こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年03月24日

8次元の愛 175 〜発想は出ますか?

発想と思考は
違います。

発想とは、
魂、もしくは心から
発せられる意識の塊を言います。
最初にポンっと
生まれるものです。

そしてその発想に対して、
自分なりの解釈をします。
それが思考です。

最初に生まれたものが発想で、
その発想に対して二次的に
生じるのが思考です。

多くの場合、
発想は自由ですが、
思考はその発想を
縛る方向に作用します。

私達は思考をすればするほど、
視野が狭くなります。
心を縛ることになります。

思考がいけない、
ということではありません。
視野を絞ることで、
私達は探究をすることが
できます。

しかし、
思考を思考のままに留めるのではなく、
思考をしたらその後には
一度心をニュートラルな状態に戻し、
次の発想を待つことが大切です。

思考のままでは、
本質的な答えには行き着きません。
思考と発想を効果的に活かすことで、
私達は、
本質を見つけることができます。

なぜなら、
すべての物事の本質を、
すでに私達は知っているからです。
すべての答えは、
ちゃんと私達の中に
あります。

それを掘り出すことが
本来の探究です。
本質とは、
人間が創るものではありません。
すでに
あるものです。
そして、すでに
知っているものです。

知っているのに顕在化されていないものを
顕在化させることを
探究と言います。

ですから、
思考を思考のままで終わらせても、
本来の答えには行き着きません。
思考により焦点を絞り、
その焦点に基づいた発想、
つまり、その方向の意識の塊を
引き出すことで、
私達は、欲しい答えを
本当の答えを
導き出せるのです。

・・・・・
すべての答えを自分の思考のみによって
導き出そうとするならば、
それは、傲慢です。

傲慢とは
単なる4次元の意識に過ぎません。

しかし、
思考のみによって形成される理論は
ある意味、もっともらしいですので、
時には妙な説得力を持ちます。
そして、
その理論を見ることで、
私達は、それが答えであると思い込み、
自身が思考停止状態となります。
結果として、
本来の発想が生まれなくなります。

本来の発想に基づいた本質的な答えと
そうではない、ただの思考による答えが
入り混じっているのが、
今の世の中の現状です。

私達は、
そろそろそこから
脱皮しなければなりません。

・・・・・
一度、次の視点で
自分自身の心と
向き合ってみてください。

「私は、いつ思考しているだろう?」
と。

すると、思考に入っている自分に
気づきやすくなります。
通常、思考とは、
その中にドップリと浸かっていますから、
そこに入っていることにすら
気づかないことがあります。
しかし、
それに気づいてください。

この視点でいつも自分を見つめれば、
私達は、
実に、本当に、すごい量の
思考をしていることに気づくでしょう。

ほんのちょっとしたことで
ちょっとした思考に入っていることに
気づくでしょう。
そして、
自分自身のその思考により、
次の自分の発想を
自ら狭めていることに気づくでしょう。

何度も言います、
思考がいけない、
というのではありません。

しかし、
思考は、私達を
知らず知らずのうちに
縛ります。
そこに気づくだけで、
私達は
心が自由になります。

思考を意図的に行ない、
思考をコントロールすることで、
私達は
心の自由を手に入れることが
できます。

そのためには、
思考をしている瞬間の自分に
気づく力をつけることです。

・・・・・
思考している自分に気づき、
その思考が必要ないな、と
思うのであれば、
その思考を流してしまってください。

「流そう」
と思うだけで結構です。

もちろん、
それだけでは流れないときも
あるでしょう。
しかし、それでOKです。

これを続ければ、
思考している自分に気づく力が
養われます。
そこに気づけば、
それだけで、心は軽くなります。

そして、
必要なときに必要な思考だけを
活用できる自分になれば、
私達の中から、
湯水のように様々な
発想が溢れてきます。

自分の中に
これだけたくさんの発想が
あったのか、と
びっくりされるでしょう。

そうです。
人は、本当に様々なたくさんの
発想を
いつもしているのです。
それに
自分が気づいていないだけです。
それらの
発想を観るだけで、
私達は、自分の欲しかった答えを
手に入れることも
可能かも知れません。
少なくとも、
自分に必要な答えは
見つかるでしょう。

自由な発想の大本は、
真本音です。
真本音からの発想はすべて、
自分の人生の指針になります。

発想という土台の上で
思考という行為を行なう。
それが、
真本音で生きる人の特長であり、
私達人間の
本来の(自然の)心の在り方です。

つづく



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