太くてまっすぐな一本道が
あります。
なんだ、昨日言っていたことと
違うじゃないか。
と言われそうですが、
いえ、
本質的にはまったく同じことを
言っています。
私達の目の前の一本道には
何一つとして
障害も障壁も
ありません。
ちょっとした段差も、
石コロすら
ありません。
ただ私達はその道を
気持ち良く
進めばよいのです。
私達の魂(もしくは真本音)には
その道がよ〜く観えています。
私達の魂は、
その気持ちの良い道を
ただ気持ち良く素直に
進みたいだけなのです。
ところが、
こんなにはっきりしている道なのに、
なぜか私達は
それとは全然別の道を、
しかも障害や障壁もいっぱいで
曲がりくねった道を、
勝手に「道である」と思い込みながら
自分で創り、
そこを無理に
歩こうとしてしまうのです。
魂(真本音)が、
そっちじゃないよ。
ここに、気持ちの良い道があるのに。
と、どれだけ合図を送っても、
それに気づかずに
思い込みの道に進んでしまう。
そんなことを
これまでの私達は
ずっと行なってきました。
ですから昨日申し上げたのは、
そのような変な道は
もはやないということを、
ちゃんと認識しましょう、
ということでした。
そして私達が
道なきところに道を創ろうという
意志を持ち始めたその瞬間から、
本来の道、
気持ちの良い一本道が
徐々に姿を現わし始めるのです。
それこそが
実在の道。
本当の道。
本来の、
人の道です。
・・・・・
その道を進むには
本当は何の勇気も恐れも
必要ありません。
本当に、
何の障害もないのですから。
しかし、
私達は、その道を行こうとすると、
かなりの不安に襲われます。
歩き始めれば
楽しいことがわかるのに
歩き始めるまでが
怖いのです。
今、
多くのみなさんが
その状態です。
でも、
少しずつ、
本来の道を進み始める人が
増えてきました。
その数は、
約一年後から
爆発的に増加し始めるでしょう。
それが、
真本音の時代の
スタートです。
・・・・・
今の私達にとって
大切なことは、
見えなくなった道を
恐れずに
それでも一歩を踏み出し続ける
ということです。
道は見えなくとも、
次の一歩は必ず
真本音が教えてくれます。
えっ? その一歩を行くの?
とびっくりするような選択を
真本音はするかも知れません。
しかし、
それに素直に従うことです。
最初はびっくりすることでも
そんなものは
すぐに慣れます。
そして、
そちらこそが自然な一歩であったことが
すぐにわかるようになります。
私達は
不自然な一歩に
慣れ過ぎましたね。
そろそろ
もともとの歩みを
思い出すときです。
今のうちから
真本音の一歩に慣れ親しむことで、
一年後に
一気にペースアップできます。
そのスタートのときには
みんなで気持ち良く
駆け出したいものですね。
つづく