こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2013年04月05日

8次元の愛 245 〜喜びを喜びとして

私達には
夢があります。

それに気づいているかどうか
は別として、
必ず夢を持っています。

その夢は常に
心と魂の中心にあり、
それがあるからこそ
私達は安定して
ここに存在することが
できます。

夢は人それぞれ
個性的ですが、
すべての人の夢は
完全に調和しています。

自分が心の中心に抱く
その夢が
周りのあらゆる人達の夢と
調和している
という安心感が
私達を安定させてくれます。

自分を大切にする
とは、
その夢を大切にする
ということでもあり、
その夢を大切にすることで
私達は生きる実感を得、
自分で自分を大切にする
ということが
完全に叶います。

・・・・・
残念ながら
自分で自分を大切にしない
という人が
増え過ぎてしまいました。

それは特に、
自分は自分を大切にしている

言い張る人にこそ多いです。

そしてまた、
自分よりも他人を大切にする

言い張る人にも多いです。

自分を大切にする
のと
人を大切にする
のは
まったくイコールです。

自分を大切にできる人には
人を大切にする力があります。

自己犠牲をしながら
人を大切にしようとする人
の多くは
自分の知らないところで
人を傷つけ続けています。

つまりは、
自分の幸せの大きさと
人を幸せにする力の大きさは
比例します。

人を幸せにしたいのであれば
まずは
自分を幸せにすることです。

それはもちろん、
反応本音レベルの幸せではなく
真の幸せを
自分自身に与えることです。

真本音レベルの幸せ。

そのために必須なのが、
自分の抱いている夢を
愛するということです。

・・・・・
その夢は
永遠に続く
果てしないものですが、
しかし私達は
その夢を
日々、無意識に
実現し続けています。

夢が実現すると
その瞬間、
私達は魂の喜びを
感じます。

その喜びを
感じている自分を
感じていただきたいのです。

自分が
喜んでいることに
その瞬間に
気づいていただきたいのです。

私達はいつの間にか
そういった喜びに
無頓着になり過ぎました。
それが
私達の心の枯渇の
根本原因です。

すでにここに
喜びがあるのに、
それに気づかなくなった
私達がいます。

勿体ないことです。

魂の喜びを
最も望んでいるのは
私達自身なのに。
その肝心の
魂にフタをしています。

もっと
自分に素直に
なりましょう。

喜びは
感じればよいのです。

それが
人間ではありませんか。
もともとの
私達ではありませんか。

・・・・・
2013年2月4日。

この世から
魂のドラッグが
消え去りました。

魂のドラッグとは
何か?

それは、
魂の痛みを麻痺させ
偽りの気持ち良さを
喚起させる「もと」
と言えるものです。

それが
私達の心の中から
消え去りました。

それは誰もが
持ち合わせていたものですが、
それは
反応本音の時代の
産物でした。

しかし
真本音の時代を迎えるにあたり、
私達はそれを
手放したのです。

それが2月4日。

そしてそれにより
痛みを麻痺させるものが
なくなり、
結果として
痛いものは痛い、
苦しいものは苦しい、
と当たり前のことを当たり前に
感じ取れる私達に
なれたのです。

その影響で、
以前よりも心の痛みや
苦しみを
感じやすくなっている人が
増えています。

しかしそれは
痛みを感じ取れるだけ
健康になれた
という証です。

と同時に、
これまで麻痺していた
魂の喜びも
私達はすでに感じ取れる
私達となれています。

だからこそ、
今だからこそ、
自分自身に問いましょう。

私の夢は何だろうか?

本当の夢は
何だろうか?

私は、
心と魂の中心に
どんな夢を抱きながら
生きているのだろうか?

・・・と。
私達は真本音の時代に向かって
着実に
進んでいます。

苦しみや痛みから
逃げずに、
喜びを無視せずに
人間らしく行くのは
これからです。

やっと今が
スタートなのです。

つづく



2013年04月04日

8次元の愛 244 〜簡単なことです

ガソリンを補給しなければ
車が動けなくなるように、
人の心にも
何らかのエネルギーを
入れ続けなければならない。
・・・と、
思い込んでいる人が
まだまだ多いですが、
人の心のエネルギーとは
本来は無限です。

太陽がずっと
地球を照らし続けるように、
私達の内側から
エネルギーは湧き続け、
それがまずは魂の力となり、
そして
心の力となります。

それは決して、
絶えることはありません。

しかし、
そのエネルギーにフタをして
内側からの力が
心に行き届かない状態に
してしまうことが
あります。

それが、
真本音を忘れ、
反応本音のみで
生きている状態です。

しかしその状態は
すぐに改善できます。

自身の真本音を
大切にしよう!と
決めればもう、
その瞬間から
エネルギーは心に
行き渡り始めます。

たった
それだけのこと。

そして真本音の望む通りに
一歩一歩を踏み出せば、
そのエネルギーは
さらにさらに大きく広がり、
心全体に沁み渡ります。

それが私達人間の
本来の状態。
私達が
無限の可能性を発揮できる
自然な状態です。

その状態に
戻すことこそが
今、すべての人の
最重要テーマと
言ってもよいでしょう。

・・・・・
真本音の時代を
迎えるにあたって、
私達は
特別な自分になろうと
しているのではありません。

もともとの自分、
本来の自分に
戻ろうと
しているだけです。

それは極めて
普通のことであり、
すべての人が
そうなれることです。

それは極めて
幸せなことであり、
すべての人が
そうなることを
喜べます。

私達の本能の中心にあるのは
「進化」
への欲求です。

人とは、
進化のために
生まれ、
存在しているからです。

そして進化のために
必要なものは
最初からすべて
揃っていますし、
持ち合わせています。

新たなものを
特別に手に入れる
必要なんて
ないのです。

もとの自分に
戻るだけ。
もとの自分を
思い出すだけ。

たったそれだけ。
しかもそれは
簡単です。

呼吸をするよりも
もっと
簡単なことなのです。

・・・・・
難しく考えないで
ください。

例えば、
どのように呼吸をすればよいか?
を難しく考え過ぎると、
呼吸の仕方が
不自然になってしまいます。

上手くやろうと
し過ぎないでください。

普通にやれば
よいだけです。

最初から
それができるように
できているのが
人間です。

・・・・・
人には
体があります。

体とは、
動くためにあります。

今、
体のどこが
「動きたい」
という意志を
持っていますか?

その部分を
好きなように
動かしてみましょう。

その体を
動かしているのは
心です。

心が
動かそう、と思わなければ
基本的には体は
動きません。

では今、
その心は
何を望んでいますか?

心の望んでいることを
できる範囲で
叶えてあげましょう。

できないことは
無理にしなくてよいです。

できることを
してみましょう。

できることが
できることで、
私達の心は
喜びます。

できることが
できるだけで
喜ぶのです。

できないことに
悩むよりも
できることを
すればよいのです。

そして
心が喜べば、
心はどんどん自分自身を
開放します。

一つが叶えば、
次が出て来ます。

そうして
一つずつ、
できることを
叶えていきましょう。

すると、
いつもいつも
浮上してくる願いが
あるでしょう。

その願いは
いつもいつも
自分の中にあるな。
その願いは
とても強いな。
いつも
揺るがないな。

そう素直に
思えたら、
それは
真本音につながる
願いかもしれません。

もうこれだけのことで、
私達は
真本音とのつながりを
思い出せるかも
知れないのです。

そしていったん
真本音とのつながりができれば、
心の中にエネルギーが
湧き始めます。
自分が本来持つ
無限のエネルギーです。

それがもっともっと
たくさん湧く方向に
自分を動かして
行きましょう。

真本音で生きるとは
喜びです。

私達の
根源的な喜びです。

それは
手に届かない
どこか遠くにあるのではなく、
いつもここに、
私達自身に
あるのです。

なぜなら
私達自身が
真本音だからです。

私達自身が
本来の私だからです。

その当たり前の事実に
早く気づいてください。

私達には
無限の力が
あり、
もうすぐそれを
思う存分に
発揮しようと
しているのですから。

つづく

2013年04月03日

8次元の愛 243 〜真剣に真剣に真剣に

帽子をかぶりながら
帽子を捜したことは
ありませんか?

眼鏡をかけながら
眼鏡を捜すとか。

暗闇で
懐中電灯を点けながら
懐中電灯を捜すとか。
・・・さすがにそれはないか。笑

しかし
私達の多くは
似たようなことを
しています。

自分がすでに
それを身につけているのに。
まだそれを捜してしまう。

自分がすでに
それができているのに
まだできていないと思い込み
必要のない努力をしてしまう。

そんな人は
たくさんいます。

以前は
それも一つの道のりだな、と
のんびり眺めていましたが、
今はあえて
こう言いましょう。

そんなことを
している時間は
ありません。

早く
先に進んで
ください。

あなたの真本音は
こんなところに
留まっていたくは
ないのですよ。

一刻も早く
自分の真本音の望む速さで
前に前に
進んでください。

・・・と。

ちょっと厳しい言い方ですが、
自分の留まる必要のない場所に
留まり続けることを
自己満足
と表現することにします。

真本音が活性化すると
とても気持ちよくなります。
本来の自分に
戻れた気がします。

しかしその気持ちよさに
満足して、
そこに留まってしまう。

残念ながら
そんな人が増えているのも
事実です。

そしてそれをしてしまうと
途端に
真本音レベルのストレスが
発生します。

そのストレスは
思いのほか
つらいです。
つらいが故に
蓋をします。
そして自分が
わからなくなってしまいます。

中途半端な気持ちよさで
満足しないでください。
私達はもっともっと
先に進みたいのです。

もっともっと
スピードを
上げたいのです。

その自分の
本能とも言える
望みを
叶えてあげてください。

それができたとき
初めて私達は
すべてから自由に
なれます。

まるで遊んでいるかのような
魂の状態で
幸せに進むことが
できます。

留まることで
遊んでいないでください。
ぐんぐんと進む中で
真の遊びを
体験しましょう。

・・・・・
もう悩む必要など
ないのです。

悩んでいる暇があったら
一歩を進むことが
大切です。

真本音は
「悩まなくていいよ」
と告げているのです。

なのに悩むのは
自己満足。
人生に対する
怠慢です。

もっともっと
自分に厳しく
あってください。

そうすれば、
とても楽になれます。

ただし、
自分を責めることも
自己満足です。

自分を責めて生まれるのは
罪悪感のみ。
罪悪感では
前には進めません。

自分に厳しくするとは、
自分を責めるのではなく、
自分の足を
前に出し続けること。
ここに留まるのではなく、
一歩を
出し続けること。

真本音の望む通りに
動くことです。

・・・・・
今、
目の前に
誰がいますか?

今、
目の前に
どのような現実が
ありますか?

それを目の当たりにした
自分自身の心は
どのように
動きますか?

それらを
ただ
しっかりとあるがままに
見つめ、感じます。

そして今、
自分は
何をしようとしていますか?

何をしたいですか?

何をすべきですか?

何をしたくないですか?

何をすべきではないですか?

わかることは何で、
わからないことは
何ですか?

自分の
願いは何ですか?

自分の
使命は何ですか?

自分は
何者ですか?

さぁ、
真剣に
真剣に
真剣に
一歩を
出してみましょう。

つづく

2013年04月02日

8次元の愛 242 〜恐怖は超えるもの

私達人間の心には誰にも
恐怖
という反応本音が
あります。

恐怖の原因は
いろいろありますが、
今のこの時期に
最も湧きやすい恐怖の
理由は・・・。

それは
「意図を持ち過ぎる」
ことです。

「思惑を持ち過ぎる」
ことです。

意図と思惑とは
私達にとって大切なものですが、
しかしもしそれが
反応本音レベルのものだとしたら、
自身の真本音の望みを
阻害することになります。

自分は今、
どのような意図を
持っているだろうか?

自分は今、
どのような思惑で
進んでいるだろうか?

その問いを自身に投げ、
すべての意図と思惑を
書き出してみましょう。

書き出したものを
眺めたとき、
自分自身の魂は
どのような反応を
するでしょうか?

書き出したものを
眺めたとき、
魂は清々しさを
感じるでしょうか?

もしそうでなければ、
それらの意図と思惑は
反応本音レベルのもの。
真本音とは
つながっていないものです。

真本音とのつながりのない
意図と思惑で動いた場合、
私達は知らず知らず
大きなストレスに見舞われ、
苦しみ、
孤独に陥り、
それが恐怖感となって
認識されます。

実は最近、
真本音の度合いが
一気に高まる人にこそ、
そのような傾向が
見受けられます。

・・・・・
時代は今、
実在レベルでは
急ピッチで
進んでいます。

真本音で生きる人には
進みやすく、
真本音を無視する人には
進みづらい
流れができています。

であるが故に、
逆に
これまで「誤魔化してきたこと」が
誤魔化し切れない状態に
なりました。

これまでは
多少の恐怖を感じても
それを誤魔化し、麻痺させ
蓋をしながら
進むことができました。

しかし今はもう
無理です。

怖いものは
怖い。

つらいことは
つらい。

苦しいことは
苦しい。

と、
実に明確に
わかってしまいます。

だからこそすぐに
修正を効かすことができますが、
これまで自分を
誤魔化し続けてきた人には
ちょっとつらいかも
知れません。

でも、
することは簡単です。

恐怖を感じたら、
自分の何かがおかしいな、

まずは認めることです。

そして
恐怖のもとを
見つめることです。

その恐怖をありのままに
感じ続けることです。

大丈夫。

今はもう、
底なし沼のように
永遠に堕ち続けることは
ありません。

すべてに

は存在します。

これ以上は堕ちませんよ、
という限界が
必ずあります。

ですから
いかなる恐怖であろうとも
向き合い、
見つめ、
乗り越えることが
可能です。

・・・・・
そして
自分自身と真摯に
向き合い続ける人には
必ず、
自身の真本音が
手を差し伸べてくれます。

自分の中の光。

それが真本音です。
光は、
向き合う者に
注がれます。

そして光を
感じることができれば、
私達は
すぐに合点します。

自分が
何を起こしていたか?
を。

自分が
どのような意図と思惑によって
自分自身を
縛っていたのか?
を。

そしてその行為自体が
今の自分にとって
どのような意味を
成しており、
それを通じて自分は
何を学べばよいのか?
を。

今は
すべての時間
すべての過程が
必然です。

すべてから
学ぶことができます。

なぜなら
すべてがもはや
「進化」の方向に
流れているからです。

ですから
安心して
もがいてください。

今、
見つけようとしている
答えを
真剣に探して
ください。

光は観えなくとも
光はあります。

なぜなら、
自分自身が
光だからです。

つづく

2013年03月18日

8次元の愛 241 〜真の私を思い出す

心が弱っていても
心が強い状態でも
真本音の選択は
変わりません。

もっと正確に言えば、
真本音の選択をしやすいような
心模様を
私達は無意識に創ります。
それも真本音の意図である
と言えます。

つまりは、
心の状態を常に良くしておこう、
と思うこと自体に
意味がありません。
心の状態は
どんなであっても
構わないのです。

真本音がきちんと
表に出られるのであれば。

そう。

真本音さえフタをされていなければ
すべては調和されているのです。
どんな時でも。
どんな状態でも。

・・・・・
私達は
心の苦しみを幾度となく
味わいながら
生きて来ました。

人生には喜びもありますが、
苦しみもあります。

苦しみのない成長は
ありません。
喜びのない成長も
ありません。

苦しみも喜びも
心の作用です。

もし今、
心の中に
最も苦しい部分が
観える場合は、
思い切って
そこに向かってください。

そこと
正面から
向き合ってください。

それは
全身が痙攣するくらいに
苦しいことかも知れません。
しかしその苦しみは
多くの場合、
「出口」
を意味しています。

出口と向き合うことが
できて初めて
私達は
出口から出ることが
できます。

苦しみとは
出口が近い合図
です。

そしてその苦しみと
向き合った人にのみ
その後に
真の開放が訪れます。

そこに
真本音の存在を
ありありと
感じるでしょう。

そこには光溢れた
まばゆい青空のような
爽快さがあります。

一つ一つの出口を
そのように超えながら
私達は
魂の成長を遂げていきます。

・・・・・
もし心の中に
最大の喜びの場所が
観えるならば、
堂々とそちらに
向かってください。

そこは
新たな世界への
「入口」です。

これまで体験したことのない
幸せを得ることができる
新たな次元です。

入口を入るには
時には勇気が
必要かも知れません。

しかしそこは
遊気
です。

遊び心のままに
自由に素直に
そこに進んでみましょう。

私達を待っていてくれる
その世界には
私達の目を大きく開かせる
様々な
真本音からのプレゼントが
私達を
驚かせるでしょう。

新たな世界に入れば入るほど、
私達は知ることができます。

人間とは何か?
ということと、
人間の可能性を
です。

そしてこの世で
自分が何を為せばよいのか?
何を成したいのか?
それらが
次々に明確に
なってくるでしょう。

・・・・・
出口を出て、
次の入口に入り、
また出口を出て、
さらに次の入口に入り、・・・

そうして
心の次元を高めれば高めるほど、
心の中の世界を
知れば知るほど、
私達は自分のすべきこと、
したいことを知ります。

それらは
私達自身の真本音が
すでに決めていること。
すべて
わかっていることです。

次元を高めるということは
私達が私達自身を
思い出す
ということに他なりません。

そして
思い出せば思い出すほど、
私達は真の幸せに
近づきます。

今この瞬間、
真本音で一歩を決め、
その通りに動いてみる。
すると、
その一歩を進む度に
心の中の世界も開け、
現実と心の中と
同時に拓かれます。

それが、
真本音の時代。
真の人間の時代です。

つづく

2013年03月14日

8次元の愛 240 〜毎日毎日、決めましょう

決めたことが
実行できない。

よくあることです。

なぜ
できないのでしょうか?

理由は二つ
考えられます。

本当には
決めていなかったか。
もしくは、
本当には決めていたのに、
それを阻害する心が
大量発生してしまったか。

いずれにしましても
一度決めたことが
できないのは
気持ち悪いですね。

その気持ち悪さこそを
大切にしましょう。

気持ち悪がっている自分を
ごまかす人は
人生でますます
「決められなく」なります。

気持ち悪さに
素直な人は、
次の自分を
改善できます。

決めたことは
やる。
そのシンプルな生き方は
誰もができますし、
誰もができる時代に
入りました。

ですから私達は
決めましょう。

決めずに進むのではなく、
堂々と決めて
進みましょう。

・・・・・
これまでは
曖昧な気持ちのままでも
進める時代でした。

しかしこれからは、
決めて、
進む。
決めて、
進む。
決めて、
進む。・・・
という生き方(行き方)が
大事です。

決めている人に
流れは来ます。
決めていない人、
もしくは
決めるのを避けている人には
流れは来ません。

そのシンプルさが
これからの時代の
特徴の一つです。

決めたのにできない
ことを恐れるのではなく、
怖くても何でも
とにかく決めて
進みましょう。

そこで得られるもの
学べることは
とても多いです。

・・・・・
道は
まっすぐとは
限りません。

曲がりくねり
右往左往しながら
続くのが、
人生の道です。

しかしその右往左往も
もっと高いところから
俯瞰すれば、
ちょっとギザギザしてますが、
それは一本の逞しい道に
観えるでしょう。

右往左往を恐れて
私達は決めることから
逃げることがありますが、
少し大きな視点から
右往左往を楽しめば、
私達は
自分の道を創り上げるために
今ここで決める
ことができます。

そして
それをし続ける人に
真本音は味方をして
くれます。

つまりは、
決める人だからこそ
真本音が
活性化するのです。

・・・・・
決める、という行為は
調和を生みます。

ひょっとすると
一時的には
混沌を生むことも
あるでしょう。
しかしそれは、
本質的調和のために
どうしても必要な
混沌です。

ですから
私達は
決めましょう。

毎日毎日
決めましょう。

完全に
決めましょう。

そしてその後の流れを
共に楽しみましょう。

つづく

2013年03月12日

8次元の愛 239 〜拒むものを見つめよう

自分の発しているものに
敏感になりましょう。

私達の周りにあるものは
(すべての現実は)
私達の鏡です。

周りから自分に返って来る
反応のすべてが
私達自身が創り上げている
ものです。

ところがその
返って来るものを
きちんとキャッチしていない
ケースが多いです。

返って来るものに
敏感になり
それらをきちんと
意識化することで
私達はさらに
楽に進むことができます。

・・・・・
顕在意識で
私達が捉えていることは
ほんのわずかです。
しかし
潜在意識下では
実に多くの物事を
私達は観て、聴いて、感じて
います。

潜在意識下、つまり
無意識下で得ていることを
これからは
できるだけ意識化(顕在化)
するとよいでしょう。

無意識に受け取っているもの
無意識に判断していること
無意識に拒絶していること・・・。

そうです。
意識化(顕在化)できることで
私達は自分自身が
「何を拒んでいるか?」
にも気づくことができます。

拒んでいるものが明確になれば、
無意識に行なっていた
現実逃避
を激減させることが
できます。

真本音で生きる人はそれだけで
拒むものが激減しますが、
それでもほんのわずかですが、
拒むものは残ります。
その
最後に残る拒むものこそが
厄介です。

それがあるが故に
99.9%真本音で進めても
残りの0.1%だけ
どうしても何かに執着し
結果としてその歩みに
歪み・淀みが
生じてしまいます。
しかもその0.1%の
歪み・淀みは
とても苦しく感じるのです。

最後の一歩が
最も難しいと言われる
所以です。

・・・・・
「私はもはや
 何も拒んでいない。」
と、
鏡の自分の目に向かって
呟いてみてください。

ほんのわずかでも
自分の心や体に力みが
生まれたり、
反作用心が発生すれば
その人には
拒むものが存在しています。

その場合、
拒むものを見つけるのは
怖いことですが、
見つけよう!
という意志をもって
ください。

その意志を持ちながら
真本音を大切に歩み続ければ、
それは、想像よりも早く
見つかるでしょう。

・・・・・
拒むものが見つかれば、
それをなくそう
とはしないでください。

とにかくその
拒むものを
見つめ続ければ
よいのです。

拒むものとは
「現実」そのものでは
ありません。
それを拒むものとして
解釈し固定させている
私達自身の反応本音
です。

反応本音は
存在承認を続ければ
いつか必ず
消えるものです。
反対に
消そうと思えば、
いつまでも残るものです。

ですから
消そうとはせずに
ただその存在を
認め続けます。
それがそこに在ることを
認めます。

それだけで
それらはいつか必ず
浄化されます。

それが浄化されたとき
私達は
何かから解放されたような
すがすがしさを
感じます。

自由の風が
吹きます。

もしそれが
残りの0.1%だったとすれば
私達は
100%真本音で
生きることができます。

そして
間違えてはならないのは、
100%真本音で生きる
ということは、
100%反応本音を
大切に(尊重)できる
ということです。

つまりは、
より人間らしく
自分らしく
なれるということです。

すべての人が
真本音100%で
生きられるとよいなぁ、と
思います。

しかしそれが成されるのが
これから始まる
真本音の時代なのです。

つづく

2013年03月11日

8次元の愛 238 〜遊気の一歩

目の前に展開する現実を
見たとき、
縛られる感覚がしますか?
それとも
開放される感覚がありますか?

もし
縛られる感覚があるならば、
自分を縛っているのは
自分自身です。

その現実では
ありません。

現実とは
いっさい私達を
縛りません。

現実を前にした
私達が
私達自身を
縛っています。

縛られた私達は
縛られた狭い範囲内でしか
発想も行動も
できなくなります。
そして、
現実が厳しいからだ。
という言い訳が
出て来ます。

現実のせいに
するのですね。

現実のせい、ということは
自分以外の誰か、何か
のせいにしているということで、
それは
真本音とは最も遠い
心の場所です。

そしてその心の場所に
意識を置いているうちは
決して
現実は開かれません。

自分の心を縛っている
自分自身が創り上げた鎖。
それを
まずは自分が認識すること。
そして
その鎖から自分を
解き放つことです。

解き放つ方法は
ただ一つ。

鎖を認識した上で、
自分の真本音通りに
次の一歩を動くことです。

一般的にはその場合、
勇気が必要になりますが、
しかしそれは
一瞬です。
遊び心のような趣で
えいやっと一歩を
踏み出してしまいましょう。

すると案外簡単に
道は開けます。

それを
「遊気」(ゆうき)
と言います。

・・・・・
遊気には
力は要りません。

むしろ
力を抜くことで
遊気は出ます。

力を抜いて
意識をその現実に向け、
ただその現実を
ありのままに観ましょう。

深刻な思考には入らず、
ただ意識をそこに
向けましょう。

もし深刻な思考が
どうしてもグルグルと
自分の心を取り巻くならば、
少し時間を置きましょう。

そしてニュートラルに戻れたら
またその現実に
意識だけを向けます。

するとある瞬間に
自分が次の一歩を
どうすればよいか?が
自然に浮かんできます。

ひょっとすると
次の一歩だけが浮かび
その後の道がまったく観えない
場合もあります。
多くは
そういったときに
躊躇をしてしまうのですが、
そこで
遊気です。

遊び心を持ち、
その思いついた一歩を
進んでみましょう。

すると
次の一歩がさらに観えるか、
もしくは
一気に道が(現実が)
開かれます。

実際に何かが起こらなくとも
現実が開かれる感覚を
得るだけでも良いのです。

その開かれた感覚で
その道を
一歩を
進みます。

それが
真本音の道です。

私達の真本音は
現実と真摯に(あるがままに)
向き合う自分を必ず
ナビゲートしてくれます。

真本音とは
私達自身。
本来の私達。

本来の自分自身が
本当に望んでいる道を
進むだけのことですね。

・・・・・
真本音の道
以外の道には
入ろうと
しないでください。

そこに道は
ありません。

道を創っているフリを
している
自己満足があるだけです。

自己満足に向かう人は
自己満足すら得られず
強烈な疲弊のみが残る、
というのが
真本音の時代の特徴です。

心に鎖を縛り、
自分で自分を縛り続ける人は
要するにその
自己満足に入っているのです。

自分に苦しみを与えるのも
自己満足の一つです。
私達の真本音は
決してそのようなことを
望んでいません。

自分を縛っているのは
自分自身。

他の何物(何者)も
私達を
縛ってはいません。

その事実を
受け入れましょう。

で、
楽な道を行きましょう。

楽な道にこそ、
本当の越えるべきテーマが
あるのですから。

つづく

2013年03月07日

8次元の愛 237 〜真本音の問い その1

難しそうなテーマに
向かうよりも、
シンプルなテーマにこそ
本質につながる
深みがあります。

シンプルなテーマは
シンプル過ぎて
忘れてしまうことが
多々ありますが、
これからはいつも
シンプルなテーマに基づく
シンプルな問いを
自分自身に投げ続けることを
お勧めします。

真本音が浮上したり、
真本音が開花しやすい
問いがあります。

今回はそれらをいくつか
ご紹介しましょう。

・・・・・
一つ目の問い。
それは、

「私は、誰?」

です。

自分自身に
この問いを投げ続ければ
様々な答えが
浮かぶでしょう。
しかし、
自分から浮かび上がる
すべての答えを
出し切ってからこそが
本番です。

自分がわかっている答え
ではない、
その奥にある答えを
見つけましょう。

しかもそれは
一個や二個では
ありません。

数え切れないくらいの
答えが出ます。

それらすべてを
出し切ってみましょう。

できれば
全部を紙に書いてみて
ください。

・・・・・
二つ目の問いです。

「私は今、どこにいる?」

一見すると
意味がわからないかも
知れません。

しかしやはり同じように
浮上する答えを
すべて出してからが
本番です。

もうこれ以上
答えは出ないよ。
と思ってからが
本番です。

もうこれ以上
答えは出ないよ。
と思った時点でだいたい、
自分の持っている答えの
1%が浮上したくらいだと
思ってください。
そのくらい、
私達の中には
無限とも言える
あらゆる答えが
用意されているのです。

・・・・・
今回はもう一つ
いきましょう。
三つ目の問いです。

「ここで、
 何して遊びたい?」

何も解釈せず、
ただただ自分の魂に向けるつもりで
問い続けてみてください。

あぁこの答えいいな!
と思う答えが出たとしても
それで満足しないで
ください。

これが反応本音の答えで
これが真本音の答えで、・・・
というような解釈や評価も
無用です。

ただただ
一つでも多くの答えを
見つけようとしてください。

それをひたすらに続ければ、
真本音レベルの「何か」が
起こるはずです。

とりあえず今回は
ここまでとします。

楽しんでくださいね。

つづく

8次元の愛 236 〜楽な時代なんですよ

いつも泰然自若。
悠然としている人は
自分の心の中の揺れを
自分自身が一番よく
わかっている人です。

揺るがない人になりたいならば、
自分自身の揺れを
認識することです。

自分が感じている苦しさ、
つらさ、
弱さ、
儚さ、
悲しさ、
自信のなさ、
不安定さ。・・・

それらとちゃんと向き合い
知る人こそが
本当に揺るがない自分として
立ち続けることができます。

これまでの時代。
自分にある後ろ向きの心に
フタをし、
封じ込めることで
前向きに生きることができる
という人が大半でした。
それができる時代でした。

しかしこれからの時代は、
自分の心の中のフタが
一つ増えればそれだけ
自分の不安定さが増す、
という時代です。

自然さを受け入れることで
すべてが安定する
時代です。

不自然な判断や行為は
すべて裏目に出る時代です。

私達人間の心の中には
いろんな自分がいます。
強い自分もいれば
弱い自分もいます。
強さも弱さも
両方、認識することで
初めて私達は
安定を手に入れます。

どちらかのみに
焦点を当てたり
どちらかを抹消しようとする
その心が
不安定さを生みます。

その結果が顕著に出るのが
これからの時代の特徴です。

・・・・・
さらに。

これまでは
人の真剣さが
結果に結びつくとは限らない
時代でした。

しかしこれからは、
真剣になればなるほど
成果が生まれる
というわかりやすい時代です。

自分だけが良ければ
それでいい。
という我欲でも
パワーになり、
それなりの結果を
つくることができたのが
これまでです。

これからは、
我欲だけでは到底
成果は得られません。

そういった意味では
これまでは
甘い時代でした。
これからはある意味、
厳しい時代です。

しかしその厳しさとは
「自然」に戻るために
どうしても必要な
厳しさです。
そして人は
「自然」に戻れば戻るほど
楽になります。

つまりは、
当たり前であり自然であることを
大切にできる人ほど
楽になり、成果にもつながる
という
大変、真っ当な流れが
これから日々高まります。

あの人は
いつも苦労しているなぁ。
という人がいれば、
その人の心の中が
不自然なのです。
真本音の度合いが
低いのです。

あの人は
いつも楽ちんそうだな。
いつも幸せそうだな。
という人がいれば、
その人の心の中が
自然なのです。
真本音の度合いが
高いのです。

単純明快な
わかりやすさ。

それが
真本音の時代の
特長です。

・・・・・
人は
楽に生きたい
生き物です。

それも自然な心です。

楽に生きたい。
という自分の本能に
素直になってください。

ただし。

現実逃避とか
現状への固執とか、
これまでのやり方に
意固地になるとか、・・・
反応本音レベルでの
刹那的な楽を求める道は、
決して
楽ではありません。

それらは
苦しみです。

その苦しみに
ちゃんと気づけるかどうか
がとても大切です。

「逃げ」は
苦しみです。

「向き合う」は
楽です。

この原理は
永遠です。

楽に生きるために
私達は
すべてと向き合うのです。

それが
人間の本能です。

真本音の願いです。

・・・・・
目の前に
開かれた道があるのに
あえて
開かれていない場所に
向かう必要は
まったくありません。

開かれた道が観えるならば
そこを
堂々と進んでください。

楽々と
進んでください。

最も気持ちの良い
ペースで
進んでください。

そう言えば、
最近
面白い傾向があります。

ちゃんと自分の望む道を
進んでいるのに
ストレスを抱えている人が
多いのです。

しかもその理由は
皆さんほとんど
一緒です。

単純な理由です。

スピードが
遅すぎるのです。

望む道を行くのですから
もっともっと
スピードを上げれば
よいのです。

私達人間には
最も気持ちの良い
スピードというものが
あります。
それは私達が想像しているよりも
ずっと速いです。

ですから安心して
ぐんぐんと進めばよいのですが、
これまでのスピード感のまま
行きますので、
「遅いよ〜」
と真本音がイライラするのです。

それにより
ストレスがたまるのです。

スピードが
遅すぎるが故の
ストレス。

そんな人が今、
増えています。

ゆっくり進むことが
楽、というわけでは
ありません。

スピードに乗ることこそが
楽ちんなのです。

自転車も
ゆっくりスピードでは
不安定です。
風に乗るような
スピードが出たときに初めて
本来の気持ち良さを
感じます。

それと同じです。

真本音の時代には
真本音の時代にふさわしい
スピードがあります。

今の私達に必要なのは
そのスピードまで
「上げる」ことです。

スピードを下げる必要の
ある人は、今は
ほとんどいません。

・・・・・
開かれた道を
感じるならば、
全力疾走しましょう。

それが最も
楽、なことです。

加速なんて
すぐにつきます。

気持ち良さも
すぐに来ます。

そこには
苦労も労力も
ありません。

真本音で生きる人にとっては
本当に楽な時代です。

その「楽さ」を
満喫しましょう。

つづく

2013年03月06日

8次元の愛 235 〜ゆうきを持とう

山に喩えれば、
これまでの時代は
何かを成し遂げようとするならば、
それ相応のリスクを覚悟し
急峻で激しい岩場をよじ登るような
勇気と決断が要りました。

高い頂に立つためには
それだけの力が
必要でした。
怖さとの闘いが
必要でした。

しかし、
その険しく見えた山なのに、
その裏側を覗いたら
実は気持ちのよい草原が
広がっており、
そこはそれこそ
鼻歌を歌いながらでも
楽しく登って行ける道だった。
・・・そんな時代が
これからの時代なのです。

ただし大事なのは、
その山に本当に登りたい
と思っているかどうか?
つまりは、
真本音で望んでいる山なのかどうか?
それが、
すべてを決めます。

逆に言えば、
本当に登りたいと
思っているわけでもない山でも
頑張れば登れた時代が
これまでです。
しかしこれからは、
本当に登りたい山は
簡単に登れますが、
そうでない山は
決してその頂に立つことはできない、
という時代です。

登りたい山には登れ、
登る気のない山には
登れない。

という、
極めてわかりやすい時代が
これからです。

ようやく
自然な時代に入れる
と言えるでしょう。

・・・・・
草原のような楽な道に入れば、
自分の成長がなくなってしまう、
という考え方も
これまでの時代のものです。

ご安心ください。

それが真本音で選んだ道で
あるならば、
必ずそこには自己成長のための
テーマが現れます。
真本音の道の
真本音のテーマです。

そして、
真本音のテーマに
真摯に取り組めば、
その人は
取り組んでいるその
一瞬一瞬に
生き甲斐と使命感を
得ることができます。

ところが、
本当は草原の道を行きたいのに、
そこでは楽をすればよいのに、
これまでの経験に照らし合わせ、
あえて急峻な岩場に向かったとしたら、
そこに真本音のテーマは
存在しません。

急峻な岩場を登っているという
自己満足があるだけです。

自己満足では
真の成長はありません。
そして、
真の成長のないところに
本来の成功も達成もありません。

自己満足のテーマに向かうことは
現実逃避そのものです。
私達の真本音は
現実逃避を最も嫌いますから、
多大なストレスに見舞われます。

楽に進めばよいところは
楽に進みましょう。
わざと自分を苦しめる必要は
これっぽっちも
ありません。

楽に進みながらも
本当に向き合うべきテーマと出会い
そのテーマと共に生きるのが
真本音の時代の生き方であり、
それが自然な成長の道です。

・・・・・
ですからこれからは
勇気の出し方が
変わってきます。

これまでは
急峻な道を行くために
勇気を出していました。

できないと思うことに
あえて向かうために
勇気が必要でした。

しかしこれからは、
勇気とは
「遊気」
です。

魂と心を自由にし、
自分が本当に望む方向に
素直に動くこと。
これが「遊気」であり、
真の勇気です。

真本音の時代においては
勇気と素直は
ほぼ、イコールです。

勇気を持った人となるために
まず私達ができるのは、
自分の心を
素直に見つめることです。

真本音の意志を
知ることはもちろん、
すべての反応本音とも
向き合います。
自分の心の中にあるすべてを
素直に見つめることができれば、
それが「遊気」のもとと
なります。

「遊気」の出せる方向に
進むこと。

それが真の勇気です。

時代が変わり、
私達は過去の成功体験から
導き出せるこれまでの生き方を
根本的に
見つめ直す必要があります。

これまで違和感を
抱いていたことを
素直に
「違和感がある」
と認識することが
必要です。

それをするために必要なのは
深刻さではありません。

「遊気」ですね。

つづく

2013年03月05日

8次元の愛 234 〜開かれたところを拓く

鏡に自分の顔を映し、
自分の目を見つめながら
つぶやいてみましょう。

「私はちゃんと
 自分の道を歩いている。」

つぶやけば、その直後に
いろんな心の声が
聴こえると思います。

「歩けてないよ。」
「歩けるわけないよ。」
「自信がないよ。」
「道がわからないよ。」
「歩きたくないよ。」・・・

いろんな心の声が
生まれると思います。
これらを「反作用心」と言います。

反作用心達の声を打ち消さず
よく聴きながら、
6回
つぶやいてみてください。
「私はちゃんと
 自分の道を歩いている。」
と。

6回つぶやいてもまだ
反作用心達に
収まる気配のない場合は、
自分自身の真本音が
自分の歩き方に
満足していない
と判断すべきでしょう。

自分自身の真本音を
自分がないがしろにしている
可能性が高いです。

自分の目を
ちゃんと見つめながら
目をそらさずに
やってみてくださいね。

これをすること自体に
恐れを感じる場合は
もうその時点で
その人は自分自身の心と
向き合っていないですね。

日々の過ごし方、
自分との向き合い方を
反省する必要があります。

・・・・・
真本音の時代への転換点の今、
自身の真本音を無視することほど、
苦しいことはありません。

真本音とは
自分自身です。

真本音とは
本来の自分の
想いであり願いです。

真本音とは
魂の声です。

自分自身を本当に
大切にできるのは
自分です。
そして、
自分を大切にできない人が
人を大切にすることは
決してできません。
決して。

・・・・・
逆に、
鏡の自分に
何の苦もなく自然に向き合い、
反作用心もほとんど生まれない人は
真本音できちんと
日々、歩めています。

そういう人は
自分の歩みを
信じましょう。

自分の直観を
信じましょう。

直観通りに動くことで
発見できることは
たくさんあります。

直観で動いたからと言って
思惑通りに事が進む
わけではありません。
というよりも、
思惑通りに進まないこと
ばかりです。
しかしそここそが
面白いのです。

思わぬ展開の中に
身を置き、
その流れに身を任せることで
思わぬ道が拓ける。

それが
真本音からのプレゼントです。

そのプレゼントを受け取る権利は
誰にでもあります。
誰にでも。

・・・・・
私達は
人生の切り拓き方を
大きく変える必要が
あります。

これまでは
努力と根性と気合いによって
道を拓いてきました。

しかしこれからは
どれだけ努力しても
どれだけ根性を出しても
どれだけ気合いを入れても、
拓かない道は
決して拓きません。

道が拓くかどうかを決めるのは
ただ一つ。
「それが真本音かどうか?」
です。

そして真本音に基づいて
進むことで、
私達は肩の力を抜いたまま
自然なまま
勝手に道は開かれます。

閉じているものを拓く時代。
それがこれまで。

開かれているところを
拓いて行く時代。
それがこれからです。

その意識転換が
今の私達には
最も重要です。

つづく

2013年03月03日

8次元の愛 233 〜本当の夢を見つけましょう

これまでの時代、
つまりは、反応本音の時代において
描いた夢は
いったんすべて
白紙に戻してしまいましょう。

メチャクチャなことを
言っていますか?

いいえ。
そうでもありません。

自分の描いた夢を
今一度、
本当に真剣な眼差しで
見つめてみてください。

違和感が
あるはずです。

当たり前です。

時代が変わろうと
しているからです。

これまでの夢は
これまでの時代の中で
発想したものでした。
それは確かに、
自分自身の本当の想い
だったでしょう。

しかし今はもう
時代が変わろうと
しています。

喩えて言うならば、
これまでを江戸時代と
しましょう。
武士に生まれた人が
「立派な武士になろう」
という志を持ったとしても、
明治維新が起こり
武士そのものがなくなってしまえば、
その夢は
変えざるを得ません。
明治という新たな時代において
自分は何を志すか?
その問いに
もう一度、白紙になって
向き合わなければなりません。

今は、
そういった状況と似ています。
いえ。
今はもっと劇的に
根本的に
時代は変化しているのです。

そしてその変化を
最も敏感に感じ取っているのが
私達の真本音です。
ですから今、
改めて白紙状態となり
純粋に発想することで、
これまででは決して生まれなかった
新たな発想が
生まれる可能性が高いです。

その新たな想い、
新たな発想に
素直になりましょう。

・・・・・
世の中には
夢に依存している人が
います。

その夢がなければ
生きていけない。
その夢に向かっていなければ
進んでいけない。

という状態は
夢への依存状態です。

夢とは
依存するものではありませんし、
依存し始めた途端に
それはもう
本来の夢ではありません。

それはもう
現実逃避のための
口実に過ぎません。

・・・・・
心配しなくても
すべての人に「役割」と
「使命」はあります。

そして本来の夢とは
その役割や使命から
自然に生まれます。

それは
溢れるように生まれます。

それが溢れない人は
一人もいません。
もし溢れていないのであれば、
それはただ、
真本音と向き合っていない
だけのことです。

私は、何者だろう?

私は、なぜここにいるのだろう?

私は、どこに向かうことを
すでに決めているのだろう?

そんな問いと
真摯に向き合うことが
大切です。

答えがすぐに出なくとも
向き合い続けましょう。

夢とは
自分を依存させたり
自分を縛るものでは
ありません。

夢とは
自分を自由に
してくれるものです。
自分を開放
してくれるものです。
その夢を思い出すだけで、
全身の力がホッと抜け、
自然体に戻してくれる
心の故郷です。

本当の夢を
見つけましょう。

今ならもう
それができるはずです。

つづく

2013年02月26日

8次元の愛 232 〜私達は人間です

人は、一途に一つの道を
進めば必ず、
信じられないような力を
発揮できるように
できています。

「人間離れしている力」
と言われますが、
いえいえ、
それこそが
人間の力です。

本来の
人間の力です。

しかし本来の力を
出せる自分になるまでは
一途に道を進むことが
必要です。

ところが
それがなかなかできない。

なぜでしょう?

簡単です。
それは真本音で決めた道を
進んでいないからです。
反応本音のみで決めた道を行けば、
誰もが挫折します。
途中で飽きます。
途中で諦めます。

でも真本音で選んだ道ならば、
どんな障害があろうとも、
決してその道を
捨てることはありません。

私達人間は
そのようにできています。

・・・・・
「だから無理を
しないでください。」
と、あえて私は
伝えます。

そう伝えられて
「じゃあやめようかな」
と思うのであれば、
それは反応本音レベルで決めた
道である可能性が高いです。

その場合は
思い切って
やめてしまいましょう。

手放して
しまいましょう。

すると、その後に
自分の真本音が
観えてくるかも知れません。

もし、
このまま進めばよいのかどうか?
わからない場合は、
自分の全身全霊を込めて
進んでみてください。

中途半端な進み方では
いつまで経っても
答えはわからないでしょう。
私達は真剣になったときに初めて、
自分の「本音」に気づくのです。

中途半端な覚悟と意志であっても
進める時代は
もう終わろうとしています。

進むのなら、
とことん真剣に
とことん楽しく
進むのが真本音の時代です。

自分の道を真剣に見極めるのは、
今、です。

・・・・・
私達人間は、
人間の力を見くびるのは
もうやめましょう。

私達はこれまでの時代の中で、
人間とはこれくらいのものだ
という固定観念に
自分自身を縛り続けてきました。

そこから
開放するときです。

真本音の道を進む人は
信じられない力を
発揮します。
そして、
そういった人達が
ある一定以上に増えれば、
世の中全体では
信じられない展開が生まれます。

その準備ができた今、
私達は自らの固定観念を取り、
進むだけです。

道がわからなければ、
「わかろう!」と
真剣に思ってください。
真剣に探せば、
必ずその道は見つかります。

なぜならそれは
他の誰でもない
自分自身の真本音が望む
道だからです。

中途半端な道を見つけ
満足しないでください。
中途半端なやりがいで、
満足しないでください。
中途半端な力の発揮で
満足しないでください。

私達は私達を
見くびっては
なりません。

私達は人間です。
人間の本来は、
これから開花するのです。

つづく

2013年02月24日

8次元の愛 231 〜音楽の力

私は音楽が好きですが、
なぜ好きかと言いますと
音楽は見えないからです。

音楽は、
そのものを感じ取ることが
できるからです。

そして感じたものを
自ら映像化することも
できます。

感じたものをどう捉え、
さらにそこから何を感じるか?
そこに「自由」が
あるからです。

すべて(宇宙)の始まりは
音楽だった。

という説をどこかで
聞いたことがありますが、
個人的には
結構その説、好きです。

・・・・・
私達は目で見て、
耳で聞いて、
体で感じながら
生きています。

しかしそれらはすべて
「現象」
です。
つまりは、
「実在」
の結果(反映)です。

私達は「現象」をすべてである、
と思い込みながら
これまで生きてきました。

「現象」をどう捉え、
どのように次の「現象」を
生み出せば幸せになれるか?
そんなことばかりを
してきたように思います。

しかし時代は
変わります。
これからは、
「現象」を創り出している
「実在」を
いかにあるがままに
感じ取ることができるか?
それがすべての始まりです。

そしてその練習をするのに
最も適しているものが
音楽であると
私は思います。

・・・・・
音楽を聴くとき、
私達は耳でそれを捉えます。
そして体で何かを感じたり、
時には自分の中で
感じたものを映像化します。

そして(その時々ですが)
感動を覚えます。

それは、
「現象」レベルの感動です。

お勧めは、
そこからもう一歩奥に
行ってみることです。

耳と体と目で反応していることを
まずはあるがままに感じ取ります。
そしてそのまま、
すべてを開放してみてください。
つまりは、
すべてを手放すのです。

パァーっと
すべてを体全体から解き放つ
ような感じです。

そしてただただ
流れてくる音に
身を委ねます。
心を委ねます。
魂を委ねます。

するとどうでしょうか?

そこに「何か」の存在を
感じませんか?

それが
「実在」
です。

その音楽を形作っている
「実在」です。

ただしその「実在」とは
居心地の良いものとは
限りません。

その音楽を創った人の
魂の状態がそのまま
反映されているからです。

ですから様々なジャンルの
様々な音楽で
試してみてください。

そして今の自分にとって
最も居心地の良いものを選び、
それを聴きながら、
「実在」を感じ取る練習を
してみてください。

ある時ある瞬間
「現象レベルの感動」ではなく、
「実在レベルの感動」と
出会えるかも知れません。

・・・・・
よくよく考えてみますと、
私の「実在」を捉える力を
なぜ伸ばすことができたか?
というと、
私が音楽をよく聴くから
という実に単純な理由に
思い当たりました。

目に見えるものではなく、
見えないけれども
五感を使うことができるもの。
それが音楽であり、
それはとても面白い存在です。

世の中に
良い音楽が満ち溢れるとよいなぁ、
と思います。

つづく

2013年02月22日

8次元の愛 230 〜幸せの基本

やはり、絶大な力を
持っていますね。
私達の真本音は。

世の中の根本的とも言える
その変化に
私は正直、
想定外の驚愕とも言える
気持ちを抱いています。

その流れはあまりに速く、
あまりにスムーズです。

毎日、多くの人達と
正面から向き合い続けていることで
よくわかります。

すべての人々の
心の奥に流れるものは
明らかに変化しました。

すべての人々の、
です。

そして、次のようなことも
わかりました。

自分の反応本音を
自分の真本音だと思い込み
生きてきた人達は
これからかなり
苦しくなるな、と。

そして、
自分が真本音で生きている、と
(つまり、本当の人生を生きていると)
自分に思い込ませ、
ある意味、自分を誤魔化したり
自分を騙したりしていた人達の道は、
これまでは何とか
辻褄を合わせながらも
続いて来ましたが、
これからはもう本当に
立ちゆかなくなるな、と。

特に後者に関しては、
自分で知らず知らずのうちに
無意識に
し続けている人が
近年、増えていました。

真本音で生きているフリを
していること。
実は現実から逃げ続けて
いること。
その事実をちゃんと
自分で認めればすぐに、
本当にその瞬間に
すべては好転し始めますが、
そうでないうちは、
すべてが暗転します。

好転か、
暗転か。

その差が
あまりにも明確過ぎるのが
今の流れなのです。

・・・・・
今自分が本当に
自身の真本音を
大切にできているかどうか?

その最も簡単な判断方法は
次の問いに直観的に
答えることです。

「今、魂は静かですか?」

どれだけ心が揺れ動いていても、
どれだけ自信がなくても、
魂が静かな人は
ちゃんと真剣に生きています。

真本音を
尊重できています。

魂が静か、ということは
魂が満たされている
ということです。

表面上はどれだけ活気があっても
どれだけ激しさがあっても
真剣な人は
いつも魂が静かです。

逆に言えば、
魂の静けさが、
本当の活力とパワーを
生み出してくれます。

さらに逆に言えば、
魂がざわめきながらの
活力やパワーは
自然とは言えません。
それは
疲弊のみを生む結果と
なるでしょう。

・・・・・
さらにもう一つ、
自分が今、本当に真剣か?
真本音を大切に
生きているか?を
判別する簡単な視点があります。

やはり次の問いに
直観的にお答えください。

「すべての現実は
 自分が創っていますか?」

素直にYESと答えられる人は
魂が静かです。
そうでない人は
多かれ少なかれ、
真本音で生きているフリを
しています。

特に、
他人のせいや環境のせいに
している人は、
今自分が
真本音から最も遠い所にいることを
受け入れた方がよいですね。

人は、
真本音から遠ざかるほどに
苦しくなります。
現実がどれだけ幸せに見えても、
苦しくなります。

逆に、
真本音そのものとして
生きている人は、
どれだけ苦しい現実があったとしても
根底は
いつも満たされ
幸せです。

そしてこれからは
そういう人に
現実は開かれていきます。

これまでは
矛盾の世界でした。

心の根底(実在)の幸せが
現実(現象)の幸せにつながるとは
限らない世界でした。
しかしこれからは、
心の根底(実在)の幸せな人こそが
現実(現象)の幸せを
生み出せる時代です。

やっと
自然な世界に
なろうとしています。

しかしその流れがあまりに
急激なので、
さすがに私も
びっくりしているわけですね。

今一度、
今のうちに、
もう一度ちゃんと自分と向き合い、
自分の「あるがまま」を
ちゃんと認識しましょう。

それがこれからの時代を
幸せに生きる
基本中の基本です。

つづく

2013年02月04日

8次元の愛 229 〜反応本音は自由に

真本音の流れが
強まっているからこそ、
私達は
反応本音を
大切にしましょう。

反応本音とは
生きる糧です。

外部環境からの影響
現実からの影響
その中の反応として生まれる心。
それが反応本音です。

それは確かに
「反応」でしかありませんが、
それでもそれは「建前」ではなく
「本音」です。

自分自身に湧き上がる
「心」です。

真本音は素晴らしく
反応本音はダメ、
ではありません。

今この瞬間に
自分の中に強く存在する
反応本音を
あるがままに見つめ、
あるがままに愛することで
私達は
真本音と反応本音のコラボを
実現することができます。

反応本音はそれ単体のままでは
脆弱で
不安で
不安定で
頼りないものですが、
真本音と結びつくことで
私達の人間としての個性と
魅力を
創り出してくれます。

そして真本音の力を
助長してくれます。

真本音で生きる人とは
反応本音を大事にする人であり、
反応本音を大事にするとは、
あるがままに反応本音と
向き合うことであり、
あるがままに向き合うことで
私達は
反応本音に振り回されるのではなく、
反応本音と共に
幸せな人生を創り上げることが
できます。

・・・・・
ところが、
真本音を大切にしようとするあまり、
反応本音をないがしろにしてしまう
人がいるのも確かです。

そういった方は
反応本音に対して
「解釈」をしています。

例えば、
この反応本音は良いけれど、
この反応本音は悪い。
と言った感じです。

例えば、
「あの人が好き」
という気持ちは良いけれど、
「あの人が憎い」
という気持ちは悪い。
と言った感じです。

「憎い」という気持ちは
確かに
消したくなるものかも
しれません。

しかしそれがそこに
存在している理由と
意味があります。

良いか悪いか?
という解釈をすれば
それは「必要ないもの」に
なってしまいますが、
すべては
「必要があって」
そこに在るのです。

ですから、
「解釈」をするよりも
ただそれを観て、
感じてみましょう。

それが
反応本音を愛する
ということです。

どのような心があっても
どのような気持ちがあっても
すべてを解釈せずに
ただ観て感じることをすれば、
自分自身の心は
とても喜びます。
魂も
喜びます。

それにより
私達の真本音は
活性化します。
結果として、
真本音の選択が
しやすくなります。

この心は良くて、
この心はダメ。
というように、
自分の心の選り分けを
する人のほとんどは、
自分の真本音が
わからなくなります。

そして、
いつも大きく湧き上がる
反応本音の一つを、
自分の真本音であると
勘違いし、
結果として苦しむことに
なるのです。

私達は人間です。

人間の心には
ありとあらゆる気持ちが
発生します。
どんな気持ちが発生しても
良いのです。

自分自身の行動は
自分で制御する必要はありますが、
心の中は
自由にしておきましょう。
つまり、
反応本音はいつも
自由なのです。

そして、
反応本音が自由になればなるほど、
真本音は
その姿を歴然と現わし、
自由に動けるように
なるのです。

真本音で生きるとは、
反応本音を抑えることでは
ありません。
真本音で生きるとは、
反応本音を自由に
することなのです。

つづく

2013年02月02日

8次元の愛 228 〜解釈からの解放へ

真本音の流れが強まった今、
私達にとって特に重要なのは
これまでの経験による
「解釈」
を手放すことです。

人生経験は
解釈を生みます。

人生経験の豊富な人ほど
解釈が多くなります。

そして様々な視点から
様々な解釈のできる人が
これまでは
「できる人」
でした。

しかしそれは
反応本音の時代でこそ活きる
一つの特徴でした。

もう時代は変わります。

これからは
経験による解釈から
いかに抜け出るか?

いかに日々、
解釈を手放せるか?

そここそが
重要です。

・・・・・
とは言え、
人間とは解釈の生き物
です。

解釈を手放すことは
できるのでしょうか?

解釈とはある意味
人間の知恵であり、
その解釈があるが故に
文明は発達してきました。

しかしあえて
申し上げます。

これまでの文明の発達とは
あくまでも反応本音の時代における
発達であり、
それは私達の魂が進化する方向とは
逆行している流れでした。

しかし、
そういった逆行をとことん
やり尽くしたからこそ、
今の人類の根底での気づきがあり、
そのおかげで
私達は真本音の流れを
取り戻しました。

ですからすべては
必然の流れです。

だからこそ私達は
流れが変わったことを
認識し、
時代が変わることを
認識し、
本来の在り方に戻る必要が
あります。

その大転換の最初が
この2013年です。

そしてその第一歩が
解釈を手放すという
ことです。

これまでの時代では
人間は解釈する生き物
でした。

しかし本来の人間の持つ
最も深く強い本能は

「あるがままを感じたい」

なのです。

この世界は
現象の世界ですが、
その現象を生み出す
「実在」
がすべての物事の根底に
あります。

実在そのものを
あるがままに感じ取ることが
私達人間の
真の幸福です。

それが、
私達の真本音が
望んでいることです。

・・・・・
「実在」を感じるためには
まずは
あらゆる「現象」と
あるがままに向き合う
ことです。

これまでのクセによって
解釈することは
あるでしょう。
それはクセですから
しょうがありません。

ですから
解釈もOKだ
ということで最初は
いきましょう。

解釈もOKという風にすれば
逆に
今自分が何をどう解釈しているか?
がありありと観えてくると思います。
それをまた
あるがままに観て
感じるとよいでしょう。

そうです。つまりは、
自分自身の解釈そのものを
一つの現象として捉え、
それ自体を
あるがままに感じ取るのです。

すると、
いかに解釈が自分自身を
苦しめていたか?
ということに
気づけます。

私達人間の人生の苦しみの
源泉の一つは
解釈なのです。

解釈することで
私達は心の苦しみを
生じさせているのです。
そして、
解釈を手放すことで
いえ、
解釈そのものも
あるがままに感じることで
ほとんどすべての苦しみから
抜け出ることができます。

それこそを
私達の真本音は望んでおり、
その方向に行くことが
魂の成長です。

魂の成長とは
楽な方向に向かう成長です。
解釈が増える生き方とは
苦しみの方向に向かいます。

私達はこれから
本来の人間としての
生き方を探究し、
本来の自分を
取り戻す旅をします。

それがこれからの
人生です。
2013年からの
人生です。

これまでの価値観を
それこそガラッと大きく
変えていきましょう。

いえ、それは
「変える」のではなく、
「もともとのものに戻す」
「本来を思い出す」
ということに
他ならないのです。

つづく

2013年01月31日

8次元の愛 227 〜さらばイケイケどんどん

似て非なるもの。
今回のテーマです。

真本音の流れに乗ることと、
イケイケどんどんになることは
似て非なるものです。

いえ。
真逆なことであると
言ってもよいでしょう。

それはあえて言えば、
確信と
自信の
違いと言ってもよいでしょう。

自分の判断や決断に
自信を持ち、
その自信に基づいて
行動することを続ければ、
その人は
イケイケどんどんに
なりやすいです。

私には自信があります。

そんな心の声が
もし自分の中に観えたなら、
ちょっと要注意です。

確信に生きる人は、
多くの場合、自信はありません。
なぜなら確信とは、
自分から生まれ出ているもの
とは、到底思えないからです。

とは言え、
天から与えられたもの
ということでもありません。
一番正確な表現は
「すべての真本音と
 共に創るもの」
ということでしょうか。

確信とは
真本音と真本音のコラボ
です。
自分に自信を持ち
自分の決断を最も信じる、
という人からは
残念ながらそれは
遠のきます。

・・・・・
真本音で生きる人は
イケイケどんどんには
なりません。

イケイケどんどんとは、
周りが観えなくなる状態
です。

要するにKYです。

自分の独りよがり
であり、
自己満足です。

そういった人からは
周りの人達の心は
どんどん離れます。
ただ、
ついて行っているフリ
はし続けるでしょう。

ですから、
本人は気づきません。
しかし、
どこか自分が孤独であることを
自分自身がよく知っています。
その孤独を紛らわすために、
さらにイケイケどんどん度合いが
高まります。

独断度合いが
高まります。

すると、
必ずどこかで失敗します。

今は
真本音の流れが
圧倒的に強くなっていますから、
そうなる確率と展開も
速くなります。

つまりこれからの時代は
イケイケどんどんでいればいるほど
すぐに躓く結果を
生み出しやすいのです。

・・・・・
しかし、
イケイケどんどんになれる
という人には
心のパワーがあります。

そのパワーを
抑える必要はありません。

することは簡単です。
真本音で
生きるのです。

真本音で生きるためには、
周りをよ〜く観察する
のです。

自分の価値観や信念は
ちょっと横に置いておき、
本当は今、
何が起きているか?
本当は皆、
どう思っているのか?
本当は私は
何をすればよいのか?

あるがままの現実と
向き合うのです。

そこに自分の解釈は
必要ありません。
評価も判断も
必要ありません。

ただ、
あるがままを観て、
すべての存在を
受け入れれば、
自動的に
確信が生まれます。

自分の次の一歩が
わかります。

頭で考えそれを見つける
のではなく、
何もしないことで
自然に見つかります。

すると体は自然に
動いているでしょう。

それこそが
真本音コラボであり、
真のイケイケどんどん
です。

真のイケイケどんどんとなれば、
その人は
本当に必要な道を、
道なき場所に
創り出す力強さを
発揮するでしょう。

すべての人達と共に
すべての現実と共に
すべてを活かしながら
道を創るでしょう。

その本来の魅力を
掘り出してください。

応援しています。

つづく

2013年01月26日

8次元の愛 226 〜順流に乗る生き方を

めくるめく展開です。

目が回ります。

時々、
何が起きているのか
まったくわからなくなる瞬間が
あるくらいです。

それほど、
今の流れは
凄いです。

世の中の現象レベルで
起きていることは
まだまだ混沌としています。
いえ、
それどころか
その混沌度合いは
さらに高まる気配すら
あります。

しかし、
現象を生み出すもの。
その奥にある実在。
そのレベルで観ますと、
そこにはもう、
まばゆい光を感じます。

その光は
凄まじい、とも言える
広がりと流れを
日々、創り出しています。

・・・・・
私達はそろそろ
きちんと認識する必要が
あるでしょう。

これまでは
光よりも暗闇が勝る
流れであったと。
そして
暗闇が増しつつある
時代であったと。

いつの間にか私達は
暗闇を増す流れこそが
「進化」である
と勘違いしてきました。
それはある意味、
川が逆流するような
ものでした。

私達は
上流から下流へと
自然に流れて行きたいのです。
それが
人間の本能です。

人間の本能は
海に流れ着くのを
望んでいます。

上流から下流へと
海に向かって
悠々と進むことを
誰もが心の根底で
願っています。

にも関わらず、
これまでの時代は
下流から上流へと
逆流する不自然な状態が
続きました。
その状態こそ、
私達人間が創り出してしまった
ものですが、
「逆流が普通である」
と、
私達はいつの間にか
思い込みました。
そして、
逆流に上手く乗るコツを
掴み、それを
「進化である」
と思い込みました。

逆流に乗れる人こそが
すばらしい人である、と
思い込みました。

それがこれまでの
時代でした。

恐らく、・・・というか、
ほぼ間違いなく
人類が歴史を始めた
この何千年間は
ずっと逆流の時代でした。

それを
反応本音の時代と
言います。

私達は
川が逆流する時代に生まれ、
それが正しいと
思い込んで来た。
という認識を、
そろそろきちんと
する必要があります。

・・・・・
そして、
その「逆流」が
この約2ヶ月間で
一気に「順流」へと
大転換しました。

しかもその転換は
完了しました。

それを成し遂げたのも
もちろん
私達人間です。

私達全員の
真本音です。

私達全員の
実在です。

逆流が順流に変わった
ということは
これからは
逆流に上手く乗る
という必要が
なくなりました。

むしろ、
逆流に上手く乗ろう
というこれまでのやり方は
まったく通用しなくなる、
と言った方がよいですね。

これまでと同様の
逆流が自然であると
思い込んだ生き方をすれば、
当然ですが、
すぐに行き詰ります。

恐らく残念なことですが、
その行き詰った人達は
別の行き詰った人達と
争いを起こすでしょう。

その争いは
ますます激しさを
増すでしょう。

しかし、
順流であることに気づき
順流こそが自然であると
思い出し、
順流の生き方
(真本音の生き方)
をする人には
驚くほどに簡単に
道は開けます。

そういった人達が
急増したのが
昨年(2012年)でした。
その急増度合いは
ますます高まり、
ある一定以上の割合を超えれば、
時代は一気に
転換します。

それが真本音の時代の
スタートです。

恐らくそれは
今年の7月から8月にかけて
訪れるでしょう。

・・・・・
私達の真本音は
活性化しています。
そこは
自信を持ちましょう。

これまでは
真本音で生きようと思っても、
川は「逆流」していましたから
ある意味、生きづらかったかも
知れません。
しかし、
もはや「逆流」は完全に消え、
「順流」の流れの勢いは
凄まじいですので、
私達の真本音は
その流れに簡単に乗れる
現象レベルの選択を
することができるでしょう。

ですから今こそ、
自分と向き合うときです。

これまでの
成功体験は
あえてもう
手放してください。

そして、
自分の心と
自分の魂と
向き合い、
現実と
向き合い、
本当に素直に
清々しく
迷いなく
確信をもって
こうしよう!
と思える一歩を
踏み出し
続けましょう。

誰もが
それができますし、
誰もが
それを伝播できます。

一日でも早く
一分一秒でも早く
真本音の時代を
私達自身の力で
招き入れましょう。

2013年は
歴史的な一年です。
私達の
記念すべき
一年となるでしょう。

つづく

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