こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年01月31日

8次元の愛 142 〜止まって何もしない2

やみくもに走るよりも、
時々きちんと止まり、
現実と自分自身をよく見つめながら
進むと良いですよ。
それが今の時代、これからの時代で
道を拓く生き方の一つですよ。
と、昨日お伝えしました。

では、
止まる、とは
どういうことでしょうか?

何もしない、とは
どういうことでしょうか?

自転車に乗っているイメージを
してみましょう。
自転車は、常に前に向かって
動いていなければなりません。
止まってしまうと転びます。

私達の人生もよく似ています。

私達は常に前に前にと
進み続けています。

一見、止まっているように見えるときでも、
実は、前に前にと進み続けています。

これからの時代に必要な「止まる」とは、
完全に止まり、
いったん自転車から降りることを言います。

ですから、
中途半端な止まり方では
ありません。
速度をゼロにして
地面に足をつけるだけでは
ないのです。

しっかりと
自転車から降りるところに
最大の意味があります。

それが、
「何もしない」
ということでもあります。

・・・・・
では、
自転車から降りる、とは
どういうことでしょうか?

自転車に乗っている状態とは
「自分として生きている」
状態です。

自転車から降りる、とは
「自分から降りる」
ということです。
もちろん、「一時的に」という
ことですが。

私達は、誰もが「自分から降りる」
ことができます。

自分の人生から
いったん外れる、
と言ってもよいでしょう。

ある意味それは、
客観的に自分を見る、ということですが、
実は本質的には
それともちょっと違います。

・・・・・
自分として生きていると、
いつの間にか私達は
「自分」という幻影に
包まれます。

それは、本来の自分とは
異なるものです。
しかし、その幻影を
私達は「自分」として認識し、
思い込みます。

そこから抜け出るのです。

自転車から降りるということは、
幻影の自分から降りて、
本来の自分の眼差しを取り戻す、
ということに他なりません。

本来の自分とは、
いつも同じ場所から
自分自身を観つめています。

まずはその、
本来の自分の場所を
見つけることが大切です。

・・・・・
ぜひ、「何もしない」時間を
創ってください。

ここで言う「何もしない」とは
3次元レベルでの話です。
つまり、
ただ座り、他は何もしない時間です。

すると、心が自由に動き始めます。
いろんな思考がグルグル回ったり、
何かできごとを思い出したり、
悩みに入ったり、
楽しいことを考えたり、
様々なことが起こるでしょう。

それらすべてを
少し客観的に見ていてください。

それらの心の動きは自由なままで、
一つの視点を持ってください。

「本来の私はどこにいるかな?」
という視点です。

それを持ちながら、
心を自由にしておき、
あとは何もしません。

それを続けることで、
何となく、本来の自分の場所が
わかります。

それがわかったら、今度は
その場所に戻る時間を
創ってください。

その場所に戻ることが
イコール、
自転車から(幻影の自分から)
いったん降りることを意味します。

本来の自分の場所に戻ることで、
本来の自分が今の自分を
どのように観つめ、
どのように感じているのか、
がわかるようになると思います。

そして、自転車に乗り続けている状態では
決して見つからない
次の一歩へのヒントが
ありありとわかるようになるかも
しれません。

以上をできるだけ
頻繁に行なうことですね。

毎日が、
大きく変わる可能性が
あります。

つづく

2012年01月30日

8次元の愛 141 〜止まって何もしない

やみくもに動くことは
もうやめてしまいましょう。

やみくもに動けば何とかなる、
という時代は
もう終わったと見なすとよいでしょう。

数打てば当たる時代は、
2011年までで
終焉したのです。

時代はやはり、
大きく変わろうとしています。

一日一日、
その変化は大きいです。

変化について行きましょう、
というよりも
すべてが本質に基づいた行動を
とりましょう。

本質に基づく行動とは、
とても楽なもの、
自然なものです。

楽な時代に
入ろうとしているのです。

もう、やみくもな苦しみは
必要ありません。

・・・・・
本当は、
何が大切なんだろう?

その問いを
いつも持つことです。

その問いは、
私達の真本音を
活性化してくれます。

本当は、
私は何をしたいのだろう?

この問いも、
真本音を活性化してくれます。

本当は、
何に悩めばよいのだろう?

本当は、
何ができるのだろう?

本当は、
私は何を知っているのだろう?

これらも
よいですね。

良い問いを自らに
常に投げ、
真本音を刺激しながら、
現実と向かい合いましょう。

・・・・・
自分が今、
何をすればよいかわからない。

そんな場合は、
何もしないことです。

スッキリとわかるまで
何もしないことです。

何もしないのも
人生の大切な選択の一つです。

何もしないからこそ、
本当の一歩が観えてきます。

・・・・・
私達は止まることを
恐れます。

止まると遅れてしまう、
止まると滞ってしまう、
止まると動けなくなってしまう、
などなどの恐れがあります。

しかし、
止まることで初めて観えることは
想像以上に多いのです。

しかも、
私達の真本音は、
私達が想像している以上に
止まることを望んでいます。

止まり、動き、止まり、動き、・・・
そのメリハリを望んでいます。

・・・・・
何もせずに、止まっている。

自然にそれができる癖を
今のうちからつけておくと
良いでしょう。

これは真本音の時代に必要な
生き方の一つです。

いつ動き、いつ止まればよいか?
その答えも、
すべて真本音がわかっています。

それは理屈ではなく、
場合分けもマニュアル化も
できません。

その時その瞬間に、
真本音が判断することです。

動くときと止まるときの区別がつけば、
人生は非常に楽になり、
決断も実行も、
非常にスムーズになります。

止まれば観えてくるものを
楽しむこともできます。

・・・・・
真本音の時代に向け、
地球全体の意識の状態が
激しく変わろうとしています。

様々な現象が起きるでしょう。

その一つ一つに惑わされずに、
一歩一歩着実に進むための、
今だからこその歩み方を
今後、このブログでは
ご紹介していきます。

これまでもずっと
その方向で来ましたが、
さらにそこに焦点を当てていこうと
思っています。

反応本音の時代から
真本音の時代へと至る
「今」ならではの生き方が
あるのです。

つづく

2012年01月27日

8次元の愛 140 〜まだ見ぬ頂を待とう

山の頂を見上げると、
それが果てしない彼方に
感じられたとします。

あんなところまで登るのか?

愕然としたとします。
愕然となったあなたは、
その後、どうしますか?

どうするも何も、
頂が見えてしまったら、
私達は、
そこを目指して進みます。

ヘトヘトだろうと、
クタクタだろうと、
あそこまで登る自信があろうと、
なかろうと、
頂が見えてしまったら、
私達は、
そこを目指して登るのです。

それが私達人間の
本能です。

しかし多くの人達は、
まだその頂が見えません。
自分がどの山に登っているのかも、
自分がどの辺りまで登って来たのかも
知らないのです。

私達の歩みが遅くなったり、
止まってしまう原因はただ一つ。

頂が見えないからです。

・・・・・
自分が選び登っている山が、
間違っているのではないか?

そんな疑念を持っている人もいます。

しかしそれに関しては、
明確にお答えすることができます。

間違ってはいません。

私達は決して
そこは
間違いません。

むしろ、疑念を持つことによって
生まれる様々な反応本音を
超えることにこそ
意味があります。

もし仮に間違っていたとしても、
その山を「自分の山だ」と信じて
精魂こめて登る人には、
必ず、本当の山につながる道が
開かれます。

人生の道を
「間違いである」と結論づけているのは、
他でもない、自分自身です。

・・・・・
私達の真本音は、
私達が具体的に何をするか?
には、ほとんどこだわりがありません。

それよりも、
私達が今この瞬間に
どのような生き方をしているか?
どのような自分として在るか?
そこを大切にします。

きちんと現実と向き合い、
きちんと自分の生き方を実践する。
それは非常に気持ちのよいことですが、
その気持ちよい生き方を
日々続けているかどうか?

真本音はそこをいつも観ています。

そしてそういう人には
真本音は常に声をかけ続けます。

それはもちろん
自分自身の心の声です。

それは、確信として
もしくは、ひらめきとして
認識されます。

そして確信に従い進む人は、
自然に「自分の山」の頂に
向かっています。

しばらくの間は、
その頂は見えないかもしれません。
しかし、
確実に自分は頂に向かっている
という実感は、
ずっと心の中心に在り続けます。

・・・・・
そしてある時、突然に、
見えなかった頂が
見えるときが来ます。

それは遥か彼方に
見えるかもしれません。
見上げ切れないくらいに
上の方に見えるかもしれません。

しかし、
それが見えた瞬間に
私達の根底から
信じられないようなパワーが
湧き上がります。

そのパワーは
発散はされません。

ずっと、自分の中に
在り続けます。

静かにそれは、
在り続けます。

それは無限ですが、
それは静謐で、
穏やかです。

それが、誰もが持っている
人間としてのパワーです。

多くの人が
そのパワーを思い出すことの
できる時代に、
今、入りつつあります。

頂に向かう自分を
観つめましょう。

まだ見ぬ頂は
無理にイメージせず、
ただそれが
自分の中に自然に浮上するのを
待ちましょう。

つづく

2012年01月26日

8次元の愛 139 〜答えはここにあり

迷ったときは、
考えるのをやめましょう。

迷ったときは、
目をしっかり開けて
観てみるのです。
現実を。

そして、
考えるのではなく、
感じてみるのです。

自分が何を感じ取っているか?
に意識を向けてみるのです。

すると、
私達の心は「もとの場所」に
もどります。

それは、真本音の場所。

そこからニュートラルな眼差しを
取り戻し、
そして結構簡単に、
答えが観えてきます。

その答えとは、
もう、私達自身の中に
存在していたものです。

迷うとは、
答えを新たに創る行為では
ありません。

迷うとは、
すでにできあがっている答えを
自ら見つける行為です。

答えはあります。
必ず、ここに。

・・・・・
どうも、
思考し過ぎですね。
現代人は。

思考することは大切ですが、
思考とは、
「何のための思考か?」
が明確になっていて初めて
本来の効能を現わします。

本来の思考とは、
自分の中にない答えを創造するための
大切なステップです。

答えがあることに対して
もう、
思考する必要はありません。

どの答えがすでに存在して、
どの答えがまだ存在しないのか?

それは、
いつも自分の心に意識を向け、
そして現実をありのままに観る、
という姿勢を大切にしていれば
簡単に見出せることです。

現実も観ず、
自分の心にも意識を向けないからこそ、
私達は、長く
同じところで迷うのです。

ですからもう一度言います。
答えは、あるのです。
必ず、ここに。

・・・・・
今ここにある答えを
そのまま見つけながら、
その通りに生きることの
なんと楽なことか。

自分の答えの通りに
生きるのは怖い。
そう思い込んでいる人が多いのも
今の世の中の特徴ですが、
怖いのは最初だけです。

すべての答えを知っているのは
私達の真本音。
真本音とは、
海のように深く、
空のように清々しく、
大地のように揺るがないもの。
いついかなるときも
安定しているものです。

真本音の思う通りに
進むことで、
私達の人生も
安定します。

その結果として、
本当は何に迷えばよいのか?
本当は何に揺れればよいのか?
が理解できます。

思考が必要なのは、
そこからです。

・・・・・
真本音の答えは、
すべて「確信」として
認識されます。

確信を確信として
大切にすることが、
これからの時代に
必要です。

ここは、
大人も子どもも関係ありません。
人生経験は
いっさい関係ありません。

すべての人が
自らの外側(現実)と向き合い、
自らの内側(真本音)から湧き上がる
確信の答えに
素直に生きることで、
世界は調和されます。

ホント。
穏やかな世界にしましょうよ。
もっと住みやすい世の中に
しましょうよ。

そのために、
自分の答えを着実に見つけながら
生きて行きましょう。

つづく

2012年01月25日

8次元の愛 138 〜結果の明確な時代へ

一人が全力疾走に入ると、
もう一人も全力を出し、
それが周りに波及し、
皆が疾走を始める。

今はまさに
その状況です。

一人の覚悟は
隣の人の覚悟を生み、
それが回りに波及し、
皆が各々の覚悟のもとで
人生を進む。

その波が起き始めました。

今年は龍の年ですが、
私達の中のそれぞれの龍が
脈打ち始めているのでは
ないでしょうか。

私もちょっと
全力疾走に入っていました。
これまで経験したことのない
全力を出しました。

ですので、
10日もブログを空けて
しまいました。

実は、ブログの更新がないので、
ご心配の声もいただきました。
私は極めて元気です。
ありがとうございます。

・・・・・
自分は何のために
生まれて来たのか?

その根源的な問いに
敏感になっている人が
さらに急増していることも
今年に入ってからの
傾向です。

これまで何の迷いもなく
突き進んでいた人達が、
実は、その問いの答えを
知りたくてしょうがない!
という自分に気づく。
そんな現象が起きています。

魂の声。
魂の欲求。

それらを尊重する時代に
入りつつあるようです。

・・・・・
私達は、心の根底に
とてつもない願いを
抱いています。

それはまるで
海のように深く、
空のように透明で、
大地のように揺るがないものです。

この地球上で何が起ころうとも
海と空と大地が存在するように、
私達のその願いは、
いかなる状況でも
そこに在り続けます。

願いを抱く存在が
私達人間です。

願いがあるからこそ、
私達はここにいます。

願いがあるからこそ、
私達は
生きよう!とするのです。

願いとは本能である、
と言ってもよいでしょう。

・・・・・
夢やビジョンの根源も
私達のその願いです。

願いを忘れた夢やビジョンは
本質的にはただの空想です。
ですから、
決して叶いません。

願いから生まれた夢やビジョンは
実在です。
それに気づいたその瞬間から
現実は創造され始めます。

空想か、実在か?

これまでは、
その区別がつきづらい時代でした。
空想でも、それなりに結果は出ました。
実在でも、叶わないことがありました。

しかしこれからは違います。
空想か、実在か?
そのどちらであるかによって、
結果は明確に左右されます。

それが真本音の時代です。

自分の願いに真摯に向き合い、
それを大切に日々を過ごす人が
成果を出す時代です。

上手くいかなければ、
間違いなく自分自身に問題がある。
それが明確な時代です。

上手くいくのではれば、
間違いなく自分自身の願いが
その現実を生み出している。
それが明確な時代です。

その時代への移行期が
今です。

ですから私達はもう、
真本音の時代の生き方を
始めましょう。

今日から、
今この瞬間から、
始めましょう。

そして共に、
全力疾走しようでは
ありませんか。

つづく

2012年01月15日

8次元の愛 137 〜その能力、必要?

能力を高めることを
目標にしている人がいます。

能力の向上は自己成長の
一つの姿です。

しかしながら、
高めてはならない能力が
あります。
もちろんそれは、人によって
それぞれ異なります。

この能力が高く、
この能力が低い。
だから、この人は
このような使命を果たすことができた。
というところが大事なのです。

能力とは、個性の一つです。
すべての能力が高ければ良い、
というものではなく、
その人の本来持つべき個性として
能力の高い部分と低い部分が
存在することに
人としての意味と意義があります。

・・・・・
どのような能力を高めればよいか?

その答えも
私達自身の真本音が
よくわかっています。

真本音で「高めたい」と
思っている能力を
高めましょう。
「高めたい」と思っていない能力は
放っておきましょう。

そうです。
放っておくことが
とても重要です。

ですから、
他人と比べて自分はどうだ、
という観点が、
いかに必要のないものかが
わかります。

・・・・・
意識の次元が高まれば高まるほど
私達は、
自らの使命を思い出します。

自分が何のために生まれてきたか?
何を本当はしたいと思っているのか?
その、正確な答えを
思い出します。

一人の人には、
必ず、一つの使命があります。
与えられる使命ではなく、
自ら、もともと決めている
使命です。

その「一つ」を果たすために
自分にはどのような能力が必要か?
を、私達自身が
よくわかっています。

そしてその能力を高める努力は、
もう「努力」とは言えません。
それは「楽しくてしょうがない」
ものとなります。

さらに、
真本音で望む能力は
極めて高いレベルで
伸びて行きます。

それこそ、
その人だからこそできること
です。
それをまた、使命と言います。

・・・・・
この能力を高めなきゃ。
あの能力も高めなきゃ。
と、自分にない力を次々に
高める必要は
ありません。

むしろそれをすることが
人生の淀みになることの方が
多いでしょう。

能力がないからこそ
気づくことも多いです。
その気づきが
自分の使命に直結することも
多いです。

本来の自己成長とは、
自らの使命への道を歩むことで
成されます。

この能力が高く、
この能力が低い。
だからこそ、私なんだ。

全員がそうなれると、
世の中の調和が
進みます。

真本音の時代とは、
皆が真本音を尊重し合う時代です。
私だからこそこれができる、
という人々の意思と使命に
溢れる時代です。

そんな時代に入るために、
まずは自分自身の
真本音を尊重し、
本当に必要なことのみを
行なっていきましょう。

つづく

2012年01月14日

8次元の愛 136 〜真本音の眼差しで進む

来るもの拒まず、
去るもの追わず、
の精神が必要です。

私達は、
今ここにいます。

そんな私達に
様々なものが「来ます」。
そして
様々なものが「去って行きます」。

私達は「来るもの」に対して
一つ一つ自分なりの
判断・評価をします。
「来て良かった!」
「来てほしくなかった。」

「去るもの」についても、
判断・評価をします。
特に「去るもの」については
感情の度合いが大きいでしょう。
「去ってほしくない!」
「去ってもらって良かった。」

一つ一つに対して
私達の心は揺れ動きますが、
もうその揺れ動きに
囚われる必要はありません。

揺れ動く心自体はそのままに。
ただ、
そのままにしておけばよいのです。

大切なのは、
心がどう揺れ動こうが、
自然の流れに
そのまま身を任せる
ということです。

来るものは、来るのです。
去るものは、去って行くのです。

来ないものを望んだり、
来るものを拒む必要はありません。
去るものを追ったり、
去らないものを無理に捨てる
必要もありません。

すべては、
自分自身がしていることです。
来るもの、去るもの、
すべて必然。
自身の真本音の意図に
基づいて流れているのです。

・・・・・
余分なものを
意図的に手放すことは
大切です。

自分の執着によって
手放さずにいるものを
「これは去らないものだ」と
勘違いするケースがあります。

去るものか、去らないものか?
その答えは、
すべて自らの真本音が
わかっています。

私達にできることは、
あらゆる物事を
真本音の眼差しで
見つめることです。

・・・・・
真本音の眼差しとは、
ニュートラルな眼差しです。

心の中に
何らかの葛藤があったり、
ストレスがあったり、
迷いがあったり、
モヤモヤがあったり。
そういった状態は
ニュートラルではありません。

その状態で判断することは、
一部の反応本音による
偏った判断となってしまうでしょう。

心がスッキリと晴れやかな状態、
リキまず、力の抜けた状態、
まっすぐ自然に立っている状態で
物事をありのままに見つめてみましょう。
その時、
自分の心がどのように感じるか?
その素直な感性に
従います。

それが真本音の眼差しです。

・・・・・
心がニュートラルな状態で
あり続けるためには、
常日頃の自分の生き方が
自身の真本音に素直であることが
必須です。

私は、真本音で
今この瞬間、
どんな生き方を大切にしたいか?

自分の望む「生き方」に
素直であることです。

例えば、
「私はいつも、楽しくありたい。」
と願っていれば、
「楽しさ」を
いつも大切にし続けているかどうか
です。

楽しい状況の時は楽しいけど、
楽しくない状況の時は、
楽しくなんかなれない。
という風では、心はモヤモヤしてきます。

どんな状況でも
自分なりの楽しさを大切にし、
自分なりの楽しさを創り出していこう、
という生き方を続けることで、
心はクリアになっていきます。
常にニュートラルな状態に
戻りやすくなります。

真本音で望む生き方。
それを今この瞬間に大切にする。
それにより自らの心をいつも整え、
すべての物事を真本音の眼差しで
見つめる。

それができれば、
いかなるものが来ようとも、
いかなるものが去ろうとも、
すべてを、「あるがままの現象」として
受け止めることができます。

そして、
そのすべての現象の底流に
自分自身の本当に望む道が
確かに続いていることを
発見するでしょう。

その道は太く力強いもの。

私達は、全員
その道を持っています。

ですからもう一度申し上げます。
来るもの、去るもの、
それらの現象に
揺れ動く必要は
もはやありません。

すべては
真本音の意図通りです。

つづく

2012年01月13日

8次元の愛 135 〜忘れ物があるでしょ?

忘れ物が
あるような気がする。

大切な何かを
忘れたままではないか。

そんな気分が
宿ったことはありませんか?

確かにそうです。

私達は、様々なものを
忘れたまま生きています。

しかしその多くは、
あえて
忘れた状態にしているもの。
意図的なもの。
真本音の意図です。

忘れ物が何かわからない、
という状態は
あまり気持ち良くないですね。

ですから私達は
いつも心のどこかで
それを探し続けています。

その心の焦点が、
現実世界とシンクロすることで、
私達は、自らの人生の道を
見出します。

忘れ物を取り戻す欲求が
私達の人生を
形創ります。

この、気持ち良くないという感覚を
大切にできているかどうか?
それ以前に、
その感覚に気づいているかどうか?
です。

それにより
私達の人生の旅路の根幹が
変わってきます。

・・・・・
やればできるのに、
やらないからできない。

私達の日常では
そんなことがたくさんあります。

いえ、むしろ、
ほとんどの物事が、
そうかも知れません。

一つのことをいつも考え、
一つのことを毎日やり続ける。
それだけのことで、
その、一つのことについては
私達は誰よりも大きな力を
得るでしょう。

ところが、私達の多くは
その「一つのこと」を決めきれないために
そこに集中できません。
集中できないために
皆が同じような力を持ち、
皆が同じように競い合い、
疲弊していきます。

本当は、
一人の人に一つずつ、
ちゃんと「使命」は
あるのです。

その人だからこそできることが
あるのです。

それを見つけられるかどうかです。

それを見つけられる人とは、
それを「見つけよう」という気持ちを
あきらめない人です。

そして、そのあきらめない人は
必ずある時、気づきます。
「自分は、何かを忘れている」と。
そして思います。
「自分は、それを思い出したい」と。

その人の歩みは
さらに逞しいものとなるでしょう。

・・・・・
「使命」とは、
「命を、どう使うか?」ということ。
それは、他者から与えられるものではなく、
自分自身が一番よくわかっています。

ただし、
今のこの現実世界で、
具体的に何をすればよいか?については
現実世界の中で
自ら見つける必要があります。

使命とは、その指針です。

私は、
このために自分の命(人生)を
使いたい。
という指針があるからこそ、
現実世界とのシンクロが起き、
自分が具体的にしたいこと、
すべきことが、
明らかになります。

「忘れ物」とは、
多くの場合、
この使命のヒントであり鍵である
場合が多いです。

忘れ物が何かを知り、
その忘れ物を探し、
見つけたら、
邁進する。

それが、
私達が
人生ですることです。

特に今の時代は、
忘れ物の多い人が
集まっています。

そろそろ
忘れ物探しの旅に
出ませんか?

つづく

2012年01月11日

8次元の愛 134 〜本物を抱いて

自分自身に対して、
相変わらず同じことをしているなぁ、
と思うことはありますか?

私達の心にはクセがつきます。

心の次元がどれだけ高まっても、
以前からのクセが残り、
そのクセの通りに心と体を動かしてしまう、
というケースがよくあります。

例えば、
本当はもう悩まなくてもよいところで、
以前と同じように悩んでしまう。
本当はもう不安になる必要がないのに、
以前と同じように不安に陥ってしまう。
本当はもう立ち止まる必要はないのに、
以前と同じように、あえて立ち止まり、
進みを遅くする。
などなど。

クセに囚われてしまうことで、
本来取り組むべき新たな課題やテーマが
おざなりになってしまうことさえあります。

また自分は同じことをしているなぁ、
と感じたら、
それは「ひょっとして、ただのクセではないか?」
と、自らに問いかけてみましょう。

・・・・・
今、何に悩めばよいか?

この問いは、
とてつもなく大切です。

この問いの答えを
正確につかむことによって、
人生は、とても楽になりますし、
実りのあるものとなります。

悩まなくてもよいことに
悩んでいるというのは
時間の浪費である、
というくらいの認識が、
特に今年からは重要となります。

・・・・・
悩むことだけでなく、
逆に、自分の抱いている夢やビジョンも
今一度、見直してみましょう。

その夢は、
そのビジョンは、
自分が本当に望んでいるものだろうか?
真本音で
願っているものだろうか?

そういった問いかけも、
とてつもなく大切です。

本当に望んでいる方向に
今日の舵を取る。
これも、特に今年からは
重要となります。

・・・・・
本物の夢やビジョンに向かって
本物の悩みを越えて行きましょう。

幻影を追いかけるのではなく、
本物を追い求めましょう。

私達の中には
「本物」がいっぱい詰まっています。
それを選び出し、
意識を向け、
いつも大切に抱きましょう。

幻影を求めれば
心の歪みを生み、
本物を求めれば、
心は自由になります。

それが顕著に、
・・・そう、あまりに顕著に
現れ始めるのも
今年からです。

・・・・・
多くの皆様の
意識の開花が始まっています。

それは、想定外の
スピードです。

正直、
私は驚いています。

すでにこれだけの開花が
起きているということは、
世の中全体に与える影響は
計り知れません。

自然な流れに乗ることのできる人と
そうではない人の差が
恐らく、かなり顕著になってくるでしょう。

しかし、
自然な流れに乗ることのできる人は
周りの人達にも
その流れをプレゼントすることができます。

そんな人達が増えることで、
全体が「自然」になっていきます。

何か3次元レベルで大きなことを
成し遂げなければならない、
ということではありません。

ただ、
自分の中の本物と向き合い、
本物を大切に抱くだけです。

一人ひとりがそれをすることが、
私達全体の本物を育てます。

私達はどうやら
2012年、
良いスタートを切れているようです。

このまま、まいりましょう。

つづく

2012年01月09日

8次元の愛 133 〜今こそ永遠を見つめて

始まりと終わり。
すべての物事には
この二つが存在します。

始まるとき、
私達はいつも
どのような心持ちでいるでしょうか?

希望を抱いているでしょうか?
不安を抱えているでしょうか?

両方かもしれませんね。

終わるとき、
私達はいつも
どのような心持ちでいるでしょうか?

これまでは、
満足感のある終わり方が多かったですか?
消化不良や後悔の残る終わり方が多かったですか?

これも、
満足100%というよりは、
満足を得ながらも、
次への指針となる後悔や反省が
共存していたことでしょう。

終わりとは、
次への始まりでしたし、
始まりの前には、
いつも終わりがありました。

ただ、
始まりと終わりという節目を
私達は一つの分岐点としながら
人生を生きてきたはずです。

・・・・・
命とは
永遠のものであると
考えてみましょう。

つまり、
この人生の終わりが、
次への始まりであると
考えてみましょう。

永遠の中での今。

そんな視点に立つとき、
これまで「始まり」だと思っていたこと、
これまで「終わり」だと思っていたこと、
それらの捉え方に
変化はありますか?

永遠の中での今。

そんな視点に立つとき、
普段の一日一日の捉え方に
変化はありますか?

私達の真本音とは、
そういった「永遠の視点」を
持ち続けています。

かと言って、
すべての物事を悠長に見つめている
わけではありません。

「永遠の視点」と同時に
「今がすべて」であることも
よくわかっているのです。

「今」とは「永遠」です。

「今」と「永遠」は
イコールです。

「永遠」の視点を大切にすることは、
「今」を大切にすることに
直結します。

「今」には、
過去も未来も永遠に、
すべてが織り込まれています。

命は永遠であることが
実感できればできるほど、
私達は
今を大切にするようになります。
自然に、
そうなります。

・・・・・
「今」の私がどうあればよいか?

それを、
「永遠の視点」から
考えてみましょう。

命が永遠であると捉えたとき、
今、
私は、どうあればよいか?

今、
私は、何を始めればよいか?

今、
私は、何を終えればよいか?

そして、
今、始めようと思ったこと、
今、終えようと思ったことは、
今、そうするとよいでしょう。

そんな生き方を
一人でも多くの人達が大切にすれば、
真本音の時代は
確実に来ます。

私という人間の人生は
いつかは終わります。
しかし、
人類の人生は
永遠に続きます。

私達は「一つ」なのです。
私やあなたは、
永遠です。

つづく

2012年01月08日

8次元の愛 132 〜究極の選択の前に

究極の選択。

これまでの人生での
究極の選択とは
どのようなものでしたか?

そのとき、
最善だと思える選択を
できましたか?

その選択から
学べたことは何ですか?

そのときの自分を
今後に、どのように
活かしますか?

・・・・・
何が「究極」か、というのは
人それぞれでしょう。
しかし、いずれにしましても
究極の選択には
かなりの勇気が必要となります。

脅すわけでも何でもありませんが、
これまで私達が経験した
いかなる「究極」よりも、
さらに上を行く究極の選択が
私達の人生に
これから降りかかって来ます。

その選択の場面が来たとき、
私達の多くは
戸惑うでしょう。

でも、恐れる必要はありません。

答えは、すでに
用意されています。

自分自身の中に
ちゃんと、
答えはあるのです。

私達が今のうちにできることは、
答えを持っている自分自身を
信じられる心の状態を
創っておくことです。

自分の本心を見極められる
自分創りです。

・・・・・
多くの場合、
究極の選択は、
各々の人生を直接左右するものと
なります。

その選択肢を前にしたとき、
ひょっとすると
孤独を感じる人もいるかも
しれません。

なぜ、自分だけが
このような選択をしなければならないのか?
という孤独です。

でも安心してください。
そのような選択肢の前で悩む人は
あなた一人ではありません。

私達の多くが、
同じ状況となります。

人類が、次の時代に進むために
どうしても必要なステップだからです。

そういう意味で、
多くの人達がシンクロするでしょう。
私達はもともと「一つ」ですし、
心は、魂レベル・真本音レベルで
つながっていますから、
同じようなことが、皆、同時に
起こり得ます。

要するに、
仲間は多いのです。

ですから、
どのような選択肢が来たとしても、
毅然とそれに
立ち向かいましょう。

・・・・・
恐怖というのは、
現実から目をそらしたり、
逃避しようとすることろから
始まります。

毅然と向き合う眼差しを持てば、
本当の恐怖からは
開放されます。

もちろん、
怖さは残るでしょう。
体も震えるでしょう。

でも、それは恐怖のカタチだけが
残っているのです。
恐怖することのクセのみが
残っているのです。

毅然と向き合う私達の姿勢は
恐怖というカタチの中にある実の部分は、
浄化します。
ですから、
どれだけ怖くても
向き合うのです。

そうすれば、
恐怖による反応的な選択は
なくなります。
自分の本心(真本音)からの
最善の選択が
できるはずです。

・・・・・
真本音の時代に向かう私達には
乗り越えるべきものが
多く存在します。

その一つ一つを超えていくのが、
この2012年という年です。

これは私達の宿命でもありますが、
それをよくわかった上で
私達は今ここに
存在しています。

私達はもう
すべてを知っています。

そんな自分を信じて、
今ここに立ちましょう。

何が起きても
何が起きなくても
本来の自分として、
今ここに立ち続けましょう。

2012年を迎え、
すでに一週間が過ぎました。
一日一日と、
真本音の時代は近づいています。

今の一日は、
昨年までの1ヶ月分である、
くらいの気持ちで
大切に過ごしたいものです。

つづく

2012年01月07日

8次元の愛 131 〜そんな無茶な、と思っても

やっと手に入れることのできた成果を
手放さなければならなくなる。

そんなご経験はありますか?

例えば、
一つのことをずっと続けてきて、
一人前の力を身につけたとします。
やっとこの分野で自分はやっていける!
そんな自信を持ち始めたとたんに、
その分野から離れなければならなくなる。
と言ったようなことです。

実は、
真本音とは、時々
そういうことを求めます。

真本音通りに、
それを手放すことができれば、
その後の人生の展開において、
思わぬところで、
それまでの成果が活かされたりします。

ところが、
手放すべきときに執着し、
その分野で留まり続けると、
人生の展開が急に停滞したり、
後退したりします。

今の自分が
最も手放したくないものは
何でしょうか?

それを手放す勇気は
ありますか?

それを手放すくらいなら
死んだ方がましだ、
と思われる方も
多いのではないでしょうか。

ところがやはり、
真本音は、あえてそれを
しようとします。

しかも、
これからの時代、
特にこの2012年という年は、
そういった人生の選択が
急増する年となるでしょう。

・・・・・
真本音とは、
自分自身の心です。

現時点での
最高次元の心です。

つまり、自分自身の
最も強い本音、
最も深い本音
であると言えます。

そんな真本音が
「手放そう」と言えば、
どれだけ抗っても、
結果的には、そうなります。

どこまでいっても、
自分自身の本音ですから。
どれだけ抗っても、
その通りになるのです。

であれば、最初から
真本音の通りに素直に生きる。
という方が、
よほど楽です。

しかしそうは行かないのもまた、
私達人間ですね。

・・・・・
執着。

私達にはこれがあります。

執着があるが故に、
私達は苦しみます。
迷います。

ある人のことを
本当に愛しているつもりでも、
実は、執着でしかなかった
というケースも
残念ながら多いのです。

今の自分は執着をしているのか?
それとも
本心からそう思っているのか?
その区別がつくようになると
本当に楽です。

執着とは
執着でしかありません。
それは、
本心ではありません。

本心とは
真本音そのものです。

自分の本心を観えなくするくらいに
強烈な存在が
執着です。

・・・・・
執着は
捨てようとしても無理です。
なぜなら、執着とは
それをなくそうとすればするほど
強化されるからです。

執着をコントロールすることは
あきらめた方がよいです。
それよりも、
自分自身の真本音に
意識を向け続けることの方が
健康的です。

真本音とは、
時々、無茶を言います。
せっかく手に入れたものを
「手放したい」などと
言うのですから。

でも、
それがすぐにできるかどうかよりも、
そのように本心から思っている自分自身を
観続けることです。

真本音とは、自分自身です。
ですから真本音とは、
自分を本当に大切にしています。
もちろん、
自分の大切な人も
本当に大切にしています。

そんな自分の心を、
まずは自分が観続けることです。

一見無茶に思えることでも、
その奥に、
とても愛に溢れた重要な意図が
必ず込められているのですから。

自分を信じる第一歩は、
自分の真本音を信じること。

真本音を信じる人の心からは、
執着は
自然に去って行きます。

つづく

2012年01月06日

8次元の愛 130 〜時間と共に生きる

明日、何が起こるか?
それを正確に当てられる人はいません。

未来を予測することはありますが、
すべてが予測通りに
進むこともありません。

もし、それができたとしたら、
その時点で私達は
人間としての価値を失います。

未来がわからないままに生きるところに
私達の存在意義があります。

それはこの3次元という世界の
存在意義でもあります。

・・・・・
時間は、
皆に平等に流れ続けています。

しかし、一人ひとりの人生においては、
時間とは、主観的なものです。

つまりは、
その時その時の心の状態によって
時間は、「長く」も「短く」も
感じられます。

ずっと一定の速さで
時間が流れ続けていると
実感している人はいないでしょう。
昨日の1分と、今日の1分は
違う密度、濃度のはずです。

1分1秒の密度・濃度を決定できるのは
私達自身です。
密度・濃度が濃ければよい
というものでもありません。

私達は自分の最善の一歩一歩を
歩み続けることを第一とし、
その時その瞬間に必要な
密度・濃度の時間を過ごすことが
大切です。

そのためにも
時間を味方にできるとよいですね。

時間に追いまくられるのではなく、
時間と共に歩むことができると
よいですね。

・・・・・
時間が進むのは楽しいですか?
それとも、怖いですか?

時間が進むということは
未来に向かうということです。

未来に向かうことは
楽しいですか?
怖いですか?

この世の多くには
「期限」というものがありますが、
期限付きの人生は
楽しいですか?
怖いですか?

私達の寿命も、
一つの期限かもしれません。
ただ、
それが具体的に、いつなのかは、
誰も知りません。

知らないけれど、
確実に存在する期限の中で
私達は生きています。
そんな人生は
楽しいですか?
怖いですか?

・・・・・
残念ながら私達は
時間を遡ることはできません。
どれだけ後悔しても
やり直すことはできません。

でも、
もしやり直すことができたとしたら、
何をどうしたいか?
を振り返ることにより、
より良い未来を築くことには
つながります。

やり直しが効かないから
過去は振り返らない。
という生き方もありますが、
それも一種の現実逃避です。

過去も未来もすべてを見つめ、
今この瞬間に向かうことが
現実と向き合うことでもあります。

そういった意味で
人生の振り返りと、
自分自身のこれまでの変遷を
じっくり観察し直すことは
大切です。

もし「時間」という存在がなければ、
私達には、過去も未来も今も
なくなります。

時間という存在があるからこそ
私達は、過去・今・未来という区分けができ
その視点から人生を見つめることが
できます。

何が起きても、
何が起きなくても、
時間が流れ続けるからこそ、
私達は、現実を切り拓くことができます。

時間に感謝しようでは
ありませんか。

時間に感謝できる人が、
時間を味方にできるのでは
ないでしょうか。

つづく

2012年01月01日

8次元の愛 129 〜これが2012年です

雨と風の吹き荒ぶ日々が、
これまでの時代であると
言ってもよいでしょう。

しかしこれから一気に
時代は変容していきます。

雨風を凌いできた私達は
これから、晴れの時代、
快晴の時代に
入って行きます。

しかし残念ながら
私達は雨風の吹き荒ぶ日々に
慣れ過ぎました。

快晴の日に
どのように歩けばよいのか、
忘れてしまいました。

それを徐々に思い出すのが、
この一年の役割です。

快晴の日にも
風は吹きます。

しかしそれはとても心地よく、
私達の余分なものを
きれいに洗い流してくれる
高原の風のようです。

私達は恐ろしい風にばかり
吹かれてきましたから、
少しでも風を感じると
すぐに身を縮めてしまいます。

でも、
天気も風も変わるのです。

思いっきり身を伸ばし、
全身に風を受け、
気持ちよく前に進む。
そんな歩き方に戻りましょう。

それが私達の
本来の歩き方です。

・・・・・
快晴の日に
傘は要りません。

私達はいつも傘を持ち、
自分の身を守ることを
第一に考え、
周りをあまり見ずに
一歩一歩、歩いて来ました。

まずは、
自分を守るために使っていた
傘を手放すことです。

快晴の日に
傘は邪魔ですから。

傘がなくても
大丈夫です。

太陽の光は
思っているよりもずっと
気持ちがよいですよ。

・・・・・
そうは言っても、
すぐに毎日が快晴となるわけでは
ありません。

快晴の日が増えてきますが、
その反動として
雨風の激しい日も増えるでしょう。

それが2012年です。

その雨風を恐れずに行きましょう。
快晴の日を増やすために
避けては通れない道です。

できれば、
雨風が来ても、
傘に逃げ込むことを極力やめ、
自分に降りかかる雨風を
毅然と見つめましょう。

できる範囲で結構です。

胸を張って、
その雨風と対峙しましょう。

ただし、闘うわけではありません。
向き合うのです。

何があっても向き合うことで、
そこに愛のパワーが生まれます。

すると雨風は、
私達自身の力で去って行きます。
すぐに去ってくれなかったとしても、
雨雲の向こうに
かすかな晴れ間を見つけることが
できるかもしれません。

傘に逃げ込もうとする私達の弱さが
雨風の日々を長引かせます。
人とは弱い生き物ですが、
人とは、
私達が思っている以上に
強い存在です。

私達の魂が強いのです。
魂の愛が強いのです。

それを信じ、
一つの行動に移すことができれば、
快晴の日々は一気に近づきます。

・・・・・
生き方を変える時代。
いや、
生き方を変える一年。
それが2012年です。

大切な一年となるでしょう。

この一年を
私達共通の宝物として、
共に育みましょう。

つづく