こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年08月19日

8次元の愛 215 〜待てばよい

何も答えが出ないときは
待てばよいのです。

私達は焦るあまりに
本当ではない答えを
自ら形成してしまいます。

たとえそれが
極めて「本当」に近い答え
だったとしても、
焦って出した答えには
必ずと言ってよいほど、
わずかでも淀みが起こります。

その淀みは
次の淀みを引き起こし、
結局のところ
後で、淀みの処理に時間を費やす
ことになります。

そう。

今の私達にとって
最も必要なのは、
ひょっとすると
「待つ」
ことかもしれませんね。

・・・・・
待てる人。
待てない人。

あなたはどちらですか?

恐らくどちらでも
ありますね。

待てるときと
待てないときがあるのだと
思います。

どれだけ「待とう」としても
どうしても待てなくなってしまう。
そしてついつい
動いてしまう。

それはそれで
よいではありませんか。

そのすべてが
真本音の意図だと
捉えればよいのです。

でも、
本当は待てるのに待たない
こともありますね。

そこは辛抱です。

答えは
必ず出ます。

答えが出ないことは
断じてありません。

答えが出るまでは
待つのです。

自分をよく観て
現実をよく観て
ただ待つのです。

目は逸らしては
いけません。

しっかりとすべてを
観続けるという姿勢は
いつも変わりません。

その上で、
ただ待つのです。

・・・・・
本当の答えが
見つかったとき、
待てる人は、
多くの場合、
自然に体が動いて
いるでしょう。

「動こう」と思う前に
動いてしまうくらいに
それは「確信」なのです。

それが
本当の答えです。

あとは、
動いている自分自身に
委ねてしまいましょう。
自分はきちんと
創るべき道を
創ってくれます。

動いているのに
心は静か。
動いているのに
心は中心から
まったくずれることはない。
それが
本当の答えに向かっている
私達の自然体です。

その状態で
いつもいるためには、
「その状態を創る」
のではなく、
「その状態になるまで待つ」
のです。

待てば
そのときは必ずきます。

そして私達はいつしか
自然に扉を
くぐり抜けているのでしょう。

そのときを
待ちましょう。
真の答えを
待ちましょう。

つづく

2012年08月18日

8次元の愛 214 〜扉は開いたけれど

私達の前には、
大きな扉があります。

その扉はずっとずっと
閉ざされたままでした。

残念ながら
私達だけの力ではビクともしない
その扉は、
動かざることが真理であるかのように
立ちはだかっていました。

私達は疲れ果て、
ヘナヘナと扉の前で
へたばってしまいました。

しかし
その時は突然
来たのです。

扉が、
開いたのです。

まるで苦もなく
何の力を込めることもなく、
スーッと
開いてしまったのです。

今、
私達は茫然としながら
扉の向こう側を
見つめています。

扉の向こう側は
あまりにも明るく輝き
そこに何があるかは
まったくわかりません。

しかしそこには
間違いなく私達が
ずっと待ち望んでいたもの、
待ち焦がれていた「何か」
が存在しています。

いえ。
正確に言えば、
その扉をくぐり抜けることで、
きっと私達自身が
その「何か」になるのでしょう。

私はあなたであり、
あなたは私です。

それは
私達が「もともとの姿」に
戻ることのできる
「何か」です。

・・・・・
恐らくこの扉が
閉じることは
もうないでしょう。

あとは私達が
この扉を
くぐるだけのことです。

そのためには
何の障害も抵抗も
ありませんし、
逆に
情熱も勇気も
必要ありません。

ただ、
くぐればよいだけの
ことです。

ですから
今、くぐっても
よいのです。

でもちょっと待ってください。

くぐればもう
こちら側には
戻って来れません。

こちら側で
やり残したことは
ありませんか?

恐らく、
くぐってしまえば、
その、やり残したことすら
すべて解決するでしょう。

しかし「くぐること」による
解決ではなく、
「くぐる前だからこそ」できる
解決が
とても大切な気がします。

そういった意味で
やり残したことは
ありませんか?

私はどうやら
あります。
ですからそれを今は
しっかりと行ないたいのです。

ですからもうしばらく
待っていてください。

あなたにもきっと
あるはずです。

それが今の私達が
すべきこと。

それを完了するのは
ほぼ、同時でしょう。

そのときまで
しっかりと
扉をくぐる前の「今」を
味わい尽くしましょう。

・・・・・
扉が開いているのが
わかっているのに
あえて
それをくぐらずに、
その手前にい続ける。
というのは、
とても大きなストレスを
生みます。

これから取り組むべきこと
そのものよりも
そのストレスのために
耐えられなくなるかも
知れません。

でも、あえて
言いますね。

それでも
がんばりましょう。

このストレスは
最初からわかっていたこと。
ひょっとすると
これまでに経験したことがないくらいに
強いものかも知れませんが、
それでも私達は
耐えることができます。

今はそこまでして
「ここ」ですべきことが
あるのだと言うことですね。

何度も言いますが、
私はあなたであり、
あなたは私です。

私達だからこそ、
今の私達だからこそ
できることが
あるはずです。

それをしっかり
一つ一つ
やり遂げましょう。

それこそが
私達の使命です。

私達がここにいる
意味です。

つづく

2012年08月16日

8次元の愛 213 〜ここだからこそ

いつも私は
あなたと共にいます。

いつも私は
あなたと「一つ」です。

いつも私は
あなたと同じものを
観ています。

いつも私は
あなたと同じものを
感じています。

いつも私は
あなたです。

・・・・・
この3次元の世界では
すべてがバラバラですから
すべてが別物であり、
遠く離れており、
わかり合えないものである。
そう捉えてしまいがちです。

しかし3次元より上の世界では
一つ一つ次元が上がるにつれて
すべてはつながり
すべては「一つ」と
なっていきます。

そして本来は
それらこそが私達の
始まり。

それらこそが
私であり、
あなたです。

この3次元の世界で
生きているうちに
バラバラが当たり前と
なっていますが、
バラバラとは
この「薄い世界」における
単なる現象に過ぎません。

薄くて
淡くて
儚い世界です。

でも、
であるが故に
その儚さと
私達は正面から
向き合っていこうと
決心しました。

だからここに
います。

薄くて
淡くて
儚いからこそ
私達は私達自身の愛を
ここに込めるのです。

・・・・・
現実とは
儚いものです。

3次元世界における現実は
今この瞬間の
一瞬にしか存在しません。

すべてが一瞬で
消え去っていきます。

努力して努力して努力して
やっと手に入れた成果を
喜べるのも
ほんの一瞬。

その一歩先には
もうその喜びさえ
淡く、なくなります。

そして次の現実が
すぐに現われます。

儚さの連続。

それがここ。
この3次元世界。

だからこそ私達は
今この瞬間に
すべてを込めています。

この儚さの中でこそ
永遠を感じることができれば
私達は
ここに来た甲斐があります。

多くの人達が
この一瞬に永遠を感じられる
世の中になることを
私達は
願い、願い、願い尽くしてきました。

その願いこそ
永遠のもの。
その願いこそ
この一瞬に
込めるべきものです。

・・・・・
私達は
永遠の存在です。

私達は
この一瞬の存在です。

私達は
いつも共にいて
いつも「一つ」で
いつもバラバラです。

だからこそ
ここでこそ
すべきこと
できること
をしましょう。

一つはすべて。
一瞬は永遠。

そして
私はあなたです。

つづく

2012年08月15日

8次元の愛 212 〜これからです

ゆっくりと時は進みます。

狂おしいほどゆっくりと
時は進みます。

あせればあせるほど
その進みは遅く感じられ、
現実のあまりの進化のなさに
ここにいる意味も意図も
忘れそうになります。

本当は
どうあればよいか?

本当は
今は何が大切か?

それらの答えが
観えれば観えるほど、
時間の進みと
現実の進みに
ジレンマを感じるでしょう。

それこそが
人間です。

私達は
人間という
遊びを
しています。

「遊び」と言うと
失礼で浅はかな表現かも
しれません。

しかし「遊び」ほど
深遠で本質的なものも
ありません。

人間は遊ぶ。

人生は
遊びのごとし。

せっかくなので
人間遊びを
楽しむくらいの私達で
ありたいものです。

・・・・・
人の心に
真本音と反応本音があるように、
世の中全体にも
真本音と反応本音の流れが
あります。

真本音の流れは
これまでで最速と言ってよいほど
スピードを増し、
今は本当に「一日が一年」のごとく
進んでいます。

ところが
まるでそれを阻害するかのように
反応本音の流れが
淀みを起こしています。

進むどころか、
後退しているかのような
錯覚を起こします。

そうです。
それは錯覚です。

大丈夫です。
ちゃんと進んでいます。

真本音の進みが
速まれば速まるほど、
その反作用のように、
反応本音の荒れ方も
激しさを増すのです。

世の中全体の反応本音も
かつて経験したことがないほど
今は過激です。
しかしそれは
川の激流が岩に当たり
飛び散っているのと同じです。

飛び散るしずくに
目を囚われる必要は
ありません。
川はきちんと流れています。
猛スピードで。
海に向かって。

・・・・・
私達は
すべてを信じましょう。

なぜなら今ここに
自分がいるのです。

私がここにいる。

それ以上の
希望はありません。

私がここにいる。

それ以上の
愛はありません。

私達は日々、
為すべきことを
為しています。

着実に一歩一歩。

これ以外にはない道のりで
そのど真ん中を
歩んでいます。

自分のこれまでの歩みと
今の一歩と
これからの歩みのすべてを
信じましょう。

私達の本当のパワーが
溢れるのは
これからです。

つづく

2012年08月14日

8次元の愛 211 〜和による進化を

答えとは
すべて私達の中に
もともと存在しています。

答えとは
考えてつくるものではなく、
もともと在るものを
引っぱり出すだけのこと。

「つくる」のではなく、
「さがす」のです。

しかし「さがす」ためには
自分一人で答えを出そうと
しないことです。

答えは
今ここにある現実(人を含む)と
共に向き合うことで
初めて見つかります。

「さがす」とは、
「向き合う」ことなのです。

「向き合う」とは
「さがす」ことなのです。

それが
思考を超えた真の答えを導く
唯一無二の方法です。

・・・・・
それを日本では昔から
「和」
と表現してきました。

「和」とは
仲良しこよしのことではなく、
向き合うことであり、
真の答えをさがす道です。

日本人は
向き合うことでしか
真の答えに行き着かないことを
よく知っていたのです。

日本人の血には生来、
そういった「和」への欲求が
強く流れています。
それを活かすことで私達は
真本音の時代への扉を
次々に開けることができるでしょう。

・・・・・
向き合うとは、
意識を相手に向け続けること
です。

自分の思考のみに意識を向けた
形だけの向き合いは、
はっきり申し上げて
まったく意味がありません。

まったく
意味がありません。

どのような相手でも
どのような現実でも
そこに意識を向け続けることで
すべてが
始まります。

思考のぶつけ合いは
「和」ではありません。

意識を向けることで
私達は、自分の思考という服を
脱ぎ捨てることができます。
そこに、裸になった自分の
本当の答えが姿を現わします。

その状態で
コミュニケーションをとるからこそ
そこに
真の答えが浮上するのです。

それは、
自分一人では決して
できないことです。

人と人が関わるからこそ
(もしくは、人と現実が関わるからこそ)
初めて可能な
人の奇跡です。

人の本質の一つは、
一人では何もできない
ことです。

人とは、
そのようにできています。
そのかわり、
他者と関わることで
絶大な力を生み出し、
真実を極めることができます。

それが、人です。

ですから人は
「和」を求めます。

私達のその自然な欲求に
今こそ
素直になりましょう。

幸い、
日本人は「和」に
慣れ親しんできました。
そんな、日本人の特性を
活かすときです。

私達が「和」の見本を
世界に示しましょう。

「和」は命を育み、
世界の進化を
育みます。

つづく

2012年08月07日

8次元の愛 210 〜これからの出会い

初めまして。

こんな一言から、
私達の出会いは始まります。

出会い、とは
その人と初めて会うこと
というのが一般的ですが、
実は、これからの「出会い」は
ちょっと違ってきます。

これまでずっと一緒にいた
人達同士でも
「出会い」が
訪れるようになるのです。

私達はこれから
どんどん「本来の私」を
思い出します。

「本来の私」に
戻っていきます。

それは、
この人生でこれまで生きてきた「私」
とは、大きく異なるものかも
知れません。

普通ではない自分の変化に
驚く人も
多々出てくるでしょう。
しかし、
それは「変化」ではなく、
ただ、本来に戻っているだけ。
そして、
「本来に戻った私」同士が
再び会うことで、
それが「出会い」となります。

ある意味の
再会でもあります。

あぁ本当は
あなたはそういう人だったね。
そうそう。
私は本当はこうだった。

そう思い出しながらも
私達はこれから
多くの「出会い」を
経験するでしょう。

それが
真本音の時代に入るまでの
この一年で
頻繁に起こるできごとです。

・・・・・
それは
人と人だけのことでは
ありません。

普段、見慣れた土地や場所にも
まるで初めて出会ったような
感覚を得るかも知れません。

いつも使っている「物」にも
同じ感覚があるかも
知れません。

そういった「出会い」の感覚を
私達は
大切にしましょう。

今日の私は
何と、出会うだろう?
誰と、出会うだろう?

そんな視点で
一日を過ごせば、
それこそ「出会い」は
多くなり、
毎日が充実します。

・・・・・
最後に少しだけ。

「本来の私」に戻るということは
「本来の力」も戻る
ということです。

自分自身に宿っているその力に
早く気づいてください。

出会いとは、
自分の力との出会い
でもあるのです。

つづく

2012年08月04日

8次元の愛 209 〜解放する人へ

抑えることのできる自分と
抑えることのできない自分。

その両方を
私達は持っています。

そして私達は
畏れてきました。

抑えることのできない自分を
観ることを。
抑えることのできない自分を
解放することを。

なぜ私達は
怖かったのか?

それは、
それを解放するだけの
準備が
整っていなかったからです。

自分自身の準備では
ありません。

世の中の
準備です。

私達はずっと待っていました。
世の中の準備が
整うのを。

そしてようやく
準備が整ったのが、
ほんのこの数日のことです。

長い長い
待ち時間でしたね。

しかしようやく
時は来ました。

抑えていたものを
解放しても大丈夫な
世の中になりましたよ。

やれやれ。

正直、私は
ホッとしています。

・・・・・
解放するやり方は
覚えていますか?

順序を間違えずに
いきましょう。

まず大切なのは、
抑えていた自分自身を
しっかりと「観る」ことです。

やっぱりそれが基本です。

これまで観なかったものを
観るのは
怖いかも知れませんが、
勇気をもって
観てしまいましょう。

するとそれが
どれだけあたたかいものであったか、
どれだけ可愛らしいものであったか、
よくわかります。

それがわかったら
まずは自分自身が
それを愛しましょう。

頬ずりをしましょう。
抱きしめましょう。

そして、慣れてきたら
それと「一つ」に
なりましょう。

もし、抑えていたものに
「殻」がある場合は、
無理にその殻を破ろうとは
しないことです。

大丈夫。
自然に破れます。

ただ、
「もう出て来ても大丈夫だよ」
と、
声を掛け続けてください。

そしてわずかでもそれが
出てきたら、
上記のように
少しずつ愛してください。

・・・・・
そこまで行けば
あとはもう思い出すでしょう。

どうすればよいか?を。

実は、解放とは
勢いのあるものでは
ありません。

噴火のようなものではなく、
それは、
伸びをするような
すがすがしさがあります。

ですから
伸びをすればよいのです。

そうすればもう、
本来の自分が
ニョキニョキと
その茎を伸ばし始めます。

あとは
大好きなお花を育てるように
自分自身を育んでください。

そのお花は
大きくなればはるほど、
周りの人達に影響を与え、
皆が幸せになります。

そしてそのお花は
隣の人のお花を
喚起します。

それは実に
楽しい日々です。

・・・・・
私達は自分自身を
危険だから
抑えていたわけでは
ありません。

時機を
待っていたのです。

それだけのこと。

そして
時機は来ました。

無事に来ました。

ということで、
どうぞ安心して
解放を楽しんでくださいね。

つづく

2012年08月03日

8次元の愛 208 〜多くの人にビジョンが

未来が観える瞬間が
あります。

それは単なる
イメージではありません。

それは実在です。

私達の心の中の世界では
時間は一定方向のみに
流れるのではありませんので、
そこには過去も未来も
存在します。

実在として存在します。

ですから未来の映像が
一瞬、垣間見えるのは
何も不思議なことでは
ありません。

もちろん
未来は決まっていません。

いえ、
真本音レベルでは
決まっていますが、
この世には反応本音も
あります。
真本音で決めていることが
反応本音によって
変化を起こすことは
あります。

ですから、
今この瞬間に浮かんだ
未来の映像が、
その通りになるかどうかは
わかりません。

でも間違いなく
それは「今この瞬間」に
創造された
実在なのです。

その実在を
大切にすることが
大切です。

・・・・・
未来の映像は多くの場合
私達の真本音からの
メッセージです。

映像が現れたら
いつもそれを
思い出しましょう。

解釈は不要です。

ただ、
思い出しましょう。

すると、ある時ある瞬間、
突然、雷鳴のように
その意味が
閃くことがあります。

それが、
ビジョンです。
私達の
方向性です。

・・・・・
私達の真本音は
つながっています。

そして私達の真本音は
奥の奥では「一つ」です。

その「一つ」である
私達全体の真本音は今、
明らかに
喜んでいます。

それは色に喩えると
薄青色の光です。

その光が今、
とても明るく
輝いています。

喜びのしるしです。

私達は
「生きる」と決めて
ここにいます。

「生きる」ことに
素直になれた私達自身を
私達の真本音は
喜んでいるのです。

ですからこれから
ビジョンが浮かぶ人達が
急激に増えてきます。

自分の心に浮かぶ
意味不明の映像。
それは
今後の私達の
指針です。

ぜひぜひ、
大切にしてくださいね。

つづく

2012年08月02日

8次元の愛 207 〜生きるのです

ようやく一つの答えが
出ようとしています。

その答えとは、
私達がずっと待ち望んでいた
ものです。

いえ、本当は
答えはずっとここに
ありました。

でも、ようやく
その答えを見つめる眼差しと
勇気を
私達は得ることが
できたのです。

答えは簡単です。

「生き続けなさい。」

これが答えです。

生きるとは
進むことです。

進むとは
迷うことです。

迷うとは
揺らぐこと。
そして、
揺らぐとは
「まっすぐ」に戻ることです。

私達は本当に
たくさんたくさん
揺らいで来ました。
あまりに揺らぎ過ぎて、
自分がもともとどこにいたのか?
わからなくなって
しまったようです。

でも、
どれだけもとの場所を忘れても
やっぱり
私達は私達でした。

ですから安心しましょう。

私達はちゃんと
思い出そうとしているのです。
私達が何者か?
私達がどこから来て、
どこに行こうとしているのか?
そして、
私達がここにいる
真の理由を。

私達は
生き続けることが
できます。
なぜなら、
それが私達の
真の意志だからです。

生きるために
ここにいる。

生きるために
そこに行く。

生きるために
私達は
今も存在しているのです。

・・・・・
答えがわかった以上、
あとは
実践です。

生きるために
私達は
生きるのです。

あきらめては
なりません。

これからが
本当の挑戦です。

過去における
迷いの中の挑戦ではなく、
「まっすぐ」に戻ることのできた
私達だからこその
挑戦が始まります。

一日一日が、
挑戦です。

今日の一日は
これまでの一年です。

一年で
365年分
進みましょう。

私達は
生きます。

私達は
生きるのです。

つづく

2012年08月01日

8次元の愛 206 〜無限への飛躍を

私達は、「無限」の中にいます。
しかし私達は、
自ら「有限」を創り出します。

自ら創り出した「有限」を
天から与えられたものであると
思い込み、
一種の被害者として
「有限」であることを
悲しみます。

本当は、
すべて私達自身が
創り出しているものです。

私達は
被害者では
ありません。

かと言って、
加害者でも
ありません。

私達は
私達です。
それ以上でもそれ以下でもない
純然たる存在です。

私が私であること。

その事実だけで
感動的です。
その事実だけで、
充分です。

私は今、
ここにいます。

しかし本当は、
私は今、
どこにでもいます。

私は有限の中で
力を閉じ込めてあがくような
小さな存在ではなく、
本来は、
無限の中で自由に生きる
それこそ、
無限の存在です。

私が
私であることに
もっと
誇りをもっても
よいのでは?

・・・・・
海は無限ですか?

海は有限です。

空は無限ですか?

空も有限です。

宇宙は無限ですか?

宇宙も有限です。

すべてが有限に
見えます。

しかし本当は
すべてが無限なのです。

有限に捉える
私達の眼差しが
ここにあるだけです。

今目の前にある
この砂粒の一つを
よ〜く観てみましょう。

ほんの小さなこの存在さえ
無限です。

ここに気づくとき
私達は確実に
新たな未来への
道を拓きます。

・・・・・
来年の今日。

うまくいけば、
私達は
真本音の時代に入ります。

今日からの一年間は
有限から無限への
道のりとなります。

変わるべきは
私達自身です。

現実を変えるのではなく、
まずは
私達自身が変わるのです。

私達の変化は
無限です。

ですから現実も
無限に変化します。

この一年は、
その後の70年を
決定づけるでしょう。

そして
これからの70年間は
その後の人類の
無限の歴史を
決定づけるでしょう。

つづく

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