こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年04月20日

意識の次元と自由23 〜すべては私である

何もかもが、実は「完全なるもの」です。
人も物も、この世に存在する、ありとあらゆるものはすでに「完全なるもの」として、ここに在ります。
しかし残念ながら多くの人は、完全であることを信じていません。
思い出していません。

自分は「完全なるもの」であると認めることができたとき、「すべては私である」という衝撃の事実がわかります。
しかしそれは、実は衝撃でもなんでもなく当たり前のことであり、ただ忘れていただけのことです。
ですから、本当にその事実を理解したその瞬間は、まるで松葉杖をつきながら歩いていたその状態から普通に立って歩けることがわかったような、安堵の気持ちに満たされます。

「すべてを愛する」という生き方のその先にあるのが、「すべては私である」という真実です。
これを目の当たりにすることで、私達は8次元の意識を取り戻します。
8次元とは、「融合の次元」です。

愛とは、パワーです。
愛とは、行為ではありません。
例えば、人を抱きしめるという行為だけでは、抱きしめられた人は満たされません。
そこに、愛というパワーが宿ってこそ、その人は満たされ、幸せを感じます。

すべてを愛することのできる人は、たとえ「わがままを言う」という行為をしていたとしても、それは愛で満たされています。
その「わがままな行為」によって、周りに愛を注ぎ続けます。

いついかなるときも、愛というパワーを注ぎ続けることができる。
それが、人の本来の姿です。
なぜなら人は、統合から融合へと向かうために、存在しているからです。
その自然の摂理に則っている姿が、人の本来の姿です。

統合も融合も、一つになることです。
「統合」とは、別個のものが統一された一つの方向を向くことで「別個だからこそ実現できる“一つ”というカタチ」を取っていることを言います。
7次元の意識で生きる人は、それをあらゆるところで実現しようと動きます。
そして「融合」とは、統合の結果として「完全に一つになる」ことを言います。
すべてを愛しながら生きている人は、ある時、「すべては完全に一つであった」ということを、頭ではなく実感として知ります。
すると、愛のカタチは「すべては私である」という言葉そのものとなります。

「すべては私である」という愛のカタチは、6次元レベルでの愛のカタチとは随分と違ってきます。
6次元も「本物の愛」ですが、この8次元の愛とは、「本物か偽物か」という次元を完全に超えています。
そして、「人を愛せるかどうか?」という次元も、「すべてを愛せるかどうか?」という次元も、すべてを超えています。
そんなことはどちらでもよい、・・・というよりも、両方ともが真実となります。

ここに至って、私達は、「自由」というものが本来はどのようなものか、を知ることになります。
「自由」とは、実現するものではなく、すでにここに在ったのです。

つづく



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