こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年10月29日

8次元の愛 87 〜恐るるに足らず

山積した問題を前にしたとき
どこからどう手をつければよいか?
途方に暮れることがあります。

途方に暮れてしまったとき、
いつも、何をしますか?

私達は、どのような心の状態であれば、
最善の一歩を
刻むことができるでしょうか?

・・・・・
私達は生き物です。
私達は生きています。
生きるとは、反応することです。
生きるとは、揺れ動くことです。

心が揺れ動いているならば、
その「揺れ動き」を尊重することが、
生き物としての「自己尊重」です。

途方に暮れている私達の心の中は、
葛藤でいっぱいです。
どうしよう?
こうしたらいいんじゃない?
いや、この方がよいかも。
もう逃げたい。
いや、逃げちゃだめだ。
誰か助けて!
いや、助けを求めちゃいけない。
何とかしなきゃ。
何ともならないよぉ〜。 ・・・

葛藤はまるで雨雲のように
心の中を曇らせます。
心は葛藤の雲によって、
混沌とし、
何が何だかわからなくなります。

それらの心の「揺れ動き」を
尊重することが、
自分を大切にすることの第一歩です。

・・・・・
「揺れ動き」の尊重。
それは、混沌をさらに助長するような
気がします。

しかし、そうではありません。
「揺れ動き」を尊重することで、
私達は、「本来の私」を
取り戻すことができるのです。

どんなに激しい雨雲でも、
その向こうには必ず青空が広がっており、
太陽が存在しています。

私達の心もまったく同じ。
私達の中には、常に
青空と太陽が存在しています。
それが「本来の私」。
いついかなるときも
変わらずに存在し続ける「私」です。

雨雲はそこに在ります。
在るものを「無きもの」にすることは不可能です。
であれば、
在るものをしっかり観ましょう。
しっかり感じとりましょう。
その覚悟を持った瞬間から、
雨雲達は、散開し始めます。

私達の心の中の雨雲は、
実は、極めて弱いのです。
弱いからこそ揺れ動き、
弱いからこそ叫びます。
叫び声の大きさに萎縮してはなりません。

「揺れ動き」は尊重し、
開放すればよいのです。

・・・・・
ほんのわずかでも
青空が顔を覗かせれば、
私達は一瞬にして
青空の存在を思い出します。
それが、青空の力です。

「本来の私」の力です。

青空は、ただそこに広がっています。
青空を思い出すことで、
私達はニュートラルになります。
ニュートラルとは力の抜けた状態。
右にも左にも前にも後ろにも、
どちらにも動くことができる状態。
最も安定し、力強い状態です。

その状態で、目の前の問題に向き合うことで、
私達は最善の一歩を
自ら決めることができます。

雨雲を避けるがあまり雨雲に巻かれて
次の一歩を判断するか?
青空を思い出し、ニュートラルな状態で
次の一歩を判断するか?

目の前の現実は同じ。
しかし心の状態の違いによって、
私達の人生の展開は
大きく変わるのです。

揺れ動き、恐るるに足らず。
それが私達の心の真実です。

つづく



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