こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年03月13日

8次元の愛 170 〜確信してますか?

雲行きの怪しくなった空を眺める
私達の心は、
不安定となります。

雨が降るかな?
傘が要るかな?
どうかな?

振らなければいいな。
振ると、面倒だな。

すぐに出掛けようかな?
もう少し後の方がいいかな?
それとも今日はやめようかな?

迷いの心が
いくつも浮かんできます。

心とは、
迷うことで不安定になります。

反対に、
完全に決めている心、というのは
安定を生み出します。

雨が降ろうが振るまいが、
必ず何時に出掛けると決めていれば、
空模様で多少気持ちは揺れるでしょうが、
それにより右往左往することは
ありません。

・・・・・
迷いとは、多くの場合
逃げ腰の姿勢から
生まれます。

逃げ腰の根本には
現実逃避があります。
自分を守るために
逃げたい、という心です。

現実逃避は必ず
迷いを生み、
迷いは、心の葛藤を生み、
葛藤は、心を疲れさせます。

心が疲れれば、
さらに逃げたくなります。

現実が開かれずに悩む人の大半は、
この現実逃避が
心の奥にあるからです。
それに気づいていない人も
多いのです。

しかし、
逃避する心のさらに奥を観れば、
そこには必ず
真本音が存在しています。

真本音は知っています。
今、どうすることが
最善か、を。

そして真本音は望んでいます。
どんなときでも
現実と向き合おうとする
自分の姿、を。

・・・・・
確信、とは
真本音から生まれる発想です。

確信が生まれれば、
そこに「動く理由」は
必要ありません。

確信ですから、
迷いはありません。
確信ですから、
私達は、
その通りに動きます。

行動力のある人とは、
確信の強い人です。

確信の強い人とは
いつも真本音を大切に
生きている人です。

理由のない確信ほど
強いものはなく、
それにより「歴史が動いた」ことは
数知れません。

・・・・・
目の前に道が2本あったとします。
どちらに行こうか?

「いや、3本目の道があるはずだ」
と確信すれば、
必ず3本目の道が拓かれます。

「右の道に行くのが最善だ」
と確信すれば、
右の道に入れば、
道が開けます。

確信とは
そういうものです。

しかし、わずかでも迷いのある人が
「3本目があるはず」と思っても、
決して3本目は拓かれません。
「右の道がいい」と言って進んでも、
必ずどこかで壁に当たります。

迷いとは
そういうものです。

この、
「確信の人生」と「迷いの人生」の差。
これがこれから
さらに顕著になります。

つまり、
真本音を大切に生きる人は、
「ちょっと確信」すれば
すべてその通りになっていく、
という流れができやすくなります。
これまで以上に。

・・・・・
気をつけなければならないのは、
「確信しているフリ」であり、
「確信しているつもり」の
心の状態です。

本人が、本当の確信かどうかを
区別できないことがあります。

区別のつけ方は簡単です。

確信した道の行く先に、
光が
灯が
観えるかどうか、です。

それは具体的な姿である必要は
ありません。
ただ、
明確に光が観えるかどうかです。

確信とは、
その光を感じるからこそ
生まれるものだからです。

少しでもあいまいな光であったり、
光がまったく観えなかったり、
もしくは、
光が観えても、その光を観ていると
ちょっと疲れたりする場合は、
残念ながらそれは、
自分で「思い込んでいるだけの」
確信です。

そういった確信は
疲れるはずです。

本来の確信とは、
まったく疲れないどころか、
それを持ち続けることで、
どんどん心が楽になり
開放されていきます。

真本音の時代。
確信の時代。

多くの人達の確信が
満ち溢れ、
融合し、
相乗効果の幸せを
生み出し続ける時代です。

まずは、
次の一歩の確信を
自分自身が大切にしましょう。

つづく



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