こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年04月06日

意識の次元と自由17 〜信じる、信じない

私達は、何かを信じて生きています。
「私は〜〜を信じることができない」というのも、「〜〜とは、信じるに値しないということを信じている」ということです。
そして私達は、自分が今、何を信じているか? ・・・その最も強い「信」の方向に進みながら人生を創造しています。

ところが、100%完全に信じ切るということも、あまりありません。
Aについては80%は信じられる。
Bについては30%信じられる。
Cについては50%くらい。
ということであれば、私達はAの方向に人生を進めます。
一番信じているAですが、それでもやはり20%くらいは信じていません。
「不信」です。
(しかしその不信も、さきほど書きました通り、その20%の心は「信じるに値しないということ」を信じています。)

しかも私達は、本当は信じたいのだけれども、信じることができない(これも「信じるに値しないということを信じる」ということです)ということもよく経験します。

「信じる」というのは、かなり難しい行為のようです。

完全に信じている状態を「確信」と言います。
「100%そうに違いない」とすべての心が思っている状態です。
もしこういった心の状態ができると、私達はもの凄いパワーでその物事に向かいます。
どんな困難や障害が現れても決してくじけることなく、それを乗り越えて行きます。

注意しなければならないのは、「私は確信している」と自分では思っているのに、実は心の中には不信の気持ちが発生している、というケースです。
つまり、「思い込みの確信」です。
実は結構多いです。
特に多いのは、「これこれの理由で、確信するに至りました」というケースです。
実は「確信」には理由は要りません。
むしろ、「根拠のない」ときほど、本当の確信であるケースが多いです。
(もちろん、そうではないケースもあります。)

根拠のない確信とはどこから来るのでしょうか?

このブログをずっとお読みいただいている方はもう、おわかりだと思います。
それは真本音から来るものであり、さらにその奥の源(ソース)から来るものです。
源(ソース)とは、私達の「もと」ですから、今この現実の中で自分がどのような役割を担えばよいのか、どの方向に進めばよいのかを確信として教えてくれます。
そして「今目の前にある現実」をありのままに観ながら具体的な行動や選択を決めるのが真本音です。
源(ソース)と真本音から生まれた発想や希望には、迷いがありません。
つまりは「不信」が存在しません。
多くの場合それは「直観」として認識されますので、「自分のひらめきによって動いたら、凄い展開が起きた!」と言われるのは、必然的なことなのです。

4次元・5次元の心というのは、源(ソース)とのつながりの薄い心です。
私達の個として我欲に基づいている心です。
つまりは、「自分一人さえよければよい」というものが根っこにあります。
残念ながら、そういった心に基づいているうちは、まず「確信」は生まれません。
必ず心の中に「不信」が発生します。
時には、その「不信」を無理矢理抑え込んで観ないようにして、確信のふりをしている人もいます。
それを「妄信」と言います。
しかしそういった人は、非常に心が疲弊しています。

妄信を防ぐ意味でも、物事をすぐに信じ込まずに、いろんな角度から検証することは大切です。
自分の「信」が本物だろうか?という疑問符を持つことも大切です。
しかしその一方で、自分が今、何に「確信」しているか?を観ることも大切です。
妄信から確信まで、まずは自分の心の中にあるすべての「信」をありのままに観る。
それが、自由に生きることにつながるのだと、確信します。

つづく



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