こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2013年03月18日

8次元の愛 241 〜真の私を思い出す

心が弱っていても
心が強い状態でも
真本音の選択は
変わりません。

もっと正確に言えば、
真本音の選択をしやすいような
心模様を
私達は無意識に創ります。
それも真本音の意図である
と言えます。

つまりは、
心の状態を常に良くしておこう、
と思うこと自体に
意味がありません。
心の状態は
どんなであっても
構わないのです。

真本音がきちんと
表に出られるのであれば。

そう。

真本音さえフタをされていなければ
すべては調和されているのです。
どんな時でも。
どんな状態でも。

・・・・・
私達は
心の苦しみを幾度となく
味わいながら
生きて来ました。

人生には喜びもありますが、
苦しみもあります。

苦しみのない成長は
ありません。
喜びのない成長も
ありません。

苦しみも喜びも
心の作用です。

もし今、
心の中に
最も苦しい部分が
観える場合は、
思い切って
そこに向かってください。

そこと
正面から
向き合ってください。

それは
全身が痙攣するくらいに
苦しいことかも知れません。
しかしその苦しみは
多くの場合、
「出口」
を意味しています。

出口と向き合うことが
できて初めて
私達は
出口から出ることが
できます。

苦しみとは
出口が近い合図
です。

そしてその苦しみと
向き合った人にのみ
その後に
真の開放が訪れます。

そこに
真本音の存在を
ありありと
感じるでしょう。

そこには光溢れた
まばゆい青空のような
爽快さがあります。

一つ一つの出口を
そのように超えながら
私達は
魂の成長を遂げていきます。

・・・・・
もし心の中に
最大の喜びの場所が
観えるならば、
堂々とそちらに
向かってください。

そこは
新たな世界への
「入口」です。

これまで体験したことのない
幸せを得ることができる
新たな次元です。

入口を入るには
時には勇気が
必要かも知れません。

しかしそこは
遊気
です。

遊び心のままに
自由に素直に
そこに進んでみましょう。

私達を待っていてくれる
その世界には
私達の目を大きく開かせる
様々な
真本音からのプレゼントが
私達を
驚かせるでしょう。

新たな世界に入れば入るほど、
私達は知ることができます。

人間とは何か?
ということと、
人間の可能性を
です。

そしてこの世で
自分が何を為せばよいのか?
何を成したいのか?
それらが
次々に明確に
なってくるでしょう。

・・・・・
出口を出て、
次の入口に入り、
また出口を出て、
さらに次の入口に入り、・・・

そうして
心の次元を高めれば高めるほど、
心の中の世界を
知れば知るほど、
私達は自分のすべきこと、
したいことを知ります。

それらは
私達自身の真本音が
すでに決めていること。
すべて
わかっていることです。

次元を高めるということは
私達が私達自身を
思い出す
ということに他なりません。

そして
思い出せば思い出すほど、
私達は真の幸せに
近づきます。

今この瞬間、
真本音で一歩を決め、
その通りに動いてみる。
すると、
その一歩を進む度に
心の中の世界も開け、
現実と心の中と
同時に拓かれます。

それが、
真本音の時代。
真の人間の時代です。

つづく

2013年03月14日

8次元の愛 240 〜毎日毎日、決めましょう

決めたことが
実行できない。

よくあることです。

なぜ
できないのでしょうか?

理由は二つ
考えられます。

本当には
決めていなかったか。
もしくは、
本当には決めていたのに、
それを阻害する心が
大量発生してしまったか。

いずれにしましても
一度決めたことが
できないのは
気持ち悪いですね。

その気持ち悪さこそを
大切にしましょう。

気持ち悪がっている自分を
ごまかす人は
人生でますます
「決められなく」なります。

気持ち悪さに
素直な人は、
次の自分を
改善できます。

決めたことは
やる。
そのシンプルな生き方は
誰もができますし、
誰もができる時代に
入りました。

ですから私達は
決めましょう。

決めずに進むのではなく、
堂々と決めて
進みましょう。

・・・・・
これまでは
曖昧な気持ちのままでも
進める時代でした。

しかしこれからは、
決めて、
進む。
決めて、
進む。
決めて、
進む。・・・
という生き方(行き方)が
大事です。

決めている人に
流れは来ます。
決めていない人、
もしくは
決めるのを避けている人には
流れは来ません。

そのシンプルさが
これからの時代の
特徴の一つです。

決めたのにできない
ことを恐れるのではなく、
怖くても何でも
とにかく決めて
進みましょう。

そこで得られるもの
学べることは
とても多いです。

・・・・・
道は
まっすぐとは
限りません。

曲がりくねり
右往左往しながら
続くのが、
人生の道です。

しかしその右往左往も
もっと高いところから
俯瞰すれば、
ちょっとギザギザしてますが、
それは一本の逞しい道に
観えるでしょう。

右往左往を恐れて
私達は決めることから
逃げることがありますが、
少し大きな視点から
右往左往を楽しめば、
私達は
自分の道を創り上げるために
今ここで決める
ことができます。

そして
それをし続ける人に
真本音は味方をして
くれます。

つまりは、
決める人だからこそ
真本音が
活性化するのです。

・・・・・
決める、という行為は
調和を生みます。

ひょっとすると
一時的には
混沌を生むことも
あるでしょう。
しかしそれは、
本質的調和のために
どうしても必要な
混沌です。

ですから
私達は
決めましょう。

毎日毎日
決めましょう。

完全に
決めましょう。

そしてその後の流れを
共に楽しみましょう。

つづく

2013年03月12日

8次元の愛 239 〜拒むものを見つめよう

自分の発しているものに
敏感になりましょう。

私達の周りにあるものは
(すべての現実は)
私達の鏡です。

周りから自分に返って来る
反応のすべてが
私達自身が創り上げている
ものです。

ところがその
返って来るものを
きちんとキャッチしていない
ケースが多いです。

返って来るものに
敏感になり
それらをきちんと
意識化することで
私達はさらに
楽に進むことができます。

・・・・・
顕在意識で
私達が捉えていることは
ほんのわずかです。
しかし
潜在意識下では
実に多くの物事を
私達は観て、聴いて、感じて
います。

潜在意識下、つまり
無意識下で得ていることを
これからは
できるだけ意識化(顕在化)
するとよいでしょう。

無意識に受け取っているもの
無意識に判断していること
無意識に拒絶していること・・・。

そうです。
意識化(顕在化)できることで
私達は自分自身が
「何を拒んでいるか?」
にも気づくことができます。

拒んでいるものが明確になれば、
無意識に行なっていた
現実逃避
を激減させることが
できます。

真本音で生きる人はそれだけで
拒むものが激減しますが、
それでもほんのわずかですが、
拒むものは残ります。
その
最後に残る拒むものこそが
厄介です。

それがあるが故に
99.9%真本音で進めても
残りの0.1%だけ
どうしても何かに執着し
結果としてその歩みに
歪み・淀みが
生じてしまいます。
しかもその0.1%の
歪み・淀みは
とても苦しく感じるのです。

最後の一歩が
最も難しいと言われる
所以です。

・・・・・
「私はもはや
 何も拒んでいない。」
と、
鏡の自分の目に向かって
呟いてみてください。

ほんのわずかでも
自分の心や体に力みが
生まれたり、
反作用心が発生すれば
その人には
拒むものが存在しています。

その場合、
拒むものを見つけるのは
怖いことですが、
見つけよう!
という意志をもって
ください。

その意志を持ちながら
真本音を大切に歩み続ければ、
それは、想像よりも早く
見つかるでしょう。

・・・・・
拒むものが見つかれば、
それをなくそう
とはしないでください。

とにかくその
拒むものを
見つめ続ければ
よいのです。

拒むものとは
「現実」そのものでは
ありません。
それを拒むものとして
解釈し固定させている
私達自身の反応本音
です。

反応本音は
存在承認を続ければ
いつか必ず
消えるものです。
反対に
消そうと思えば、
いつまでも残るものです。

ですから
消そうとはせずに
ただその存在を
認め続けます。
それがそこに在ることを
認めます。

それだけで
それらはいつか必ず
浄化されます。

それが浄化されたとき
私達は
何かから解放されたような
すがすがしさを
感じます。

自由の風が
吹きます。

もしそれが
残りの0.1%だったとすれば
私達は
100%真本音で
生きることができます。

そして
間違えてはならないのは、
100%真本音で生きる
ということは、
100%反応本音を
大切に(尊重)できる
ということです。

つまりは、
より人間らしく
自分らしく
なれるということです。

すべての人が
真本音100%で
生きられるとよいなぁ、と
思います。

しかしそれが成されるのが
これから始まる
真本音の時代なのです。

つづく

2013年03月11日

8次元の愛 238 〜遊気の一歩

目の前に展開する現実を
見たとき、
縛られる感覚がしますか?
それとも
開放される感覚がありますか?

もし
縛られる感覚があるならば、
自分を縛っているのは
自分自身です。

その現実では
ありません。

現実とは
いっさい私達を
縛りません。

現実を前にした
私達が
私達自身を
縛っています。

縛られた私達は
縛られた狭い範囲内でしか
発想も行動も
できなくなります。
そして、
現実が厳しいからだ。
という言い訳が
出て来ます。

現実のせいに
するのですね。

現実のせい、ということは
自分以外の誰か、何か
のせいにしているということで、
それは
真本音とは最も遠い
心の場所です。

そしてその心の場所に
意識を置いているうちは
決して
現実は開かれません。

自分の心を縛っている
自分自身が創り上げた鎖。
それを
まずは自分が認識すること。
そして
その鎖から自分を
解き放つことです。

解き放つ方法は
ただ一つ。

鎖を認識した上で、
自分の真本音通りに
次の一歩を動くことです。

一般的にはその場合、
勇気が必要になりますが、
しかしそれは
一瞬です。
遊び心のような趣で
えいやっと一歩を
踏み出してしまいましょう。

すると案外簡単に
道は開けます。

それを
「遊気」(ゆうき)
と言います。

・・・・・
遊気には
力は要りません。

むしろ
力を抜くことで
遊気は出ます。

力を抜いて
意識をその現実に向け、
ただその現実を
ありのままに観ましょう。

深刻な思考には入らず、
ただ意識をそこに
向けましょう。

もし深刻な思考が
どうしてもグルグルと
自分の心を取り巻くならば、
少し時間を置きましょう。

そしてニュートラルに戻れたら
またその現実に
意識だけを向けます。

するとある瞬間に
自分が次の一歩を
どうすればよいか?が
自然に浮かんできます。

ひょっとすると
次の一歩だけが浮かび
その後の道がまったく観えない
場合もあります。
多くは
そういったときに
躊躇をしてしまうのですが、
そこで
遊気です。

遊び心を持ち、
その思いついた一歩を
進んでみましょう。

すると
次の一歩がさらに観えるか、
もしくは
一気に道が(現実が)
開かれます。

実際に何かが起こらなくとも
現実が開かれる感覚を
得るだけでも良いのです。

その開かれた感覚で
その道を
一歩を
進みます。

それが
真本音の道です。

私達の真本音は
現実と真摯に(あるがままに)
向き合う自分を必ず
ナビゲートしてくれます。

真本音とは
私達自身。
本来の私達。

本来の自分自身が
本当に望んでいる道を
進むだけのことですね。

・・・・・
真本音の道
以外の道には
入ろうと
しないでください。

そこに道は
ありません。

道を創っているフリを
している
自己満足があるだけです。

自己満足に向かう人は
自己満足すら得られず
強烈な疲弊のみが残る、
というのが
真本音の時代の特徴です。

心に鎖を縛り、
自分で自分を縛り続ける人は
要するにその
自己満足に入っているのです。

自分に苦しみを与えるのも
自己満足の一つです。
私達の真本音は
決してそのようなことを
望んでいません。

自分を縛っているのは
自分自身。

他の何物(何者)も
私達を
縛ってはいません。

その事実を
受け入れましょう。

で、
楽な道を行きましょう。

楽な道にこそ、
本当の越えるべきテーマが
あるのですから。

つづく

2013年03月07日

8次元の愛 237 〜真本音の問い その1

難しそうなテーマに
向かうよりも、
シンプルなテーマにこそ
本質につながる
深みがあります。

シンプルなテーマは
シンプル過ぎて
忘れてしまうことが
多々ありますが、
これからはいつも
シンプルなテーマに基づく
シンプルな問いを
自分自身に投げ続けることを
お勧めします。

真本音が浮上したり、
真本音が開花しやすい
問いがあります。

今回はそれらをいくつか
ご紹介しましょう。

・・・・・
一つ目の問い。
それは、

「私は、誰?」

です。

自分自身に
この問いを投げ続ければ
様々な答えが
浮かぶでしょう。
しかし、
自分から浮かび上がる
すべての答えを
出し切ってからこそが
本番です。

自分がわかっている答え
ではない、
その奥にある答えを
見つけましょう。

しかもそれは
一個や二個では
ありません。

数え切れないくらいの
答えが出ます。

それらすべてを
出し切ってみましょう。

できれば
全部を紙に書いてみて
ください。

・・・・・
二つ目の問いです。

「私は今、どこにいる?」

一見すると
意味がわからないかも
知れません。

しかしやはり同じように
浮上する答えを
すべて出してからが
本番です。

もうこれ以上
答えは出ないよ。
と思ってからが
本番です。

もうこれ以上
答えは出ないよ。
と思った時点でだいたい、
自分の持っている答えの
1%が浮上したくらいだと
思ってください。
そのくらい、
私達の中には
無限とも言える
あらゆる答えが
用意されているのです。

・・・・・
今回はもう一つ
いきましょう。
三つ目の問いです。

「ここで、
 何して遊びたい?」

何も解釈せず、
ただただ自分の魂に向けるつもりで
問い続けてみてください。

あぁこの答えいいな!
と思う答えが出たとしても
それで満足しないで
ください。

これが反応本音の答えで
これが真本音の答えで、・・・
というような解釈や評価も
無用です。

ただただ
一つでも多くの答えを
見つけようとしてください。

それをひたすらに続ければ、
真本音レベルの「何か」が
起こるはずです。

とりあえず今回は
ここまでとします。

楽しんでくださいね。

つづく

8次元の愛 236 〜楽な時代なんですよ

いつも泰然自若。
悠然としている人は
自分の心の中の揺れを
自分自身が一番よく
わかっている人です。

揺るがない人になりたいならば、
自分自身の揺れを
認識することです。

自分が感じている苦しさ、
つらさ、
弱さ、
儚さ、
悲しさ、
自信のなさ、
不安定さ。・・・

それらとちゃんと向き合い
知る人こそが
本当に揺るがない自分として
立ち続けることができます。

これまでの時代。
自分にある後ろ向きの心に
フタをし、
封じ込めることで
前向きに生きることができる
という人が大半でした。
それができる時代でした。

しかしこれからの時代は、
自分の心の中のフタが
一つ増えればそれだけ
自分の不安定さが増す、
という時代です。

自然さを受け入れることで
すべてが安定する
時代です。

不自然な判断や行為は
すべて裏目に出る時代です。

私達人間の心の中には
いろんな自分がいます。
強い自分もいれば
弱い自分もいます。
強さも弱さも
両方、認識することで
初めて私達は
安定を手に入れます。

どちらかのみに
焦点を当てたり
どちらかを抹消しようとする
その心が
不安定さを生みます。

その結果が顕著に出るのが
これからの時代の特徴です。

・・・・・
さらに。

これまでは
人の真剣さが
結果に結びつくとは限らない
時代でした。

しかしこれからは、
真剣になればなるほど
成果が生まれる
というわかりやすい時代です。

自分だけが良ければ
それでいい。
という我欲でも
パワーになり、
それなりの結果を
つくることができたのが
これまでです。

これからは、
我欲だけでは到底
成果は得られません。

そういった意味では
これまでは
甘い時代でした。
これからはある意味、
厳しい時代です。

しかしその厳しさとは
「自然」に戻るために
どうしても必要な
厳しさです。
そして人は
「自然」に戻れば戻るほど
楽になります。

つまりは、
当たり前であり自然であることを
大切にできる人ほど
楽になり、成果にもつながる
という
大変、真っ当な流れが
これから日々高まります。

あの人は
いつも苦労しているなぁ。
という人がいれば、
その人の心の中が
不自然なのです。
真本音の度合いが
低いのです。

あの人は
いつも楽ちんそうだな。
いつも幸せそうだな。
という人がいれば、
その人の心の中が
自然なのです。
真本音の度合いが
高いのです。

単純明快な
わかりやすさ。

それが
真本音の時代の
特長です。

・・・・・
人は
楽に生きたい
生き物です。

それも自然な心です。

楽に生きたい。
という自分の本能に
素直になってください。

ただし。

現実逃避とか
現状への固執とか、
これまでのやり方に
意固地になるとか、・・・
反応本音レベルでの
刹那的な楽を求める道は、
決して
楽ではありません。

それらは
苦しみです。

その苦しみに
ちゃんと気づけるかどうか
がとても大切です。

「逃げ」は
苦しみです。

「向き合う」は
楽です。

この原理は
永遠です。

楽に生きるために
私達は
すべてと向き合うのです。

それが
人間の本能です。

真本音の願いです。

・・・・・
目の前に
開かれた道があるのに
あえて
開かれていない場所に
向かう必要は
まったくありません。

開かれた道が観えるならば
そこを
堂々と進んでください。

楽々と
進んでください。

最も気持ちの良い
ペースで
進んでください。

そう言えば、
最近
面白い傾向があります。

ちゃんと自分の望む道を
進んでいるのに
ストレスを抱えている人が
多いのです。

しかもその理由は
皆さんほとんど
一緒です。

単純な理由です。

スピードが
遅すぎるのです。

望む道を行くのですから
もっともっと
スピードを上げれば
よいのです。

私達人間には
最も気持ちの良い
スピードというものが
あります。
それは私達が想像しているよりも
ずっと速いです。

ですから安心して
ぐんぐんと進めばよいのですが、
これまでのスピード感のまま
行きますので、
「遅いよ〜」
と真本音がイライラするのです。

それにより
ストレスがたまるのです。

スピードが
遅すぎるが故の
ストレス。

そんな人が今、
増えています。

ゆっくり進むことが
楽、というわけでは
ありません。

スピードに乗ることこそが
楽ちんなのです。

自転車も
ゆっくりスピードでは
不安定です。
風に乗るような
スピードが出たときに初めて
本来の気持ち良さを
感じます。

それと同じです。

真本音の時代には
真本音の時代にふさわしい
スピードがあります。

今の私達に必要なのは
そのスピードまで
「上げる」ことです。

スピードを下げる必要の
ある人は、今は
ほとんどいません。

・・・・・
開かれた道を
感じるならば、
全力疾走しましょう。

それが最も
楽、なことです。

加速なんて
すぐにつきます。

気持ち良さも
すぐに来ます。

そこには
苦労も労力も
ありません。

真本音で生きる人にとっては
本当に楽な時代です。

その「楽さ」を
満喫しましょう。

つづく

2013年03月06日

8次元の愛 235 〜ゆうきを持とう

山に喩えれば、
これまでの時代は
何かを成し遂げようとするならば、
それ相応のリスクを覚悟し
急峻で激しい岩場をよじ登るような
勇気と決断が要りました。

高い頂に立つためには
それだけの力が
必要でした。
怖さとの闘いが
必要でした。

しかし、
その険しく見えた山なのに、
その裏側を覗いたら
実は気持ちのよい草原が
広がっており、
そこはそれこそ
鼻歌を歌いながらでも
楽しく登って行ける道だった。
・・・そんな時代が
これからの時代なのです。

ただし大事なのは、
その山に本当に登りたい
と思っているかどうか?
つまりは、
真本音で望んでいる山なのかどうか?
それが、
すべてを決めます。

逆に言えば、
本当に登りたいと
思っているわけでもない山でも
頑張れば登れた時代が
これまでです。
しかしこれからは、
本当に登りたい山は
簡単に登れますが、
そうでない山は
決してその頂に立つことはできない、
という時代です。

登りたい山には登れ、
登る気のない山には
登れない。

という、
極めてわかりやすい時代が
これからです。

ようやく
自然な時代に入れる
と言えるでしょう。

・・・・・
草原のような楽な道に入れば、
自分の成長がなくなってしまう、
という考え方も
これまでの時代のものです。

ご安心ください。

それが真本音で選んだ道で
あるならば、
必ずそこには自己成長のための
テーマが現れます。
真本音の道の
真本音のテーマです。

そして、
真本音のテーマに
真摯に取り組めば、
その人は
取り組んでいるその
一瞬一瞬に
生き甲斐と使命感を
得ることができます。

ところが、
本当は草原の道を行きたいのに、
そこでは楽をすればよいのに、
これまでの経験に照らし合わせ、
あえて急峻な岩場に向かったとしたら、
そこに真本音のテーマは
存在しません。

急峻な岩場を登っているという
自己満足があるだけです。

自己満足では
真の成長はありません。
そして、
真の成長のないところに
本来の成功も達成もありません。

自己満足のテーマに向かうことは
現実逃避そのものです。
私達の真本音は
現実逃避を最も嫌いますから、
多大なストレスに見舞われます。

楽に進めばよいところは
楽に進みましょう。
わざと自分を苦しめる必要は
これっぽっちも
ありません。

楽に進みながらも
本当に向き合うべきテーマと出会い
そのテーマと共に生きるのが
真本音の時代の生き方であり、
それが自然な成長の道です。

・・・・・
ですからこれからは
勇気の出し方が
変わってきます。

これまでは
急峻な道を行くために
勇気を出していました。

できないと思うことに
あえて向かうために
勇気が必要でした。

しかしこれからは、
勇気とは
「遊気」
です。

魂と心を自由にし、
自分が本当に望む方向に
素直に動くこと。
これが「遊気」であり、
真の勇気です。

真本音の時代においては
勇気と素直は
ほぼ、イコールです。

勇気を持った人となるために
まず私達ができるのは、
自分の心を
素直に見つめることです。

真本音の意志を
知ることはもちろん、
すべての反応本音とも
向き合います。
自分の心の中にあるすべてを
素直に見つめることができれば、
それが「遊気」のもとと
なります。

「遊気」の出せる方向に
進むこと。

それが真の勇気です。

時代が変わり、
私達は過去の成功体験から
導き出せるこれまでの生き方を
根本的に
見つめ直す必要があります。

これまで違和感を
抱いていたことを
素直に
「違和感がある」
と認識することが
必要です。

それをするために必要なのは
深刻さではありません。

「遊気」ですね。

つづく

2013年03月05日

8次元の愛 234 〜開かれたところを拓く

鏡に自分の顔を映し、
自分の目を見つめながら
つぶやいてみましょう。

「私はちゃんと
 自分の道を歩いている。」

つぶやけば、その直後に
いろんな心の声が
聴こえると思います。

「歩けてないよ。」
「歩けるわけないよ。」
「自信がないよ。」
「道がわからないよ。」
「歩きたくないよ。」・・・

いろんな心の声が
生まれると思います。
これらを「反作用心」と言います。

反作用心達の声を打ち消さず
よく聴きながら、
6回
つぶやいてみてください。
「私はちゃんと
 自分の道を歩いている。」
と。

6回つぶやいてもまだ
反作用心達に
収まる気配のない場合は、
自分自身の真本音が
自分の歩き方に
満足していない
と判断すべきでしょう。

自分自身の真本音を
自分がないがしろにしている
可能性が高いです。

自分の目を
ちゃんと見つめながら
目をそらさずに
やってみてくださいね。

これをすること自体に
恐れを感じる場合は
もうその時点で
その人は自分自身の心と
向き合っていないですね。

日々の過ごし方、
自分との向き合い方を
反省する必要があります。

・・・・・
真本音の時代への転換点の今、
自身の真本音を無視することほど、
苦しいことはありません。

真本音とは
自分自身です。

真本音とは
本来の自分の
想いであり願いです。

真本音とは
魂の声です。

自分自身を本当に
大切にできるのは
自分です。
そして、
自分を大切にできない人が
人を大切にすることは
決してできません。
決して。

・・・・・
逆に、
鏡の自分に
何の苦もなく自然に向き合い、
反作用心もほとんど生まれない人は
真本音できちんと
日々、歩めています。

そういう人は
自分の歩みを
信じましょう。

自分の直観を
信じましょう。

直観通りに動くことで
発見できることは
たくさんあります。

直観で動いたからと言って
思惑通りに事が進む
わけではありません。
というよりも、
思惑通りに進まないこと
ばかりです。
しかしそここそが
面白いのです。

思わぬ展開の中に
身を置き、
その流れに身を任せることで
思わぬ道が拓ける。

それが
真本音からのプレゼントです。

そのプレゼントを受け取る権利は
誰にでもあります。
誰にでも。

・・・・・
私達は
人生の切り拓き方を
大きく変える必要が
あります。

これまでは
努力と根性と気合いによって
道を拓いてきました。

しかしこれからは
どれだけ努力しても
どれだけ根性を出しても
どれだけ気合いを入れても、
拓かない道は
決して拓きません。

道が拓くかどうかを決めるのは
ただ一つ。
「それが真本音かどうか?」
です。

そして真本音に基づいて
進むことで、
私達は肩の力を抜いたまま
自然なまま
勝手に道は開かれます。

閉じているものを拓く時代。
それがこれまで。

開かれているところを
拓いて行く時代。
それがこれからです。

その意識転換が
今の私達には
最も重要です。

つづく

2013年03月03日

8次元の愛 233 〜本当の夢を見つけましょう

これまでの時代、
つまりは、反応本音の時代において
描いた夢は
いったんすべて
白紙に戻してしまいましょう。

メチャクチャなことを
言っていますか?

いいえ。
そうでもありません。

自分の描いた夢を
今一度、
本当に真剣な眼差しで
見つめてみてください。

違和感が
あるはずです。

当たり前です。

時代が変わろうと
しているからです。

これまでの夢は
これまでの時代の中で
発想したものでした。
それは確かに、
自分自身の本当の想い
だったでしょう。

しかし今はもう
時代が変わろうと
しています。

喩えて言うならば、
これまでを江戸時代と
しましょう。
武士に生まれた人が
「立派な武士になろう」
という志を持ったとしても、
明治維新が起こり
武士そのものがなくなってしまえば、
その夢は
変えざるを得ません。
明治という新たな時代において
自分は何を志すか?
その問いに
もう一度、白紙になって
向き合わなければなりません。

今は、
そういった状況と似ています。
いえ。
今はもっと劇的に
根本的に
時代は変化しているのです。

そしてその変化を
最も敏感に感じ取っているのが
私達の真本音です。
ですから今、
改めて白紙状態となり
純粋に発想することで、
これまででは決して生まれなかった
新たな発想が
生まれる可能性が高いです。

その新たな想い、
新たな発想に
素直になりましょう。

・・・・・
世の中には
夢に依存している人が
います。

その夢がなければ
生きていけない。
その夢に向かっていなければ
進んでいけない。

という状態は
夢への依存状態です。

夢とは
依存するものではありませんし、
依存し始めた途端に
それはもう
本来の夢ではありません。

それはもう
現実逃避のための
口実に過ぎません。

・・・・・
心配しなくても
すべての人に「役割」と
「使命」はあります。

そして本来の夢とは
その役割や使命から
自然に生まれます。

それは
溢れるように生まれます。

それが溢れない人は
一人もいません。
もし溢れていないのであれば、
それはただ、
真本音と向き合っていない
だけのことです。

私は、何者だろう?

私は、なぜここにいるのだろう?

私は、どこに向かうことを
すでに決めているのだろう?

そんな問いと
真摯に向き合うことが
大切です。

答えがすぐに出なくとも
向き合い続けましょう。

夢とは
自分を依存させたり
自分を縛るものでは
ありません。

夢とは
自分を自由に
してくれるものです。
自分を開放
してくれるものです。
その夢を思い出すだけで、
全身の力がホッと抜け、
自然体に戻してくれる
心の故郷です。

本当の夢を
見つけましょう。

今ならもう
それができるはずです。

つづく