こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年05月25日

8次元の愛 16 〜安息の地へ

「私」とは何でしょう?
何が「私」なのでしょう?
皆さんは、自分の存在を確かなものとして感じていますか?

どこまでが「私」で、どこまでが「私」ではないか?
私達は、その境界を明確にすることで安心を得ます。
「ここまでが私だ」と思えることで、安定を得ます。
これも一つの「枠」です。
「枠」のはめ方は、人それぞれ異なります。

例えば、会社で大問題が起きたとします。
その問題を起こした社員さんがいたとします。(Aさんとします。)
もしAさんが入社したての人だとしたら、Aさんはこう思うケースが多いでしょう。
「私のせいで、会社に迷惑をかけてしまった。」
これは、あえて別表現をしますと、・・・
「私」という存在のせいで、「私以外」の存在である「会社」というものに迷惑をかけてしまった。
・・・ということになります。
ところが、もし問題を起こしたのがAさんではなく、Bさんだったとします。
Bさんは、その会社を創業した経営者だとします。
Bさんも「私のせいで、会社に迷惑をかけてしまった」と表面的には当然思うでしょうが、
その捉え方は、Aさんとは少し違うのではないでしょうか。
例えば、ご創業者の方々は、「会社=自分」と捉えている人が多いです。
ですから、「私」が「私以外の存在である会社」に迷惑をかけた、とは捉えません。
「私」は、「会社というもう一つの私」もしくは「私自身である会社」を傷つけてしまった
・・・と捉えるのではないでしょうか。
つまりBさんにとっての「私」とは、「会社」というものも含んだ「私」であり、Bさんにとって「人生をどう生きるか?」とは、「会社をどうしていくか?」ということとイコールに近くなるでしょう。
このように、どこまでを「私」と捉えるか。
それは人それぞれ異なります。

自分の子どもを「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の伴侶を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の趣味を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の仕事を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の夢を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の使命を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の価値観を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の国を「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の体のみを「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
自分の心のみを「私自身」と捉えている人もいるでしょう。
「私自身」など存在しない、と捉えている人もいるでしょう。

皆さんは、どこからどこまでを「私自身」であると、捉えていますか?

以上のように、何らかの「枠」をはめ、「私」というものの「範囲」を決めているのは、私達の7次元の意識までです。
8次元以上の意識は、その「枠」を、「範囲」を特定していません。
「すべては私である」ということは、そういうことでもあります。

そして、「枠」や「範囲」を決めることで安心・安定を得ている私達であるはずなのに、「枠」や「範囲」を決めたとたんに不安になります。
つまり、「枠内・範囲内」のものと「枠外・範囲外」のものを分けて考え、「枠内・範囲内」のものだけを大切にしようとするからです。
愛であれば、「枠内・範囲内」のものだけを愛そうとします。
「枠内・範囲内」のものを「守ろう」とします。
その瞬間から、「枠外・範囲外」のものが「自分と関係ないもの」となります。
時には、「枠外・範囲外」のものが敵になることさえあります。
「自分と関係ないもの」や「敵」が自分に迫ってくると、私達は不安を覚えます。
「自分と関係ないもの」や「敵」が多くなればなるほど、私達の不安は増大します。
当然のことですね。

要するに、「私」と「私以外」。
「私以外」の存在が増えれば増えるほど、「私以外」が「私」に何をするのか、どんな影響を及ぼすのか、・・・常に不安がつきまとうようになります。
そして不安を解消するために、「私以外」に対して、要求を出したり、時には自ら攻撃に出たりします。

「枠」や「範囲」を決めることは、安心・安定を得ることには、残念ながらつながりません。
むしろ、不安や確執を増長させることにつながります。
しかしあえて、「枠」をはめることを本能として持っているのが私達人間です。
それは、表面的には自分を守るために「枠」をはめているように思われますが、本当は、「枠」を外すことを学び、それを通して、本当の心の安息とは何か、を学びとろうとしているのです。

人生に安息はあるのでしょうか?

どれだけ生きても生きても生きても、本当の意味で完全に、100%の安息を得ることは、なかなかできないのではないでしょうか。
しかしでは、人間は安息を手に入れることはできないのでしょうか?
いえ、できます。
実は、もともと安息はあるのです。

私達の中にもともと存在する、安息の意識。
それが8次元・9次元の「私」です。
そしてその8次元・9次元の「私」はなぜ、安息の状態でいられるのか?
それは、「枠」も「範囲」も特定していないからです。
「すべては私である」ということを「ちゃんと知っている」からです。

そんな、8次元以上の「私」が発するのが、8次元の愛のパワーです。
この愛を受けることで、人々の心が真にやすらぐのは、必然的です。

そして逆に、こうも言えます。
「8次元の愛」を目指すことで、・・・その「目指す」という行為そのものにより、私達の心は徐々にではありますが、安息の地に向かい始めるのです。

「すべては私である」。
まずは言葉だけでもよいのです。
理屈での理解は、あきらめてください。
まずはこの言葉を自分の中で呟きましょう。
呟くだけで、この言葉に共鳴する私達の心が、奥深くに必ず存在しています。
その心を目覚めさせるには、まずは日々、「すべては私である」と呟き続けましょう。
簡単なところから一歩一歩。
たった一歩でも進めば、たった一歩でも、安息の地は近くなるのです。

つづく



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