こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2013年04月25日

8次元の愛 251 〜ただ見つめ、歩く

今の自分自身を
客観的に
観てみましょう。

例えば、
空から俯瞰して
みましょう。

例えば、
すぐ隣から
寄り添ってみましょう。

自分は今
どんな佇まいに
観えますか?

自分は今
どのような表情で
どのような雰囲気で
いますか?

力んでいますか?
それとも
全身の力は抜け
自然体でいますか?

あたふたと
揺れ動いていますか?
それとも
毅然と
まっすぐに立っていますか?

それより何より
自分自身の姿が
よく観えますか?

・・・・・
私達の真本音は
いつも変わらぬ眼差しで
何の評価も判断もなく
ただただ
自分自身を見つめています。

自分がどれだけ
揺れ動こうとも
自分がどれだけ
間違いを重ねようとも
いつも同じ眼差しで
自分自身を
見つめています。

真本音が
自分自身を見つめる
その向き合い方こそが
「愛」のカタチ
です。

つまり私達は誰もが
自らの中に
「愛」の見本を
持ち続けています。

ですから
どうすれば人を愛せるのか?
それを誰もが
よくわかっています。

真本音を大切に生きる人は
すべての人を
愛せるようになります。

愛とは行為ではなく、
私達が放つパワーそのもの。
人間の根源を成す
力そのものです。

その根源的力を
誰に対しても
放つことができるように
なります。

そこには
理屈も理論も
必要ありません。

正しいかどうかさえ
必要ありません。

私達はただ
自分の中心から溢れるその力を
そのまま
放てばよいだけなのですから。

・・・・・
自分自身を
評価判断する眼差しが
もし心の中を占めているなら、
それは
真本音の眼差しでは
ありません。

それは
愛の眼差しでは
ありません。

愛とは
評価判断するものではなく、
ただ
そこにあるものです。

もし
自分で自分をどうしても
評価判断してしまうときは、
もういっそのこと
とことんまで
評価判断をするための
時間を創ってください。

中途半端に
気持ちを開放するのではなく、
とことんまで
自分の気持ちを
出し切ってください。

もし
自分を責める気持ちが
あるのなら、
それを抑えずに
そのすべてを開放し、
見つめてみてください。

何があっても
見つめ続けてください。

それを最後まで
やり遂げることができたなら、
その瞬間に
わかるでしょう。

見つめている
その存在。
今のその自分こそが
真本音であると。

真本音とは
他の何物でも何者でも
ありません。
真本音とは
私達自身です。

・・・・・
真本音で生きる人は
人生をスムーズに
進めることができますが、
人生をスムーズに進めよう、
という意図で進む人は
残念ながらその時点で
真本音からズレています。

真本音で生きる人は
次の自分の一歩を、
今これから出そうとしている
自分自身の一歩を
ただただ
大切にしています。

常に
淀みのない一歩を
出し続けることに
意識を向けています。

力を入れているわけでは
ありません。
力を入れても
答えは観えません。

力を抜き、
ただただ
自分自身を
そして現実を
見つめています。

そうすれば
自然にわかるのです。
他には何も
必要ないのです。

私達はもう最初から
真本音です。
真本音が
本当の私達です。

ですから
シンプルに行きましょう。
素直に
次の一歩を
進みましょう。

意図や思惑や
判断や評価は
横に置き、
そのまま望むままに
歩いてみましょう。

つづく



この記事へのコメント
あなたへ

愛しています。

ずっとずっと

待っています。
Posted by at 2013年04月25日 20:59
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