こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年04月26日

8次元の愛 186 〜思惑でなく、答えで動く

ある日、突然、
今あるものがすべて
なくなったとしたら
どうしますか?

自分の住んでいる場所も
家族や友人・知り合いも
仕事も
そして記憶ですら
なくなってしまったとしたら、
自分は
どう生きていくと思いますか?

これまでと似た人生を
改めて創っていくのでしょうか?
それとも
まったく異なる人生を
創り上げるでしょうか?

すべてがゼロになる
ということはあり得ませんが、
すべてがゼロになったと
本気で仮定したときに、
初めて観えてくる発想が
あります。

ゼロになるという恐怖に基づく
発想もあるでしょう。
現状に対する不満からの
発想もあるかも知れません。
ゼロだからこそ生まれる
希望的発想もあるかも。

いずれにしても
私達は、
すべてを手放すことは
怖い生き物です。

そして、
本当にゼロになったとき、
もしくは、それに近い精神的状況に
陥ったとき、
自分でも想定していない
思わぬ判断と行動を起こす
生き物です。

人は、
いざとなると
何をするか
わかりません。
そういった
未知の部分を
誰もが
持っています。

それが人。

ですから上記の問いを
いくら考えても、
決してたどり着かない
答えがあるのです。

・・・・・
人生は、
思惑通りには
いきません。

それは真実です。

なぜなら、
私達の真本音が
思惑通りに行かせよう、とは
決して思わないからです。

前回のブログで触れました
「人には絶対にできないこと」
の代表的なものの二つ目は、

思惑通りに生きる

ことです。

人生は、
思惑通りには
いかないのです。
思惑通りにいかない人生を
私達は
真本音で望んでいるのです。

その事実を受け止めたとき、
どう生きればよいか?
が、観えてきます。

・・・・・
思惑通りにいかないのなら、
思惑から自由になること
です。

思惑を持つから
心が淀みます。

思惑を持つから
現実を
あるがままに捉えることが
できなくなります。

思惑とは、
反応本音レベルの
狭く浅い思考です。
私達の真本音は
思惑を持ちません。

思惑を持たないことで、
本当に決めている
望む人生を
創り上げることができるのです。

・・・・・
現実は
いついかなるときも
移り変わっています。

それは
複雑怪奇
と言ってもよい現象です。

なぜ今、このような現実が
起こるのか?
その理由には
複雑に絡み合った原因が
存在しています。

そのすべてを
解釈することは
人には無理です。
ましてや、
その解釈に基づいて
次の判断をし(それを、思惑と言いますが)、
最善の決断をすることは
極めて難しいことです。

しかしその一方で、
私達の真本音は
知っています。
自分の本当の願いに向かうために、
今、この瞬間に
大切にすべきことは何か?
をです。

複雑に絡み合う現実を
極めてシンプルな眼差しで
あるがままに捉え、
自分の大切にすべきことを
大切にした
次の一歩を
淀みなく決めることができます。

そこに思惑はなく、
ただ、
「答え」
のみがあります。

今の答え、
です。

私達は、
自分自身の
今の答えに従い、
今を生きていけば
よいのです。

それを続ければ、
ある時ある瞬間から
自分自身のすべての思惑を
超えた視界が、
まるで雲が晴れるかのように
開けてきます。

雲が晴れればもう、
思惑など、
必要ありません。

私達は
行きたい方向に
行けばよいのです。

つづく



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