こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2013年04月30日

8次元の愛 252 〜厳しくも優しい時代

真本音の時代とは
ある意味
厳しい時代です。

これまで
誤魔化してきたことや
いい加減に済ませてきたことや
逃避してきたこと
フタをしてきたことなどが、
どんどん表面化します。

これまでの生き方で
淀みのあった部分が
どんどん表面化します。

これまでは
それでも何となく
それらをやり過ごすことは
できていました。

誤魔化したままで
放置することが
できていました。

しかしこれからは
できなくなります。

表面化した淀みに対して
逃げようとすれば
さらに激しい表面化が
起こります。

しかし
そこに立ち向かえば
道はどんどん
開かれます。

その結果の現れ方が
これまでの比ではないくらい
はっきり明確となり、
そして
速くなります。

パンパンパンと
スピーディーに
事が進みます。

そういった潮流は
すでにできあがっていますので、
今現在では
物事の展開の仕方に
戸惑っている人が
かなり増えています。

これまでの安定は
なくなったのです。

・・・・・
反応本音のみで
生きていても
上手くやれた時代は
すでに
終わりを迎えようと
しています。

これからは
上手くやろうとしても
上手くはできません。

これからは
一つ一つの物事に
真摯に向き合うことが
最も大切です。

すべては必然的に
起きています。
すべては
自分自身が起こしています。
その事実を
受け止めることです。

それを
私達の真本音は
望んでおり、
真本音の望む通りに
進むことが
これからの時代における
真の安定を
醸成します。

・・・・・
嘆く時間があったら
目をしっかりと
見開きましょう。

今起きている現実を
つぶさに
観察しましょう。

私という存在は
確かに今
ここにいます。

私という存在は
確かにここに
生きています。

そして
私が動くことで
波が起こります。

波を起こさなければ
何も変わりません。

ならば、
現実に変化をもたらすために
自ら波を起こすことです。

どんな波を起こすかを
真本音で
決めることです。

いえ。

私達の真本音はもう
それを決めています。

自らが決めていることに
気づくことです。

気づくためには
現実をよく
観ることです。

現実と向き合えば
自らの本心が
わかります。

・・・・・
もう
逃げないでください。

逃げてもそこには
何もありません。

逃げても逃げても
私達自身が
私達を責め続けます。

逃げることを
一番嫌っているのは
私達自身だからです。

そして
もう逃げられなくなるまで
私達は自ら
厳しい現実を
自分自身に
与え続けます。

すべて
自分が
行なっていることです。

誰のせいでも
ありません。

私達は
立ち向かう生き物です。

向き合うために
生きています。

向き合えば
開くのです。

それが私達人間の
ルールです。
原理です。

そのように創られた
私達自身を
思い出しましょう。

さきほど
真本音の時代は厳しい
と書きましたが、
本当は
こんなにも優しい(易しい)
時代はありません。

なぜなら
立ち向かい
向き合う人には
必ず道が開くから。

これまでは
そうとは限りませんでした。

ですから
これまでの時代が
異常でした。
ようやく、
正常な時代、
自然な時代、
幸せな時代です。

正常に時代に向けて
自らを
正常に
戻しましょう。

つづく

2013年04月25日

8次元の愛 251 〜ただ見つめ、歩く

今の自分自身を
客観的に
観てみましょう。

例えば、
空から俯瞰して
みましょう。

例えば、
すぐ隣から
寄り添ってみましょう。

自分は今
どんな佇まいに
観えますか?

自分は今
どのような表情で
どのような雰囲気で
いますか?

力んでいますか?
それとも
全身の力は抜け
自然体でいますか?

あたふたと
揺れ動いていますか?
それとも
毅然と
まっすぐに立っていますか?

それより何より
自分自身の姿が
よく観えますか?

・・・・・
私達の真本音は
いつも変わらぬ眼差しで
何の評価も判断もなく
ただただ
自分自身を見つめています。

自分がどれだけ
揺れ動こうとも
自分がどれだけ
間違いを重ねようとも
いつも同じ眼差しで
自分自身を
見つめています。

真本音が
自分自身を見つめる
その向き合い方こそが
「愛」のカタチ
です。

つまり私達は誰もが
自らの中に
「愛」の見本を
持ち続けています。

ですから
どうすれば人を愛せるのか?
それを誰もが
よくわかっています。

真本音を大切に生きる人は
すべての人を
愛せるようになります。

愛とは行為ではなく、
私達が放つパワーそのもの。
人間の根源を成す
力そのものです。

その根源的力を
誰に対しても
放つことができるように
なります。

そこには
理屈も理論も
必要ありません。

正しいかどうかさえ
必要ありません。

私達はただ
自分の中心から溢れるその力を
そのまま
放てばよいだけなのですから。

・・・・・
自分自身を
評価判断する眼差しが
もし心の中を占めているなら、
それは
真本音の眼差しでは
ありません。

それは
愛の眼差しでは
ありません。

愛とは
評価判断するものではなく、
ただ
そこにあるものです。

もし
自分で自分をどうしても
評価判断してしまうときは、
もういっそのこと
とことんまで
評価判断をするための
時間を創ってください。

中途半端に
気持ちを開放するのではなく、
とことんまで
自分の気持ちを
出し切ってください。

もし
自分を責める気持ちが
あるのなら、
それを抑えずに
そのすべてを開放し、
見つめてみてください。

何があっても
見つめ続けてください。

それを最後まで
やり遂げることができたなら、
その瞬間に
わかるでしょう。

見つめている
その存在。
今のその自分こそが
真本音であると。

真本音とは
他の何物でも何者でも
ありません。
真本音とは
私達自身です。

・・・・・
真本音で生きる人は
人生をスムーズに
進めることができますが、
人生をスムーズに進めよう、
という意図で進む人は
残念ながらその時点で
真本音からズレています。

真本音で生きる人は
次の自分の一歩を、
今これから出そうとしている
自分自身の一歩を
ただただ
大切にしています。

常に
淀みのない一歩を
出し続けることに
意識を向けています。

力を入れているわけでは
ありません。
力を入れても
答えは観えません。

力を抜き、
ただただ
自分自身を
そして現実を
見つめています。

そうすれば
自然にわかるのです。
他には何も
必要ないのです。

私達はもう最初から
真本音です。
真本音が
本当の私達です。

ですから
シンプルに行きましょう。
素直に
次の一歩を
進みましょう。

意図や思惑や
判断や評価は
横に置き、
そのまま望むままに
歩いてみましょう。

つづく

2013年04月24日

8次元の愛 250 〜シンプルに生きる、とは

難しく考えれば考えるほど
事態は
難しく複雑に展開します。

「事態」とは
「現象」です。

現象とはすべて
私達の心の
反映です。

事態を
複雑に絡めているのは
すべて
私達自身です。

すべての現象には
「本質」
があります。

本質とは
「要するに、
これがこれを
起こしている」
という
現象のもとです。

「これがあるからこそ
こうなる」
という
すべての原因であり
原点です。

そして
その「本質」とは
いたってシンプル
です。

すべての事態(現象)には
本質があり、
その本質は
とてもシンプルで、
そのシンプルさを
キャッチした人こそが
事態(現象)を
正常に次のステップに
つなぐことが
できます。

それを一言で
「現実を開く」
と言います。

現実を開くには
私達自身の
シンプルな目が
必要です。

・・・・・
シンプルな目を
養うための
最大の方法は
真本音で生きる
ことです。

どう考えても
解決の見通しがつかない
という物事も
真本音で歩む人は
簡単に
道を拓いていきます。

頭でグルグルと
同じ場所で複雑に
考え続けても
答えは決して
観えません。

私達にわかるのは
次の一歩をどうするか?
です。

私達にできるのは
次の一歩を
最善であると確信したら
その通りに
踏み出すことです。

その確信を
教えてくれるのが
私達の真本音。
普段から
真本音を大切にしている人には
それが当たり前のように
起こります。

真本音とは
私達の
揺るがぬ心。

決して揺るがぬほどに
淀みなく大切にしている
私達の願い。

その真本音を
自分自身が
いつも大切にすることです。

大切にする、とは
「大切にしよう」と
いつも真剣に
思い続けることです。

その真剣さが
私達の目線を
シンプルにしてくれます。

・・・・・
私達は同時に
二つの行動をとることは
できません。

二つの別の道を
同時に歩くことは
できません。

何かを選べば、
それ以外の何かを
手放さなければ
なりません。

何かを手に入れるには
他の何かを
手放さなければ
なりません。

この現実世界は
そのように
できています。

ところが私達は
すべてを同時に
手に入れようと
します。

それが
事態を複雑に
します。

一つを選び
他を選ばない。

では、
何を選ぼうか?

一つに決め
他はしない。

では、
何に決めようか?

その単純な
選択を
一つ一つちゃんと
真剣に行なうのです。

その単純な
選択に
妥協ではなく
最善を尽くすのです。

頭でグルグル考えるよりも
次の一歩に集中する。

それが
真本音を活性化させる
一番の方法です。

人生を
シンプルに展開させる
一番の方法です。

つづく

2013年04月15日

8次元の愛 249 〜癒して進もう

自分を
まっすぐ観る眼差しは
すべてのパワーの
源です。

見たい部分も
見たくない部分も
同じ目線で見つめるとき
私達は
人間の愚かさと同時に
希望を感じ取ることが
できます。

愚かさを見つめる眼差しこそが
希望を見つけます。

そして希望を見つける眼差しが
私達自身を大きく癒し
隣の人を
同じように癒します。

私達に必要なのは
癒しです。

・・・・・
私達は
疲れ過ぎました。

疲れた自分自身に
さらに鞭を振るうよりも、
まずは
癒してあげることが
先決です。

私達は
疲れ過ぎました。
自分自身を
痛め過ぎました。

それが
反応本音の時代でした。

・・・・・
私達を
痛めつけていたのは
私達自身です。

他の誰でも
ありません。

痛いのは
自分のせいです。
すべて
自分のせい。

自分を痛めつける人は
人も痛めつけます。
自分を痛めつけるのと
まったく同じ痛みを
人に与えます。

そしてまた
人から反作用としての
その痛みが
自分自身に
返って来ます。

そのようにして
痛みの循環は
これまで延々と
繰り返されました。

私達は
痛みから逃げることばかりを
考え、
そのための方策を
取り続けました。

逃げるための
方策。

それにより
本当に痛みを消すことは
永遠にできません。

逃げても逃げても
痛みは続きます。

なぜなら
痛めつけている張本人は
私達自身だからです。

どれだけ逃げても
自分自身から逃げ切ることは
できません。

私達が痛みから
解放されるには
私達自身の生き方を
変えるしかありません。

しかし本当は
私達の本来の生き方は
私達自身が
一番よくわかっています。

ようやくそれを
思い出せるだけ
私達は
健康に近づいてきました。

それが今。

反応本音の時代から
真本音の時代への
転換点です。

・・・・・
自分を痛めるのが
当たり前だった人達が
あれっ? 
この生き方はおかしいぞ?
と、気づき始めています。

しかもそれが
顕在意識レベルで
起こっています。

その人達は
まずは、
自分がとてもとても
痛かったことに
気づきました。

痛い!痛い!

泣き始めました。

しかし本当は
これまでもずっと
痛かったのです。

これまでもずっと
自分は
泣き続けていたのです。

その事実を
ようやく
受け入れたのです。

・・・・・
痛いことは
やめればよいです。

自分を癒すことを
しましょう。

自分の痛みが
和らげば、
自然にパワーが
溢れます。

そして
痛いからこそ
これまで観えなかったこと、
例えば、
自分の願いや夢やビジョンが
自然に
観えるようになります。

これまでは
自分で自分を痛め
松葉杖をつきながら
私達は
歩いていました。

いつの間にか
松葉杖がないと
歩けない私達に
なっていました。

しかし、
痛いことをやめれば
松葉杖に頼る必要は
なくなります。

さぁ、
松葉杖を
投げ捨ててしまいましょう。

そうすると一時的に
歩くのが
怖くなるかもしれません。

最初はそれで
大丈夫です。
怖々と
歩けばよいのです。

でも、
すぐに慣れます。

松葉杖を使うよりも
断然
気持ちよく
歩けます。

本来の歩き方は
すぐに思い出せます。

思い出せたら、
だんだんとスピードを上げ、
走ったり、
スキップをしたり、
自由に進みましょう。

・・・・・
そんな自分になるために
まずできることは
何ですか?

これまで
何があなたを
痛めつけていましたか?

あなたは
何からいつも
逃げていましたか?

逃げる方向では
痛みは和らぎません。
向き合う方向にこそ、
癒しはあります。

その痛みから
抜け出るために
あなたは
何に向き合いますか?

誰に
向き合いますか?

その痛みから
抜け出るために
あなたは
何に素直になりますか?

誰に
素直になりますか?

その痛みから
抜け出るために
あなたは
何に真剣になりますか?

誰に対して
真剣になりますか?

つづく

2013年04月11日

8次元の愛 248 〜決めて向き合う

人と人の
結びつきは
そう簡単には
壊れたりしません。

今、自分と関わる
すべての人は、
自分にとって
なくてはならない
存在であると
受け取りましょう。

それは
真実です。

不必要な人は
一人もいません。
というよりも、
一人でも抜けてしまえば、
私達の真本音の願いへの
道のりは
その分、大きく
遠のきます。

どれだけ
いてほしくない!
と思っても、
その思いが強ければ強いほど
その人は
私達にとって
必要な存在です。

大切なのは、
その人と
今、向き合えばよいのか?
それとも
今は向き合うべきではないのか?
の判断です。

その判断をするのは
私達の思考では
ありません。
私達の解釈でも
ありません。
私達のする理由づけはすべて
判断の基準とは
成り得ません。

その判断をするのは
私達の魂であり
真本音です。

ですから、
自分の真本音の判断を
自分で認識することが
大切です。

そのためには、
まずは心を静かにして、
心を楽にして、
あぁ今、判断できるな。
と思える瞬間に、
静かな心のままに
判断します。

その判断の仕方は
こうです。
純粋に
自分自身に
問えばよいのです。

今、
その人と、
向き合うことは
私が本当に
望んでいること?

・・・と。
鏡の自分に向かって
問うてもよいです。

静かな心のまま
それをして、
最初に自然に
浮かぶ答えが、
真本音の答えであり、
魂の答えです。

ひょっとすると
その直後に
心が反発するかも
知れませんが、
それはただの
心の反作用です。

真本音の答えの通りに
してみましょう。

・・・・・
その人と
向き合うことを決めたなら、
次は
具体的にどうするか?
を決めます。

それも同じように
心を静かにして
自分に問います。

いつ、
その人に会おうか?

静かな心のまま
この日がいいかな、
と思う日時を
いくつか挙げます。

次は、
その人にどのように
連絡するか?
です。

それらも同じように
静かな心で
決めます。

すべて鏡を観ながら
行なうと
より良いです。

どうしても
心がざわめく場合は
時間を置き、
あくまでも
心が静かなときに
すべてを決めます。

細かい自分の動きの
すべてを
そのようにして
決めていきます。

・・・・・
そしてついに、
その人と向き合う瞬間が
来ました。

向き合うときに
最も私達の真本音が
活性化しやすいのは、
自分自身の意識を
すべてその人に
向けるという
やり方です。

苦手な人ほど
意識を向けるのは
怖いものです。
しかし、
苦手な人ほど
全意識をその人に向け、
その人に
自分のすべてを
委ねてしまってください。

意識を向ける、
とは
その人をよ〜く観る、
(観察する)
という状態です。

興味関心の眼差しで
こちらは赤ちゃんに
なった気分で
その人と向き合います。

心の中は
どのような状態になっても
大丈夫です。
どのような反応本音が
暴れても
そのままにしておきましょう。

ただただ意識を
その人に向け続けます。

そして、
自然に浮かんでくる
自分の言葉を
そのまま
その人に投げてみます。

自分の言葉を
自分で
止めないでください。
すべては
その場の為すがままに
します。

すると、
その人の真本音と
自分の真本音は
つながった状態となり、
思いもよらぬ
展開が始まるかも
知れません。

たとえ
上手くいかなくても、
そのような意識で
向き合えば、
それだけで
人は人を癒し、
信頼関係を育むことが
できるのです。

・・・・・
人と人の
結びつきは、
そんなに簡単には
壊れません。

もしたとえ
一度、壊れたとしても
真本音の望むタイミングで
向き合い続ければ、
必ずそれは
修復できます。

大切なのは
真本音の通りに動こうとする
勇気、・・・つまり遊気
ですね。

私達は、
結びつきを
より深めるために
出会ったのですから。

つづく

2013年04月10日

8次元の愛 247 〜不安定な方向に

この世に
永遠に続くものは
ありませんが、
しかし本当は
永遠に続く土台の上に
この世のすべては
成り立っています。

この世のすべては
不安定である
と思われがちですが、
しかし本当は
完全なる安定の土台の上に
成り立っています。

土台が安定しているからこそ、
安心して
不安定でいられるのです。

真本音と反応本音の
関係も同じです。

真本音という
安定した土台が
あるからこそ、
反応本音は
安心して
不安定でいられます。

不安定の奥にある
安定を
感じられるかどうか。

もしそれを
感じることができれば、
私達は
不安定であること自体を
楽しむことができます。

不安定は
恐怖ではありません。
本当は
不安定だからこそ
楽しめるのです。

人生において
不安定を恐れ、
不安定から逃げ続ける人は
残念ながらその楽しみを
一生見つけることは
できません。

人生において
不安定が悪であると
思い込んでいる人は
残念ながらその楽しみを
一生見つけることは
できません。

不安定とは
進化の「もと」。
そして
幸せの「もと」であると
言ってもよいでしょう。

・・・・・
あえて
不安定な方向に
進んでみることを
お勧めします。

なぜなら、
そうすることで
真の安定を
実感できるからです。

あえて
不安定な場所に
留まってみることを
お勧めします。

なぜなら
そうすることで
大きく進むことが
あるからです。

本当のことを言いますと、
以前までは
不安定なままでいることが
危険なこともありました。
不安定でいることで
底なし沼のように
這い上がることができなくなる
恐れがありました。

しかし今はもう
それはありません。

時代が
変わったからです。 

落ち続ける不安定は
すでになく、
いかなる不安定にも
必ず底があり、
ゴールがあります。

つまり私達は
完全なる安定の土台を
手に入れることが
できたのです。

ですから今は
心配なく申し上げることが
できます。

あえて
不安定な方向に
向かってみてください。

・・・・・
そして
不安定な場所でこそ
目を開きましょう。

しっかりと
周りを
すべてを
観察しましょう。

すべてと
向き合うのです。

すると、
不安定だと思っていた
自分自身から
解き放たれます。

安定とか
不安定とは
単なる「現象」に過ぎないことが
身をもってわかります。

そして
単なる「現象」では
決して揺らぐことのない
自分を
発見することができます。

それが
私達です。

私達人間は
本当は
単なる「現象」では
揺れ動かないように
最初からできているのです。

・・・・・
苦しいときは
苦しい、と
言えばよいのです。

悲しいときは
悲しい、と
言えばよいのです。

つらいときは
つらい、と
言えばよいのです。

揺れ揺れの心に
なればよいのです。

しかし、
そこで揺らいでいるのは
単なる心のみです。

心とは
揺らぐもの。

存分に
揺れ揺れにさせてあげて
ください。

それができれば
私達は
完全に安定している
私達自身の「本来」(実在)を
発見できるでしょう。

・・・・・
これからは
不安定な時代です。

しかしそれは
あくまでも
表面的な不安定です。

ですから
不安定さの奥にある
真の安定を
感じることのできる人には
とても楽しい時代です。

不安定とは、逆に言えば
よりよいものに
どんどん進化できる
ということです。

進化のスピードが
速まれば速まるほど
私達の「本来」(実在)は
安定します。

不安定を不安定としか
感じられないうちは
厳しい時代に思えるでしょう。
しかしこれからは
誰もが真の安定を
感じ取れる時代です。

より多くの人達が
そうなれるといいな、
と思います。

安定の土台を持つ
不安定な存在。
それが
私達人間です。

つづく

2013年04月07日

8次元の愛 246 〜稲妻に委ねよう

バチバチッと、
心の中に稲妻が走るのを
観たことはありますか?

それは怒りの稲妻では
ありません。

それは
パワーです。
力の放射です。

私達の中には
眠っている力が
ほぼ無限大に
あります。

その一部が外に
放出されようとするとき
その稲妻が
走ります。

それが観えたとき
私達がすること。
それは、
自分自身の力を抜き
自分の心を
自由に開放することです。

為すがままに
任せよ、
ということです。

稲妻とは
ちょっと怖いイメージかも
知れませんが、
それが外に向かって
放出されるときは
それは、あたたかい風
となります。

あたたかい風を
私達はこの現実世界に
広げることが
できるのです。

・・・・・
このように
あたたかい風とは
私達の内側から
自然に発するものです。

あたたかい風を発しよう、
と意図して行なうものでは
ありません。

そして、
自分自身に対して
あたたかい眼差しを持っている人は
人に対しても
あたたかい風を注ぐことが
できます。

そうでない人は
どれだけ意図的に
あたたかい風を吹かせようとしても
残念ながらその風は
人を疲弊させます。

あたたかい人とは
自分自身に
あたたかい人です。

そんな人にこそ、
心の中に
強いパワーの稲妻が
宿るのです。

・・・・・
稲妻が走るとき
その人は
開花します。

稲妻は「翼」を呼び、
その人は
翼を広げて
大空に舞い上がります。

その人は
自由に飛ぶでしょう。
その、飛ぶ姿
つまりは「生き方」に
人は感動と
感銘を覚えます。

それは
魂レベルのものであり、
理屈ではありません。

魂レベルの感動は
人の奥深くに影響を与え、
次の人の稲妻に
つながります。

稲妻とは
一種の破壊です。
それは、
自分自身の
古い魂の体の破壊
とも言えます。

魂には体がある、
というイメージを
してみてください。

その体を破り、
つまりは脱皮をし
その中から新たな体が
姿を現し、
新たな自分として
人生を続けるのです。

それは一種の
転生と
言えるかも知れません。

しかし
そういった人が
今は日々、増えています。

・・・・・
ちょっと怖い表現ですが、
今、多くの方が
自己破壊
に入っています。

もちろんそれは
良い意味の、
です。

それは
価値観を変える、とか
自分をより成長させる、とか
のレベルではありません。

自分を根本から
脱皮させるという
かなり激しいものですが、
そこにはやはり
あたたかい風のみが
吹きます。

なぜならそれこそが
真の解放だからです。

自分を縛っていたのは
自分自身に
他なりません。

そこに気づき、
自分を縛っていたその手を
自ら外すのです。

それが要するに
脱皮です。

脱皮したからと言って
別人になるわけでは
ありません。

真の自分
本来の自分に
戻るのです。

脱皮したからと言って、
これまでの個性が
なくなるのではありません。
むしろ、
これまで培った個性が
すべて、より活きてきます。

これまで短所だと
思っていた個性までもが
イキイキと輝きます。

すべては
必要なものだったのです。

ですから
安心して
脱皮しましょう。

稲妻が観えたら、
それに身を委ね、
良い意味での
自己破壊を
してしまいましょう。

・・・・・
破壊の次に来るのは
もちろん
創造、です。

真の自分に戻ったら
そこからようやく
始まります。

自分の目指す自分の
創造
です。

自分の願いの
実現です。

つづく

2013年04月05日

8次元の愛 245 〜喜びを喜びとして

私達には
夢があります。

それに気づいているかどうか
は別として、
必ず夢を持っています。

その夢は常に
心と魂の中心にあり、
それがあるからこそ
私達は安定して
ここに存在することが
できます。

夢は人それぞれ
個性的ですが、
すべての人の夢は
完全に調和しています。

自分が心の中心に抱く
その夢が
周りのあらゆる人達の夢と
調和している
という安心感が
私達を安定させてくれます。

自分を大切にする
とは、
その夢を大切にする
ということでもあり、
その夢を大切にすることで
私達は生きる実感を得、
自分で自分を大切にする
ということが
完全に叶います。

・・・・・
残念ながら
自分で自分を大切にしない
という人が
増え過ぎてしまいました。

それは特に、
自分は自分を大切にしている

言い張る人にこそ多いです。

そしてまた、
自分よりも他人を大切にする

言い張る人にも多いです。

自分を大切にする
のと
人を大切にする
のは
まったくイコールです。

自分を大切にできる人には
人を大切にする力があります。

自己犠牲をしながら
人を大切にしようとする人
の多くは
自分の知らないところで
人を傷つけ続けています。

つまりは、
自分の幸せの大きさと
人を幸せにする力の大きさは
比例します。

人を幸せにしたいのであれば
まずは
自分を幸せにすることです。

それはもちろん、
反応本音レベルの幸せではなく
真の幸せを
自分自身に与えることです。

真本音レベルの幸せ。

そのために必須なのが、
自分の抱いている夢を
愛するということです。

・・・・・
その夢は
永遠に続く
果てしないものですが、
しかし私達は
その夢を
日々、無意識に
実現し続けています。

夢が実現すると
その瞬間、
私達は魂の喜びを
感じます。

その喜びを
感じている自分を
感じていただきたいのです。

自分が
喜んでいることに
その瞬間に
気づいていただきたいのです。

私達はいつの間にか
そういった喜びに
無頓着になり過ぎました。
それが
私達の心の枯渇の
根本原因です。

すでにここに
喜びがあるのに、
それに気づかなくなった
私達がいます。

勿体ないことです。

魂の喜びを
最も望んでいるのは
私達自身なのに。
その肝心の
魂にフタをしています。

もっと
自分に素直に
なりましょう。

喜びは
感じればよいのです。

それが
人間ではありませんか。
もともとの
私達ではありませんか。

・・・・・
2013年2月4日。

この世から
魂のドラッグが
消え去りました。

魂のドラッグとは
何か?

それは、
魂の痛みを麻痺させ
偽りの気持ち良さを
喚起させる「もと」
と言えるものです。

それが
私達の心の中から
消え去りました。

それは誰もが
持ち合わせていたものですが、
それは
反応本音の時代の
産物でした。

しかし
真本音の時代を迎えるにあたり、
私達はそれを
手放したのです。

それが2月4日。

そしてそれにより
痛みを麻痺させるものが
なくなり、
結果として
痛いものは痛い、
苦しいものは苦しい、
と当たり前のことを当たり前に
感じ取れる私達に
なれたのです。

その影響で、
以前よりも心の痛みや
苦しみを
感じやすくなっている人が
増えています。

しかしそれは
痛みを感じ取れるだけ
健康になれた
という証です。

と同時に、
これまで麻痺していた
魂の喜びも
私達はすでに感じ取れる
私達となれています。

だからこそ、
今だからこそ、
自分自身に問いましょう。

私の夢は何だろうか?

本当の夢は
何だろうか?

私は、
心と魂の中心に
どんな夢を抱きながら
生きているのだろうか?

・・・と。
私達は真本音の時代に向かって
着実に
進んでいます。

苦しみや痛みから
逃げずに、
喜びを無視せずに
人間らしく行くのは
これからです。

やっと今が
スタートなのです。

つづく

2013年04月04日

8次元の愛 244 〜簡単なことです

ガソリンを補給しなければ
車が動けなくなるように、
人の心にも
何らかのエネルギーを
入れ続けなければならない。
・・・と、
思い込んでいる人が
まだまだ多いですが、
人の心のエネルギーとは
本来は無限です。

太陽がずっと
地球を照らし続けるように、
私達の内側から
エネルギーは湧き続け、
それがまずは魂の力となり、
そして
心の力となります。

それは決して、
絶えることはありません。

しかし、
そのエネルギーにフタをして
内側からの力が
心に行き届かない状態に
してしまうことが
あります。

それが、
真本音を忘れ、
反応本音のみで
生きている状態です。

しかしその状態は
すぐに改善できます。

自身の真本音を
大切にしよう!と
決めればもう、
その瞬間から
エネルギーは心に
行き渡り始めます。

たった
それだけのこと。

そして真本音の望む通りに
一歩一歩を踏み出せば、
そのエネルギーは
さらにさらに大きく広がり、
心全体に沁み渡ります。

それが私達人間の
本来の状態。
私達が
無限の可能性を発揮できる
自然な状態です。

その状態に
戻すことこそが
今、すべての人の
最重要テーマと
言ってもよいでしょう。

・・・・・
真本音の時代を
迎えるにあたって、
私達は
特別な自分になろうと
しているのではありません。

もともとの自分、
本来の自分に
戻ろうと
しているだけです。

それは極めて
普通のことであり、
すべての人が
そうなれることです。

それは極めて
幸せなことであり、
すべての人が
そうなることを
喜べます。

私達の本能の中心にあるのは
「進化」
への欲求です。

人とは、
進化のために
生まれ、
存在しているからです。

そして進化のために
必要なものは
最初からすべて
揃っていますし、
持ち合わせています。

新たなものを
特別に手に入れる
必要なんて
ないのです。

もとの自分に
戻るだけ。
もとの自分を
思い出すだけ。

たったそれだけ。
しかもそれは
簡単です。

呼吸をするよりも
もっと
簡単なことなのです。

・・・・・
難しく考えないで
ください。

例えば、
どのように呼吸をすればよいか?
を難しく考え過ぎると、
呼吸の仕方が
不自然になってしまいます。

上手くやろうと
し過ぎないでください。

普通にやれば
よいだけです。

最初から
それができるように
できているのが
人間です。

・・・・・
人には
体があります。

体とは、
動くためにあります。

今、
体のどこが
「動きたい」
という意志を
持っていますか?

その部分を
好きなように
動かしてみましょう。

その体を
動かしているのは
心です。

心が
動かそう、と思わなければ
基本的には体は
動きません。

では今、
その心は
何を望んでいますか?

心の望んでいることを
できる範囲で
叶えてあげましょう。

できないことは
無理にしなくてよいです。

できることを
してみましょう。

できることが
できることで、
私達の心は
喜びます。

できることが
できるだけで
喜ぶのです。

できないことに
悩むよりも
できることを
すればよいのです。

そして
心が喜べば、
心はどんどん自分自身を
開放します。

一つが叶えば、
次が出て来ます。

そうして
一つずつ、
できることを
叶えていきましょう。

すると、
いつもいつも
浮上してくる願いが
あるでしょう。

その願いは
いつもいつも
自分の中にあるな。
その願いは
とても強いな。
いつも
揺るがないな。

そう素直に
思えたら、
それは
真本音につながる
願いかもしれません。

もうこれだけのことで、
私達は
真本音とのつながりを
思い出せるかも
知れないのです。

そしていったん
真本音とのつながりができれば、
心の中にエネルギーが
湧き始めます。
自分が本来持つ
無限のエネルギーです。

それがもっともっと
たくさん湧く方向に
自分を動かして
行きましょう。

真本音で生きるとは
喜びです。

私達の
根源的な喜びです。

それは
手に届かない
どこか遠くにあるのではなく、
いつもここに、
私達自身に
あるのです。

なぜなら
私達自身が
真本音だからです。

私達自身が
本来の私だからです。

その当たり前の事実に
早く気づいてください。

私達には
無限の力が
あり、
もうすぐそれを
思う存分に
発揮しようと
しているのですから。

つづく

2013年04月03日

8次元の愛 243 〜真剣に真剣に真剣に

帽子をかぶりながら
帽子を捜したことは
ありませんか?

眼鏡をかけながら
眼鏡を捜すとか。

暗闇で
懐中電灯を点けながら
懐中電灯を捜すとか。
・・・さすがにそれはないか。笑

しかし
私達の多くは
似たようなことを
しています。

自分がすでに
それを身につけているのに。
まだそれを捜してしまう。

自分がすでに
それができているのに
まだできていないと思い込み
必要のない努力をしてしまう。

そんな人は
たくさんいます。

以前は
それも一つの道のりだな、と
のんびり眺めていましたが、
今はあえて
こう言いましょう。

そんなことを
している時間は
ありません。

早く
先に進んで
ください。

あなたの真本音は
こんなところに
留まっていたくは
ないのですよ。

一刻も早く
自分の真本音の望む速さで
前に前に
進んでください。

・・・と。

ちょっと厳しい言い方ですが、
自分の留まる必要のない場所に
留まり続けることを
自己満足
と表現することにします。

真本音が活性化すると
とても気持ちよくなります。
本来の自分に
戻れた気がします。

しかしその気持ちよさに
満足して、
そこに留まってしまう。

残念ながら
そんな人が増えているのも
事実です。

そしてそれをしてしまうと
途端に
真本音レベルのストレスが
発生します。

そのストレスは
思いのほか
つらいです。
つらいが故に
蓋をします。
そして自分が
わからなくなってしまいます。

中途半端な気持ちよさで
満足しないでください。
私達はもっともっと
先に進みたいのです。

もっともっと
スピードを
上げたいのです。

その自分の
本能とも言える
望みを
叶えてあげてください。

それができたとき
初めて私達は
すべてから自由に
なれます。

まるで遊んでいるかのような
魂の状態で
幸せに進むことが
できます。

留まることで
遊んでいないでください。
ぐんぐんと進む中で
真の遊びを
体験しましょう。

・・・・・
もう悩む必要など
ないのです。

悩んでいる暇があったら
一歩を進むことが
大切です。

真本音は
「悩まなくていいよ」
と告げているのです。

なのに悩むのは
自己満足。
人生に対する
怠慢です。

もっともっと
自分に厳しく
あってください。

そうすれば、
とても楽になれます。

ただし、
自分を責めることも
自己満足です。

自分を責めて生まれるのは
罪悪感のみ。
罪悪感では
前には進めません。

自分に厳しくするとは、
自分を責めるのではなく、
自分の足を
前に出し続けること。
ここに留まるのではなく、
一歩を
出し続けること。

真本音の望む通りに
動くことです。

・・・・・
今、
目の前に
誰がいますか?

今、
目の前に
どのような現実が
ありますか?

それを目の当たりにした
自分自身の心は
どのように
動きますか?

それらを
ただ
しっかりとあるがままに
見つめ、感じます。

そして今、
自分は
何をしようとしていますか?

何をしたいですか?

何をすべきですか?

何をしたくないですか?

何をすべきではないですか?

わかることは何で、
わからないことは
何ですか?

自分の
願いは何ですか?

自分の
使命は何ですか?

自分は
何者ですか?

さぁ、
真剣に
真剣に
真剣に
一歩を
出してみましょう。

つづく

2013年04月02日

8次元の愛 242 〜恐怖は超えるもの

私達人間の心には誰にも
恐怖
という反応本音が
あります。

恐怖の原因は
いろいろありますが、
今のこの時期に
最も湧きやすい恐怖の
理由は・・・。

それは
「意図を持ち過ぎる」
ことです。

「思惑を持ち過ぎる」
ことです。

意図と思惑とは
私達にとって大切なものですが、
しかしもしそれが
反応本音レベルのものだとしたら、
自身の真本音の望みを
阻害することになります。

自分は今、
どのような意図を
持っているだろうか?

自分は今、
どのような思惑で
進んでいるだろうか?

その問いを自身に投げ、
すべての意図と思惑を
書き出してみましょう。

書き出したものを
眺めたとき、
自分自身の魂は
どのような反応を
するでしょうか?

書き出したものを
眺めたとき、
魂は清々しさを
感じるでしょうか?

もしそうでなければ、
それらの意図と思惑は
反応本音レベルのもの。
真本音とは
つながっていないものです。

真本音とのつながりのない
意図と思惑で動いた場合、
私達は知らず知らず
大きなストレスに見舞われ、
苦しみ、
孤独に陥り、
それが恐怖感となって
認識されます。

実は最近、
真本音の度合いが
一気に高まる人にこそ、
そのような傾向が
見受けられます。

・・・・・
時代は今、
実在レベルでは
急ピッチで
進んでいます。

真本音で生きる人には
進みやすく、
真本音を無視する人には
進みづらい
流れができています。

であるが故に、
逆に
これまで「誤魔化してきたこと」が
誤魔化し切れない状態に
なりました。

これまでは
多少の恐怖を感じても
それを誤魔化し、麻痺させ
蓋をしながら
進むことができました。

しかし今はもう
無理です。

怖いものは
怖い。

つらいことは
つらい。

苦しいことは
苦しい。

と、
実に明確に
わかってしまいます。

だからこそすぐに
修正を効かすことができますが、
これまで自分を
誤魔化し続けてきた人には
ちょっとつらいかも
知れません。

でも、
することは簡単です。

恐怖を感じたら、
自分の何かがおかしいな、

まずは認めることです。

そして
恐怖のもとを
見つめることです。

その恐怖をありのままに
感じ続けることです。

大丈夫。

今はもう、
底なし沼のように
永遠に堕ち続けることは
ありません。

すべてに

は存在します。

これ以上は堕ちませんよ、
という限界が
必ずあります。

ですから
いかなる恐怖であろうとも
向き合い、
見つめ、
乗り越えることが
可能です。

・・・・・
そして
自分自身と真摯に
向き合い続ける人には
必ず、
自身の真本音が
手を差し伸べてくれます。

自分の中の光。

それが真本音です。
光は、
向き合う者に
注がれます。

そして光を
感じることができれば、
私達は
すぐに合点します。

自分が
何を起こしていたか?
を。

自分が
どのような意図と思惑によって
自分自身を
縛っていたのか?
を。

そしてその行為自体が
今の自分にとって
どのような意味を
成しており、
それを通じて自分は
何を学べばよいのか?
を。

今は
すべての時間
すべての過程が
必然です。

すべてから
学ぶことができます。

なぜなら
すべてがもはや
「進化」の方向に
流れているからです。

ですから
安心して
もがいてください。

今、
見つけようとしている
答えを
真剣に探して
ください。

光は観えなくとも
光はあります。

なぜなら、
自分自身が
光だからです。

つづく