こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年11月29日

8次元の愛 106 〜願いの和の時代へ

願いは叶うものです。

叶うものが
「願い」として認識されるからです。

もし叶わないのだとしたら、
叶うことを阻害している
自分自身の心が
そこにあるはずです。

もしくは、
それは本当の願いではなく、
自分が「願いである」と
思い込んでいるものでしょう。

本当の願いのことを
「真本音の願い」と表現すれば、
真本音の願いは
必ず叶います。

それが自然の流れであり、
宇宙の摂理であると言っても
よいでしょう。

・・・・・
真本音の願いだな、と
自分で思えるものは
人に語るとよいです。

語っているときに、
淀みが出るようでしたら、
それはまだまだ真本音ではありません。
ただし、
あきらめることもありません。
その願いのさらに奥に、
本当の願いが隠れていることがありますから。

語っているときに、
まったく自然で、ニュートラルで、
何の淀みもない自分であれば、
それは真本音の願いです。
真本音の願いは、
人に語ることでさらに明確化し、
さらに実現が近づきます。

人と、きちんと向き合って
語ってみてください。
向き合うからこそ
わかることがあり、
向き合うからこそ、
進むことがあります。

・・・・・
今、抱いている自分の願いが
本当かどうか?
自信がなくても、まずは
語ってみることをお勧めします。

自信がなくとも、
語ることで、
「自分が確信している」ことに
気づくケースもあるのです。

いずれにしましても、
「願い」だと思えるものを
自分の胸の内だけに留めておくことは
非常に勿体ないことです。

願いとは、語るもの。

それくらいに考えておくと
よいでしょう。

・・・・・
「願い」に年齢は関係ありません。
「願い」に性別は関係ありません。
「願い」に環境や境遇も、立場も関係ありません。
条件も、制約も、障害も
一切関係ありません。

「願い」は「願い」です。

自分の願いを「願い」として
大切にし、発信することで、
私達の人生は、光り輝き始めます。

願いが叶うかどうかよりも、
願いに向かっている今この瞬間に、
私達は至福を感じます。

そして、その道を歩み続ける結果として
願いそのものが深化したり、
自分自身が成長したり。・・・
必然的に起こるそれらの現象が、
大きな喜びともなります。

何よりも、
願いに真剣に向かう人の周りの人達が
大きな影響を受けるでしょう。
一人の「願い」は、
別の人の「願い」を刺激し、喚起します。

願いの相乗効果が起こり、
願いの紡ぎ合いが起こり、
願いの和が生まれるでしょう。

真本音の時代とは、
「願いの和」の時代です。

つづく

2011年11月28日

8次元の愛 105 〜幼い頃の願いを

幼い頃に抱いた願いを
覚えていますか?

まだ、人生の経験がほとんどない頃。
世の中がどういったものか、
ほとんど知らなかった頃。

そんな時期に抱いた願いを
覚えていますか?

幼いが故に、
「未熟だ」
とは、思わないでください。

未熟だからこそ、
深いところから
湧き出るものもあります。

未熟だからこそ、
本質を掴むこともできます。

すべてを、あるがままに捉える
こともできるのです。

少子高齢化のこの時代。
若い人達、子ども達の数は減っています。

しかし彼らの感性は宝です。
彼らと向き合うことは
これからの世の中を創る上で、
なくてはならないことです。

彼らこそ、
本当の答えを抱いている可能性が
あるのです。

幼い頃の自分こそが、
本質的な答えを顕在化していた
可能性があるのです。

これからの時代を創るのは、
私達、大人だけではありません。
若い人達や、子ども達と共に
進んで行くことが、
極めて大切です。

そんな時代です。

・・・・・
私達には
「やりたいこと」が
あるでしょう。

「やりたいこと」の
何%くらいを
実際にやっていますか?

それが100%に近くなるほど、
私達は元気になります。
(当然ですが。)

そして、100%に近くなるほど、
次の「やりたいこと」が
見つかります。

その「やりたいこと」は
最初の「やりたいこと」よりも
深い気持ちに基づいたものに
なりやすいです。

なぜなら、私達は多くの場合、まずは
「満たされないものを満たすために、やりたいこと」
に向かいやすいからです。
そして、それを続けるということは、
「満たされなかったものが、満たされていく」
ことになります。
その結果として、
「すべてが満たされても、さらにやりたいこと」
が浮上してきます。

それが、
「真本音でやりたいこと」
ですね。

真本音でやりたいことに向かう人は、
心が非常にスッキリします。
軽やかになります。
穏やかになります。
そして、
パワーが溢れるようになります。

そしてそれは、
自分の使命につながります。
人生をかけて、
自分が向かいたいことに
つながります。

そして、案外それは、
幼い頃に抱いた願いに
つながっていたりするのです。

・・・・・
私達人間は、ある意味
単純な生き物です。

純粋な自分の願いに向かえば
元気になるのです。

ただ、それだけのこと。

なので、
純粋な自分の願いを
思い出しましょう。

それは、誰もが必ず
抱いているものですから。

つづく

2011年11月27日

8次元の愛 104 〜進化への変化

年を重ねる、ということは
どういうことでしょうか?

私達は一日、一日、一年、一年、
年を重ねています。

一日の時間を過ごすことで、
私達の中には、
何らかの変化が起こります。

昨日までの私と、
今日までの私が、
まったく寸分違わずに同じ、
ということはあり得ません。

私達は着実に、
変化を続けています。

年を重ねる、とは
変化を重ねる
と言ってもよいでしょう。

変化を重ねることが
人生である、
とも言えます。

・・・・・
では、「変化」とは何でしょうか?

「変化」とは、変わること。
つまり、これまでとは異なる状態に
移ること。
ほんのわずかでも、
状態にわずかな違いが生じれば、
それは、変化と言えるでしょう。

そう考えますと、
逆に、変化をしないこと(もの)なんて、
この世に存在するのでしょうか?

この宇宙とは、
「変化するものの集合体」
ではないでしょうか?

・・・・・
ところで、
「進化」という言葉があります。

「進化」と「変化」とは、
どのような関係でしょうか?

これまで私は、
変化の中の一形態が、進化である
と思ってきました。
そのようにお考えの方は
多いのではないでしょうか。

しかし、どうやらそれは
逆のようです。

つまり、
「進化」の中の一形態が、
「変化」だと言うことです。

・・・・・
もともと、宇宙とは
進化し続けているものです。

それが自然の姿。

一見、退化しているように見えたとしても、
それは、「その一部分のみ」を
見ているからです。

全体で捉えれば、
すべては、
いついかなるときにも
進化し続けています。

逆に言えば、
あらゆる「存在」とは
「進化」しているが故に、
存在している、
ということになります。

そしてその中に「変化」があります。

・・・・・
「進化」とは、
「一つ」に向かう流れ。

源から分離した「存在」が、
源(=一つ)に戻ろうとする
自然な流れです。

その大きな流れの中で、
様々な「変化」が起きています。

そしてその流れに
完全に身を委ねることができたとき、
私達は、そこで初めて
「変化しないもの」
を実感できます。

実は、
「変化しないもの」は
たくさんあります。

本当に「変化しないもの」を
実感できたとき、
私達は、心の深奥からの
「やすらぎ」や「安定」を
得ることができます。

進化の流れは
今、ここにあります。

一日、一日、
その流れに身を委ねる自分でいること。
その「変化」が、
私達の本当の「進化」につながります。
私達の本当の「安定」につながります。

そうです。
進化こそ、安定なのです。

つづく

2011年11月24日

8次元の愛 103 〜自分と向き合う法A

言葉を超えた発想、
というものがあります。

経験ありませんか?
明確な言葉にならずとも、
何らかの発想が自分の中にある、
という実感。

自分のほしい答えは
もう既にそこに明確にあって、
それは実際に観えているのに、
それが何かわからない。
でも、確かに
それはそこにある。
自分は、答えを掴んでいる。
という実感です。

そういったものが
実は私達の心の中には
たくさん存在しています。

答えはわかっているのに、
そこにあるのに、
まだわかっていないと
思い込んでいる。
そんな方々をよく拝見します。

何かの答えを知りたいときには、
まずは、
自分自身の中心に訊くとよいでしょう。

「もう、私には答えがわかっていますか?」

その問いに対して、何となくでも
わかっているような気がする、
のであれば、答えはもう
在るのです。
それも明確に。

・・・・・
心の探検は、面白いものです。

ただしそれが
自己満足になってしまっては
なりません。

自己満足とは、
心の内側ばかりに目を向けること。
肝心の「現実」からは逃避することです。

3次元世界の「現実」に向かうことで
必然的に起こる心の動きを
つぶさに観察するのが、
本来の心の探検です。

「現実」と「心」はセットです。
一方だけに偏った目線は、
妄想の世界を引き起こします。

一つの「現実」をあるがままに認識し、
それにより、
心の中にどのような「反応」が起きているのか?

その「反応」の奥には、何があるのか?

さらに、その奥には、何があるのか?

さらに、その奥には、何があるのか? ・・・

奥の奥まで入り、そして、

そのとき見極められる最奥の自分から、
「現実」をもう一度観察すると、
何を感じ、
何を思い、
何をしたいと願うのか?

そういった向き合い方をします。
そのやり方により、
私達の「魂」と「現実」の
コラボレーションが起こり始めます。

・・・・・
そのとき見極められる最奥の自分のことを
「真本音」と言います。
これは、現時点の自分の中では
「最も揺るがない自分」です。

いつも真本音を観つめ、
真本音の判断に基づき生きることにより、
真本音はさらに「深化」し、
さらに「揺るがない自分」として
物事の判断がつくようになります。

「最奥の自分」とは、
「最も中心に近い自分」です。

最も中心に近い自分を大切にすればするほど、
私達は、「魂の判断」で生きることができます。

それは必然的に、
自分の本当の願い、
自分の本当の使命、
自分の本当の生き方、
に基づいた判断となるのです。

つづく

2011年11月23日

8次元の愛 102 〜流れ続けるものを

宇宙には、無限とも言える星々が
存在しています。
もしその一つ一つの星を巡る旅をしたら、
いったいどれだけの年月がかかるでしょう?

宇宙を見上げる私達の眼差しは、
3次元の眼差しです。
3次元の眼差しで宇宙を見上げれば、
そのように見える、
ということになります。

もし私達が4次元以上の眼差しを
手に入れることができたとしたら、
宇宙も全く違った様相を見せるでしょう。

3次元とは、
縦×横×高さ
で成り立つ世界です。
その尺度内ですべてを捉えようとすると、
今の宇宙の「カタチ」となるのですね。

しかし高次元の眼差しから見れば、
ひょっとすると宇宙は
単なる「一点」に過ぎないかもしれません。

そしてその「一点」が
無限に存在しているかもしれません。
そしてさらにその「無限」も、
さらなる高次元から見れば、ただの一点で、
その一点も、さらに無限に存在しているのかも。

こういうことを考えていますと、
頭が混乱してくるかもしれません。
どこまで思考しようとも、
私達が3次元の眼差しから離れることは
できません。
しかしそれでも、高次元の眼差しに
想いを馳せれば、
私達の心には、特有の混乱と
刺激が生まれます。

人間とは、
本来は、3次元という狭い世界に
収まる存在ではありません。

しかしあえて、
その狭い世界に収まる意志をもって
生まれてきた私達がいます。

その意志を尊重するとともに、
なぜ、私達はここにいるのか?
その根本的な問いを
自身に投げ続けることも重要です。

・・・・・
今のこの時代は
「物質文明」
と、よく表現されます。

物質文明とは、
3次元世界における「現象」を
最も重要視する文明である、
とも言えます。

それが良いかどうかは別として、
「物質」とは固形化されたもの。
固形化されたものに目が行き過ぎると、
私達の心も、だんだんと
固形化されることは必然です。

その物質がなぜ、
そこに存在しているのか?
物質という「現象」の奥にある「流れ」に、
意識が向かうとよいなぁ、
と思います。

本当はその「流れ」こそが重要で、
その「流れ」を観ることで、
その物質の本来の意味がわかります。

物質を追究するのではなく、
その流れを追究することで、
私達は、固形化された物質文明を超える
新たな物質文明を創造することが
できるかもしれません。

それが、3次元世界の進化となるでしょう。

・・・・・
「流れ」はいつも、
ここにあります。

それは「宇宙の流れ」であり、
「自然な流れ」であり、
「進化の流れ」です。

それを感じ取れる感性を
私達は
誰もが持っています。

ただ、そこに視線を
向けるか、向けないか?
それだけのこと。

そんな目で夜空を見上げれば、
ちょっと違った感覚で
宇宙を捉えられるかもしれませんね。

つづく

2011年11月22日

8次元の愛 101 〜自分と向き合う法@

やわらかい日差しの中で、
まどろんでいる自分を
イメージしてみてください。

その自分そのものに
なってみてください。

そして、
すべての思考をストップします。

心の目線は
自分のおへその奥の方。
つまり、体の中心に
向け続けます。

その状態でしばらくいます。

2,3分でもよいですし、
5分くらいでもよいです。

これを、思い出したときに
続けてください。
仕事の合間でも、
寝る前でも、
朝起きたときでも。

ただ、必ず毎日続けてみてください。

これが
自分自身と向き合う基本型です。
これを続けることで、
自分の本当の気持ちがわかったり、
高い次元の自分の意思が
理解できたりします。

・・・・・
日常生活の中で、
私達の心の目線は、いつも揺れています。

私達はいつも落ち着かず、
外に意識を向けたり、
中に向けたり、
右往左往を繰り返しています。

それが当たり前のようになると、
最も大切な「自分自身」と
向き合うことを忘れてしまいます。

ほんのわずかな時間でも
「自分自身」と向き合う時間を
持つか否か?
1分でもそれをするのか、
全くゼロなのか。
その違いは、大きいです。

「自分自身」と向き合うのは、
実に簡単なこと。
簡単なことであれば、
ぜひ、やり続けましょう。

・・・・・
「自分」とは、どのような人間か?
それを誤解している人が
多過ぎます。

「自分」のことは
自分が一番わかっていない。
と言われますが、
本当にそうです。

私達は、
自分の本当の魅力や
自分の本当の個性を
もっと知った方がよいでしょう。

その第一歩は、
自分の中心から、どのような声が
聴こえてくるか?
自分の中心から、どのような映像が
浮かんでくるか?
自分の中心から、どのような感覚が
伝わってくるか?
それらと向き合うことです。

上記の方法、
毎日続けますと、
気持ちよいですよ。

お勧めです。

つづく

2011年11月21日

8次元の愛 100 〜光の願い

暗闇の中に、
一点の光。

それが、今の私達です。

光はまだ弱く、
何物をも照らすことはできません。
しかし、
確かにそれは
輝き続けています。

その光が消えることは
ありません。

弱くとも続くもの。
それが私達の力の一つです。

闇は、怖いですか?
闇は、不安ですか?
闇を、避けたいですか?

残念ながら、
私達の周りはすべて
闇に見えます。
それはそれ。
一つの事実として
受け取るしかありません。

しかしよく目を凝らして
観てみてください。
闇の中に
浮かび上がるものがあります。
それは確かにそこに
存在しているもの。
「実在」です。

今の私達にすべての「実在」を
認識する力はありません。
闇は闇としてしか
見えないかもしれません。
しかしそれは
確かにそこに「実在」しているのです。

その存在を感じたら、
そう感じている自分を信じ、
そこにまっすぐな目を
向けてみましょう。

すると、
これまでただの闇だと思っていた世界に、
実に様々な存在と、
可能性と、
可能性を紡ぐ芽が
無限に広がっていることが
わかるはずです。

・・・・・
どうあがいても、
私達が「光」であるという事実は
揺るぎません。

事実を知ること。
事実を受け取ること。

それが、今の私達には
必要です。

性善説とか性悪説とか
そういったものをすべて飛び超えて、
人とは、
私達が思っている以上に
凄いものです。
凄まじいものです。
驚くべき存在です。

私達自身が
そういった存在そのものであることを
そろそろ受け取ってもよいでしょう。

・・・・・
闇があるからこそ、
光は光として存在できるのかも
しれません。

しかし、
光があるからこそ、
闇は闇であることを知ります。

そして光という存在は、
闇の中身をあらわにします。
闇に向かう光の恐怖と同じくらい大きなものを
闇も抱えています。

闇も、光が怖いのです。

しかし、
光と闇が、
実は、相対するものではないということを
お互いが知ったとき、
それらは、一つに
融合されます。

そしてすべての「実在」が
本来の姿を現わします。

光と闇は闘うものではなく、
融合し合うもの。
一つになるもの。
それをよく知っており、
そのための一歩を踏み出す勇気を持った存在、
それこそが、光です。

光の本質とは、勇気です。

・・・・・
私達は、光です。
私達は、勇気の存在です。

つづく

2011年11月17日

8次元の愛 99 〜決断のために

無数の選択肢が、
私達の目の前にはあります。
いくつかある中のどれかを
私達は選び、生きています。

一つの選択肢を選ぶということは、
他の選択肢を断つ、
ということになります。

他を断って、一つに決める。
それが、決断です。

決断とは、勇気の要ることです。
時には、腹をくくる必要もあります。
決断すべき時にそれができないと、
選択肢の数は、
どんどん減少します。

・・・・・
決断には、二つの段階があります。

一つは、
「今、決断すればよいかどうか?」
の決断です。
もう一つは、
「どの選択肢を選ぶか?」
の決断です。

実は、特に重要なのは
一つ目なのです。

今、決断すべき時なのか?
それとも、そうではないのか?
それを見極めることができれば、
人生はもっともっと楽になるでしょう。

今、決断すべき、ということが
確信をもってわかれば、
その瞬間の自分自身の素直な気持ちを
尊重すればよいだけのことですから。

・・・・・
物事には、
はっきりわかることと、
はっきりわからないこと、
があります。

はっきりわかることは
はっきりさせ、
はっきりわからないことは
わからない、という事実を
受け入れます。

これは、現時点での「状況」についても、
自分自身の「心(気持ち)」についても
言えることです。
現実と向き合う基本は、
ここにあります。

わかるものとわからないものを
明確にし、
与えられたそれらの条件の中で
私達は、一つを決めます。

・・・・・
私達の魂は、
いつ決断すればよいのかを、
誰よりもよく知っています。

そして決断の「時」を大切にする
生き方を続けている人には、
その「時」には、
必ず心をクリアにしてくれます。

心はいつもクリアである必要はありません。
混沌としている心の状態は、
とても大切です。

「混沌」とするからこそ、
その後に、本当の「クリア」が来ます。

「混沌」とは、
最善の決断をするための準備です。
ここでしっかりと
「混沌」とし尽くすことで、
その後の決断の時に
魂は最高の「クリア」を
プレゼントしてくれます。

このコラボレーション。
魂と現実のコラボレーションが
望む人生を確実に創ってくれます。

「混沌」を恐れる必要は
まったくないのです。

・・・・・
同じことが、社会全体にも言えます。

今の世の中は混沌としています。
混沌を恐れ、
混沌から、とにかく逃避しようとするのか?
混沌を大切にし、
今のうちに迷い尽くすのか?

どちらを選択するかによって、
私達人類の進む道は
大きく変わります。

一人ひとりの人生に
決断の時があるように、
人類全体にも
決断の時があります。

一人ひとりの決断が
人生を創るように、
人類全体の決断が
歴史を創ります。

歴史の転換点を迎えようとしているのが、
今です。
今の私達は、皆、答えがわからずに
混沌としてします。

思いっきり、
そして、真剣に、
混沌とし尽くそうではありませんか。

つづく

2011年11月14日

8次元の愛 98 〜今この瞬間の私へ

ゆっくりゆっくりと、
時間は流れています。
着実に、間違いなく
時間は流れ続けています。

時間が一方向に流れ続ける、というのは
3次元世界特有の現象です。

ですから、
私達は未来を知りません。
未来を知ることができないところに
3次元世界の意義があります。

この世界で私達が学ぶこと。
それは、
「今この瞬間に生きる」
ということです。

ここでは、
過去も未来も「現実」としては
存在しません。
唯一の「現実」は
「今この瞬間」
です。

私達が生きるとは、
「現実」と向き合い、
「現実」に対して、
最善の一歩一歩を踏み出し続ける
ことです。

未来が観えない窮屈さの中でこそ、
私達はその生き方を
体得できます。

・・・・・
私達の心の中は4次元以上の世界です。
そこは、時間の流れからは
解き放たれています。
ここでは、私達は
過去にも未来にも行けます。

次元が高まれば高まるほど、
私達は解き放たれます。
解き放たれた心から
3次元の世界を観ると、
たいそう窮屈に感じられます。

その窮屈さに対して、
どう向き合うか、です。

窮屈だからと言って、
最初から諦めるか?
それとも、
解き放たれた心の意思を大切にし、
それを、少しでも実現しようと
し続けるか?

どちらが良いか、は明確です。
前者のように生きる人は疲れ、
後者のように生きる人は、活き活きします。
単純なことです。

・・・・・
今この瞬間に、
私は何を感じ、
何をしたいと思っているのか?

このシンプルな問いに
ありのままに
素直に答えること。

この問いをいつも大切にするだけでも
私達の心は解き放たれていきます。

3次元世界とは、
限界の世界です。
あらゆるところで、
限界を感じやすい世界です。

ところがその限界とは、
心の解き放たれ度合いによって
変化します。

一歩しか進めない人と
二歩進むことができる人。
その差は、最初はわずかです。

ところがそれが毎日積み重なると、
その差は、人生そのものを左右する
大きさとなります。

今この瞬間に、
どこまでどのように進めばよいのか?

その答えは、
自由な私達の心が
ちゃんとわかっています。

自分自身に興味を持ち続けましょう。
今この瞬間の自分に
意識を向けましょう。

それが、
自分を知る、ということです。

つづく

2011年11月11日

8次元の愛 97 〜始まりの灯

生まれたばかりの赤ちゃんの眼差しは
未知なるものに向けられた
興味の光を宿しています。

まだ何も観えないときから
観よう観ようとします。

それが私達の本来の眼差しです。

その眼差しに触れることで、
私達の心にはパワーが宿ります。

赤ちゃんに見つめられると
心が癒されるのは、
そんな理由もあるのです。

目の前の世界に
自分の意識のすべてを注いでいく。
それが赤ちゃんの眼差しであり、
人間の眼差しです。

愛のパワーは
目から目へと伝わるケースが多いです。
ほんの一瞬でも
目が合った瞬間につながり合える。
パワーの交感が為される。
それが本来の私達の力です。

私達は、赤ちゃんを愛していますが、
赤ちゃんから愛されてもいるのですね。

・・・・・
「勇気」と「希望」という言葉があります。
赤ちゃんの眼差しからは
この二つの言葉を思い出しませんか?

私達は皆、
勇気と希望を持ってこの世に
生まれてきました。

そして、
勇気と希望を持って生まれてきた赤ちゃんを
私達は、守ろうとします。
命を守るとは、
勇気と希望を守ることにもつながります。

・・・・・
今、世の中に
勇気と希望は、あるでしょうか?

勇気と希望を抱きながら生まれてきた私達は
勇気と希望の社会を
創り上げているでしょうか?

人生は、生きること自体に
勇気が要るかもしれません。
そして誰もが、
希望のない人生よりも
希望のある人生を望んでいます。

しかし、勇気と希望の社会を創り上げているか?
と問われると、
一瞬、戸惑う私達がいるはずです。

はい、そうです!

と、確信をもって答えられない私達がいるはずです。
勇気と希望を持って生まれて来た私達が
そうなってしまう理由は何でしょうか?

それは、環境が悪いからでしょうか?
生まれた時代が悪いからでしょうか?
生まれた国が悪いからでしょうか?
生まれた地域が悪いからでしょうか?
生まれた家族が悪いからでしょうか?
政治が、経済が、悪いからでしょうか?
あの人、この人が、悪いからでしょうか?

・・・・・
勇気と希望を持ち、
それに基づき生きている人は、
今、
確実に増えています。

時代は混沌としています。
あらゆるものが破壊される恐怖を
誰もが、心のどこかに
何となく感じています。

だからこそ、でしょう。

勇気と希望の灯が
一日、一日、・・・と
増え続けています。

その灯は、個人差はありますが、
どうやら、ほとんどすべての人達の
心の奥底で、
だんだんと、だんだんと
育まれているようです。

残念ながら、多くの人は
それに気づいていないようですが。

自分の中の灯に気づける人が増えるだけ、
人類全体の勇気も希望も
広がり、深まります。

自分の環境を嘆くよりも、
自分の灯に意識を向け、
その灯を育むために、
今のこの一瞬を生きていきたいですね。

私達は、全体の中の一部分ですが、
私達は、全体を抱く一つでもあります。

魂レベルで言えば、
私達一人の生き方が変われば、
全体に与える影響は測り知れません。

人類が70億を越えたこの時代にこそ、
私達は、人生を始めたあの瞬間の自分を
あの瞬間の灯を
思い出しましょう。

つづく

2011年11月09日

8次元の愛 96 〜一つのことを

震える心で
立ち続けなければならないことが
人生にはたくさんあります。

不安、恐怖、緊張・・・。
後から後から湧き出るそれらの心は、
「現実」が変わらない限り、
なくなることはありません。

ですから私達は「現実」に向かいます。

現実に向かう、とは
ある意味、
震える心に打ち勝つことかもしれません。

ですから私達は「強い心」を
求めます。

・・・・・
「必死」という言葉があります。
命を投げうつくらいの気持ちで
物事に向かっている状態です。

本当に必死になることで、
私達人間はとてつもない力を発揮すると
言われています。

ところが、本当の必死さとは
本当に追い詰められないと
出てきません。

これまで人類は、
「殺し合う」という歴史を
繰り返してきました。
ですから、本当に追い詰められる瞬間を
多くの人達は体験してきました。

それは悲しい歴史ですが、
その中で明確なのは、
人を追い詰めるのは、「人」である
という事実です。

その「人」とは、
「自分自身」であるかも知れません。
もちろん、「他人」であるかも知れません。
「状況」が人を追い詰めることもあるでしょうが、
その「状況」とは、多くの場合
「人」が生み出したものです。

・・・・・
追い詰められて、必死に生きる。
必死に生きて、強い心となる。
これまでの人類の多くの人生とは
そういったものだったかもしれません。

それをあえて
「反応本音の時代」
と表現します。

しかしこれから私達は
新しい時代に移り変わろうとしています。
新しい時代を
「真本音の時代」
と呼ぶことにします。

真本音の時代においての「必死」とは、
幸せなものです。

ですからそれはもう、
「必死」という表現が適切ではないでしょう。

私達は自然に、
自分の命の力を
「一つのこと」に注ぎ込むことが
できるようになります。

その「一つのこと」を
見つけやすい時代となるのです。

「一つのこと」に向かうのは、
とても楽しく、愉しいことです。
なぜなら私達人間は
そのための存在だからです。

私達の魂は
「一つのこと」を見つけ、向かうことを
望んでいます。
それは、「使命」と表現することもできます。

他から与えられた使命ではなく、
自分自身で決めている使命です。

使命に生きることで、
私達はこれまで「必死」に出していた力の
100倍以上、いや1000倍以上の力を
発揮することができるようになります。

使命に向かうことで、
「心の震え」は、
人生のスパイスとなります。

それが、真本音の時代です。

その時代に入れるかどうかは、
今の私達が
「一つのこと」を見つけ出せるかどうか?
に懸かっています。

もし「必死」に生きるのであれば、
自分にとっての「一つのこと」を
必死に探しませんか?

つづく

2011年11月08日

8次元の愛 95 〜美しい星へ

美しい人生とは、
どのような人生でしょうか?

そもそも人生に、
美しいとか、美しくないとか
あるのでしょうか?

あるとすれば、
それは誰が決めるのでしょうか?

自分自身に問うと、
どんな答えが浮かびますか?

私のこれまでの人生は
美しかっただろうか?

私の今の日々は、
美しいだろうか?

私のこれからの人生は
美しくなるだろうか?

どうすれば、
美しくなるだろうか?

美しさとは、
何だろうか?

・・・・・
先日、夜空を見上げたら、
そこに満月が浮かんでいました。
闇夜の中の、白い輝き。
その幻想的な佇まいに
美しい、と思いました。

ある日、新宿を歩いていたとき、
空が夕焼けに染まっていました。
そそり立つ高層ビル群のシルエットと
夕焼けの紫色のコントラストが
美しい、と思いました。

美しさを感じるとき、
私達の心は洗われる気がします。
美しいものに触れることで、
私達の心も、
その瞬間、美しくなれるようです。

美しさにもいろいろありますが、
その重要な要素の一つは
「調和」であると思います。

そして「調和」を生み出す「もと」は
「一貫性」です。

人の心の状態も、
物事の展開の仕方も、
一貫性が取れているかどうか?
で大きく変わります。

一貫性とは、明確さ。
明確なものが存在することで、
そこにある、あらゆるものは、
自分の立ち位置がわかります。
すべてが
自分本来の立ち位置に立てたとき、
そこに調和が生まれます。

調和させよう、と意図し過ぎると、
本来の調和は生まれません。
明確なものを明確にすることで、
自然発生するのが、
本来の調和です。

・・・・・
調和のとれた人生。
恐らくそれは、美しいものでしょう。

そのために必要なのは、
私達自身の一貫性です。

私達自身の中に存在している
明確なもの。
それは、何か?

それを
明確にすること、です。

すべての人が
本来は、一貫しています。

人は本来、
一貫性の塊、なのです。

人類全体に必要なのも
一貫性です。
それが、地球を美しい星にします。

そして言うまでもなく、
人類の一貫性とは、
私達一人ひとりの生き方(一貫性)に
すべて懸かっています。

つづく

2011年11月07日

8次元の愛 94 〜約束の世界

約束。

私達には、
自分自身との
約束があります。

自分自身の魂との約束です。

それを思い出す瞬間があります。

その瞬間、
私達は意図せずに、
その約束通りに
動いている自分を
発見するでしょう。

なぜ、私はあのとき、
あのように動いたのか?

それは、
約束があったからです。

・・・・・
多くの場合は、
その約束は顕在化されていません。
ですからそれを明確に覚えている人は
皆無と言ってもよいでしょう。

その結果、
約束の瞬間が来たのにも関わらず、
それを実行できない人も多いです。

心が淀めば、魂の声が聴こえなくなるのと同様、
約束も思い出せなくなります。

約束の実行ができなかった人は、
かなりのストレスに苛まれることになります。
それは、
自分自身を裏切ってしまったという
罪悪感の為せる業です。

自分自身を裏切ってしまう。
それは、とても悲しいことです。

・・・・・
しかし心配しないでください。
一度や二度、約束を果たせなかったとしても、
挽回のチャンスはいくらでもあるのが
人生です。

大切なのは、
約束を果たせなかった自分を認識すること。
そして、なぜ果たせなかったのか?
その理由と真摯に向き合うことです。
それができた人には、
すぐに挽回のチャンスが巡ってきます。

そして約束とは、
自分一人のものではありません。
自分がその約束を果たすことが、
周りの人達にも大きく影響します。

・・・・・
なぜ私達は、
自分自身と約束を交わすのでしょうか?

それは、
約束を果たし続けることで、
自分自身が最も望む人生を
創ることができるからです。

つまり約束とは、
自分の人生の願いへの
道標(みちしるべ)です。

・・・・・
人類全体で果たすべき約束もあります。
私達全員、
その約束も抱きながら生きています。

それを思い出している人も
増えています。

そして人類全体の約束とは、
一人ひとりの約束を
きちんと果たすことで、
自動的に成就します。

私達は全体の中の一人ですが、
全体を抱く一人でもあるのです。

世界は変われるのでしょうか?

はい。
一人ひとりが変われば、
世界は間違いなく
変わります。

約束を果たせるのです。

つづく

2011年11月06日

8次元の愛 93 〜未知の領域へ

未知の領域があります。
そこは、暗闇です。
中に何があるか検討もつきません。
さて、そこへ入って行こうか?
それとも、ここで引き返そうか?

これまで、
どちらの選択が多かったですか?

暗闇を、私達は恐れる習性があります。
得体の知れない何かが存在し、
その姿がまったく観えない不明確さは
私達の不安を駆り立てます。

その未知の領域に入ってみるかどうかの判断は、
理屈では不可能です。
当然です。
「未知」なのですから。
理屈とは多くの場合、
「既知」の領域で作用できるものだからです。

未知の領域に入るかどうかの判断は、
私達の「直観」に懸かってきます。
結局、最後は自分の直観。
自分の感性が判断するでしょう。

ところが、その感性が鈍っていると、
私達の直観は働かず、
右往左往しているうちに、
私達は、その未知の領域から遠ざかります。
直観が働かない場合の多くは、
私達の自己防衛本能が機能するからです。

つまり、
「怖いから、そこに入らなかった」
という現象が起こります。

人は、
自分の直観に従って「そこに入らなかった」場合は、
後に後悔することは、ほとんどありません。
ところが、直観が働く前に判断してしまった場合は、
後悔に苛まれることがあります。

直観とは、私達の「本当の意思」「本当の選択」
である場合が多いからです。

・・・・・
先日、とても素敵な人とお会いしました。

その方は、
「私は理論的にしか物事の判断ができないのです。」
と言い切っていらっしゃいました。
ところが、
その方の一挙手一投足は、
とてつもなく直観的だったのです。笑

つまりその方は、
自らの直観を、
理論的に補佐していたのです。

・・・・・
直観とは、魂の声です。
魂の声とは、源(ソース)の声です。
源(ソース)の声とは、
「すべては私である」私の声です。

その声を、いつも聴き取りやすい心の状態に
しておくことが、非常に大切です。

心の曇っている人は、
残念ながら直観は働きづらくなります。
心が晴れ晴れとしている人は、
直観とは意識せずとも直観が働き続けます。
そういう人は、
未知の領域を前にしても、
「怖いか?怖くないか?」で判断するのではなく、
「本当に入りたいか?入りたくないか?」という、
極めて自分自身に素直な判断ができます。

・・・・・
未知の領域。
今後、私達の目の前には、
これが頻繁に現れます。

外部環境的にも。
心の内側においても。

各々の人生の展開においても。

未知の領域、未知の波が
次々に現れます。

その一つ一つに
怯えずに行きましょう。

一つ一つと
毅然と向かい合いましょう。

毅然と向かい合うことで、
本当に自分に必要かどうか?を
自ら、毅然と判断するのです。

それが求められる時代です。
それがこれからの時代です。
その時代の潮流は、
ますます高まります。

私達人間とは、
未知の領域を開拓するために
存在しているのです。

つづく

2011年11月04日

8次元の愛 92 〜山あり谷あり

山と谷は、
相反するものではありません。
山があるから、谷があります。
山が生まれれば、谷も生まれます。

人生も、山あり、谷あり。
山を求めれば、
自動的に、谷もついてきます。

「私は別に、山など要りません。
平穏無事に、生きていたいのです。」
そう言われる人もいますが、
残念ながら、
人生は、山あり、谷あり、
です。

なぜなら、私達自身が
それを望んでいるからです。
人生においては、
山と谷を越えていくことを、
心の深奥では皆、望んでいるからです。

山と谷を「越える」ことで、
山と谷を「超える」自分に
なろうとしているのです。

・・・・・
では、
山と谷を「超える」とは、
どういうことでしょうか?

山と谷とは「現象」です。
現象とは、
一つの結果です。

私達は、現象という結果に
心を囚われて生きています。
山と谷を「超える」とは、
その、心の囚われからの開放を
意味します。

・・・・・
では、「心の囚われからの開放」とは、
何でしょうか?

心が囚われる原因。
それは、私達の「思考」であり「解釈」です。

つまり私達は、谷に落ちたとき
「ここは谷だ! ここは苦しい!
 ここは不幸だ! ここにいてはダメだ!」
と思考(解釈)します。
その思考(解釈)によって
私達は、自分で自分を囚われの身とします。

とは言え、思考(解釈)をなくしてください、
という話ではありません。
大切なのは、
自分が今、どう思考(解釈)しているか?
を、あるがままに知ることです。

あぁそうか。
私は今、こう思考(解釈)しているから
こんなに苦しいのだな。
と、自分の心に起きていることを
そのまま理解するのです。

もうその時点で、
私達の心は、開放され始めます。

もうその時点で、
自分の心を理解しようとする眼差しの「もと」に
私達は立っているからです。

・・・・・
その時、たまたま湧き上がる思考(解釈)に
囚われることが、
私達の最善の選択を妨害します。

私達人間の根本的な力。
それは、
すべての現実とあるがままに向き合えば、
最善の選択ができる、
ということです。

そして、私達人間は、
今の状況(山か谷か)によらず、
「今、最善の選択ができている実感」
を得ることで、
魂レベルの幸せを感じることができるのです。

それが、私達です。

山にいるから幸せ。
谷にいるから不幸。
・・・ではく、
山にいようが、谷にいようが、
最善の選択をし続ける人生を
創り上げることです。
今、ここで。
一歩一歩。

それが、
「本来の私」を輝かせる
唯一の道です。

つづく

2011年11月03日

8次元の愛 91 〜人の涙

涙を流すことは多いですか?
涙を流すのは、心の健康に非常によいと
言われています。

涙にも、いろいろなものがあります。

意味不明の涙を流した経験はありますか?
自分がなぜ今、泣いているのかわからない。
なのに涙が止めどなく溢れてくる。
そんな経験はありますか?

それは、魂の涙です。
魂が震えることによって
生じる涙です。

多くの場合は、
魂の喜びの表現です。

自分が本当に大切である
と思っていることに触れたとき。
自分が心の底から望んでいるものと
出会ったとき。
自分が、どうしても知りたいと願っていた答えに
巡り合ったとき。
そして、
自分の人生の大切な指針やヒントが
見つかったとき。

そんなときに、
魂の涙は流れます。

それは美しい涙です。
誰もが持っている涙です。

・・・・・
人の望む幸せは、人の数だけありますが、
魂の願いは、
皆、共通しています。

自分らしく生きたい。
自分だからこそできる人生を創りたい。
自分を育みたい。

そしてそれらは具体的にはどういうことか?を
探し続けます。
魂の探求です。

その中で、人との関わりを学び、
人と共に生きることを学び、
「一つ」に戻ること、つまり、
愛を学びます。

自分に素直に生きるとは、
魂に素直に生きること。
魂に素直に生きることで、
私達は「一つ」に向かいます。

その「道」が目の前に開かれたとき、
もしくは、「道」のヒントと出会ったとき、
魂は、涙を流します。

それが、「合図」です。

魂からの合図をきちんと受け取り、
その合図の意味と向き合うことが
私達の望む人生につながります。

・・・・・
涙を流すのはよいことです。
たとえそれが、
どのような涙であったとしても。

涙を流せる素直な自分で
ありたいものです。
いつまでも。

人とは、
源(ソース)と3次元を結ぶ存在。
涙とは、
そんな「人」の持つ
宝物の一つです。

つづく

2011年11月02日

8次元の愛 90 〜真剣だろうか

真剣な眼差しで見つめられると、
私達の魂は
何か特有な反応をします。

懸命な眼差しと、
真剣な眼差しは、
似ているようで、少し違います。

真剣とは、まさしく「真剣」。
つまり、本物の日本刀を扱うイメージです。
懸命とは、
竹刀を必死に振り回しているイメージがありますね。

どちらも大切なことですが、
ちょっとニュアンスが異なります。

本当に真剣な人の魂は、
静謐さを湛えています。
日本刀を突きつけられるような強さと同時に、
その奥の「揺るがぬ静けさ」のようなものを
私達は感じるのかもしれません。

・・・・・
さて。
次の問いを、自身に投げてみると、
どのような答えが浮かぶでしょうか。

「私は今、真剣に生きているだろうか?」

真剣に観る。
真剣に聴く。
真剣に感じる。
真剣に決める。
真剣に動く。・・・
真剣に生きるために必要なことです。

しかし、
真剣とは、瞬発力です。

いついかなるときも真剣でいられる人は、
残念ながら存在しません。

真剣になるべき瞬間に、真剣になる。
・・・これが私達人間の、真剣です。

逆に言えば、
真剣になるべき瞬間に、真剣になれる自分
であることが大切です。
そういった自分創りをすることこそが、
真剣に生きる、ということではないでしょうか。

ですから、自身にこう問いかけてみましょう。

「私は真剣になるべきときに、
 真剣になれる自分だろうか?」

「そんな自分になるために、
 普段から何ができるだろうか?」

・・・・・
真剣になるべきときに
真剣になれるかどうか?

ある意味、
たったこれだけのことで、
人生は決まるのかもしれません。

真剣な人は、美しく、
真剣な人に、淀みはありません。

静かに、毅然と
現実と向き合いながら、
一点に向かって
歩を進めることができます。

自分の持つすべての力を
その瞬間に注ぐことができます。

真剣さは人を開花させ、
人は、真剣に生きることによってのみ
本来の自分を見つけることができるのです。

つづく

2011年11月01日

8次元の愛 89 〜紡ぐ出会い

流れるままに進む人生と、
道なき所に道を拓く人生。
どちらの人生を望みますか?

これら二つの人生は
一見、相反してしますが、
実は、同じものです。
中途半端でなければ。

完全に、流れに身を委ねられる人は、
自らの道を拓くでしょう。
真一文字に、自らの道を開拓し続ける人は、
自然の流れに委ねている自分を発見するでしょう。

流れはそこにあり、
道もそこにあるからです。

流れに委ねる人。
道を拓く人。
この二人が出会うとき、
流れと道は融合し、
それは世界を貫きます。

貫かれた世界は、
一度は動揺をしますが、
それを新たな中心軸とし、
新たな秩序を生み出します。

より安定し、より自然体の、
そして
より進化の力を内包した
新たな秩序です。

・・・・・
ところで、
夢はありますか?

「こうなったらいいな」
というレベルの夢ではなく、
自分のすべてをその夢に注ぎたい、と
自然に思える夢です。

熱くなる必要はありません。
リキむ必要もありません。

ただ、ニュートラルな心で
本気で向かいたい!と思える夢です。

明確でなくてもよいのです。
私は何となく、そういった夢を持っていそうだな。
そう思えるだけでもよいのです。

自分の夢を大切に抱き続ける人には
必ず出会いが起こります。
それは必然的な出会いであり、
自分にとっては、なくてはならない出会いです。

多くの場合、その出会いとは、
一人が「道を拓き」
一人が「流れに委ねる」
という役割を担います。

お互いの個性が融合し合い、
世界に新たな波を起こします。

世界は今、
その波を望んでいます。
その波を待っています。

波を起こし、
新たな中心軸と
新たな秩序を創るのは、
私達自身です。

それは言い換えれば、
新たな文明を創ることに他なりません。
そのレベルの時代の転換点に
今の私達はいます。

人と人の紡ぎ合いが
時代を変えるのです。

つづく