こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年02月09日

8次元の愛 149 〜荷物は持ちたいだけ持とう

私達の多くが望んでいることは、
私達自身の歩みが、
できるだけ軽やかになること
ではないでしょうか。

一歩一歩を重苦しく進む人生よりも
できるだけ軽やかに気持ち良く
進む人生を望んでいます。

歩みが軽やかになるということは、
それだけ意識が内にも外にも
向かうようになるということです。

重い荷物を背負い、
背負うことだけに精一杯になるのではなく、
荷物が軽くなれば、
好きなことを考えたり、
周りの景色を見るゆとりが生まれます。

人生を山登りに喩えれば、
それはもう、
荷物が軽い方が楽しいでしょう。

・・・・・
と、考えるのが普通ですが、
実は、そうとも限らないのが
私達の魂の願いでもあります。

山登りで言えば、
軽い荷物で楽しむよりも、
あえて重い荷物を背負い、
一歩一歩を必死に歩むことにこそ
楽しみを見出す人もいます。

それはただの自己満足ではないか?

という意見も確かにあります。
しかし、
重いからこそ観えてくることが
あるのも事実です。

昔、私は登山をしていましたが、
何10kgもする重いザックを背負い
歩くことで感動した同じルートを、
後日、軽装でもう一度歩いたら、
拍子抜けしてしまった経験があります。

同じルートだったから新鮮さがなくなった、
ということも言えるでしょうが、
やっぱり、歩みの軽さにも
原因があるようでした。

荷物が軽くなることで、
一歩一歩の印象や、真剣さまでもが
軽くなってしまうと、
どうでしょうか?

ここが一見すると
混同しやすいところです。

真本音の時代とは、
楽で気持ちの良い時代です。

しかし、
一歩一歩の印象も、
一歩一歩の真剣さも、
より強く実感できる時代でも
あるのです。

楽だからこそ、
今の一歩に魂が宿ります。
楽だからこそ、
今の一歩に命を込めることが
できるのです。

・・・・・
真本音の歩みとは、
気持ちの良い歩みであるのと同時に、
それは意義深い歩みです。

その時は、さっと駆け抜けた一歩で
あったとしても、
後で振り返れば、そこには
計り知れないくらいの意味や
感動が潜んでいたりします。

それは軽い一歩かもしれませんが、
それは、大きく拡がる波紋の
一打となり得ます。

軽くて気持ちが良くても
必ず、
それは意味深い自身の次へのテーマを
喚起します。

そして私達は、そのテーマに
軽く、
向かいます。

楽しく、
向かいます。

しかし、そこでの一歩は、
またもや意義深く・・・。

それが真本音の歩みです。

・・・・・
持ちたい荷物は
持ちたいだけ持ちましょう。

ただしそれを判断するのは
私達自身の真本音です。

他の誰かの判断ではなく、
自分自身の反応本音の判断でも
ありません。

真本音は知っています。

今、自分はどれだけの荷物を持ち、
どれくらいの重みのある一歩を
踏み出せばよいのか?

真本音で持ちたい荷物は
持ちたいだけ
持てばよいのです。

つづく



この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。