こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2013年06月12日

8次元の愛 265 〜小さくても深く

人、人、人、・・・。

「人」が
溢れかえっています。

私達は
人として生きることに
慣れているつもりに
なっていますが、
実はまだまだ
不慣れです。

人とは本来
どういうものか。
人とは本来
どう生きればよいのか。
人とは本来
何を目指すのか。

それらの答えの
一つとして
明確でないままに
ここまで
来てしまいました。

そういった問いと
向き合うチャンスは
これまでいくらでも
あったのですが、
その度に私達は
向き合っているフリを
してきました。

私達は
それらの問いから
逃げ続けてきた
と言ってもよいでしょう。

そして
逃げることに
疲れ果てたのが
今なのでしょう。

今、
これまで
逃げてきたものに
立ち向かおうという
意志を
多くの人達が
持ち始めています。

とても喜ばしいこと
であるのと同時に
最後とも言える
このチャンスを
大切にしたいものです。

・・・・・
逃げる癖の
ついている人は
どこまでも
逃げ続けます。

それは見事なくらいに
逃げ続けます。

もう
追いかけても
しょうがないかな、

諦めさせる名人
です。

でもそれは
反応本音の時代において
機能したもの。
これからは
もうその手は
使えません。

なぜなら
それを使っている
本人のストレスと
苦しさが
半端じゃなくなるから
です。

・・・・・
私達の真本音が
最も元気を失うのは
逃げること
によってです。

立ち向かうことから
逃げることで
真本音は
パワーを落とします。

いえ。
正確に言えば
真本音そのもののパワーは
落ちることはありませんが、
真本音は自分自身に
パワーを送ることを
意図的に
止めてしまいます。

パワーを失うことで
この現実世界での
生きる力も失われ、
そうなるともう
どの道に行こうとしても
ちょっとした壁によって
挫折を繰り返します。

パワーが出ない
ということは
私は今、逃げているよ
という合図です。

真本音からの
メッセージです。

・・・・・
人、人、人、・・・。

人が
溢れかえっています。

その中で
多くの人達が
逃げまどっています。

真本音の時代を
前にした今なのに、
逃げることに
真剣です。

その人達は
苦しんでいます。
でも、
どれだけ助けようとしても
その人達は
助けるための手からも
逃げ続けています。

人はなぜ
こうも
逃げ続けるのでしょう?
その真剣さを
立ち向かう方向に
向けるだけなのに。

・・・・・
人が人を助ける、
なんてことは
傲慢であると
思っています。

その人の人生は
その人のものであり、
その尊重の上でこそ
本当のサポートが
できると
思っています。

でも今、
「サポート」の範疇では
どうしようもならない人が
増え過ぎたようです。

しかし
私達自身も人間です。

人には
できることと
できないことが
あります。

できないことを
悔やみながら
歩みを止めるよりも、
できる今の一歩を
進むことが
私達のすべきことです。

たくさんの人達の
助けになりたい。

という気持ちは
尊いです。

しかし
そんな気持ちを持つ
あなただからこそ、
あえて
お伝えしたいのです。

目の前の
一人に
集中してください。

今、最も大切な人に
すべてを
注いでください。

それがもし
完了できたら、
次の一人に
向かってください。

一人ひとり。
一歩いっぽ。

中途半端な力を
多数に注いでも
何も変わりません。

すべての力を
一人に注ぐことで、
その人がもし
本来の自分を取り戻せたら、
それが
実在レベルで
世の中全体に
与える影響は
測り知れません。

本気になる
とは
そういうことです。

全力疾走
とは
そういうことです。

小さくてもよい。
深い一歩を。

それが
今のあなたへの
メッセージです。

つづく



2013年06月11日

8次元の愛 264 〜わからないまま進めばいい

すべての人には
素晴らしい部分と
愚かな部分が
共存しています。

どちらかを
消すのではなく
どちらともを
いつも見つめる眼差しが
私達には必要です。

面白いことに
自分自身の素晴らしさに
目を瞑っている人も
多いです。

側から観ていると
とても素晴らしいところを
お持ちなのに、
それを観ようとしない。
それを認めようとしない。
そんな人は
実に多いです。

しかしそれは
謙虚とは
言いません。

それは
自己欺瞞です。

それは
傲慢です。

自分の素晴らしさを
あるがままに
見つめることのできない人は、
自分以外の人の
素晴らしさを
見つめることも
できません。

私は
ここが
素晴らしいです。

と、
何の躊躇もなく
何の力みもなく
表明できる人に、
私はとても
潔さを感じます。

そしてそのように
潔い人ほど、
自分の本当の
愚かなところを
見つめる勇気を
持ち合わせています。

・・・・・
自分を
過小評価する必要も
過大評価する必要も
ありません。

自分は
自分です。

ただそれだけ。

そして、
「私にはまだ
〜〜の力がないから
○○はできない。」
という諦めも
あり得ません。

「〜〜の力のない
私だからこそ
 できることがある。」
というのが
真理です。

何かがあるから良くて
何かがないから悪い
ということは
実在の視点から観れば
いっさい
あり得ないのです。

なぜなら
すべてが必然であり
最善だからです。

今、自分に
その力がないのは
それが
最善だからです。

そんな自分にしか
できないことが
あります。
今ここでしか
できないことが
あります。

それを見つけることが
私達のすべきこと。
真本音が
望んでいることです。

・・・・・
素晴らしさと
愚かさ。
それらはどちらも
解釈です。

今の私達に
自分で自分を
解釈している
暇はありません。

それよりも
次の一歩を
「本気」で
決めることです。

決めたら、
進むことです。

今。

今だからこそ
できることが
あるはずです。

それを
するのです。

それだけです。

・・・・・
実在レベルでは
反応本音の時代から
真本音の時代への
大変な移行が
ほぼ完了しようと
しています。

そのペースは
極めて速いものでしたが、
現象レベルの私達も
それについて行きましょう。

止まって考える時間があれば、
その分
一歩を踏み出してください。

止まっていても
何も観えてきません。
答えは「ここ」には
ないからです。

わからないことは
進まなければ
わかりません。

進んだ先にこそ
本当の答えが
存在しています。

考えてから
動くのではなく、
動きながら
既にそこにある答えを
一つずつ拾って
いきましょう。

私達の準備は
もう
整っています。

あとは
動くだけです。

「本気」で
動くだけです。

つづく

2013年06月09日

8次元の愛 263 〜本気の石を投ずる

もう一度
やり直したい。

という私達の気持ちが
決して叶えられないのが
時間の流れです。

過去から未来へ。

時間は
一方向にしか
流れません。

やり直しが効かない
という制約の中で
私達は
生きてきました。

しかし
そのような制約が
あったからこそ
私達は力をつけることが
できました。

やり直しが効かないからこそ、
同じ時間は二度と
戻らないからこそ、
私達は本気に
なりました。

制約の中で生まれる
本気。

制限の中で生まれる
本気。

それが私達にとっての
「本気」でした。

・・・・・
言葉を変えれば、
私達は私達自身に
制限を加えることでしか
自身の本気を生み出せない
という
非常に次元の低い
私達でした。

しかしこれからは
それが
変わります。

「本気」の次元が
変わります。

「本気」とは
次の意味があります。

「無限の広がりの起点(基点)」

これが
本来の意味です。

そして
「本気になる」
とは
「無限の広がりを
 生み出そうとすること」
です。

私達の踏み出す
次の一歩。
私達の投じる
次の一石。

それが、
無限の波紋を
広げます。

無限の波紋が
広がるという事実を
知ると、
多くの人が
次の一石を投じることに
不安を
感じるでしょう。
躊躇を
するでしょう。

これまでは
すべてに制限がかかって
いましたから、逆に
私達はある意味
無茶苦茶にでも
石を投げ続けることが
できました。

影響力があまりないからこそ
躊躇なく石を
投げ入れることが
できました。

しかしその結果として
波紋と波紋が混濁し
それがそのまま固まり、
でこぼこの水面(みなも)を
創り出していました。

そのでこぼこが
完全に
もとに戻りました。

まるで今の水面は
鏡のように清らかに
静かに
何の物音も立てずに
無限に広がっています。

ほんの小さな石でも
そこに投げ入れれば、
その小さな波紋は
無限に広がって
いくでしょう。

まるですべてが
リセットされた
ようです。

それは
私達全員がずっと
望んでいたことですが、
いざその状況を手に入れたら
石を投げ入れるのが
怖くなってしまいました。

そして私達は
永遠に広がる鏡のような
水面を前に
ただ茫然と
佇んでいます。

・・・・・
しかし私達は
必ず何らかの石を
そこに投じなければ
なりません。
何らかの
波紋を生み出さなければ
なりません。
それが、
私達人間の役割です。

無限に広がる
鏡のように透き通った
純粋そのものの
水面。

そこに石を投じることを
「本気になる」
と言います。

波紋が
無限に広がるのを
わかっていながらにして、
石を投じること。

今の私達に
求められているのは
それです。

・・・・・
さて。
石を投ずるのは
すべての人です。

一人が一つずつ
まずは最初の
石を投じます。

あなたはその
最初の石を
何と名付けますか?

何と名付けられた
石を
投じますか?

最初が
最も肝心です。

なぜなら
そこからすべてが、
これからの展開のすべてが
始まるからです。

これはやはり
生まれ変わり、です。

もう一度ここから
人生が、
歴史が
始まるのです。

さぁ。
最初の石を
何にしますか?
その石は
何という名前ですか?

その石が
あなたの意志です。

それが
真本音の意志であることを
私は祈ります。

つづく

2013年06月06日

8次元の愛 262 〜飛べてしまう時代

私達のこれまでの人生は
自分の登る山を決め、
どこからどのように
登るかを決め、
一歩ずつ山頂を目指す。
というものでした。

もし山頂に
たどり着くことができれば
そこから次の山を見つけ、
新たなる山頂に向かって
進んで行く。
というものでした。

しかしこれからは
その人生の基本そのものが
変容します。
なぜなら、
私達は翼を
手に入れるからです。

翼を手に入れた私達は
一歩一歩山頂を目指すのではなく、
いつでもどこでも
自由に飛ぶことが
できるようになるのです。

もちろん
あらゆる山の頂よりも
高く飛ぶことが
できます。
あえて、
地面を歩くことも
できます。

もしそうなったとき、
これまでの自分の
経験則が
役に立つでしょうか。

これまでは
「歩く」ことを前提に
私達は生きてきました。
生きる術を
身につけてきました。

しかしこれからは
「歩く」ことも
「飛ぶ」ことも
できるのです。

今の私達の変容とは
そういったレベルのものです。

すべてが
根本から
変わろうとしているのです。

・・・・・
これまでは
山頂を目指せばよい
という
ある意味、わかりやすい
人生でした。

そして
どのような山頂であれ、
歩き続ければ
いつかはたどり着ける
可能性がありました。

しかし
これからの私達は
何を目指せば
よいのでしょうか?

これからは、
山頂とは
単なる地面の隆起の突端
でしかなくなります。
高く空に舞い上がって見降ろせば
地面の単なる一点
に過ぎなくなります。

それだけ自由になることで
私達は
何を目指し、
どこに行けば
よいのでしょうか?

・・・・・
しかもこれからは
大気圏と宇宙の
境い目すらなくなります。

宇宙という
私達にとって
まったく未知の世界へも
私達は自由に
出入りできるように
なります。

これまで
地上のみで生きて来た
私達が
一気に宇宙にまで
出られるようになります。

その世界の広がりたるや
尋常ではありません。

その尋常ではないことが
まさに今この瞬間に
起こりつつあります。

もちろん
以上は実在レベルでの
話ですが、
その実在レベルの変化を
感じ取っている人が
増えています。

そして、
それらの人達は今、一様に
心が不安定に
なっています。

当たり前です。
一気に世界が
広がるのです。
広がり過ぎるのです。

不安定にならない方が
おかしいです。

・・・・・
中にはすでに
翼を手に入れて
地面を離れた人も
います。

その人達は
まだ空中に浮かぶことに
慣れていないので、
怖々です。

でも
すぐに慣れます。
心配しないでください。

もともと私達には
翼があったのです。
それを自ら隠しながら
生きて来たのが
これまでの時代、
反応本音の時代だったのです。

ですからその翼は
新しく生えたというよりも、
もともとあったのに
それが広がらないように
きつく縛りつけていたものです。

翼があることは
何も特別なことでは
ありません。
全人類・全人間に
それはあります。

極めて普通なこと。

ただ、
それを忘れていた時間が
あまりに長過ぎたので
怖がっている
だけのことです。

・・・・・
心の中に感じる翼を
大きく
広げてみてください。

すると
視界が一気に
変わるはずです。

それが、
空に飛び立った
ということです。

空に飛び立ったら
どこに行けばよいか?
それを一番よく知っているのが
自分自身の真本音
です。

すべての道しるべは
真本音にあり。
・・・です。

自由であるが故に
自らの真本音に
素直になることが
必要です。

そして
真本音に素直に
なることで、
私達はさらに
自由に飛べます。

そういった人達こそが
これからの現実世界を
創り上げていきます。

それが
これからの時代、
真本音の時代です。

つづく

2013年06月05日

8次元の愛 261 〜祈りだけは残ります

人は
祈る生き物です。

例えば、
サッカーなどスポーツの試合では
ここ一番の場面で
みんなが祈るポーズを
します。

自分自身の人生を決める
大事な場面でも
やはり私達は
祈る気持ちになります。

人類は太古から
大自然に対して
祈りを続けてきました。

祈りとは
私達人間の
本能の為せる業の
一つです。

私達の中には必ず
何らかの祈りが
存在しています。

それは
今の状況だからこそ
生じるものもありますが、
生まれたときから
延々と
持ち続けている
祈りもあります。

それを
見つけてみましょう。

それは
真本音の祈りです。

・・・・・
私達には
自分という枠を超えた
祈りを
必死に捧げるときが
あります。

自分だけのことではなく
もっと大きなもの
のために祈るとき、
そこに私達の
純粋性が
喚起されます。

自身の純粋を
感じ取ることで
私達は
喜びを得ます。

それは
自己満足的なものとは
少し違います。

その喜びは
もっと深くて
根源的なところから
生じています。

祈りとは
その喜びを
最も簡単に得られる
行為です。

そして
自分を超える祈りを
私達は誰もが
初めから持っており、
そこに触れることで、
たったそれだけのことで
人生が大きく変わる人も
多いです。

自分の中の祈りを
見つけようとする
視線が
これからの私達には
特に必要です。

・・・・・
祈りの力は
凄いです。

それは
自分以外の人に
あっという間に
伝播します。

ただしその祈りとは
自ら意図的に
つくり出すものではなく、
自分の中に
初めから存在している
真本音の祈りの
場合のみです。

その祈りと
今ここにいる自分自身を
紡いだとき、
すべての現実が
変わり始めます。

・・・・・
ある意味、
真本音とは
祈りの塊である
とも言えます。

自分の中の祈りを
見つける
ということは、
自らの真本音を
見つけることと
イコールとも
言えます。

自分はもともと
何を祈り続けて
いたのか?
そんな視線を
自分自身に向けると
よいですね。

そしてもし
自分の祈りを
見つけることができたなら、
その祈りに込められたパワーを
開放してください。

それはそれは
凄いパワーです。

それは
自身を満たします。

恐らく、
そのパワーのあまりの大きさに
びっくりする人も
多いでしょう。

そう。
祈りとは
パワーの源泉でも
あります。

反応本音の時代から
真本音の時代への
転換点。
そこにいる私達が
本来の自分自身を
思い出すための
最も早道となる方法は
自身の祈りを
思い出すことかも
知れません。

・・・・・
祈りとは
実在です。

何を手放しても
何を崩しても
何を失くしても
最後に
祈りだけは
残るのです。

それこそが
私達自身です。

本当の
私達です。

つづく

2013年06月04日

8次元の愛 260 〜一点を定め走ろう

自分は今、
何をすればよいか?

そこに迷いが生じたら

「一点」

を探してください。

あれもこれも
ではなく、
自分のすべての力を
注げる一点を
探してください。

これからは
一点を見つけ
集中し
そこを突破することで
次の道が
大きく広がり、
さらにその道に出たら
一点を見つけ
集中し
そこを突破することで
その次の道が
大きく広がる。
・・・そんな進み方が
重要です。

力を分散させている
余裕は
今の私達には
ありません。

それだけ今の流れは
急激に速まっています。

慣れればこの流れが
いかに安定したものかを
実感できますが、
今の私達は
そのあまりの加速ぶりに
戸惑っています。

ですから
慣れるまでは
一点集中です。

その一点は
必ず見つかります。

もし見つからないのであれば、
今の自分の生き方が
どこかずれていると
お考えください。

何か余分なことを
し過ぎている。
何かから
逃避している。
何かに
フタをしている。

そのいずれかです。

流れに乗るという
覚悟をもった人には
必ずその一点は
観えてきます。

・・・・・
最近このブログに
何度も書かせていただいて
いることですが、
もう本当に
これまでのことは
手放してください。

これまでの経験則。
これまでの個性。
これまでの強み。
これまでの行動パターン。
これまでの思考パターン。
これまでの
あらゆる解釈。

完全に
手放してください。

それは
反応本音の時代を
生きるための知恵でした。

しかし
これからの時代は
そこにこだわると
足を引っ張られます。

すべてを一度、
完全に手放して
ください。

本当に必要なものは
完全に手放したとしても
自分に残ります。

それは
実在です。

解釈ではなく
実在だからこそ
そこに残るのです。

本当に残すものと
そうでないものを
区別するためにも、
今はすべてを
完全に手放すのです。

手放せば
わかります。

本当に自分に
備わっているものが
ありありと
わかります。

・・・・・
勇気は大事ですが、
その勇気は
ワクワクする方向にのみ
使ってください。

無理な勇気を
振り絞るのも
反応本音の時代の
産物です。

ワクワクする方向に
思い切って
飛び込んでみる。
それが本当の
勇気であり、
それをここでは
「遊気」
と表現しています。

私には
こういう強みがあるから
これをします。
・・・はやめましょう。

これからは・・・
すべてを一度手放し、
心を本当に自由にした上で
自然にワクワクする方向へ
遊気をもって進む。
その中で
本来の強みが
芽生えてくる。
という時代です。

・・・・・
間違うことを
恐れないでください。
いえ。
正確に言えば、
間違いを恐れる心は
そのままに。
その心をちゃんと
自分で観ながらも、
本当に進みたい方向に
遊気を出してください。

そして
「行ける!」
と思えたら、
一気に
スタートダッシュです。

そこにもう
道はあるのです。
それは
とても太くて
整備されている道です。

反応本音の時代における
道とは、
まるで獣道のように
細くて頼りなく不安定な
ものでした。

しかし真本音の時代は
違います。
そこはまるで
新品の高速道路のように
まっすぐで気持ちよく
でこぼこもなく
車線も広く
整備されています。

ですから
全力疾走しても
大丈夫です。
いえ、
全力疾走するために
創られているのです。

安心してください。
一点を定めたら、
自分のすべてを
そこに向けてください。

一人ひとりのその走りが
道をさらに太く
快適なものに
していくのです。

私はもう
走り出しました。

みなさんも
走り出してください。

共に
新たな道を
楽しみましょう。

つづく

2013年06月03日

8次元の愛 259 〜私には何もできない

やはり予想通り、
と言うよりも、
予想を超えて
多くの方々が今、
変容を遂げています。

もちろんそれは
実在レベルでの話ですが、
実在レベルだからこそ
凄いと言えます。

これまで自分の
信じていたもの。
これまで「自分」であると
思い込んできたもの。
これまで「現実」であると
思い込んできたもの。
それらが
実は「解釈」の産物で、
本質と実在は
まったく別物であった、と
気づく人が増えています。

そこに気づいた人は
生まれ変わります。

面白いことに
本人はその事実に
気づいていない人も
いるのですが、
側から観ていますと、
それはもう
生まれ変わり
という以外に適切な言葉が
浮かばないほどに
その人は変容します。

とは言え
やはりそれは別人になること
ではなく
その人の本来の姿
本質の姿に
他なりません。

・・・・・
これまで
「自分はできる」
「自分はやれる」
と思いながら生きてきた人が

「自分には何もできない」

ということに気づき
愕然とする
というケースも
増えています。

自分には
何もできない。

私は、
これほど尊厳のある
気づきは
ないと思っています。

人は
自らの能力に
溺れ過ぎです。

自らの力を
過信し過ぎです。

それは本来の力ではない
のにも関わらず、
それを自分の力であると
思い込み
それに執着します。

執着して
その力を活かせば、
それなりのことは
実現できました。
それがこれまでの
時代です。

しかし執着の力には
自ずと限界が来ます。
そこで
「人には限界がある」
とその人は
自らの経験をもとに
思い込みます。

そして
中途半端な夢を描き
中途半端な目標を決め
中途半端な人生を
生きます。

しかし私達は
よく知っています。

どれだけ現象レベルで
大きなことをしても
それが中途半端であれば
実在レベルでは
何の意味もないことを。

現象レベルで
何かを成し遂げたつもりでも
それが中途半端なことでは
実在レベルでは
何もしていないのと
同じであることを。

ですから
現象レベルのみの成功を
手に入れても
私達の魂や心が
本当の意味で満たされることは
ありません。

私達人間が本当に
望んでいることは
魂の進化です。
実在の進化です。
そしてその結果としての
現象の進化です。

それは
自分が執着している力
によっては
決して成し得ません。

・・・・・
目の前の
たった一つに
魂を込めましょう。

「自分には
何もできない。」

その尊い気づきを
得た人は必ず

「それでも自分に
 できることは何か?」

がわかります。

「それでも自分が
 すべきことは何か?」

が観えてきます。

それが、
実在の進化への
その人の道です。

そしてその道を
歩むことで初めて、
その人の
執着の力ではなく
本来の力が
発現し始めます。

その人は
何も迷わずに
進めるでしょう。

進めば進むほど
その、本当の力は
大きく開花します。

その開花に
終わりはありません。

それは
無限です。

そしてそれは
人としての
本当の喜びです。

人は
無限の力と
無限の喜びを
得られる存在です。

そのためにも
小さなところで
自己満足しているのは
もう
やめにしましょう。

執着の力を
過信するのは
やめにしましょう。

今、
気づき始めている人が
いるように
私は
一人でも多くの人が

「自分には何もできない」

ということに
本当の意味で
気づけるといいなぁ、と
願っています。

つづく

2013年05月30日

8次元の愛 258 〜普通の私で行けばいい

もし、
自分の寿命を
自分で決められるとしたら、
何歳まで
生きたいですか?

そしてその寿命まで
残された年月で
何を為したいですか?

・・・・・
上記の問いの答えを
私達の真本音は
明確に
決めています。

もちろん
真本音通りの寿命に
終わらない人も
いるでしょう。

予定外の展開と
予定外の現実によって
人生は変わるでしょう。

しかしそれらはすべて
私達の反応本音による
影響です。

「予定外」と思うのは
私達の反応本音。
反応本音はすぐに
右往左往します。
そして、
右往左往に反応した
判断と決断を
してしまいます。
その結果として
自分の本来の道を
外れてしまいます。

本当は、
どんなときも
真本音で決めている
道があります。

そして真本音は
「予定外」などとは
思いません。
真本音はいついかなるときも
すべての現実を
静かな眼差しで
ただ見つめています。

ですから
どのような現実が来ても、
一度しっかりと
真本音の自分を
思い出すことです。

本来の自分の立ち位置に
戻ることです。

そうすれば
道は自ずと観えてきます。

私達はすでに
真本音で望む人生が
あります。

自分で決めた寿命。
自分で決めた道。
自分で決めた使命。
自分で決めた
立ち向かうべき現実。

その方向に進むことが
私達が最も
心満ちる人生です。
人としての
幸せです。

・・・・・
迫りくる現実を
誰かのせいに
しないでください。

それをしているうちは
決して
真本音の道は
観えません。

迫りくる現実を
自分のせいに
しないでください。

自分をどれだけ責めても
決して
真本音の道は
観えません。

自分を責める、とは
一見すると謙虚な行為ですが、
逆です。
それは、最大の
傲慢です。

責めるよりも
私達には
すべきことがあります。

その現実と
向かい合うことです。
その現実に
立ち向かうことです。

それが本当にできれば
身に沁みて
わかるでしょう。

誰かが
悪いわけではない。
自分が
悪いわけではない。

すべては
必然の流れであり、
すべては
自分の望む人生を
歩むための
ステップである、
と。

そして
「責め」から抜け出し
「願い」に向かうことで
自分だけでなく
周りのあらゆる人達の人生も
調和に向かいます。

・・・・・
反対に
「いい人で在り続けよう」
とする人もいます。

いい人で在り続けよう
とする人は
必ず自分の知らないところで
誰かを傷つけています。

いい人だと
認識しているのは
本人だけです。

それを
自己満足、
自己愛、
と言います。

これも
反応本音で生きることの
典型です。
自らの本当の道を
進めなくなる
典型です。

もちろん
変に悪者ぶったり、
意図的に
悪者になる必要も
ありません。

普通でよいのです。

自分そのままで
よいのです。

私達の心の中には
たくさんの反応本音が
あります。
中には「いい人(人格)」も
「悪い人(人格)」も
います。

それらすべてを
ひっくるめて
人間です。

どの人(反応本音)が
本当の自分か?
を考える必要もありません。

どの人もすべて
自分です。
自分の反応本音です。

すべての反応本音は
そのままでよいのです。
すべてを
大切にしていれば
よいのです。

ただ、
私達はいつも
真本音の場所に
戻りましょう。

すべての決断は
そこからしましょう。

真本音を
思い出せば、
自分の道を
思い出します。

自分の道すべてを
見渡すことができなくとも
次の一歩は
わかります。

どの一歩は気持ち悪く、
どの一歩は
気持ちが良いのかが
わかります。

気持ちの良い方向に
一歩を踏み出せば
よいのです。

意図して
「いい人」になるとか
「悪い人」になるとか
そんな面倒なことは
もう必要ありません。
特にこれからの時代は。

・・・・・
もっと
普通に行きましょう。

もっと
普通に生きましょう。

ゴチャゴチャ
モヤモヤ
考えてしまうときは
すべての決断を
やめましょう。

時間を置いて、
スッキリ決断できるときを
待ちましょう。

モヤモヤから生まれる
いかなる答えも
ただの反応です。

真の答えは
ちゃんとあります。

それは
自然な心、
ニュートラルで普通な心
であるときに
初めて観えるものです。

普通の自分に
戻ればよいのです。
普通の決断を
すればよいのです。

つづく

2013年05月28日

8次元の愛 257 〜あなただけが大切にできる

いくつもの道が
私達の前にはありますが、
どの道をとるかを、
私達はすでに
決めています。

そしてその道以外の道は
決して通らないことを
私達はすでに
決めています。

にも関わらず、
決して通らないでおこう
と決めたはずの道を
通ろうとすることが
あります。

実際に、
その道に入ってしまう人も
います。

自分が通らないと決めた道に
入ってしまった人は
激しく苦しみます。
あまりに激し過ぎるので
その苦しみを麻痺させたり
フタをしたりすることに
全力を注ぐように
なります。

当然、
自分に迫りくる現実に
向き合う余力など
ありません。

ですから全力で
現実逃避を
続けます。

それはもうある意味
凄いパワーです。
自分の命の力のすべてを使い、
現実逃避を
続けます。

残念ながら
そうなってしまっている人を
サポートする術を
私は知りません。

その人には
何を言っても
聞き入れてもらえません。

あなたは苦しんで
いるのですよ。
その苦しみから
出ませんか?

そんな一言を言おうものなら、
いえ、
言う気配を少しでも
見せようものなら、
全力の拒絶が
返ってきます。

周りの人達の
あらゆる愛と
あらゆるやさしさを
その人は
完全に拒否します。

本当にとても
残念なことですが、
真本音の時代の直前になって
そうなってしまう人が
急増しています。

・・・・・
なぜ、
行きたくもない道に
行くのでしょうか?

残念ながら
その明確な答えも
私にはわかりません。

ただわかるのは、
その人は
真本音の道を進むことを
極度に恐れています。

もっと正確に言えば、
真本音の道を
全力疾走することは
その人の体験したことのない
一つの「境界」を
超えることになります。
その「境界」の直前まで来ると、
その人は急にストップし、
「境界」から逃げるようにして
他の道に無理に入って
しまいます。

これまでの自分の人生。
これまでの体験。
それらすべては、
その「境界」を超えるために
あったと言うのに、
やっと「境界」まで
たどり着いたのに、
いざそれを超えようとするときに
突然、逃げ出してしまうのです。

なぜなのでしょう?

なぜこれまでの努力を
自ら投げ捨てて
しまうのでしょう?

・・・・・
「境界」を一歩超えれば、
そこにはずっと望み
求め続けていたものが
待っています。

これまでの自分、
これまでの人生、
これまでの道のりのすべてを
承認し祝福することが
できます。

そして、
まっすぐに伸びた
太くて清々しい道が
目の前に明らかになります。

あぁここを行けばいいんだな、と
いやでもわかります。

そして
自分にとって
最も気持ちのよいペースで
その一本道を
進むことができます。

それこそが
人としての本来の幸せでは
ないでしょうか。

そんな幸せを感じる人が
ある一定以上を超えることで
真本音の時代は
始まります。

実際に多くの人が
一本道を
見つけました。
しかし、
その一方で
一本道の手前で
外れてしまう人も
増えています。

・・・・・
どうか、
決めていることを
決めている通りに
実行してください。

決めている道を
決めている通りに
選択してください。

頭で思考し
判断してから
決断しないでください。

そこに答えは
ありません。

私達はもう
決断しているのです。

すでに
決断している答えの通りに
進むだけです。

進む人の心には
新たな世界に入る恐怖は
ほとんど湧きません。

止まって動かずに
考えてしまうから
恐怖が湧きます。

どうか、
勇気をもってそのまま
進んでください。

あなたの道を
大切にできるのは
あなただけですから。

つづく

2013年05月27日

8次元の愛 256 〜共に走るとき

私達は
一人ではありません。

現象レベルで
どれだけ一人であったとしても
私達は
一人ではありません。

私達は誰もが
孤独を恐れます。

しかしそれは
杞憂にしか
過ぎません。

なぜなら
実在レベルでは
必ず皆と共に
いるからです。

皆とつながり
世界とつながりながら
ここにいるからです。

実在レベルで
一人になるということは
あり得ないのです。

それが実在であり、
私達の心の「もと」です。

・・・・・
なのになぜ
私達は孤独を
感じ、
恐れるのでしょうか。

そこには理由が
あります。

孤独を恐れる心とは
一つの合図です。

今、自分が
何らかの理由により
「分離」する方向に
意識を向けていますよ、
という
合図です。

その合図は
自らの真本音が
発信しています。

「分離」する方向に
意識を向けることで
「愛」とは逆の
パワーが発されます。

それは人々の
パワーを奪うパワー
です。

そのパワーにさらされることで
人々は分離の方向に
引きずられます。

そのような
負の影響を与える前に
気づいてほしい。
今の方向は
違うのですよ。
今の心の在り方は
違うのですよ。

あえて言葉にすれば
そんなメッセージを
真本音は送っています。

孤独が怖いのに
さらに孤独の方向に
行ってしまう。
孤独などないのに
勝手にそれを
自分で創り
はまり込んでしまう。

それが私達人間が
陥りがちな
クセです。

そう。
クセです。

・・・・・
何をしようとも、
何をしなくとも、
私達はいつも
共にいます。

手放しても
手放さなくても
私達はいつも
共にいます。

愛しても
愛さなくても
私達はいつも
共にいます。

それが私達の
実在であり、
真実です。

今、
真実を感じ取る感性を
取り戻した人ほど、
真実を観ることを
怖がる傾向にあります。

そこにある実在を
観ることを
怖がります。

ここまで観て
感じ取れる自分に
ようやくなれたのです。

ならば、
すべての真実を
あるがままに
観てみましょう。

・・・・・
ゆっくりと
思考錯誤を繰り返しながら
進むという
これまでのような
時間の使い方は
もうできません。

3歩あるいて2歩下がる、
という進み方も
もうできません。

今の私達にできるのは
真一文字に
全力疾走することです。

それは
危ういことではありません。

それだけ道が
太くてまっすぐな道が
整備されたのです。

これまでのように
細くて消えそうな道を
探しながら、
進む必要はないのです。

誰が走っても
大丈夫な道。

誰が走っても
全力疾走できる道。

それがもう
ここにあるのです。

だから
走りましょう。
全力疾走できる幸せを
感じましょう。

全力疾走だからこそ
感じられる風を
楽しみましょう。

つづく

2013年05月23日

8次元の愛 255 〜生まれ変わるようなもの

時代が変わるのだ
という認識を
私達はもっともっと
持った方が良さそうです。

私達はどうも
過去の経験によって
得られたものに
執着し過ぎです。

例えば、「強み」。

個人でみても
企業でみても、
強みを活かそう
と、よく言われます。

確かにそれは
とても大切なことです。

しかし
今、私達が認識している強み
とは、
反応本音の時代における
経験の中で
顕在化したものに
過ぎません。

それが自分の
本来の強みである、
と思い込むことで
自分という人間を
解釈という枠の中に
閉じ込めてしまうことに
なりかねません。

いえ、むしろ
そういった方が
今は増えています。

自分には
こういった強みがある。
我社には
こういった強みがある。
という、
これまでの経験に基づいた
認識は
いったんすべて
白紙にしましょう。

その方が
これから芽を出そうとしている
本来の強みが
つまり、
真本音の時代の中で
発揮されるであろう
本来の強みが
楽に伸びていくでしょう。

そうです。

私達の本来の強みとは
これからようやく
芽を出すのです。

それらの多くは
自分にとって
まったく予想外の
ものばかりなのです。

・・・・・
私はこういう人間だ。

私にはこういう
魅力がある。

私の強みはこうだ。

・・・これらはすべて
解釈です。

解釈とは
反応本音の時代を
生き伸びるための
知恵でした。

でももう、
時代は変わるのです。

真本音の時代とは
解釈によって
生き伸びる時代では
ありません。

真本音の時代は
解釈を手放す
時代です。

手放したときに
初めて観えてくる本質を
大事に
育む時代です。

残念ながら
現時点ではほとんどの人が
自分自身の本質を
知りません。

本来の自分とは別の自分を
「自分である」
と思い込んで
生きています。

そこからいかに
抜け出すか?

それが今の
私達共通の
テーマです。

・・・・・
自分自身への解釈は
私達の進むスピードを
極端に
遅らせます。

喩えれば、
本来は新幹線くらいの
スピードで進めるのに、
解釈をするために
三輪車くらいのスピードに
落ちてしまっています。

それくらいの差が
いえ、
もっと大きな差が
あるのです。

私には
こういう経験がある。

・・・やめましょう。

私には
こういう能力がある。

・・・やめましょう。

私には
こういう人脈がある。

・・・やめましょう。

私には
こういう夢がある。

・・・これすらも
やめましょう。

すべて解釈です。
反応本音の時代において
培われた
解釈に過ぎません。

すべてを
手放したときに
初めて、
本当に自分の中に抱いていた
あらゆるものが
芽を出すのです。

それが
本来の
私達です。

・・・・・
そういった意味では
私達は
これから生まれる、
と言っても
過言ではありません。

あえて言うならば、
一度ここで生まれ変わって
新たな人生を
始めるようなものです。

もちろん
置かれている環境や
現実は
変わりません。

でも本当は
これまでの解釈を
手放せば、
置かれている環境も
現実も
新幹線くらいの速さで
変化します。

自分にとって
本当に望む環境や
現実に
一気に変わっていきます。

そういう意味では本当に
生きながらにして
生まれ変わる、
と言ってもよいでしょう。

それが今なのです。

それくらい極端な
時代の転換点に
私達はいるのです。

その現実を
私達はもっともっと
深く受け止めましょう。

つづく

2013年05月22日

8次元の愛 254 〜調和のための加速を

私達の行く手を阻むものとは、
これまでの時代
混沌や混乱のもと、でしたが
これからの時代は、
一時的にはそうなるにせよ、
すべては
調和のために
存在するものです。

つまりそれは
行く手を阻む
のではなく、
より深い調和を
生み出すために、
あえて一度
全体を揺らす
ために起こるのです。

揺らぎのないところに
進化も成長も
ありません。

揺らぎとは
調和のための
大切なプロセスであり、
本来の調和とは
揺らぎを伴うものです。

止まっている安定
とは
調和ではありません。

止まっている安定
とは
衰退です。

私達人間は
調和のために
揺らぎを起こすという
とても重要な役割を
担って生きているのです。

・・・・・
調和とは
創造するものです。

つまり
創造とは
調和によってもたらされます。

そして逆に
調和とは
創造の中でこそ生まれます。

創造のない調和はなく
調和のない
真の創造も
あり得ません。

それが本来の調和。

真の調和があるからこそ
私達は
進化し続けるのです。

・・・・・
ゆっくりと物事が進む
ということが
これからは
かなり少なくなります。

ゆっくりと進むことは
これからは
怠慢、となります。

怠慢とは
衰退です。

どれだけ進んでいても
そのスピードが
本来のものでなければ
それは衰退と
なります。

厳しいですか?

いいえ。
それが楽なのです。

私達の経済速度、
私達の最も快適な速度は
私達が思っている以上に
速いのです。

これまでの時代の流れ方が
遅すぎたのです。

私達が望む
本来のスピードに
これから戻っていきます。

今ここにある「現状」というものに
しがみつく人は
残念ながら
その流れには乗れず、
苦しみます。

現状にしがみつくことは
もはや安定でも
安心でも
ありません。

それは
衰退への恐怖に
他なりません。

これからの時代、
止まっていることは
恐怖となります。

厳しいですか?

いいえ、
それが快適なのです。
私達人間は
もともとそのように
できているのです。

・・・・・
今、
何を変えたいか?

今、
何を変えるべきか?

今、
何を変える必要があるのか?

この3つの問いすべてに
共通する答えがあれば、
それは必ず
変えましょう。

今すぐに
変えるための動きに
入りましょう。

今すぐに
始めなければ
今すぐに流れに
乗り遅れます。

最初はそのスピードに
乗ることに
怖さを感じるかも知れませんが、
大丈夫、
すぐに慣れます。

それが
私達の本来のペース、
快適なスピード
です。

流れそのものは
もうすでに
できあがっています。

あとは
勇気(遊気)一つで
一歩を踏み出す
だけですね。

つづく

2013年05月21日

8次元の愛 253 〜仲間の見つけ方

私達の人生とは
自分一人だけで開くようには
できていません。

自分以外の人、
つまりは「他者」と
関わり合いながら
開いて行くように
できています。

他者と共に向き合い、
他者と共に創る。

それが人生の
原則です。

ということは
私達一人ひとりには必ず
「仲間」
がいます。

ここで言う「仲間」とは
共に同じ人生の使命と
テーマを持ち、
共に良い関わりを持つことで
人生を開き合うという
縁を持った人、
という意味です。

私達には必ず
仲間がいます。

いない、人は
一人もいません。

私達は
孤独では
ないのです。

・・・・・
仲間と出会えるかどうか?

そのポイントは、
仲間以外の人達との
関わり方にあります。

仲間であろうとなかろうと
共に向き合い
共に創ろう
という意志を持ちながら
日々を進む人は
必ず仲間と
出会えます。

しかしそうでない人は
なかなか出会えません。

仲間に引き合わせてくれる人は
仲間以外の人達です。

つまりは、
すべての人が仲間である
という気持ちで関わる人こそに
本当の仲間が
現れるのです。

・・・・・
私達には最低、
自分以外の5人の仲間が
います。
つまりは自分を含めて
6人の仲間です。

しかしだからと言って
その5人を数えながら
捜さないでくださいね。
それをするうちは
勘違いばかりを
してしまいます。

その人が仲間かどうかは
後になってわかること。
自分の思考の範囲内で
勝手に解釈しないことです。

6人の仲間が出会える人生は
とても幸せです。
そんな人生を
歩みましょう。

そのためにはやはり、
仲間かどうかを判別せず、
ただ純粋に
一人ひとりと真摯に
向き合いましょう。

・・・・・
真摯に共に向き合い、
真摯に共に創ろうとし続けた
その結果として、
この人とはもっと距離を置こう

自然に思えるときもあります。

そういったときは
距離を置きましょう。

離れることが
悪いわけではありません。

私達には
調和をし合える距離感
というものが
誰しもあります。

これまで近かった人と
遠くになるというのは
冷たいようであり、
寂しいものでもありますが、
しかしその決断を
しっかりとすることも
大切です。

距離を置くからこそ
共に向き合い
共に創り出すことが
可能となるのです。

しかしやはりその判断も
思考の範囲内で
解釈しないでください。

ちゃんと向き合えば、
距離感も
自然にわかります。
素直にわかります。

淀みなくそれがわかったら
そのまま従うことです。

離れた瞬間は寂しくて
心も痛むかも知れませんが、
それでも間違いなく
調和し、
それぞれの願う人生に
向かうことができます。

・・・・・
本当は
すべてが「私」です。

あの人もこの人も
すべてが
「私」です。

「私」が別個のふりをしている
だけのこと。

人と向き合うということは
「私」自身と
向き合うことです。

「私」同士の意志は
ちゃんと向き合えば
必ず調和するように
できています。

ちゃんと
向き合えば。

つづく

2013年04月30日

8次元の愛 252 〜厳しくも優しい時代

真本音の時代とは
ある意味
厳しい時代です。

これまで
誤魔化してきたことや
いい加減に済ませてきたことや
逃避してきたこと
フタをしてきたことなどが、
どんどん表面化します。

これまでの生き方で
淀みのあった部分が
どんどん表面化します。

これまでは
それでも何となく
それらをやり過ごすことは
できていました。

誤魔化したままで
放置することが
できていました。

しかしこれからは
できなくなります。

表面化した淀みに対して
逃げようとすれば
さらに激しい表面化が
起こります。

しかし
そこに立ち向かえば
道はどんどん
開かれます。

その結果の現れ方が
これまでの比ではないくらい
はっきり明確となり、
そして
速くなります。

パンパンパンと
スピーディーに
事が進みます。

そういった潮流は
すでにできあがっていますので、
今現在では
物事の展開の仕方に
戸惑っている人が
かなり増えています。

これまでの安定は
なくなったのです。

・・・・・
反応本音のみで
生きていても
上手くやれた時代は
すでに
終わりを迎えようと
しています。

これからは
上手くやろうとしても
上手くはできません。

これからは
一つ一つの物事に
真摯に向き合うことが
最も大切です。

すべては必然的に
起きています。
すべては
自分自身が起こしています。
その事実を
受け止めることです。

それを
私達の真本音は
望んでおり、
真本音の望む通りに
進むことが
これからの時代における
真の安定を
醸成します。

・・・・・
嘆く時間があったら
目をしっかりと
見開きましょう。

今起きている現実を
つぶさに
観察しましょう。

私という存在は
確かに今
ここにいます。

私という存在は
確かにここに
生きています。

そして
私が動くことで
波が起こります。

波を起こさなければ
何も変わりません。

ならば、
現実に変化をもたらすために
自ら波を起こすことです。

どんな波を起こすかを
真本音で
決めることです。

いえ。

私達の真本音はもう
それを決めています。

自らが決めていることに
気づくことです。

気づくためには
現実をよく
観ることです。

現実と向き合えば
自らの本心が
わかります。

・・・・・
もう
逃げないでください。

逃げてもそこには
何もありません。

逃げても逃げても
私達自身が
私達を責め続けます。

逃げることを
一番嫌っているのは
私達自身だからです。

そして
もう逃げられなくなるまで
私達は自ら
厳しい現実を
自分自身に
与え続けます。

すべて
自分が
行なっていることです。

誰のせいでも
ありません。

私達は
立ち向かう生き物です。

向き合うために
生きています。

向き合えば
開くのです。

それが私達人間の
ルールです。
原理です。

そのように創られた
私達自身を
思い出しましょう。

さきほど
真本音の時代は厳しい
と書きましたが、
本当は
こんなにも優しい(易しい)
時代はありません。

なぜなら
立ち向かい
向き合う人には
必ず道が開くから。

これまでは
そうとは限りませんでした。

ですから
これまでの時代が
異常でした。
ようやく、
正常な時代、
自然な時代、
幸せな時代です。

正常に時代に向けて
自らを
正常に
戻しましょう。

つづく

2013年04月25日

8次元の愛 251 〜ただ見つめ、歩く

今の自分自身を
客観的に
観てみましょう。

例えば、
空から俯瞰して
みましょう。

例えば、
すぐ隣から
寄り添ってみましょう。

自分は今
どんな佇まいに
観えますか?

自分は今
どのような表情で
どのような雰囲気で
いますか?

力んでいますか?
それとも
全身の力は抜け
自然体でいますか?

あたふたと
揺れ動いていますか?
それとも
毅然と
まっすぐに立っていますか?

それより何より
自分自身の姿が
よく観えますか?

・・・・・
私達の真本音は
いつも変わらぬ眼差しで
何の評価も判断もなく
ただただ
自分自身を見つめています。

自分がどれだけ
揺れ動こうとも
自分がどれだけ
間違いを重ねようとも
いつも同じ眼差しで
自分自身を
見つめています。

真本音が
自分自身を見つめる
その向き合い方こそが
「愛」のカタチ
です。

つまり私達は誰もが
自らの中に
「愛」の見本を
持ち続けています。

ですから
どうすれば人を愛せるのか?
それを誰もが
よくわかっています。

真本音を大切に生きる人は
すべての人を
愛せるようになります。

愛とは行為ではなく、
私達が放つパワーそのもの。
人間の根源を成す
力そのものです。

その根源的力を
誰に対しても
放つことができるように
なります。

そこには
理屈も理論も
必要ありません。

正しいかどうかさえ
必要ありません。

私達はただ
自分の中心から溢れるその力を
そのまま
放てばよいだけなのですから。

・・・・・
自分自身を
評価判断する眼差しが
もし心の中を占めているなら、
それは
真本音の眼差しでは
ありません。

それは
愛の眼差しでは
ありません。

愛とは
評価判断するものではなく、
ただ
そこにあるものです。

もし
自分で自分をどうしても
評価判断してしまうときは、
もういっそのこと
とことんまで
評価判断をするための
時間を創ってください。

中途半端に
気持ちを開放するのではなく、
とことんまで
自分の気持ちを
出し切ってください。

もし
自分を責める気持ちが
あるのなら、
それを抑えずに
そのすべてを開放し、
見つめてみてください。

何があっても
見つめ続けてください。

それを最後まで
やり遂げることができたなら、
その瞬間に
わかるでしょう。

見つめている
その存在。
今のその自分こそが
真本音であると。

真本音とは
他の何物でも何者でも
ありません。
真本音とは
私達自身です。

・・・・・
真本音で生きる人は
人生をスムーズに
進めることができますが、
人生をスムーズに進めよう、
という意図で進む人は
残念ながらその時点で
真本音からズレています。

真本音で生きる人は
次の自分の一歩を、
今これから出そうとしている
自分自身の一歩を
ただただ
大切にしています。

常に
淀みのない一歩を
出し続けることに
意識を向けています。

力を入れているわけでは
ありません。
力を入れても
答えは観えません。

力を抜き、
ただただ
自分自身を
そして現実を
見つめています。

そうすれば
自然にわかるのです。
他には何も
必要ないのです。

私達はもう最初から
真本音です。
真本音が
本当の私達です。

ですから
シンプルに行きましょう。
素直に
次の一歩を
進みましょう。

意図や思惑や
判断や評価は
横に置き、
そのまま望むままに
歩いてみましょう。

つづく

2013年04月24日

8次元の愛 250 〜シンプルに生きる、とは

難しく考えれば考えるほど
事態は
難しく複雑に展開します。

「事態」とは
「現象」です。

現象とはすべて
私達の心の
反映です。

事態を
複雑に絡めているのは
すべて
私達自身です。

すべての現象には
「本質」
があります。

本質とは
「要するに、
これがこれを
起こしている」
という
現象のもとです。

「これがあるからこそ
こうなる」
という
すべての原因であり
原点です。

そして
その「本質」とは
いたってシンプル
です。

すべての事態(現象)には
本質があり、
その本質は
とてもシンプルで、
そのシンプルさを
キャッチした人こそが
事態(現象)を
正常に次のステップに
つなぐことが
できます。

それを一言で
「現実を開く」
と言います。

現実を開くには
私達自身の
シンプルな目が
必要です。

・・・・・
シンプルな目を
養うための
最大の方法は
真本音で生きる
ことです。

どう考えても
解決の見通しがつかない
という物事も
真本音で歩む人は
簡単に
道を拓いていきます。

頭でグルグルと
同じ場所で複雑に
考え続けても
答えは決して
観えません。

私達にわかるのは
次の一歩をどうするか?
です。

私達にできるのは
次の一歩を
最善であると確信したら
その通りに
踏み出すことです。

その確信を
教えてくれるのが
私達の真本音。
普段から
真本音を大切にしている人には
それが当たり前のように
起こります。

真本音とは
私達の
揺るがぬ心。

決して揺るがぬほどに
淀みなく大切にしている
私達の願い。

その真本音を
自分自身が
いつも大切にすることです。

大切にする、とは
「大切にしよう」と
いつも真剣に
思い続けることです。

その真剣さが
私達の目線を
シンプルにしてくれます。

・・・・・
私達は同時に
二つの行動をとることは
できません。

二つの別の道を
同時に歩くことは
できません。

何かを選べば、
それ以外の何かを
手放さなければ
なりません。

何かを手に入れるには
他の何かを
手放さなければ
なりません。

この現実世界は
そのように
できています。

ところが私達は
すべてを同時に
手に入れようと
します。

それが
事態を複雑に
します。

一つを選び
他を選ばない。

では、
何を選ぼうか?

一つに決め
他はしない。

では、
何に決めようか?

その単純な
選択を
一つ一つちゃんと
真剣に行なうのです。

その単純な
選択に
妥協ではなく
最善を尽くすのです。

頭でグルグル考えるよりも
次の一歩に集中する。

それが
真本音を活性化させる
一番の方法です。

人生を
シンプルに展開させる
一番の方法です。

つづく

2013年04月15日

8次元の愛 249 〜癒して進もう

自分を
まっすぐ観る眼差しは
すべてのパワーの
源です。

見たい部分も
見たくない部分も
同じ目線で見つめるとき
私達は
人間の愚かさと同時に
希望を感じ取ることが
できます。

愚かさを見つめる眼差しこそが
希望を見つけます。

そして希望を見つける眼差しが
私達自身を大きく癒し
隣の人を
同じように癒します。

私達に必要なのは
癒しです。

・・・・・
私達は
疲れ過ぎました。

疲れた自分自身に
さらに鞭を振るうよりも、
まずは
癒してあげることが
先決です。

私達は
疲れ過ぎました。
自分自身を
痛め過ぎました。

それが
反応本音の時代でした。

・・・・・
私達を
痛めつけていたのは
私達自身です。

他の誰でも
ありません。

痛いのは
自分のせいです。
すべて
自分のせい。

自分を痛めつける人は
人も痛めつけます。
自分を痛めつけるのと
まったく同じ痛みを
人に与えます。

そしてまた
人から反作用としての
その痛みが
自分自身に
返って来ます。

そのようにして
痛みの循環は
これまで延々と
繰り返されました。

私達は
痛みから逃げることばかりを
考え、
そのための方策を
取り続けました。

逃げるための
方策。

それにより
本当に痛みを消すことは
永遠にできません。

逃げても逃げても
痛みは続きます。

なぜなら
痛めつけている張本人は
私達自身だからです。

どれだけ逃げても
自分自身から逃げ切ることは
できません。

私達が痛みから
解放されるには
私達自身の生き方を
変えるしかありません。

しかし本当は
私達の本来の生き方は
私達自身が
一番よくわかっています。

ようやくそれを
思い出せるだけ
私達は
健康に近づいてきました。

それが今。

反応本音の時代から
真本音の時代への
転換点です。

・・・・・
自分を痛めるのが
当たり前だった人達が
あれっ? 
この生き方はおかしいぞ?
と、気づき始めています。

しかもそれが
顕在意識レベルで
起こっています。

その人達は
まずは、
自分がとてもとても
痛かったことに
気づきました。

痛い!痛い!

泣き始めました。

しかし本当は
これまでもずっと
痛かったのです。

これまでもずっと
自分は
泣き続けていたのです。

その事実を
ようやく
受け入れたのです。

・・・・・
痛いことは
やめればよいです。

自分を癒すことを
しましょう。

自分の痛みが
和らげば、
自然にパワーが
溢れます。

そして
痛いからこそ
これまで観えなかったこと、
例えば、
自分の願いや夢やビジョンが
自然に
観えるようになります。

これまでは
自分で自分を痛め
松葉杖をつきながら
私達は
歩いていました。

いつの間にか
松葉杖がないと
歩けない私達に
なっていました。

しかし、
痛いことをやめれば
松葉杖に頼る必要は
なくなります。

さぁ、
松葉杖を
投げ捨ててしまいましょう。

そうすると一時的に
歩くのが
怖くなるかもしれません。

最初はそれで
大丈夫です。
怖々と
歩けばよいのです。

でも、
すぐに慣れます。

松葉杖を使うよりも
断然
気持ちよく
歩けます。

本来の歩き方は
すぐに思い出せます。

思い出せたら、
だんだんとスピードを上げ、
走ったり、
スキップをしたり、
自由に進みましょう。

・・・・・
そんな自分になるために
まずできることは
何ですか?

これまで
何があなたを
痛めつけていましたか?

あなたは
何からいつも
逃げていましたか?

逃げる方向では
痛みは和らぎません。
向き合う方向にこそ、
癒しはあります。

その痛みから
抜け出るために
あなたは
何に向き合いますか?

誰に
向き合いますか?

その痛みから
抜け出るために
あなたは
何に素直になりますか?

誰に
素直になりますか?

その痛みから
抜け出るために
あなたは
何に真剣になりますか?

誰に対して
真剣になりますか?

つづく

2013年04月11日

8次元の愛 248 〜決めて向き合う

人と人の
結びつきは
そう簡単には
壊れたりしません。

今、自分と関わる
すべての人は、
自分にとって
なくてはならない
存在であると
受け取りましょう。

それは
真実です。

不必要な人は
一人もいません。
というよりも、
一人でも抜けてしまえば、
私達の真本音の願いへの
道のりは
その分、大きく
遠のきます。

どれだけ
いてほしくない!
と思っても、
その思いが強ければ強いほど
その人は
私達にとって
必要な存在です。

大切なのは、
その人と
今、向き合えばよいのか?
それとも
今は向き合うべきではないのか?
の判断です。

その判断をするのは
私達の思考では
ありません。
私達の解釈でも
ありません。
私達のする理由づけはすべて
判断の基準とは
成り得ません。

その判断をするのは
私達の魂であり
真本音です。

ですから、
自分の真本音の判断を
自分で認識することが
大切です。

そのためには、
まずは心を静かにして、
心を楽にして、
あぁ今、判断できるな。
と思える瞬間に、
静かな心のままに
判断します。

その判断の仕方は
こうです。
純粋に
自分自身に
問えばよいのです。

今、
その人と、
向き合うことは
私が本当に
望んでいること?

・・・と。
鏡の自分に向かって
問うてもよいです。

静かな心のまま
それをして、
最初に自然に
浮かぶ答えが、
真本音の答えであり、
魂の答えです。

ひょっとすると
その直後に
心が反発するかも
知れませんが、
それはただの
心の反作用です。

真本音の答えの通りに
してみましょう。

・・・・・
その人と
向き合うことを決めたなら、
次は
具体的にどうするか?
を決めます。

それも同じように
心を静かにして
自分に問います。

いつ、
その人に会おうか?

静かな心のまま
この日がいいかな、
と思う日時を
いくつか挙げます。

次は、
その人にどのように
連絡するか?
です。

それらも同じように
静かな心で
決めます。

すべて鏡を観ながら
行なうと
より良いです。

どうしても
心がざわめく場合は
時間を置き、
あくまでも
心が静かなときに
すべてを決めます。

細かい自分の動きの
すべてを
そのようにして
決めていきます。

・・・・・
そしてついに、
その人と向き合う瞬間が
来ました。

向き合うときに
最も私達の真本音が
活性化しやすいのは、
自分自身の意識を
すべてその人に
向けるという
やり方です。

苦手な人ほど
意識を向けるのは
怖いものです。
しかし、
苦手な人ほど
全意識をその人に向け、
その人に
自分のすべてを
委ねてしまってください。

意識を向ける、
とは
その人をよ〜く観る、
(観察する)
という状態です。

興味関心の眼差しで
こちらは赤ちゃんに
なった気分で
その人と向き合います。

心の中は
どのような状態になっても
大丈夫です。
どのような反応本音が
暴れても
そのままにしておきましょう。

ただただ意識を
その人に向け続けます。

そして、
自然に浮かんでくる
自分の言葉を
そのまま
その人に投げてみます。

自分の言葉を
自分で
止めないでください。
すべては
その場の為すがままに
します。

すると、
その人の真本音と
自分の真本音は
つながった状態となり、
思いもよらぬ
展開が始まるかも
知れません。

たとえ
上手くいかなくても、
そのような意識で
向き合えば、
それだけで
人は人を癒し、
信頼関係を育むことが
できるのです。

・・・・・
人と人の
結びつきは、
そんなに簡単には
壊れません。

もしたとえ
一度、壊れたとしても
真本音の望むタイミングで
向き合い続ければ、
必ずそれは
修復できます。

大切なのは
真本音の通りに動こうとする
勇気、・・・つまり遊気
ですね。

私達は、
結びつきを
より深めるために
出会ったのですから。

つづく

2013年04月10日

8次元の愛 247 〜不安定な方向に

この世に
永遠に続くものは
ありませんが、
しかし本当は
永遠に続く土台の上に
この世のすべては
成り立っています。

この世のすべては
不安定である
と思われがちですが、
しかし本当は
完全なる安定の土台の上に
成り立っています。

土台が安定しているからこそ、
安心して
不安定でいられるのです。

真本音と反応本音の
関係も同じです。

真本音という
安定した土台が
あるからこそ、
反応本音は
安心して
不安定でいられます。

不安定の奥にある
安定を
感じられるかどうか。

もしそれを
感じることができれば、
私達は
不安定であること自体を
楽しむことができます。

不安定は
恐怖ではありません。
本当は
不安定だからこそ
楽しめるのです。

人生において
不安定を恐れ、
不安定から逃げ続ける人は
残念ながらその楽しみを
一生見つけることは
できません。

人生において
不安定が悪であると
思い込んでいる人は
残念ながらその楽しみを
一生見つけることは
できません。

不安定とは
進化の「もと」。
そして
幸せの「もと」であると
言ってもよいでしょう。

・・・・・
あえて
不安定な方向に
進んでみることを
お勧めします。

なぜなら、
そうすることで
真の安定を
実感できるからです。

あえて
不安定な場所に
留まってみることを
お勧めします。

なぜなら
そうすることで
大きく進むことが
あるからです。

本当のことを言いますと、
以前までは
不安定なままでいることが
危険なこともありました。
不安定でいることで
底なし沼のように
這い上がることができなくなる
恐れがありました。

しかし今はもう
それはありません。

時代が
変わったからです。 

落ち続ける不安定は
すでになく、
いかなる不安定にも
必ず底があり、
ゴールがあります。

つまり私達は
完全なる安定の土台を
手に入れることが
できたのです。

ですから今は
心配なく申し上げることが
できます。

あえて
不安定な方向に
向かってみてください。

・・・・・
そして
不安定な場所でこそ
目を開きましょう。

しっかりと
周りを
すべてを
観察しましょう。

すべてと
向き合うのです。

すると、
不安定だと思っていた
自分自身から
解き放たれます。

安定とか
不安定とは
単なる「現象」に過ぎないことが
身をもってわかります。

そして
単なる「現象」では
決して揺らぐことのない
自分を
発見することができます。

それが
私達です。

私達人間は
本当は
単なる「現象」では
揺れ動かないように
最初からできているのです。

・・・・・
苦しいときは
苦しい、と
言えばよいのです。

悲しいときは
悲しい、と
言えばよいのです。

つらいときは
つらい、と
言えばよいのです。

揺れ揺れの心に
なればよいのです。

しかし、
そこで揺らいでいるのは
単なる心のみです。

心とは
揺らぐもの。

存分に
揺れ揺れにさせてあげて
ください。

それができれば
私達は
完全に安定している
私達自身の「本来」(実在)を
発見できるでしょう。

・・・・・
これからは
不安定な時代です。

しかしそれは
あくまでも
表面的な不安定です。

ですから
不安定さの奥にある
真の安定を
感じることのできる人には
とても楽しい時代です。

不安定とは、逆に言えば
よりよいものに
どんどん進化できる
ということです。

進化のスピードが
速まれば速まるほど
私達の「本来」(実在)は
安定します。

不安定を不安定としか
感じられないうちは
厳しい時代に思えるでしょう。
しかしこれからは
誰もが真の安定を
感じ取れる時代です。

より多くの人達が
そうなれるといいな、
と思います。

安定の土台を持つ
不安定な存在。
それが
私達人間です。

つづく

2013年04月07日

8次元の愛 246 〜稲妻に委ねよう

バチバチッと、
心の中に稲妻が走るのを
観たことはありますか?

それは怒りの稲妻では
ありません。

それは
パワーです。
力の放射です。

私達の中には
眠っている力が
ほぼ無限大に
あります。

その一部が外に
放出されようとするとき
その稲妻が
走ります。

それが観えたとき
私達がすること。
それは、
自分自身の力を抜き
自分の心を
自由に開放することです。

為すがままに
任せよ、
ということです。

稲妻とは
ちょっと怖いイメージかも
知れませんが、
それが外に向かって
放出されるときは
それは、あたたかい風
となります。

あたたかい風を
私達はこの現実世界に
広げることが
できるのです。

・・・・・
このように
あたたかい風とは
私達の内側から
自然に発するものです。

あたたかい風を発しよう、
と意図して行なうものでは
ありません。

そして、
自分自身に対して
あたたかい眼差しを持っている人は
人に対しても
あたたかい風を注ぐことが
できます。

そうでない人は
どれだけ意図的に
あたたかい風を吹かせようとしても
残念ながらその風は
人を疲弊させます。

あたたかい人とは
自分自身に
あたたかい人です。

そんな人にこそ、
心の中に
強いパワーの稲妻が
宿るのです。

・・・・・
稲妻が走るとき
その人は
開花します。

稲妻は「翼」を呼び、
その人は
翼を広げて
大空に舞い上がります。

その人は
自由に飛ぶでしょう。
その、飛ぶ姿
つまりは「生き方」に
人は感動と
感銘を覚えます。

それは
魂レベルのものであり、
理屈ではありません。

魂レベルの感動は
人の奥深くに影響を与え、
次の人の稲妻に
つながります。

稲妻とは
一種の破壊です。
それは、
自分自身の
古い魂の体の破壊
とも言えます。

魂には体がある、
というイメージを
してみてください。

その体を破り、
つまりは脱皮をし
その中から新たな体が
姿を現し、
新たな自分として
人生を続けるのです。

それは一種の
転生と
言えるかも知れません。

しかし
そういった人が
今は日々、増えています。

・・・・・
ちょっと怖い表現ですが、
今、多くの方が
自己破壊
に入っています。

もちろんそれは
良い意味の、
です。

それは
価値観を変える、とか
自分をより成長させる、とか
のレベルではありません。

自分を根本から
脱皮させるという
かなり激しいものですが、
そこにはやはり
あたたかい風のみが
吹きます。

なぜならそれこそが
真の解放だからです。

自分を縛っていたのは
自分自身に
他なりません。

そこに気づき、
自分を縛っていたその手を
自ら外すのです。

それが要するに
脱皮です。

脱皮したからと言って
別人になるわけでは
ありません。

真の自分
本来の自分に
戻るのです。

脱皮したからと言って、
これまでの個性が
なくなるのではありません。
むしろ、
これまで培った個性が
すべて、より活きてきます。

これまで短所だと
思っていた個性までもが
イキイキと輝きます。

すべては
必要なものだったのです。

ですから
安心して
脱皮しましょう。

稲妻が観えたら、
それに身を委ね、
良い意味での
自己破壊を
してしまいましょう。

・・・・・
破壊の次に来るのは
もちろん
創造、です。

真の自分に戻ったら
そこからようやく
始まります。

自分の目指す自分の
創造
です。

自分の願いの
実現です。

つづく

×

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