こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2013年07月31日

8次元の愛 277 〜ありがとう

私達すべての人には
現象の私と
実在の私が
あります。

すべての実在の皆様に
お伝えします。

たった今、
すべてすべきことが
完了しました。

ようやく私達は
真本音の時代に
入ります。

すべての実在の皆様に
感謝申し上げます。

新たな時代を
共に楽しみましょう。

つづく

2013年07月13日

8次元の愛 276 〜心のクセの超え方

以前の私は
真本音の度合いさえ
高まれば、
誰もが真本音の道を
見つけ、
歩いて行けるものだと
思っていました。

しかし、
そうではないことが
わかりました。

なぜなら、
せっかく真本音度合いが
高まっても、
その気持ちよさの中で
逆に真剣度合いを下げ、
本人の気づかないところで
いつの間にか
現実逃避の道を
進んでいた、
というケースが
かなり増えたからです。

もちろんそれはもう
真本音の道とは
言えません。

しかし本人は
真本音の道を歩んでいると
思い込んでいます。
そして、
気持ちがよいと
思い込んでいます。
思い込みながらも、
自身の知らないところで
ストレスを
溜め続けています。

なぜ
そうなってしまうのか?

ずっと疑問でしたが、
現時点で一つ
わかっている答えが
あります。

それは、
心のクセ
です。

真本音度合いが
高まってもなお、
その人の中に
残り続ける心のクセ。

最後まで
残り続ける
心のクセ。

最後まで残るが故に
それはかなり
強力です。

強力であるが故に
その人は
そのクセに
呑み込まれてしまいます。

そういったクセは
誰もが持っており、
そこを超えることが
真本音の道を進むための
必須ステップなのだと
ある時に明確に
わかりました。

真本音度合いが
高まれば、
心の中はスッキリ
します。
スッキリしてもなお
そこに在り続けるクセ。

それを自ら見つけ、
それを自ら見つめ、
そのクセを完全に
手放すことが
大切です。

逆に言えば、
そのクセを手放すことこそが
自分の枠を超えることですし、
本来の自分を取り戻す
鍵となります。

・・・・・
心のクセの
見つけ方を
以下に申し上げます。

心のクセとは
実は多くの場合、
本人にとって
気持ちのよいもの
です。

もちろんそれは
本当の気持ちよさでは
ありません。
あくまでも
反応本音レベルの
気持ちよさです。

そしてそのクセは
主に、
自己防衛のために
発揮されます。
それをすることで、
自らを守ったり、
つらい部分に目を瞑ったり、
つらい現実を
観なくてよい状態に
なれます。

何かを
誤魔化すために
発揮されるものです。

そのため表面上は
(反応本音レベルでは)
気持ちよさがあります。

その、
心の表面のみの気持ちよさと
心の奥での
本当の気持ちよさの
区別はつきますか?

心の表面のみの気持ちよさは
その人を
イケイケどんどんに
させます。
心に勢いが出ます。
行けるんじゃないか!と
自信が湧き上がります。

しかし
真本音レベルの
本当の気持ちよさとは
心が静かに
なるものです。
スーッと肩の力が抜け、
頭が冴え、
すべてをありありと
観察することができ、
力を漲らせる必要が
まったくありません。
心の奥底が
満たされている感じ
です。
満たされているからこそ
あえてパワーを出そうと
しなくても
まったく大丈夫です。

表面上の気持ちよさとは、
それが長く続くと
疲れます。
しかし、
本当の気持ちよさとは
それが永遠に続いても
大丈夫どころか、
それが普通の状態と
なります。

表面上の気持ちよさに
つながるために
何となく無意識に
取ってしまう自分の行動や
思考のパターン。
それが、
心のクセです。

それを
見つけてみましょう。

・・・・・
心のクセが
見つかったら、
それが出ようとした
その瞬間に、
それを自ら
止めてください。

これまでは
気持ちがよいですから
その方向に進んでいたと
思います。
しかし、
その心の動きと行動を
すべてストップします。

そして
いったん止めてから
真本音を
思い出します。

自分が本当は
何を願っているのか?
何を本当に
大切にしているのか?
自分の本当の
テーマは何か?

真本音の想いを
思い出し、
それをしっかりと
心の中心に据えます。

そうして
心をニュートラルに戻し、
その状態で改めて
今から自分はどうしようか?
を考えましょう。

そして、
ニュートラルな心のままで
自然に
こうしよう!
と思えることを
行動に移しましょう。

以上を丁寧に
行ない続けます。
その地道な努力が
自分自身の
心のクセを超える
最大の方法です。

・・・・・
心のクセを
超えることができるのは、
その人本人の努力
だけです。

これは
他者からのサポートが
非常に難しい領域です。

もし
この領域における
他者へのサポートを
したいのであれば、
まずは自らが、
自らの心のクセを超える
という体験をすることが
必須です。

真本音度合いを
高め、
心のクセを
超える。

その先に、
真本音の道は
観えてきます。

つづく

2013年07月12日

8次元の愛 275 〜本気でやってみよう

やっぱり
この道で
よかったんだ。

真本音で選択した道の
先には
必ずその安堵感が
待っています。

その安堵感は
何度も
訪れます。

私達は
いつもそれを
感じつつ、
自分を振り返りつつ
道を進みます。

人にもよりますが、
真本音の道は
反応本音の時代の
視点から見れば、
とても困難な道、
不可能な道
だと思えるかも
知れません。

しかしそれは
自分自身が決めた道であり、
本当に望む道であり、
淀みのない道です。
そんな道だからこそ
得られる安堵感。

それは
人としての幸せの
一つです。

・・・・・
困難かどうか?

それは
やってみなければ
わかりません。

本気で
やってみなければ
わかりません。

私達人間は
本気を出さなければ
どの道も
困難に感じます。
そして
本気になることで初めて、
その道が本当に
困難かどうかが
わかります。

真本音の道とは
困難な道
ではありません。
本気になれば
たやすく開く道です。

ひょっとすると
側から見れば
困難なことをしているなぁ、
と思われることも
あるかも知れませんが、
やっている本人は
困難だとは
ちっとも思っていません。

いえ、
そこにはもう、
困難とか困難でないとか、
そんな視点すら
ありません。
ただただ、
パワーが湧いて
しまうのです。
そこに向かうことに
集中して
しまうのです。

それが
真本音の道の
特長です。

・・・・・
真本音の道では
次から次へと
課題が
持ち上がります。

一つ乗り越えても、
すぐに
次の課題が来ます。

それが
面白くて
たまりません。

課題と向き合うだけで
力が湧きます。

課題を越えるたびに
進化を感じます。

それが
面白くて
たまりません。

もちろん
つらいことも
あるでしょう。

こんな課題を
本当に
乗り越えることが
できるのか?と
茫然となることも
あるでしょう。

しかしそれにより、
私達の中から湧く
エネルギーが途切れることは
ありません。

気がつくと
課題に真剣に取り組み
いつの間にか
それを楽しんでいる
自分を発見するでしょう。

・・・・・
反応本音の時代とは、
自らの真本音の道を
見つけるまでの
紆余曲折を続ける
時代であった、
と言うこともできます。

私達は
真本音の道を
見つける前段階を
生きていました。

そして
ほんの一握りの人のみが
自らの真本音の道を
見つけることが
できました。

真本音の道を
見つけられるのは
特別なこと
でした。

それが
これまでの時代です。

でも
その時代は
もうすぐ
終わろうと
しています。

これからは
誰もが
真本音の道を
見つけることが
容易になります。

その道に
入ってから
どう生きるか?
がテーマとなる
時代です。

言葉を変えれば、
これまでは
スタートラインに
向かう時代。
スタートラインに
たどり着こうと
がんばった時代。

これからは、
誰もが
スタートラインに
立つことができ、
実際に
スタートを切ることが
できる時代です。

ただし、
本気になる人のみ
です。

でも逆に言えば、
本気になりさえすれば
誰でも
行けるのです。

・・・・・
誰にでも
道はあります。

早く
見つけましょう。
自分の道を。

そして
その道を進むことが
自分の周りの人達が
自分の道を見つける
最大のサポートとも
なります。

だから、
早く見つけましょう。
自分の道を。

そのためには
これかな?と思ったことは
まずは
やってみましょう。
本気で。

動いてみましょう。
本気で。

本気になれば
必ずヒントは
得られます。

これまでの
100倍
楽に
道は見つかります。

もう
そんな時代に
私達は
いるのです。

つづく

2013年07月09日

8次元の愛 274 〜共通の山がある

目の前に
越えるべき山が
観えたとき、
もうその時点で
それはすでに
越えている
と思っていただいて
結構です。

実在レベルでは
すでに
越えているのです。

越えたからこそ
現象レベルで
その山が
来ます。

ですから
私達の人生における
あらゆる現実を
私達は
必ず
越えることが
できるのです。

それが
真実であり
真理です。

その真理を
わかっている者は
山の向こう側にある
存在にも
気づくことが
できます。

その存在を知ればもう
その山は
山ではないでしょう。

それは
人生をより楽しくする
風となります。

・・・・・
私達が
生まれたわけは
風を吹かせる
ためです。

人とは
風を起こす者。

そしてその
風に当たる者。

お互いの風と風の
相乗効果を
生み出す者です。

世の中に
気持ちの良い風を
吹かすことが
できるかどうか?
そのすべては
人に
懸かっています。

私達一人ひとりに
懸かっています。

目の前の山を
越えられない山だと
思い込み、
そこで止まったり
逃げたりすることで、
風は停滞します。

空気は
淀みます。

空気が淀むことで
ますます
山に向かうパワーが
減退します。

山を越える道のりは
自分自身の真本音が
よくわかっています。

私達がするのは
真本音に素直に
動くことだけです。

・・・・・
気持ち良いか
気持ち悪いか。

今、自分は
本当は
どちらを
感じているのか。

気持ちの良い
方向に
進みましょう。

それが
真本音の道です。

気持ちが良いと
感じている
自分自身を
信じてあげましょう。

それが
真本音を信じる
ということです。

気持ち良いことは
する。
気持ち悪いことは
しない。

気持ち良い方に
進む。
気持ち悪い方には
進まない。

気持ち良い選択を
する。
気持ち悪い選択は
しない。

言うなれば、
たったそれだけの
ことです。

目の前に
大きな山が
迫ったときほど、
そこに素直に
なりましょう。

・・・・・
自分自身が
本当に気持ち良い
と思えている道は
他の人にとっても
気持ちの良い道に
なります。

人は
独りよがりに生きる
ことに
気持ち悪さを感じる
生き物です。

自己満足の道に
気持ち悪さを感じる
生き物です。

かと言って
自己犠牲にも
気持ち悪さを
感じます。

自己満足でも
自己犠牲でも
なく
すべての調和を
重んじます。

たとえ一時的には
波乱や波風が
起きたとしても、
調和への道には
私達は
本質的な気持ち良さを
感じます。

自分自身のその感性を
信じてあげましょう。

・・・・・
山は
次々と
現れます。

仕方ないですね。
それが人生です。

それを望んで
自ら私達は
ここに
生まれてきました。

風を吹かすために
ここに来ました。

今、
私達に
求められていることは、
共に越えようとしている
共通の山の存在に
気づくことです。

そこに気づけば、
共に
強い風を
吹かすことができます。

その風は
強いですが、
とても居心地の良いものと
なるでしょう。

これまでの私達は
本当の意味で
力を合わせることを
したことが
ありませんでした。

しかしこれから私達は
一つの山に向かい
力を合わせます。

これまで
敵だと思っていた人達とも
力を合わせるときが
来るでしょう。

それが
真本音の時代。

共に風を吹かす
時代です。

つづく

2013年07月04日

8次元の愛 273 〜人としての私の決意

やらなくてはならないこと

やってはならないこと。
その二つが
今ここには
必ずあります。

やらなくてはならないこと
から目を反らし、
やってはならないこと
に向かってしまうことを
現実逃避
と言います。

やってはならないこと
をやることで、
その人は
「一つ行動した」
「一つやった」
という自己満足を
得ます。

そしてその行動に
大義名分を
つけます。
それをやる
理由づけです。

理由づけが
素晴らしければ
素晴らしいほど
周りを納得させることが
できます。
周りの人達は
それを見て、
素晴らしいですね
と称賛します。

称賛されたその本人は
満足を得、
ますます
やってはならないことに
邁進します。

どうすれば
やらなければならないこと
から目を反らしつつ、
自己満足的な方向に
周りの称賛を得ながら
進むことができるか?
その術に
どんどん長けてきます。

以上が、
真剣度合いがゼロの人
の共通パターンです。
真剣度合いゼロの人は
やらなければならないこと
から逃げることに
真剣です。

真剣であるが故に
その真剣さだけを見て
素晴らしいものだと
勘違いしやすいのですが、
それはあくまでも
現実逃避の極み
です。

そしてその事実を
一番知っているのは
本人です。

その人自身の
真本音です。

・・・・・
真剣度合いゼロの人は
次の二つのいずれかの
人生を歩みます。

「怠慢」な人生。

「傲慢」な人生。

いずれも、
その怠慢さと傲慢さを
隠すのに
長けています。
なぜなら
本人ですら
その怠慢さと傲慢さに
気づいていないのですから。

真本音の時代の
直前。
私達は自分自身の枠を破り、
これまで自らが
限界であると思い込んでいた
狭い領域から
抜け出ようとしています。

しかしなぜか、
その一歩手前まで来ると
多くの人が
そこで立ち止まり、
方向を転換し、
怠慢か傲慢の道へと
進んでしまいます。

ここ半年。
随分とそういった人達を
みてきました。

昨日まで
一直線に進んでいたはずの人が
たった一日で
現実逃避の道に
入ってしまう。
そんな現象を
随分と
みてきました。

恐らく
枠を超える恐怖心が
そうさせるのだと
思います。

あと一歩を踏み出せば、
すべての努力が報われ、
すべてから開放されるのに、
そのあと一歩が
出ない。・・・

傲慢になった人に
傲慢ですよ
と伝えても、
まったく聴いてもらえません。

怠慢になった人に
怠慢ですよ
と伝えても
まったく動いてくれません。

人が人を変える
というのは
それこそが
傲慢でしょう。

その人を変えるのは
その人自身。
本人が自分の真本音に
素直になるしか
ありません。

それをただ祈って
見守るしかないとき
なぜか私は
悲しみと同時に
人の尊厳も
感じます。

その尊厳は
どこから来るのかは
わかりませんが、
何もできない歯痒さの中で
私は何とも言えない
人の尊さを
感じます。

・・・・・
人は
なんともならないのだなぁ。

とつくづく
思うこともあれば、

人は、
なんとかなるものだなぁ。

と実感することも
あります。

人には
限界があるなぁ。

と、
諦めに近い気持ちに
なるときもあれば、

人の可能性は
無限だなぁ。

と、
希望に胸膨らます
ときもあります。

なんともならないのに
なんとかなる。
有限のくせに
無限を発揮する。

その
わけのわからない
無限に不思議な
人という存在を
私はいつも
奇異と驚嘆の目で
観ている自分に
気づきました。

もちろん
私自身も
そんな「人」として
ここに存在しています。

それ以上の存在にも
それ以下の存在にも
なることは
できません。

その厳然たる事実と
真理の前で
こう呟くのです。

今、私が
やれることをしよう。

今、私が
やるべきことをしよう。

今、私が
やってはならないことは
やめよう。

やることは
100%やり、
やらないことは
100%
やらないでおこう。

ただそれだけ。

それが
人としての
私の決意です。

つづく

2013年07月02日

8次元の愛 272 〜真本音の時代の夢の描き方

私達は
夢を描きましょう。

しかし
これまでの描き方では
ありません。

反応本音レベルの夢を
描いている時間は
ありません。

真本音の想いを
願いを
現実化する「カタチ」が
本来の夢です。

「カタチ」の前には
「もと」があります。

夢の「もと」。

願いの「もと」
です。

・・・・・
すべては
その「もと」から
生まれます。

その「もと」を
見つけることができれば
あとは
湯水のように
発想が湧くでしょう。

しかし
「もと」を見つけるのは
容易ではありません。
しかも
人によっては
かなりの勇気が
必要です。

・・・・・
「もと」を見つけるために
私達にできるのは
「もと」の場所を
特定することです。

「もと」は
心の中にあります。

心の中のどこにあるかを
特定するのです。

手掛かりは
あります。

以下のやり方で
探してみてください。

・・・・・
まずは、
心の中の
最も気持ちの良い場所を
探します。

そこに意識を向けて
ください。

何度もそれをして
いつでもそこに
意識を向けられるように
なってください。

次に、
心の中の
最も気持ちの悪い場所を
探します。

多くの場合は、
自分が最も観たくない部分が
その場所です。

そこに意識を向けて
ください。

何度もそれをして
いつでもそこに
意識を向けられるように
なってください。

そこに入り込む必要は
ありません。
客観的に観れば
よいです。
ただ、意識を向ける
だけです。

そして、
心の中の最も気持ちの良い場所と
最も気持ちの悪い場所
両方に意識を向けます。

向け続けます。

両方を
愛してください。

どちらともが
大切な「私自身」であると
認めてください。

その事実を抵抗なく
受け止められるようになったら
二つを
統合します。

気持ちの良い部分と
気持ちの悪い部分を
一つに
合わせます。

あまり無理を
しないでください。
最初は反発し合うかも
知れません。

その場合は
時間を置きます。

もし統合できたら、
それをそのまま
観察し続けます。

順調に行けば、
それは「統合」から
「融合」に
移り変わるはずです。

つまりは、
二つが合わさった状態から
完全なる「一つ」に
なるはずです。

それは、
とても強い光を
放っているでしょう。

その「一つ」ができたら、
あとはその「一つ」を
自由にさせます。

その「一つ」は
勝手に動き、
今と同じようなやり方で
心の中のあらゆるものを
一つ一つ
「統合」そして「融合」
していくはずです。

その様を
何の意図もなく
ただ
観察します。

人によっては
すぐに終わるかも
知れませんし、
とても時間がかかるかも
知れません。

途中で疲れたら
その「一つ」に
訊いてください。

「もう意識を向けなくても
 よいですか?」
と。

「まだ向けていてください」
という答えが
返ってくるうちは
がんばって意識を
向け続けます。

そしてその「一つ」が
「もう意識を向けなくても
 大丈夫だよ」
と教えてくれたら、
そこで終わりです。

あとは何もせず
ただ
待ちます。

以上は、
心の中の掃除のような
ものです。

その「一つ」は
掃除機です。

あとは掃除機に
任せます。

心の中の掃除が
進めば、
ある瞬間に
自然にわかるはずです。

「もと」の場所。

それが
ありありと
わかります。

・・・・・
「もと」の場所が
わかれば、
そこに意識を
向けましょう。

そこには
何がありますか?

何が観えますか?

何を感じますか?

その「もと」を
言語化してみましょう。

その「もと」に
名前をつけてみましょう。

そして
その「もと」の
「祈り」を
探ってみましょう。

その「もと」は
必ず何かを祈って
います。

「祈り」とは
ゼロから生まれるエネルギー
です。

すべては
その「もと」から
始まっています。
そこが
パワーの源泉です。

そのパワーの源泉の
祈りを
知ることができれば、
あとは
自然にたくさんの願いが
湧き出てくるでしょう。

その願いを大切にしながら
どんどん夢を
描きましょう。

それが
真本音の時代において
自分自身を導いてくれる
人生の指針と
なるでしょう。

つづく

2013年07月01日

8次元の愛 271 〜私達がこれから生み出すものは・・・

人間が生み出すものを
人工物
と言いますが、
私達は
もとから存在するもの、
つまり、自然なものと
人工的なものを
区別し過ぎている
きらいがあります。

人間とは
自然ではないもの。
だから
人間の生み出すものは
自然ではないもの。

私達は無意識に
そんな捉え方を
していないでしょうか。

文明とは
自然から離れるもの?
自然を支配するもの?

自然を支配すればするほど、
それは文明として
高度なもの?

確かにこれまでの文明は
そういった傾向が
高かったかもしれません。

田舎に行けば、
遅れてるなぁ、と
私達は思い、
都会に行けば、
進んでいるなぁ、と
わけもなく
思っていました。

進む、とは何で、
遅れる、とは
何でしょうか?

文明の進化とは
私達の進化でしょうか?
それともそれは
私達の退化でしょうか?

・・・・・
一つの真実があります。

それは、
人も「自然の一部」である
ということです。

人とは
自然の中で
生まれました。

ですから
その観点からみれば、
人の生み出すあらゆるものも
自然の一部です。

ただし、
すべての自然には
原理原則が
あります。

それは、
何が進化し、
何が退化するか?
という原理原則です。

進化とは、
成長でありますが、
それは私達の捉えている
「拡大」とか「繁栄」とは
限らないものです。

なぜなら
この現象レベルでは
「量」や「大きさ」や「範囲」
というものがありますが、
実在レベルでは
それらはないからです。
いえ、
正確に言えば、
それらをすべて
超越しているからです。

「量」や「大きさ」や「範囲」に
こだわっているのは
私達の現象面だけです。

ですから
本当の進化とは
現象面だけでは
到底、測り知ることは
できません。

私達の解釈によって
「退化している」
と思っているものこそが
実は「進化している」
のかも知れませんし、
もちろん
逆もあるでしょう。

私達の文明は
進化しているのでしょうか?
退化しているのでしょうか?

・・・・・
人の生み出すものを
人工物、
それ以外を
自然な物
と分けるのではなく、
すべてを
自然から生み出されたもの
と捉えたとき、
大切なのは
それが
進化の原理原則に
則っているかどうか?
ということです。

さきほども書きましたが、
則っていれば、
それは進化し、
則っていなければ、
それは退化します。

退化の行く先は
「崩壊」と
「消滅」です。

どれだけ私達からみて
進化している
と思えていても、
進化の原理原則から外れた
「拡大」や「増長」は
退化への道です。

この大自然の中で
最も恐ろしいものの一つは
限界まで「拡大」することで
一気に「消滅」させようとする
退化への道です。

そしてそこには必ず、
「傲慢」
が存在しています。

これは
人の心のことのみを
言っているのでは
ありません。

この世の中にある
あらゆるものについて
言えることです。

傲慢な存在は
必ず
退化します。

・・・・・
さて、
私達人間は
今、
傲慢でしょうか?

私という
一個の人間は
今、
傲慢でしょうか?

面白いことに
傲慢な人ほど、
自分のことを
傲慢だとは
認識しません。

傲慢とは
退化の種。
それは誰もが
持っています。

そしてその傲慢を
しっかりと
見つめられる人こそが
進化と退化の分かれ目を
観ることができます。

これまでは残念ながら
傲慢さが
私達人類の歴史を
創って来ました。

だからたくさんの
崩壊や消滅が
起こりました。

そして今も
傲慢さは
人類の至るところに
存在しています。

それらを抱え込んだまま
私達はこれから
真本音の時代に
入ろうとしています。

本来は
傲慢さを手放してから
時代を変えるのが
順当でしょう。
しかしもう私達に
そのような時間は
ありませんでした。

私達はこのまま
行きます。

真本音の時代は
速い時代です。

傲慢さは
すぐに崩壊を
起こさせます。

愛は
すぐに道を
開きます。

人が生み出すものこそが
自然なものである。

100年後に
そう言われる時代を
私達は
築きたいものです。

つづく