こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2013年06月27日

8次元の愛 270 〜10倍パワーで颯爽と

私達のパワーは
10倍に増幅したと
考えてください。

実在レベルでは
実際にそのようなことが
起きました。

これまで
「精一杯だ」と
思っていたことが、
10分の1の力で
できるように
なりました。

残念ながら
その事実に気づかない人
もしくは
その事実を信じられない人は
自らの限界を
これまでと同じところに
自ら置き、
その範囲内で動きます。

しかし
自分自身と本当に
向き合える人は
私の申し上げていることが
わかるはずです。

私達のパワーは
10倍以上に
増幅しました。

実は、
これでもかなり控えめに
申し上げて
いるのです。笑

・・・・・
この一週間。
多くの人達が
「動揺」しました。

私達の心は
かなり不安定だったと
思います。

昔からの心のクセや
直したはずの
心のパターンが
再発生した人も
多かったのでは
ないでしょうか。

ご安心ください。
以前の自分に
もどってしまったわけでは
ありません。
この一週間は、
以前の自分を
思い出すことに
意味があったのです。

以前、自分は
どれほど苦しんでいたか?
どれほど
真本音とかけ離れたことを
していたか?
どれほど
自分自身を不甲斐なく
思っていたか?

それらを
顕在化するために
必要な時期でした。

その時期を終え、
私達の心は再び
「安定」に入ります。
その「安定」は
根底の部分については
これから永遠に
続きます。

ですから
ご安心ください。

これからが
本番です。

・・・・・
私達は、
根底の「安定」を
手に入れることが
できました。

だからこそ、
表面はどれだけ不安定でも
大丈夫です。

これまでは
落ち始めれば
どこまで落ちるかわからない
という不安を
私達はどこかに
抱えていました。
しかしこれからは
その不安とは
おさらばです。

思いっきり
不安定になっても
大丈夫です。

つまり言葉を変えれば、
ようやくこれからは
私達の反応本音を
存分に
活用できるのです。

真本音という土台があり、
反応本音という
揺れ動く波がある。
・・・という、
人としての心の在り方、
心の仕組みが
正常に機能するように
なるのです。

安心して
人としての
活動が
できるのです。
人としての
人生を
生きられるのです。

・・・・・
もう本当に
止まっていては
ダメです。

止まる
ということは、
生きていない
ということです。

私達人間は
動くことが本分の
生き物です。
動くことが
本能です。

私達人間は
願いを持つだけでは
満足できません。
願いに向かい
動くことで
初めて本来のパワーが
出ます。

そしてこの世は
動かなければ
何も始まりません。
動くことで
すべてが始まります。

動いた分だけ
波が起きます。
動いた分だけ
成果が出ます。

よい動き方をすれば
必ず成果の出る時代。
それが
真本音の時代です。

よい動き方とはもちろん
真本音で決めた
動き方です。

単純明快。

即断即決。

快適優先。

どんどん
動いてください。

まるで
自分の鏡のような
現実展開。

それが
これからの時代。

動けばすべてが
観えてきます。

・・・・・
真本音の時代まで
あと約1ヶ月。

この1ヶ月を
いかに淀みのない
日々とするか。

いかに
颯爽と生きるか。

それが
私達一人ひとりの
することです。

つづく

2013年06月21日

8次元の愛 269 〜本当に果たしたい使命は?

それぞれの人がいて
それぞれの役割が
あります。

その役割を担うために
私達は
生まれてきましたし、
生きています。

私達は一つの社会を
成り立たせていますが、
社会とは
役割の集まりです。

大人も子どもも
関係なく、
それぞれが
それぞれの役割を
果たしています。

例えば、
A君という子どもが
Bさんという大人に
甘えたとします。

BさんはそんなA君に
「こういうことは
甘えてはいけないよ」
と教えたとします。

Bさんには
A君を諭すという
役割があります。

そしてA君には
Bさんから
諭される
という役割があります。

Bさんによって
A君は学び、
A君によって
Bさんも
学んでいます。

もし
それぞれの人達が
真本音で生きていたら、
それぞれの役割は
完全に調和し、
社会全体が
いついかなるときも
進化を続けます。

・・・・・
役割のことを
あえて
「使命」
と表現してもよいでしょう。

誰にでも使命が
あります。

自分の決めている使命
真本音の使命に
向かうことで
私達は根底から
元気になります。

しかし
どれだけ素晴らしい物事に
取り組んでいても、
自分が本来決めている使命と
違うことに向かえば、
私達のパワーは
どんどん減退します。

どれだけ素晴らしい物事に
取り組んでいても、
自分が本来決めている使命から
逃げている人がいます。

私はあえて
こう言います。

それも立派な
現実逃避
です。

実は、
こういったケースの人も
ここ最近、かなり
増えています。

その人は
一見すると
とても素晴らしいことを
しています。

人とも向き合い
前向きで
元気な顔を
しています。

行なっていること自体を
見れば、
人間として素晴らしいなぁ
と思います。

しかし、
逃げているのです。

自分の使命から
逃げることに
真剣なのです。

真剣だから
一見すると
良い印象を受けます。
しかしそれは
使命から逃げるために
他のことに真剣に
なっているだけ。
自分自身を
誤魔化しているだけです。

ですから
そういった人と向き合えば、
前向きな笑顔の奥に隠された
魂の苦しさを
感じます。

その人本人の
気づかないところで
魂が
苦しんでいます。

これまでの時代は
そういった生き方でも
周りからは
素晴らしいですね、と
称賛され、
それなりの人生を
送ることはできました。

しかし
これからの時代では
それは
無理なのです。

どれだけ
素晴らしい行ないをしても
自分の真本音で決めた
使命から逃げていれば、
必ず
乗り越えられない壁に
ぶつかります。

なぜなら、
自らの真本音が
壁の方に自分自身を
先導するからです。

真本音は
「そっちではないよ」
と、自分自身に
合図を送ります。
ですから、
自分で自分に
乗り越えられない壁を
与えるのです。

しかし本当は
気づけるはずです。

そんな壁が来なくとも
「?」が
生まれるはずです。
何かがおかしいと
感じるはずです。

心の中の違和感に
敏感になることです。

違和感を持ったまま
進む時代では
ありません。

なぜ違和感があるのか?
そこに
真剣に向き合うことです。

・・・・・
真本音で決めている使命に
向かうことは
すべての調和に
つながります。

一人がちゃんと
役割を果たせば、
隣の人も
ちゃんと役割を
果たせます。

教える人がいれば、
教わる人も
必ずいます。

今、自分は
何をすればよいのか?

どのような
役割を担えばよいのか?

自分の果たしたい使命、
自らが決めている使命とは
何か?

本当に本当に
そこに真剣になれば、
心も
現実も
開かれていきます。

真本音の時代とは
自由な時代。

自由とは、
自らが最初から決めている使命に
向かうことで
初めて実感できるものです。

つづく

2013年06月19日

8次元の愛 268 〜気持ちよく立ち上がりましょう

今、私達は
卵の殻の中にいる
とイメージしてみてください。

卵の中はかなり狭く、
そこで成長をし続けた
私達は
殻の内側で
ギュウギュウ詰めに
なっています。

早く
この殻を破りたい。

その想い一筋に
がんばってきました。

そしてついに
殻にヒビが
入りました。

そのヒビは
どんどん広がり、
今は
殻全体がヒビだらけ
です。

あとはもう、
私達が
立ち上がる
だけです。

立ち上がれば、
その殻は簡単に
破れるでしょう。

そして
殻を破ったその向こうには
延々と広がる
青空が
私達を迎えて
くれるでしょう。

・・・・・
立ち上がろうとする
今の私達に
必要なことは、
自分の足腰を
信じることです。

私達にはもう
立ち上げるだけの
力が備わっています。

そして、
殻から広い世界に
飛び出した後、
ちゃんとそこで
自らの道を創ることのできる
自分であることを
信じることです。

思えば私達は、
殻の内側を
世界のすべてであると
思い込んできました。

殻の中で
縮こまっている自分を
本来の自分であると
思い込んできました。

思い込みから
自分を解放し、
開放する。
その時がもう
来ています。

・・・・・
苦しいのは
ギュウギュウ詰めに
なっているからです。

それだけ
私達が
成長をしたのです。

痛いのは
殻の固さの
せいです。

それだけ
強い殻だったのですが、
固いが故に
いったん割れ始めれば
すべてが壊れます。

すべてが壊れる
ということを
今の私達は
恐れていますが、
それも一瞬のこと。

壊れた後に
本来の世界と
本来の自分が
実在として
ちゃんと存在しています。

・・・・・
この際、
中途半端な立ち上がり方は
やめましょう。

一気に
気持ちよく
立ち上がりましょう。

多少痛くても
大丈夫です。

私達がこの世に生まれるのも
痛かったはずです。
あの長い苦しみに比べれば、
今回のなんと
清々しいことか。

・・・・・
何をもって
「立ち上がった」
ことになるのか?

それは
人それぞれです。

しかし一つ言えるのは、
それは
精神的な立ち上がり
というよりも
一つの実際の行動となって
現れます。

あぁ、
この行動をとることが
自分自身の殻を
破ることなのだな、
とわかるはずです。

そこに確信を持ったら
思い切って
それをしましょう。

その行動によって
どのような現象が
起こるかは
わかりません。

しかし
現象そのものよりも、
その瞬間からの
自分自身に
目を向けてください。

自分の心は
魂は
どのように変化(進化)
したでしょうか?

そんな眼差しで
自分の実在を
感じてみましょう。

今この時期に
この瞬間に
立ち上がろうとしている人が
いっぱいいます。

心から
応援します。

もちろん
私も
立ち上がります。

お互い、
気持ちよく
立ち上がりましょう。

つづく

2013年06月17日

8次元の愛 267 〜最後で最初の一歩は自分で

人は
99.9%まで来ると
ある種の満足をします。

そして
100%を実現すると
次の新たな「挑戦」が
湧いてきます。

100%とは
ゴールではなく
次へのスタートです。

私達は
それをよくわかっているので
中には
99.9%の状態で
止まってしまう人も
います。

このままこの満足に
浸っていたい。
100%になることで
次の段階に向かうことが
億劫だ。
という気持ちが
湧いてしまうからです。

しかしそれは
危険なことです。

99.9%に留まろう
というその意志が
一気にすべてを壊し、
0%にまで
落ちてしまうからです。

99.9%まで登り、
自らの怠慢によって
0%に落ちることで、
その人はもう
這い上がる気力が
出なくなります。

そしてずっと
0%の場所で
留まり続けます。

本人は
99.9%のままだと
思い込みながら
0%の場所で苦しみ、
苦しみながらも
0%にいるという現実を
受け止められない。

とても残念ですが、
そういう人が
増えています。

・・・・・
自分自身が
本当に望み続けた
境界であるにも関わらず、
いざその最後の一歩まで来ると
境界を超えずに
その場に留まろうとする。

なぜ
そうなってしまうのでしょう?

その理由の多くは、
最後の0.1%に
苦しみが伴うからです。

最後の一歩に
勇気が必要だからです。

苦しみを前にしたとき
私達は
100%を超えたその先にも
同様の苦しみがあると
勘違いします。

しかし、
まったく
そのようなことは
ありません。

その苦しみに
立ち向かうことで
私達は出口にたどり着き、
その出口の先に
新たな世界があります。

その世界とは
これまでとは
まったく異なるもの。
これまでが
まるで狭い狭い殻の中に
ギュウギュウ詰めになって
閉じ込められていたのではないかと
思えるくらいの
開放感です。

それを得られるかどうか。

それは、
最後の一歩を
最後の0.1%を
踏み込むかどうかという
自分自身の意志に
懸かっています。

・・・・・
気合いを
入れてください。

気合いを入れるとは
全身に力を入れる
ということでは
ありません。

自分の中心に
力を込めるのです。

自分の中心に
自分のすべてのパワーを
集中させるのです。

余分なところに
力を分散させないで
ください。

余分な歩みを、
行動を
とらないでください。

あなたの人生は
あなたのもの。
あなたの歩みは
あなたのものです。

すべて
自分で決めるのです。

そのために
自分の中心に
すべての力を
集中させてください。

そうすれば
あらゆる現実が
ありありと観えてきます。

腰の据わった目で
自分がどうすべきかが
観えてきます。

答えは
あなた以外の
いかなる場所にも
ありません。

すべては
あなた自身が
知っています。

他に答えを求めるのではなく
すべて
自分で決めましょう。

それが
最後の一歩を
踏み込む
ということです。

・・・・・
最後の一歩は
あなた自身の一歩でなければ
なりません。

その一歩が
すべてを開放させ、
そしてその後の新たな世界では
あなたは
自分自身の道を創れます。

これまでは
学びながら
歩いて来たのでしょう。

これからは
自分の中にある答え通りに
決めて行きます。

あなたのことを
最も信じられるのは
あなた自身
なのです。

つづく

2013年06月14日

8次元の愛 266 〜怖さこそが味方

怖さを感じることは
健康な証拠です。

むしろ怖さを
感じなくなったとき
本当に今の私で大丈夫か?
と確認した方が
よいでしょう。

多くの人は
怖さを感じなくなれば
進める
と思い込んでいます。

まったく
逆です。

怖さを感じるときこそ
私達は
これまでの限界以上の
自分を
顕在化させることが
できます。

怖さを感じるときこそ
私達は
最高速度で
進むことができます。

ですから
怖さを消そう
などという不健康なことは
しないでください。

未知なものに向かうとき
困難を越えようとするとき
枠を壊そうとするとき
きちんと怖さを
感じられる自分に
むしろ自信をもって
ください。

・・・・・
怖さを理由に
歩みを止めないで
ください。

怖いからこそ
進むチャンスです。

怖さとは
全力疾走できますよ
という
合図です。

だから進んで
ください。

怖さと向き合い
進むことで
ある瞬間から
怖さは
本来の姿に
変容します。

怖さとは
実は
「確信」
の卵です。

私達が
怖さを愛し
それでも進むとき
怖さは
殻を脱ぎ捨てます。

殻の中から
生まれるのが
「確信」です。

「確信」をもった人とは
怖さに打ち勝った人では
ありません。

怖さという次元を
超えた
人なのです。

ですから私達は
怖さと闘うのでは
ありません。

怖さという合図を
活かし
怖さを愛すことで
自らの次元を
高めるのです。

怖さとは
私達の味方です。

・・・・・
今あなたは
何が最も
怖いですか?

その怖さの
核には
何がありますか?

今一番
何から
逃げたいですか?

その怖さの
核には
何がありますか?

あなたが今
最も見たくないものは
何ですか?

その怖さの
核には
何がありますか?

その核と
向き合うとき
全身が
震えますか?

震えるということは
きちんと
向き合えている
証拠です。

涙が出ますか?
涙が出るということは
きちんと
向き合えている
証拠です。

どれだけ震えても
どれだけ泣いても
ちゃんと
向き合いましょう。

そして、
その怖さを
自分のパートナーとしたら
これからあなたは
何をしたいですか?

何を
すべきですか?

思いつく答えがあれば
それらを
すべて行なってください。

怖いからと言って
止まらないでください。

行動に移せば
恐れていた結果が
返ってくるかも
しれません。

それでも
進んでください。

それが
今の私達に
必要なことです。

私達が
きちんと健康的に
生まれ変わるために
必要なことです。

私達は
本来の私達に
戻ろうとしています。

戻るための
道筋を示すのが
怖さ
です。

怖さと共に
歩める人こそが
本当の楽しさを
手に入れることが
できるのです。

つづく

2013年06月12日

8次元の愛 265 〜小さくても深く

人、人、人、・・・。

「人」が
溢れかえっています。

私達は
人として生きることに
慣れているつもりに
なっていますが、
実はまだまだ
不慣れです。

人とは本来
どういうものか。
人とは本来
どう生きればよいのか。
人とは本来
何を目指すのか。

それらの答えの
一つとして
明確でないままに
ここまで
来てしまいました。

そういった問いと
向き合うチャンスは
これまでいくらでも
あったのですが、
その度に私達は
向き合っているフリを
してきました。

私達は
それらの問いから
逃げ続けてきた
と言ってもよいでしょう。

そして
逃げることに
疲れ果てたのが
今なのでしょう。

今、
これまで
逃げてきたものに
立ち向かおうという
意志を
多くの人達が
持ち始めています。

とても喜ばしいこと
であるのと同時に
最後とも言える
このチャンスを
大切にしたいものです。

・・・・・
逃げる癖の
ついている人は
どこまでも
逃げ続けます。

それは見事なくらいに
逃げ続けます。

もう
追いかけても
しょうがないかな、

諦めさせる名人
です。

でもそれは
反応本音の時代において
機能したもの。
これからは
もうその手は
使えません。

なぜなら
それを使っている
本人のストレスと
苦しさが
半端じゃなくなるから
です。

・・・・・
私達の真本音が
最も元気を失うのは
逃げること
によってです。

立ち向かうことから
逃げることで
真本音は
パワーを落とします。

いえ。
正確に言えば
真本音そのもののパワーは
落ちることはありませんが、
真本音は自分自身に
パワーを送ることを
意図的に
止めてしまいます。

パワーを失うことで
この現実世界での
生きる力も失われ、
そうなるともう
どの道に行こうとしても
ちょっとした壁によって
挫折を繰り返します。

パワーが出ない
ということは
私は今、逃げているよ
という合図です。

真本音からの
メッセージです。

・・・・・
人、人、人、・・・。

人が
溢れかえっています。

その中で
多くの人達が
逃げまどっています。

真本音の時代を
前にした今なのに、
逃げることに
真剣です。

その人達は
苦しんでいます。
でも、
どれだけ助けようとしても
その人達は
助けるための手からも
逃げ続けています。

人はなぜ
こうも
逃げ続けるのでしょう?
その真剣さを
立ち向かう方向に
向けるだけなのに。

・・・・・
人が人を助ける、
なんてことは
傲慢であると
思っています。

その人の人生は
その人のものであり、
その尊重の上でこそ
本当のサポートが
できると
思っています。

でも今、
「サポート」の範疇では
どうしようもならない人が
増え過ぎたようです。

しかし
私達自身も人間です。

人には
できることと
できないことが
あります。

できないことを
悔やみながら
歩みを止めるよりも、
できる今の一歩を
進むことが
私達のすべきことです。

たくさんの人達の
助けになりたい。

という気持ちは
尊いです。

しかし
そんな気持ちを持つ
あなただからこそ、
あえて
お伝えしたいのです。

目の前の
一人に
集中してください。

今、最も大切な人に
すべてを
注いでください。

それがもし
完了できたら、
次の一人に
向かってください。

一人ひとり。
一歩いっぽ。

中途半端な力を
多数に注いでも
何も変わりません。

すべての力を
一人に注ぐことで、
その人がもし
本来の自分を取り戻せたら、
それが
実在レベルで
世の中全体に
与える影響は
測り知れません。

本気になる
とは
そういうことです。

全力疾走
とは
そういうことです。

小さくてもよい。
深い一歩を。

それが
今のあなたへの
メッセージです。

つづく

2013年06月11日

8次元の愛 264 〜わからないまま進めばいい

すべての人には
素晴らしい部分と
愚かな部分が
共存しています。

どちらかを
消すのではなく
どちらともを
いつも見つめる眼差しが
私達には必要です。

面白いことに
自分自身の素晴らしさに
目を瞑っている人も
多いです。

側から観ていると
とても素晴らしいところを
お持ちなのに、
それを観ようとしない。
それを認めようとしない。
そんな人は
実に多いです。

しかしそれは
謙虚とは
言いません。

それは
自己欺瞞です。

それは
傲慢です。

自分の素晴らしさを
あるがままに
見つめることのできない人は、
自分以外の人の
素晴らしさを
見つめることも
できません。

私は
ここが
素晴らしいです。

と、
何の躊躇もなく
何の力みもなく
表明できる人に、
私はとても
潔さを感じます。

そしてそのように
潔い人ほど、
自分の本当の
愚かなところを
見つめる勇気を
持ち合わせています。

・・・・・
自分を
過小評価する必要も
過大評価する必要も
ありません。

自分は
自分です。

ただそれだけ。

そして、
「私にはまだ
〜〜の力がないから
○○はできない。」
という諦めも
あり得ません。

「〜〜の力のない
私だからこそ
 できることがある。」
というのが
真理です。

何かがあるから良くて
何かがないから悪い
ということは
実在の視点から観れば
いっさい
あり得ないのです。

なぜなら
すべてが必然であり
最善だからです。

今、自分に
その力がないのは
それが
最善だからです。

そんな自分にしか
できないことが
あります。
今ここでしか
できないことが
あります。

それを見つけることが
私達のすべきこと。
真本音が
望んでいることです。

・・・・・
素晴らしさと
愚かさ。
それらはどちらも
解釈です。

今の私達に
自分で自分を
解釈している
暇はありません。

それよりも
次の一歩を
「本気」で
決めることです。

決めたら、
進むことです。

今。

今だからこそ
できることが
あるはずです。

それを
するのです。

それだけです。

・・・・・
実在レベルでは
反応本音の時代から
真本音の時代への
大変な移行が
ほぼ完了しようと
しています。

そのペースは
極めて速いものでしたが、
現象レベルの私達も
それについて行きましょう。

止まって考える時間があれば、
その分
一歩を踏み出してください。

止まっていても
何も観えてきません。
答えは「ここ」には
ないからです。

わからないことは
進まなければ
わかりません。

進んだ先にこそ
本当の答えが
存在しています。

考えてから
動くのではなく、
動きながら
既にそこにある答えを
一つずつ拾って
いきましょう。

私達の準備は
もう
整っています。

あとは
動くだけです。

「本気」で
動くだけです。

つづく

2013年06月09日

8次元の愛 263 〜本気の石を投ずる

もう一度
やり直したい。

という私達の気持ちが
決して叶えられないのが
時間の流れです。

過去から未来へ。

時間は
一方向にしか
流れません。

やり直しが効かない
という制約の中で
私達は
生きてきました。

しかし
そのような制約が
あったからこそ
私達は力をつけることが
できました。

やり直しが効かないからこそ、
同じ時間は二度と
戻らないからこそ、
私達は本気に
なりました。

制約の中で生まれる
本気。

制限の中で生まれる
本気。

それが私達にとっての
「本気」でした。

・・・・・
言葉を変えれば、
私達は私達自身に
制限を加えることでしか
自身の本気を生み出せない
という
非常に次元の低い
私達でした。

しかしこれからは
それが
変わります。

「本気」の次元が
変わります。

「本気」とは
次の意味があります。

「無限の広がりの起点(基点)」

これが
本来の意味です。

そして
「本気になる」
とは
「無限の広がりを
 生み出そうとすること」
です。

私達の踏み出す
次の一歩。
私達の投じる
次の一石。

それが、
無限の波紋を
広げます。

無限の波紋が
広がるという事実を
知ると、
多くの人が
次の一石を投じることに
不安を
感じるでしょう。
躊躇を
するでしょう。

これまでは
すべてに制限がかかって
いましたから、逆に
私達はある意味
無茶苦茶にでも
石を投げ続けることが
できました。

影響力があまりないからこそ
躊躇なく石を
投げ入れることが
できました。

しかしその結果として
波紋と波紋が混濁し
それがそのまま固まり、
でこぼこの水面(みなも)を
創り出していました。

そのでこぼこが
完全に
もとに戻りました。

まるで今の水面は
鏡のように清らかに
静かに
何の物音も立てずに
無限に広がっています。

ほんの小さな石でも
そこに投げ入れれば、
その小さな波紋は
無限に広がって
いくでしょう。

まるですべてが
リセットされた
ようです。

それは
私達全員がずっと
望んでいたことですが、
いざその状況を手に入れたら
石を投げ入れるのが
怖くなってしまいました。

そして私達は
永遠に広がる鏡のような
水面を前に
ただ茫然と
佇んでいます。

・・・・・
しかし私達は
必ず何らかの石を
そこに投じなければ
なりません。
何らかの
波紋を生み出さなければ
なりません。
それが、
私達人間の役割です。

無限に広がる
鏡のように透き通った
純粋そのものの
水面。

そこに石を投じることを
「本気になる」
と言います。

波紋が
無限に広がるのを
わかっていながらにして、
石を投じること。

今の私達に
求められているのは
それです。

・・・・・
さて。
石を投ずるのは
すべての人です。

一人が一つずつ
まずは最初の
石を投じます。

あなたはその
最初の石を
何と名付けますか?

何と名付けられた
石を
投じますか?

最初が
最も肝心です。

なぜなら
そこからすべてが、
これからの展開のすべてが
始まるからです。

これはやはり
生まれ変わり、です。

もう一度ここから
人生が、
歴史が
始まるのです。

さぁ。
最初の石を
何にしますか?
その石は
何という名前ですか?

その石が
あなたの意志です。

それが
真本音の意志であることを
私は祈ります。

つづく

2013年06月06日

8次元の愛 262 〜飛べてしまう時代

私達のこれまでの人生は
自分の登る山を決め、
どこからどのように
登るかを決め、
一歩ずつ山頂を目指す。
というものでした。

もし山頂に
たどり着くことができれば
そこから次の山を見つけ、
新たなる山頂に向かって
進んで行く。
というものでした。

しかしこれからは
その人生の基本そのものが
変容します。
なぜなら、
私達は翼を
手に入れるからです。

翼を手に入れた私達は
一歩一歩山頂を目指すのではなく、
いつでもどこでも
自由に飛ぶことが
できるようになるのです。

もちろん
あらゆる山の頂よりも
高く飛ぶことが
できます。
あえて、
地面を歩くことも
できます。

もしそうなったとき、
これまでの自分の
経験則が
役に立つでしょうか。

これまでは
「歩く」ことを前提に
私達は生きてきました。
生きる術を
身につけてきました。

しかしこれからは
「歩く」ことも
「飛ぶ」ことも
できるのです。

今の私達の変容とは
そういったレベルのものです。

すべてが
根本から
変わろうとしているのです。

・・・・・
これまでは
山頂を目指せばよい
という
ある意味、わかりやすい
人生でした。

そして
どのような山頂であれ、
歩き続ければ
いつかはたどり着ける
可能性がありました。

しかし
これからの私達は
何を目指せば
よいのでしょうか?

これからは、
山頂とは
単なる地面の隆起の突端
でしかなくなります。
高く空に舞い上がって見降ろせば
地面の単なる一点
に過ぎなくなります。

それだけ自由になることで
私達は
何を目指し、
どこに行けば
よいのでしょうか?

・・・・・
しかもこれからは
大気圏と宇宙の
境い目すらなくなります。

宇宙という
私達にとって
まったく未知の世界へも
私達は自由に
出入りできるように
なります。

これまで
地上のみで生きて来た
私達が
一気に宇宙にまで
出られるようになります。

その世界の広がりたるや
尋常ではありません。

その尋常ではないことが
まさに今この瞬間に
起こりつつあります。

もちろん
以上は実在レベルでの
話ですが、
その実在レベルの変化を
感じ取っている人が
増えています。

そして、
それらの人達は今、一様に
心が不安定に
なっています。

当たり前です。
一気に世界が
広がるのです。
広がり過ぎるのです。

不安定にならない方が
おかしいです。

・・・・・
中にはすでに
翼を手に入れて
地面を離れた人も
います。

その人達は
まだ空中に浮かぶことに
慣れていないので、
怖々です。

でも
すぐに慣れます。
心配しないでください。

もともと私達には
翼があったのです。
それを自ら隠しながら
生きて来たのが
これまでの時代、
反応本音の時代だったのです。

ですからその翼は
新しく生えたというよりも、
もともとあったのに
それが広がらないように
きつく縛りつけていたものです。

翼があることは
何も特別なことでは
ありません。
全人類・全人間に
それはあります。

極めて普通なこと。

ただ、
それを忘れていた時間が
あまりに長過ぎたので
怖がっている
だけのことです。

・・・・・
心の中に感じる翼を
大きく
広げてみてください。

すると
視界が一気に
変わるはずです。

それが、
空に飛び立った
ということです。

空に飛び立ったら
どこに行けばよいか?
それを一番よく知っているのが
自分自身の真本音
です。

すべての道しるべは
真本音にあり。
・・・です。

自由であるが故に
自らの真本音に
素直になることが
必要です。

そして
真本音に素直に
なることで、
私達はさらに
自由に飛べます。

そういった人達こそが
これからの現実世界を
創り上げていきます。

それが
これからの時代、
真本音の時代です。

つづく

2013年06月05日

8次元の愛 261 〜祈りだけは残ります

人は
祈る生き物です。

例えば、
サッカーなどスポーツの試合では
ここ一番の場面で
みんなが祈るポーズを
します。

自分自身の人生を決める
大事な場面でも
やはり私達は
祈る気持ちになります。

人類は太古から
大自然に対して
祈りを続けてきました。

祈りとは
私達人間の
本能の為せる業の
一つです。

私達の中には必ず
何らかの祈りが
存在しています。

それは
今の状況だからこそ
生じるものもありますが、
生まれたときから
延々と
持ち続けている
祈りもあります。

それを
見つけてみましょう。

それは
真本音の祈りです。

・・・・・
私達には
自分という枠を超えた
祈りを
必死に捧げるときが
あります。

自分だけのことではなく
もっと大きなもの
のために祈るとき、
そこに私達の
純粋性が
喚起されます。

自身の純粋を
感じ取ることで
私達は
喜びを得ます。

それは
自己満足的なものとは
少し違います。

その喜びは
もっと深くて
根源的なところから
生じています。

祈りとは
その喜びを
最も簡単に得られる
行為です。

そして
自分を超える祈りを
私達は誰もが
初めから持っており、
そこに触れることで、
たったそれだけのことで
人生が大きく変わる人も
多いです。

自分の中の祈りを
見つけようとする
視線が
これからの私達には
特に必要です。

・・・・・
祈りの力は
凄いです。

それは
自分以外の人に
あっという間に
伝播します。

ただしその祈りとは
自ら意図的に
つくり出すものではなく、
自分の中に
初めから存在している
真本音の祈りの
場合のみです。

その祈りと
今ここにいる自分自身を
紡いだとき、
すべての現実が
変わり始めます。

・・・・・
ある意味、
真本音とは
祈りの塊である
とも言えます。

自分の中の祈りを
見つける
ということは、
自らの真本音を
見つけることと
イコールとも
言えます。

自分はもともと
何を祈り続けて
いたのか?
そんな視線を
自分自身に向けると
よいですね。

そしてもし
自分の祈りを
見つけることができたなら、
その祈りに込められたパワーを
開放してください。

それはそれは
凄いパワーです。

それは
自身を満たします。

恐らく、
そのパワーのあまりの大きさに
びっくりする人も
多いでしょう。

そう。
祈りとは
パワーの源泉でも
あります。

反応本音の時代から
真本音の時代への
転換点。
そこにいる私達が
本来の自分自身を
思い出すための
最も早道となる方法は
自身の祈りを
思い出すことかも
知れません。

・・・・・
祈りとは
実在です。

何を手放しても
何を崩しても
何を失くしても
最後に
祈りだけは
残るのです。

それこそが
私達自身です。

本当の
私達です。

つづく

2013年06月04日

8次元の愛 260 〜一点を定め走ろう

自分は今、
何をすればよいか?

そこに迷いが生じたら

「一点」

を探してください。

あれもこれも
ではなく、
自分のすべての力を
注げる一点を
探してください。

これからは
一点を見つけ
集中し
そこを突破することで
次の道が
大きく広がり、
さらにその道に出たら
一点を見つけ
集中し
そこを突破することで
その次の道が
大きく広がる。
・・・そんな進み方が
重要です。

力を分散させている
余裕は
今の私達には
ありません。

それだけ今の流れは
急激に速まっています。

慣れればこの流れが
いかに安定したものかを
実感できますが、
今の私達は
そのあまりの加速ぶりに
戸惑っています。

ですから
慣れるまでは
一点集中です。

その一点は
必ず見つかります。

もし見つからないのであれば、
今の自分の生き方が
どこかずれていると
お考えください。

何か余分なことを
し過ぎている。
何かから
逃避している。
何かに
フタをしている。

そのいずれかです。

流れに乗るという
覚悟をもった人には
必ずその一点は
観えてきます。

・・・・・
最近このブログに
何度も書かせていただいて
いることですが、
もう本当に
これまでのことは
手放してください。

これまでの経験則。
これまでの個性。
これまでの強み。
これまでの行動パターン。
これまでの思考パターン。
これまでの
あらゆる解釈。

完全に
手放してください。

それは
反応本音の時代を
生きるための知恵でした。

しかし
これからの時代は
そこにこだわると
足を引っ張られます。

すべてを一度、
完全に手放して
ください。

本当に必要なものは
完全に手放したとしても
自分に残ります。

それは
実在です。

解釈ではなく
実在だからこそ
そこに残るのです。

本当に残すものと
そうでないものを
区別するためにも、
今はすべてを
完全に手放すのです。

手放せば
わかります。

本当に自分に
備わっているものが
ありありと
わかります。

・・・・・
勇気は大事ですが、
その勇気は
ワクワクする方向にのみ
使ってください。

無理な勇気を
振り絞るのも
反応本音の時代の
産物です。

ワクワクする方向に
思い切って
飛び込んでみる。
それが本当の
勇気であり、
それをここでは
「遊気」
と表現しています。

私には
こういう強みがあるから
これをします。
・・・はやめましょう。

これからは・・・
すべてを一度手放し、
心を本当に自由にした上で
自然にワクワクする方向へ
遊気をもって進む。
その中で
本来の強みが
芽生えてくる。
という時代です。

・・・・・
間違うことを
恐れないでください。
いえ。
正確に言えば、
間違いを恐れる心は
そのままに。
その心をちゃんと
自分で観ながらも、
本当に進みたい方向に
遊気を出してください。

そして
「行ける!」
と思えたら、
一気に
スタートダッシュです。

そこにもう
道はあるのです。
それは
とても太くて
整備されている道です。

反応本音の時代における
道とは、
まるで獣道のように
細くて頼りなく不安定な
ものでした。

しかし真本音の時代は
違います。
そこはまるで
新品の高速道路のように
まっすぐで気持ちよく
でこぼこもなく
車線も広く
整備されています。

ですから
全力疾走しても
大丈夫です。
いえ、
全力疾走するために
創られているのです。

安心してください。
一点を定めたら、
自分のすべてを
そこに向けてください。

一人ひとりのその走りが
道をさらに太く
快適なものに
していくのです。

私はもう
走り出しました。

みなさんも
走り出してください。

共に
新たな道を
楽しみましょう。

つづく

2013年06月03日

8次元の愛 259 〜私には何もできない

やはり予想通り、
と言うよりも、
予想を超えて
多くの方々が今、
変容を遂げています。

もちろんそれは
実在レベルでの話ですが、
実在レベルだからこそ
凄いと言えます。

これまで自分の
信じていたもの。
これまで「自分」であると
思い込んできたもの。
これまで「現実」であると
思い込んできたもの。
それらが
実は「解釈」の産物で、
本質と実在は
まったく別物であった、と
気づく人が増えています。

そこに気づいた人は
生まれ変わります。

面白いことに
本人はその事実に
気づいていない人も
いるのですが、
側から観ていますと、
それはもう
生まれ変わり
という以外に適切な言葉が
浮かばないほどに
その人は変容します。

とは言え
やはりそれは別人になること
ではなく
その人の本来の姿
本質の姿に
他なりません。

・・・・・
これまで
「自分はできる」
「自分はやれる」
と思いながら生きてきた人が

「自分には何もできない」

ということに気づき
愕然とする
というケースも
増えています。

自分には
何もできない。

私は、
これほど尊厳のある
気づきは
ないと思っています。

人は
自らの能力に
溺れ過ぎです。

自らの力を
過信し過ぎです。

それは本来の力ではない
のにも関わらず、
それを自分の力であると
思い込み
それに執着します。

執着して
その力を活かせば、
それなりのことは
実現できました。
それがこれまでの
時代です。

しかし執着の力には
自ずと限界が来ます。
そこで
「人には限界がある」
とその人は
自らの経験をもとに
思い込みます。

そして
中途半端な夢を描き
中途半端な目標を決め
中途半端な人生を
生きます。

しかし私達は
よく知っています。

どれだけ現象レベルで
大きなことをしても
それが中途半端であれば
実在レベルでは
何の意味もないことを。

現象レベルで
何かを成し遂げたつもりでも
それが中途半端なことでは
実在レベルでは
何もしていないのと
同じであることを。

ですから
現象レベルのみの成功を
手に入れても
私達の魂や心が
本当の意味で満たされることは
ありません。

私達人間が本当に
望んでいることは
魂の進化です。
実在の進化です。
そしてその結果としての
現象の進化です。

それは
自分が執着している力
によっては
決して成し得ません。

・・・・・
目の前の
たった一つに
魂を込めましょう。

「自分には
何もできない。」

その尊い気づきを
得た人は必ず

「それでも自分に
 できることは何か?」

がわかります。

「それでも自分が
 すべきことは何か?」

が観えてきます。

それが、
実在の進化への
その人の道です。

そしてその道を
歩むことで初めて、
その人の
執着の力ではなく
本来の力が
発現し始めます。

その人は
何も迷わずに
進めるでしょう。

進めば進むほど
その、本当の力は
大きく開花します。

その開花に
終わりはありません。

それは
無限です。

そしてそれは
人としての
本当の喜びです。

人は
無限の力と
無限の喜びを
得られる存在です。

そのためにも
小さなところで
自己満足しているのは
もう
やめにしましょう。

執着の力を
過信するのは
やめにしましょう。

今、
気づき始めている人が
いるように
私は
一人でも多くの人が

「自分には何もできない」

ということに
本当の意味で
気づけるといいなぁ、と
願っています。

つづく