こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年02月21日

8次元の愛 156 〜真本音だろうか?

時と場合により、
私達は自分の人生の道のりを
強引に進まなければならないときが
あります。

例えば、
周りからの反対や
周りからの親切な意見、助言、
そして
周りからの提案などを
あえて受け取らずに
自ら決めた通りに進まなければならない、
というときがあります。

どれだけ自分が孤立しようとも
それでもその道を進もう、
とするときがあります。

そんなとき、
私達の胸に去来しているものは
何でしょうか?

あるときは「意地」かも知れません。
あるときは「顕示」かも知れません。
あるときは「プライド」かも知れません。
また、あるときは
「使命感」かも知れません。

いずれにしても私達は、
自分の向かう先、一点を
見つめて進みます。
そうでない限りは、
途中で挫折をするでしょう。

・・・・・
一点を見つめる力は、
強いものです。

そこのみを目指す歩みは
強いものです。

しかしその歩みには
二つの種類があります。

反応本音レベルのものと、
真本音レベルのものです。

もしそれが、反応本音レベルであれば、
一点を見つめる眼差しそれ自体に
力が籠ります。
常に全身に力を入れ、
無我夢中で進むでしょう。
その力は強大ですが、
残念ながら、
あまり長続きしません。

もしそれが、真本音レベルであれば、
一点を見つめる眼差しは
何の力も入らず、
むしろ微笑みさえ浮かんでいるかもしれません。
一点はしっかりと見つめていますが、
周りもまた、よ〜く観えています。
むしろ、自分を反対する周りの一言一言が
仲間からのエールに聴こえます。
人生の宝に感じます。
反対意見はきつい場合がありますが、
しかしそれを受け取る心の根底には
いつも、あたたかさが宿っています。

ですから、
意図せずとも、無理せずとも
道ができていきます。

真本音レベルで一点を見つめる人は、
今この瞬間の一歩も
よ〜く観えています。
この一歩を、楽しむことができます。
道は遠くとも、
一歩一歩が幸せです。

そして、実はそういう人には、
自分が「強引に道を進んでいる」という感覚も
ありません。
自分は調和の中で自然に進んでいる、
と感じています。

しかし、周りから見ると、
「あの人は、いつも揺るがなく
 自分の道を進む人だ。」
という印象となります。

・・・・・
真本音の時代に近づいている今、
そしてこれからは、
反応本音レベルの強行突破は
ほぼ、通用しなくなってきます。

どれだけ莫大なエネルギーを
そこにかけたとしても、
通用しなくなってきます。

真本音で道を創る人には
やさしく、
反応本音で道を創る人には
厳しい時代です。

自分の道を自ら創ることは
大切です。
しかしその「もと」となっている
自分の心が、
真本音か反応本音か?
どちらだろうか、という視点が
極めて重要になってきます。

・・・・・
真本音か反応本音か?
の区別をつけるためにできることは
簡単です。

常に自分に問いかければよいのです。

「この私の発想(または行動・選択など)は
 真本音だろうか?」
と、いつも問い続ければよいのです。

気持ち良く、何の淀みもなく
「そうだ」と思えれば、
真本音の可能性が高く、
そうでなければ、
反応本音の可能性が高いでしょう。

それを常に続けます。

例えば、朝起きて、
最初に「顔を洗おう」と思ったとします。
その自分の選択は、
「真本音だろうか?」
と問うてみるのです。

そんな日常的な些細なことからも
練習はできるのです。

それを続ければ、
徐々に区別がつくようになります。

区別がつけば、
いざという選択のときに、
真本音の判断ができるでしょう。

最初は少し面倒かも知れませんが、
そういった努力も
必要な時代です。

つづく



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