こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2013年08月13日

8次元の愛 280 〜真の答えの見つけ方

何かに迷っているとき、
自分の中に
モヤモヤがあるとき、
何をどうすればよいか
わからないとき。

そのようなときに
どうすれば
真本音通りに動くことが
できるか?

その方法を
お伝えします。

・・・・・
まず第一歩として
大切なことは、

「自分の中にある問い」

を明確にするという
ことです。

迷いやモヤモヤが
あるときは必ず、
私達の心の中には
問いが浮上しています。

多くの人は
その問いを明確にしないまま
悩み続けています。
つまりは、
自分が今本当は
何に迷っているのか?を
きちんと把握できないまま
悩み続けています。

そして
それなりの答えを見つけ、
次の行動に移りますが、
当然それでは
本当に望む行動には
結びつきません。

その行動をとることで
さらにモヤモヤは増大し
すぐにまた立ち止まる
ことになります。

今、自分は
自分自身に何を問うて
いるのか?

今、自分は
どんな問いの答えを
見つけたいのか?

今、現実は
自分にどんな問いを
投げてきているのか?

それらの視点から
問いを
見つけましょう。

・・・・・
問いが見つかったら、
今度はその問いの答えを
見つけます。
多くの場合は
答えは複数個あるはず
です。

複数個あるからこそ
迷ったりモヤモヤしたり
するわけです。

その問いに対して
自分の中には
いくつの答えがあり、
それぞれの答えは
どのようなものか?

それを明確に
します。

できれば、
すべてを書き出して
みるとよいでしょう。

・・・・・
例えば、
一つの問いに対して
3つの答え(選択肢)
があったとします。

それらを
Aという選択肢
Bという選択肢
Cという選択肢
であるとします。

その3つのどれを
選択するか?
で迷っているわけです。

そのうちの一つを
選ぶのが
次のステップです。
それがわかれば
行動に移せます。

では、
どのように選べば
よいか?です。

まず大切なのは
自分自身に次のように
問うことです。

「今、どの選択をすればよいか、
答えがわかるだろうか?」
と。

そう自分に問うたとき、
「今はまだ答えは出ない」
と自然に思えるときは
答えを出すのを
先延ばしにします。

そういうときに答えを
無理に出そうとしても、
反応本音レベルの
答えしか出ません。

今、答えが出るかどうかを
自分に問い、
「あぁ、今なら答えは出るな」
と自然に思えたときに
すかさず、
答えを見つけましょう。

・・・・・
答えの見つけ方は
以下の通りです。

まずは3つの選択肢を
もう一度、見つめます。

そして
次のように自分に問います。

「これ以外の選択肢は
 ないだろうか?
 本当に、これだけの
 選択肢でよいだろうか?」

この問いによって
さらに他の選択肢が
思いつく場合は、
それらをプラスします。
思いつかない場合は、
3つのままです。

ここでは3つのまま
だったとします。

次にするのは
簡単です。

それぞれの選択肢を
断定的な口調で
呟いてください。

まるで
それが自分の答えで
あるかのように、
呟くのです。
つまり、
「Aをする。」
「Bをする。」
「Cをする。」
というようにです。

もし可能であれば
鏡を前にして
自分の目に向かいながら
行なうとよいでしょう。

一つ一つ
その選択肢で行くと
決心したつもりになって
断定するのが
ポイントです。

A、B、Cと
一つずつ丁寧に
順番に行なえば、
すぐにわかるはずです。
どの選択を
自分が本当は
望んでいるか?を。

望んでいない選択肢は
断定的に呟いた瞬間に
心にモヤモヤが発生したり、
場合によっては
口に出すこと自体に
ストップがかかります。

自分が本当に望んでいる選択肢は
スッキリ、楽に
呟くことができます。

その違いを
感覚として
感じ取ってください。

そして、
スッキリ呟くことの
できた選択肢を
選択します。

その通りに
動いてみてください。

それが
真本音の選択です。

・・・・・
この方法は
真本音の時代に
入ったからこそ
有効に機能する
方法です。

反応本音の時代では
この方法でも
なかなか真の答えには
行き着かなかったでしょう。

でも今なら
できます。

もし、
どの選択肢もスッキリしない
ということでしたら、
恐らく、最初の問い
そのものが
ずれているということに
なります。

大切なのは
問いを見つけること。
逆に言えば、
自分の中の真の問いを
見つけることができれば、
答えは自ずから
見つかります。

なぜなら
答えは、私達の真本音が
最もよくわかっているから。
わかっている答えを
見つけるだけのこと。

それがとても
たやすくなるのが
真本音の時代の
特長です。

つづく

8次元の愛 279 〜今、大切な視点

私達の目指すものは
今は
果てしない彼方にあるように
思えます。

それは
ここからはあまりに遠く、
そこに行き着くまでには
無限の時間がかかるような
気がします。

しかしそう思うのは、
私達の心にまだ
反応本音の時代のパターンが
残っているからです。

反応本音の時代のままの
眼差しでみれば
果てしなく遠いものでも、
真本音の時代の眼差し
つまりは
私達の本来の眼差しを
取り戻せば、
それはとても
たやすいものとなります。

その感覚を
一人でも多くの人達が
思い出す
というのが
ここしばらくの
私達共通のテーマ
でしょう。

・・・・・
すべての物事の
「もと」
に当たるものが、
これからは
ありありと観えてきます。

一つの現象が
何に基づいて
起きているのか?
それを感知することが
たやすくなります。
その「もと」が発するものを
直に
感じるようになります。

それは単純に
「何となく気持ちいいな」
とか
「何となく気持ち悪いな」
という
快・不快の感覚で
顕在化されます。

どれだけ表面的に
美しくても
「もと」が気持ち悪ければ、
私達は
「気持ち悪いな」
と感じます。

表面よりも
「もと」に敏感になる、
という傾向が
だんだんと
強まります。

すべての物事(現象)は
人が生み出すもの。
その
生み出している人が
どのような「もと」に
基づいて
生み出したか?

それがすべてを
決めていきます。

真本音の時代の
特長の一つです。

・・・・・
今、自分は
何をすべきか?
何を
したいと思っているか?

急いですべきことと
後回しにした方がよいこと。
その違いも
明確にわかってきます。

とても重要なことでも
今すべきではないことを
今しようとすると
気持ち悪さが起こります。

気持ちが
乗らなくなります。

それは実に
健康的なこと。
今はそれはすべきでない
という合図です。

今は
もっと他にすべきこと
したいことがある
という合図です。

今、
スッと動けること。
今、
自然に「やろう」と
思えること。
そこにこそ
力を注ぎましょう。

それが
真本音の時代における
生き方(行き方)の
基本です。

・・・・・
余分なことも
明確になってきます。

余分なことは
もうやめればよいのです。

余分な行動。
余分な一言。
余分な気遣い。
余分な思惑。・・・

余分なことも
気持ち悪さを
喚起します。

ほんの些細な言動でも
余分なことをやめれば、
途端に
心がスッキリします。

ちょっとした
行動の変化ですが、
生まれ変われた気持ちが
します。

余分を取り去り、
シンプルな
一挙手一投足を。

それも
真本音の時代を
気持ちよく進むための
大切な要素です。

・・・・・
すべての現象には
意味があります。

それは
その「もと」である
実在を
感じ取ることで
わかります。

一つの現象を通して
その「もと」である
実在を
感じ取りやすくなるのが
真本音の時代です。

現象の一つ一つに
振り回される必要は
もはやありません。

実在と現象の
コラボが
この世の中です。
そのコラボを
楽しめばよいのです。

楽しもうと思っても
なかなか楽しめなかったのが
反応本音の時代。
真本音の時代とは
それを簡単に楽しめる
時代です。

この8月1日から
もう時代は
変わったのです。

つづく

2013年08月05日

8次元の愛 278 〜真本音の響く時代へ

人の根底にあるものは
自分自身の理解が
追いつかないほどの
強さと深さをもつ
自分自身の想いです。
そして、
祈りです。

それらと対峙する
勇気を持つ人が
見つけるものは
測り知れなく、
それはその人自身の
人生に
無限の「響き」を
与えます。

その人は
いつもその「響き」を
感じながら、
生き続けることに
なります。

「響き」は
様々な音色を
奏でます。

ある時は
安定の極みを思わす
調和を。

またある時は
不調和の極みを思わす
調和を。

「響き」は
理屈を超えて
その人を促し、
その人に次の勇気を与え、
その人の幸せを
深めます。

真本音の響き。

本当はそれは
常に私達の中に
流れ続けているのですが、
そこに気づくには
私達自身の根底の想い
と対峙する必要が
あるのです。

・・・・・
時代は見事に
変わりました。

これほど見事であるとは
思いもよりませんでした。

これほど完璧に変わるとは
思いもよりませんでした。

自然の摂理とは
やはり偉大です。

その摂理に則ることで
私達人間も
偉大な存在に
なれるでしょう。

摂理の中の
人間。

それは
摂理に支配されている
ということでは
ありません。

摂理の中の
私達であることを
受け入れ
進むことで、
摂理そのものが
進化するのです。

そのための存在が
私達人間です。

8月1日をもって
摂理は
大きく進化を遂げました。

見事!

そう言う他は
ありません。

・・・・・
この世には
二つの「存在」が
あります。

一つは
「命」。

もう一つは
「滅」。

「命」とは
永遠に歩み続けるもの。
コツコツと
途絶えることなく
歩みながらも
大いなる結晶を
創造し続けるものです。

それはまるで
美しい鍾乳洞を創り上げる
一滴一滴の水の滴り
のようです。

「滅」とは
そんな「命」を
滅しよう
とするものです。

この世には
その二つの「存在」が
交錯し合い、
混ざり合い、
影響し合いながら
成り立っています。

反応本音の時代とは
「命」よりも
「滅」の方が
多い時代でした。
正確に言えば、
「滅」が増え続ける
時代でした。

しかし
8月1日午前零時。
この世に
大量の「命」が
降り注ぎました。

今、
この世は「命」に
溢れています。

もちろんそれは
実在レベルでの
話です。

しかしそれは
あまりに圧倒的です。
恐らく、
すぐに現象レベルにも
その影響は
現れ始めるでしょう。

・・・・・
この世における
「存在」二つ。

何が「命」で、
何が「滅」か?

そういった視点で
すべての「存在」を
見つめてみましょう。

自分の心の中の
「存在」も、
自分の心の外の
「存在」も。

「滅」を活かす選択を
する者は、
自らを滅します。

「命」を活かす選択を
する者は、
自らの命を輝かせます。
そしてその輝きは
他者の命に伝播します。

今後はそれが
あまりにも顕著に
現象化するでしょう。

それが
真本音の時代です。

・・・・・
まずは
これからの最初の一年が
重要です。

まだまだ
反応本音の時代の
残像が
残り続けています。

残像を
残像である
と気づく者が
道を創らねば
なりません。

本来の道を
示さねば
なりません。

真本音の時代が
本来の真本音の時代と
なるように、
私達はこれからも
自らの真本音の「響き」に
素直に進みましょう。

つづく

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