こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年10月31日

8次元の愛 223 〜勇気と決断のとき

私はこれがなければ
生きていけない。

そういった大切なものを
誰もが持っています。

これがなければ
私が私でなくなってしまう。

誰もがそういった
守るものを持っています。

すると、
「それ」が自分であると
思い込みます。

「その人生」が
自分の人生であると
思い込みます。

それを
手放すのです。

手放すときが
来ました。

それが
今、です。

・・・・・
自分の最も大切なものを
手放す。

人生で最も大切なものを
手放す。

そんなことは
できるはずがない。

誰もがそう思います。

そんな人生は
いやだ。

誰もがそう思います。

手放すなんて
ひどい。

誰もが必ず
そう思います。

しかし「それ」を
手放すときが
来ました。

それが
今、です。

・・・・・
怖い。

手放すのが
怖い。

ひどい。

手放すなんて
ひどい。

それは
人の道ではない。

それは
冷酷非道だ。

その通りです。

しかし
それでも
手放すときが
来たのです。

それでも私達は
「それ」を
手放さなければ
ならないのです。

手放すことで初めて、
この先の道が
現れるのです。

手放さないことで
道は消え、
私達は永遠に
ここに停滞することに
なります。

いえ、
永遠の停滞は
ありません。
永遠の停滞とは
自分自身の消去
に他ありません。

私達の真本音は
今、
深く望んでいます。

「それ」を
手放すことを。

ここが人生における
最大の勇気です。

勇気を奮うときです

手放すことが最善であることは
誰よりも
自分自身が一番よく
わかっているのでは
ありませんか?

・・・・・
手放すことができた人は
幸いです。

手放すことで
その人は初めて
知るでしょう。

自分が本当は
何者であったか?

自分は本当は
何のために生まれてきたか?

自分は本当は
何をしたかったか?

手放なさいうちは
決して
その答えには
行き尽きません。

この世界は、
この3次元の世界は
手放さない者には
何も与えてはくれないのですから。

そして
きちんと「それ」を手放した者には
最高の道を
プレゼントしてくれます。

もちろんそのプレゼントとは
自分が自分自身に与える
最高最大の
恩恵です。

・・・・・
「それ」を手放すのは
真本音だろうか?
反応本音だろうか?

もはやその問いは
必要ありません。

今、
まさに今、
心に想い浮かんでいる「それ」を
手放すことが
真本音の選択です。

怖いですか?

悲しいですか?

誰もがそうです。

しかし誰もが今は
その
勇気を奮うときです。

なぜならそれが
真本音の時代への
扉を開くからです。

私達はそろそろ、
本当にもうそろそろ
先に進もうでは
ありませんか。

つづく

2012年10月23日

8次元の愛 222 〜魂の洗濯

沈みゆく夕日なのか?
それとも
昇りゆく朝日なのか?

その区別は
一見、つきづらいものです。

あきらめて見捨てているのか?
それとも
執着を解き、手放しているのか?

その区別も
難しいですね。

情熱を押しつけているのか?
それとも
魂に渾身の一言を注いでいるのか?

意固地になっているのか?
それとも
守るべきものを守っているのか?

自己満足の成長なのか?
それとも
真の進化なのか?

自己愛なのか?
それとも
真の愛なのか?

自己満足なのか?
それとも
真剣なのか?

似て非なるもの。

表面上は同じでも
本質の異なるもの。

今の世の中には
それらが混在しています。
残念ながら
区別をつけられずに
苦しんでいる人も
多いです。

そう。

区別をつけられない苦しみ
というものがあります。
そしてそれらが
今の世の中には
満ちています。

・・・・・
意図的に「不幸せ」を望む人
は少ないでしょう。

人は皆、
「幸せになりたい」
存在です。

ところが「幸せ」にも
2種類あります。

「真の幸せ」と
「幸せもどき」です。

幸せもどきは
心も苦しみますがそれ以上に
魂が苦しみます。
そこに
成長はありません。

魂の次元は
下がり続けます。

真本音の時代がもうすぐ
の今、
実はそういった人達が
急増しています。
時代の変換点だからこその
「混沌」の一つです。

混沌を恐れる必要は
ありませんが、
私達はもっと楽に
進んでもよいのでは?

・・・・・
成長に「苦しみ」は
必要ですが、
苦しみにも、
「真の苦しみ」と
「自己満足の苦しみ」が
あります。

自己満足の苦しみは
現実逃避のための苦しみ
でもあります。
無意識にですが意図的に
自分を苦しませ、
苦しんでいることで
自己満足し、
本当に向き合うべき現実から
目をそらしています。
しかし
その苦しみは自分の意図よりも
何十倍もの大きな
意図的でない苦しみを
魂レベルの深い場所で
新たに発生させてしまいます。

そしてその
魂レベルの苦しみにより
現実と向き合う力は失われ、
さらに現実逃避のための苦しみを
無意識に意図的に
自ら創り出すという
悪循環に入ります。

その悪循環から
抜け出せずにもがいている人が
実に多いのです。
そのほとんどは
自覚していません。
自覚さえすれば
そこから抜け出ることも
できますが、
残念ながらそういう人ほど
「自分は幸せだ」
「自分はちゃんと成長している」
と思い込んでいます。

似て非なるもの、
の代表です。

・・・・・
鏡を観てください。

自分の顔を
観てください。

ありのままに
観察し続けてください。

すると
自分の顔に漂う「本質」が
だんだんと浮き彫りになります。

観続けているその顔は
幸せそうですか?
不幸せそうですか?

光が放たれていますか?
それとも
暗さが漂っていますか?

もし
光よりも暗さを感じる場合は、
苦しんでいる証拠です。

そういう人は
まずはその「現実」を受け止め
鏡に映る自分自身の
目に向かって
自分の愛を注いでください。

人の目からは
愛のパワーが放出されます。
自分を愛そう
と真剣に想いながら、
自分自身の目を
しっかりと見つめてください。

それを朝晩
やり続けてください。
自分が納得するまで
やり続けます。

まずは自分が自分に
あるがままの愛を注ぐ。

それがすべての
スタートです。

似て非なるもの
を区別できる自分になるには
自分自身の魂を
きれいに洗い続けることが
大切なのです。

魂の洗濯ですね。

つづく

2012年10月03日

8次元の愛 221 〜出会う前の一言

人と人が出会う
ということは、
「わたし」以外のもう一つの存在を
知る、ということです。

そして、
もう一つの存在と関わることで、
「わたし」とその人との間に
様々なエネルギーを発生させる
ということになります。

二つの存在は
エネルギーを生みます。

その二つの存在だからこそ
生み出せる独特の
エネルギー。

二人だからこそ
生まれるもの。

そのエネルギーを
私達は感じ取り、
自らの魂に
取り込みます。

多くの人達と出会えば出会うほど、
魂には様々なエネルギーが
蓄積します。

もちろん、
正のエネルギーだけでなく
負のエネルギーもあります。

良い出会いは
正のエネルギーを生み、
正のエネルギーは
私達の魂を元気にし、
元気になった魂は
周りの人達の元気のもと
となります。

出会うその瞬間に
自分の魂には
どのようなエネルギーが
満ちているのか?
それにより、
その後の流れが
まったく変わります。

同じ人との出会い
であったとしても、
そのタイミングと魂の状態により
まったく異なる展開と
なるのです。

私達の真本音は
出会いの大切さを
つくづく
わかっています。
いつも最高の出会いを
し続けたいと
願っています。

真本音に基づいて
一つ一つの選択をすることは、
その、最高の出会いを
必然的に起こします。

・・・・・
私達の魂は
知っています。

出会った瞬間の
その衝撃を。

そのとき、
どのような波が
起こるかを。

出会いには
いろいろなものがありますが、
人生で最大の衝撃を起こす
そんな出会いを、
いつかは誰もが
経験します。

一つの大きな衝撃は
自分以外の誰かの魂にも
波動として伝わります。
つまり、
一つの出会いは
一見、何の関係もないような
他者の人生に
大きな影響を与えます。

出会いという衝撃は
世の中のあちこちで
常に起こり続け、
まるでそこには火花が
立つかのようです。
そして
そのたくさんの火花の中で
私達は
生活をしています。
人生を生きています。

どうせなら、
素敵な火花にしたいな。

そう思います。

・・・・・
これから出会う
「わたし」から
「きみ」へ。

今、お伝えすることは
ただ一つです。

「すべてあるがまま」

そんな
「わたし」と「きみ」で
出会いましょう。

つづく