こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年04月26日

8次元の愛 186 〜思惑でなく、答えで動く

ある日、突然、
今あるものがすべて
なくなったとしたら
どうしますか?

自分の住んでいる場所も
家族や友人・知り合いも
仕事も
そして記憶ですら
なくなってしまったとしたら、
自分は
どう生きていくと思いますか?

これまでと似た人生を
改めて創っていくのでしょうか?
それとも
まったく異なる人生を
創り上げるでしょうか?

すべてがゼロになる
ということはあり得ませんが、
すべてがゼロになったと
本気で仮定したときに、
初めて観えてくる発想が
あります。

ゼロになるという恐怖に基づく
発想もあるでしょう。
現状に対する不満からの
発想もあるかも知れません。
ゼロだからこそ生まれる
希望的発想もあるかも。

いずれにしても
私達は、
すべてを手放すことは
怖い生き物です。

そして、
本当にゼロになったとき、
もしくは、それに近い精神的状況に
陥ったとき、
自分でも想定していない
思わぬ判断と行動を起こす
生き物です。

人は、
いざとなると
何をするか
わかりません。
そういった
未知の部分を
誰もが
持っています。

それが人。

ですから上記の問いを
いくら考えても、
決してたどり着かない
答えがあるのです。

・・・・・
人生は、
思惑通りには
いきません。

それは真実です。

なぜなら、
私達の真本音が
思惑通りに行かせよう、とは
決して思わないからです。

前回のブログで触れました
「人には絶対にできないこと」
の代表的なものの二つ目は、

思惑通りに生きる

ことです。

人生は、
思惑通りには
いかないのです。
思惑通りにいかない人生を
私達は
真本音で望んでいるのです。

その事実を受け止めたとき、
どう生きればよいか?
が、観えてきます。

・・・・・
思惑通りにいかないのなら、
思惑から自由になること
です。

思惑を持つから
心が淀みます。

思惑を持つから
現実を
あるがままに捉えることが
できなくなります。

思惑とは、
反応本音レベルの
狭く浅い思考です。
私達の真本音は
思惑を持ちません。

思惑を持たないことで、
本当に決めている
望む人生を
創り上げることができるのです。

・・・・・
現実は
いついかなるときも
移り変わっています。

それは
複雑怪奇
と言ってもよい現象です。

なぜ今、このような現実が
起こるのか?
その理由には
複雑に絡み合った原因が
存在しています。

そのすべてを
解釈することは
人には無理です。
ましてや、
その解釈に基づいて
次の判断をし(それを、思惑と言いますが)、
最善の決断をすることは
極めて難しいことです。

しかしその一方で、
私達の真本音は
知っています。
自分の本当の願いに向かうために、
今、この瞬間に
大切にすべきことは何か?
をです。

複雑に絡み合う現実を
極めてシンプルな眼差しで
あるがままに捉え、
自分の大切にすべきことを
大切にした
次の一歩を
淀みなく決めることができます。

そこに思惑はなく、
ただ、
「答え」
のみがあります。

今の答え、
です。

私達は、
自分自身の
今の答えに従い、
今を生きていけば
よいのです。

それを続ければ、
ある時ある瞬間から
自分自身のすべての思惑を
超えた視界が、
まるで雲が晴れるかのように
開けてきます。

雲が晴れればもう、
思惑など、
必要ありません。

私達は
行きたい方向に
行けばよいのです。

つづく

2012年04月21日

8次元の愛 185 〜無理に描く未来ではなく・・・

無理に事を進めるよりも、
もっと大切なことがあります。

無理に貫くことよりも、
もっと大切なことがあります。

無理に何かを守るよりも、
もっと大切なことがあります。

私達人間には、
進められることと
進められないこと。
貫けるものと
貫けないもの。
守れるものと
守れないもの。
があるのです。

私達に「できないこと」とは、
イコール、
私達の真本音が「したくないこと」
です。

私達の真本音がしたくないことは、
決して、できません。

何があっても、それは
できません。

逆に言えば、
真本音がしたくないことを
知ることができれば、
私達は、
私達にできることが
わかります。

私達は、
私達のできることに
最大の力を
注いで行きましょう。

・・・・・
真本音がしたくないこと、
つまり、
私達にできないことの一つ。
それは、
「未来を知ること」
です。

未来に何が起こるのか?
を、
私達は予測したがりますが、
それは決して
できません。

私達の真本音がそれを
拒絶しています。
ですから、
未来を予測しても、
完全にそれが当たることは
あり得ません。
絶対に。

それでも未来の予測に
固執しようとすれば、
真本音は、
間違った未来や、思い込みの未来を
私達に発想させます。
わざと、そうします。

未来を予測して進むということは、
実は、
私達人間にとっては
不自然なことなのです。

その事実を知ることで、
逆に観えてくるものがあります。

私達の自然な生き方、それは
「今」に生きること。
「今」に集中すること。
だということです。

そしてその事実を受け入れた人にこそ、
未来のビジョンが
自然に浮上します。

自分が「今」
本当に願っているビジョンが
閃くのです。
本当に願っていることですから、
それは「実現」するのです。

それを「予測」とは言いません。
真本音の願いに素直に
「今」生きているだけなのです。

・・・・・
未来を守ろう
としないでください。

自分が思考することで
描いた未来を
貫こうとしないでください。

それらはすべて
反応本音レベルの行為です。
ですから、
心に淀みが起こります。

確かにこれまでの時代は
心にある程度の淀みがあっても
それなりに強い反応本音であれば、
実現する可能性もありました。

しかし、
時代は今、急速に
真本音の時代に近づいています。
反応本音レベルの思考では
まったく太刀打ちできない
潮流がすでに
できあがりつつあります。

眼差しを未来に向けるのではなく、
眼差しは、
「今」
に向けてください。

「今」
に集中するのです。

すると、
真本音の願う「未来」が
観えてきます。
自然に。
描こうとしなくとも、
描けてしまいます。

私達の真本音は、
「今」を生きることを
望んでいます。

今こそ
今に
生きましょう。

つづく

2012年04月17日

8次元の愛 184 〜101でも99でもなく

やり残したことを
次の日に持ち越す、
というのは
実は、かなりのストレスを
生じさせます。

今日は
ここまでのことをしよう。
と、
私達の真本音は
決めています。

真本音で決めていることを
後回しにすると、
そこに淀みが起き、
その淀みは次の日に
影響を与えます。

一つ一つ、
一日一日、
心を込めて丁寧に進むことが、
今は
特に重要です。

・・・・・
気をつけるべきは、
やり過ぎも良くない、
ということです。

今日はここまでにしよう、
ということも
真本音は決めているのです。

にも関わらず、
勢いだけで、明日にすべきことまで
してしまうと、
やはり同じように淀みが
発生します。
結果的には、
その方が非効率となります。

99%でもなく、
101%でもないのです。

真本音のしたいことは
多過ぎず、少な過ぎず、
100%実践することが、
人生の流れを
飛躍的にスムーズにします。

それが、
自分自身にとっての
最高のペースなのです。

もし、真本音で
「休もう」と思えば、
休むのです。
真剣に。

もし、真本音で
「今日はここまでにしよう」と思えば、
そこで終えるのです。
完全に。

例えば仕事であれば、
「今、何の仕事をすればよいか?」
もすべて真本音で
決めましょう。

効率性と創造性は、
何倍にも増大するでしょう。
そして、
その行き方とペースが、
とても気持ち良いのです。

・・・・・
今日の100%が何か?を
真本音で決めることは
気持ちの良いことです。

いや、そうは言っても、
真本音通りに決められないことも
ありますから・・・。

よくそう言われるのですが、
それは「思い込み」です。
私達は、
人生において、
日々の生活のあらゆる場面において、
真本音ですべてを決め
進むことができます。

例外はありません。

例外をつくっているのは、
そしてそれが無理だと結論づけているのは、
自分自身の反応本音に過ぎません。

私達の真本音は
あらゆる「現実」を受け入れ、
それを尊重しながらも、
最善の選択は何か?
という結論を出します。
必ず出します。

それが真本音です。

真本音とは、
私達の「わがままな気持ち」ではなく、
「自分の気持ち」と「現実」の
最善のコラボレーションを
見出してくれる
私達自身の意識です。

妥協点を探すのでは
ありません。
これが最善だ!と、
確信が生まれるのです。

確信が
真本音です。

スッキリした揺るがぬ答えが
真本音の答えです。

日常生活における
ほんの些細な行動にも
真本音は必ず作用します。

すべてに作用します。

・・・・・
真本音で
歯を磨いてみましょう。

真本音で
ごはんを食べてみましょう。

真本音で
トイレに入ってみましょう。

真本音で
お風呂に入ってみましょう。

真本音で
テレビを観てみましょう。

真本音で
趣味に向かってみましょう。

真本音で
あいさつをしてみましょう。

真本音で
仕事をしてみましょう。

真本音で
眠ってみましょう。

すべて簡単にできることです。
そして、
すべて気持ちの良いことです。

真本音で生きるとは
そういうことなのです。

つづく

2012年04月10日

8次元の愛 183 〜決めて溢れる

心の奥から
溢れ続けるものを
止めることはできますか?

はい、そうです。
できないですね。

まるで永遠に続く湯水のように
私達の真本音からは
凄まじい何かが
溢れ出ることがあります。

それは、
自分自身の想いであったり、
願いであったり、
使命感であったり、
さらには
命のパワーそのものであったり
します。

それらが溢れているとき
私達に抗う術は
ありません。
私達は、
溢れ出るそのものに
身を任せるだけです。

そこに身を任せているとき、
自分とは
なんとすごい存在なのか。
人間とは
なんとすごい存在なのか。
実感せざるを得ません。

もし、
すべての人達が
この溢れるパワーに身を任せたら
いったい
この地球はどうなるのでしょうか。
恐らく、
今とは比べものにならないほどの
光溢れる星となるでしょう。

しかしそれは
実に可能性のあることです。
一人ひとりが
真本音で生きることを
すればよいのです。
そうすれば、誰もが
この溢れ出るものを
実感できます。

・・・・・
人には、
人だからこそ
できることがあります。

その一つは、
自分で答えを決める、
ということです。

人は、
自分で自分の答えを
決めることができます。
自分で人生の次の一歩を
決めることができます。

それは本来の、人の役割。
自分で決める、という
本来の役割を実践できているとき、
人は、元気になります。

しかし
それができていないとき
人は、しだいに疲弊します。

決めるのは
勇気の要ることです。
決めないで進む人生の方が
楽な気がします。
しかし、
そうではありません。
自分で決めない、
決めることから逃げる、
ということほど、
自分を苦しめる行為は
ありません。

さきほどの「溢れるもの」とは
決め続ける人にこそ
プレゼントされるものです。
つまり、
人が本来の役割を実践すれば、
誰もが手に入れることのできる
パワーです。

・・・・・
私達には、
時間がありません。

何の時間がないのかは、
実はよくわかりません。
しかし、
時間がない、ということだけは
わかります。

そんなお話をさせていただくと、
「確かにそうです。
 そう思います。」
と納得と合点のいかれる人が
急増しています。

人生のスピードアップが
今は必要だと言うことを、
なんとなく
すべての人がわかっているのでは
ないでしょうか。

人生のスピードを上げる
ということは、
決断のスピードを上げる
ということです。
つまり、
人の本来の役割を
次々に担い続けるということです。

当たり前のことですが、
未来はすべて
人に懸かっています。
人の行ないと
振る舞いに
懸かっています。
人の
決断に懸かっています。

私達は
その当たり前のことに
もっと真摯に
向き合う必要があるのでは
ないでしょうか。

・・・・・
今、あなたは
何を決断したいですか?

何を決める必要がありますか?

今日は、
何を決断しますか?

今日必ず、
決めなければならないと、
感じることは何ですか?

自分が決めようと思うものは、
もう、
決めてしまいましょう。

それを日々続けることで、
私達は
自分の中に眠っている
「溢れるもの」を
開放することができるでしょう。

つづく

2012年04月07日

8次元の愛 182 〜もっと自由に関わろう

自分の周りにいる人達の顔を
一人ずつ丁寧に
思い出してみましょう。

まるでその人が
目の前にいるかのように
思い出してみましょう。

その人は今
どのような表情でいますか?

どのような雰囲気でいますか?

元気そうですか?
スッキリしていそうですか?
その人本来の光は
ちゃんと発せられていますか?

想像ではなく、
実在として
その人の姿を観るのです。

すると、
私達の真本音がキャッチしている
その人のあるがままの今の姿が
そこに映し出されます。

もし、
目の前に観えるその人が、
あんまり元気そうではないな、
と思えたら、
メールの一本でも送ってみてください。
「元気?」って。
そのたった一言が
ひょっとすると、その人が必要としている
一言かも知れません。

時には、こちらの思い込みで、
まったくトンチンカンな連絡を
してしまうかも知れません。
それでもよいではありませんか。
その人をありのままに観ようとし、
そこであるがままに感じた通りに
動くことが、
愛のパワーを与えないはずが
ありません。

こういった、
自分の感性に基づいた
ちょっとしたコミュニケーションが
私達の調和を
育んでいくのだと思います。

・・・・・
今、この地球上では
残念なことに
様々な悲しいできごとが起きています。

人が人を殺す、ということも
今この瞬間にも
日常茶飯事のように
続けられています。
それが人類の歴史である、
と言っても過言ではないくらいに、
人は人を傷つけながら、
その歩みを続けてきました。

本来、私達は「一つ」です。
人類全員の高次元の意識は、
そのことをよく知っています。
他人を傷つけることはイコール、
自分自身を傷つけることであると
知っているどころか、
それを「実感します」。

もし、人にナイフを突き立てれば、
同時に、自分自身に
同じナイフを
同じように突き立てている痛みを
感じます。

他人を傷つければ、
自分も傷つきます。
誰もが、そうです。
例外はありません。

ですから、
悲しいのです。

それを私達は
多かれ少なかれ、
ずっと続けてきました。

私達は、
そういった「痛み」に
鈍感になり過ぎました。
悲しさに
鈍感になり過ぎました。

痛みがそこにあるのに、
ないふりをする。
というのは、
悲しい鈍感さです。

・・・・・
私達は
もう少し、
愛し合ってもよいのでは
ないでしょうか。

本当は
お互いがお互いを
愛したい!と、
強く思っているのに、
なぜか、
それを避ける心が生まれます。

愛することの怖さが
魂に刻まれているからでしょう。

人類が創り上げてきた歴史の傷が
私達一人ひとりの魂に
刻まれているのでしょう。

すべての人が
魂に
そういった傷を負っています。

しかし
その傷に負けてはなりません。
傷は傷。
それは本質ではなく、
それは「癒せるもの」です。

傷は、
癒せばよいのです。

自分の傷を癒せるのは
自分だけです。

・・・・・
私達は、
もう少し
自由になっても、
よいのではないでしょうか。

もっと、
自分にとって気持ちのよい方向に
進んでもよいのでは
ないでしょうか。

自分の「本当の選択」に
素直になってもよいのでは
ないでしょうか。

時々、訊かれます。

どうすれば、
真本音で生きることが
できるのでしょうか?
と。

真本音で生きることに
理屈はありません。

ただ一番大切なものを
自分が大切にしようと思えば
よいのです。

大切なものを大切にするための
次の一歩を決めればよいのです。

反応本音の選択をする方が
本当は、
複雑で、難しいことなのです。

私達は、
自分の「見方」を
複雑にしてしまっているだけのこと。
シンプルに
自分に素直に生きることです。

自由に生きることです。

今の世の中では
それはできません、
などと言わないでくださいね。
もうその発想そのものが
不自由ですし、
その発想そのものが、
すべてを複雑にします。

できないことが多くても、
できるところから
始めればよいのです。

たった一つでも
できることを見つけ、
真本音通りに
それを行なうだけです。

一つできれば、
また次の、
できることは見つかります。
必ず。

それが、
真本音の道を創ること、
自由の道を創ることです。

・・・・・
心が自由な人は、
自分の痛みにも敏感になります。
敏感であることは
幸せです。

痛みがわかれば、
痛いことを
しなければよいのですから。

それこそが健康的な生き方です。

そういった健康的な心で、
もう一度、
周りのいろんな人達の顔を
思い出してみてください。

ありのままに
その人達の顔を観て、
感じてみてください。

そこで自然に思った通りに、
その人達と
コミュニケーションを
とってみてください。

調和は、
一気に広がります。

つづく

2012年04月05日

8次元の愛 181 〜一つずつ真本音で決めよう

心がどれだけ疲弊しても、
体がどれだけ疲労しても、
それにより真本音が
影響を受けることは
いっさいありません。

真本音とは、
いついかなるときも
どのような状態・状況でも
決して揺るがずに
そこに在り続けます。

真本音は、
現象に左右されることは
ありません。

例えば、真本音で
「この山を登ろう」と決めたら、
その山を登るのです。
何が起ころうとも、
私達は登ってしまうのです。

いざ登り始めたら
大雨が降って来た。
風も凄い。
立っていられない。
水を含んだ荷物も重い。
そんな状況になれば、
「もう登りたくないよ〜」
という反応本音が出ます。

真本音で生きる人にも
当然ながら
反応本音は出ます。

しかし最初の決断が
真本音のものであれば、
「登りたくないよ〜」という
どれだけ強い反応本音が出たとしても、
私達は登り続けてしまいます。

自然にそうなります。

それが、
真本音で決めるということです。

どの山を登ることが正解か?
ということは
わかりません。
正解などないのが人生ですよね。
ですから、
人生の道を切り開けるかどうかは、
どれを選択するか?よりも、
どのように選択するか?
です。

真本音で道を選択する人は、
どの山に登ったとしても、
登り切ってしまうものです。

・・・・・
以上のように書きますと、
なんだか真本音で生きるのって大変そうだ、
という印象が起こるかも知れません。
しかし
なぜ人は登るのをやめないかと言えば
そこを登ることが楽しかったり、
幸せであったりするからです。

真本音で決めた一歩一歩は
単純に楽しいのです。
もし仮に、
一歩一歩は辛かったとしても、
その先に向かうことが、
その道にいることが、
幸せなのです。

幸せな方向に進んで行きたいのが
人間です。
最も幸せな方向に進んでいると
確信できているからこそ、
私達は、歩みを止める気に
ならないのです。

・・・・・
さて、真本音で決めたことは
余程のことがない限り
揺るぎません。
しかし、
真本音で生きる人は、
真本音で決めたこと以外は
とても柔軟です。

例えば、
「あの山に登ろう」と決めたら、
それはもう揺るぎません。
しかし、
どの道から登ろうか?とか
どのようなペースで登ろうか?とか
誰と登ろうか?とか
そこは多くの人達の意見を
受け入れながら進みます。

揺るがずに決めている人は、
中心軸がある分だけ
その他がオープンになります。
柔らかくなります。

そこが「頑固な人」との
根本的な違いです。

頑固な人の多くは、
反応本音で生きています。
本当に揺るがないものがないために、
必死で自分を守ろうとして
頑固になります。

頑固な人ほど、
いつも力が入っており、
逆に、
真本音で生きる人は、
いつも力が抜けています。

にこやかに穏やかにいながらも、
中心軸だけは決して揺るがない。
それが、
真本音で生きる人の特長です。

・・・・・
真本音で生きる人の
揺るがない中心軸は、
自然に周りとの共感を
生みます。

真本音とは、
すべての人達とつながって
いるからです。
逆に言えば、
つながっていることを実感するからこそ、
揺るがないのです。

独りよがりの中心軸は
必ず揺らぎます。
それを真本音とは
言いません。
やはりそれは、
ただの頑固です。

一人ひとりが、
揺るがぬ中心軸を
大切にすればするほど、
多くの人達が調和します。
真本音には個性があり、
その個性を大切にすればするほど、
個性の違いがあるからこその
調和が生まれます。

個性的だからこそ調和する社会。
それが、
真本音の時代の社会です。

それは決して理想論ではなく、
現実論です。
なぜなら人は、
真本音で生きる方が圧倒的に
楽で幸せだからです。

人間は、
幸せな方向に向かいます。
何が本当は幸せかを
思い出すだけです。

そしてそれを思い出しやすい時代に
すでに入っています。

真本音の時代を創るのは
私達自身です。
その第一歩は、
真本音で決める
ということです。

本当に自分が決めたいことを
決めましょう。
決めれば、
その通りになります。
それを一つずつ
増やしていきましょう。

つづく

2012年04月04日

8次元の愛 180 〜真の実在を見つけよう

目の前に見える現象とは、
現象でしかありません。

しかしそれは紛れもなく
現実です。

現象とは、
私達の心の反映でしか
ありません。

しかしそれは紛れもなく
現実です。

私達の心の中には「実在」があり、
その実在に基づいて
「現象」は創られます。

実在を変えなければ、
現象も決して変わりません。

現象に対して現象で返そうとしても、
そこには、
薄っぺらな波風が立つのみです。

私達が望む現実を創るためには、
現象の「もと」となる
実在に働きかけることが必要です。

心の中には、どのような実在が
存在しているのか?
それを見極めるためには、
現象と向き合うことです。

現象をありのままに見つめることで
その「もと」となる実在が
ありありと観えてきます。

実在と現象の相関関係を
知ることが
これからの私達には
特に重要なことです。

・・・・・
私達は、自分の外にあるものを
唯一の「現実」として
考えています。

外にある現実こそが
絶対的なもので、
心の中にあるものは
すぐに消えてなくなるもの。
つまり、
心の中にあるものこそが
単なる現象に過ぎないと、
思い込んでいます。

まったく逆です。

心の中に存在するものほど
長く留まるものはありません。
その、長く留まっているものが
いかに私達の外の現実に
多大なる影響を与えているか。
それを知ることが
重要です。

例えば、心の中に
「人生は、むなしいものだ」
という価値観が存在していたとします。
これは過去の体験による
反応本音の一つですが、
これが長く留まりますと、
「実在化」します。

そしてそれは常に心の中に
存在し続けるようになります。
その結果として、
その人の人生のあらゆる場面で
その価値観は「現象化」します。

どれだけその人が
前向きに生きようと努力をしても、
いざという時には必ず、
人生のむなしさを実感するという
体験が降りかかります。
そしてさらに、
「人生はむなしいものだ」という実在が
強化されます。

この悪循環から抜け出ることは
非常に難しいのです。

多くの人は、
自分の中にどのような「実在」が
存在しているのかを知りません。
残念ながら、
知っているつもりになっている人は
多いです。

知っているつもり、ではなく
本当に知ることが重要です。

・・・・・
さきほど、
実在の悪循環から抜け出ることは
非常に難しいと書きましたが、
実はそれはもう
過去の話です。

その悪循環から抜けることが
比較的可能な時代に
今の私達は、すでに入っています。

ただし抜け出るために必要なことが
あります。

それは、自分の中の
「本当の実在」
を見つけることです。

ややこしい表現で申し訳ありませんが、
反応本音が実在化したものは、
本当の実在とは、言えません。

本当の実在とは、
真本音のことを言います。

真本音とは、
もともとそこに在るものです。
何かが強化されて実在化するものとは
根本的に異なります。

真の実在が
そこにあるのです。

それを見つけることです。

・・・・・
真本音を見つけた人は、
これまで自分が心の中に
どのような実在を生み出し、
どのように現象を引き起こしていたかを
まざまざと知ることができます。
であるが故に、
そこから抜け出ることができます。

そして、
真本音という真の実在に基づく現象を
意図的に創り出すことが
できるようになります。

そうなると、
人生は根本的に変化します。
「今」のこの一歩から
変化を始めます。

真本音で生きるようになった
多くの方が、
自分に降りかかる現実が
あまりにも変化するので
驚かれます。
でもそれは、
当たり前のことです。

実在が現象を創る、という
単純明快な仕組みを
変化させるのですから。

実は、
人生を変化させるのは
本当に簡単なことです。

自分自身が、
反応本音による実在から
矢印を出すか?
真本音という真の実在から
矢印を出すか?
それだけのことです。

真本音を見つけるのです。
ただ、
それだけです。

多くの人達が
自らの真本音を見つけ、
生きている。
真本音の時代とは、
たったそれだけのことなのです。

つづく

2012年04月03日

8次元の愛 179 〜余分な力を抜く方法

力を振り絞り
人生を生きることは
時にはとても大切なことですが、
そればかりを
私達の魂は望んでいるわけでは
ありません。

むしろ、
力を抜くことで
力を込める以上の道を創るという経験を
私達の魂は
願っています。

しかしこの
「力を抜く」
というのが、なかなかに難しいもの。

力を抜いているつもりでも
心のどこかがガチガチに
固まっていたり、
力を抜いたら、
本来、力を入れるべきところまで
抜けてしまい、
とんでもない目に遭ったり。

それらの経験を積みながら、
私達は、
「本当に、力を抜くとはどういうことか?」
を学んでいるのでしょう。

・・・・・
力を抜くために必要なことは、
今、自分がどこに
力を入れてしまっているか?
を知ることです。

特に、
力を入れているのが当たり前
の部分にこそ、気づく必要が
あります。
いつも力を入れ続けていると、
力を入れているその状態が、
力を抜いている状態であると
勘違いしてしまうからです。

それを知るためにできることは、
姿勢を正し、
椅子に座り、
おへその奥に意識を向けます。

おへその奥とは、
私達の心と体の中心です。

まずは、
そこに自然に意識を向けることが
できますか?

できない場合は、
中心がずれてしまっています。
自分の中心だと思う場所を探し、
その中心を移動させ、
おへその奥と一致させてください。

その時点で、
体のあちこちに
違和感や苦しさを感じると思います。
そこが、力の入っている場所です。

簡単に中心に意識を向けられる人は、
中心をしっかりと据えながら、
体が上下左右、見境なく
グルグルと回っているイメージを
してみます。

中心は
一点に固定しておきます。

どのように体を回しても、
何の違和感もない人や
楽な状態のままの人は、
良い具合に力が抜けているということです。

違和感を得た人は、
その部分が、力の入っている箇所です。

力の入っている箇所には、
何らかの反応本音があるはずです。
その箇所に意識を向け、
そこに在る心を
存在承認します。

多くの場合、
違和感のある場所に意識を向ければ、
ちょっと苦しさを感じると思います。
そこを少し耐えながら、
意識を向け続けます。

意識は、向けるだけで良いです。
その部分を治そうとか、
変えようとは思わないことです。
ただ、意識を向ける。
それが存在承認です。

それができれば、
反応本音はだんだんと
抜けていきます。
それに伴い、
力も抜けて行きます。

すべての力が抜けた後に残るもの。
それが、
真本音です。

そこは、
力を入れようと思わなくとも、
力強く、安定しています。
むしろ、
力が抜けることで
本来の力強さが際立ちます。

その真本音をいつも意識することで、
私達は日常において
余分な力を極力入れずに
進むことができます。

真本音で生きる人は、
ニュートラルで
自然体で
力の抜けた状態ながらも、
いざという時に
とんでもない力を発揮します。

ここ一番のその力を
多くの人達が発揮し合うようになることで、
時代は、創られていくのです。

つづく

2012年04月02日

8次元の愛 178 〜無限の成長に向かいましょう

道を開く力というのは、
魂そのものの力と言っても
よいでしょう。

魂の次元が高まれば高まるほど、
道は、開きます。

道が開くとは、
真本音の望んでいる通りに
物事が展開することを
言います。

次元が高まるにつれて、
私達は、真本音の望む一歩を踏み出し、
真本音の望む人生の展開を
創りやすくなります。

短絡的な表現になってしまいますが、
これまで10の努力をして
切り拓いていた道が、
例えば、たった1の努力で
拓かれるようになる
ということです。

では、人生そのものが楽になるのか?
と言えば、
その通りです。
しかし、
楽になった分、
自分が本来、取り組むべきテーマや課題に
取り組むことになります。

そして、
本来取り組むべきテーマや課題に向かうことは
その行為そのものに
私達は生き甲斐を感じます。
つまりは、
結果がどうこうではなく、
一歩一歩のプロセスそのものに
幸せを感じます。

心は楽です。
しかし、行なっていることのスピードや
乗り越える山(テーマ・課題)は
より大きく高くなります。

それが魂の成長であり、
魂の成長に伴う人生の展開です。

・・・・・
自分自身を知ることが
魂の成長を促します。

自分と向き合い、
自分を理解できればできるほど、
魂は活性化します。

ところが、
自分のことを知れば知るほど、
さらに自分のことが
わからなくなる。
それも、私達人間です。

知れば知るほど、
わからないことが
増えるのです。

しかしその「わからなさ」は
いやなストレスにはなりません。
むしろそれこそが、
次の自分のテーマや課題につながるという
充実感を得ます。
「わからない」ことが喜びであり、
それを「わかろうとする」一歩一歩が
生き甲斐となります。

・・・・・
次元が高まると、
他の人達との接点を
より多く求めたくなるのも
私達人間です。

面白いことに、
私達は次元が高まるに従い、
自分の限界を知るようになります。

なぜならその根底にある
「人の可能性」
を実感できるようになるからです。
人の可能性を感じ取るからこそ、
自分だけで物事を進めることの
つまらなさ、と感じます。

自分はこの役割で行こう!
と、
自身の存在意義がわかり、
自身の活かし方がわかり、
そして、人の活かし方もわかります。
自分一人の力がいかに小さなものか?
一人の力が小さいが故に、
人との関わりがいかに大切か?
そして、
人と関わり、共に何かを創り上げることに
いかに無限の可能性があるか?
をほぼ同時に理解します。

そしてある時に、
「自分」と「他人」という
区別をつけること自体に
不自然さを感じるようになります。
すべては「私」ではないか。
すべては「あなた」ではないか。
すべては「一つ」ではないか。
ということが、
理屈ではなく、感覚として
理解できます。

そしてその感覚を大切にすることで、
人生の道が
さらに飛躍的なスムーズさで
展開することを経験します。

・・・・・
私達人間の次元は、
無限に高まります。

人の成長に
限界はありません。

人が「一つ」となって進む
その道のりに、
限界はありません。

そのことに
多くの方々が気づき始めているのが、
今の時代です。

その数が、ある境目を超えたとき、
私達は、
真本音の時代に入るでしょう。

私達人類の意識の次元は
残念ながら、
これまでずっと停滞していました。

しかしようやく、
皆がお互いの関わりを持ちながら、
共に次元を高め合う世の中に
なれそうです。
その波を起こす人が
急増しているのは、
希望です。

魂の次元の高まりを
感じた人は、
ぜひ、その道を進んでください。

その一歩一歩が、
周りの人達の魂に
深遠なる影響を
与えるでしょう。

つづく

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