こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年05月31日

8次元の愛 197 〜毅然と生きる人こそ

自分の人生に
毅然と向き合える人こそが
人をサポートすることが
できます。

毅然と向き合う
とは、
強く向き合う
ということではありません。

弱くとも
よいのです。

くじけても
よいのです。

どのような状態になろうとも
これは
私の人生だ。
という自らの意志を
持ち続けること。
これは
私の人生だ。
という真実を
受け止めること。

そこから
目をそらさないこと。

それが
毅然と向き合う
ことです。

私達は
そういった向き合い方を
することにより、
安定し
楽になれるのです。

・・・・・
毅然と生きる人は
幸せです。

人の「毅然」は、
現実を揺らします。

どのような現実が来ても、
人が毅然とし続ければ、
その現実は揺れ、
そこに必ず
道が開きます。

強い者が
道を開くのではありません。
弱いからこそ
素晴らしい「毅然」が生まれ
それが
道を開くのです。

「毅然」は
誰もがもともと持ち合わせている
姿勢です。

自らの命を
輝かせる
姿勢です。

・・・・・
毅然と生きる人が
目の前の人を
ハグします。
すると、
ハグされた人は
言いようのない幸せに
満たされるでしょう。

毅然と生きる人には
愛が宿るからです。

愛とは
その人の発するパワーです。
一つに向かう
パワーです。

毅然と生きる人からは
そのパワーが
常に溢れます。
それを注がれた人は
魂までもが
満たされます。

・・・・・
毅然と生きる人は
常に笑顔です。

笑顔とは
意図的に創るものではなく、
ましてや
顔の表情のことを言うのでも
ありません。

笑ってないのに
笑っている波長が漂うのが
真の笑顔です。

真の笑顔に触れると、
多くの人が笑顔になります。
真の笑顔から
不協和音は生まれません。
それはいつでもどこでも
調和を生み出します。

人生に毅然と向かうことが
笑顔の輪を広げ
深めるのです。

ですから結局のところ、
毅然と生きる人には
素敵な現実ばかりが
現れるようになります。

・・・・・
人には弱さがあります。

しかし
弱いからこそ、
素敵な「毅然」が
生まれます。

素敵な笑顔が
生まれます。

自分を卑下したり、
同じ場所をグルグル回る
反省をし続けるよりも、
毅然と人生に向き合おう。
という意志を
持ち続けましょう。

その意志は
私達の本能に近いものですから、
誰もが
持ち続けることの
できるものです。

つづく

2012年05月30日

8次元の愛 196 〜真本音の見つけ方

普段の自分が
どのような自分であるかを
私達は知りません。

いつも自分は
どのような表情をし、
どのような雰囲気を出し、
どのような振る舞いをしているのか。

私達は自分の姿を
鏡でしか見ることはできません。
鏡とは2次元です。
またたとえ、
ビデオカメラで自分の姿を
撮ったとしても、
ビデオも2次元です。

3次元の生の自分の姿を
私達は知りません。

自分のことは
自分が一番わからない。
というのはある意味
真実です。

私達はもっともっと
自分理解に対して
真剣になった方が
良いかもしれません。

・・・・・
私達の心の奥底に向かって行くと、
そこには
私達の真本音があります。

真本音の場所は
人によりけりですが、
真本音の場所が
その人の「中心」です。

まずは
自分の「中心」を
理解しましょう。

中心は
体のどこかにあります。
私達は、
自分の真本音も反応本音も
すべての心を
体のどこかに置いています。
場所を決めています。
それが私達人間の
習性です。

真本音の場所を
見つけましょう。

そのためには
私達の「体の中心」に
まずは意識を向けます。

「体の中心」とは
おへその奥です。
私達は母親と
おへそでつながっていました。
そこが、
自分の中心であると
何となく認識しています。

その中心に
意識を向けます。

何割かの人は
そこにそのまま真本音が
あるかも知れません。

「ここにはないな」と
思う人は、
その中心よりも
上にあるか?
下にあるか?
を何となく意識してみてください。

真本音の場所とは
最も安定した場所です。
最もリラックスできる場所です。
その場所が
体の中心よりも上にあるか、
下にあるか、
直観してみてください。

例えば「上にあるな」と
思える場合は、
おへそよりも上の上半身に
意識を向け、
さらにその上半身を二つに分け、
どちらに真本音はあるだろうか?
と直観してください。

そして直観した方へ意識を向け、
さらにそこを二つに分け、・・・
というように繰り返しますと、
何となく、真本音の場所が
わかるでしょう。

真本音の場所がわかれば、
そこに意識を向け、
そこに「何があるか?」
を観てください。

例えば、
ボーッとした光がある、とか
何らかの形のようなものが観える、とか、
何も観えなくとも何かを感じる、とか。
そこにある「存在」を
特定してみてください。

それは、
真本音のメタファです。
自分の真本音を
「そのような存在」として
何となく私達は認識して
いるわけです。

メタファがわかれば、
そのメタファをいつも
意識します。

日常生活において、
真本音メタファを意識することで
自分が「原点に戻れた」とか
「ニュートラルに戻れた」とか
「自然体に戻れた」など、
居心地の良さを感じるならば、
そこにあるのは
真本音であると言ってよいでしょう。

反対に居心地の悪さや
違和感を得るならば、
真本音の場所は
別にあります。

気楽に試してみてください。

そして、
真本音の場所と
真本音のメタファが
特定できれば、
いつもそこに意識を向けながら、
「もとの自分」を
思い出してください。

「もとの自分」の状態で
すべての物事の判断・決断を
してみてください。

それができる人が、
本来の魅力を発揮できますし、
本来の人生を
歩むことができます。

・・・・・
残念ながら
私達は自分の姿を
観ながら生きることは
できません。

であるならば、
いつも自分の中心である
真本音を意識し、
真本音に基づいて
今この瞬間を
生きましょう。

そうすれば、
自分が思っている以上の
輝きを
放ちながら
私達は生きることができます。

自分のことは
自分が一番わからない。
それでいいじゃありませんか。

自分でわからないくらいの
素晴らしさ・魅力を
放てる自分でいましょう。

つづく

2012年05月29日

8次元の愛 195 〜真実を知る勇気

人生には様々なできごとが
ありますが、
そのすべてに意味はあり、
しかしそのすべての意味を
知ろう、
としてはなりません。

意味は
知ろうとするものではなく、
自然にわかる
ものです。

自然にわかるまで
何も解釈せず、
ただ、今この瞬間に
向かい続けることです。

そして
自然にわかった意味は、
宝物です。
それを自身の今のテーマとして
大切にしましょう。

・・・・・
人生のできごとに
貴賤はありません。
つまり、
このできごとは素晴らしく意味があり、
このできごとは大したことはない、
などの判断は必要ありません。
というよりも、
そういった判断こそが
本来の意味を見逃すことに
つながります。

自分が想いを込めて
行ない続けてきたことが
実は自己満足に過ぎなかったり、
自分が何も考えずにとった行動に
実は人生を左右する深い意味が
込められていたり・・・。

できごととは
現象です。
その現象そのものを
解釈しても
その奥にある真実は
観えてきません。

真実は
思いもよらぬところに
あるものですから。

・・・・・
意味とは
真実です。

真実とは
現象と真摯に向き合ってこそ
浮上するものです。
しかしそれには、
真実を受け止める
勇気が必要です。

その勇気は、
真本音で生きる人のみに
与えられるものです。

真本音で生きる人は
心が安定し、
安心し、
真実を観るだけの
心のゆとりを
常に持ち続けています。

勇気とは
ゆとりです。
そして
真のゆとりとは、
真剣に生きる人にのみ
与えられます。

・・・・・
本当のことを言いますと、
真実(意味)が先にあり、
その真実(意味)を知るために、
私達の真本音は
自らの行動を決め、
意図的に「できごと」を
起こします。

真実(意味)は最初から
私達の真本音が
よく知っているのです。

つまり
最初から自分が
知っているのです。

自分がよくわかっていることを、
自分の顕在意識が認識するために
私達は「できごと」を起こします。

すべてのできごとに
意味はあります。

そのできごとに
真摯に向き合うことで、
真実(意味)は
自然にわかります。

解釈ではなく、
ただ向き合うこと。

「とにかく私は今、
きちんと向き合おう。」

真剣にそう決めることで
私達の真本音は活性化し、
心のゆとりと勇気が生まれ、
真実(意味)を
知ることができます。

「とにかく私は今、
きちんと向き合おう。」

それが
真本音で生きる
基本です。

つづく

2012年05月23日

8次元の愛 194 〜初めてだからこそ

初めてのことです。

この文明が誕生して以来、
恐らく
初めてのことです。

意識のうねりの
大きさのことです。

進化を続けよう、
真本音の時代に入ろう、
という意志と、
このままここにいたい、
という意志が、
ぶつかり合いながら
大きなうねりを
創り出しています。

人は誰もが
新たなステージに入ろうとすれば
不安と希望が入り混じります。
それが
人類規模で起きています。
ただ、
ここまで大きなうねりとなるとは
思いませんでした。

私達はいよいよ
想定外の場所に
入ったようです。

・・・・・
私達人類を一人の人として
見立てた場合、
その心は
かなりの緊張に見舞われています。
心臓が
ドクドクと高鳴っている
状態です。

それは決して悪いことでは
ありません。
しかしあまりの緊張によって
目の前の現実が
観えなくなりすぎると
つまずかなくてもよいところで
つまずく可能性もあります。

緊張を止める必要はありませんが、
私達は今こそ、
しっかりと現実と
向き合いましょう。

人類全体の真本音は
間違いなく活性化しています。
それは、
私達一人ひとりの真本音が
活性化しているからです。

真本音の活性は
根本的な安定に
直結します。

どれだけ緊張しようとも
根本が安定していれば、
道を間違うことは
ありません。

・・・・・
人類、という書き方をすれば
そんな大袈裟な、
という印象もあるかも知れません。
しかし、
私達はもともと「一つ」です。
真本音の時代に入るということは、
「一つ」に向かうスピードが
格段に速まることを
意味します。
つまり、
一人の心と全体の心のつながりが
一気に高まります。
ですから、
今の私達が「全体意識」を持つことは
とても大切です。

一人の人間として
どう生きるか?
全体を構成する私として
どう生きるか?

その二つの視点が
大切です。
そしてその二つは
実はまったく同じことです。

・・・・・
反応本音の時代とは、
個々が別々の存在として
在り続ける時代でした。

真本音の時代とは、
「一つ」という土台の上で
別々の個性が自らを際立たせ、
その結果として調和を生み出す
時代です。
私達は、
別々の存在であり、かつ
一つでもある、という
人間の本質そのものとして
生きる時代です。

そうです。
人は、
別々であり一つであるのです。
それが
真理です。

・・・・・
想定外のうねりを前に
私達が気をつけることは、
その「うねり」を
そのまま受け止めることです。
うねりをなくそうと
しないこと。
かと言って、
うねりに飲み込まれないこと。

うねりの存在を感じながらも、
自分は自分として、
今この瞬間の一歩に
真本音で向かうことです。

すべての最善の答えは
真本音が知っています。
何よりもまず、
自分の真本音を
自分自身が信じることです。

真本音は
いつも「ここ」にあります。
私達の中心に在り続けます。
その事実こそを
いつも感じ続けられる
私達でいましょう。

つづく

2012年05月22日

8次元の愛 193 〜夢の描き方

夢を描ける人は
心の自由な人が多いですが、
夢を描くことで、
心が知らず知らずのうちに
不自由になってしまうことも
あります。

自ら描いた夢に
縛られてしまうのです。

夢とは、
実は目的では
ありません。
夢とは、
手段です。

夢の実現とは
人生の目的ではなく、
私達は自らが描いた夢をヒントに、
さらに先にあるものに
気づくことができます。

しかしそれは
さらに先にあるものに気づこうとして
気づくのではなく、
夢に向かう今この瞬間の一歩を
大切にし続けることで、
自然に「浮上」します。

夢とは
「さらにその先にあるもの」
のきっかけに過ぎません。
その夢が
どれだけ大きなもので
あったとしても、です。

そう考えることで
私達は
さらに自由に夢を描けます。
次々に
夢を描けます。
夢とはまず、
描くことに価値があります。

・・・・・
どうしても夢を描けない
という人は、
無理に描いては
なりません。

今は「描けない」とき。
今は「描かない」とき。
と、真本音が
決めているのです。

無理に描いた夢は
反応本音です。
反応本音レベルの夢は、
私達を縛るどころか
私達の人生を淀ませます。

ですから
無理をしないことです。
自然に楽しく描ける夢のみを
自らの夢としましょう。

夢を描かずに
真っ白のままで進む人生も
面白いものです。

「夢のその先」は
誰もが持っていますから、
その人にとっては
「今は、夢という手段」は
必要ないという
だけのことです。

真っ白のまま進むことで、
その人は「夢のその先」への
最善の一歩を進むことが
できます。

・・・・・
要するに。

未来を描ける人は、
躊躇なく
どんどん描きましょう。

未来を描けない人は、
真っ白のままで
今に向かいましょう。

どちらでもよいのです。

どちらも
最善の人生となります。
大切なのは、
今の自分に本当に
素直になることです。

真本音の時代とは
夢多き時代となりますが、
その夢とは
私達の自身への素直さが
生み出すものです。

素直な一人の夢は、
素直なもう一人の夢と
調和します。
一人ひとりの夢の調和は
相乗効果を起こし、
全体の大いなる夢へと
つながります。
そしてそれは
さらに「その先」へと
続きます。

・・・・・
夢の描き方は簡単です。

まずは
夢を描こう!
と決めます。

決めることに抵抗がある場合は、
ここでもうやめます。
無理をしません。

ワクワクする場合は、
紙と鉛筆を用意し、
何でもよいので
浮かぶものを書き続けます。

言葉でも
絵でも
記号でも、
何でも構いません。

描いているうちに
体の反応に意識を向け、
体の中の熱くなっている部分や
ワクワクのもと、となっている部分を
探し、
それが見つかれば、
そこを意識しながら
さらに描き続けます。

夢中になったら
止めないこと。
止まらないこと。
自分の心が
OK!
と思えるまで、
止まらないことです。

気が向くときに
それを続けます。
すると、
私達がすでに抱いている発想の扉が
開かれ、
そこから湯水のように
発想が溢れるかも知れません。

溢れ出るものを
止めない。
それが大切です。

真本音の時代に入れば、
以上のような発想も
よりやりやすくなるでしょう。
今はその練習だと思って、
少しずつ行なってみてください。

つづく

2012年05月20日

8次元の愛 192 〜永遠に向けて今から・・・

真本音による実在と、
反応本音による実在が、
私達の心の中には
混在しています。

でも、
本当のことを言いますと、
「反応本音による実在」というものは
ありません。
本当はそれも
現象の一つです。

現象。
つまりは、いつかは必ず
消えゆくもの、
です。

しかしそれを「現象」と
言ってしまいますと、
話がややこしくなりますので、
あえてそれも「実在」の一つ、
と表現します。

で、改めて。

私達の心の中にある実在によって
私達はそれを現実世界の中で
現象化します。
その現象により私達は「経験」し、
経験によって次の「実在」を
選びます。
で、
また次の現象を生み出し、
経験します。

私達はそのサイクルで
生きています。

ところが、
私達がいつも焦点を当てがちなのは
「現象」面ばかりです。
現象に対してどう対処するか?
ばかりを考えます。
残念ながら
現象とは結果に過ぎませんから、
そこに手を加えるだけでは、
本当に望む次の結果(現象)は
創り得ません。

「実在」を見つめることです。

で、冒頭の話に戻りますが、
私達の中にある実在には、
反応本音によるものと、
真本音によるものがあります。

反応本音によるものは、
正確には「実在に近い現象」ですので、
それは永遠に存在するわけでは
ありません。
心の中で、いつかは
崩れ去ります。

真本音によるものは、
そこに永遠に在り続けるもの、
それこそが
「真の実在」です。

当然のことですが、
「真の実在」とは
それだけ私達が大切にし続けているもの、
「永遠に大切にし続けたい」と
望んでいるもの
です。

その、
極めて大切なもの(真の実在)に
基づいて現象を創ることが、
私達(の魂)が真に望んでいることに
他なりません。

・・・・・
真の実在とは、
永遠に在り続けるものですから、
それは既に私達の中に
存在しています。

その存在に
気づいていない人が多いのが
これまでの時代でした。

これからは、
真の実在に気づく人の数が
一気に増えていくでしょう。
その数がある境界を超えたとき、
世の中全体に変化が起こります。
それが、
真本音の時代のスタートです。

今の流れのままに行けば、
それは恐らく来年の7月から
8月にかけて
訪れるでしょう。

・・・・・
仮設定ですが、
2013年8月1日を
真本音の時代のスタートと、
ここでは決めてしまいたいと
思います。

そうすることで
より明確に
私達は私達の為すべきことが
観えてくるでしょう。

来年の8月1日に
ちゃんと真本音の時代がスタート
できるように、
今から最善の準備を
していきます。

とは言え、
何も特別なことをするわけでは
ありません。

真に
自分らしく
生きる。

真に
望む人生の一歩一歩を
刻む。

一人ひとりが
それをするだけのことです。

「真に」というところが
重要なのは
言うまでもありません。

「真に」を実現するために、
私達は自分自身の
「真の実在」に
目を向け続けましょう。

・・・・・
次の質問を自身に投げ、
自然に浮上してくる答えと
じっくりと向き合ってみましょう。

もし、
私達に永遠の命があったとしたら、
永遠に大切にしたいものとは
何ですか?

もし、
私達に永遠の命があったとしたら、
永遠に大切にしたい生き方とは
何ですか?

もし、
私達に永遠の命があったとしたら、
自分がいることによって
永遠に生み出し続けたい価値とは
何ですか?

もし、
私達に永遠の命があったとしたら、
自分は
どのような世の中を創るために
生き続けたいですか?

もし、
私達に永遠の命があったとしたら、
自分が永遠に抱き続けたい
願いとは何ですか?

もし、
私達に永遠の命があったとしたら、
永遠に続く
自分の使命とは何だと思いますか?

それらの答えの多くは、
「真の実在」かも知れません。

もし
「これが私の真の実在だ!」
と確信できる答えに巡り合ったら、
それを最も大切にしながら、
今目の前にある現実に
向かっていきましょう。

永遠と
今を
結ぶのです。

つづく

2012年05月18日

8次元の愛 191 〜太い一本道があります

私達の目の前には、
太くてまっすぐな一本道が
あります。

なんだ、昨日言っていたことと
違うじゃないか。
と言われそうですが、
いえ、
本質的にはまったく同じことを
言っています。

私達の目の前の一本道には
何一つとして
障害も障壁も
ありません。

ちょっとした段差も、
石コロすら
ありません。

ただ私達はその道を
気持ち良く
進めばよいのです。

私達の魂(もしくは真本音)には
その道がよ〜く観えています。
私達の魂は、
その気持ちの良い道を
ただ気持ち良く素直に
進みたいだけなのです。

ところが、
こんなにはっきりしている道なのに、
なぜか私達は
それとは全然別の道を、
しかも障害や障壁もいっぱいで
曲がりくねった道を、
勝手に「道である」と思い込みながら
自分で創り、
そこを無理に
歩こうとしてしまうのです。

魂(真本音)が、
そっちじゃないよ。
ここに、気持ちの良い道があるのに。
と、どれだけ合図を送っても、
それに気づかずに
思い込みの道に進んでしまう。
そんなことを
これまでの私達は
ずっと行なってきました。

ですから昨日申し上げたのは、
そのような変な道は
もはやないということを、
ちゃんと認識しましょう、
ということでした。

そして私達が
道なきところに道を創ろうという
意志を持ち始めたその瞬間から、
本来の道、
気持ちの良い一本道が
徐々に姿を現わし始めるのです。

それこそが
実在の道。

本当の道。
本来の、
人の道です。

・・・・・
その道を進むには
本当は何の勇気も恐れも
必要ありません。

本当に、
何の障害もないのですから。

しかし、
私達は、その道を行こうとすると、
かなりの不安に襲われます。
歩き始めれば
楽しいことがわかるのに
歩き始めるまでが
怖いのです。

今、
多くのみなさんが
その状態です。
でも、
少しずつ、
本来の道を進み始める人が
増えてきました。

その数は、
約一年後から
爆発的に増加し始めるでしょう。
それが、
真本音の時代の
スタートです。

・・・・・
今の私達にとって
大切なことは、
見えなくなった道を
恐れずに
それでも一歩を踏み出し続ける
ということです。

道は見えなくとも、
次の一歩は必ず
真本音が教えてくれます。
えっ? その一歩を行くの?
とびっくりするような選択を
真本音はするかも知れません。
しかし、
それに素直に従うことです。

最初はびっくりすることでも
そんなものは
すぐに慣れます。
そして、
そちらこそが自然な一歩であったことが
すぐにわかるようになります。

私達は
不自然な一歩に
慣れ過ぎましたね。
そろそろ
もともとの歩みを
思い出すときです。

今のうちから
真本音の一歩に慣れ親しむことで、
一年後に
一気にペースアップできます。

そのスタートのときには
みんなで気持ち良く
駆け出したいものですね。

つづく

8次元の愛 190 〜道などありません

果てしなく続くと思っていた道が
思わぬところで途切れていた。
という経験はありませんか?

ずっとこの道を行けばいい、と
安心していたときにこそ、
そういうことは起こります。

歩み続けている道がなくなるのは
とても不安なことです。
喪失感も大きいでしょう。
それでも
なくなったものは
もうない。
という現実があります。

道がなくなったとしても
私達は
次の一歩を踏み出さねば
なりません。

・・・・・
道がなくなった私達に
できることは、
自ら道を創ることです。

道のないところに
道を生み出すことです。

そんな人生は
好きですか?
嫌いですか?

面白いことに
嫌いです、と答える人に限って
道がなくなったりします。

いや、どちらでもいいです。
という人には、
道がなくなる喪失感はありません。
そういう人は、
すでに
いつも道を創り続けているのでしょう。

本当のことを言えば、
道など
最初からないのです。

道があると思い込んでいた
だけなのです。
道が消えるとは、
その思い込みが消える
ということに過ぎません。

それは、
自分の思惑が通用しなくなった
ということに過ぎません。

すべての人が
本当は、
道なきところに道を
創っています。
それが
私達の人生ですね。

・・・・・
真本音の時代とは、
一人ひとり、すべての人が
自らの道を創り続けている、
という実感の強くなる時代です。

それは、
生きている実感の強くなる時代
とも言えます。
誰かの人生に自分の人生を合わせる、
ということが
ほぼなくなっていきます。

全員が
自分だけの人生を
歩みます。
(これ、ホントは
今もそうですけど。)
そして、
自分だけの人生であるという
実感が強まれば強まるほど、
他の人の人生と自分の人生は
強く深く調和します。

別々であるからこそ
調和は深まります。

・・・・・
さて、
私達の目の前には
もはや道はありません。

道があると
思い込んでいる人は
あと一年もすれば、
何事も立ちゆかなく
なってくるでしょう。

自ら道を
創るしかない状況が
一気に実在レベルでは
形成されます。

それを私達の魂は
手を叩きながら
喜んでいます。

やっと、
自由な時代になる!
と喜び勇んでいます。

魂にとっては
幸せな時代です。
その潮流は今、
生まれたばかりですが、
約一年先からは
それは一気に膨れ上がり、
大きな波となり
世の中全体を席巻します。

真本音の時代。
魂の時代。

今のうちに、
自身の魂(真本音)と
仲良くなっておくことです。
それはつまり、
本来の自分自身と
仲良くなっておくことです。
それはつまり、
自分に素直に生きる、
ということですね。

つづく

2012年05月15日

8次元の愛 189 〜完璧が大切?

物事を完璧にやり遂げよう、
という思惑は、
実は結構、私達の魂を
淀ませます。

私達人間にできないこと。

それは、
完璧にやり遂げる、
ということです。

以前にも書かせていただきましたが、
できないこと、イコール、
私達の真本音が望んでいないこと、
です。

私達の真本音は
物事を完璧にやり遂げることを
望んでいないのです。
なぜなら、
もし本当に「完璧」が成立すれば、
そこで進化が終わるからです。

つまり、この世の物事に
完璧、はありません。
一見、完璧に見えることでも
よ〜く観ると、必ずどこかに
次の進化への「不完全さ」が
ちゃんと存在しています。

人とは、
進化を求め続ける存在です。
ですから必ず、
進化への糸口を創ります。
それが人の本能であると、
言ってもよいでしょう。

・・・・・
とは言え、
完璧を目指す私達の心も
尊いものです。

さきほどと矛盾しているようですが、
両方大事なのです。

完璧を求め全力を尽くし、
しかし「完璧でない」ことにこそ
価値を見出す。
完璧を目指すからこそ
完璧でない部分が
明確になる。
ということですね。

完璧に固執し過ぎると
魂が淀みますが、
完璧を堂々と目指しながらも
実際の姿をあるがままに観つめ、
完璧でない部分を大切にする、
という姿勢は
魂を輝かせます。

両者は
ほんのわずかな違いですが、
人生を大きく左右する
大切な違いです。

・・・・・
物事が完璧にいかないのと同様、
世の中に
完璧な人もいません。

何をもって完璧と言うのか?
はさておいて、
完璧でない部分を存在承認し、
愛することは、
自分の進化・成長につながります。

私達の魂(もしくは、真本音)の
願っていることは、
完璧な人間になることでは
ありません。

自分らしさを
極めることを願っているのです。

自分らしさとは
個性です。
本来の個性とは、
完璧ではないからこそ
生まれます。

完璧ではないからこそ
人であり、
人だからこそ、
個性を極めることができ、
個性を極めようとするからこそ、
私達一人ひとりが進化をし、
世の中全体の進化と調和に
つながります。

完璧という結果に
執着するのではなく、
進化の過程(プロセス)を
楽しむことこそが、
私達人間の本来の姿です。

「私は完璧であらねばならない」
と思われている人ほど、
心と魂が疲弊しているのは
そのためです。

一歩、次の一歩、・・・と進む
今この瞬間にこそ、
私達の幸せのすべてが
織り込まれています。
それを
感じ取れる自分であるかどうか
です。

そして
それを感じ取れる人こそが、
昨日書かせていただいた
「実在の風」を
魂いっぱいに受け取ることが
できるでしょう。

つづく

2012年05月14日

8次元の愛 188 〜風を強めるのは・・・

だいぶ風が強くなってきました。

時代が変わる風です。
しかもその風は
一昨日よりも昨日、
昨日よりも今日、
そして恐らく今日よりも明日、と
驚くほどのペースで
その強さを増しています。

感性の豊かな方は
その風を感じ取り、
上手にその風に乗っています。
逆に、
上手く乗れずに、
戸惑いばかりを感じている方も
います。
そういう方には、
風の乗り方を少しお伝えすれば
すぐにコツを掴めます。

そのように
風を感じとれる人も
日に日に増えています。

・・・・・
その風は、
体で感じるものではなく、
心で感じるものでもありません。

魂で感じるものです。

その風は、
実在です。
イメージでも幻影でも空想でも
ありません。

以前にも書かせていただきましたが、
私達の前に現れるすべての現実とは
現象です。
その現象を生み出す「もと」が
実在です。

実在とは、
私達の心の中に常に存在し、
自分が今、どのような実在を
形創っているのか?を知ることで、
これからどのような現実が
自分に現れるか?が
明確になります。

この3次元世界における現象は、
実在に比べれば、
非常に薄く、浅く、弱いものに
映ります。

それほど実在とは
存在感のあるものであり、
それこそが
「実際に存在するもの」
です。
ですから、実在なのです。

現実と向き合う、とは
現象と向き合うことはもちろん、
実在とも向き合うことが
重要です。

実在と現象。
両方と向き合うことで、
両方の関係性がわかり、
自分自身がわかり、
すべてがわかります。

そして、
すべてがわかることで、
さらに次の
わからないものが
浮上します。
その
わからないものを
わかろうとすることが
さらなる進化につながります。

そうやって私達は
永遠の進化を続けます。

・・・・・
真本音の時代とは
実在の時代です。

一人ひとりが
心の中にある
現象(=いつかは消えゆくもの)と
実在(=永遠に在り続けるもの)を
しっかりと区別をしながら認識し、
その認識に基づいて
生きる時代です。

真本音とは
実在の声です。

反応本音とは
現象の声です。

その二つの区別が
とても大切です。

・・・・・
私達人類は
ゆっくりゆっくりと
時代を進んで来ましたが、
これから徐々に
現象化のスピードを上げていきます。

これまで1000年かかったことが、
10年でできる時代が
真本音の時代です。

そのためには、
現象に囚われる心から
自らを解き放つことです。
どのような現実(現象)を
目の前にしても、
常に自らの実在(真本音)に戻り、
そこから次の一歩を決める、
という生き方を続けることです。

それが楽な生き方であり、
人としての自然体です。

それができる人が
実在の風を
よ〜く感じ取れるようになります。

風は強まっています。
日に日に強まっています。

それは私達の希望です。

その風をさらに強められるのは
私達自身です。

つづく

2012年05月10日

8次元の愛 187 〜生命力が増しています

いつの間にか、もうすぐ夏が
来ようとしています。
木々には葉っぱが茂り、
生命力が溢れてきました。

しかし今、大気は不安定で
天気の移り変わりも
激しいようです。

まるで今の時代を
象徴しているかのようです。

天気の不安定さに
目を奪われると、
私達の心には不安ばかりが先立ち、
その不安に即した一歩を
踏み出してしまいます。

しかし今の私達には
確かに、若い葉っぱが
茂り始めています。
生命力が
増しています。
その事実こそを
しっかりと観るとよいでしょう。

・・・・・
私達の生命力は
増しています。

根本的な「生きる力」が
増しています。

要するに、
元気になっているのです。
魂が、です。

魂が元気になれば、
逆に、
自分自身の不健康な部分に
目が留まりやすくなります。

これまで気づかなかった
小さな傷や小さな淀みに
気づくようになります。
そしてそれが、
ストレスになります。

なんだか以前よりも
ストレスが増したみたいだ。
という人が増えています。
しかしそれは、
健康体に戻りつつある
証拠です。

ストレスとは合図です。

合図に即して
自分の心と現実を整えることで、
私達はさらに
健康体になれます。

小さなストレスに
敏感になりましょう。

・・・・・
魂の生命力が高まれば、
当然ですが、
私達の魂レベルの願いも
浮上してくるでしょう。

これまで気づかなかった
自分自身の願い抱いているもの。
それらが、ある瞬間に
ふっと思い出すかのように
浮上してきます。

それをキャッチしたら、
ぜひ、
誰よりも自分自身が
大切にしてあげましょう。

たとえそれがどれだけ
今の現実とかけ離れた願いで
あったとしても。

願いを持つのは、
人間の健康な行為であり、
特権です。

願いは自由です。

特に、揺るがぬ願い。
変わらぬ願い。
つまり真本音の願いは、
大切にすればするほど、
現実が変わり始めます。

・・・・・
5月の連休のことを
ゴールデンウィークと言いますが、
今年のそれは、
本当にゴールデンなウィークと
なりました。

今、私達は
真本音の時代への移行期にありますが、
そのプロセスにおける
大きな転換点を
越えることができたようです。

私達は
真本音の時代に、
大きく一歩を踏み出すことが
できたようです。

今後、
真本音で生きる人は
どんどんパワーを得られ、
そうでない人は、
パワーを奪われやすい、
という潮流は
さらにさらに増していくでしょう。

ずっと、
申し上げ続けていることですが、
今こそ私達は、
自分の本当に大切にしたいものと
向き合いながら、
最も「スッキリする」方向に
一歩一歩を刻んでいきましょう。

つづく