こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年02月28日

8次元の愛 162 〜状態を超える眼差しを

やる気が出るときと出ないとき。
気持ちが乗るときと乗らないとき。

人の心には波があり、
どうしても私達は
その波に翻弄されます。

いつもやる気満々の自分であればいいのに、
と思う反面、
そんな人生では疲れるかな、
とも思います。

必要なときに
必要なだけ
やる気が漲ればいいのに。
そう思う人は
多いのではないでしょうか。

でも、本当は
必要なときに
必要なだけ、
やる気が漲るように
私達はできているのです。
もともとは。

・・・・・
勇気が出るときと出ないとき
もあります。

なぜあの時の私は、
勇気を出さずに逃げてしまったのだろう?
と後悔することもあります。

いつも必要なときに
ちゃんと勇気の出せる自分で
あればいいのに。
そう思うかも知れませんが、
やはり、
私達は、必要なときに
ちゃんと勇気を出せるように
できています。
もともと。

あの時、
なぜ頭が回らなかったのだろう?
と後悔することがあります。
これも同じです。
私達は、本当に必要なときには
きちんと頭が回るようにできています。
もともと。

要するに、
きちんと一歩一歩
最善の道のりを創るように
もともと
できているのが、
私達人間です。

もしそれができないのであれば、
それは、
心の状態が本来の状態では
ないからです。

つまりは、
真本音を忘れて
生きているからです。

・・・・・
真本音を大切に生きるようになっても、
毎日やる気満々になるわけでは
ありません。

毎日、勇気が湧くわけでも
ありません。

毎日、頭がすばらしく回転するわけでも
ありません。

ただ、
必要なだけ、
それらができるようになります。

目的は、
最善の一歩を刻むことです。
それができる自分であるための
最善の「状態」を
真本音は意図的に創ります。

それはすべて必然であり、
「たまたま」ということは
いっさいありません。

つまり、
必然的に
私達は自分の人生を創れるのです。

・・・・・
少し極端な例ですが、
真本音を大切に生きることで
風邪をひくことがあります。

それすらも、
真本音が意図的に
行なっていることです。

風邪をひくという「状態」があることで
大切な一歩を
最善の一歩を
自ら刻もうとしているのです。

そういった見方をしますと、
あらゆる「状態」を
逆に「あるがままに」捉えられるように
なります。

すると、
心が自由になるのです。

私達は、
3次元世界における「現象」の一つ一つに
振り回され過ぎです。
揺れ動かされ過ぎです。

すべてが「必然的に起こっていること」
という目線でいることで、
すべての現実と向き合えます。

揺れることで現実逃避に入り、
逃避することで、現実が見えなくなり、
自分の思い込みや解釈だけで
一歩を踏み出すから、
おかしいことになるのです。

・・・・・
ただし注意点が一つ。

すべてが必然的に起こっていること。
という目線は大切ですが、
「どこがどう必然的なのか?」
を解釈してはなりません。

必然的なんだ、という事実だけを
受け止め、
あとは自然の流れに委ねるのです。

必然的である理由探しや、
「だから必然的なんだ」という理屈上の解釈は、
逆に、私達の目を曇らせ、
あるがままの現実が
わからなくなります。

自分の真本音を信じ、
自分が真本音で生きていることを信じ、
すべてを「必然の現象」と捉え、
すべてを受け止めるだけです。

そうすれば、
自分がいかに意味のある「状態」を
日々創り出しているかを
理屈ではなく実感として
理解できるでしょう。

・・・・・
これから「現象」レベルでは
様々なことが起こります。

3次元世界は私達の心の反映ですから、
様々なことが起こるのは
これまでの私達人類の歩みを見ていれば、
それこそ必然的にわかります。

何が起きても、
私達はまずはそれらと
向かい合いましょう。

心は揺れても構いません。
心は乱れても構いません。
平静を装う必要は
ありません。

現実の揺れも
心の揺れも
そのままに、
しかし、私達は
自らの揺るがない眼差しを
真本音の眼差しを
持ち続けましょう。

つづく

2012年02月27日

8次元の愛 161 〜残すもの・リセットするもの

やがて来るであろう
船出のとき。

やがて来るであろう
自立のとき。

私達の人生にはいくつかの
ターニングポイントがあり、
その多くは、
一つの「船出」であり
これまでの自分自身からの「自立」
であったりします。

新たな自分の始まり、
新たな人生の始まりです。

生まれてから死ぬまで、
私達は「一人の同じ人間」として
日々を過ごしますが、
一人の同じ人間だとしても、
ある意味の「生まれ変わり」は
何度も起きているのです。

生まれ変わる度に、
私達は、過去の自分を脱ぎ捨てる
チャンスを得ます。

すべて脱ぎ捨てる必要はありませんが、
本当に大切なものだけを残し、
あとはリセットする、
ということができます。

そのチャンスを
チャンスとして感知できるかどうか
です。

もうすぐ真本音の時代を迎えるにあたり、
そのチャンスと出会っている人が
今はとても増えています。

・・・・・
自分の中で
残したいものと、
リセットしたいもの。
それは何でしょうか?

これを、
真本音の目線で
観てみましょう。

これはリセットしようかな。
と思うことがあれば、
「本当にそれで良いか?」
と、自分自身に問うてみましょう。

ほんのわずかでも
揺らぎがある場合は、
その「揺らぎ」と向き合います。

その「揺らぎ」が
反応本音であれば、存在承認し、
そのさらに奥の本当の気持ちに焦点を
当てます。

その「揺らぎ」が
真本音であれば、
それはリセットしてはならない大切なもの、
という自分の判断です。

同様に、
残したいものについても
行なってみましょう。

案外、本当に残したいものは
わずかかもしれません。

それをリセットするのは怖いから・・・、
という恐怖心を一度、横に置いて、
発想の中だけでも、
本当に残したいもののみを
残してみましょう。

残念ながら、
余分なものを持ったままでは、
真本音の時代では、
生きるのが苦しくなります。

本当に必要なものを大切にする人が
生きやすい世の中となります。

・・・・・
リセットするということは、
「捨てる」ということではありません。

リセットすることで
結果として、
「すべての物事と、最善の距離感を持てる」
ようになるのです。

捨てているように見えて、
実は、すべてを尊重し、
置くべきところへ、
それを置いているだけのことです。

もしそれが、
真本音の判断であれば。

ですから、安心して
リセットすればよいのです。

リセットの勇気を持てる人が
生きやすいのも
真本音の時代の特長です。

・・・・・
「これはいやだ!
 もう絶対に要らない!」
と強烈に思っているものがあったとします。

そこまでの強い思いがある場合は、
逆にその奥の気持ちを観た方が
良いかも知れません。

過剰な反応には、
理由があります。
その理由が明確になることで、
「あぁ、これは実は大切なものだった」
と思い直すこともあるのです。

どうでもいいものの方が、
実は要らない、ということが多く、
拒絶反応を示すものの中にこそ、
大切なものが隠れていたりします。

人間って、
面白いです。

・・・・・
やがて「その時」は来ます。

「船出」と「自立」のときです。

もう、すぐに来ます。
いざというときに慌てないように。
しっかりと心と魂の準備を
済ましておきましょう。

自分は
この瞬間を間違いなく越えるために
これまでの人生があったのだ。

そう思える瞬間が
これから来ます。

自分の人生を
自らの望むものに創り上げるのは、
これからです。

つづく

2012年02月25日

8次元の愛 160 〜無限の向こうの無限へ

私達には無限の可能性があることを
どれだけの人が
本当に
信じているでしょうか?

無限の可能性があるかもしれない、と
思っている人は多いかもしれませんが、
本当にそうであると、
スッキリ断言し切れる人は
まだまだ少ない気がします。

私達人間には
無限の可能性があります。

その事実を
もっと知るとよいな、と思います。

無限というのは
本当に「無限」です。

それは、
大袈裟な言い回しでも
喩え話でもありません。

・・・・・
例えば、次元の話です。

約一年前、私はブログで、
次のように表現していました。

「人間として到達できる最高次元は
9次元です。」

しかし私達人類は、
その壁をいとも簡単に超えてしまいました。

ですから今は
次のように言い直したいと思います。

「人間の意識の次元は
無限に高めることができます。」
と。

人間とは、
枠を超える存在です。

壁を越える存在です。

私達が枠や壁を超える度に、
私達の大本である源は
進化をします。

私達は、
そういった私達自身の存在の価値に
もっと誇りを持つとよいと
つくづく思います。

・・・・・
意識の次元の高まった人が
世の中において大きなことを成し遂げる、
というわけではありません。

3次元レベルでの「大小」とは
実は、それほど重要なことではありません。

それよりも、
意識の次元が高まれば高まるほど、
人は、
今目の前にあるもの(こと)を
大切にします。

大切にしなければならない、
ということではなく、
大切にしたくなるのです。自然に。

それをある人は、
「感謝の気持ちが湧いた」
と表現するでしょうし、
またある人は、
「愛する気持ちでいっぱいになった」
と表現するでしょう。

いずれにしても、
今ここに在るものすべてへの眼差しが
変わります。

それは、
心が自由になるからです。

私達は心が自由になればなるほど、
現実世界を
愛おしく思えるのです。

・・・・・
真本音の時代に本格的に入れば、
人類全体の意識の次元は
年々、大幅なアップを続けるでしょう。

8次元の愛、というのも
今でこそ、説明が必要ですが、
真本音の時代では、
それが「当たり前のこと」と
なるでしょう。

私達は、もともと「一つ」であり、
その「一つ」という土台の上で
「別個」の存在として、
自分を表現している。
だからこそ、
そこに「調和」が生まれ、
調和が「進化」を生み出す。

ということを
当たり前のように認識する人達が
世の中の根幹を創っていくでしょう。

そこに至って多くの人達は、
あぁ、人間とは
本当に無限の可能性があるのだ、
と実感できるでしょう。

・・・・・
無限の可能性を引き出すものは
無限の願いです。

真本音の願いとは
無限です。

ある一定の成果を上げることで
「実現できた」
「達成できた」
となり、そこで完了をする、
という願いではありません。

もちろん、そういった願いも
大切ですが、
真本音の願いとは、
どのような状況となっても
永遠に持ち続けるであろう願いです。

それを明確化し、
日々、持ち続けることで、
私達は、無限の可能性を開花させます。

一人ひとりの「無限」が集まれば、
全体の「無限」は、
さらに「無限を超える無限」と
なるでしょう。

これまで「無限」であると思っていたことが
実は「有限」であり、
その先に、さらなる「無限」があることに
私達は気づくでしょう。

それは本当に
無限の旅路であり、
たった一人の人生からそれは始まりますが、
たった一人の人生では終わらない
私達が脈々と受け継いで行く
果てしなき道です。

私達は「一つ」なのです。
ですから、
私達は「無限」なのです。

つづく

2012年02月24日

8次元の愛 159 〜真本音とは真剣な本音

明日の決断と
今日の決断は
変わりますか?

と問われると、
どのような答えが
浮かびますか?

状況によって答えが変わるのは、
基本的には
反応本音による決断です。

ですが、
真本音による決断だからこそ、
明日には答えが変わる
ということもあるのです。

真本音は自由です。

それは、
気が変わりやすい
ということではありません。

脈々と、
変わらぬもの、揺るがぬものが
流れ続けているのが
真本音です。

その変わらぬもの、揺るがぬものを
大切にするからこそ、
その時その時の判断・決断は
変わる可能性があります。
しかしそれは表層(つまり行動)レベルの
変化です。
本質に揺らぎはありません。

反応本音レベルの変更と
真本音レベルの変更の区別。
それは、
変更そのものが「確信に満ちているか」どうか
です。

決断するときも、
それを状況の中で変更するときも、
いかなる場合でも
真本音に「淀み」はありません。

常にスッキリ、
が真本音です。

・・・・・
スッキリ、とは
真剣さを生みます。

スッキリした心のままに前に進む、とは
真剣に前に進む、ということと
イコールです。

「彼は真剣じゃない」
と言われる場合の多くの根本原因は
心の中に淀みがあるからです。

彼が、
反応本音のみで生きているからです。

ですから、こうも言えます。
反応本音のみで生きている人は、
決して、真剣になれない。
・・・と。

それは人生のあらゆる場面で言えます。

本人は真剣なつもりでいたとしても、
それは決して
「真の」真剣さではありません。

真剣とは、
自分の心のパワーのすべてを
そこに向けることだからです。

・・・・・
真剣、と言いますと、
ちょっと苦しい印象がありますが、
逆です。

人は、
真剣になるからこそ、
楽になります。

真剣になるからこそ、
余分な力が抜けます。

そして真剣になるからこそ、
本来の魅力に溢れ、
その人だからこその空気感と
存在感に満ちるのです。

そんな人に
人は惹かれます。

真剣な人の傍にいると、
肩の力が抜けます。
自然体となり、
かつ、パワーが漲ります。

一人の真剣さは、
周りの真剣さを
呼び起こします。

・・・・・
真本音で生きるために
私達にできること。

それは、
自分が最も真剣な眼差しを持てる対象に
まずは
真剣に向かってみることです。

徹底的に。

そしてその時、
自分の心のどこが、
感動に震えているか?
を探してみましょう。

多くの場合は、
体のどこが感動しているのか?を
探せば、わかります。

その場所が、
真本音の場所です。

その場所が、震えるとき、
私達は、真剣です。
私達は、スッキリしています。

物事の決断をするときも、
その場所がどのように感じているのか?
に意識を向けてみましょう。

真本音からのメッセージを
体分の反応を通じて
理解できることも多いのです。

真本音の「真」とは
真剣の「真」でもあります。

人生に対して
真剣に、そして真摯に向き合うのが
私達の真本音です。

だからこそ、
私達は、スッキリ自然に
生きることができるのです。

つづく

2012年02月23日

8次元の愛 158 〜思惑から願いへのシフトを

「思惑」とは、
反応本音レベルのものを言います。

もし真本音レベルで
それを表現すれば、
「願い」となります。

思惑で人と向き合いたいか?
願いで人と向き合いたいか?

思惑で向き合う人と一緒にいたいか?
願いで向き合う人と一緒にいたいか?

思惑で進む人と共に進みたいか?
願いで進む人と共に進みたいか?

これらの問いを考えれば、
どちらが人生の道を
よりスムーズに逞しく創り上げるかは
必然的にわかります。

思惑がいけない、というよりも
思惑では事が進まない時代に
もはや入った、と
見なすとよいでしょう。

特に若い人達の感性は
鋭いです。
彼らが「気持ち良い」と感じるかどうか?
は、これからの時代
非常に大切です。

自らの魂(もしくは真本音)に
素直な人達が増えています。
反応本音の思惑には
必ず「不純物」が混じっていますから、
その「不純物」を感じ取ることで、
「気持ち悪さ」を認識する。
そんな人が
増えています。

・・・・・
反応本音とは、
弱いものです。

ある一つの信念を持ったとしても、
それが反応本音レベルであれば、
それは脆弱です。

例えば、
「私はいつも笑顔を大切に生きよう」
と思ったとします。
それを信念にしようと決めたとします。
しかし、
自分が疲れてしまっているときに
「もう、笑顔なんていいや」
と思ってしまうのは、
それが反応本音レベルだからです。

残念ながら、
一時的に強く決意したとしても、
反応本音レベルの決意であれば、
それは、すぐに崩れます。

これまでは、
そういった反応本音レベルの信念や決意でも
それなりにやって来れた時代でした。
しかしこれからは
違います。

信念や決意の根底にある
安定感を
私達の多くは、
感じ取ってしまう時代なのです。

どれだけ力を込めて宣言しても、
「なんか不自然だな」
という、
何となくのニュアンスが
伝わってしまう時代です。

多くの方々の真本音度合いが
高まっていることによって、
世の中全体に
そのような空気(潮流)が
高まっているのです。

・・・・・
反応本音とは、
それ単体で存在しているときは
脆弱ですが、
真本音とつながることで、
それは
「魅力的な個性」として
発揮されます。

例えば、
真本音の「願い」として、
「私は、人と向き合いたい」
というのがあったとします。
その「願い」を大切にしながら
人と向き合えば、
そこでさきほどの
「笑顔を大切にしよう」
という反応本音が活きてきます。

真本音という土台を得ることで、
すべての反応本音は
初めて「安定」します。
安定することで、
自然で魅力的な個性として
現れやすくなるのです。

そして以上のような
真本音と反応本音の結びつきは、
理屈で考えて行なう必要は
ありません。

私達はただ、
自らの真本音を大切に
していればよいのです。
すると、
真本音は「勝手に」適切な反応本音を選び、
それを活かしてくれます。

それだけのことです。

・・・・・
真本音に不純物はありません。

「向き合いたい」と願っているのなら、
本当にただそれだけ。
「向き合いたい」のです。

それが真本音。
そこに一切の迷いも淀みも
ありません。

私達の行動や振る舞いの一つ一つの根底に
真本音が関わっているか否か?
それにより、
周りの人達が感じ取るものは、
特に、安定感や自然さは、
劇的なまでに変わります。

仕事をするにも
プライベートでも、
人生のどのような場面でも
真本音に基づいて生きることが、
道を創ります。

・・・・・
思惑とは、脆弱なものです。

特にこれからの時代、
人は、
脆弱なものを嫌います。

願いとは、安定感と強さを持ちます。
それは押しつけの強さではなく、
ただそこに在るだけの
自然な強さです。
そう、喩えて言えば
揺るがない富士山のような強さです。

「願い」に基づいて生きることを
選択すると良いでしょう。
もしこれまで、
思惑で生きて来たのだとしたら、
一刻も早く、
自分の人生を「願い」にシフトしましょう。

それは仕事もプライベートも
一切、関係ありません。
すべてを、真本音の「願い」に基づくものに
するとよいでしょう。

思惑の時代から
願いの時代へ。
もうすでに、
世の中は「変質」し始めています。

その流れに乗るのは、
今こそが
チャンスです。

つづく

2012年02月22日

8次元の愛 157 〜真本音は反応本音と共に

かすかに残る、人の面影。
かすかに残る、郷愁。
そして
かすかに残る、その時の気持ち。

私達の出発の記憶。

それは人生における
明確な記憶ではなく、
魂そのものの
始まりの記憶です。

始まりとは、
分離、という意味でもあります。
別離、という意味でもあります。

分離・別離の瞬間は、
誰もが経験した
ある種の悲しみの記憶です。

と同時にそれは
希望の記憶でもあります。

私達は、
始まったその瞬間、
悲しみと希望を同時に
抱えます。

それが、
人としての「心」の
始まりです。

反応本音の
始まりです。

・・・・・
真本音を大切に
生きましょう。

そうお伝え続けてきました。

しかしそれは、
反応本音を無視しましょう、
ということではありません。

真本音を大切にすること、
それは、
反応本音を尊重することとイコールです。

外からの影響によって生まれる
私達の心。
それが反応本音です。

反応本音があるからこそ、
私達は、人としての幸せを感じ、
人としての成長を遂げて行きます。

・・・・・
反応本音は、
実にたくさん生まれます。

一つのできごとを経験することで
私達は何らかの感情を生みます。
感情とは、反応本音の代表格ですが、
感情とは、決して一つだけでは
ありません。

楽しさの奥に悲しみがあり、
悲しみの奥に喜びがあり、
喜びの奥に、
実は怒りが隠れている
などなど、・・・
よくあることです。

私達の中には様々な個性の自分がおり、
それらが各々の本音を持ちます。
ですから、
たった一つのできごとにより、
数え切れないくらいの反応本音が
生まれます。

しかし残念ながら、
すべての反応本音を
私達は認識しているわけでは
ありません。

多くの場合、
自分にとって都合のよい反応本音のみを
私達は認識し、顕在化させます。
認識された反応本音は、
認識された瞬間から徐々に
解消されていきます。

反応本音とは、
認識されると消えていくのです。

認識されなかった反応本音は、
私達の中にずっと
残り続けます。

自分にとって都合の良くない反応本音ほど、
自分の中に残りやすいのです。
そしてそれらの反応本音が蓄積すると、
かなり強い力を持ち、
その力に私達は揺らされるように
なります。

一番、わかりやすい例が
トラウマです。

なぜ、
反応本音のみで生きるのをやめましょう。
と言い続けるのか?
それは、
反応本音のみで生きることで、
部分的な反応本音のみを見つめ、
あとの反応本音を無視し、
結果として蓄積してしまうからです。

・・・・・
真本音とは、
反応本音とは逆で、
認識すればするほど強くなるものです。

なぜならそれは、
もともとそこに在るものだからです。

もともと在るものは、
認識することで、
さらに安定したものとなります。
そして、
それ自体が、成長を始めます。

真本音とは
もともとの自分です。
もともとの自分が成長を始めることで
私達は、次元を高めます。

次元が高まれば高まるほど、
私達の心と魂は安定し、
私達は、心の中のすべてを
ありのままに観れる自分となります。

真本音が活性化するほどに、
私達は、自身の心の中のすべてと
向き合えるのです。
つまり、
すべての反応本音と
向き合えるのです。

それにより、
自分の中の「見たくなかった自分」を
きちんと認識し、
解消することができます。

解消されることで
心はクリアになります。

クリアになることで、
心は、とてつもなく楽になります。

そして私達はさらに
現実と向き合う気力を得、
逞しい一歩を踏み出し始めます。

真本音を大切にすることで、
すべての反応本音と向き合い、
反応本音を活かしながら、
最善の一歩を踏み出せるのです。

・・・・・
真本音とは、
心の中の「偉大なリーダー」であると
捉えるとわかりやすいでしょう。

すべての反応本音は
それほど強いものではありません。
ですから、
そこからリーダー格が生まれることは
滅多にありません。
ですから、
心の中で派閥ができたり、
いざこざが生まれます。

しかし、
真本音という偉大なリーダーが
現れることで、
徐々に、反応本音達が、
そのリーダーに従うようになります。

「リーダーの言う通りに行けば、
幸せになれるんだ!」

と実感することで、
すべての反応本音達が
リーダーに協力するようになります。

つまり真本音で生きることで、
心の中が「統合」されていきます。
一貫性が
生まれるのです。

しかし、それにより
反応本音達の「個性」は消えません。
様々な個性はそのままです。
個性がそのまま残るからこそ
その人らしい「調和」生まれ、
中心軸ができあがるのです。

それが本来の一貫性です。

すべての反応本音を尊重するからこそ
できあがるものです。

・・・・・
真本音を大切に生きる人ほど、
素直に反応本音を出します。

それは
「可愛らしい」出方をします。
そして
「その人らしい」出方をします。

真本音という「核」があることで
生まれる「その人らしさ」こそが
本来の個性です。

真本音の時代とは
各々の個性が際立った
人間性豊かな時代です。

自分を抑えて我慢しながら生きる
のではなく、
自分を自然に出しながらも
すべてと調和していくのです。

自分を大切にする、とは、
まずは
真本音を大切にすること。
そして、
反応本音を大切にすること、
です。

つづく

2012年02月21日

8次元の愛 156 〜真本音だろうか?

時と場合により、
私達は自分の人生の道のりを
強引に進まなければならないときが
あります。

例えば、
周りからの反対や
周りからの親切な意見、助言、
そして
周りからの提案などを
あえて受け取らずに
自ら決めた通りに進まなければならない、
というときがあります。

どれだけ自分が孤立しようとも
それでもその道を進もう、
とするときがあります。

そんなとき、
私達の胸に去来しているものは
何でしょうか?

あるときは「意地」かも知れません。
あるときは「顕示」かも知れません。
あるときは「プライド」かも知れません。
また、あるときは
「使命感」かも知れません。

いずれにしても私達は、
自分の向かう先、一点を
見つめて進みます。
そうでない限りは、
途中で挫折をするでしょう。

・・・・・
一点を見つめる力は、
強いものです。

そこのみを目指す歩みは
強いものです。

しかしその歩みには
二つの種類があります。

反応本音レベルのものと、
真本音レベルのものです。

もしそれが、反応本音レベルであれば、
一点を見つめる眼差しそれ自体に
力が籠ります。
常に全身に力を入れ、
無我夢中で進むでしょう。
その力は強大ですが、
残念ながら、
あまり長続きしません。

もしそれが、真本音レベルであれば、
一点を見つめる眼差しは
何の力も入らず、
むしろ微笑みさえ浮かんでいるかもしれません。
一点はしっかりと見つめていますが、
周りもまた、よ〜く観えています。
むしろ、自分を反対する周りの一言一言が
仲間からのエールに聴こえます。
人生の宝に感じます。
反対意見はきつい場合がありますが、
しかしそれを受け取る心の根底には
いつも、あたたかさが宿っています。

ですから、
意図せずとも、無理せずとも
道ができていきます。

真本音レベルで一点を見つめる人は、
今この瞬間の一歩も
よ〜く観えています。
この一歩を、楽しむことができます。
道は遠くとも、
一歩一歩が幸せです。

そして、実はそういう人には、
自分が「強引に道を進んでいる」という感覚も
ありません。
自分は調和の中で自然に進んでいる、
と感じています。

しかし、周りから見ると、
「あの人は、いつも揺るがなく
 自分の道を進む人だ。」
という印象となります。

・・・・・
真本音の時代に近づいている今、
そしてこれからは、
反応本音レベルの強行突破は
ほぼ、通用しなくなってきます。

どれだけ莫大なエネルギーを
そこにかけたとしても、
通用しなくなってきます。

真本音で道を創る人には
やさしく、
反応本音で道を創る人には
厳しい時代です。

自分の道を自ら創ることは
大切です。
しかしその「もと」となっている
自分の心が、
真本音か反応本音か?
どちらだろうか、という視点が
極めて重要になってきます。

・・・・・
真本音か反応本音か?
の区別をつけるためにできることは
簡単です。

常に自分に問いかければよいのです。

「この私の発想(または行動・選択など)は
 真本音だろうか?」
と、いつも問い続ければよいのです。

気持ち良く、何の淀みもなく
「そうだ」と思えれば、
真本音の可能性が高く、
そうでなければ、
反応本音の可能性が高いでしょう。

それを常に続けます。

例えば、朝起きて、
最初に「顔を洗おう」と思ったとします。
その自分の選択は、
「真本音だろうか?」
と問うてみるのです。

そんな日常的な些細なことからも
練習はできるのです。

それを続ければ、
徐々に区別がつくようになります。

区別がつけば、
いざという選択のときに、
真本音の判断ができるでしょう。

最初は少し面倒かも知れませんが、
そういった努力も
必要な時代です。

つづく

2012年02月20日

8次元の愛 155 〜中心の中心の愛

一つの星があります。

その星は、
いつも同じ輝きで
そこにいます。

いつも同じ位置。
同じ光。
同じ明るさ。
同じあたたかさ。

どんなときも
変わることはありません。

どんなときも
変わらない存在を
間近に感じるとき、
私達は言いようのない
安心感を得ます。

私達は
揺るぎないものの存在を
いつも渇望しています。

そしてそのような存在には
自然に惹かれます。

生きるということは
揺らぎ続けること。
揺らぎの中で進み続ける私達には、
揺るぎないものが
帰る場所のように
自身の支えとなります。

・・・・・
揺るぎないものを
私達の多くは、
「外」に探します。

しかし残念ながら、
「外」には、
揺るぎないものは
存在しません。

たとえ存在するとしても、
それは遠い彼方のものです。
まるで彼方に輝く
星のように。

星も本当は揺らいでいます。
いついかなるときも
変わらないように見えていたその星も
近づけば近づくほど、
その揺らぎが明確になるでしょう。

揺るぎないものは、
「外」にはないのです。

・・・・・
真に揺るぎないものとは、
私達の心の中心の魂の中心
にあります。

3次元世界に住む私達には、
中心の中心と言うと、
単なる一点をイメージしますが、
本質的には、
中心の中心とは、
「無限」です。

そこには宇宙以上の
「無限」が存在します。

その「無限」とは、
ありとあらゆるものを
抱いています。
ですからそれは、
決して揺らぐことはありません。

・・・・・
ありとあらゆるものを
抱く以上に、
揺るぎないものがあるでしょうか。

あるものは受け入れ抱き、
あるものは排除する、
という状態では、
必ず何らかの揺らぎが生まれます。

受け入れるものは「自分」、
それ以外は「自分以外」。
自分と自分以外という分け方を
することそのものが、
揺らぎの始まりです。

すべてを抱く存在こそ、
私達に真のやすらぎを
もたらしてくれます。
そしてそれは、
すべての私達(=人間)の中心に
存在しているのです。

・・・・・
私達の中心にある、
その「揺るぎないもの」を
思い出すとき、
私達は、認識します。

すべては一つ、であると。

すべては私、であると。

それは3次元レベルの理屈や理論で
捉えられるものではありません。
それは、
真理を実感する「確信」として
当たり前のようにわかるものです。

な〜んだ。
すべては一つだったよ。

すべては、
私だったんだ。

そして、
なんだか
可笑しくなってきます。

すべてが
可愛らしく感じられます。

それが、
8次元の愛のスタートです。

・・・・・
真本音の時代が
間近に迫っている今、
8次元の愛を思い出す人が
急増中です。

もう少しで
それを思い出しそうな人達も
さらに急増中です。

この波は
大きく大きく広がっています。
それが今の
自然の流れなのでしょう。

自然の流れに
身を任せられる私達で
ありたいものです。

ぜひ、
自分自身の
中心の中心に意識を向けながら、
日々歩いてまいりましょう。

つづく

2012年02月17日

8次元の愛 154 〜本当に知りたいことはなに?

やがて、私達は
多くのことを知ることに
なるでしょう。

これまでずっと不思議だったこと、
これまでずっと
心の深奥で知りたがっていたこと、
永遠の謎だと
思い込んでいたこと。

それらの答えが
いとも簡単に
わかる日が来ます。

わからなかったことが
わかるようになる、
というのは
幸せなことです。

当然ですが、
わかることで
さらにわからなくなることも
多いでしょう。

しかし私達は
様々な答えを知れば知るほど、
自由になります。

心が、というよりも
魂が自由になるのです。

・・・・・
今、あなたが
一番知りたいことは何でしょうか?

それは、
「たまたま今この状況だから」
知りたいこと、ではありません。

「いついかなるときもずっと」、
抱き続けている
疑問です。

例えば、
自分はなぜ
生まれてきたのか?

本当は何のために
生きているのか?

本当の幸せとは
何だろうか?

本当は、
自分とは
何者だろうか?

本当の
自分の役割とは
何だろうか?

わかるようでわからない。
永遠の謎のような問い。

他にもたくさんあると思いますが、
あなたが一番知りたいこと、
これさえ知れば、
私はもっとスッキリと生きていける!
と思える問いは、
何でしょうか?

・・・・・
その問いとは、
私達の「魂のテーマ」であり、
「真本音のテーマ」です。

真本音のテーマには、
真摯に向き合い続けることです。

答えがわからないことに
向き合い続けるのは疲れる、
と思われるかもしれません。

しかし、真本音のテーマに関しては
逆です。

答えがわからないからこそ、
向き合い続けることで、
人生が
「その答えを見つける方向」へと
進み始めます。

そしてそれは、
答えがわからずとも、
私達に幸せ感をもたらします。

しかも、
真本音の時代に入れば、
私達の多くが、
この人生を終えるまでには
明確な答えに行き着くでしょう。

本当に知りたいと思っていた疑問に
答えが出るのが
真本音の時代の特長です。

そしてその答えがわかることにより、
次の疑問が湧き上がります。
それこそが、
新たなる「真本音のテーマ」です。

これまでのテーマから
新たなるテーマへ。

その重要なターニングポイントに
今の私達は
いるのです。

・・・・・
今だからこそ大切にすること。

それは、
私達の心の中に眠る
本当の疑問に気づくことです。

私はいつも
どのような疑問を持ちながら、
今を生きているのか?

そこに敏感になることです。

自分の心と向き合うとは、
自分の疑問と向き合う
ということでもあります。

疑問とは
人生を豊かにしてくれるもの。

そう信じて、
自身と向かい合ってみては
いかがでしょう。

つづく

2012年02月14日

8次元の愛 153 〜「かけら」を見つける

本当は、
すべては調和しています。

調和とは、
個々が本来あるべき姿で
そこに在り続けている状態を言います。

一見、不調和に見える現実も
不調和に見えることで
調和している、
ということが少なくありません。

調和しているかどうか?は
私達の表層的な解釈を
超えたところに真実があります。

むしろ、
私達の反応本音レベルの解釈が
せっかく調和しているものを
かき乱すことの方が多いでしょう。

そういう意味で、
私達は浅はかです。

しかし、
すべてを調和させている私達は、
私達が想像している以上に
深い存在です。

今ここに在ることの
本当の意味を知るためには、
解釈の前に「感じる」ことです。
解釈の前に「観る」ことです。

そして私達の深奥の部分、
つまり真本音が、
何を呟いているかを「聴く」ことです。

・・・・・
海はいつも波打っています。

嵐の日はもちろん、
穏やかに晴れている日であっても
海はいつも波打っています。

波打つことこそが、
調和だからです。

何も動かない、
完全なる平衡状態とは、
調和に見えて調和ではありません。

それは衰退であり、
退化の状態です。

調和とは、進化の状態を言います。
それは深化でもあります。

ですからそこには必ず、
「かけら」が存在します。

そして、
「欠けている部分」が存在します。

「かけら」が離れ、
平衡状態から脱することで、
すべては「進化」の方向に向かいます。

そこでは様々なものがうごめき、
様々なものが干渉し、
様々なものが分離し、
様々なものが融合します。

大きく観れば、
それらすべてが進化への道です。

そしてそれらすべての動きが、
調和です。

調和とは、活気があります。
調和とは、パワフルです。
かつ、調和とは
静謐です。

安定しています。

・・・・・
自分自身の中の
「かけら」を
探しましょう。

その「かけら」があるからこそ、
一見すると自分が
不安定になる気がするでしょう。

しかしそれこそが
宝物です。

この「かけら」がなければよいのに。

そう思っているものこそ、
宝物であったりします。

なぜその「かけら」が存在するのか?
なぜ自分は、その「かけら」を
持ち続けるのか?

そこには私達自身の
大いなる意志が込められています。

その意志と向かい合いましょう。

そのためには、
自分の「かけら」を宝物として
愛するのです。

それは
自分自身の本質を愛することになり、
自分の心を調和に導きます。

自分の進化に結びつきます。

調和とは進化。
進化とは愛です。

自分の「かけら」を愛することで、
私達は、
すべての人の「かけら」を
愛せるのです。

つづく

2012年02月13日

8次元の愛 152 〜パワーとして光として感じる

愛するという行為とは、
愛というパワーの込められた行為
ということです。

愛とはパワーであり、
そのパワーは、
私達を本来の私達に戻そうと
してくれるものです。

本来の私達。
「一つ」であった私達、
です。

いえ、今でも私達は
「一つ」のままです。
すべてはつながっており、
たった一つの場所から
すべての物事は始まっているのですが、
それを忘れてしまっているのが、
私達の多くです。

思い出すことが大切。

愛とは、
それを「感覚として」
思い出させてくれるパワーです。

・・・・・
愛は感覚として認識されますから、
それは理屈を超えています。

どれだけ「愛しているよ」と
連発しても、
そこに本当の愛のパワーが
込められていなければ、
それはとても空虚に
感じられます。

言葉を超えたものが
愛です。
言葉とは、
その、愛というパワーの土台の上に
乗っかっているものです。
私達は言葉によって、
その愛の土台に気づくきっかけを
得ます。

ですから、
言葉も重要です。
感覚だけでは掴めないことも
当然あるからです。

・・・・・
まずは、
自分自身の発している愛のパワーを
自ら認識することが大切です。

自分から光が発せられているのを
感じてください。
それは、イメージではありません。
感じてください。
ありのままに。

その光は、何色をしていますか?
どのような波長ですか?
あたたかさは?
やわらかさは?
音はありますか?

そしてその光は、
どんなときに強くなり、
どんなときに弱くなりますか?

通常は、
7次元以上の意識が開花すれば、
その光は、
いついかなるときにも
同じように発せられ続けます。
6次元以下ですと、
時と場合により強弱が出ます。

そして8次元になれば、
その光は、
格段に強く、深くなります。

自分自身の愛の光に意識を向け、
それをいかに活かすか?
という視点から
自分の在り方を見つめてみましょう。

人との関わり方が
劇的に変化する可能性があります。

・・・・・
人も物も、すべてが
常に何らかの光を発しています。
ただそれが可視化できていないだけです。

その光を、「波動」と呼ぶケースも
あります。
自分の起こしている波、ですね。
自分の出している空気感と言っても
よいでしょう。

その空気感が、
人間関係に多大なる影響を与え、
結果として、
人生に影響を与えます。

自分の発しているものに
敏感になれば、
他の人達の発しているものにも
敏感になれます。
すると、
人と人が関わるその場その場で、
その光(波動・空気感)が
どのように影響し合っているか?
そこでどのような融合が起こり、
干渉が起きているか?
などが、ありありとわかるように
なります。

すると逆に、
愛というパワーが
いかに人々に良い影響を与えているか、
ということも実感できるでしょう。

・・・・・
私達すべての人間の根本的本能の一つ。
それは
「一つに戻りたい」ということです。
愛とは、
その本能に即したパワーです。

ですから、
誰もが愛を望んでいます。
愛を放ち、
愛を受け取ることを
望んでいるのです。

真本音の時代は、
8次元の愛の溢れる時代と
なります。

つづく

2012年02月11日

8次元の愛 151 〜体は教えてくれる

瞳と向き合ってみてください。

自分自身の瞳です。
鏡で観てください。

その瞳は、
何を語りかけてきていますか?

瞳は、
澄んでいますか?
濁っていますか?

瞳は、
元気ですか?
疲れていますか?

瞳は、
奥深いですか?
奥が閉ざされている感じですか?

瞳は、
笑っていますか?
泣いていますか?
それとも
怒っていますか?

自分の瞳は、
自分自身にも気づいていない心を
反映してくれます。
いえ、
心だけでなく、
魂の声を反映してくれます。

瞳の状態を観れば、
今の自分の真本音度合いも
把握できます。

真本音が活性化しているな、と
思えるときの瞳と、
そうでないときの瞳の区別がつけば、
自己管理が楽になります。

そして、
真本音度合いの高いときの瞳は
パワーをくれます。
鏡に向かって自分の瞳と向き合うことで、
全身にパワーが宿ります。

瞳とは、
その人のパワーを注ぐ
窓口のようなものでもあります。

真本音度合いの高い人が、
人の目をみて向かい合うことで、
パワーを与えられるのは、
そのためです。

・・・・・
私達の体は魂の入れ物である、
という考え方があります。

確かにその通りですが、
体も、私です。

魂や心と体を別物として捉えるよりも
一つとして捉えてみましょう。
すると、
体は私達の味方になってくれます。

体は、様々なシグナルをくれます。
体からのシグナルをキャッチできると、
自分の魂や心の状態を把握できます。

私達の体は、
私達の魂と心が元気であってほしい、と
願っています。
そう願う、自分自身の体を
自分が信じることです。

自分の体との
信頼関係を高めましょう。

・・・・・
いざというときに勇気を出せるか?
いざというときに決断ができるか?

それは、
真本音の活性度合いによりますが、
さらに言えば、
真本音と体との一貫度合いにも
よるのです。

自分自身の真本音と一貫性のある
体であること。

これ、
実は非常に重要です。

では、どうすればそういった
体創りができるか?
その答えは、真本音が
知っています。
体自身も知っています。

体に訊いてみてください。
「今日は、何を食べたい?
 何を食べたくない?」
「今日は、何をしたい?
 何をしたくない?」
「今日は、何時に寝たい?
 明日は、何時に起きたい?」
etc…
そしてできるだけ、
体の意見を尊重してみてください。

そうすることで、
真本音との一貫性が高まります。

真本音と一貫した体は、
いついかなるときにも
私達の味方となってくれます。

つづく

2012年02月10日

8次元の愛 150 〜向き合って進むだけ

笑顔とは、
自然に溢れてしまうものです。

笑顔をつくろうとして
笑顔になるのではなく、
自然に溢れる笑顔は
その人の本質を表します。

真本音度合いの高い人の多くは、
自分が今、笑顔でいることに
気づいていません。

にこやかなお顔ですよ、と
伝えると、初めて
「えっ、そうなんですか?」
とびっくりされます。

顔のこわばりが自然に解消されることで
笑顔に近い表情になるのでしょう。
それは、顔のカタチだけのことではなく、
全身の雰囲気からも漂います。
その人のそのお顔と、
体の放つものが完全に一貫している状態です。

そうなるともう、
その人の周りには、
人が自然に集まります。

真本音度合いが高まるにつれて
人間関係が楽になった、とか
スムーズになった、と言われるのは、
当然のことですね。

・・・・・
そういった人が
真剣な表情をされますと、
それは、光輝くような力を持ちます。

そしてその真剣さに対しての
共感が、
自然に起こります。

本人は、
何ら説得しようとはしていません。
説明しようとさえしていません。
ただ真剣に、
素直な想いを口にしているだけ。
しかし、
自然に共感が生まれます。

真本音で生きる人には
仲間ができます。
それは、魂レベルで共感できる
仲間です。

真本音は、
すべてとつながっていますから、
すべてと「一つ」ですから、
そうなることも
当然の結果です。

・・・・・
自分の個性は、
本当は、
自分自身ではよくわかりません。

ですから、
自分の個性を活かそう、と
思うこと自体が、
ちょっと自然ではないのです。

真本音で生きる人は、
自分の個性のことなどは、
考えていません。
個性は知らないうちに
それこそ溢れるほどに
発揮されています。

周りの人達は、
それを傍からみて
「あの人らしいな!」と
思うわけですが、
本人はいたって、自分らしさを
わかっていません。
本人はただ、
自分の確信に従って
素直に生きているだけです。

真本音で生きる人に観えているのは、
自分の個性ではなく、
自分が動くことで自然発生する
周りの人達の「幸せ」です。

それを観ること自体が、
自分の幸せにもなりますし、
自分のパワーにもなります。

いえ、
もっと正確に表現すれば、
自分と他人、という境界すら、
明確には感じていないでしょう。

・・・・・
以上のようなお話をすると、
あぁそうそう、わかるわかる!
と反応される方が
急増しています。

真本音の時代への接近を
感じます。

そういう人がもっと増えるとよいな、と
思います。
実際に、加速度的に増えていくことは
確かなことですが。

私達にとって、
自分の心や、自分の現実に向き合う
ことはとても大切です。
しかし、
自分の心や、自分の現実を
評価判断する必要はありません。

解釈はもう、
必要ありません。

ただ、
今ここに在るものを観て、
自分は今、どうしたいか?
ということに素直に従うだけです。

それを、どれだけ純粋にできるか?
です。

向き合って進むだけ。

それが、
私達のすることです。

つづく

2012年02月09日

8次元の愛 149 〜荷物は持ちたいだけ持とう

私達の多くが望んでいることは、
私達自身の歩みが、
できるだけ軽やかになること
ではないでしょうか。

一歩一歩を重苦しく進む人生よりも
できるだけ軽やかに気持ち良く
進む人生を望んでいます。

歩みが軽やかになるということは、
それだけ意識が内にも外にも
向かうようになるということです。

重い荷物を背負い、
背負うことだけに精一杯になるのではなく、
荷物が軽くなれば、
好きなことを考えたり、
周りの景色を見るゆとりが生まれます。

人生を山登りに喩えれば、
それはもう、
荷物が軽い方が楽しいでしょう。

・・・・・
と、考えるのが普通ですが、
実は、そうとも限らないのが
私達の魂の願いでもあります。

山登りで言えば、
軽い荷物で楽しむよりも、
あえて重い荷物を背負い、
一歩一歩を必死に歩むことにこそ
楽しみを見出す人もいます。

それはただの自己満足ではないか?

という意見も確かにあります。
しかし、
重いからこそ観えてくることが
あるのも事実です。

昔、私は登山をしていましたが、
何10kgもする重いザックを背負い
歩くことで感動した同じルートを、
後日、軽装でもう一度歩いたら、
拍子抜けしてしまった経験があります。

同じルートだったから新鮮さがなくなった、
ということも言えるでしょうが、
やっぱり、歩みの軽さにも
原因があるようでした。

荷物が軽くなることで、
一歩一歩の印象や、真剣さまでもが
軽くなってしまうと、
どうでしょうか?

ここが一見すると
混同しやすいところです。

真本音の時代とは、
楽で気持ちの良い時代です。

しかし、
一歩一歩の印象も、
一歩一歩の真剣さも、
より強く実感できる時代でも
あるのです。

楽だからこそ、
今の一歩に魂が宿ります。
楽だからこそ、
今の一歩に命を込めることが
できるのです。

・・・・・
真本音の歩みとは、
気持ちの良い歩みであるのと同時に、
それは意義深い歩みです。

その時は、さっと駆け抜けた一歩で
あったとしても、
後で振り返れば、そこには
計り知れないくらいの意味や
感動が潜んでいたりします。

それは軽い一歩かもしれませんが、
それは、大きく拡がる波紋の
一打となり得ます。

軽くて気持ちが良くても
必ず、
それは意味深い自身の次へのテーマを
喚起します。

そして私達は、そのテーマに
軽く、
向かいます。

楽しく、
向かいます。

しかし、そこでの一歩は、
またもや意義深く・・・。

それが真本音の歩みです。

・・・・・
持ちたい荷物は
持ちたいだけ持ちましょう。

ただしそれを判断するのは
私達自身の真本音です。

他の誰かの判断ではなく、
自分自身の反応本音の判断でも
ありません。

真本音は知っています。

今、自分はどれだけの荷物を持ち、
どれくらいの重みのある一歩を
踏み出せばよいのか?

真本音で持ちたい荷物は
持ちたいだけ
持てばよいのです。

つづく

2012年02月08日

8次元の愛 148 〜堂々と気持ち良く

次元の高低による影響とは
私達が思っている以上に
大きいものです。

街を歩いていますと、
次元の高い場所、低い場所が
そこかしこに点在しています。

それは私達の心模様と
同じです。

すべての現実は
私達の心の反映ですから、
当たり前の話ですが。

もともとは「場」の次元とは
私達人間の意識が生み出したのですが、
今度は逆に、
そこでできあがった「場」の空気に
私達の意識が影響を受けるようになります。

次元の高い場に立てば、
私達の真本音は活性化し、
調和へと向かう発想や行動が
自然に喚起されます。

次元の低い場に立てば、
逆の現象が起こります。

単純に
「気持ちの良い場所」に
居続けることは大切です。

・・・・・
「場」に限らず、
私達は「気持ちの良さ」に
素直になりましょう。

気持ちの良い物を持ち、
気持ちの良い習慣を続け、
気持ちの良い環境に身を置く。

気持ちが悪いなぁ、と思ったら、
それを
改善することが気持ちが良いか?
そこから
離れることが気持ちが良いか?
を自問します。

そして、
改善すべきは改善し、
離れるべきところからは
離れればよいのです。

そのようにして
朝から晩まで、できるだけ長く、
気持ちの良い状態を
維持します。

するとやはり、
私達の真本音(最高次元の意識)が
活性化し、
自分の人生の一歩一歩の選択を
最善のものとしてくれます。

結果として、
さらに「気持ち良さ」を
創りやすくなります。

そういった好循環を
生み出しやすい状態に、
今の地球は入ったとお考えください。

これも、真本音の時代への
大切なステップです。

・・・・・
自分自身の心の中に、
気持ちの悪い心はありますか?

あれば、
まずはその心をしっかりと
観てみましょう。

何が「気持ち悪さ」を喚起しているのか?
それをきちんと把握しましょう。

そしてその心は、
このままで良いのか?
より良い状態に改善した方が良いのか?
どちらが気持ち良いか、を判断します。

このままで良いのであれば、
このままにし、
改善の必要があれば、
「改善しよう」と
決めてください。

完全に決めてください。

それだけでOKです。
完全に決めれば、
あとは真本音がやってくれます。

・・・・・
真本音の時代とは
気持ちの良い時代です。

つまり、
そこにいる一人ひとりが
気持ち良く生きている、
ということです。

そういった時代に私達は
入ろうとしているのです。

堂々と、
私達自身の気持ちの良さを
育てていきましょう。

つづく

2012年02月07日

8次元の愛 147 〜楽に破壊する

「楽」
という言葉があります。

「らく」。

「ら」の本来の意味は
「愉快」です。

「く」の本来の意味は
「走る」です。

つまり「らく」とは、
「愉快に走る」
という意味です。

楽に生きる、とは
止まるということでは
ないということですね。

楽に生きるからこそ、
私達は走り続けることが
できるのです。

それも、愉快に。

真本音の時代とは、
愉快な時代です。

だからこそ、皆が
走り続けられるのです。

真本音の時代では、
これまで3年かかって実現されたことが
たった3日でできるかもしれません。
これまでの私達の固定観念が
根底から崩れ、
新たな視点が生まれます。

それは、
私達人間の本来の力を
喚起する視点です。

・・・・・
破壊、というと、
怖いイメージがあります。

しかし、創造のためには
破壊が必要です。
壊す、という事実のみに目が行けば、
それは「苦しみ」とか「諦め」を
喚起するようですが、
創造のための一歩であるという視点に立てば、
「どのように破壊するか?」
が、非常に重要であり、
「よい破壊をしよう」という
意識が生まれます。

「はかい」。

「は」の本来の意味は、
「水」です。
「かい」の本来の意味は、
「拡散する」です。

「はかい」とは、
「水が拡散する」
ということになります。

水とは、命の象徴です。
水が拡散することで、
そこからたくさんの命が
育まれる土壌が生まれます。

たくさんの命、
たくさんの良き創造が、
そこから生まれるために、
固定化されたエネルギーを
いかに拡散させるか?

これが、破壊を考えるときの
重要な視点です。

すべての物事は、
エネルギーの塊です。
中には、固まることで
負のエネルギーとなってしまっているものも
あります。

それらを拡散することで
本来のエネルギーを生み出すものへと
変換します。

それらが次々に行なわれるのが、
真本音の時代です。

そして当然ですが、
それをするのは、
私達人間です。

・・・・・
破壊を恐れない私達になることです。

その後の創造を視野に置き、
破壊を避けるのではなく、
良い破壊が起こるように最善を尽くす。

それが、今の私達に
求められている生き方です。

自分の人生もそう。
周りとの関わり方もそう。
組織や社会のしくみもそうです。

人の反応本音のみによって
創られたもの、
真本音度合いの低いものは、
脆弱です。

脆弱なものは、これから
自然に崩れていきます。

崩れるものを守るのではなく、
本当に大切なものを守るために、
良い崩し方をするのです。

破壊の後の創造の眼差しを
持ちながら、
必要なものを最後まできちんと
破壊する。

楽に破壊する。

明日から、
それを大切にしましょう。

つづく

2012年02月05日

8次元の愛 146 〜地球と共に生きる

地球の本当の美しさは、
その外面だけではなく、
内面にこそあります。

あらゆるものを受け止め、
あらゆるものに土壌を与え、
あらゆるものに育む機会を
与えます。

その大らかさ。
その懐の深さ。
その毅然とした姿勢。
そしてその、あたたかさ。

その地球に抱かれる私達は
もっと地球に
感謝をせねばなりません。

私達がどれだけ間違いを犯しても、
いつもにこやかに
私達が自ら本来の道に気づき、
自らの歩みを始めるのを
待ち続けてくれます。

その大きさに、
感謝をせねばなりません。

・・・・・
それにしても随分と私達は
地球を痛めつけてしまいました。

それは3次元レベルの話だけでは
ありません。

地球に大きなストレスを
与え続けてきました。

これからの私達は、
地球に恩返しをします。

私達が、自らの本来の生き方を
取り戻すことで、
地球は幸せを感じます。

私達は、
私達の本来の生き方を
日々実践することで、
地球に恩返しをします。

・・・・・
世の中にある、あらゆるものは
私達の心の反映です。

私達の心の中で起きていることが、
時間差で
この現実世界に現れます。

心を整え、
心を楽にし、
心が自然体に戻ることで、
その反映として、
本来私達が創るべきものが
この現実世界に現れるようになります。

それをするだけです。
たったそれだけのこと。

慌てることはありません。
毎日、毎日、
1分1秒、
それを続けるだけのことです。

私達自身が幸せになることで、
すべてが幸せになります。
地球も幸せになります。

・・・・・
私達の真本音と
地球の真本音は
つながっています。

いえ、つながっているというよりも
「一つ」です。

そういう意味では、
地球そのものも
私達自身の反映です。

ですから私達は全員、
地球の真本音を感じ取ることが
できます。
もちろんそれを顕在化するには
少し時間が必要かもしれませんが、
私達は、潜在意識レベルでは、
いつも地球の意思を感じ取りながら
生きています。

それに敏感になることで、
私達は、自分自身の次の一歩を
より明確に見出すことができるでしょう。

思い出してください。

8次元の愛とは、
すべてが一つであることを
完全にわかっている意識に基づいた愛
です。

私達が、その意識で
日々過ごすだけで、
私達の愛は、地球に伝わります。

・・・・・
現実と向き合う、とは
地球と向き合う、ということでも
あります。

私達の目の前に展開する
ありとあらゆる事象と、
私達はしっかりと
向き合ってまいりましょう。

これから現実世界では、
様々なことが起こります。

そのできごとの一つ一つに
囚われ、揺れるよりも、
ただ、向き合う。

その姿勢を大切にしましょう。

道は必ず、あります。
地球上であれば、
道は必ず、あるのです。

地球を信じ、
私達自身を信じましょう。

つづく

2012年02月04日

8次元の愛 145 〜昨日から始まったのです

初めて、この世界にやってきた
宇宙人だとしましょう。

あなたはこの世界にやってきて
何を感じると思いますか?

この世界の空気感。
この世界の光景。
この世界の人々の振る舞い。

そこから
何を受け取ると思いますか?

・・・・・
その宇宙人はきっと
戸惑うと思います。

この世界は、
めくるめく混沌と同時に、
きらめく美しさの両方を
合わせ持っているからです。

しかもその極端なこと。

同じ世界に、
なぜこれほど真逆なものが
共存できるのだろうか?

とても不思議に思うでしょう。

私達がこれまでの歴史において
創り上げて来た世界の特徴は
ここにあります。

・・・・・
美しくなるために
醜さを排除する。

という考え自体が
美しさを陰らせるでしょう。

かと言って、
醜さを無理に受け入れるという
不自然な心も
美しさを陰らせる原因となります。

地球は美しい星ですが、
あまりに多くのものを
抱え過ぎました。

部屋で言えば、
「もっともっと美しく」と言いながら、
次々にいろいろなものを買いあさり、
部屋から物が溢れ出るように
なった有り様に似ています。

何をどのように付け足しても、
部屋の中の混沌は
解消されません。

部屋を本当に居心地のよい
美しいものに戻すには、
一度、すべてを白紙にし、
本当に欲しい物のみ、
本当に必要な物のみを
そこに残しておくことが必要です。

この地球では、
それが昨日から始まりました。

・・・・・
すべてを白紙にする、という表現は
恐ろしいかもしれません。

しかし恐れることはありません。

必要でないものを
私達の意志(真本音)で、
一つ一つ片付けていくだけです。

大切なのは、
私達の本当の意志(真本音)を
私達自身がキャッチできるかどうか?
です。

それをキャッチしやすい土壌が
完成しました。

それが昨日です。

つまりは、
部屋の掃除をしやすい状況が
整ったということです。

・・・・・
私達人間にとって
反応本音のみで生きることは
苦しいことです。

私達人間にとって
真本音を大切に生きることは
自然で楽しいことです。

自然で楽しいことには向かいやすく、
苦しい方向には行きづらい、
という極めて当たり前の状況が
地球の「空気感」として
地球の「潮流」として
できあがりました。

それが昨日のことです。

ですから、
真本音で生きることが
今後ますます簡単になります。

自分が本当に大切にしたいものを
大切に抱きながら進む人生を
望めば望むほど、
物事が自然に展開するという
土壌ができたのです。

逆に言えば、
自己犠牲や他者犠牲の上で生きることが
非常に困難になります。
それらの癖を持つ人にとっては、
自己変革のチャンスとなります。

・・・・・
真本音の時代に
正式に入るのは、
来年の半ばあたりです。

しかしもはや私達は
「真本音の時代に入った」と
認識して進むとよいでしょう。

スタートラインの手前から
走り始めれば、
スタートと同時に、
一気に気持ち良く
駆け出すことができます。

そのためにできることは
たくさんあります。

それを一つ一つ
発信させていただくつもりです。

つづく

2012年02月03日

8次元の愛 144 〜今日からのために

合図があります。

必ず何らかの合図があるのです。

それをキャッチするかどうか。
キャッチできれば、
真本音で生きることは簡単です。

・・・・・
私達は、自分の心を観る力を
残念ながら、
失いました。

自分の心であるにも関わらず、
自分自身が一番理解できていない。
そんな状態が「当たり前」と
なってしまいました。

本来であれば、
自分の答えはいつも心の中にあるのに、
しかもかなり明確なのに、
その答えを放ったままで、
自分以外の何かからの答えを
無理矢理に自分に当てはめ、
つらい一歩を踏み出してしまいます。

そしてそれが「生きること」であり、
「当たり前のこと」であると勘違いし、
答えがあるにも関わらず、
答え通りに進まない人生を
創り上げてしまいます。

自分の答えと違う歩みによって
創り上げれられた道。
その道は、残念ながら
他者の道と調和することが
極めて難しい道です。

よって、そこに「ぶつかり合い」や
「争い」が起き、
それらが起きることが「世の中である」と
思い込み、
本来とは違う世の中を
皆で創ってしまいます。

それが「反応本音の時代」。
これまで私達人類が
創り続けてきた時代です。

残念なことですが、
正常で自然とは言い難い
これまでの道のりでした。

・・・・・
私達はもともと「一つ」です。
ですから、
「私達全員の真本音」が存在します。

それは、
「地球の真本音」でもあります。

地球の真本音は、
私達に様々な合図を送り続けて来ましたが、
私達はそれらをキャッチすることができず、
地球(=私達全員)の望む道とは
異なる道を創り続けました。

その結果、
地球はかなり弱ってしまいました。

人にストレスが発生するのと同様に、
地球にもストレスが発生します。

そのストレスが臨界点を超えてしまえば、
様々なことが起こるのは当然です。

様々なことが起きてから、
3次元レベルでその一つ一つに
対処していても、
まったくもって遅いです。

私達が、本来の生き方、
本来の道を創ることで、
地球は初めて
本来の元気さを取り戻します。

・・・・・
今日、2月3日は、
そんな地球にとって
大きな転換点となる一日です。

その一日はまだ
終わっていません。

そしてこの一日が終わったとしても、
今日は明日から始まる日々の
スタート地点にしか過ぎません。

真本音を忘れた反応本音によって
創られたあらゆるものは
明日から、次々に破壊されるでしょう。

真本音に基づいて
創られたあらゆるものは
明日から、
逞しく育まれ始めるでしょう。

破壊されるものと
育つもの。
そのコントラストが
際立つのが、
今日から来年にかけての日々です。

それは、
反応本音の時代から真本音の時代への
最も激しい移行期です。

それが今日から、
始まります。

私達の目の前に展開する
あらゆる現実を、
私達は
「あるがままに」
受け止めましょう。

そして自身の「次の行動」のすべてを、
私達は真本音で
決めましょう。

道を拓き、
道を創るのは、
これからです。

今日から始まる日々のために、
これまでずっと
メッセージを発信し続けてきたのです。

本当の生き方を
本来の生き方を
私達は取り戻しましょう。

その絶好のチャンスが
今、始まったのです。

つづく

2012年02月02日

8次元の愛 143 〜明日(2月3日)のために

やっとたどり着いた目的地で
自分が手に入れたものを眺めると、
なんだこんなものか、と、
失望したことはありませんか?

ずっと追い求め続けてきたものが、
いざ手に入ってみると、
拍子抜けにも似た感じを
得たことはありませんか?

どこかにたどり着く。
何かを手に入れる。

その瞬間を私達は夢見ますが、
その瞬間とは多くの場合、
次の歩みへの通過点に
過ぎません。

ゴールの設定は大切です。

しかし、私達の人生に
ゴールはありません。

夢を持つことも大切です。

しかし、私達の人生は
その夢の実現のために
在るのでもありません。

私達の人生は続くのです。
先へ、先へ、と
続くのです。

人生における
あらゆる地点は、
通過点に過ぎません。

・・・・・
そう捉えたとき、
あなたは人生において
何を成し遂げたいですか?

何を実現し、
どこに向かい続けたいですか?

人生にゴールはない、
という眼差しを持つことで、
上記の問いの答えが、
大きく変わることがあります。

ゴールがないという事実を
よく知っているのは
私達の真本音です。

ですから、その視点は
私達の中にある真本音の答えを
喚起するきっかけとなります。

・・・・・
これまで経験したことのない
新たな分野に取り組もうとする瞬間が
人生には何度かあります。

その瞬間、私達の心はリセットされ
そこから新たな人生が
始まるような気がします。

その「新鮮さ」はとても大切ですが、
やはり、どれだけ新たなことに
人生の方向を転換したとしても、
私達の人生はつながっています。

一本道として、
つながっています。

そのつながりを意識し続けているのも
私達の真本音です。

真本音とは、
人生を、
永遠に続く一本道として
認識しています。

・・・・・
私達は、一本道のど真ん中に
立っています。

私達の真本音は
私達の先にある道が
完全に観えています。

延々と続く道が、
はっきりと観えています。

ですから、わかるのです。
次の一歩をどうすればよいか?
次の一歩で何をするか?

だからそれは、
迷いのない確信として
浮かび上がるのです。

・・・・・
さらに、
私達のその一本道は、
他の人達の一本道と
完全に調和しています。

そしてその一本道と一本道は
ある時ある瞬間に、
統合、融合されていきます。
多くの一本道同士が
次々に融合し、
果てしなく大きな「流れ」を
創ります。

それは、
私達人類の「流れ」です。

その「流れ」を創るために
私達は、これから
自分の人生を
素直に、自然に、
創って行くのです。

それが真本音の時代です。

・・・・・
さて、明日のことです。
2月3日です。

真本音の時代に向かおうとする
私達の真本音の意志の
一つの成果が出ます。

真本音で生きる人が
急増した成果が
出始めます。

明日、
世の中全体の真本音度合いが
一気に高まります。
その寸前に、
今、います。

ある意味の臨界点であることを
感じます。

皆さんの生き方の成果です。
明日をきっかけに
ますます、私達は
自身の人生を大切にしていきましょう。

つづく