こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年02月08日

源と真本音8

「真本音体験」を積み、自分の中に二つの自分(真本音・反応本音)が存在することを実感できるようになれば、その結果として次のことがわかるようになるでしょう。

「真本音が反応本音を活かしている」

ということです。

さて、ここで前々回(第6回)のブログの例を思い出してください。
Aさんに一言言われ、カチンとして、それに反応して・・・という会話の例です。
その時は、「カチンときた反応的な気持ちに即して行動する」ことを「反応本音で生きる」、
「自分が変わらずに(揺るがずに)大切にしたい気持ちに即して行動する」ことを「真本音で生きる」、
・・・と表現しました。
しかし実は、真本音を普段から大切にし、真本音が活性化してきますと、上記の説明では短絡的過ぎることがわかるようになります。
例えば、真本音が活性化しているからこそ、「感情的に怒る」という行動に出ることもあり得るのです。
これは、「真本音が、怒りの反応本音を活かしている」という状態です。
真本音は、今ここで怒ることが最善の選択である、と瞬時に判断したわけです。

もともと、反応本音とは真本音が生み出したものです。
真本音が「現実」と向き合いながら、「現実」に対してより良い道を開くために生み出すものが反応本音です。
そう考えますと当然のごとく真本音は、「その時最も適切だと思われる反応本音」を活用するようになります。

しかし、真本音が活用した反応本音は、非常に「安定した出方」をします。
その結果として、「反応本音のみで起こした行動」と「真本音が反応本音を活用して起こした行動」では、根本的な違いが生じます。
まず、当の本人は、同じ「怒る」でも、真本音に基づいている場合は、どことなく安定感を得るでしょう。
人によっては、感情的になりながらも、どこか別の視点から自分自身を客観的に俯瞰しているのを感じるかもしれません。
そしてその相手は、かなり「心に来ます」。
つまり、その瞬間はさらに感情的になってしまうかもしれませんが、後で冷静になれば、そのできごとが、何らかの「良いカタチ」で心の中に残ります。

なぜ、真本音に基づけば、そのようなことになるのでしょうか?
そこにこそ、真本音の本質があるのです。

つづく



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