こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年03月03日

8次元の愛 165 〜無限の気づき、と共に

発想の始まりについて
考えたことはありますか?

例えば、
今自分の中に浮かんだ一つの発想。
これが
どこから生まれ、
どこから来たのか、
考えたことはありますか?

すべての発想には
「始まり」があります。

「始まり」は
自分自身の心である場合も
多いですが、
そうでない場合も結構あり、
それが面白いところです。

私達はもともと「一つ」です。
ですから、
体は別個の存在であったとしても
真本音ではつながっています。

プールのイメージをしてみてください。

大勢の人達がプールで
遊んでいます。
プールの水が「源」だとします。
みんな、「一つ」の中に
一緒にいます。
しかしそれぞれの体は別個です。
特に水面から上に出ている体の部分は
完全に別個です。
そこが反応本音の部分です。
しかし水の中にある体は
別個ではありますが、
「一つ」である水の中に
みんなと一緒にいます。
それが真本音です。

A君が綺麗な赤い石を持っていたとします。
その赤い石をA君があなたに
くれたとします。
「これあげる」と言って、
手渡しでくれました。
それを水面より上で行なった場合、
通常のコミュニケーションとなります。

ところが、
A君があなたの気づかないうちに、
そっとあなたの海水パンツのポケットに
(海水パンツにポケットがあると
 してください。笑)
赤い石を入れたとします。
あなたに気づかれないように
水中でそれをしました。
あなたはしばらく自分が赤い石を
持っていることに気づいていませんでしたが、
ふと、自分の海水パンツのポケットに
「あれっ? 赤い石が入ってる!」
と見つけたとします。

あっ! 赤い石だ!

これを、「気づき」と言います。
「ひらめき」とか「直観」と
言ってもよいです。

水中での石のやりとり、
それが真本音コミュニケーションです。
それは多くの場合、
水である「源」を通じて行なわれます。
今の例では、
A君は意図的に赤い石を
あなたのポケットに入れましたが、
通常の真本音コミュニケーションでは
A君自身も無意識に
それを行なっています。

ですから、
A君自身が赤い石をあなたにあげたことに
気づいていません。
あなたも、A君からそれをもらったことに
気づいていません。

しかし、
ある時あるきっかけで、
その赤い石の存在に気づくわけです。

しかも、次のようなことも
よく起こります。

海水パンツのポケットの中に
あなた自身が青や黄の石を
持っていたとします。
そして、赤い石の存在と共に、
青や黄の石の存在にも同時に
気づくということもあるのです。

あなたはポケットから
3つの石を取り出します。

あぁ、きれいな3つの石があった!

赤・青・黄。
まるで信号機みたいだな!
と、あなたは笑います。

もし、A君が
赤い石を入れてくれなかったとしたら、
ただ、あなたがもともと持っていた
青と黄の石だけに気づいていたとしたら、
「信号機」という発想は
生まれません。

自分の中にあるもともとの発想と
A君のくれた発想。
それらが織り交ざり、
新たな発想を生み出します。

・・・・・
さらに、次のようなことも
言えるのです。

上記の例では、A君が直接
あなたに赤い石を届けました。
たとえそれが無意識だったとしても。

しかしそうではなく、
A君が自分の赤い石を
誰に渡す、ということもなく
ただ水中に解き放つこともあるのです。

A君から解き放たれた赤い石は
水中をブラブラと浮遊します。
そしてその浮遊している赤い石を
必要に応じて
あなた(の真本音)が受け取るのです。

そういった形で、
水中にはたくさんの石が
浮遊しています。

・・・・・
浮遊している石を受け取ったり、
直接、受け渡したり・・・。
このように私達は、
水面下で様々なコミュニケーション、
真本音コミュニケーションを
取り合っています。

そしてそれらの集積により、
ある時あるきっかけで
発想が浮かびます。

さて、最初の問いです。

自分の発想の始まりは
どこだと思いますか?

・・・・・
「源」とは、
発想の宝庫です。

それを
「無限の気づき」と
表現される人もいます。

私達はその
「無限の気づき」と
いつもつながっています。

真本音を大切に生きる、とは
「無限の気づき」と共に
生きるということでもあります。

ですから私達は
孤立もしていませんし、
孤独でもありません。

別個の存在では
ないのです。

それを多くの人達が思い出し、
「無限の気づき」を活かし合う社会。
それが真本音の時代における
社会の在り方です。

「無限の気づき」は
無限に進化し、
無限に拡がり続けています。

それができるのも
私達人間の大いなる力です。

つづく



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