こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2007年02月12日

ハーン

私達の主催している「SCCコーチング講座」というプロコーチ養成講座では、私は「ハーン」というニックネームで呼ばれています。
そのあたりの話からいきましょうか。
ハーンとは、僭越ながら「チンギス・ハーン」からとりました。
今、日経新聞で連載していますよね。
私は随分前からチンギス・ハーンに興味を持っていました。彼の生涯を書いた伝記などをいくつか読んで感銘を受けました。
詳しいことは書きませんが、私が捉えている彼の印象は、彼は「自由」を探究し続けた人ではないか、ということです。
ちょっと変わった捉え方かな。
彼はもともと「自由な社会」を求め、結果として独裁的な体制を創ったのではないか。
人々を自由にするために、自分が独裁者となったのではないか。
私にはそう思えます。
彼については賛否両論ありますが、私は彼から学ぶものはとてもたくさんあります。
まぁ、それについてはまたおいおい書かせていただくとして、ここで私が書きたいのは「自由とは何か?」というテーマです。
これ、私がコーチを始めさせていただいた時以来の大テーマです。

何かに束縛されているから人は「自由になりたい!」と思います。
でも、いざ束縛から自由になったとしても、さらに「自由」を求めます。
そしてすべての束縛が完全になくなったとしても、それでも恐らく「自由」は満たされないでしょう。
環境が自由になる。
状況が自由になる。
体が自由になる。
心が自由になる。
社会が自由になる。(自由主義という言葉もありますが。)
・・・さて、自由とは何でしょうか?

今、私が実感することと言えば、人は環境や状況がどれだけ自由になろうとも、心が自由でなければ、自由を感じることはできない、ということです。
では、心の自由とは?
人の心の中には一つの社会ができあがっています。
それはあたかも、外の社会と同じようなものです。
心の中にある社会では、いったい何が起きているのか?
自分の心であるにも関わらず、そのすべてを把握している人は、まず皆無に近いでしょう。
どうも、人間とはそのようにできているようです。
そして自分で把握していないところで、私達の心は私達自身を不自由にしているようです。

では、心の中の社会をコントロールし、不自由さを解消し、本当の自由を手に入れるには?
そんなテーマを何年も持ち続けました。
でも、同時にこんなテーマも付随してきたのです。
そもそも本当の自由を手に入れるのは、人間として適切なことなのだろうか?
人間とは、わざわざ不自由になるために存在しているものではないか?
いや、不自由であるからこそ、人間の尊厳と意味と意義があるのではないか?
・・・で、実はこちらこそが、本当の本テーマではないのか?

なんか重くなってきた。
私が文章を書くと、すぐにこうなるからなぁ。
今日はこの辺でやめときます。
上記のテーマで考えたことや気づいたことはたくさんあるのですが、それはまたおいおい書かせていただきます。


posted by はーん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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