こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年04月03日

意識の次元と自由16 〜自己愛と自分への愛

現実との関わりの中で生まれる私達の心、反応本音。
それらがあるが故に、私達は人間としての幸せを感じることができます。
「私」という個としての幸せ。
それを私達は誰もが望んでいます。

ところが、その当たり前の気持ちを犠牲にしてしまっている人が、時々います。
基本的には、自己犠牲からは本当の愛は生まれません。
自分をまず犠牲にして、もしくは、まずは自分が我慢して「人のために」と生きている人の多くは、残念ながら心に無理をしている分、余計に4次元レベルの心に支配されやすい状態になります。

「自己愛」という言葉があります。
自己愛とは、自己満足の愛、と捉えていただくとよいでしょう。
自己満足と言っても、多くの場合、当の本人はそれを認識していません。
本人は、本当の愛を注ごうとしています。
しかしよく観察してみるとそれは、自己満足をするための「愛のカタチ」を真似ているものであったりします。
今の自分を動かしている「もと」が、4次元の心であることに本人が気づいていないのです。

自己愛をし続けている人は、心の奥底に罪悪感がたまります。
自己満足であることを、潜在意識レベルでは本人が一番よくわかっているからです。
しかし、罪悪感がたまっているという事実そのものも、顕在意識レベルでは気づいていません。

「罪悪感」とは、自らを傷つける意識です。
自分で自分の心にナイフを突き立てるような自虐行為が、罪悪感です。
パワーレベルでいうと、30という非常に低い値が出ます。
私達人間の心のパワーを最も奪うものの一つです。

自己愛を続けている人の心は、以上のような理由で、非常に疲弊します。
その疲弊感が、周りの人達の心を疲弊させてしまいます。

「自己愛」と「自分への愛」は根本的に異なります。
自分に愛を向けることは非常に大切なことですし、自分に愛を向けることのできる人こそが、人にも愛を向けることができます。
「自己愛」と「自分への愛」の区別のつかないのが、4次元の心です。
自分への本当の愛とは、6次元以上の心ですから、6次元以上の自分が現れたときに初めて、その区別がつくようになります。

冒頭でも申し上げましたが、私達は、誰もが「個としての幸せ」を望んでいます。
しかしそれは「全体の幸せ」なくしては実現しないことも、よく知っています。
「個」と「全体」とは分離することができないものです。
なぜなら、もともと私達という存在は源(ソース=全体)から生まれ出たものだからです。
自分が本当に幸せになることと、周りが本当に幸せになることはイコールだという当たり前のことを、ついつい忘れてしまうのが、これまでの社会の一つの側面でもありました。

自己犠牲とは、自己満足です。
独りよがりの幸せを求めても、本当の幸せにはなりません。
では、どうすればよいでしょうか?
今、自分には何ができるでしょうか?
何をすることが、本当の幸せにつながるのでしょうか?
それらの答えは、やはり、高次元の自分が明確に知っています。
すでにある答えを、自分の心の中から見つけ出すことが、幸せの人生へのスタートでしょう。

今回の震災の被災地での、子ども達の行動がクローズアップされています。
他者を思いやる心を子ども達が行動に移し、それにより大人達が勇気をもらっています。
子ども達は、当たり前のことを思い出しています。
それを見て、私達大人も、当たり前のことを思い出そうとしています。
高次元の自分とは、当たり前のことを知っており、当たり前のことを淀みなく行動に移せる心です。
それは、誰もが持っている心であり、それが、私達の本来の心です。

今のこの流れを、心を自然にする方向に持っていくのか、それとも、また無理をしながら生きる方向に持っていってしまうのか。
今、私達はその岐路に立っています。

無理に、「よい自分になろう」とするのではありません。
「本来の自分を思い出す」だけ。
たったそれだけのことを、今の私達はすればよいのです。

つづく



この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。