こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年03月09日

意識の次元と自由1

今回から「意識の次元」について書かせていただきます。
このテーマの始まりとして、9年前の私の文章を載せることにします。
SCC創設当時に書いたものです。
だいぶ前に、すでにこのブログでご紹介した文章ですが、あえてもう一度。
・・・・・

自生由遊 (じきゆうゆう)

人生の酸いも甘いも経験された、ある偉い方が次のようにおっしゃっているのを聴いたことがあります。
「人生、遊びのごとし。」
なんという凄い言葉だろうと思いました。
言うまでもないことですが、人生にはいろいろなことがあります。自分一人の力では耐えられず、立っていられなくなることも無限にあります。その方もそういった経験をいやといほどされてきて、でも最後にそう言われたのです。
格好いいですね。この言葉にはとてつもない「人間味」を感じます。
人間の強さも弱さも感じます。
人間の清さも汚さも感じます。
人間の潔さと中途半端さも感じます。
人間だなぁ、人間を極められてるなぁ、と感嘆しました。

「人生、遊びのごとし」と言えるくらい、私は私自身の人生を愛したいものです。そしてすべての人が「なんだかんだあるけども、これは私の愛する人生だ」と言えたらすばらしいなと思います。
ところが今の社会を見渡してみますと、なかなかそうは言えません。自分の人生なのに他人の人生のように生きている人、まわりや環境のせいにしながら、まわりのための自己犠牲的な人生を生きている人。そんな方が多いように感じます。かく言う私自身も実はそうでした。
「毎日がつらい」「人生が苦しい」と言いながら、実は自分で自分の首をしめている。「やる気が出ない」「無気力だ」と言いながら、実は自分で自分のエネルギーを奪っている。そういう人も多いですね。
人はもっと楽しく生きられるのではないでしょうか。人はもっと充実した生き方ができるのではないでしょうか。
なぜなら多くの場合、自分自身の今の状況・状態をつくっているのは、他でもない自分自身なのですから。

唐突ですが、私の好きなチンギス・ハーンのお話を少ししましょう。
彼が生きていたのはちょうど今から800年前です。ご存知の通り彼はモンゴルの方ですが、中国からヨーロッパに至るまでのユーラシア大陸のほとんどを彼一代で統一するというとてつもないことを成し遂げました。世界史上でも最大の国家を創り上げたのです。
そんな彼の統一のスタートはたった7人の家族からでした。7人から始まって何度も何度も挫折を繰り返しながら、しかし最後には大帝国を創り上げます。
当時のモンゴルは今の社会に匹敵するくらいの最悪の状況でした。数百に及ぶ部族が割拠し、家族と言えども人は人を信用せず、策略と謀略を繰り返しながら、いつ絶えるとも言えない戦争状態が続いていました。勝った部族は負けた部族を皆殺しにしていました。なぜなら恨みは次の戦争を呼び起こすからです。
そんな中でチンギスハーンは皆が安全に暮らすことのできる世の中にするためにモンゴルの統一を志します。
では、なぜ彼だけが大きくなっていくことができたのでしょうか。

実は彼は「自由」で人を統治したのです。
彼は戦争で自分が打ち負かした相手の部族を皆殺しにはしませんでした。なんと相手部族の一人ひとりと面接をしたのです。そして自分自身に対する絶対的な忠誠さえ誓ってくれれば「あとは自由でいい」と言ったのです。つまりその部族でずっと続いてきた慣習や宗教など、そのまま残せばよいと。絶対の忠誠さえすれば、力を発揮する者であれば自軍の大将にすることさえしました。この画期的な考え方とやり方により、彼は急激に勢力を広げていくことになったのです。
人は誰もが「自由」を手に入れることを望んでいます。
「自由」に生きれたらどんなによいでしょう。
でもいったい「自由」とはなんでしょうか。
チンギス・ハーンの時代での自由とは「束縛から解放されること」でした。今の社会も実は似たようなものかもしれません。しかし解放されることだけが自由なのでしょうか。
日本の社会は自由かどうか、というテーマがあったとしたら、様々な観点からいろんな意見が出てくるでしょう。ある面から見れば自由であるし、またある面から見れば不自由でしょう。
では、人はどうでしょうか。我々は皆、自由に生きているでしょうか。これもまた様々な意見があるでしょう。
つまり今の世の中は「自由」が複雑化しています。
でも、人は「自由」を求めています。

全くまわりから束縛されない状況の中でも自由に生きていない人はいます。
逆に、すごく束縛されていると思える環境下でも、本人は自由に生きていて満足している人もいます。
もう一度、問います。「自由とは、なんでしょうか。」「自由に生きるとはどういうことでしょうか。」「人はどんな自由を手に入れたら、本当に幸せになれるのでしょうか。」
実はこれが、今の私が事業をさせていただいている最大のテーマです。

私は思うのです。人はもっと自由になれるはずだ。もっと自分自身を開放させ、自分らしく、自分の魅力を発揮しながら生きることができるはずだ。そう思うのです。
自由になるとは、今の環境を捨てるということではないと思います。企業で言うならば「自由になるために私はこの会社を辞める」という短絡的なものではないと思います。自由とは責任の伴うものでありますし、まわりの環境を大切にできない人に、本当の自由は生まれないとも思います。
自由とは自分の人生に対して責任を果たすことのような気がします。
自由とは自分の人生を引き受けることのような気がします。
自由とは自分の生き方を大切にすることのような気がします。
自由とは・・・・
私はこういったテーマを持ち、「人の育成」や「人のサポート」をしていきます。

「自生由遊」とは「人生、遊びのごとし」と言えるくらいに自分の人生を愛し、そして自分の人生と向き合い、本当の意味で自由な人生を送る、そんな方が世の中に溢れていったらよいな、という私の願いなのです。

以上

・・・・・
なぜこの文章を載せたかと言いますと、この9年前の私の問い「自由とは何か?」に、意識の次元という視点から答えてみたいと考えたからです。
今の私の答え、です。
意識の次元を高める、ということは、イコール「自由に生きる度合いを高める」ということに他ならないからです。

つづく


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