こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2007年06月06日

苦しい!でも気づけた!

今の意味とは何だろう。
改めてその問いを痛感します。
コーチングにおいて、私達コーチが最も大切にしていることは「今この瞬間」に自分自身がどうあるか、ということです。
過去でも未来でもなく、「今」です。
「今」の状態が「本来の自分」であれば、そこから最善の一歩を創ることができます。
最善の「未来」を描くことができます。
最善の「過去の捉え方」をすることができます。
過去も未来も「今」にはなく、「今」にあるのはただ「自分」という「存在」です。

自分が「自分」であること。
これが私達人間にとって最も大切なこと。
「自分」を忘れてしまうことによって、私達は自分自身を自分の手で苦しめ始めます。

人生の苦しみの多くは、自分が自分自身の首を絞めることによって成り立っていることに、この仕事を通じて私は初めて知りました。
なぜなら私は「人生は苦しいものである」「苦しみこそが人生だ」という強烈な信念を深層心理に持っていたからです。
苦しみの多くは「外から与えられるもの」であり、人生とは「外から様々な苦しみが降りかかってくるもの」であると私は思い込んでいたのです。
実際に人生において、多くの苦しみを私は感じ続けていました。
でもそれは結局は「自己満足」だったのです。

自分で自分の首を絞め、「苦しい苦しい。人生は苦しい」とやっていたのです。
これは私だけでなく、ほとんどすべての人がそうです。
もしこの文章を読んで「いや、私の場合は違う。私は不可抗力の苦しみを外から与えられているんだ」と思う方がいましたら、そういう方ほど残念ながら「自己満足」で自分自身を苦しめています。
悲しいことですけどね。

こんなことをブログで書くのはどうかと思うのですが、ここのところよく私は研修の最中に崩れます。
受講されている方々のほとんどは、恐らくそれに気づいていないとは思います。
(敏感な方は気づいているかも知れませんが。)
昨日も研修の終盤で大いに崩れ、受講生の皆さんがお帰りになった後は立ち上がることができない状態になりました。
自分に何が起こっているのか自分でもわからない状態。
それがここ最近続いていました。

昨日はそれが特に激しく、でも表面には出していませんので、幸い研修のレポート用紙を見ますと、受講生さん達は満足してお帰りいただいたようです。
でもさすがに加藤だけは見抜いていました。
私のピンチを感じ取ったのでしょう。緊急コーチングをしてくれました。
そう言えば、何年か前の私はいつもこうやって見えないところで加藤にフォローしてもらっていました。
いつも私は苦しんでいたからです。

「苦しみは自分で創り出しているものである」ということに気づき、苦しみの中から抜け出ることのできた何年か前の私は、私自身の「願いのもと」を見つけることができました。
そして特にコーチングや研修を行なっているときには、「願いのもと」状態となって人と向き合うことにより、「自ら苦しみの中に入る」という自分のパターンから抜け出ることができました。
ところが、最近の私の研修中の崩れは「願いのもと状態からずれる」ということが原因だということがわかりました。
で、その「ずれる」ことに対して、私自身がそれを決して許さず、私自身が私自身を渾身の力で責め続けていたわけです。
例えて言うならば、サイヤ人がスーパーサイヤ人になって闘っていたのに、闘いの最中にもとのサイヤ人にもどってしまい、自分自身がそれを許してない状態です。
「もとのサイヤ人では闘えないではないか!」というわけです。

ここまで私が話したとき、加藤がこう言いました。
「ハーンはサイヤ人がもとの自分で、スーパーサイヤ人が創られた自分だと思っているんじゃない?」
この一言で、私のすべてが氷解しました。
スーッとすべてが楽になり、何が自分を苦しめていたのかを知りました。

そうでした。
私は、というよりも私達人間はもともとがスーパーサイヤ人だったのです。
つまり、「願いのもと」状態が私達の本来の姿だったのです。
「願いのもと状態になる」ということは、「本来の自分にもどる」ということでした。
そんなことはわかっていたはずなのに、私は「苦しんでいる自分=以前の自分」がもともとの自分である、と思い込んでいたのです。

それが観えた瞬間、ここ最近の私がどんな瞬間に崩れるのか、なぜ崩れるのかをすべて理解することができました。
そしてここ最近の苦しみが、私自身に何を訴えていたのか、私が何に気づかなければならなかったのかを知ることができました。
それは頭ではわかっていたのに、体ではわかっていなかったのでした。
私は「願いのもと」だったのです。
人間は「願いのもと」だったのです。
それが本来の自分。
私達がサポートしているのは、「本来の自分にもどる」こと。
「特別な自分を創る」ことではなかったのです。
何度も言います。
頭ではわかっていました。でも体ではわかっていませんでした。

それにしても自分自身で行なっているとは言え、いつも私が苦しみ、それを観て「天然の」加藤が何気ない一言を言い、それを受けて大きな気づきを得る。・・・いつもそのパターンです。
たまには逆の役割にならんかいな。
でも、SCCのノウハウはこうして創り上げられてきました。
「楽天的な天才と、苦しみの努力家のコラボレーション」(苦笑)。
それがSCCです。
今回の私の体験も、何らかの形で今後の講座その他のカリキュラムに反映されるのでしょう。


posted by はーん at 06:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たぶん、すみちゃんは「反対だ!ハーンが天然!」って言うような気が・・・・。
Posted by まつ at 2007年06月06日 18:44
だから「天然」じゃなくて「天才」だっちゅーの。
Posted by ハーン at 2007年06月07日 21:44
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