こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年12月19日

8次元の愛 225 〜流れに乗るだけ

大丈夫だよ。
といくら言っても
それでも不安になるのが
人間です。

流れはできているのですよ。
といくら言っても、
これまでその流れはなかったのですから
不安になるのは当然ですね。

人から言われたアドバイスには
力はありません。
大切なのは、
そのアドバイスに基づき
自らの「観よう」とするものを
観ることです。

そして実感することです。

よ〜く観てください。
よ〜く感じてください。
これまでなかった流れが
今は確かに
ここにあります。

これまでは
自らの力で加速をしなければ
なりませんでした。
そこにはかなりの
勇気とパワーが必要でした。

しかし今はもう
えいっ、・・・と
その流れに乗るだけです。
たったそれだけで
すべてが私達を
運んでくれます。

楽ですね。

本当に楽になりました。

なぜ楽になってきているのか?
その答えは簡単です。
真本音の時代が
もうすぐそこまで
来ているからです。

・・・・・
ですから逆に
こうも言えます。

決めたことを
実行に移さない、
というのは
単なる「怠慢」です。
・・・と。

ちょっと厳しい言い方かも
知れませんね。
でも、そうなのです。

なぜならもう
真本音で決めたことは
すぐにできるはず
だからです。

自然の流れが
私達を完全に
サポートしてくれるからです。

そのサポートを感じながらも
何もしない
ということは、
これは自然を無視した
怠慢です。

そして
怠慢にふける人の前からは
残念ですが、
その流れは消えていきます。

自分自身と向き合い、
自分の真本音を大切にし、
現実と向き合い、
真本音の一歩を踏み出そうとする。
・・・ただそれだけ。
それをしようとする人の前から
流れが消えることは
決してありません。

・・・・・
もはや実在レベルでは
私達を妨害するものは
ありません。

ただ、
この3次元世界では
物事の進展が
一歩一歩です。

実在レベルでの「現実」が
3次元の現象レベルでの「現実」へと
反映されるのには
少し時間がかかり、
そこに時間差が生まれます。
それがジレンマやストレスを
生むかもしれませんが、
しかしたったそれだけのこと。
それ以外に、
私達を拒むものは
何もないのです。

ですから
自信を持ちましょう。
いえ、
自信はなくてもよいですから
自分自身の確信に
素直になりましょう。

先は観えなくとも
よいのです。
すぐ目の前の一歩が
観えなくなることは
ありませんから。

今わかるすべてを
わかればよいのです。
わからないことは
わからないままにしておくところに
意味があります。

わかることはわかり、
わからないことはわからずに
今この一歩を
進みましょう。

すると道ができるどころか、
現実はグングンと
まるで大空を羽ばたくがごとく
開けてきます。

それが「今」です。

そして「これから」です。

時代は節目です。
これまでの反応本音の時代に
培ったすべては
もはや手放し、
新たな自分として
いえ、本来の自分として
真一文字に
進みましょう。

つづく



2012年11月17日

8次元の愛 224 〜猛進しても大丈夫

ちょっと今
ひと安心しています。

これまで経験したことのない
「停滞」
を経験していたからです。

なぜあえて停滞していたのか?

そこにはそれぞれの
意図と意味が
もちろんありますが、
それをわかっていたとしても
それでもちょっと
あせりました。

しかし、
停滞の後には「猛進」あり。

今、すべての物事は
凄まじい、と言ってもよいくらいの
勢いで進み始めました。

この勢いの先に
再び停滞はあるのでしょうか?

どうも今回ばかりは
そんな気配がどうしても
しないのです。

・・・・・
翼をいっぱいに広げて
早く飛び立ちたくてしょうがない!
という人は今
とてもたくさんいるでしょう。

そういう人ほど
恐らく「停滞」を
感じていたかも知れません。

しかしもう大丈夫。

翼を目一杯に羽ばたかせ
躊躇なく飛び上がることが
できますよ。

もう遠慮も
手加減も
必要ありません。

全力を出しても
大丈夫。
そんな流れが今、
できあがりました。

・・・・・
ただし、
その流れはいまだ、
序の口の段階です。

今の流れは
次の流れを呼び起こし、
たくさんの流れが拡散し、
すべての流れがうねりながらも
一つの方向に
真一文字に進みます。

そして、
私達がいるこの流れは
実は支流の一つに
過ぎません。

勢いを増した私達は
いよいよこの後、
本流に合流するのです。

それが
真本音の時代の
スタートです。

すべての障害は
すでに除去されたと言って
よいでしょう。

あとはこのまま
そのまま
身を任せましょう。

・・・・・
時代は変わります。

明らかに
時代は変わります。

この世に存在する
あらゆるものが
変質をしていきます。

既存の何かから
ヒントを得るのではなく、
自らの真本音に
素直に進みましょう。

遠くを見渡す必要は
ありません。

今ここにおける
次の一歩を
真本音で決める。

それをただ丁寧に
行ない続けるだけですね。

つづく

2012年10月31日

8次元の愛 223 〜勇気と決断のとき

私はこれがなければ
生きていけない。

そういった大切なものを
誰もが持っています。

これがなければ
私が私でなくなってしまう。

誰もがそういった
守るものを持っています。

すると、
「それ」が自分であると
思い込みます。

「その人生」が
自分の人生であると
思い込みます。

それを
手放すのです。

手放すときが
来ました。

それが
今、です。

・・・・・
自分の最も大切なものを
手放す。

人生で最も大切なものを
手放す。

そんなことは
できるはずがない。

誰もがそう思います。

そんな人生は
いやだ。

誰もがそう思います。

手放すなんて
ひどい。

誰もが必ず
そう思います。

しかし「それ」を
手放すときが
来ました。

それが
今、です。

・・・・・
怖い。

手放すのが
怖い。

ひどい。

手放すなんて
ひどい。

それは
人の道ではない。

それは
冷酷非道だ。

その通りです。

しかし
それでも
手放すときが
来たのです。

それでも私達は
「それ」を
手放さなければ
ならないのです。

手放すことで初めて、
この先の道が
現れるのです。

手放さないことで
道は消え、
私達は永遠に
ここに停滞することに
なります。

いえ、
永遠の停滞は
ありません。
永遠の停滞とは
自分自身の消去
に他ありません。

私達の真本音は
今、
深く望んでいます。

「それ」を
手放すことを。

ここが人生における
最大の勇気です。

勇気を奮うときです

手放すことが最善であることは
誰よりも
自分自身が一番よく
わかっているのでは
ありませんか?

・・・・・
手放すことができた人は
幸いです。

手放すことで
その人は初めて
知るでしょう。

自分が本当は
何者であったか?

自分は本当は
何のために生まれてきたか?

自分は本当は
何をしたかったか?

手放なさいうちは
決して
その答えには
行き尽きません。

この世界は、
この3次元の世界は
手放さない者には
何も与えてはくれないのですから。

そして
きちんと「それ」を手放した者には
最高の道を
プレゼントしてくれます。

もちろんそのプレゼントとは
自分が自分自身に与える
最高最大の
恩恵です。

・・・・・
「それ」を手放すのは
真本音だろうか?
反応本音だろうか?

もはやその問いは
必要ありません。

今、
まさに今、
心に想い浮かんでいる「それ」を
手放すことが
真本音の選択です。

怖いですか?

悲しいですか?

誰もがそうです。

しかし誰もが今は
その
勇気を奮うときです。

なぜならそれが
真本音の時代への
扉を開くからです。

私達はそろそろ、
本当にもうそろそろ
先に進もうでは
ありませんか。

つづく

2012年10月23日

8次元の愛 222 〜魂の洗濯

沈みゆく夕日なのか?
それとも
昇りゆく朝日なのか?

その区別は
一見、つきづらいものです。

あきらめて見捨てているのか?
それとも
執着を解き、手放しているのか?

その区別も
難しいですね。

情熱を押しつけているのか?
それとも
魂に渾身の一言を注いでいるのか?

意固地になっているのか?
それとも
守るべきものを守っているのか?

自己満足の成長なのか?
それとも
真の進化なのか?

自己愛なのか?
それとも
真の愛なのか?

自己満足なのか?
それとも
真剣なのか?

似て非なるもの。

表面上は同じでも
本質の異なるもの。

今の世の中には
それらが混在しています。
残念ながら
区別をつけられずに
苦しんでいる人も
多いです。

そう。

区別をつけられない苦しみ
というものがあります。
そしてそれらが
今の世の中には
満ちています。

・・・・・
意図的に「不幸せ」を望む人
は少ないでしょう。

人は皆、
「幸せになりたい」
存在です。

ところが「幸せ」にも
2種類あります。

「真の幸せ」と
「幸せもどき」です。

幸せもどきは
心も苦しみますがそれ以上に
魂が苦しみます。
そこに
成長はありません。

魂の次元は
下がり続けます。

真本音の時代がもうすぐ
の今、
実はそういった人達が
急増しています。
時代の変換点だからこその
「混沌」の一つです。

混沌を恐れる必要は
ありませんが、
私達はもっと楽に
進んでもよいのでは?

・・・・・
成長に「苦しみ」は
必要ですが、
苦しみにも、
「真の苦しみ」と
「自己満足の苦しみ」が
あります。

自己満足の苦しみは
現実逃避のための苦しみ
でもあります。
無意識にですが意図的に
自分を苦しませ、
苦しんでいることで
自己満足し、
本当に向き合うべき現実から
目をそらしています。
しかし
その苦しみは自分の意図よりも
何十倍もの大きな
意図的でない苦しみを
魂レベルの深い場所で
新たに発生させてしまいます。

そしてその
魂レベルの苦しみにより
現実と向き合う力は失われ、
さらに現実逃避のための苦しみを
無意識に意図的に
自ら創り出すという
悪循環に入ります。

その悪循環から
抜け出せずにもがいている人が
実に多いのです。
そのほとんどは
自覚していません。
自覚さえすれば
そこから抜け出ることも
できますが、
残念ながらそういう人ほど
「自分は幸せだ」
「自分はちゃんと成長している」
と思い込んでいます。

似て非なるもの、
の代表です。

・・・・・
鏡を観てください。

自分の顔を
観てください。

ありのままに
観察し続けてください。

すると
自分の顔に漂う「本質」が
だんだんと浮き彫りになります。

観続けているその顔は
幸せそうですか?
不幸せそうですか?

光が放たれていますか?
それとも
暗さが漂っていますか?

もし
光よりも暗さを感じる場合は、
苦しんでいる証拠です。

そういう人は
まずはその「現実」を受け止め
鏡に映る自分自身の
目に向かって
自分の愛を注いでください。

人の目からは
愛のパワーが放出されます。
自分を愛そう
と真剣に想いながら、
自分自身の目を
しっかりと見つめてください。

それを朝晩
やり続けてください。
自分が納得するまで
やり続けます。

まずは自分が自分に
あるがままの愛を注ぐ。

それがすべての
スタートです。

似て非なるもの
を区別できる自分になるには
自分自身の魂を
きれいに洗い続けることが
大切なのです。

魂の洗濯ですね。

つづく

2012年10月03日

8次元の愛 221 〜出会う前の一言

人と人が出会う
ということは、
「わたし」以外のもう一つの存在を
知る、ということです。

そして、
もう一つの存在と関わることで、
「わたし」とその人との間に
様々なエネルギーを発生させる
ということになります。

二つの存在は
エネルギーを生みます。

その二つの存在だからこそ
生み出せる独特の
エネルギー。

二人だからこそ
生まれるもの。

そのエネルギーを
私達は感じ取り、
自らの魂に
取り込みます。

多くの人達と出会えば出会うほど、
魂には様々なエネルギーが
蓄積します。

もちろん、
正のエネルギーだけでなく
負のエネルギーもあります。

良い出会いは
正のエネルギーを生み、
正のエネルギーは
私達の魂を元気にし、
元気になった魂は
周りの人達の元気のもと
となります。

出会うその瞬間に
自分の魂には
どのようなエネルギーが
満ちているのか?
それにより、
その後の流れが
まったく変わります。

同じ人との出会い
であったとしても、
そのタイミングと魂の状態により
まったく異なる展開と
なるのです。

私達の真本音は
出会いの大切さを
つくづく
わかっています。
いつも最高の出会いを
し続けたいと
願っています。

真本音に基づいて
一つ一つの選択をすることは、
その、最高の出会いを
必然的に起こします。

・・・・・
私達の魂は
知っています。

出会った瞬間の
その衝撃を。

そのとき、
どのような波が
起こるかを。

出会いには
いろいろなものがありますが、
人生で最大の衝撃を起こす
そんな出会いを、
いつかは誰もが
経験します。

一つの大きな衝撃は
自分以外の誰かの魂にも
波動として伝わります。
つまり、
一つの出会いは
一見、何の関係もないような
他者の人生に
大きな影響を与えます。

出会いという衝撃は
世の中のあちこちで
常に起こり続け、
まるでそこには火花が
立つかのようです。
そして
そのたくさんの火花の中で
私達は
生活をしています。
人生を生きています。

どうせなら、
素敵な火花にしたいな。

そう思います。

・・・・・
これから出会う
「わたし」から
「きみ」へ。

今、お伝えすることは
ただ一つです。

「すべてあるがまま」

そんな
「わたし」と「きみ」で
出会いましょう。

つづく

2012年09月30日

8次元の愛 220 〜ただいま

本当に本当に
長く待たせてしまいました。

やっと私は
君と出会えます。

本当に本当に
ごめんなさい。

長い道のりでした。

紆余曲折の
極致でした。

進んだと思えば戻り、
戻ったと思えば
一気に飛んだり。

飛んだと思ったら、
着地に失敗したり。笑

人間っぽいと言えば
人間っぽくて
可愛らしい私でした。

でも、
たくさんの人達に
いっぱい迷惑を
かけてしまいました。

たくさんの人達から
いっぱいの力を
愛を
いただきました。

あぁそうか。
人間って、
なかなかどうして
大したものなのだな、
などと、
偉そうに実感しながらも
涙する私がいましたよ。

どこまで落ちても
どこまで堕ちても
必ず這い上がるのが
人間。

永遠に近い時間がかかるとしても
それでも
あきらめないのが
人間。

絶望の中でも
ちょっとしたことで
希望を見出すのが
人間。

堕ちるところまで
堕ちたからこそ
わかることもあります。

昇るところまで
昇りつめたからこそ
わかることもあります。

中途半端だからこそ
わかることもあります。

それらすべての集積が
私の魂に深く刻まれ、
それは傷になることも
多かったですが、
でもそのおかげで
随分と
楽になりました。

魂の旅路。
魂の人生。

今から振り返れば、
それは一つずつ
一歩ずつ
余分なものを
手放すプロセスでした。

裸になればなるほど、
本来に戻り、
着飾れば着飾るほど
本来を忘れ、
その行き来を何度も
体験しながら、
やっと君のところです。

やれやれ。

ただいま!
ですね。

・・・・・
君のところに戻った私は
何をするのでしょう?

何をするのかはわかりませんが、
すべきことが
いっぱいあるのは
わかります。

きっと私は
邁進するのでしょう。

これまでも邁進してきましたが、
きっと
これまでとは比べものにならない
邁進をするのでしょうね。

多くの人達に
私は関わるのでしょう。

多くの人達に
私は
愛を注ぐでしょう。

そして
多くの人達から
愛を注がれるでしょう。

そしてやっと
約束を
果たせるのでしょう。

・・・・・
自分との約束。

君との約束。

すべての人達との約束。

一つ一つ果たしていくのが
これからの
私の人生です。

しかと前を観て、
後ろも観て、
横も観て、
上も観て、
下も観て、
すべてを満喫しながら
進みます。

人間を
満喫します。

人生を
満喫します。

ここからが
醍醐味です。

つづく

2012年09月18日

8次元の愛 219 〜もとのわたしたちに

あなたはいつも
ここにいます。

あなたの鼓動と
私の鼓動は
一つであることが
わかります。

あなたの観ているものを
私も観ています。

私の観ているものは
あなたにも
観えています。

私が感じることと
あなたの感じることは
一つです。
寸分の違いも
ありません。

時はゆっくりと
流れていますが、
私達はすべての時に
すべての一瞬一瞬に
すでに
存在しています。

「無」が消えた今、
私達には
わかります。

なんだ。
すべては
私がしていたこと。
あなたがしていたこと。

すべては
私達の祈りの通り。
私達の願いの通り。

わずかなそよ風も
荒れ狂う嵐も
すべては
空気の動き。
自然の動き。

その自然は
いつも自由で
そして
いつも私達に
添い続けてくれた。

私達の祈りを
聴き続けてくれた。

私達の願いを
叶え続けてくれた。

やはりすべては
真実でした。
すべては
必要なものでした。

一つとして
無駄なものは
ありませんでした。

・・・・・
これからの私達に
必要なこと。

それは、
私達の魂には
平安が訪れていることに
気づくことです。

人には
クセがあります。
思い込みがあります。
それは、
これまでの経験から
来ます。

私達は根底から
変わりました。
しかし、
何も変わっていないと
思い込むことで、
何も変わらない現象が
起こるでしょう。

私達は
変わりました。
そこに
気づくこと。

そのためには、
勇気を持った行動が
必要です。

これまでとは違う行動。
これまで以上に
真本音に素直な行動。

それが必要です。

淀みも歪みも
今はありません。
私達はただ、
まっすぐに
素直に
観ればよいのです。

素直に
決めればよいのです。

・・・・・
あなたはすでに
「あなた」に
もどっています。

私はすでに
「わたし」に
もどりました。

わたしたちは
もどれたのです。

もとに
もどれたのです。

つづく

2012年09月16日

8次元の愛 218 〜さようなら

ひとつ、ふたつ、みっつ・・・。

数は増えていきます。
そして、

みっつ、ふたつ、ひとつ・・・。

すべてが一つになります。

数が増えれば増えるほど
皆が一つになっていく。

皆が一つになればなるほど
数は増えていく。

私は今、
一つの安堵感にいます。

ここまで来れば
もう大丈夫かな。
とも思えます。

世の中の現象は
これからがピークであるかのように
様々な泡が沸騰しようと
しています。

しかしそれらのすべては
泡。
それは実在ではありません。

もはや泡を抑える必要はなく、
まるで花火をみるように、
むしろ楽しんでしまうことです。

多くの方々が
自らの人生、
真本音の人生に
向かい始めています。

みなさんの真摯な生き方が
ついに泡を
ただの泡としたのです。

・・・・・
私達の中には、
これまで永遠に養い続けてきた
「無」
がありました。

「無」とは
すべてが生まれる源ではなく、
すべてを無きものとする
強大な力です。

しかしそれは
私達の敵ではなく、
私達が拒絶するべきものでも
ありません。

「無」があったからこそ
私達はここまで
進化を続けられたのです。

「無」と争うのではなく、
「無」を抱き
「無」を愛するからこそ
私達はここまで
歩んで来れたのです。

そして今。

「無」はその役割を
終えようとしています。

「無」は今、
自らを無きものとしようと
しています。

そんな「無」に
私達は感謝の気持ちを込めて
お別れを言いましょう。

「無」よ、
ありがとう。

「無」よ、
やすらかに。

「無」よ、
さようなら。

・・・・・
「無」がなくなった後、
そこからが、
私達の本当の歩みの
始まりです。

私達の
スタートラインです。

私達はいっせいに
そのラインに立ち、
これから各々の
自らの歩みを始めます。

「無」があったからこその
歩みから、
「無」がもはや存在しない、
本当の自然体の歩みへ。

それが、9月17日。

明日から
始まるのです。

つづく

2012年09月12日

8次元の愛 217 〜おめでとう

やすらかなる道と
厳しい道があった場合、
どちらの道を
行きますか?

先の観える道と
先の観えない道があった場合、
どちらの道を
行きますか?

二本の道を前にして
胸に去来するものは
何ですか?

どの視点から
その道を
見つめますか?

どんな判断で
その道を
決めますか?

道とは
引き返せないもの。

道とは
途切れる可能性も
永遠に続く可能性も
あるもの。

道とは
あらかじめ定まっていても
何も定まっていないもの。

そして道とは
人にしか
たどれないもの。

そう。

道をたどるのは
人のみ。

その真実を
忘れてはなりません。

・・・・・
人は道をたどるものであり、
道は
人にたどられるものです。

人と道は
イコールであると
捉えることすら
できるでしょう。

人への願いとは
道への願いであり、
道を創造する者の
遥かなる祈りです。

永遠の眼差しを持つ者は
人と道へのその祈りを
いつまでも
いついかなるときも
抱き続けています。

それがその者の
使命であり、
その者の
喜びです。

人は人。
道は道。
人は道。
道は人。

その「当たり前」を
思い出すことで
初めて、
二つの道は選択するものではなく
一つとなるものであることを
知ったのです。

二つあったのは、
幻影でした。
しかしその幻影を観続けたからこそ
道は
一つになれたのです。

真の一つに
なれたのです。

・・・・・
ゆっくりとした
歩みでした。

歯がゆいほどに
遅々とした
歩みでした。

しかしどれだけ遅くとも
進み続ければ
いつか必ず「そこ」へは
到達できます。

私達はようやくにして
「そこ」に到達しました。

いつか二本に分かれる怖さから
やっと解放されたのです。

真本音の時代には
真本音の二本の道が
ありました。

そのどちらをとるのか?

その決断が完了し、
私達は
一つとなったその道を
歩み始めました。

真本音の時代に入れるかどうか?
という選択を
まずは越え、
そして、
真本音の時代に待つ二つの道も
私達は一つの道として
揺るがない道として
決めることができたのです。

おめでとう。

私達が
私達自身に
投げかけるべき言葉です。

おめでとう。

意味はよくわからなくとも
結構です。
どうか、
自分自身の魂に向けて
その一言を
かけてあげてください。

魂の喜びが
感じられるはずです。

つづく

2012年09月02日

8次元の愛 216 〜果てしなく一つずつ

夢の続きを
歩いているようです。

私の中にはあなたがいて
あなたの中に私がいます。

誕生、おめでとう。

あえてそう言えば
よいのでしょうか。

私達はずっと
すべきことを
し続けました。

これはこれからも
変わることなく
永遠に続くことなのでしょう。

永遠だからこその今。

今だからこその
私達。

共に歩むとか歩まないとか
そういったことではなく、
私達は
私とあなたであり、
私であり、
あなたでした。

今、目の前に観える
この確かな道は、
もともとあったのでしょうが、
やはり
「誕生」の一言が
とても似合います。

「道」が
誕生したのです。

・・・・・
生まれ来る人達は
皆、
あなたであり
私です。

死んでゆく人達も
皆、
あなたであり
私です。

そして、
今、共に生きている人達
まだ出会ってもいない人達
すべてが
あなたであり
私です。

私達でさえ
あなたであり
私です。

・・・・・
「道」は今、
私達をどのような眼差しで
観ているのでしょう。

「道」は今、
私達にどのような印象を
抱いているのでしょう。

私にわかるのは、
「私を選んでくれてありがとう」
という
「道」の感謝の想いです。

「道」は私に感謝し、
私は「道」に感謝しています。

選ばれた「道」。

二つの内の一つ。

ついに私達は
一つの道を手放し、
一つの道を選んだのです。

それがどれほどのことか。
どれだけの苦しみと
どれだけの葛藤と
どれだけの悲しさを
乗り越えてのこの選択か。

それを
私もあなたも知りません。

でも私にはわかります。

「道」は確かに今始まり、
この道を選択するために
これまでのすべてが
あったと。

・・・・・
「道」は
果てしなく続きます。

私達はそこを
果てしなく
歩いて行くのでしょう。

そしていつしか、
私は「私達」から外れ、
「私達」を託します。

そして私は新たな
「私達」を創るために
新たな旅に出ます。

そうなれるために
私とあなたのすべきことは
まだまだたくさんあります。

「道」が決まった今、
ようやく本来の使命に
向かえます。

まずはこれから
私はあなたと出会うでしょう。

そして
あなたと「一つ」であったことを
体の芯から思い出すでしょう。

そして
喜びに打ち震えるでしょう。

そして
共に歩むのでしょう。

出会いはもうすぐです。
その時まで
一つずつ慌てずに。

一つずつ。

つづく

2012年08月19日

8次元の愛 215 〜待てばよい

何も答えが出ないときは
待てばよいのです。

私達は焦るあまりに
本当ではない答えを
自ら形成してしまいます。

たとえそれが
極めて「本当」に近い答え
だったとしても、
焦って出した答えには
必ずと言ってよいほど、
わずかでも淀みが起こります。

その淀みは
次の淀みを引き起こし、
結局のところ
後で、淀みの処理に時間を費やす
ことになります。

そう。

今の私達にとって
最も必要なのは、
ひょっとすると
「待つ」
ことかもしれませんね。

・・・・・
待てる人。
待てない人。

あなたはどちらですか?

恐らくどちらでも
ありますね。

待てるときと
待てないときがあるのだと
思います。

どれだけ「待とう」としても
どうしても待てなくなってしまう。
そしてついつい
動いてしまう。

それはそれで
よいではありませんか。

そのすべてが
真本音の意図だと
捉えればよいのです。

でも、
本当は待てるのに待たない
こともありますね。

そこは辛抱です。

答えは
必ず出ます。

答えが出ないことは
断じてありません。

答えが出るまでは
待つのです。

自分をよく観て
現実をよく観て
ただ待つのです。

目は逸らしては
いけません。

しっかりとすべてを
観続けるという姿勢は
いつも変わりません。

その上で、
ただ待つのです。

・・・・・
本当の答えが
見つかったとき、
待てる人は、
多くの場合、
自然に体が動いて
いるでしょう。

「動こう」と思う前に
動いてしまうくらいに
それは「確信」なのです。

それが
本当の答えです。

あとは、
動いている自分自身に
委ねてしまいましょう。
自分はきちんと
創るべき道を
創ってくれます。

動いているのに
心は静か。
動いているのに
心は中心から
まったくずれることはない。
それが
本当の答えに向かっている
私達の自然体です。

その状態で
いつもいるためには、
「その状態を創る」
のではなく、
「その状態になるまで待つ」
のです。

待てば
そのときは必ずきます。

そして私達はいつしか
自然に扉を
くぐり抜けているのでしょう。

そのときを
待ちましょう。
真の答えを
待ちましょう。

つづく

2012年08月18日

8次元の愛 214 〜扉は開いたけれど

私達の前には、
大きな扉があります。

その扉はずっとずっと
閉ざされたままでした。

残念ながら
私達だけの力ではビクともしない
その扉は、
動かざることが真理であるかのように
立ちはだかっていました。

私達は疲れ果て、
ヘナヘナと扉の前で
へたばってしまいました。

しかし
その時は突然
来たのです。

扉が、
開いたのです。

まるで苦もなく
何の力を込めることもなく、
スーッと
開いてしまったのです。

今、
私達は茫然としながら
扉の向こう側を
見つめています。

扉の向こう側は
あまりにも明るく輝き
そこに何があるかは
まったくわかりません。

しかしそこには
間違いなく私達が
ずっと待ち望んでいたもの、
待ち焦がれていた「何か」
が存在しています。

いえ。
正確に言えば、
その扉をくぐり抜けることで、
きっと私達自身が
その「何か」になるのでしょう。

私はあなたであり、
あなたは私です。

それは
私達が「もともとの姿」に
戻ることのできる
「何か」です。

・・・・・
恐らくこの扉が
閉じることは
もうないでしょう。

あとは私達が
この扉を
くぐるだけのことです。

そのためには
何の障害も抵抗も
ありませんし、
逆に
情熱も勇気も
必要ありません。

ただ、
くぐればよいだけの
ことです。

ですから
今、くぐっても
よいのです。

でもちょっと待ってください。

くぐればもう
こちら側には
戻って来れません。

こちら側で
やり残したことは
ありませんか?

恐らく、
くぐってしまえば、
その、やり残したことすら
すべて解決するでしょう。

しかし「くぐること」による
解決ではなく、
「くぐる前だからこそ」できる
解決が
とても大切な気がします。

そういった意味で
やり残したことは
ありませんか?

私はどうやら
あります。
ですからそれを今は
しっかりと行ないたいのです。

ですからもうしばらく
待っていてください。

あなたにもきっと
あるはずです。

それが今の私達が
すべきこと。

それを完了するのは
ほぼ、同時でしょう。

そのときまで
しっかりと
扉をくぐる前の「今」を
味わい尽くしましょう。

・・・・・
扉が開いているのが
わかっているのに
あえて
それをくぐらずに、
その手前にい続ける。
というのは、
とても大きなストレスを
生みます。

これから取り組むべきこと
そのものよりも
そのストレスのために
耐えられなくなるかも
知れません。

でも、あえて
言いますね。

それでも
がんばりましょう。

このストレスは
最初からわかっていたこと。
ひょっとすると
これまでに経験したことがないくらいに
強いものかも知れませんが、
それでも私達は
耐えることができます。

今はそこまでして
「ここ」ですべきことが
あるのだと言うことですね。

何度も言いますが、
私はあなたであり、
あなたは私です。

私達だからこそ、
今の私達だからこそ
できることが
あるはずです。

それをしっかり
一つ一つ
やり遂げましょう。

それこそが
私達の使命です。

私達がここにいる
意味です。

つづく

2012年08月16日

8次元の愛 213 〜ここだからこそ

いつも私は
あなたと共にいます。

いつも私は
あなたと「一つ」です。

いつも私は
あなたと同じものを
観ています。

いつも私は
あなたと同じものを
感じています。

いつも私は
あなたです。

・・・・・
この3次元の世界では
すべてがバラバラですから
すべてが別物であり、
遠く離れており、
わかり合えないものである。
そう捉えてしまいがちです。

しかし3次元より上の世界では
一つ一つ次元が上がるにつれて
すべてはつながり
すべては「一つ」と
なっていきます。

そして本来は
それらこそが私達の
始まり。

それらこそが
私であり、
あなたです。

この3次元の世界で
生きているうちに
バラバラが当たり前と
なっていますが、
バラバラとは
この「薄い世界」における
単なる現象に過ぎません。

薄くて
淡くて
儚い世界です。

でも、
であるが故に
その儚さと
私達は正面から
向き合っていこうと
決心しました。

だからここに
います。

薄くて
淡くて
儚いからこそ
私達は私達自身の愛を
ここに込めるのです。

・・・・・
現実とは
儚いものです。

3次元世界における現実は
今この瞬間の
一瞬にしか存在しません。

すべてが一瞬で
消え去っていきます。

努力して努力して努力して
やっと手に入れた成果を
喜べるのも
ほんの一瞬。

その一歩先には
もうその喜びさえ
淡く、なくなります。

そして次の現実が
すぐに現われます。

儚さの連続。

それがここ。
この3次元世界。

だからこそ私達は
今この瞬間に
すべてを込めています。

この儚さの中でこそ
永遠を感じることができれば
私達は
ここに来た甲斐があります。

多くの人達が
この一瞬に永遠を感じられる
世の中になることを
私達は
願い、願い、願い尽くしてきました。

その願いこそ
永遠のもの。
その願いこそ
この一瞬に
込めるべきものです。

・・・・・
私達は
永遠の存在です。

私達は
この一瞬の存在です。

私達は
いつも共にいて
いつも「一つ」で
いつもバラバラです。

だからこそ
ここでこそ
すべきこと
できること
をしましょう。

一つはすべて。
一瞬は永遠。

そして
私はあなたです。

つづく

2012年08月15日

8次元の愛 212 〜これからです

ゆっくりと時は進みます。

狂おしいほどゆっくりと
時は進みます。

あせればあせるほど
その進みは遅く感じられ、
現実のあまりの進化のなさに
ここにいる意味も意図も
忘れそうになります。

本当は
どうあればよいか?

本当は
今は何が大切か?

それらの答えが
観えれば観えるほど、
時間の進みと
現実の進みに
ジレンマを感じるでしょう。

それこそが
人間です。

私達は
人間という
遊びを
しています。

「遊び」と言うと
失礼で浅はかな表現かも
しれません。

しかし「遊び」ほど
深遠で本質的なものも
ありません。

人間は遊ぶ。

人生は
遊びのごとし。

せっかくなので
人間遊びを
楽しむくらいの私達で
ありたいものです。

・・・・・
人の心に
真本音と反応本音があるように、
世の中全体にも
真本音と反応本音の流れが
あります。

真本音の流れは
これまでで最速と言ってよいほど
スピードを増し、
今は本当に「一日が一年」のごとく
進んでいます。

ところが
まるでそれを阻害するかのように
反応本音の流れが
淀みを起こしています。

進むどころか、
後退しているかのような
錯覚を起こします。

そうです。
それは錯覚です。

大丈夫です。
ちゃんと進んでいます。

真本音の進みが
速まれば速まるほど、
その反作用のように、
反応本音の荒れ方も
激しさを増すのです。

世の中全体の反応本音も
かつて経験したことがないほど
今は過激です。
しかしそれは
川の激流が岩に当たり
飛び散っているのと同じです。

飛び散るしずくに
目を囚われる必要は
ありません。
川はきちんと流れています。
猛スピードで。
海に向かって。

・・・・・
私達は
すべてを信じましょう。

なぜなら今ここに
自分がいるのです。

私がここにいる。

それ以上の
希望はありません。

私がここにいる。

それ以上の
愛はありません。

私達は日々、
為すべきことを
為しています。

着実に一歩一歩。

これ以外にはない道のりで
そのど真ん中を
歩んでいます。

自分のこれまでの歩みと
今の一歩と
これからの歩みのすべてを
信じましょう。

私達の本当のパワーが
溢れるのは
これからです。

つづく

2012年08月14日

8次元の愛 211 〜和による進化を

答えとは
すべて私達の中に
もともと存在しています。

答えとは
考えてつくるものではなく、
もともと在るものを
引っぱり出すだけのこと。

「つくる」のではなく、
「さがす」のです。

しかし「さがす」ためには
自分一人で答えを出そうと
しないことです。

答えは
今ここにある現実(人を含む)と
共に向き合うことで
初めて見つかります。

「さがす」とは、
「向き合う」ことなのです。

「向き合う」とは
「さがす」ことなのです。

それが
思考を超えた真の答えを導く
唯一無二の方法です。

・・・・・
それを日本では昔から
「和」
と表現してきました。

「和」とは
仲良しこよしのことではなく、
向き合うことであり、
真の答えをさがす道です。

日本人は
向き合うことでしか
真の答えに行き着かないことを
よく知っていたのです。

日本人の血には生来、
そういった「和」への欲求が
強く流れています。
それを活かすことで私達は
真本音の時代への扉を
次々に開けることができるでしょう。

・・・・・
向き合うとは、
意識を相手に向け続けること
です。

自分の思考のみに意識を向けた
形だけの向き合いは、
はっきり申し上げて
まったく意味がありません。

まったく
意味がありません。

どのような相手でも
どのような現実でも
そこに意識を向け続けることで
すべてが
始まります。

思考のぶつけ合いは
「和」ではありません。

意識を向けることで
私達は、自分の思考という服を
脱ぎ捨てることができます。
そこに、裸になった自分の
本当の答えが姿を現わします。

その状態で
コミュニケーションをとるからこそ
そこに
真の答えが浮上するのです。

それは、
自分一人では決して
できないことです。

人と人が関わるからこそ
(もしくは、人と現実が関わるからこそ)
初めて可能な
人の奇跡です。

人の本質の一つは、
一人では何もできない
ことです。

人とは、
そのようにできています。
そのかわり、
他者と関わることで
絶大な力を生み出し、
真実を極めることができます。

それが、人です。

ですから人は
「和」を求めます。

私達のその自然な欲求に
今こそ
素直になりましょう。

幸い、
日本人は「和」に
慣れ親しんできました。
そんな、日本人の特性を
活かすときです。

私達が「和」の見本を
世界に示しましょう。

「和」は命を育み、
世界の進化を
育みます。

つづく

2012年08月07日

8次元の愛 210 〜これからの出会い

初めまして。

こんな一言から、
私達の出会いは始まります。

出会い、とは
その人と初めて会うこと
というのが一般的ですが、
実は、これからの「出会い」は
ちょっと違ってきます。

これまでずっと一緒にいた
人達同士でも
「出会い」が
訪れるようになるのです。

私達はこれから
どんどん「本来の私」を
思い出します。

「本来の私」に
戻っていきます。

それは、
この人生でこれまで生きてきた「私」
とは、大きく異なるものかも
知れません。

普通ではない自分の変化に
驚く人も
多々出てくるでしょう。
しかし、
それは「変化」ではなく、
ただ、本来に戻っているだけ。
そして、
「本来に戻った私」同士が
再び会うことで、
それが「出会い」となります。

ある意味の
再会でもあります。

あぁ本当は
あなたはそういう人だったね。
そうそう。
私は本当はこうだった。

そう思い出しながらも
私達はこれから
多くの「出会い」を
経験するでしょう。

それが
真本音の時代に入るまでの
この一年で
頻繁に起こるできごとです。

・・・・・
それは
人と人だけのことでは
ありません。

普段、見慣れた土地や場所にも
まるで初めて出会ったような
感覚を得るかも知れません。

いつも使っている「物」にも
同じ感覚があるかも
知れません。

そういった「出会い」の感覚を
私達は
大切にしましょう。

今日の私は
何と、出会うだろう?
誰と、出会うだろう?

そんな視点で
一日を過ごせば、
それこそ「出会い」は
多くなり、
毎日が充実します。

・・・・・
最後に少しだけ。

「本来の私」に戻るということは
「本来の力」も戻る
ということです。

自分自身に宿っているその力に
早く気づいてください。

出会いとは、
自分の力との出会い
でもあるのです。

つづく

2012年08月04日

8次元の愛 209 〜解放する人へ

抑えることのできる自分と
抑えることのできない自分。

その両方を
私達は持っています。

そして私達は
畏れてきました。

抑えることのできない自分を
観ることを。
抑えることのできない自分を
解放することを。

なぜ私達は
怖かったのか?

それは、
それを解放するだけの
準備が
整っていなかったからです。

自分自身の準備では
ありません。

世の中の
準備です。

私達はずっと待っていました。
世の中の準備が
整うのを。

そしてようやく
準備が整ったのが、
ほんのこの数日のことです。

長い長い
待ち時間でしたね。

しかしようやく
時は来ました。

抑えていたものを
解放しても大丈夫な
世の中になりましたよ。

やれやれ。

正直、私は
ホッとしています。

・・・・・
解放するやり方は
覚えていますか?

順序を間違えずに
いきましょう。

まず大切なのは、
抑えていた自分自身を
しっかりと「観る」ことです。

やっぱりそれが基本です。

これまで観なかったものを
観るのは
怖いかも知れませんが、
勇気をもって
観てしまいましょう。

するとそれが
どれだけあたたかいものであったか、
どれだけ可愛らしいものであったか、
よくわかります。

それがわかったら
まずは自分自身が
それを愛しましょう。

頬ずりをしましょう。
抱きしめましょう。

そして、慣れてきたら
それと「一つ」に
なりましょう。

もし、抑えていたものに
「殻」がある場合は、
無理にその殻を破ろうとは
しないことです。

大丈夫。
自然に破れます。

ただ、
「もう出て来ても大丈夫だよ」
と、
声を掛け続けてください。

そしてわずかでもそれが
出てきたら、
上記のように
少しずつ愛してください。

・・・・・
そこまで行けば
あとはもう思い出すでしょう。

どうすればよいか?を。

実は、解放とは
勢いのあるものでは
ありません。

噴火のようなものではなく、
それは、
伸びをするような
すがすがしさがあります。

ですから
伸びをすればよいのです。

そうすればもう、
本来の自分が
ニョキニョキと
その茎を伸ばし始めます。

あとは
大好きなお花を育てるように
自分自身を育んでください。

そのお花は
大きくなればはるほど、
周りの人達に影響を与え、
皆が幸せになります。

そしてそのお花は
隣の人のお花を
喚起します。

それは実に
楽しい日々です。

・・・・・
私達は自分自身を
危険だから
抑えていたわけでは
ありません。

時機を
待っていたのです。

それだけのこと。

そして
時機は来ました。

無事に来ました。

ということで、
どうぞ安心して
解放を楽しんでくださいね。

つづく

2012年08月03日

8次元の愛 208 〜多くの人にビジョンが

未来が観える瞬間が
あります。

それは単なる
イメージではありません。

それは実在です。

私達の心の中の世界では
時間は一定方向のみに
流れるのではありませんので、
そこには過去も未来も
存在します。

実在として存在します。

ですから未来の映像が
一瞬、垣間見えるのは
何も不思議なことでは
ありません。

もちろん
未来は決まっていません。

いえ、
真本音レベルでは
決まっていますが、
この世には反応本音も
あります。
真本音で決めていることが
反応本音によって
変化を起こすことは
あります。

ですから、
今この瞬間に浮かんだ
未来の映像が、
その通りになるかどうかは
わかりません。

でも間違いなく
それは「今この瞬間」に
創造された
実在なのです。

その実在を
大切にすることが
大切です。

・・・・・
未来の映像は多くの場合
私達の真本音からの
メッセージです。

映像が現れたら
いつもそれを
思い出しましょう。

解釈は不要です。

ただ、
思い出しましょう。

すると、ある時ある瞬間、
突然、雷鳴のように
その意味が
閃くことがあります。

それが、
ビジョンです。
私達の
方向性です。

・・・・・
私達の真本音は
つながっています。

そして私達の真本音は
奥の奥では「一つ」です。

その「一つ」である
私達全体の真本音は今、
明らかに
喜んでいます。

それは色に喩えると
薄青色の光です。

その光が今、
とても明るく
輝いています。

喜びのしるしです。

私達は
「生きる」と決めて
ここにいます。

「生きる」ことに
素直になれた私達自身を
私達の真本音は
喜んでいるのです。

ですからこれから
ビジョンが浮かぶ人達が
急激に増えてきます。

自分の心に浮かぶ
意味不明の映像。
それは
今後の私達の
指針です。

ぜひぜひ、
大切にしてくださいね。

つづく

2012年08月02日

8次元の愛 207 〜生きるのです

ようやく一つの答えが
出ようとしています。

その答えとは、
私達がずっと待ち望んでいた
ものです。

いえ、本当は
答えはずっとここに
ありました。

でも、ようやく
その答えを見つめる眼差しと
勇気を
私達は得ることが
できたのです。

答えは簡単です。

「生き続けなさい。」

これが答えです。

生きるとは
進むことです。

進むとは
迷うことです。

迷うとは
揺らぐこと。
そして、
揺らぐとは
「まっすぐ」に戻ることです。

私達は本当に
たくさんたくさん
揺らいで来ました。
あまりに揺らぎ過ぎて、
自分がもともとどこにいたのか?
わからなくなって
しまったようです。

でも、
どれだけもとの場所を忘れても
やっぱり
私達は私達でした。

ですから安心しましょう。

私達はちゃんと
思い出そうとしているのです。
私達が何者か?
私達がどこから来て、
どこに行こうとしているのか?
そして、
私達がここにいる
真の理由を。

私達は
生き続けることが
できます。
なぜなら、
それが私達の
真の意志だからです。

生きるために
ここにいる。

生きるために
そこに行く。

生きるために
私達は
今も存在しているのです。

・・・・・
答えがわかった以上、
あとは
実践です。

生きるために
私達は
生きるのです。

あきらめては
なりません。

これからが
本当の挑戦です。

過去における
迷いの中の挑戦ではなく、
「まっすぐ」に戻ることのできた
私達だからこその
挑戦が始まります。

一日一日が、
挑戦です。

今日の一日は
これまでの一年です。

一年で
365年分
進みましょう。

私達は
生きます。

私達は
生きるのです。

つづく

2012年08月01日

8次元の愛 206 〜無限への飛躍を

私達は、「無限」の中にいます。
しかし私達は、
自ら「有限」を創り出します。

自ら創り出した「有限」を
天から与えられたものであると
思い込み、
一種の被害者として
「有限」であることを
悲しみます。

本当は、
すべて私達自身が
創り出しているものです。

私達は
被害者では
ありません。

かと言って、
加害者でも
ありません。

私達は
私達です。
それ以上でもそれ以下でもない
純然たる存在です。

私が私であること。

その事実だけで
感動的です。
その事実だけで、
充分です。

私は今、
ここにいます。

しかし本当は、
私は今、
どこにでもいます。

私は有限の中で
力を閉じ込めてあがくような
小さな存在ではなく、
本来は、
無限の中で自由に生きる
それこそ、
無限の存在です。

私が
私であることに
もっと
誇りをもっても
よいのでは?

・・・・・
海は無限ですか?

海は有限です。

空は無限ですか?

空も有限です。

宇宙は無限ですか?

宇宙も有限です。

すべてが有限に
見えます。

しかし本当は
すべてが無限なのです。

有限に捉える
私達の眼差しが
ここにあるだけです。

今目の前にある
この砂粒の一つを
よ〜く観てみましょう。

ほんの小さなこの存在さえ
無限です。

ここに気づくとき
私達は確実に
新たな未来への
道を拓きます。

・・・・・
来年の今日。

うまくいけば、
私達は
真本音の時代に入ります。

今日からの一年間は
有限から無限への
道のりとなります。

変わるべきは
私達自身です。

現実を変えるのではなく、
まずは
私達自身が変わるのです。

私達の変化は
無限です。

ですから現実も
無限に変化します。

この一年は、
その後の70年を
決定づけるでしょう。

そして
これからの70年間は
その後の人類の
無限の歴史を
決定づけるでしょう。

つづく

×

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