こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年05月30日

8次元の愛 196 〜真本音の見つけ方

普段の自分が
どのような自分であるかを
私達は知りません。

いつも自分は
どのような表情をし、
どのような雰囲気を出し、
どのような振る舞いをしているのか。

私達は自分の姿を
鏡でしか見ることはできません。
鏡とは2次元です。
またたとえ、
ビデオカメラで自分の姿を
撮ったとしても、
ビデオも2次元です。

3次元の生の自分の姿を
私達は知りません。

自分のことは
自分が一番わからない。
というのはある意味
真実です。

私達はもっともっと
自分理解に対して
真剣になった方が
良いかもしれません。

・・・・・
私達の心の奥底に向かって行くと、
そこには
私達の真本音があります。

真本音の場所は
人によりけりですが、
真本音の場所が
その人の「中心」です。

まずは
自分の「中心」を
理解しましょう。

中心は
体のどこかにあります。
私達は、
自分の真本音も反応本音も
すべての心を
体のどこかに置いています。
場所を決めています。
それが私達人間の
習性です。

真本音の場所を
見つけましょう。

そのためには
私達の「体の中心」に
まずは意識を向けます。

「体の中心」とは
おへその奥です。
私達は母親と
おへそでつながっていました。
そこが、
自分の中心であると
何となく認識しています。

その中心に
意識を向けます。

何割かの人は
そこにそのまま真本音が
あるかも知れません。

「ここにはないな」と
思う人は、
その中心よりも
上にあるか?
下にあるか?
を何となく意識してみてください。

真本音の場所とは
最も安定した場所です。
最もリラックスできる場所です。
その場所が
体の中心よりも上にあるか、
下にあるか、
直観してみてください。

例えば「上にあるな」と
思える場合は、
おへそよりも上の上半身に
意識を向け、
さらにその上半身を二つに分け、
どちらに真本音はあるだろうか?
と直観してください。

そして直観した方へ意識を向け、
さらにそこを二つに分け、・・・
というように繰り返しますと、
何となく、真本音の場所が
わかるでしょう。

真本音の場所がわかれば、
そこに意識を向け、
そこに「何があるか?」
を観てください。

例えば、
ボーッとした光がある、とか
何らかの形のようなものが観える、とか、
何も観えなくとも何かを感じる、とか。
そこにある「存在」を
特定してみてください。

それは、
真本音のメタファです。
自分の真本音を
「そのような存在」として
何となく私達は認識して
いるわけです。

メタファがわかれば、
そのメタファをいつも
意識します。

日常生活において、
真本音メタファを意識することで
自分が「原点に戻れた」とか
「ニュートラルに戻れた」とか
「自然体に戻れた」など、
居心地の良さを感じるならば、
そこにあるのは
真本音であると言ってよいでしょう。

反対に居心地の悪さや
違和感を得るならば、
真本音の場所は
別にあります。

気楽に試してみてください。

そして、
真本音の場所と
真本音のメタファが
特定できれば、
いつもそこに意識を向けながら、
「もとの自分」を
思い出してください。

「もとの自分」の状態で
すべての物事の判断・決断を
してみてください。

それができる人が、
本来の魅力を発揮できますし、
本来の人生を
歩むことができます。

・・・・・
残念ながら
私達は自分の姿を
観ながら生きることは
できません。

であるならば、
いつも自分の中心である
真本音を意識し、
真本音に基づいて
今この瞬間を
生きましょう。

そうすれば、
自分が思っている以上の
輝きを
放ちながら
私達は生きることができます。

自分のことは
自分が一番わからない。
それでいいじゃありませんか。

自分でわからないくらいの
素晴らしさ・魅力を
放てる自分でいましょう。

つづく



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