こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2013年06月05日

8次元の愛 261 〜祈りだけは残ります

人は
祈る生き物です。

例えば、
サッカーなどスポーツの試合では
ここ一番の場面で
みんなが祈るポーズを
します。

自分自身の人生を決める
大事な場面でも
やはり私達は
祈る気持ちになります。

人類は太古から
大自然に対して
祈りを続けてきました。

祈りとは
私達人間の
本能の為せる業の
一つです。

私達の中には必ず
何らかの祈りが
存在しています。

それは
今の状況だからこそ
生じるものもありますが、
生まれたときから
延々と
持ち続けている
祈りもあります。

それを
見つけてみましょう。

それは
真本音の祈りです。

・・・・・
私達には
自分という枠を超えた
祈りを
必死に捧げるときが
あります。

自分だけのことではなく
もっと大きなもの
のために祈るとき、
そこに私達の
純粋性が
喚起されます。

自身の純粋を
感じ取ることで
私達は
喜びを得ます。

それは
自己満足的なものとは
少し違います。

その喜びは
もっと深くて
根源的なところから
生じています。

祈りとは
その喜びを
最も簡単に得られる
行為です。

そして
自分を超える祈りを
私達は誰もが
初めから持っており、
そこに触れることで、
たったそれだけのことで
人生が大きく変わる人も
多いです。

自分の中の祈りを
見つけようとする
視線が
これからの私達には
特に必要です。

・・・・・
祈りの力は
凄いです。

それは
自分以外の人に
あっという間に
伝播します。

ただしその祈りとは
自ら意図的に
つくり出すものではなく、
自分の中に
初めから存在している
真本音の祈りの
場合のみです。

その祈りと
今ここにいる自分自身を
紡いだとき、
すべての現実が
変わり始めます。

・・・・・
ある意味、
真本音とは
祈りの塊である
とも言えます。

自分の中の祈りを
見つける
ということは、
自らの真本音を
見つけることと
イコールとも
言えます。

自分はもともと
何を祈り続けて
いたのか?
そんな視線を
自分自身に向けると
よいですね。

そしてもし
自分の祈りを
見つけることができたなら、
その祈りに込められたパワーを
開放してください。

それはそれは
凄いパワーです。

それは
自身を満たします。

恐らく、
そのパワーのあまりの大きさに
びっくりする人も
多いでしょう。

そう。
祈りとは
パワーの源泉でも
あります。

反応本音の時代から
真本音の時代への
転換点。
そこにいる私達が
本来の自分自身を
思い出すための
最も早道となる方法は
自身の祈りを
思い出すことかも
知れません。

・・・・・
祈りとは
実在です。

何を手放しても
何を崩しても
何を失くしても
最後に
祈りだけは
残るのです。

それこそが
私達自身です。

本当の
私達です。

つづく



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