こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年02月10日

源と真本音9

自分の一挙手一投足を真本音に基づいたものとすれば、それは、周り人の真本音の望む一挙手一投足と完全に一致します。

例えば、AさんがBさんに真本音で怒ったとします。
キツい一言を浴びせたとします。
その一言は、実はBさんの真本音が「自分に浴びせてほしい」と願っていたもの、
・・・ということになるのです。
当然ですが、反応本音レベルでは、その一言をもらったBさんは怒ります。
しかし真本音レベルでは、Bさんは満足します。
だからが故に、その場は険悪となったとしても、二人の心の絆はより深まります。

なぜでしょう?
答えは簡単です。
真本音は、源(ソース)とつながっているからです。

なぜ、真本音とは揺るがないのか?
なぜ、いつも安定しているのか?
それは安定し、揺るがないものとつながっているからです。
それが源(ソース)です。

源(ソース)については、このブログの左欄のカテゴリ「私の使命について」でも書かせていただきました。
同じような内容になるかもしれませんが、ここでは少し詳しく書いてみます。

3次元的な表現を使えば、源(ソース)とは、宇宙よりももっと断然大きなものです。
宇宙とは、源(ソース)から生まれました。
また3次元的表現を使えば、源(ソース)とは、「すべてがある状態」です。
すべてが存在し、すべてが満たされている状態です。
またまた3次元的表現を使えば、それは「無色透明」です。
7色の光がすべて合わさると、無色透明になるのと同じです。
それは、「無」とは違います。
「無」とは、何もない状態です。
源(ソース)は、すべてがある状態で、「無」すらもその中に含まれます。
(このことを「空」と表現したりもします。)

私達の意識とは、いつも一点のみに焦点を絞っています。
全く別々のことを二つ同時には考えられないようにできています。
そして、その一点に意識を向けると(これを「焦点化」と言います。)、そこに「それ」が創造されます。
自分のことを「私」として焦点化することで、「私」ができあがります。
自分のことを「私」として焦点化しなければ、「私」は存在しないことになります。
それが、私達の意識です。

宇宙も、それと全く同じです。
源(ソース)、・・・つまりはすべてがある状態の中から、焦点化が始まり、焦点化がさらに次の焦点化を生み、それが3次元的な物質の創造までに至りました。
最初の一点が、ビッグバンと呼ばれるものだと思います。

何が言いたいかと言いますと、私達は、自分の目で「見よう」としているものしか見ていませんし、見えているものしか「存在」していない、と思い込んでいる世界で生きています。
しかし私達はもう最初から、「すべてがある世界」の中で生きています。
ただ、焦点化して、その一部を見ているに過ぎません。
焦点化したものが現実化しますから、自分が無意識に焦点化しているものを「現実のすべてである」と勘違いしています。
でも、紛れもなく、すべては「今ここ」にあるのです。
私達は源(ソース)の中で生きているのです。

ブログ「私の使命について」でも書かせていただきましたが、人は皆、真本音発揮度合いが100%となることで、そのことを思い出すことができます。

すべては源(ソース)から生まれたもの。
私達人間もすべて、そうです。
私達は源(ソース)によってつながっています。(それを「集合無意識」と呼ぶこともあります。)
・・・というよりも、源(ソース)そのものであるという方が正確です。
そして、源(ソース)は「進化」を求めています。
それは強烈な(という言葉では表現できないくらいに強い)欲求、・・・いや、願いです。
なぜ「進化」を望むのか、そこまでは今の私にはわかりません。
しかし、源(ソース)は進化し続けようとしています。
焦点化とは、進化のための手段です。

焦点化することで、「それ」は創造されます。
創造とは、「分離」です。
つまり、「分離された何か」として存在することになります。
一度「分離」して、そしてまた「融合」される。
その過程を経ることで、進化は起こります。
一度、バラバラになったあとで一つに戻ることで、「一つであること」の意味を知り、「一つであることがどういうことか」を知ることができます。
そしてその「一つ」は、さらに強固な一つとなります。
それが進化です。
(あくまで、3次元的な表現をしています。本当は、そう短絡的なことではありません。)

私達人間も、そのために生まれました。
私達は、「分離」された存在です。
「自分」と「他人」、「自分」と「環境」というように、すべてを「分離」して見ています。
だからが故に、「一つになろうとすること」の重要性を学ぶことができます。
それを、一般的には「愛」と言います。
「愛」とは、不完全に分離された存在が、一つに戻ろうとする力です。

私達人間が、「一つになろうとすること」を通して学ぶことが、イコール、源(ソース)自身の学びとなります。
(・・・これも3次元的表現です。本当は、「私=源(ソース)」ですから、これは当たり前のことですね。)

真本音とは、そんな源(ソース)の意思とつながっているのです。

つづく



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