こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年01月14日

8次元の愛 136 〜真本音の眼差しで進む

来るもの拒まず、
去るもの追わず、
の精神が必要です。

私達は、
今ここにいます。

そんな私達に
様々なものが「来ます」。
そして
様々なものが「去って行きます」。

私達は「来るもの」に対して
一つ一つ自分なりの
判断・評価をします。
「来て良かった!」
「来てほしくなかった。」

「去るもの」についても、
判断・評価をします。
特に「去るもの」については
感情の度合いが大きいでしょう。
「去ってほしくない!」
「去ってもらって良かった。」

一つ一つに対して
私達の心は揺れ動きますが、
もうその揺れ動きに
囚われる必要はありません。

揺れ動く心自体はそのままに。
ただ、
そのままにしておけばよいのです。

大切なのは、
心がどう揺れ動こうが、
自然の流れに
そのまま身を任せる
ということです。

来るものは、来るのです。
去るものは、去って行くのです。

来ないものを望んだり、
来るものを拒む必要はありません。
去るものを追ったり、
去らないものを無理に捨てる
必要もありません。

すべては、
自分自身がしていることです。
来るもの、去るもの、
すべて必然。
自身の真本音の意図に
基づいて流れているのです。

・・・・・
余分なものを
意図的に手放すことは
大切です。

自分の執着によって
手放さずにいるものを
「これは去らないものだ」と
勘違いするケースがあります。

去るものか、去らないものか?
その答えは、
すべて自らの真本音が
わかっています。

私達にできることは、
あらゆる物事を
真本音の眼差しで
見つめることです。

・・・・・
真本音の眼差しとは、
ニュートラルな眼差しです。

心の中に
何らかの葛藤があったり、
ストレスがあったり、
迷いがあったり、
モヤモヤがあったり。
そういった状態は
ニュートラルではありません。

その状態で判断することは、
一部の反応本音による
偏った判断となってしまうでしょう。

心がスッキリと晴れやかな状態、
リキまず、力の抜けた状態、
まっすぐ自然に立っている状態で
物事をありのままに見つめてみましょう。
その時、
自分の心がどのように感じるか?
その素直な感性に
従います。

それが真本音の眼差しです。

・・・・・
心がニュートラルな状態で
あり続けるためには、
常日頃の自分の生き方が
自身の真本音に素直であることが
必須です。

私は、真本音で
今この瞬間、
どんな生き方を大切にしたいか?

自分の望む「生き方」に
素直であることです。

例えば、
「私はいつも、楽しくありたい。」
と願っていれば、
「楽しさ」を
いつも大切にし続けているかどうか
です。

楽しい状況の時は楽しいけど、
楽しくない状況の時は、
楽しくなんかなれない。
という風では、心はモヤモヤしてきます。

どんな状況でも
自分なりの楽しさを大切にし、
自分なりの楽しさを創り出していこう、
という生き方を続けることで、
心はクリアになっていきます。
常にニュートラルな状態に
戻りやすくなります。

真本音で望む生き方。
それを今この瞬間に大切にする。
それにより自らの心をいつも整え、
すべての物事を真本音の眼差しで
見つめる。

それができれば、
いかなるものが来ようとも、
いかなるものが去ろうとも、
すべてを、「あるがままの現象」として
受け止めることができます。

そして、
そのすべての現象の底流に
自分自身の本当に望む道が
確かに続いていることを
発見するでしょう。

その道は太く力強いもの。

私達は、全員
その道を持っています。

ですからもう一度申し上げます。
来るもの、去るもの、
それらの現象に
揺れ動く必要は
もはやありません。

すべては
真本音の意図通りです。

つづく



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