こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年03月28日

意識の次元と自由11 〜思惑を超えて

私達人間は誰しもが、「思惑」を持ち生きています。
「こうなるといいな」「こうなってほしいな」「こうなるために、こうしよう」
・・・それらは、人として当たり前の心です。
その「思惑」の出所は様々ですが、「思惑」の出所として最も代表的なものが、前回のテーマで取り挙げました「我欲」です。
そして我欲の中でも、まずは根底に来るものが、「自分を守ろう」とする欲求です。
これを「保存モード」と言います。
保存モードとは、「自分を保存(守る)しようとする意識の階層」です。

それは動物的本能のようなものから、「怒られないために言い訳を考える」などの理論的理屈的なものまで様々ありますが、要するに私達は人間である以上、誰もが「自分の身を守りたい」のです。
そして「思惑」の多くは、その根底を覗き見ますと、この保存モードによるものが多いです。

私達が高次元の自分を現わすようになったとしても、保存モードはなくなることはありません。
もちろん、我欲がなくなることもありません。
前回書かせていただいた通り、それらを高次元の自分自身が活かすようになります。
つまり、低次元の思惑を、高次元の自分が活用します。
そういったものを「高次元の思惑」と表現してもよいでしょうが、高次元の思惑とはつまりは、源(ソース)そのものの思惑と言ってもよいですから、それはもう思惑という次元を超えています。
ですから、高次元の自分が現れるようになればなるほど、「思惑通りにいかなくなる」のです。
しかし、思惑通りいかなくなることによって、「本当に望む現実が開かれる」ことになります。

すべては、高次元の自分が知っています。
なぜそうなるのか、次に何が起こるのか、すべて高次元の自分は知っています。
しかし残念ながら、それらの多くは顕在化されていません。
顕在化されなくても、今この瞬間の直観は働きます。
その直観のままに動いてみると、後でそれらのすべての理由がわかり、「そういうことだったのか」と、深く合点がいきます。
それが楽しくてしょうがなくなります。

個人の思惑通りに進む人生も、ある程度は楽しいかもしれません。
でもその場合、思惑通りにいかないと失望が生まれます。
疲れます。
個人の思惑を超え、すべてを高次元の自分自身に委ねてしまうと、人生のあらゆる現象が、まるで違った意味を持っていることに気づくでしょう。
そしてその中で初めて、「本当は自分は何を望んでいるのか?」に気づくのです。
人生の醍醐味ですね。

今、本当に自分が望んでいることに向かうための一歩を踏み出せるかどうか?
それは「今、自分は自由かどうか?」とイコールです。
低次元の思惑に囚われ過ぎる人生とは、実は、不自由だということです。
思惑を超えた人生こそが、自由な人生なのかもしれません。

つづく



この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。