こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年05月26日

8次元の愛 17 〜楽ちんな愛

私は何者か? という問いは永遠のテーマです。
それは、私達人間全員が心の根底に持ち続けているテーマであり、
その答えも、実はきちんと用意されています。
ところが、その自ら用意した答えにたどり着くまでに、私達は様々な経験を3次元世界でしなければなりません。
その経験のすべてに共通しているのが、「一つになる」ということ。
つまりは、「愛のパワーを注ぐ」ということです。
これまでも書かせていただきました通り、愛とは「一つになろう」とする方向に私達を導くパワーです。
私達は「愛」を学びながら「一つになろう」とし、その経験を通じて、「私は何者か?」の答えを得ようとしています。
それが、人生を生きる、ということの目的の一つです。

「愛」とは探究するものです。
理論としての探究ではありません。
経験としての探究です。
愛を注ぐ体験・経験を積みながら、私達は「愛」を「思考」としてではなく、「実感」として学びとります。
その探究は、人生を生きている以上は、し続けなければなりません。
いや、し続けなければならないのではなく、「し続けたい!」と私達の魂は願っています。
だからこそ、愛の探究と逆の方向に向かうことで、私達の魂は曇り、心には淀みができ、結果として、自分が何のために生きているのか? 自分は何者か? が全く観えなくなってしまうのです。

このブログでは、「愛のパワーを注ぐ」という表現をし続けています。
愛のパワーを注ぐためには、愛のパワーを自分が創り出せる自分でなければならない、と思われるかもしれません。
ところが、そうではありません。
実は、愛のパワーは私達が創り上げるものではありません。
愛のパワーは、すでに「今ここ」にあるのです。
私達はもともと「一つ」です。
「一つ」が分離して別個の「現象」としてここに存在しているのが私達です。
もともと「一つ」である私達、・・・つまり源(ソース)は、「今ここに」存在しています。
源(ソース)に委ねることで、私達は「一つ」になる方向に自らを進めて行けます。
その際に、お互いに感じ合うパワーを、「愛のパワー」と表現しています。
つまり、変な言い方ですが電力に喩えますと、それは自らの力で自家発電するようなものではなく、そこかしこにコンセントがある状態です。
あやゆる空間に、愛のパワーを発生させるコンセントがあり、あとはそのコンセントから電源を得るだけのことです。
そしてコンセントから電源を手に入れるためのプラグが、「すべては私である」という、たった一言の言葉です。

「6次元の愛」とは、どちらかと言うと、自家発電に近い愛です。
自分が疲れてしまえば、愛のパワーも減退します。
自分の調子が良ければ、愛のパワーは増強します。
自分自身の状態によって、愛は変わります。
「8次元の愛」とは、源(ソース)のパワーをそのまま活用する愛です。
ですから、「私」という個人の状態は、いっさい関知しません。
これが、6次元と8次元の決定的な違いです。

ですから、(これも変な表現ですが)「8次元の愛」とは、とても楽ちんな愛なのです。

6次元の愛の実践者の皆さんへ。
次は、8次元の愛を目指しましょう。
それは、楽ちんな愛です。
私達は、もっともっと楽に、楽しく、愛を注ぐことができます。
そして、もっともっと楽に、楽しく、愛を注げば、その行為によって、私達は「愛」をより深く「実感」しながら学び、同時に、「私は何者か?」という永遠のテーマの答えに近づきます。

さて。
どうやら来月あたりから、意識の次元が一気に高まる人達が急増しそうです。
これまで4次元だった方は6次元に向かい、6次元だった方は8次元に向かい始めます。
その波は、最初こそはゆるやかですが、徐々に大きなものとなっていきます。
ですから私も最大の努力をもって、自分自身を活かしていきます。
皆様も、「自分」という存在を、最大に活かしてください。

いよいよ私達は、「真本音の時代」へと急接近して行くのです。

つづく



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