愛とは、実現するものではなく、すでにここに在るものです。
私達の多くは、すでに実在するものを、「もともとは実在していない」と思い込み、「実現しなきゃ」と思い込み、その前提の上で自分の心を動かしています。
自分自身を動かしています。
本来は自然に在るものを、無理に人工的に創り上げようとします。
それが、愛と自由が歪んで行く根本要因です。
人は人、神は神。 (あえてここでは、「神」という言葉を使わせていただきます。)
人は神ではないし、人は神にはなれない。
・・・このように私達は、人と神を別個のものとして捉えています。
神とは特別なもの。
人とは未完成で未熟なもの。
実は、その前提がすべてを歪ませる根本要因です。
人は神にならねばならない、という話をしているのではありません。
そうではなく、「完全なもの」と「不完全なもの」を分けて考えるところに、本質的な無理がある、という話なのです。
本当は、すべてはもう完成されています。
完全なものも不完全なものも、すべてはあるがまま。
すべては今、ここで完成しています。
愛とは、不完全を完全にしようとするパワー。
しかし、すべてはもう完成されている。
そう捉えたとき、何が観えますか?
何がわかりますか?
そして、何を感じますか?
今、目の前にAさんがいます。
Aさんとは、完成された存在です。
そして自分自身も、完成された存在です。
共に完成された存在です。
それを前提としたとき、Aさんとどのように関わりますか?
Aさんへの愛はどうなりますか?
それが、本来の愛のカタチです。
本来の自由のカタチです。
その本来のカタチを生み出しているとき、
私達は「すべては私である」ことを、完全に受容しています。
つづく