こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2013年03月11日

8次元の愛 238 〜遊気の一歩

目の前に展開する現実を
見たとき、
縛られる感覚がしますか?
それとも
開放される感覚がありますか?

もし
縛られる感覚があるならば、
自分を縛っているのは
自分自身です。

その現実では
ありません。

現実とは
いっさい私達を
縛りません。

現実を前にした
私達が
私達自身を
縛っています。

縛られた私達は
縛られた狭い範囲内でしか
発想も行動も
できなくなります。
そして、
現実が厳しいからだ。
という言い訳が
出て来ます。

現実のせいに
するのですね。

現実のせい、ということは
自分以外の誰か、何か
のせいにしているということで、
それは
真本音とは最も遠い
心の場所です。

そしてその心の場所に
意識を置いているうちは
決して
現実は開かれません。

自分の心を縛っている
自分自身が創り上げた鎖。
それを
まずは自分が認識すること。
そして
その鎖から自分を
解き放つことです。

解き放つ方法は
ただ一つ。

鎖を認識した上で、
自分の真本音通りに
次の一歩を動くことです。

一般的にはその場合、
勇気が必要になりますが、
しかしそれは
一瞬です。
遊び心のような趣で
えいやっと一歩を
踏み出してしまいましょう。

すると案外簡単に
道は開けます。

それを
「遊気」(ゆうき)
と言います。

・・・・・
遊気には
力は要りません。

むしろ
力を抜くことで
遊気は出ます。

力を抜いて
意識をその現実に向け、
ただその現実を
ありのままに観ましょう。

深刻な思考には入らず、
ただ意識をそこに
向けましょう。

もし深刻な思考が
どうしてもグルグルと
自分の心を取り巻くならば、
少し時間を置きましょう。

そしてニュートラルに戻れたら
またその現実に
意識だけを向けます。

するとある瞬間に
自分が次の一歩を
どうすればよいか?が
自然に浮かんできます。

ひょっとすると
次の一歩だけが浮かび
その後の道がまったく観えない
場合もあります。
多くは
そういったときに
躊躇をしてしまうのですが、
そこで
遊気です。

遊び心を持ち、
その思いついた一歩を
進んでみましょう。

すると
次の一歩がさらに観えるか、
もしくは
一気に道が(現実が)
開かれます。

実際に何かが起こらなくとも
現実が開かれる感覚を
得るだけでも良いのです。

その開かれた感覚で
その道を
一歩を
進みます。

それが
真本音の道です。

私達の真本音は
現実と真摯に(あるがままに)
向き合う自分を必ず
ナビゲートしてくれます。

真本音とは
私達自身。
本来の私達。

本来の自分自身が
本当に望んでいる道を
進むだけのことですね。

・・・・・
真本音の道
以外の道には
入ろうと
しないでください。

そこに道は
ありません。

道を創っているフリを
している
自己満足があるだけです。

自己満足に向かう人は
自己満足すら得られず
強烈な疲弊のみが残る、
というのが
真本音の時代の特徴です。

心に鎖を縛り、
自分で自分を縛り続ける人は
要するにその
自己満足に入っているのです。

自分に苦しみを与えるのも
自己満足の一つです。
私達の真本音は
決してそのようなことを
望んでいません。

自分を縛っているのは
自分自身。

他の何物(何者)も
私達を
縛ってはいません。

その事実を
受け入れましょう。

で、
楽な道を行きましょう。

楽な道にこそ、
本当の越えるべきテーマが
あるのですから。

つづく



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