こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2013年11月21日

8次元の愛 285 〜その心は誰のもの?

心は伝染します。

つまり、
反応本音は伝染します。

何かにイライラしている人と
一緒にいると
こちらもイライラし始めます。

悲しんでいる人と
一緒にいると
こちらも悲しくなります。

心にはクセもあります。
ある一つのクセを
ずっと続けている人と
一緒にいると、
そのクセまでもが
伝染します。

文句を言うのを
クセにしている人と
一緒にいると、
こちらの心の中にも
文句が生まれます。

私達は日々、
多くの人達と関わりながら
生きていますが、
その中で
心と心を伝染し合って
います。

つまり、
今、自分の中に発生している
この心は
本当の自分の心とは
限らないのです。

誰かの悩む心を
受け取り、
自分も悩み続けている人は
実はとても多いです。
本当は
何も悩む必要などないのに
「悩み」が伝染することで
悩みから抜け出せなくなる人が
多いのです。

今、自分の中にある
この心は
いったい誰の心だろう?

誰の
反応本音だろう?

本当にこれは
自分の心だろうか?

そんな視点で
自身を見つめると逆に
自分の本当の心が
わかるかも知れません。

いついかなるときも
どんな状況でも
必ず自分の中に在り続け、
力を入れなくても
そこに永遠に存在している心。

それが
真本音です。

自分の本当の心であり、
自分の魂の声です。

つづく


2013年11月19日

8次元の愛 284 〜その人と私の本当の関係

表面上の未熟さに
捕らわれていると、
その人との本当の関係が
観えなくなってしまいます。

例えば、親と子。
もしくは、先輩と後輩。
一見すると
親が子に教えていたり、
先輩が後輩を指導していますが、
本当はそこでは
どちらが学んでいるか?
本当はそこでは
何が起きているか?

その視点で
よ〜く物事を
観察してみましょう。

自分にとって
イライラする相手。
自分からみれば
ヤキモキする相手。

君はダメだなぁ。
すぐにそう言いたくなる相手。

そんな人を
目の前にしたときほど、
本当はそこで
何が起きているか?
を観察してみましょう。

この3次元の現実世界では
魂と心が
よく逆転します。

あえて「レベル」という
言葉を使えば、
魂レベルの高い人ほど
心のレベルを落とした状態で
現れることがあります。

私達は
相手の心や振る舞いなど、
表面に現れるもののみを
見てしまいます。
解釈してしまいます。

しかし
本当にそれが
すべてでしょうか?
本当に私達は
それだけの関係でしょうか?

魂レベルの高い人ほど
心レベルを落として現れ、
それにより
周りの人達の魂を
サポートする。
自分が助けているつもりに
なっていても、
実は反対だった。

そんな例が
無数にあります。

よ〜く
観察してみましょう。

私は今、
その人から
どんなサポートを
受けているでしょうか?

つづく

2013年11月15日

8次元の愛 283 〜もっと速くて大丈夫

走り過ぎないで!

と、
自分自身の真本音が
ストップをかけるまでは
加速しても
大丈夫です。

現時点でもまだ
ほとんどの人が
自分の経済速度よりも
遅いスピードで
進んでいます。

遅すぎて
苦しんでいます。

でも、
苦しいからさらに
スピードを
落としてしまう人が
ほとんどです。
だからますます
苦しくなります。

ゆっくりだからこそ
不安定になることも
多いのです。
自転車と同じです。
ゆっくり過ぎると
バランスを取るだけで
四苦八苦します。

もっともっと
スピードを
上げてしまいましょう。

大丈夫です。
上げ過ぎることは
ありません。
ちゃんと自分自身の
真本音が
ストップしてくれます。

真本音が困ってしまうくらいに
進んでしまうのも
一興です。

今ならそれが
できますよ。

つづく

2013年11月12日

8次元の愛 282 〜自分を壊す、とは

私達は今こそ
自分自身を壊す勇気を
持ちましょう。

これまで
「自分である」
と思っていた自分とは
単なる思い込みであり
幻想に過ぎない。
とまで思っていただいて
大丈夫です。

私はこうだから
こうしよう。
これまでこうだったから
こうしよう。
これが必勝パターンだから
こうしよう。
・・・これらの解釈こそが
今後の私達の
足かせになります。

私達は
もっと大きな存在です。

私達の個性とは
もっと深くて
広いのです。

私達の力とは
もっと無限で
果てしないものです。

私達の本来の
行動パターンとは
まだまだこれから
発見すべきものです。

反応本音の時代において
培ったすべての自分を
いったんここで
リセットしましょう。

それをあえて
「壊す」と
表現していますが、
壊そうとするくらいの
積極性がなければ、
今の私達は
壊れないのです。

・・・・・
反応本音の時代では
私達は、

「現象を見て、
 次の現象を決める」

というやり方を
続けてきました。

これをわかりやすく
言い換えれば、

「現実を見て、
 次の行動を決める」

ということになります。

しかし、物事とは

「実在が現象化する」

というのが
本質です。

実在とは、
心の中の確固たるもの
のことです。
ですから、
上記をわかりやすく
言い換えると、

「心の中の確固たるものが
 現実化する」

ということになります。

ところが、
反応本音の時代では
この本質が
歪んでいました。
つまり、
その通りにならなかった
のです。

具体的には、
「心の中の確固たるものが
 現実化しない」
ということもありました。
「心の中の確固たるもので
 ないものが現実化する」
ということもありました。

心の中で確固たるもの
とは
真本音のことを言います。
つまり本来は

「真本音で決めたことが
 そのまま現実化する」

はずだったのですが、

「真本音で決めたことが
 現実化しない」

とか

「真本音で決めたこと
 以外のこと、つまり
 反応本音で決めたことが
 現実化してしまう」

ということが
起きていました。

本来は
「実在が現象化する」
のにも関わらず、
それが上手く機能して
いなかったのです。

それが
反応本音の時代の
特徴でした。
そのため私達は
「実在を現象化する」
ということを諦めてしまい、

「現象のみを見て、
 実在を無視し、
 次の現象を無理にでも
 形創る」

ということを
し続けて来ました。

それが当たり前の
世の中となり、
その中で育った私達は
本来とは違う個性を
創り上げて来たのです。

しかし今、
時代は変わりました。

反応本音の時代は
去り、
真本音の時代に
入りました。

「実在が現象化
 するとは限らない」

という状態から

「実在は必ず
 現象化する」

という本来の状態に
今は急ピッチで
移行しています。

ですから私達は
反応本音の時代に
形創った私達自身の
パターンを
今こそ壊す必要が
あるのです。

本来の私達を
取り戻すのです。

・・・・・
そのためにまず
必要なことは、

「現象に
 振り回されない」

ことです。

言い換えれば、

「現実に
 振り回されない」

ということです。

現実のみを見て、
解釈をしながら
次の一歩を決めるのを
やめるのです。

現実はただ
観察するだけです。
逃避するのではなく、
解釈するのでもなく、
ただしっかりと
観察します。

そこで起きていることを
そのまま観るのです。

すると、
様々な反応本音が
心の中に発生するでしょう。
それらもただ
観察します。
何の操作もしません。

そして
心が静まるのを待ち、
心が自然体になったときに
自分の中心
つまりは真本音が
何を感じ、
どうしたいと思っているのか
を直観します。
つまりは
思考せずに、自然に
発想が浮かんでくるのを
待ちます。

そして、
迷いのない
「こうしよう」
という発想が浮かんだら、
何の操作もせずに
そのまま素直に
行動します。

その行動は
ひょっとすると
これまでの自分のパターンとは
まったく異なるかも
知れません。
しかしそんなときこそ
勇気を持って
素直に行動します。

それが
自分自身を
壊していくことに
つながります。

壊すことで初めて
私達は決して壊れないもの、
つまりは本来の自分自身を
取り戻すことが
できるのです。

今こそが
そのチャンスです。

一歩一歩の
勇気一つで、
私達は自身の道を
大きく開くことが
できます。

つづく

2013年11月01日

8次元の愛 281 〜3ヶ月、経ちました

真本音の時代に入ってから
3ヶ月が過ぎました。
ある意味、
激動の3ヶ月を
ご経験された人も
多いのではないでしょうか。

中には
真本音の時代に入ってからの方が
苦しい、
と思われている人も
いるでしょう。

真本音の時代は
ある一面から観れば
厳しい時代です。
なぜなら
自分の中に密かに
存在していた淀みや
不一致や
矛盾が
次々に浮上してきて
しまうからです。

これまで
自分自身に隠してきたことを
隠せなくなってきます。
誤魔化していたことを
誤魔化せなくなってきます。
向き合うのを避けてきたことを
避けられなくなってきます。

厳しいですね。

さらにそこから
逃げようとすればするほど、
その苦しみは
倍増どころか
10倍以上に一気に
膨れ上がります。

厳しいですね。

でもそれこそが
健康な状態なのです。
苦しいことを
苦しいと感じられる健康
です。
だからこそ私達は
本当の楽を
真剣に求めるように
なれるのです。

・・・・・
この3ヶ月間、私は
壊れてゆく人達を
何人も観ました。

壊れるのも
怖いことですし、
一見それは
耐えられないことのように
思えます。

しかしやはり
本当に壊れることができれば
その後は
本当に楽なのです。

壊れても
何も失うものは
ないからです。

壊れるからこそ
壊れないものに
気づけるからです。

壊れるものは
壊す。
すると、
どうやっても
壊れないものが
燦然と
現れるのです。

それこそが
本来の私達です。

・・・・・
進むべき道が
まだ何も観えない人も
いっぱいいます。

真本音の時代に
入ったからと言って、
そうそう簡単に
見つかるものでは
ありません。

しかし
これまで何度も
書かせていただいたように
「次の一歩」は
わかるはずです。

やっては
ならないこと。
やらなくては
ならないこと。
やりたいこと。

「次の一歩」に関しては
それらが
わかるはずです。

一歩がわかれば
一歩を進んでください。
たとえ、
その先に不安が
あったとしても。

今、大事なのは
進むことです。
わからなくとも
進むことです。

止まることこそ
最も避けるべき
です。

ゆっくりでも
よいですから、
とにかく
進むことです。

・・・・・
やりたいことが
溢れすぎている人も
いるでしょう。

やりたいことが
あり過ぎて
逆にパニックに
なってしまう。
力が
入り過ぎてしまう。

そんな時は
その溢れるものに
身を任せるよりも
静かな時間を
持ってみてください。

本当にやりたいことは
溢れるようには
来ません。

パワーは
溢れるように
湧きますが、
現実レベルでの物事は
溢れるようには
来ません。

すべてのパワーを
全力で向けるべき
物事は
たったの一つです。

その一つは何か?

それをきちんと
見極める自分で
あってください。

そのために
静かな時間を創り、
自分自身と
向き合ってください。

・・・・・
今日は
何をするか?

今日は
何をしては
ならないか?

一日一日を
大切にし、
することは
必ずして、
しないことは
絶対に
しないでください。

その素直さに
委ねることで
私達は
自分の道を
進んでいる自身の姿を
より実感できるように
なるのです。

つづく

2013年08月13日

8次元の愛 280 〜真の答えの見つけ方

何かに迷っているとき、
自分の中に
モヤモヤがあるとき、
何をどうすればよいか
わからないとき。

そのようなときに
どうすれば
真本音通りに動くことが
できるか?

その方法を
お伝えします。

・・・・・
まず第一歩として
大切なことは、

「自分の中にある問い」

を明確にするという
ことです。

迷いやモヤモヤが
あるときは必ず、
私達の心の中には
問いが浮上しています。

多くの人は
その問いを明確にしないまま
悩み続けています。
つまりは、
自分が今本当は
何に迷っているのか?を
きちんと把握できないまま
悩み続けています。

そして
それなりの答えを見つけ、
次の行動に移りますが、
当然それでは
本当に望む行動には
結びつきません。

その行動をとることで
さらにモヤモヤは増大し
すぐにまた立ち止まる
ことになります。

今、自分は
自分自身に何を問うて
いるのか?

今、自分は
どんな問いの答えを
見つけたいのか?

今、現実は
自分にどんな問いを
投げてきているのか?

それらの視点から
問いを
見つけましょう。

・・・・・
問いが見つかったら、
今度はその問いの答えを
見つけます。
多くの場合は
答えは複数個あるはず
です。

複数個あるからこそ
迷ったりモヤモヤしたり
するわけです。

その問いに対して
自分の中には
いくつの答えがあり、
それぞれの答えは
どのようなものか?

それを明確に
します。

できれば、
すべてを書き出して
みるとよいでしょう。

・・・・・
例えば、
一つの問いに対して
3つの答え(選択肢)
があったとします。

それらを
Aという選択肢
Bという選択肢
Cという選択肢
であるとします。

その3つのどれを
選択するか?
で迷っているわけです。

そのうちの一つを
選ぶのが
次のステップです。
それがわかれば
行動に移せます。

では、
どのように選べば
よいか?です。

まず大切なのは
自分自身に次のように
問うことです。

「今、どの選択をすればよいか、
答えがわかるだろうか?」
と。

そう自分に問うたとき、
「今はまだ答えは出ない」
と自然に思えるときは
答えを出すのを
先延ばしにします。

そういうときに答えを
無理に出そうとしても、
反応本音レベルの
答えしか出ません。

今、答えが出るかどうかを
自分に問い、
「あぁ、今なら答えは出るな」
と自然に思えたときに
すかさず、
答えを見つけましょう。

・・・・・
答えの見つけ方は
以下の通りです。

まずは3つの選択肢を
もう一度、見つめます。

そして
次のように自分に問います。

「これ以外の選択肢は
 ないだろうか?
 本当に、これだけの
 選択肢でよいだろうか?」

この問いによって
さらに他の選択肢が
思いつく場合は、
それらをプラスします。
思いつかない場合は、
3つのままです。

ここでは3つのまま
だったとします。

次にするのは
簡単です。

それぞれの選択肢を
断定的な口調で
呟いてください。

まるで
それが自分の答えで
あるかのように、
呟くのです。
つまり、
「Aをする。」
「Bをする。」
「Cをする。」
というようにです。

もし可能であれば
鏡を前にして
自分の目に向かいながら
行なうとよいでしょう。

一つ一つ
その選択肢で行くと
決心したつもりになって
断定するのが
ポイントです。

A、B、Cと
一つずつ丁寧に
順番に行なえば、
すぐにわかるはずです。
どの選択を
自分が本当は
望んでいるか?を。

望んでいない選択肢は
断定的に呟いた瞬間に
心にモヤモヤが発生したり、
場合によっては
口に出すこと自体に
ストップがかかります。

自分が本当に望んでいる選択肢は
スッキリ、楽に
呟くことができます。

その違いを
感覚として
感じ取ってください。

そして、
スッキリ呟くことの
できた選択肢を
選択します。

その通りに
動いてみてください。

それが
真本音の選択です。

・・・・・
この方法は
真本音の時代に
入ったからこそ
有効に機能する
方法です。

反応本音の時代では
この方法でも
なかなか真の答えには
行き着かなかったでしょう。

でも今なら
できます。

もし、
どの選択肢もスッキリしない
ということでしたら、
恐らく、最初の問い
そのものが
ずれているということに
なります。

大切なのは
問いを見つけること。
逆に言えば、
自分の中の真の問いを
見つけることができれば、
答えは自ずから
見つかります。

なぜなら
答えは、私達の真本音が
最もよくわかっているから。
わかっている答えを
見つけるだけのこと。

それがとても
たやすくなるのが
真本音の時代の
特長です。

つづく

8次元の愛 279 〜今、大切な視点

私達の目指すものは
今は
果てしない彼方にあるように
思えます。

それは
ここからはあまりに遠く、
そこに行き着くまでには
無限の時間がかかるような
気がします。

しかしそう思うのは、
私達の心にまだ
反応本音の時代のパターンが
残っているからです。

反応本音の時代のままの
眼差しでみれば
果てしなく遠いものでも、
真本音の時代の眼差し
つまりは
私達の本来の眼差しを
取り戻せば、
それはとても
たやすいものとなります。

その感覚を
一人でも多くの人達が
思い出す
というのが
ここしばらくの
私達共通のテーマ
でしょう。

・・・・・
すべての物事の
「もと」
に当たるものが、
これからは
ありありと観えてきます。

一つの現象が
何に基づいて
起きているのか?
それを感知することが
たやすくなります。
その「もと」が発するものを
直に
感じるようになります。

それは単純に
「何となく気持ちいいな」
とか
「何となく気持ち悪いな」
という
快・不快の感覚で
顕在化されます。

どれだけ表面的に
美しくても
「もと」が気持ち悪ければ、
私達は
「気持ち悪いな」
と感じます。

表面よりも
「もと」に敏感になる、
という傾向が
だんだんと
強まります。

すべての物事(現象)は
人が生み出すもの。
その
生み出している人が
どのような「もと」に
基づいて
生み出したか?

それがすべてを
決めていきます。

真本音の時代の
特長の一つです。

・・・・・
今、自分は
何をすべきか?
何を
したいと思っているか?

急いですべきことと
後回しにした方がよいこと。
その違いも
明確にわかってきます。

とても重要なことでも
今すべきではないことを
今しようとすると
気持ち悪さが起こります。

気持ちが
乗らなくなります。

それは実に
健康的なこと。
今はそれはすべきでない
という合図です。

今は
もっと他にすべきこと
したいことがある
という合図です。

今、
スッと動けること。
今、
自然に「やろう」と
思えること。
そこにこそ
力を注ぎましょう。

それが
真本音の時代における
生き方(行き方)の
基本です。

・・・・・
余分なことも
明確になってきます。

余分なことは
もうやめればよいのです。

余分な行動。
余分な一言。
余分な気遣い。
余分な思惑。・・・

余分なことも
気持ち悪さを
喚起します。

ほんの些細な言動でも
余分なことをやめれば、
途端に
心がスッキリします。

ちょっとした
行動の変化ですが、
生まれ変われた気持ちが
します。

余分を取り去り、
シンプルな
一挙手一投足を。

それも
真本音の時代を
気持ちよく進むための
大切な要素です。

・・・・・
すべての現象には
意味があります。

それは
その「もと」である
実在を
感じ取ることで
わかります。

一つの現象を通して
その「もと」である
実在を
感じ取りやすくなるのが
真本音の時代です。

現象の一つ一つに
振り回される必要は
もはやありません。

実在と現象の
コラボが
この世の中です。
そのコラボを
楽しめばよいのです。

楽しもうと思っても
なかなか楽しめなかったのが
反応本音の時代。
真本音の時代とは
それを簡単に楽しめる
時代です。

この8月1日から
もう時代は
変わったのです。

つづく

2013年08月05日

8次元の愛 278 〜真本音の響く時代へ

人の根底にあるものは
自分自身の理解が
追いつかないほどの
強さと深さをもつ
自分自身の想いです。
そして、
祈りです。

それらと対峙する
勇気を持つ人が
見つけるものは
測り知れなく、
それはその人自身の
人生に
無限の「響き」を
与えます。

その人は
いつもその「響き」を
感じながら、
生き続けることに
なります。

「響き」は
様々な音色を
奏でます。

ある時は
安定の極みを思わす
調和を。

またある時は
不調和の極みを思わす
調和を。

「響き」は
理屈を超えて
その人を促し、
その人に次の勇気を与え、
その人の幸せを
深めます。

真本音の響き。

本当はそれは
常に私達の中に
流れ続けているのですが、
そこに気づくには
私達自身の根底の想い
と対峙する必要が
あるのです。

・・・・・
時代は見事に
変わりました。

これほど見事であるとは
思いもよりませんでした。

これほど完璧に変わるとは
思いもよりませんでした。

自然の摂理とは
やはり偉大です。

その摂理に則ることで
私達人間も
偉大な存在に
なれるでしょう。

摂理の中の
人間。

それは
摂理に支配されている
ということでは
ありません。

摂理の中の
私達であることを
受け入れ
進むことで、
摂理そのものが
進化するのです。

そのための存在が
私達人間です。

8月1日をもって
摂理は
大きく進化を遂げました。

見事!

そう言う他は
ありません。

・・・・・
この世には
二つの「存在」が
あります。

一つは
「命」。

もう一つは
「滅」。

「命」とは
永遠に歩み続けるもの。
コツコツと
途絶えることなく
歩みながらも
大いなる結晶を
創造し続けるものです。

それはまるで
美しい鍾乳洞を創り上げる
一滴一滴の水の滴り
のようです。

「滅」とは
そんな「命」を
滅しよう
とするものです。

この世には
その二つの「存在」が
交錯し合い、
混ざり合い、
影響し合いながら
成り立っています。

反応本音の時代とは
「命」よりも
「滅」の方が
多い時代でした。
正確に言えば、
「滅」が増え続ける
時代でした。

しかし
8月1日午前零時。
この世に
大量の「命」が
降り注ぎました。

今、
この世は「命」に
溢れています。

もちろんそれは
実在レベルでの
話です。

しかしそれは
あまりに圧倒的です。
恐らく、
すぐに現象レベルにも
その影響は
現れ始めるでしょう。

・・・・・
この世における
「存在」二つ。

何が「命」で、
何が「滅」か?

そういった視点で
すべての「存在」を
見つめてみましょう。

自分の心の中の
「存在」も、
自分の心の外の
「存在」も。

「滅」を活かす選択を
する者は、
自らを滅します。

「命」を活かす選択を
する者は、
自らの命を輝かせます。
そしてその輝きは
他者の命に伝播します。

今後はそれが
あまりにも顕著に
現象化するでしょう。

それが
真本音の時代です。

・・・・・
まずは
これからの最初の一年が
重要です。

まだまだ
反応本音の時代の
残像が
残り続けています。

残像を
残像である
と気づく者が
道を創らねば
なりません。

本来の道を
示さねば
なりません。

真本音の時代が
本来の真本音の時代と
なるように、
私達はこれからも
自らの真本音の「響き」に
素直に進みましょう。

つづく

2013年07月31日

8次元の愛 277 〜ありがとう

私達すべての人には
現象の私と
実在の私が
あります。

すべての実在の皆様に
お伝えします。

たった今、
すべてすべきことが
完了しました。

ようやく私達は
真本音の時代に
入ります。

すべての実在の皆様に
感謝申し上げます。

新たな時代を
共に楽しみましょう。

つづく

2013年07月13日

8次元の愛 276 〜心のクセの超え方

以前の私は
真本音の度合いさえ
高まれば、
誰もが真本音の道を
見つけ、
歩いて行けるものだと
思っていました。

しかし、
そうではないことが
わかりました。

なぜなら、
せっかく真本音度合いが
高まっても、
その気持ちよさの中で
逆に真剣度合いを下げ、
本人の気づかないところで
いつの間にか
現実逃避の道を
進んでいた、
というケースが
かなり増えたからです。

もちろんそれはもう
真本音の道とは
言えません。

しかし本人は
真本音の道を歩んでいると
思い込んでいます。
そして、
気持ちがよいと
思い込んでいます。
思い込みながらも、
自身の知らないところで
ストレスを
溜め続けています。

なぜ
そうなってしまうのか?

ずっと疑問でしたが、
現時点で一つ
わかっている答えが
あります。

それは、
心のクセ
です。

真本音度合いが
高まってもなお、
その人の中に
残り続ける心のクセ。

最後まで
残り続ける
心のクセ。

最後まで残るが故に
それはかなり
強力です。

強力であるが故に
その人は
そのクセに
呑み込まれてしまいます。

そういったクセは
誰もが持っており、
そこを超えることが
真本音の道を進むための
必須ステップなのだと
ある時に明確に
わかりました。

真本音度合いが
高まれば、
心の中はスッキリ
します。
スッキリしてもなお
そこに在り続けるクセ。

それを自ら見つけ、
それを自ら見つめ、
そのクセを完全に
手放すことが
大切です。

逆に言えば、
そのクセを手放すことこそが
自分の枠を超えることですし、
本来の自分を取り戻す
鍵となります。

・・・・・
心のクセの
見つけ方を
以下に申し上げます。

心のクセとは
実は多くの場合、
本人にとって
気持ちのよいもの
です。

もちろんそれは
本当の気持ちよさでは
ありません。
あくまでも
反応本音レベルの
気持ちよさです。

そしてそのクセは
主に、
自己防衛のために
発揮されます。
それをすることで、
自らを守ったり、
つらい部分に目を瞑ったり、
つらい現実を
観なくてよい状態に
なれます。

何かを
誤魔化すために
発揮されるものです。

そのため表面上は
(反応本音レベルでは)
気持ちよさがあります。

その、
心の表面のみの気持ちよさと
心の奥での
本当の気持ちよさの
区別はつきますか?

心の表面のみの気持ちよさは
その人を
イケイケどんどんに
させます。
心に勢いが出ます。
行けるんじゃないか!と
自信が湧き上がります。

しかし
真本音レベルの
本当の気持ちよさとは
心が静かに
なるものです。
スーッと肩の力が抜け、
頭が冴え、
すべてをありありと
観察することができ、
力を漲らせる必要が
まったくありません。
心の奥底が
満たされている感じ
です。
満たされているからこそ
あえてパワーを出そうと
しなくても
まったく大丈夫です。

表面上の気持ちよさとは、
それが長く続くと
疲れます。
しかし、
本当の気持ちよさとは
それが永遠に続いても
大丈夫どころか、
それが普通の状態と
なります。

表面上の気持ちよさに
つながるために
何となく無意識に
取ってしまう自分の行動や
思考のパターン。
それが、
心のクセです。

それを
見つけてみましょう。

・・・・・
心のクセが
見つかったら、
それが出ようとした
その瞬間に、
それを自ら
止めてください。

これまでは
気持ちがよいですから
その方向に進んでいたと
思います。
しかし、
その心の動きと行動を
すべてストップします。

そして
いったん止めてから
真本音を
思い出します。

自分が本当は
何を願っているのか?
何を本当に
大切にしているのか?
自分の本当の
テーマは何か?

真本音の想いを
思い出し、
それをしっかりと
心の中心に据えます。

そうして
心をニュートラルに戻し、
その状態で改めて
今から自分はどうしようか?
を考えましょう。

そして、
ニュートラルな心のままで
自然に
こうしよう!
と思えることを
行動に移しましょう。

以上を丁寧に
行ない続けます。
その地道な努力が
自分自身の
心のクセを超える
最大の方法です。

・・・・・
心のクセを
超えることができるのは、
その人本人の努力
だけです。

これは
他者からのサポートが
非常に難しい領域です。

もし
この領域における
他者へのサポートを
したいのであれば、
まずは自らが、
自らの心のクセを超える
という体験をすることが
必須です。

真本音度合いを
高め、
心のクセを
超える。

その先に、
真本音の道は
観えてきます。

つづく

2013年07月12日

8次元の愛 275 〜本気でやってみよう

やっぱり
この道で
よかったんだ。

真本音で選択した道の
先には
必ずその安堵感が
待っています。

その安堵感は
何度も
訪れます。

私達は
いつもそれを
感じつつ、
自分を振り返りつつ
道を進みます。

人にもよりますが、
真本音の道は
反応本音の時代の
視点から見れば、
とても困難な道、
不可能な道
だと思えるかも
知れません。

しかしそれは
自分自身が決めた道であり、
本当に望む道であり、
淀みのない道です。
そんな道だからこそ
得られる安堵感。

それは
人としての幸せの
一つです。

・・・・・
困難かどうか?

それは
やってみなければ
わかりません。

本気で
やってみなければ
わかりません。

私達人間は
本気を出さなければ
どの道も
困難に感じます。
そして
本気になることで初めて、
その道が本当に
困難かどうかが
わかります。

真本音の道とは
困難な道
ではありません。
本気になれば
たやすく開く道です。

ひょっとすると
側から見れば
困難なことをしているなぁ、
と思われることも
あるかも知れませんが、
やっている本人は
困難だとは
ちっとも思っていません。

いえ、
そこにはもう、
困難とか困難でないとか、
そんな視点すら
ありません。
ただただ、
パワーが湧いて
しまうのです。
そこに向かうことに
集中して
しまうのです。

それが
真本音の道の
特長です。

・・・・・
真本音の道では
次から次へと
課題が
持ち上がります。

一つ乗り越えても、
すぐに
次の課題が来ます。

それが
面白くて
たまりません。

課題と向き合うだけで
力が湧きます。

課題を越えるたびに
進化を感じます。

それが
面白くて
たまりません。

もちろん
つらいことも
あるでしょう。

こんな課題を
本当に
乗り越えることが
できるのか?と
茫然となることも
あるでしょう。

しかしそれにより、
私達の中から湧く
エネルギーが途切れることは
ありません。

気がつくと
課題に真剣に取り組み
いつの間にか
それを楽しんでいる
自分を発見するでしょう。

・・・・・
反応本音の時代とは、
自らの真本音の道を
見つけるまでの
紆余曲折を続ける
時代であった、
と言うこともできます。

私達は
真本音の道を
見つける前段階を
生きていました。

そして
ほんの一握りの人のみが
自らの真本音の道を
見つけることが
できました。

真本音の道を
見つけられるのは
特別なこと
でした。

それが
これまでの時代です。

でも
その時代は
もうすぐ
終わろうと
しています。

これからは
誰もが
真本音の道を
見つけることが
容易になります。

その道に
入ってから
どう生きるか?
がテーマとなる
時代です。

言葉を変えれば、
これまでは
スタートラインに
向かう時代。
スタートラインに
たどり着こうと
がんばった時代。

これからは、
誰もが
スタートラインに
立つことができ、
実際に
スタートを切ることが
できる時代です。

ただし、
本気になる人のみ
です。

でも逆に言えば、
本気になりさえすれば
誰でも
行けるのです。

・・・・・
誰にでも
道はあります。

早く
見つけましょう。
自分の道を。

そして
その道を進むことが
自分の周りの人達が
自分の道を見つける
最大のサポートとも
なります。

だから、
早く見つけましょう。
自分の道を。

そのためには
これかな?と思ったことは
まずは
やってみましょう。
本気で。

動いてみましょう。
本気で。

本気になれば
必ずヒントは
得られます。

これまでの
100倍
楽に
道は見つかります。

もう
そんな時代に
私達は
いるのです。

つづく

2013年07月09日

8次元の愛 274 〜共通の山がある

目の前に
越えるべき山が
観えたとき、
もうその時点で
それはすでに
越えている
と思っていただいて
結構です。

実在レベルでは
すでに
越えているのです。

越えたからこそ
現象レベルで
その山が
来ます。

ですから
私達の人生における
あらゆる現実を
私達は
必ず
越えることが
できるのです。

それが
真実であり
真理です。

その真理を
わかっている者は
山の向こう側にある
存在にも
気づくことが
できます。

その存在を知ればもう
その山は
山ではないでしょう。

それは
人生をより楽しくする
風となります。

・・・・・
私達が
生まれたわけは
風を吹かせる
ためです。

人とは
風を起こす者。

そしてその
風に当たる者。

お互いの風と風の
相乗効果を
生み出す者です。

世の中に
気持ちの良い風を
吹かすことが
できるかどうか?
そのすべては
人に
懸かっています。

私達一人ひとりに
懸かっています。

目の前の山を
越えられない山だと
思い込み、
そこで止まったり
逃げたりすることで、
風は停滞します。

空気は
淀みます。

空気が淀むことで
ますます
山に向かうパワーが
減退します。

山を越える道のりは
自分自身の真本音が
よくわかっています。

私達がするのは
真本音に素直に
動くことだけです。

・・・・・
気持ち良いか
気持ち悪いか。

今、自分は
本当は
どちらを
感じているのか。

気持ちの良い
方向に
進みましょう。

それが
真本音の道です。

気持ちが良いと
感じている
自分自身を
信じてあげましょう。

それが
真本音を信じる
ということです。

気持ち良いことは
する。
気持ち悪いことは
しない。

気持ち良い方に
進む。
気持ち悪い方には
進まない。

気持ち良い選択を
する。
気持ち悪い選択は
しない。

言うなれば、
たったそれだけの
ことです。

目の前に
大きな山が
迫ったときほど、
そこに素直に
なりましょう。

・・・・・
自分自身が
本当に気持ち良い
と思えている道は
他の人にとっても
気持ちの良い道に
なります。

人は
独りよがりに生きる
ことに
気持ち悪さを感じる
生き物です。

自己満足の道に
気持ち悪さを感じる
生き物です。

かと言って
自己犠牲にも
気持ち悪さを
感じます。

自己満足でも
自己犠牲でも
なく
すべての調和を
重んじます。

たとえ一時的には
波乱や波風が
起きたとしても、
調和への道には
私達は
本質的な気持ち良さを
感じます。

自分自身のその感性を
信じてあげましょう。

・・・・・
山は
次々と
現れます。

仕方ないですね。
それが人生です。

それを望んで
自ら私達は
ここに
生まれてきました。

風を吹かすために
ここに来ました。

今、
私達に
求められていることは、
共に越えようとしている
共通の山の存在に
気づくことです。

そこに気づけば、
共に
強い風を
吹かすことができます。

その風は
強いですが、
とても居心地の良いものと
なるでしょう。

これまでの私達は
本当の意味で
力を合わせることを
したことが
ありませんでした。

しかしこれから私達は
一つの山に向かい
力を合わせます。

これまで
敵だと思っていた人達とも
力を合わせるときが
来るでしょう。

それが
真本音の時代。

共に風を吹かす
時代です。

つづく

2013年07月04日

8次元の愛 273 〜人としての私の決意

やらなくてはならないこと

やってはならないこと。
その二つが
今ここには
必ずあります。

やらなくてはならないこと
から目を反らし、
やってはならないこと
に向かってしまうことを
現実逃避
と言います。

やってはならないこと
をやることで、
その人は
「一つ行動した」
「一つやった」
という自己満足を
得ます。

そしてその行動に
大義名分を
つけます。
それをやる
理由づけです。

理由づけが
素晴らしければ
素晴らしいほど
周りを納得させることが
できます。
周りの人達は
それを見て、
素晴らしいですね
と称賛します。

称賛されたその本人は
満足を得、
ますます
やってはならないことに
邁進します。

どうすれば
やらなければならないこと
から目を反らしつつ、
自己満足的な方向に
周りの称賛を得ながら
進むことができるか?
その術に
どんどん長けてきます。

以上が、
真剣度合いがゼロの人
の共通パターンです。
真剣度合いゼロの人は
やらなければならないこと
から逃げることに
真剣です。

真剣であるが故に
その真剣さだけを見て
素晴らしいものだと
勘違いしやすいのですが、
それはあくまでも
現実逃避の極み
です。

そしてその事実を
一番知っているのは
本人です。

その人自身の
真本音です。

・・・・・
真剣度合いゼロの人は
次の二つのいずれかの
人生を歩みます。

「怠慢」な人生。

「傲慢」な人生。

いずれも、
その怠慢さと傲慢さを
隠すのに
長けています。
なぜなら
本人ですら
その怠慢さと傲慢さに
気づいていないのですから。

真本音の時代の
直前。
私達は自分自身の枠を破り、
これまで自らが
限界であると思い込んでいた
狭い領域から
抜け出ようとしています。

しかしなぜか、
その一歩手前まで来ると
多くの人が
そこで立ち止まり、
方向を転換し、
怠慢か傲慢の道へと
進んでしまいます。

ここ半年。
随分とそういった人達を
みてきました。

昨日まで
一直線に進んでいたはずの人が
たった一日で
現実逃避の道に
入ってしまう。
そんな現象を
随分と
みてきました。

恐らく
枠を超える恐怖心が
そうさせるのだと
思います。

あと一歩を踏み出せば、
すべての努力が報われ、
すべてから開放されるのに、
そのあと一歩が
出ない。・・・

傲慢になった人に
傲慢ですよ
と伝えても、
まったく聴いてもらえません。

怠慢になった人に
怠慢ですよ
と伝えても
まったく動いてくれません。

人が人を変える
というのは
それこそが
傲慢でしょう。

その人を変えるのは
その人自身。
本人が自分の真本音に
素直になるしか
ありません。

それをただ祈って
見守るしかないとき
なぜか私は
悲しみと同時に
人の尊厳も
感じます。

その尊厳は
どこから来るのかは
わかりませんが、
何もできない歯痒さの中で
私は何とも言えない
人の尊さを
感じます。

・・・・・
人は
なんともならないのだなぁ。

とつくづく
思うこともあれば、

人は、
なんとかなるものだなぁ。

と実感することも
あります。

人には
限界があるなぁ。

と、
諦めに近い気持ちに
なるときもあれば、

人の可能性は
無限だなぁ。

と、
希望に胸膨らます
ときもあります。

なんともならないのに
なんとかなる。
有限のくせに
無限を発揮する。

その
わけのわからない
無限に不思議な
人という存在を
私はいつも
奇異と驚嘆の目で
観ている自分に
気づきました。

もちろん
私自身も
そんな「人」として
ここに存在しています。

それ以上の存在にも
それ以下の存在にも
なることは
できません。

その厳然たる事実と
真理の前で
こう呟くのです。

今、私が
やれることをしよう。

今、私が
やるべきことをしよう。

今、私が
やってはならないことは
やめよう。

やることは
100%やり、
やらないことは
100%
やらないでおこう。

ただそれだけ。

それが
人としての
私の決意です。

つづく

2013年07月02日

8次元の愛 272 〜真本音の時代の夢の描き方

私達は
夢を描きましょう。

しかし
これまでの描き方では
ありません。

反応本音レベルの夢を
描いている時間は
ありません。

真本音の想いを
願いを
現実化する「カタチ」が
本来の夢です。

「カタチ」の前には
「もと」があります。

夢の「もと」。

願いの「もと」
です。

・・・・・
すべては
その「もと」から
生まれます。

その「もと」を
見つけることができれば
あとは
湯水のように
発想が湧くでしょう。

しかし
「もと」を見つけるのは
容易ではありません。
しかも
人によっては
かなりの勇気が
必要です。

・・・・・
「もと」を見つけるために
私達にできるのは
「もと」の場所を
特定することです。

「もと」は
心の中にあります。

心の中のどこにあるかを
特定するのです。

手掛かりは
あります。

以下のやり方で
探してみてください。

・・・・・
まずは、
心の中の
最も気持ちの良い場所を
探します。

そこに意識を向けて
ください。

何度もそれをして
いつでもそこに
意識を向けられるように
なってください。

次に、
心の中の
最も気持ちの悪い場所を
探します。

多くの場合は、
自分が最も観たくない部分が
その場所です。

そこに意識を向けて
ください。

何度もそれをして
いつでもそこに
意識を向けられるように
なってください。

そこに入り込む必要は
ありません。
客観的に観れば
よいです。
ただ、意識を向ける
だけです。

そして、
心の中の最も気持ちの良い場所と
最も気持ちの悪い場所
両方に意識を向けます。

向け続けます。

両方を
愛してください。

どちらともが
大切な「私自身」であると
認めてください。

その事実を抵抗なく
受け止められるようになったら
二つを
統合します。

気持ちの良い部分と
気持ちの悪い部分を
一つに
合わせます。

あまり無理を
しないでください。
最初は反発し合うかも
知れません。

その場合は
時間を置きます。

もし統合できたら、
それをそのまま
観察し続けます。

順調に行けば、
それは「統合」から
「融合」に
移り変わるはずです。

つまりは、
二つが合わさった状態から
完全なる「一つ」に
なるはずです。

それは、
とても強い光を
放っているでしょう。

その「一つ」ができたら、
あとはその「一つ」を
自由にさせます。

その「一つ」は
勝手に動き、
今と同じようなやり方で
心の中のあらゆるものを
一つ一つ
「統合」そして「融合」
していくはずです。

その様を
何の意図もなく
ただ
観察します。

人によっては
すぐに終わるかも
知れませんし、
とても時間がかかるかも
知れません。

途中で疲れたら
その「一つ」に
訊いてください。

「もう意識を向けなくても
 よいですか?」
と。

「まだ向けていてください」
という答えが
返ってくるうちは
がんばって意識を
向け続けます。

そしてその「一つ」が
「もう意識を向けなくても
 大丈夫だよ」
と教えてくれたら、
そこで終わりです。

あとは何もせず
ただ
待ちます。

以上は、
心の中の掃除のような
ものです。

その「一つ」は
掃除機です。

あとは掃除機に
任せます。

心の中の掃除が
進めば、
ある瞬間に
自然にわかるはずです。

「もと」の場所。

それが
ありありと
わかります。

・・・・・
「もと」の場所が
わかれば、
そこに意識を
向けましょう。

そこには
何がありますか?

何が観えますか?

何を感じますか?

その「もと」を
言語化してみましょう。

その「もと」に
名前をつけてみましょう。

そして
その「もと」の
「祈り」を
探ってみましょう。

その「もと」は
必ず何かを祈って
います。

「祈り」とは
ゼロから生まれるエネルギー
です。

すべては
その「もと」から
始まっています。
そこが
パワーの源泉です。

そのパワーの源泉の
祈りを
知ることができれば、
あとは
自然にたくさんの願いが
湧き出てくるでしょう。

その願いを大切にしながら
どんどん夢を
描きましょう。

それが
真本音の時代において
自分自身を導いてくれる
人生の指針と
なるでしょう。

つづく

2013年07月01日

8次元の愛 271 〜私達がこれから生み出すものは・・・

人間が生み出すものを
人工物
と言いますが、
私達は
もとから存在するもの、
つまり、自然なものと
人工的なものを
区別し過ぎている
きらいがあります。

人間とは
自然ではないもの。
だから
人間の生み出すものは
自然ではないもの。

私達は無意識に
そんな捉え方を
していないでしょうか。

文明とは
自然から離れるもの?
自然を支配するもの?

自然を支配すればするほど、
それは文明として
高度なもの?

確かにこれまでの文明は
そういった傾向が
高かったかもしれません。

田舎に行けば、
遅れてるなぁ、と
私達は思い、
都会に行けば、
進んでいるなぁ、と
わけもなく
思っていました。

進む、とは何で、
遅れる、とは
何でしょうか?

文明の進化とは
私達の進化でしょうか?
それともそれは
私達の退化でしょうか?

・・・・・
一つの真実があります。

それは、
人も「自然の一部」である
ということです。

人とは
自然の中で
生まれました。

ですから
その観点からみれば、
人の生み出すあらゆるものも
自然の一部です。

ただし、
すべての自然には
原理原則が
あります。

それは、
何が進化し、
何が退化するか?
という原理原則です。

進化とは、
成長でありますが、
それは私達の捉えている
「拡大」とか「繁栄」とは
限らないものです。

なぜなら
この現象レベルでは
「量」や「大きさ」や「範囲」
というものがありますが、
実在レベルでは
それらはないからです。
いえ、
正確に言えば、
それらをすべて
超越しているからです。

「量」や「大きさ」や「範囲」に
こだわっているのは
私達の現象面だけです。

ですから
本当の進化とは
現象面だけでは
到底、測り知ることは
できません。

私達の解釈によって
「退化している」
と思っているものこそが
実は「進化している」
のかも知れませんし、
もちろん
逆もあるでしょう。

私達の文明は
進化しているのでしょうか?
退化しているのでしょうか?

・・・・・
人の生み出すものを
人工物、
それ以外を
自然な物
と分けるのではなく、
すべてを
自然から生み出されたもの
と捉えたとき、
大切なのは
それが
進化の原理原則に
則っているかどうか?
ということです。

さきほども書きましたが、
則っていれば、
それは進化し、
則っていなければ、
それは退化します。

退化の行く先は
「崩壊」と
「消滅」です。

どれだけ私達からみて
進化している
と思えていても、
進化の原理原則から外れた
「拡大」や「増長」は
退化への道です。

この大自然の中で
最も恐ろしいものの一つは
限界まで「拡大」することで
一気に「消滅」させようとする
退化への道です。

そしてそこには必ず、
「傲慢」
が存在しています。

これは
人の心のことのみを
言っているのでは
ありません。

この世の中にある
あらゆるものについて
言えることです。

傲慢な存在は
必ず
退化します。

・・・・・
さて、
私達人間は
今、
傲慢でしょうか?

私という
一個の人間は
今、
傲慢でしょうか?

面白いことに
傲慢な人ほど、
自分のことを
傲慢だとは
認識しません。

傲慢とは
退化の種。
それは誰もが
持っています。

そしてその傲慢を
しっかりと
見つめられる人こそが
進化と退化の分かれ目を
観ることができます。

これまでは残念ながら
傲慢さが
私達人類の歴史を
創って来ました。

だからたくさんの
崩壊や消滅が
起こりました。

そして今も
傲慢さは
人類の至るところに
存在しています。

それらを抱え込んだまま
私達はこれから
真本音の時代に
入ろうとしています。

本来は
傲慢さを手放してから
時代を変えるのが
順当でしょう。
しかしもう私達に
そのような時間は
ありませんでした。

私達はこのまま
行きます。

真本音の時代は
速い時代です。

傲慢さは
すぐに崩壊を
起こさせます。

愛は
すぐに道を
開きます。

人が生み出すものこそが
自然なものである。

100年後に
そう言われる時代を
私達は
築きたいものです。

つづく

2013年06月27日

8次元の愛 270 〜10倍パワーで颯爽と

私達のパワーは
10倍に増幅したと
考えてください。

実在レベルでは
実際にそのようなことが
起きました。

これまで
「精一杯だ」と
思っていたことが、
10分の1の力で
できるように
なりました。

残念ながら
その事実に気づかない人
もしくは
その事実を信じられない人は
自らの限界を
これまでと同じところに
自ら置き、
その範囲内で動きます。

しかし
自分自身と本当に
向き合える人は
私の申し上げていることが
わかるはずです。

私達のパワーは
10倍以上に
増幅しました。

実は、
これでもかなり控えめに
申し上げて
いるのです。笑

・・・・・
この一週間。
多くの人達が
「動揺」しました。

私達の心は
かなり不安定だったと
思います。

昔からの心のクセや
直したはずの
心のパターンが
再発生した人も
多かったのでは
ないでしょうか。

ご安心ください。
以前の自分に
もどってしまったわけでは
ありません。
この一週間は、
以前の自分を
思い出すことに
意味があったのです。

以前、自分は
どれほど苦しんでいたか?
どれほど
真本音とかけ離れたことを
していたか?
どれほど
自分自身を不甲斐なく
思っていたか?

それらを
顕在化するために
必要な時期でした。

その時期を終え、
私達の心は再び
「安定」に入ります。
その「安定」は
根底の部分については
これから永遠に
続きます。

ですから
ご安心ください。

これからが
本番です。

・・・・・
私達は、
根底の「安定」を
手に入れることが
できました。

だからこそ、
表面はどれだけ不安定でも
大丈夫です。

これまでは
落ち始めれば
どこまで落ちるかわからない
という不安を
私達はどこかに
抱えていました。
しかしこれからは
その不安とは
おさらばです。

思いっきり
不安定になっても
大丈夫です。

つまり言葉を変えれば、
ようやくこれからは
私達の反応本音を
存分に
活用できるのです。

真本音という土台があり、
反応本音という
揺れ動く波がある。
・・・という、
人としての心の在り方、
心の仕組みが
正常に機能するように
なるのです。

安心して
人としての
活動が
できるのです。
人としての
人生を
生きられるのです。

・・・・・
もう本当に
止まっていては
ダメです。

止まる
ということは、
生きていない
ということです。

私達人間は
動くことが本分の
生き物です。
動くことが
本能です。

私達人間は
願いを持つだけでは
満足できません。
願いに向かい
動くことで
初めて本来のパワーが
出ます。

そしてこの世は
動かなければ
何も始まりません。
動くことで
すべてが始まります。

動いた分だけ
波が起きます。
動いた分だけ
成果が出ます。

よい動き方をすれば
必ず成果の出る時代。
それが
真本音の時代です。

よい動き方とはもちろん
真本音で決めた
動き方です。

単純明快。

即断即決。

快適優先。

どんどん
動いてください。

まるで
自分の鏡のような
現実展開。

それが
これからの時代。

動けばすべてが
観えてきます。

・・・・・
真本音の時代まで
あと約1ヶ月。

この1ヶ月を
いかに淀みのない
日々とするか。

いかに
颯爽と生きるか。

それが
私達一人ひとりの
することです。

つづく

2013年06月21日

8次元の愛 269 〜本当に果たしたい使命は?

それぞれの人がいて
それぞれの役割が
あります。

その役割を担うために
私達は
生まれてきましたし、
生きています。

私達は一つの社会を
成り立たせていますが、
社会とは
役割の集まりです。

大人も子どもも
関係なく、
それぞれが
それぞれの役割を
果たしています。

例えば、
A君という子どもが
Bさんという大人に
甘えたとします。

BさんはそんなA君に
「こういうことは
甘えてはいけないよ」
と教えたとします。

Bさんには
A君を諭すという
役割があります。

そしてA君には
Bさんから
諭される
という役割があります。

Bさんによって
A君は学び、
A君によって
Bさんも
学んでいます。

もし
それぞれの人達が
真本音で生きていたら、
それぞれの役割は
完全に調和し、
社会全体が
いついかなるときも
進化を続けます。

・・・・・
役割のことを
あえて
「使命」
と表現してもよいでしょう。

誰にでも使命が
あります。

自分の決めている使命
真本音の使命に
向かうことで
私達は根底から
元気になります。

しかし
どれだけ素晴らしい物事に
取り組んでいても、
自分が本来決めている使命と
違うことに向かえば、
私達のパワーは
どんどん減退します。

どれだけ素晴らしい物事に
取り組んでいても、
自分が本来決めている使命から
逃げている人がいます。

私はあえて
こう言います。

それも立派な
現実逃避
です。

実は、
こういったケースの人も
ここ最近、かなり
増えています。

その人は
一見すると
とても素晴らしいことを
しています。

人とも向き合い
前向きで
元気な顔を
しています。

行なっていること自体を
見れば、
人間として素晴らしいなぁ
と思います。

しかし、
逃げているのです。

自分の使命から
逃げることに
真剣なのです。

真剣だから
一見すると
良い印象を受けます。
しかしそれは
使命から逃げるために
他のことに真剣に
なっているだけ。
自分自身を
誤魔化しているだけです。

ですから
そういった人と向き合えば、
前向きな笑顔の奥に隠された
魂の苦しさを
感じます。

その人本人の
気づかないところで
魂が
苦しんでいます。

これまでの時代は
そういった生き方でも
周りからは
素晴らしいですね、と
称賛され、
それなりの人生を
送ることはできました。

しかし
これからの時代では
それは
無理なのです。

どれだけ
素晴らしい行ないをしても
自分の真本音で決めた
使命から逃げていれば、
必ず
乗り越えられない壁に
ぶつかります。

なぜなら、
自らの真本音が
壁の方に自分自身を
先導するからです。

真本音は
「そっちではないよ」
と、自分自身に
合図を送ります。
ですから、
自分で自分に
乗り越えられない壁を
与えるのです。

しかし本当は
気づけるはずです。

そんな壁が来なくとも
「?」が
生まれるはずです。
何かがおかしいと
感じるはずです。

心の中の違和感に
敏感になることです。

違和感を持ったまま
進む時代では
ありません。

なぜ違和感があるのか?
そこに
真剣に向き合うことです。

・・・・・
真本音で決めている使命に
向かうことは
すべての調和に
つながります。

一人がちゃんと
役割を果たせば、
隣の人も
ちゃんと役割を
果たせます。

教える人がいれば、
教わる人も
必ずいます。

今、自分は
何をすればよいのか?

どのような
役割を担えばよいのか?

自分の果たしたい使命、
自らが決めている使命とは
何か?

本当に本当に
そこに真剣になれば、
心も
現実も
開かれていきます。

真本音の時代とは
自由な時代。

自由とは、
自らが最初から決めている使命に
向かうことで
初めて実感できるものです。

つづく

2013年06月19日

8次元の愛 268 〜気持ちよく立ち上がりましょう

今、私達は
卵の殻の中にいる
とイメージしてみてください。

卵の中はかなり狭く、
そこで成長をし続けた
私達は
殻の内側で
ギュウギュウ詰めに
なっています。

早く
この殻を破りたい。

その想い一筋に
がんばってきました。

そしてついに
殻にヒビが
入りました。

そのヒビは
どんどん広がり、
今は
殻全体がヒビだらけ
です。

あとはもう、
私達が
立ち上がる
だけです。

立ち上がれば、
その殻は簡単に
破れるでしょう。

そして
殻を破ったその向こうには
延々と広がる
青空が
私達を迎えて
くれるでしょう。

・・・・・
立ち上がろうとする
今の私達に
必要なことは、
自分の足腰を
信じることです。

私達にはもう
立ち上げるだけの
力が備わっています。

そして、
殻から広い世界に
飛び出した後、
ちゃんとそこで
自らの道を創ることのできる
自分であることを
信じることです。

思えば私達は、
殻の内側を
世界のすべてであると
思い込んできました。

殻の中で
縮こまっている自分を
本来の自分であると
思い込んできました。

思い込みから
自分を解放し、
開放する。
その時がもう
来ています。

・・・・・
苦しいのは
ギュウギュウ詰めに
なっているからです。

それだけ
私達が
成長をしたのです。

痛いのは
殻の固さの
せいです。

それだけ
強い殻だったのですが、
固いが故に
いったん割れ始めれば
すべてが壊れます。

すべてが壊れる
ということを
今の私達は
恐れていますが、
それも一瞬のこと。

壊れた後に
本来の世界と
本来の自分が
実在として
ちゃんと存在しています。

・・・・・
この際、
中途半端な立ち上がり方は
やめましょう。

一気に
気持ちよく
立ち上がりましょう。

多少痛くても
大丈夫です。

私達がこの世に生まれるのも
痛かったはずです。
あの長い苦しみに比べれば、
今回のなんと
清々しいことか。

・・・・・
何をもって
「立ち上がった」
ことになるのか?

それは
人それぞれです。

しかし一つ言えるのは、
それは
精神的な立ち上がり
というよりも
一つの実際の行動となって
現れます。

あぁ、
この行動をとることが
自分自身の殻を
破ることなのだな、
とわかるはずです。

そこに確信を持ったら
思い切って
それをしましょう。

その行動によって
どのような現象が
起こるかは
わかりません。

しかし
現象そのものよりも、
その瞬間からの
自分自身に
目を向けてください。

自分の心は
魂は
どのように変化(進化)
したでしょうか?

そんな眼差しで
自分の実在を
感じてみましょう。

今この時期に
この瞬間に
立ち上がろうとしている人が
いっぱいいます。

心から
応援します。

もちろん
私も
立ち上がります。

お互い、
気持ちよく
立ち上がりましょう。

つづく

2013年06月17日

8次元の愛 267 〜最後で最初の一歩は自分で

人は
99.9%まで来ると
ある種の満足をします。

そして
100%を実現すると
次の新たな「挑戦」が
湧いてきます。

100%とは
ゴールではなく
次へのスタートです。

私達は
それをよくわかっているので
中には
99.9%の状態で
止まってしまう人も
います。

このままこの満足に
浸っていたい。
100%になることで
次の段階に向かうことが
億劫だ。
という気持ちが
湧いてしまうからです。

しかしそれは
危険なことです。

99.9%に留まろう
というその意志が
一気にすべてを壊し、
0%にまで
落ちてしまうからです。

99.9%まで登り、
自らの怠慢によって
0%に落ちることで、
その人はもう
這い上がる気力が
出なくなります。

そしてずっと
0%の場所で
留まり続けます。

本人は
99.9%のままだと
思い込みながら
0%の場所で苦しみ、
苦しみながらも
0%にいるという現実を
受け止められない。

とても残念ですが、
そういう人が
増えています。

・・・・・
自分自身が
本当に望み続けた
境界であるにも関わらず、
いざその最後の一歩まで来ると
境界を超えずに
その場に留まろうとする。

なぜ
そうなってしまうのでしょう?

その理由の多くは、
最後の0.1%に
苦しみが伴うからです。

最後の一歩に
勇気が必要だからです。

苦しみを前にしたとき
私達は
100%を超えたその先にも
同様の苦しみがあると
勘違いします。

しかし、
まったく
そのようなことは
ありません。

その苦しみに
立ち向かうことで
私達は出口にたどり着き、
その出口の先に
新たな世界があります。

その世界とは
これまでとは
まったく異なるもの。
これまでが
まるで狭い狭い殻の中に
ギュウギュウ詰めになって
閉じ込められていたのではないかと
思えるくらいの
開放感です。

それを得られるかどうか。

それは、
最後の一歩を
最後の0.1%を
踏み込むかどうかという
自分自身の意志に
懸かっています。

・・・・・
気合いを
入れてください。

気合いを入れるとは
全身に力を入れる
ということでは
ありません。

自分の中心に
力を込めるのです。

自分の中心に
自分のすべてのパワーを
集中させるのです。

余分なところに
力を分散させないで
ください。

余分な歩みを、
行動を
とらないでください。

あなたの人生は
あなたのもの。
あなたの歩みは
あなたのものです。

すべて
自分で決めるのです。

そのために
自分の中心に
すべての力を
集中させてください。

そうすれば
あらゆる現実が
ありありと観えてきます。

腰の据わった目で
自分がどうすべきかが
観えてきます。

答えは
あなた以外の
いかなる場所にも
ありません。

すべては
あなた自身が
知っています。

他に答えを求めるのではなく
すべて
自分で決めましょう。

それが
最後の一歩を
踏み込む
ということです。

・・・・・
最後の一歩は
あなた自身の一歩でなければ
なりません。

その一歩が
すべてを開放させ、
そしてその後の新たな世界では
あなたは
自分自身の道を創れます。

これまでは
学びながら
歩いて来たのでしょう。

これからは
自分の中にある答え通りに
決めて行きます。

あなたのことを
最も信じられるのは
あなた自身
なのです。

つづく

2013年06月14日

8次元の愛 266 〜怖さこそが味方

怖さを感じることは
健康な証拠です。

むしろ怖さを
感じなくなったとき
本当に今の私で大丈夫か?
と確認した方が
よいでしょう。

多くの人は
怖さを感じなくなれば
進める
と思い込んでいます。

まったく
逆です。

怖さを感じるときこそ
私達は
これまでの限界以上の
自分を
顕在化させることが
できます。

怖さを感じるときこそ
私達は
最高速度で
進むことができます。

ですから
怖さを消そう
などという不健康なことは
しないでください。

未知なものに向かうとき
困難を越えようとするとき
枠を壊そうとするとき
きちんと怖さを
感じられる自分に
むしろ自信をもって
ください。

・・・・・
怖さを理由に
歩みを止めないで
ください。

怖いからこそ
進むチャンスです。

怖さとは
全力疾走できますよ
という
合図です。

だから進んで
ください。

怖さと向き合い
進むことで
ある瞬間から
怖さは
本来の姿に
変容します。

怖さとは
実は
「確信」
の卵です。

私達が
怖さを愛し
それでも進むとき
怖さは
殻を脱ぎ捨てます。

殻の中から
生まれるのが
「確信」です。

「確信」をもった人とは
怖さに打ち勝った人では
ありません。

怖さという次元を
超えた
人なのです。

ですから私達は
怖さと闘うのでは
ありません。

怖さという合図を
活かし
怖さを愛すことで
自らの次元を
高めるのです。

怖さとは
私達の味方です。

・・・・・
今あなたは
何が最も
怖いですか?

その怖さの
核には
何がありますか?

今一番
何から
逃げたいですか?

その怖さの
核には
何がありますか?

あなたが今
最も見たくないものは
何ですか?

その怖さの
核には
何がありますか?

その核と
向き合うとき
全身が
震えますか?

震えるということは
きちんと
向き合えている
証拠です。

涙が出ますか?
涙が出るということは
きちんと
向き合えている
証拠です。

どれだけ震えても
どれだけ泣いても
ちゃんと
向き合いましょう。

そして、
その怖さを
自分のパートナーとしたら
これからあなたは
何をしたいですか?

何を
すべきですか?

思いつく答えがあれば
それらを
すべて行なってください。

怖いからと言って
止まらないでください。

行動に移せば
恐れていた結果が
返ってくるかも
しれません。

それでも
進んでください。

それが
今の私達に
必要なことです。

私達が
きちんと健康的に
生まれ変わるために
必要なことです。

私達は
本来の私達に
戻ろうとしています。

戻るための
道筋を示すのが
怖さ
です。

怖さと共に
歩める人こそが
本当の楽しさを
手に入れることが
できるのです。

つづく

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