それにより、物事の進み方は全く変化します。
周りに対する「不信」の根本原因は、自分自身に対する「不信」です。
「不信」である自分が選択し、創り上げている「現実」(=周り)ですから、
それは信じられるはずがありません。
そして、周りを信じられないことにより、そう言った現実を創っている自分自身に対して
さらに「不信」の念を抱きます。
それが悪循環になります。
誰もが、「信」と「不信」を両方持っています。
そして誰もが、中心に「不信」を置いているとき、その人から「毅然」は消え去ります。
「信」とは、ある特定のものを信じている状態ではなく、
「すべてを信じている」状態です。
えっ? なに? そんな心の状態が現実に起こり得るの? と言われそうですが、
誰もが、そう言った状態を知らず知らず創り出しながら生きています。
それは特別なことではありません。
そして「すべてを信じる」ことができるとき、私達は誰もが「毅然」としています。
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