こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年10月31日

8次元の愛 88 〜人間の希望

この世に存在しているすべてのものは
そこになくてはならないもの、です。

道端の石ころ一つを取っても、
その時その瞬間に
この世界を形創っているものとして、
それは必ずそこになくてはなりません。

そこに在るべきものが、
あるべき状態で存在することにより、
世界は初めて成り立ちます。

私達自身も、そういった存在の一つです。
「今の私」がここにいる、ということの意味。
それは計り知れないほど
大きなものです。

よく、人は言います。
「今の私では、ダメだ。」

いいえ。
「今の私」でなければ
ならないのです。

世界は、その時その瞬間、
常に「完全」であり、
「完成」されています。

常に「完全」であり「完成」された状態で
あり続けること。
それが、世界が成り立つための
本質です。

そのためには、
「今の私」が必要なのです。

今のあなたが必要なのです。

・・・・・
私達は「世界」の歯車でしょうか?

いいえ、それも違います。
私達は「世界」の一部分かもしれませんが、
私達の中には、
「世界」の全体が存在しています。

私達人間とは、
「世界」を構成する存在であり、
「世界」全体を抱く存在です。

「全体の中の個」であり、
「すべての個を抱く全体」なのです。

ですから、私達一人の成長が、
世界に与える影響は
実は、とてつもないものなのです。

3次元レベルでは、
人間一人のできることは
たかが知れているかもしれません。

しかし9次元レベルでは、
人間一人の持つ可能性の大きさは
まさに「希望」そのものです。

私達人間とは、
私達が考える以上に
価値ある存在です。

・・・・・
そろそろ、
「人間」に対する私達の思い込みを
手放した方がよいでしょう。

ある意味では、これまでは
人類全体が
自分自身を卑下してきました。

自己卑下する者の集まりが、
今の私達です。

そこから自分を開放するのです。

そのためにも、自分自身と
もっともっと向き合いましょう。

自分の中心に
目を向けましょう。

自分の中心が感じていることに
素直に生きてみましょう。

「今の私」とは、なくてはならないもの。
その真実と向き合うことで、
「本来の私」は光を放ちます。

その光は必ず、
隣の人に影響を与え、
人から人へと伝わり、
無限に広がっていくでしょう。

それが私達の本来の力。
人間の力です。

つづく

2011年10月29日

8次元の愛 87 〜恐るるに足らず

山積した問題を前にしたとき
どこからどう手をつければよいか?
途方に暮れることがあります。

途方に暮れてしまったとき、
いつも、何をしますか?

私達は、どのような心の状態であれば、
最善の一歩を
刻むことができるでしょうか?

・・・・・
私達は生き物です。
私達は生きています。
生きるとは、反応することです。
生きるとは、揺れ動くことです。

心が揺れ動いているならば、
その「揺れ動き」を尊重することが、
生き物としての「自己尊重」です。

途方に暮れている私達の心の中は、
葛藤でいっぱいです。
どうしよう?
こうしたらいいんじゃない?
いや、この方がよいかも。
もう逃げたい。
いや、逃げちゃだめだ。
誰か助けて!
いや、助けを求めちゃいけない。
何とかしなきゃ。
何ともならないよぉ〜。 ・・・

葛藤はまるで雨雲のように
心の中を曇らせます。
心は葛藤の雲によって、
混沌とし、
何が何だかわからなくなります。

それらの心の「揺れ動き」を
尊重することが、
自分を大切にすることの第一歩です。

・・・・・
「揺れ動き」の尊重。
それは、混沌をさらに助長するような
気がします。

しかし、そうではありません。
「揺れ動き」を尊重することで、
私達は、「本来の私」を
取り戻すことができるのです。

どんなに激しい雨雲でも、
その向こうには必ず青空が広がっており、
太陽が存在しています。

私達の心もまったく同じ。
私達の中には、常に
青空と太陽が存在しています。
それが「本来の私」。
いついかなるときも
変わらずに存在し続ける「私」です。

雨雲はそこに在ります。
在るものを「無きもの」にすることは不可能です。
であれば、
在るものをしっかり観ましょう。
しっかり感じとりましょう。
その覚悟を持った瞬間から、
雨雲達は、散開し始めます。

私達の心の中の雨雲は、
実は、極めて弱いのです。
弱いからこそ揺れ動き、
弱いからこそ叫びます。
叫び声の大きさに萎縮してはなりません。

「揺れ動き」は尊重し、
開放すればよいのです。

・・・・・
ほんのわずかでも
青空が顔を覗かせれば、
私達は一瞬にして
青空の存在を思い出します。
それが、青空の力です。

「本来の私」の力です。

青空は、ただそこに広がっています。
青空を思い出すことで、
私達はニュートラルになります。
ニュートラルとは力の抜けた状態。
右にも左にも前にも後ろにも、
どちらにも動くことができる状態。
最も安定し、力強い状態です。

その状態で、目の前の問題に向き合うことで、
私達は最善の一歩を
自ら決めることができます。

雨雲を避けるがあまり雨雲に巻かれて
次の一歩を判断するか?
青空を思い出し、ニュートラルな状態で
次の一歩を判断するか?

目の前の現実は同じ。
しかし心の状態の違いによって、
私達の人生の展開は
大きく変わるのです。

揺れ動き、恐るるに足らず。
それが私達の心の真実です。

つづく

2011年10月26日

8次元の愛 86 〜水の視点

川が海に変わる場所。
つまり「河口」と言われる場所。
そこには劇的な変化があります。

水になった気持ちで、
川の上流から流れるイメージをしてみてください。

最初は細い流れかもしれません。
流れは激しくなったり、穏やかになったりを
繰り返すでしょう。
障害物があるかもしれません。
しかし、水は
必ず上流から下流へと流れていきます。

川幅や川岸の向こうに見える世界は変われども、
川はどこまで行っても川です。
水は必ず
上流から下流へと流れ続けます。

「水」にとっては、
それが「人生」でした。

ところが、
ついに「水」は河口にたどり着きます。
これまで必ず両側に「岸」が存在しており、
必ず一方向に流れ続けていた世界が
そこで途切れます。

視界は一気に開けます。
それはまるで「無限」を思わせます。

川に終わりはありますが、
海に終わりはありません。

「水」は戸惑います。
私はこれからどこに向かって
流れて行けばよいのだろうか?
私は、どこから始まり
どこで終わればよいのだろうか?

そこで「水」は初めて気づきます。
あぁ、そう言えば、私は「水」だった。
私は自分のことを「川」であると
思い込んでいた。
私は「水」だったのだ。
「水」に終わりはない。
「水」は永遠に流転し続ける。
・・・と。

永遠の眼差しを思い出した「水」は
改めて自分に問います。
さぁ、私はこれからどこに行こうか?
さぁ、私はこれから何を目指そうか?

永遠の眼差しを思い出した「水」は
そこに「自由」を感じました。
それは、ちょっと怖いもの。
でも、心を開放するものでした。

今の私達。

それは、河口から海に飛び出す直前の水と
河口から海に飛び出した直後の水に
似ています。

「河口」という大きな境界の前後で
戸惑いながらも、
新たな世界に想いを馳せ、
恐怖と可能性を同時に感じている。
それが、今の私達ではないでしょうか。

多くの方々が気づき始めています。
自分は「川」ではなく、
「水」であったという事実を。
そして「水」の視点で、
これからの人生を観つめ始めています。

時代の転換点。

これから、
「川の時代」から「海の時代」に
私達は入って行きます。

そんな今だからこそ、
私達は、自分が何者であったかを
本当の意味で思い出すことになるでしょう。

自分自身を観つめる眼差しが、
今こそ必要でしょう。

つづく

2011年10月25日

8次元の愛 85 〜風と共に生きる

心の静謐(せいひつ)さと
心のパワーは比例します。

心が静かで穏やかであればあるほど、
奥底からパワーが湧いてきます。
静けさとパワーは一見、反するもののように思えますが、
それが私達の心の真実です。

パワーとは本来、押しつけるものではありません。
本当のパワーは、
人の心と心を流れる心地よい風のようなものです。
それはまるで高原の風のようです。

その風は、心の中の余分なものを
きれいに洗い流してくれます。
余分なものがなくなれば、
私達は自然に「もとのパワー」を取り戻します。

人は皆、「高原の風」を持っています。
それを思い出した人は、
自分自身の心の中で
その風がいつも気持ちよく流れるようになります。

・・・・・
世の中にも、風が吹いています。
もちろん、気持ちの良い風とは限りません。
立っていられないような暴風のときもあります。
私達は、風を受けながら、
いつも自分の居場所、立ち位置を探します。

自分は今、どこに立てばよいのだろうか?
と。

自分の立ち位置が明確にわかれば、
私達は安定して、そこに立ち続けることができます。
風にも向かい合えます。

しかし、わからずにオロオロしていると、
徐々に疲弊し、
風の圧力に耐えなれなくなってしまいます。

自分の本来の立ち位置に立てたとき、
私達の中に吹いている風と、
外から私達に向かう風は、
共に同じ方向を向き、
一つとなります。
そして私達は、
新たな風を、生み出すことができます。

立ち位置がわからないままでは、
それもできません。
世の中の風は、いつも自分に向かって吹き続けるもの、
という固定観念の中で生きていくことになります。

風を起こす自分になるためには、
自分の風と、世の中の風を合わせることです。
それは、決して迎合ではなく、
自分自身の風を活かす道です。

そして、さらにそのためには、
自分の中に、どのような風が吹いているか?
それを自らが見つけ、観つめることです。

「風」という視点で、
自分自身と向き合ってみてください。

自分の中には今、どのような風が吹いているでしょうか?
それは、本来の風でしょうか?
自分の本来の風とは、どのような風でしょうか?
どんなときに、それは吹きますか?
そして、いつも本来の風が流れ続けるために、
できることは何ですか?

つづく

2011年10月22日

8次元の愛 84 〜笑顔と夢中の、その先に

やり抜くこと、やり遂げること。
何がなんでも、そうしたいこと。
何がなんでも、貫くこと。

夢中になること、熱中すること。
どのような制約があっても、
どのような障害があっても、
どうしても向かいたいもの。

揺るがないもの。
これだけは外せないもの。

すべてがなくなったとしても、
必ず最後に残るもの。

自分にとって、
かけがえのないもの。
笑顔の溢れるもの。

魂が、笑うもの。

さて、
それは何でしょうか?

それを、
いつも大切にしていますか?

それを、
どのように大切にしていますか?

・・・・・
この世には、
計り知れないエネルギーが満ちています。
私達は、そのわずか1%も、
いえ、0.1%も
使っていません。

もし0.1%が、0.2%になるだけでも
この世の何かは
大きく変わるでしょう。

私達は、無尽蔵とも言えるエネルギーと共に
生きています。
ただ、
その存在を知りません。

なぜならそのエネルギーとは、
私達の心の内側から外に向かって
放たれるものだからです。

エネルギーを外へ外へと求め続けた
これまでの私達には
残念ながら、決して
思い及ばなかったものです。

そのエネルギーとは、
人が生み出すパワーと言ってもよいでしょう。
正確には、
人が引き出す、源(ソース)のパワーです。

・・・・・
3次元世界にあるほとんどのものは
使えば、枯渇します。
もしくは、意図的に「再生しよう」としない限り
いずれかは、枯渇します。

しかし私達人間から生まれるパワーは
決して枯渇することのない
無尽蔵のものです。
それを思い出し(そう、本当は私達は皆、知っています)、
引き出すためには、
私達自身がそのパワーを
実感する必要があります。

・・・・・
私達と源(ソース)はつながっています。
つながる、というよりも
一致しています。
人の力とは、本来は
源(ソース)の力そのものです。

そして、
私達の心の反映として
3次元の現実は創られていきます。

「人はエネルギーを消費するものである」
という価値観に基づき、
3次元世界に存在する「限りあるもの」を
争奪し合うという今の世の在り方は
人の本質を見誤っています。

人は、
源(ソース)と3次元世界の架け橋です。
人がいるからこそ、
この3次元世界にエネルギーが溢れるのです。

それが本来の人の役目。
それを思い出すときです。

そのためには、
自分自身が、魂から笑顔になれること、
どのような障害があったとしても、
夢中になれること、
とことん、それらに向かうことが
一番の早道です。

とことん、です。
自分自身をパワーの塊とするのです。

まずは、そこから始めませんか?

つづく

2011年10月19日

8次元の愛 83 〜社会の進化

太古の昔、
今のこの文明が始まったばかりの頃に
人類が抱いていた幸せと、
今の私達が抱いている幸せは、
何が違うでしょうか?

共通部分はあるのでしょうか?

どちらの人類の方が、幸せでしょうか?

正常な進化を遂げているのであれば、
私達の幸せも進化しているはずです。

人間は、人間らしく生きているでしょうか?
正常な進化を遂げているのであれば、
私達は、より人間らしくなっているはずです。

今の私達の姿。
それは、正常でしょうか?
異常でしょうか?

私達は、自然な進化を遂げているのでしょうか?

・・・・・
「自分らしく生きる。」

この一言を投げかければ、
ほぼすべての人が
「そうありたい」と言われます。

私達にとっては、共通の欲求です。

昨日よりも今日、
今日よりも明日、と
「自分らしさ」が増していく人生は
幸せです。

幸せにもいろいろあり、
自分らしい幸せを得たいと、
誰もが願っています。

多種多様な幸せが存在している。
そういった意味では、
私達人類は、進化しているかもしれません。

しかし、本当に自分らしく
私達は生きているのでしょうか?
太古の昔の人類よりも、
自分らしさは増しているでしょうか?

・・・・・
自分らしさとは、
自分自身の心が開放されているときに
発揮されます。

いえ、さらに正確に表現すれば、
自分自身の魂が開放されているときにこそ
発揮されます。

太古の人類は恐らく、
自らの魂に素直に生きていました。
今の私達は、
魂よりも、心に素直に生きているか、
もしくは、心にさえ素直に生きていないか、
どちらかのような気がします。

・・・・・
心と魂を抑えることで、
人間らしさも失われます。

人間らしさの一つとは、
「社会を構成すること」です。

社会を構成することで人間らしさを失うのではなく、
社会を構成することこそが、
人間らしさを育てます。

もし、人間らしさを育てない社会があるとすれば、
それはその社会そのものに問題があるということです。

「社会」とは、
「一つに戻る」ためのステージです。
私達人類は、「一つ」に戻ることを魂の願いとしています。
その願い実現のために、
社会とは、なくてはならないもの。

ですから私達は
社会を創って来ました。

一つの社会を創っては壊し、
壊しては創り、
思考錯誤を繰り返してきました。

そして今、
何度目かの「社会の破壊」を
私達は行なおうとしているようです。
ただしその「破壊」とは、
世界規模のものであり、
この文明始まって以来の
大規模なもののようです。
そして言うまでもなく、
その「破壊」とは、
次の社会の「創造」のためのものです。

破壊の方向に向かうとき、
私達は皆、恐れを抱きますが、
それも人間らしさの一つでしょう。

恐れの向こうから現れる、
私達の本当の願いを
今は見つけ、
観つめるときです。

これまでの私達の進化が
正常なものであったか?
それとも、異常なものであったか?

それは、これからの私達が
どのような社会を創り上げるかによって
決まってきます。

つづく

2011年10月18日

8次元の愛 82 〜存在の眼差し

砂浜にはいったい何粒の砂があるのでしょうか。
一つ一つはただの細かい粒ですが、
よ〜く観ると、
ただ一つとして、全く同じ形をした粒は
ないでしょう。
それぞれの粒には、
それぞれの表情があります。

砂浜から海に目を転じてみましょう。
そこには、延々と大海原が広がっています。
海は神秘の世界です。
その奥に何が存在しているのか。
私達人類は、まだまだ把握できていないそうです。

見上げれば、空があります。
空の彼方の宇宙のことも、
私達人類は、ほんのわずかしか解明できていません。

私達が住むこの世界は、
よくよく観ると、
神秘だらけです。

神秘は、私達自身にもあります。
私達はなぜ「私達」なのでしょう?
私達はなぜ「心」を持っているのでしょう?
嬉しいことがあれば、「嬉しい」と感じ、
つらいことがあれば、「つらい」と感じる。
この「心」とはいったい何なのでしょう?
なぜ「心」という現象が起きているのでしょう?

・・・・・
私達は、旅をしています。
「人生」という旅です。
そこには、様々な神秘が待っています。

ところが、旅というのは魔物です。
旅を続けるうちに、
神秘を「神秘」として受け取る純粋な眼差しを
私達は忘れてしまうことがあります。

それが、
そこにあるのが、
当たり前。

そうなると、それはもう
「存在」
ではなくなります。
私達の中から、それは
「存在」という価値を失ってしまいます。

「存在」ではなくなった「それ」は
いったいどうなるのでしょうか?

現実世界と言っても、
すべては、私達の脳が感知している世界です。
「存在」ではなくなった「それ」は、
「無」となります。

「無」は「創造」をしません。
「無」は「進化」をしません。

私達の意識の中で、
「砂浜」や「海」や「空」がすべて
「無」となってしまったら、
恐らくそれらのすべては、
本当にこの現実世界から消えてなくなります。

すべては私達の心の反映です。

私達が、
そこにあるものを「存在」として
感知する眼差しは、
世界を世界たらしめる
重要な、
とてつもなく重要な
真理の一つです。

だから私達は
世界をありのままに観ましょう。
目の前の人を
ありのままに観ましょう。

それらの行為が、
すべてを生かし、
活かします。

愛の本質とは、
ここにあるのです。

つづく

2011年10月17日

8次元の愛 81 〜一直線に生きる

最善の選択を
いつも私達は望んでいます。
最善を尽くせる自分を
私達は心の底で望んでいます。

最も善いと思えること。
それをし続ける人生には、
納得感が生まれます。

納得感は、心と行動の一貫性を生み、
一貫性は、魂を元気にします。

最も善いと思えること。
それは、私達の中の「誰」が
判断しているのでしょうか?

・・・・・
空に、飛行機雲が
一直線に走っています。
すがすがしいくらいに一直線です。
そのように生きることができれば、
私達は、どれだけ気持ちがよいでしょう。

空には障害物がありません。
だからすぐに一直線を引けます。
ところが、
私達の住む現実世界では、
日々、たくさんの障害物に囲まれています。
一直線を引くことよりも、
障害物を回り込む方が
楽なことも多いでしょう。

私達の現実世界は、
空のようにはなれないのでしょうか?
私達は
一直線に生きることはできないのでしょうか?

・・・・・
人は、もともとは一直線です。
しかしその一直線とは、
障害物があることで崩れる一直線では
ありません。

実は、
障害物が存在するからこそ
美しく映える
一直線なのです。

障害物を「障害物」として捉える解釈。
それが、私達の一直線を崩します。

では、障害物とは
本当は何でしょうか?

・・・・・
障害物とは、本当は
「ただの存在」
です。

ただそこにある存在、です。

障害物により私達は苦しむかもしれません。
迷うかもしれません。
しかしそれらも、一つの存在。
「苦しみ」「迷い」という存在に過ぎません。

「一直線を引けない」という事実。
それすらも、一つの存在です。

すべてが「一つの存在」と観たとき、
さて、
私達は、どんな一直線を引きますか?

どんな一直線を引きたいですか?

・・・・・
すべての「存在」を内包した一直線。
私達は、
そんな一直線を引くことのできる
唯一の存在です。

私達人間は、
私達自身の価値を
もっと知る必要があります。

最善を決めるのは
私達の中にある
真の「一直線」です。

そうです。
「一直線」とは
すでに私達の中に
できあがっているのです。

つづく

2011年10月10日

8次元の愛 80 〜人生を生ききったAさんへ

燃え尽きるまで生きたい。
その欲求を、
私達は心の根底に持っています。

寿命は人それぞれです。
長い、短いの問題ではなく、
限られたその時間で
完全燃焼したいと、
私達は心の根底で願っています。

完全燃焼できるかどうか。
そのカギは、どこにあるでしょうか?

・・・・・
空を見上げると、
太陽があります。
太陽はいつも燃えています。
しかし、太陽には黒点があります。
その部分は、光を放っていません。

人の魂にも、必ず黒点があります。
実は、
完全燃焼できるかどうかは、
その黒点と、
どう向き合うかによって決まります。

黒点は
「完全燃焼を阻害する原因」
ではありません。

黒点は
「進化の芽」
なのです。

黒点があるからこそ、
光は平衡状態から開放され、
より明るく深く輝きを進化させる
原動力を得るのです。

平衡状態とは、衰退を意味します。
すべてが完璧な状態が「完全」ではありません。
「不完全」を含むものこそが、
実は「完全」です。
不完全があるからこそ、
それは
「完全にそこに存在する」
ことができるのです。

「存在」とは「進化」です。
「進化」のない「存在」はありません。
「進化の芽」のない存在は、
やがて消えゆくものとなります。

魂に存在している「進化の芽」。
それを、ありのままに観つめる眼差し。

その眼差しを持ち続ける人こそが、
完全燃焼の人生を
生ききることができるでしょう。

生ききる人生。
それはとても美しいものです。

つづく

2011年10月09日

8次元の愛 79 〜心を持った私達

矢継ぎ早に現れる現実に
私達の心は揺れ動かされます。
受け止めることのできる現実もあれば、
到底、受け止め切れない現実もあります。
しかしそこから逃げても逃げなくても、
現実は、
今、目の前にあります。

矢継ぎ早に現れる現実に
揺らされる心を
平静にしようと努力する私達がいます。
しかし努力すればするほど、
心は根底で揺れ動き、
私達の中から不安定さが消えることは
残念ながらありません。

心とは、揺れ動くもの。
心とは、不安定なもの。
心とは、心もとないものです。

強き心を創り上げるのが、
私達の人生の目的ではありません。

心もとない心を、
あるがままに受け止める自分になることが、
私達の人生の目的の一つであり、
私達の本当に望む人生への一歩です。

心の強さを、求めないでください。

心を、弱いままにしてあげておいてください。

心を、そのままにしてあげておいてください。

それができれば、
その心を見守る眼差しの「もと」に
自分自身が立っていることを
私達は発見するでしょう。

それこそが、「私」です。
本来の私です。

本来の私とは、
自分自身の心を見守る存在です。

本来の私に戻ることで、
私達は、心が揺れ動いても揺れ動かなくても
「今の心」を
完全に活かしながら、
生き続けることができます。

人は、心を持って生まれて来ました。
ならばその心を
存分に味わい尽くしましょう。
存分に活かしきりましょう。

それが、
人としての幸せではないでしょうか。

つづく

2011年10月05日

8次元の愛 78 〜一つ一つの継続

このブログを日記形式ではなく、
メッセージ発信の場として捉え直し、
連載シリーズを開始して
早くも今日で一年です。

今は4つ目のシリーズですが、
すべてのシリーズを合わせますと、
すでに150回を超えています。
なんだかんだと、
2日に1回に近いペースで
発進し続けたことになります。

面白いのは、
始めた当初よりも、今の方が
「ネタはないのに、湧き上がるものがたくさんある」
ということです。
これが、継続の力というものでしょうか。

継続というのは確かに力があります。
やり続ける。
動き続ける。
というのは、その行為自体によって
パワーを高めます。
もしそれが、魂の願いにつながることであれば、
継続を通じて
パワーの次元も高まって行きます。

ところが、
継続って結構難しいですよね。
「継続しよう」と思っても
できないことも多いです。
むしろ、継続を考えず、
「目の前の一歩のみを観続ける」
「目の前の一歩に集中する」
ことで、結果として
継続が成されることも多いようです。

私達の魂は
「今」
をとても大切にしています。
「今にすべてを注ぐ」
ことができると、
とても喜びを感じます。
その、魂の喜びを満たし続けることが
継続につながるのかもしれません。

そして、次のようなことも言えます。
人は、「空っぽ」になることを恐れます。
自分の中にあるものをすべて出し切ってしまうと、
自分には何もなくなってしまうのではないか、と。
ですから、継続のために
「小出しにする」ことを考え始めます。
ところが、小出しにすることで
継続が苦しくなることは
想像以上に多いのではないでしょうか。

1回1回、一つ一つ、
「すべてを出し切る」という継続を
体験してみませんか?
これ、結構面白いです。
すべてを出し切ると、もう後はなさそうなのですが、
その「後」がまた出てくるのです。
自分でも思いもよらぬ「後」が出てくるのです。
「空っぽ」の状態こそが、
私達自身の「無尽蔵」を引き出してくれるようです。
そしてその経験は
「自分」の捉え方を大きく変えてくれます。

一つ一つ、すべてを出し切るからこそ
生まれる継続。
今の時代に、
最も必要なものかもしれません。

つづく

2011年10月02日

8次元の愛 77 〜炎を見つめる

炎を見るとき、
まず私達は何を感じるでしょうか?

それが焚き火のような炎であれば、
やすらぎを感じたり、
仲間との団らんを思い出し、
少し幸せな気持ちになるかもしれません。

しかし、例えば火事のように
手のつけられない燃えさかる炎を見れば、
私達は恐怖を感じるでしょう。

同じ炎なのに、状況や大きさが変われば
私達の捉え方は180度変わります。

さて。
私達の中には、私達の炎があります。
それは時には穏やかに闇を照らすこともあれば、
時には、自分でも手のつけようもなくなるくらいに
激しく燃え上がることもあります。

私達自身の炎。

まずは、その存在を感じますか?
もし感じたならば、
それは、どのような炎として映りますか?

それは怖い存在ですか?
居心地のよい存在ですか?

その炎とは、何ですか?

・・・・・
生きる、ということは、
炎を燃やし続ける、ということです。

炎とは、命そのもの。

その時その時の命の在り方により、
炎は姿や形を変えます。

「私は、自分の命をこのように燃やし続けたい。」
そのような願いは
誰もが持っています。

自分自身の炎を見つめたとき、
それが、自分の望む姿・形であるか?
それが、自分自身であると思えるか?
ここはとても重要なポイントです。

そして、炎を見つめる眼差しを持ち続けたとき
私達はいつか、その炎の「もと」を
見つけることができるでしょう。

その「もと」と向き合うことで、
私達は自分自身の
無尽蔵の可能性を知ることができるのです。

つづく

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