こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年10月23日

8次元の愛 222 〜魂の洗濯

沈みゆく夕日なのか?
それとも
昇りゆく朝日なのか?

その区別は
一見、つきづらいものです。

あきらめて見捨てているのか?
それとも
執着を解き、手放しているのか?

その区別も
難しいですね。

情熱を押しつけているのか?
それとも
魂に渾身の一言を注いでいるのか?

意固地になっているのか?
それとも
守るべきものを守っているのか?

自己満足の成長なのか?
それとも
真の進化なのか?

自己愛なのか?
それとも
真の愛なのか?

自己満足なのか?
それとも
真剣なのか?

似て非なるもの。

表面上は同じでも
本質の異なるもの。

今の世の中には
それらが混在しています。
残念ながら
区別をつけられずに
苦しんでいる人も
多いです。

そう。

区別をつけられない苦しみ
というものがあります。
そしてそれらが
今の世の中には
満ちています。

・・・・・
意図的に「不幸せ」を望む人
は少ないでしょう。

人は皆、
「幸せになりたい」
存在です。

ところが「幸せ」にも
2種類あります。

「真の幸せ」と
「幸せもどき」です。

幸せもどきは
心も苦しみますがそれ以上に
魂が苦しみます。
そこに
成長はありません。

魂の次元は
下がり続けます。

真本音の時代がもうすぐ
の今、
実はそういった人達が
急増しています。
時代の変換点だからこその
「混沌」の一つです。

混沌を恐れる必要は
ありませんが、
私達はもっと楽に
進んでもよいのでは?

・・・・・
成長に「苦しみ」は
必要ですが、
苦しみにも、
「真の苦しみ」と
「自己満足の苦しみ」が
あります。

自己満足の苦しみは
現実逃避のための苦しみ
でもあります。
無意識にですが意図的に
自分を苦しませ、
苦しんでいることで
自己満足し、
本当に向き合うべき現実から
目をそらしています。
しかし
その苦しみは自分の意図よりも
何十倍もの大きな
意図的でない苦しみを
魂レベルの深い場所で
新たに発生させてしまいます。

そしてその
魂レベルの苦しみにより
現実と向き合う力は失われ、
さらに現実逃避のための苦しみを
無意識に意図的に
自ら創り出すという
悪循環に入ります。

その悪循環から
抜け出せずにもがいている人が
実に多いのです。
そのほとんどは
自覚していません。
自覚さえすれば
そこから抜け出ることも
できますが、
残念ながらそういう人ほど
「自分は幸せだ」
「自分はちゃんと成長している」
と思い込んでいます。

似て非なるもの、
の代表です。

・・・・・
鏡を観てください。

自分の顔を
観てください。

ありのままに
観察し続けてください。

すると
自分の顔に漂う「本質」が
だんだんと浮き彫りになります。

観続けているその顔は
幸せそうですか?
不幸せそうですか?

光が放たれていますか?
それとも
暗さが漂っていますか?

もし
光よりも暗さを感じる場合は、
苦しんでいる証拠です。

そういう人は
まずはその「現実」を受け止め
鏡に映る自分自身の
目に向かって
自分の愛を注いでください。

人の目からは
愛のパワーが放出されます。
自分を愛そう
と真剣に想いながら、
自分自身の目を
しっかりと見つめてください。

それを朝晩
やり続けてください。
自分が納得するまで
やり続けます。

まずは自分が自分に
あるがままの愛を注ぐ。

それがすべての
スタートです。

似て非なるもの
を区別できる自分になるには
自分自身の魂を
きれいに洗い続けることが
大切なのです。

魂の洗濯ですね。

つづく



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