか?」を
極めて明確に知らせてくれます。

そして、
「今、愛はどうなっているか?」を観ることこそが、
真の原因を見極める
私達人間の智慧の眼差しです。

つづく