こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2012年07月18日

8次元の愛 205 〜最初からわかっています

私達が「一つ」であることを
思い出すためには、
今、私達がこうして「別個」であることを
完全に承認することが
大切です。

「別個」であることを
愛することができて初めて、
私達は「一つ」に戻れます。

ですから
「一つになろう」
とはしないことです。
「一つになろう」
という意図を持てば持つほど、
それは、
「一つもどき」
となります。

なぜなら私達は
そんな努力をしなくとも
最初から
「一つ」なのですから。

・・・・・
同様に、
「真本音で生きる」
ことと、
「反応本音を大切にする」
ことはイコールです。

真本音で生きよう
とするならば、
「真本音の自分になろう」
と意図し過ぎないことです。
それよりも、
「すべての反応本音を愛そう」
とすることです。

なぜなら私達には最初から
真本音がちゃんとあり、
それは機能しているからです。

すべての人に
最初から
自身の真本音の声は
聴こえています。

しかしそれを
反応本音達が妨害します。
なぜか?
反応本音達を
愛さないからです。
反応本音達を
無視するからです。

愛する、とは
肯定することではなく、
ただ、
その存在を認めることです。

あぁ自分には今、
このような反応本音が
あるんだなぁ、
とあるがままに
受け取ることです。

それが愛するということ。

それさえすれば、
反応本音達は
満たされます。
満たされれば、
真本音の声をかき消すようなことは
決してしません。

すべての反応本音と
真本音は、
もともと共存しているものです。

真本音という「核」があるからこそ、
反応本音達は活きるのです。
反応本音達は
それをよく
わかっています。

ですから
心の中にあるすべては
私達の味方です。

すべてを
大切にするのです。
すべてを
愛するのです。

それが
真本音で生きることです。

・・・・・
私達は
一つです。

私達は
別個です。

その両方を
大切にしましょう。

私達は
真本音です。

私達は
反応本音です。

その両方を
大切にしましょう。

これは良くて
これは悪い。
良いものだけを残して
悪いものは抹消する。

私達人類は
早くその次元から
抜け出る必要が
あります。

すべてをあるがままに
受け止めることができたとき、
私達は
新たな時代を拓きます。

つづく



2012年07月09日

8次元の愛 204 〜どのような現実が来ても

今、ここに広がる現実の世界と、
その中で
今、ここにいる自分。

その二つを
まじまじとしっかり
見つめてみてください。

確かに目の前には
現実が広がり、
確かに私は
ここにいます。

自分の手を
見つめてください。
細胞の一つ一つを
見つめようと
してみてください。

私達の存在とは
神秘です。

なぜこうして
一つ一つの細胞が
生きようとしているのか?
そして実際に
生きているのか?

本当のところ、
それを完全に解明している人は
いません。

しかし紛れもなく
私達はここにこうして
生きています。

それが事実です。

不思議なのですが、
ここにこうしているから
しょうがないですね。

それが事実ですから。

そんな私達には
過去、今、未来という
流れがあります。

人生という
流れです。

人生の中では
多くの人達と
出会います。

その人達を一人ひとり
思い出してみてください。

まざまざと
思い出してみてください。

これも不思議です。
なぜその人は
存在しているのでしょう?

なぜその人は
私の前に
現れたのでしょう?

なぜその人は
私にその振る舞いを
したのでしょう?

なぜその人と私は
そのような関係と
なったのでしょう?

なぜその人は
そのような人生となり、
私は
このような人生と
なったのでしょう?

・・・・・
世界の中心は
自分である。

と、本気で思いながら
生きている人は
どれだけいるでしょうか?

もし、
すべての人達が
そう思えるようになったら、
世の中は
完全に
調和します。

なぜならそれが
真実だからです。

世界の中心は
私であり、
あなたであり、
すべての人達です。

もちろん、
実在レベルの話です。

しかしその真実を
受け取ることができれば、
私達の魂と心は
完全なるやすらぎを
取り戻します。

ここで起きていることも
あそこで起きていることも
すべては
私であり、あなたであり
すべての人達が
起こしていること。

私自身が
起こしていること
です。

それが
真実です。

真実のもとで生まれた存在が
人であるならば、
真実を受け止められたとき
人は
真のやすらぎを
手に入れます。

現象レベルでは
様々な「現実」が
起こります。
想定外の「現実」も
拒絶したい「現実」も
いくらでも起こります。

しかしそのすべてを
私達は
やすらぎのもとに
受け取り、対処・対応することが
できます。

それは、
すべては私である、
という真実を
思い出せた人の
特権です。

しかしその特権は
すべての人が
すでに持っています。
最初から
持っています。

ならば早く、
この特権
使っちゃいましょう。

真剣にそう思うことが、
真本音の時代の
スタートとなります。

・・・・・
私達は
生きています。

こうしてここに
生きています。

生きる以上
私達の目の前には
現実が現れます。

今、必然的に
そして急ピッチに
そのスピードが上がっています。

あまりに唐突な「現実」の展開に
戸惑っている人、
立ちつくしている人が
急増しています。

私達にできるのは、
本来の私達を
思い出すことです。

本来の私達は
本来の「現実との向かい方」を
知っています。

私達は
世界の中心であり、
私達は
すべてをもう
知っています。

だから毅然と進みましょう。

毅然と進みましょう。

つづく

2012年07月05日

8次元の愛 203 〜波風を起こす勇気を

勇気を出すのが
人生です。

勇気の必要のない人生は
ありません。

私達は勇気を出すことで
道を拓きます。

道を拓くためには、
波風が必要です。

波風のない人生も
ありません。

私達は多くの場合、
波風を恐れますが、
波風を恐れるのは、
それ自体が人間の本能、というよりも、
恐れる波風をあえて起こす勇気を出し、
それにより自分自身を進化・成長させよう、
という私達の魂の意図によるものです。

その意図を
本能と言っても
何ら差し支えありません。

そして、
なぜ人は進化・成長を
求めるのか?
という問い自体が、
実はあまり本質をついていません。

なぜなら
進化・成長をするために
生まれた存在が人間だからです。

人間が先にあり、
進化・成長が後からついてきた
のではないのです。
進化・成長のために
人間という存在が生まれたのです。

ですから進化・成長は
人間の本能です。
その本能のために、
私達はあらゆることをします。

波風を恐れるように
自分の心を創ったのも、
その本能のためです。

・・・・・
本当の勇気を持つ人からは
愛のパワーが溢れます。

愛とはパワーであり力です。
それは、
人間が持つ最も深い
根本的な力です。

進化・成長を求める人間が
勇気を持って前に進もうとするとき
必ず発揮されるのが、
愛という力です。

本当に人を愛するというのは
勇気のいることです。
勇気から逃げる愛は、
本来の愛ではなく、
単なる自己満足です。

自己満足の愛は、
人と人が「一つ」になる方向ではなく、
「分離」する方向に作用します。
そこには、必要のない波風が
立ちます。
必要のない波風は、
混乱と混沌のみを残します。

逆に言えば、
本来の愛に基づいた波風であれば、
それは必ず「調和」を生み出します。

調和とは、
「分離しているが故の一つ」
です。
それは、
人間にしか生み出せないもの。
とてつもなく、
尊いものです。

・・・・・
今、目の前の現実を
よく観てみましょう。

そして、
最も観たくないものに
目を向けてみましょう。

最も観たくないものに
目を向けるとき、
今の自分には、どのような勇気が
必要か?
がわかります。

最も観たくないものに
目を背けているとき、
私達は知らず知らずのうちに
自己満足の日々に入っています。

人生とは、
勇気です。

勇気をもって
目を開きましょう。
勇気をもって
波風の立つ方へ
進みましょう。

そこに本当の勇気が
あるならば、
すべての波風は
愛を広げ、深めてくれます。

今の私達に必要なのは
勇気なのです。

つづく

2012年06月28日

8次元の愛 202 〜極めてシンプルな指針

自分が人生を進むスピードと
世の中が進むスピードは
合っていますか?

これが合致していれば、
心地良く人生は進むのですが、
今はそうも言っておられない
状況となりました。

これまでの私達の歴史は多くの場合、
ある特定の人達が何かに気づき、
その人達が道を拓き、
あとの人達がついて行き、
結果として「あぁそういう道だったか」と
気づく、という道のりでした。

しかし今は違います。

多くの人達が同時に何かに気づき、
それぞれが必然的な行動を起こし、
そこに調和と相乗効果が生まれ、
それにより
さらに多くの人達の気づきが助長され、
さらに大きく波紋が広がって行く、
という道のりです。

いえ、もはやそれは
「道のり」ではなく、
面全体への「波及」です。

そのスピード感はただものではなく、
しかも、
一人ひとりの進むスピードが
世の中全体の進むスピードを
完全に左右します。

世の中のスピードに合わせる、
という概念そのものが
そこには存在しません。
そして、
特定の人のリーダーシップではなく、
人々の調和そのものが
すべてのリーダーとなります。

それが真本音の時代の特徴であり、
その特徴は現在、一日一日と高まり、
その特徴に気づき、
それを尊重する人や組織が
一日一日と成果を上げる、
ということが次々に
起きています。

もはや時代は
新たなステージに入った、
と言ってもよいかもしれません。

時代は変わったのです。

それを今の私達は
いかに受け入れるか?
です。

断絶があるのです。
これまでの人類と
これからの人類は
地続きではなないのです。
根本的に
変化をしようとしているのです。

その事実を
いかに受け入れるか?
です。

受け入れた人は
楽に進み、
受け入れない人は
多くの障害に阻まれるでしょう。

・・・・・
私達は「成果」を求めます。

例えば企業であれば、
売上や利益という成果を
求めます。

もし成果が出なければ、
そのやり方は間違っている
と判断され、
別のやり方を見つけようとします。

基本的に
これからもそれは変わりませんが、
一つだけ大きく変わることが
あります。

それは、「成果」に
「気持ち良さ」と「気持ち悪さ」
が強烈に付随するようになる
ということです。

例えば、業績が上がったとしても、
その成果に「気持ち良さ」が付随するか?
それとも「気持ち悪さ」が付随するか?
それがこれまでとは比べものにならないくらい
明確にわかるようになる
ということです。

そして、
「気持ち悪さ」を感じているにも関わらず、
それを続けようとすれば、
その「気持ち悪さ」は短期間のうちに
限界を迎え、
あらゆるところに「歪み」と「淀み」が
発生し、
そこにいる人達は短期間のうちに
疲弊し切ります。

要するに、
私達の根本を形創っている魂の
「気持ち良さ」と「気持ち悪さ」に
私達自身が敏感になるのです。

魂の気持ち悪さには、
私達は抗うことができません。
もちろんある意味、
魂の気持ち良いことにも
私達は抗うことができません。
私達は、
気持ちの良い方へ、気持ちの良い方へと
進んで行くことになります。

今の時点からそこに気づき、
そういった生き方をする人は
スムーズに真本音の時代に
入れるでしょう。

ですから今の私達の生きる指針は
極めてシンプルです。

魂の気持ちの良いことをしましょう。
魂の気持ちの悪いことはやめましょう。

それだけのことですね。

・・・・・
さらに申し上げましょう。

魂にとって、楽なことをしましょう。
魂にとって、苦しいことはやめましょう。

魂にとって、幸せなことをしましょう。
魂にとって、不幸せなことはやめましょう。

魂が自由になれることをしましょう。
魂が束縛されることはやめましょう。

魂が決めたことをしましょう。
魂が決められないことはやめましょう。

実に
シンプルですね。

それをするだけで、
私達は一人ひとりが進化のスピードを速め、
全体の調和を生み出すのです。

すべてに波及するのです。

つづく

2012年06月23日

8次元の愛 201 〜サポートの必要な方へ

ある時ある瞬間、
私達は「永遠の時」を
感じています。

残念ながら
それを顕在意識で認識する人は
稀です。
しかしながら、
私達は「永遠の時」を感じ取りながら、
生きています。
それを感じ取れる瞬間が
もし、ゼロになってしまったら、
私達は
生きてはいられないのです。

永遠の中の自分を
私達は感じ取ります。
永遠の視点を
そこで思い出します。
そして、
その視点から物事を観て、
その視点から
物事を決めます。

それこそが
真本音の決断なのですが、
今この決断が真本音であることを
多くの人は認識していません。

もったいないことです。

真本音の決断と
反応本音の決断は
本質的に異なります。
それは「本物の空」と
「絵具で塗った空」以上の
違いがあるのですが、
多くの人は
それを「同じ青である」としか
認識していません。

もったいないことです。

本物の空であることを
実感できるようになれば、
本物の決断ができます。
それは、
永遠の視点からの決断であり、
自分にとっても
周りにとっても
調和を生み出す最善の決断です。

それを皆がし続ければ、
世の中全体は
あっという間に調和されるでしょう。

・・・・・
魂の次元の高まる成長のことを
いつも私は
「開花」
と表現しています。
花開く。・・・つまり、
その人本来の花が開かれていく、
ということです。

多くの人達の開花のスピードは
昨年から徐々に速まり、
今年に入ってから一気に速まり、
一度少し停滞し、
今になって、かつてないほどの
驚くスピードを出し始めました。

私のクライアントさん達も
私の想定を超えて、
驚くほどの開花を始めています。

それがあまりにも速いので、
ご本人の顕在意識が
ついて来れていません。
つまり、
魂の成長と心の成長が
上手にリンクできていないのです。

それは当然のことです。
通常ではあり得ないくらいの
ある意味、人間の限界を超えた
開花スピードだからです。

ですから、
そういった人達のサポートは
とても重要です。
これまでの常識とは全く異なる
サポートの仕方が
必要です。

何を安定させればよいか?
何を不安定のままに
させておけばよいか?

ここを間違えると、
大変です。

現在、
このブログをご覧になる人が
増えています。
恐らく、
開花のスピードの速い方々が
読まれているのだと思います。

今の開花は、普通ではない分
かなりの疲労・疲弊を
伴います。

今の開花には、
適切なサポートが
必要です。

もし、
「自分にはサポートが必要だ」と、
真本音でお感じになるのでしたら、
わたくしに
メールをください。

私(たけうち)に直接届く
メールアドレスを記します。
takeuti@scc-coach.com

・・・・・
真本音の時代のスタートまで
あと約1年。
この1年は、
非常に大切です。

普通ではない1年に
なると思いますので、
一人でがんばるよりも、
適切なサポートを得ながら
一歩一歩をできるだけ
楽に進みましょう。

本当に望む一歩を進み、
本当に望む人生の道を創ることが、
実在レベルでは
世の中全体に大きな影響を
与えるのです。

一人の生き方は、
全体の生き方を
決定づけるのです。
それが、
実在レベルの特徴です。

今は
一人で迷うよりも、
少しでも早く真本音の決断をし、
一歩でも速く前に進むことが、
自分にとっても
世の中全体にとっても
必要なことなのです。

つづく

2012年06月16日

8次元の愛 200 〜魂と心の時代へ

私達の本来望んでいる成長とは
魂の成長です。

魂の成長のない成長は
多くの場合
ただの自己満足です。

何か能力を高めるにしても
魂の成長の伴う高まり
であるかどうか?
が大切です。

能力を高めれば高めるほど
魂の成長が鈍って行く、
ということも、
実は結構多いのです。

私達の魂の声が
「真本音」です。

心の声は多くの場合
「反応本音」です。

心とは
その時その時、
現実の中で
移り変わりゆくもの。
しかし魂は
今この瞬間に永遠を見つめ、
永遠の眼差しから
揺るがない声を発します。

それこそが
真本音の声であり、
ですから
真本音の声に基づいて生きる人は
揺るがずに歩を進めることが
できます。

魂の成長とは
そんな魂の次元を
高めていくことです。

・・・・・
通常、心は
4次元から6次元までの
いずれかの次元に属します。
そして、
魂は
7次元以上の次元に
属します。

意識の次元を高める
とは、
心の声によって生きる
という状態から
魂の声によって生きる
という状態に「戻る」
というのが最初のステップです。

そして、
魂の声によって生きることが
できるようになった人は、
(つまり、7次元を思い出した人は)
今度は魂そのものの次元を
高めていくことになります。

昨年の大震災をきっかけに、
意識が6次元まで高まる人が
急増しています。
それはつまり、
心ではなく魂を中心に生きよう
としている人が急増している
ということになります。
そして、今年に入ってからは
それが実際に成され、
7次元以上の意識に戻る人が
急増しています。

心によって生きるとは、
反応本音によって生きる
ということ。
魂によって生きるとは、
真本音によって生きる
ということ。

今のこの流れは
真本音の時代への
必然的な流れのように
思われます。

・・・・・
心が納得しなければ
先に進めない
というよりも、
魂が納得しなければ
先に進めない。
それが
これからの時代です。

これまでの世の中は
私達人間の心の声に基づいて
創られてきましたから、
私達の魂が納得できる
世の中になっているわけでは
ありません。

文明はずっとある意味の
進化を遂げてきましたが、
それは
私達の魂の喜ぶ進化であったとは
言い切れません。
心の時代から魂の時代への
急激な変化は、
当然のことながら
世の中のしくみや成り立ちや
根本までをも
大きく変えることに
なるでしょう。

その流れはあまりに激しいので、
つまりは、
人の意識の変化があまりに
激しいので、
この3次元の世界の変化が
ついて行けない
という状態です。

それが今。

世の中全体が
魂にとって正常な状態に
戻ろうとしているのが
今です。
それは、
真本音の時代に入ることで
さらに加速します。

私達は
激動の時代に
身を置いていることに
なります。

逆に言えば、
それだけ重要な時代に
生まれてきた意味を
・・・自分の魂の願いを
しっかりと抱きながら
進みたいものですね。

・・・・・
魂は
今この瞬間を
永遠の眼差しで
見つめます。

そこで生み出される
魂の答え
魂の判断
魂の決断を
私達は
素直に捉えて
いきましょう。

そうすれば、
私達の心も
健全でいられるのです。

魂を忘れた心は
いつも淀みます。
魂を思い出した心は
いつも晴れやかです。

晴れやかな時代には
晴れやかな心で
入って行きましょう。

つづく

2012年06月13日

8次元の愛 199 〜最奥の真実はどこにある?

気持ちとは
移り変わるものです。

人の気持ちを大切にする
とは、
その時その時一つ一つの
気持ちを大切にする
ということでもありますが、
気持ちの移り変わりそのもの、
つまり変化を大切にする
ということでもあります。

あの時、君は
こういったじゃないか。
あの時、君は
こう決めたじゃないか。

そう言いながら
人を責めてしまうことがありますが、
気持ちとは本来
移りゆくものです。

そのようにできているという
事実を尊重することが
その人の気持ちを
大切にする土台となります。

・・・・・
人を信用できますか?

移りゆく気持ちを持つ
人というものを
信用できますか?

恐らく、
気持ちそのものに焦点を当てれば、
人の言うことなど信用できるものか、
と思われるかも知れません。

気持ちとは
反応本音です。

その時その時の現実による
心の反応として
発生しています。

しかしそれらすべての反応の
奥には、
必ず真実があります。

気持ちという反応を
喚起させる「もと」があります。
そこに焦点を当てれば、
その人をより理解できます。

反応の奥の真実。

しかしそのさらに奥にも
本人ですら気づかない
真実が存在しています。

真実の奥の
真実の奥の
真実の奥・・・。

奥の奥には
最後に必ず行き着く
真実があります。

最奥の真実です。

しかし、
最奥の真実とは、
実は常に隠れているものではなく、
今ここにあります。

奥に行けば行くほど、
真実とは
今ここに現れます。

それがその人の
本来です。
その人の
本質です。

そしてそれが
真本音です。

真本音とは
真実の本音。
決して揺らぐことのない、
本来のその人の声です。

それを理解できれば、
人を信用するとかしないとか、
そういった次元を
簡単に超えることができます。

・・・・・
奥の奥の奥は、
「ここ」です。

これは人の心のみに
言えることではなく、
すべての物事に
通じることかも知れません。

これまでの私達は
物事を複雑に
考え過ぎる傾向がありました。
奥を考え、さらに奥を考え・・・
とやっているうちに
わけがわからなくなってしまう。
そんな傾向がありました。

しかし、
本当の答えは
「ここ」にあります。
最も奥にあると
思い込んでいた答えは
実は目の前にちゃんと
あるのです。

それは極めてシンプルな
答えです。

そのシンプルな答えによって
この世は成り立っています。
シンプル過ぎて
わからなくなっているだけです。
これまでの私達は。

・・・・・
私達の最奥にあると
思い込んでいた私達自身の
シンプルな答えを
次々に見つける時代が
真本音の時代であり、
それが人類規模で
起こり続けます。

目からウロコ
の発見が次々に
起こるでしょう。
しかしそれは
極めて自然な成り行きです。

成り行きそのものも
シンプルとなっていく。
そんな時代は
もうすぐです。

つづく

2012年06月07日

8次元の愛 198 〜真実の一歩を刻めるのは

無限と有限の
狭間にあるもの。

それが人です。

人とは
無限と有限を
つなぐ存在
とも言えます。

人には
無限の可能性があり、
しかし
人の創り出すあらゆるものは
有限です。

3次元世界での
あらゆるものは
有限であり、
しかし
次元が高まれば高まるほど、
すべては
無限となっていきます。

もともと無限であった私達が、
有限の存在として
あえて次元を低めて誕生したのが
この世界における人です。
有限であるからこその
価値と、
有限であるからこその
非価値を、
共に享受するために
私達はここにいます。

ですから、
有限であることを
嘆く必要はありません。
有限であることを
知った上で、
それを承知した上で、
すべての人は
ここにいるのです。

その覚悟は
並大抵のものでは
ありません。

私達は
勇気の存在。

だからこそ、
私達には
無限の可能性があるのです。

・・・・・
私達が
今、目の前にしている現実は
有限です。

しかし
その現実の奥にある真実は
無限です。

真実に基づいて
現実は現れます。
真実のない現実は
単なる虚栄です。

ですから、
虚栄に基づく生き方に
真実は存在しません。
そして、
虚栄に基づく生き方により
現実化したものすべてが
これから崩壊し始めます。

しかしそれは決して
恐れることではなく、
真実に基づくこの世界を
創り上げるための
大切な一歩です。

世界は
再生し始めています。
今この瞬間にも
大きな一歩を進み続けて
います。

本来の姿へと
健康な姿へと
戻る本格的な流れが、
ようやく生まれました。
この流れを止めることは、
(それが真実である限り)
いかなる者の手によっても
不可能です。

やっと。
やっと、私達は
希望への流れを
手に入れたのです。
その流れは
真本音の時代の
入り口へと続きます。

・・・・・
結局いつもいつも
同じことを申し上げる
ことになります。
が、
今回も申し上げましょう。

今こそ私達は、
本当の自分の願いに基づき、
今この一歩を
刻みましょう。

自分はいったい、
何を大切に
生きていきたいのか?

自分は
何のために
生きていきたいのか?

その問いに
真摯に毅然と向き合い、
答えがわからなくとも、
その問いを抱きながら
今のこの一歩を
刻みましょう。

真本音の時代を
創るのは、
紛れもなく
私達です。
私達の一歩、
この一歩が、
新たな時代を生み出します。

これは
無限と有限の狭間にいる
私達にしか
できないことです。

人であることに
誇りを持ち、
人であるからこその
一歩を
刻みましょう。

流れはすでに
できました。

あとは
その流れに
乗るだけです。

つづく

2012年05月31日

8次元の愛 197 〜毅然と生きる人こそ

自分の人生に
毅然と向き合える人こそが
人をサポートすることが
できます。

毅然と向き合う
とは、
強く向き合う
ということではありません。

弱くとも
よいのです。

くじけても
よいのです。

どのような状態になろうとも
これは
私の人生だ。
という自らの意志を
持ち続けること。
これは
私の人生だ。
という真実を
受け止めること。

そこから
目をそらさないこと。

それが
毅然と向き合う
ことです。

私達は
そういった向き合い方を
することにより、
安定し
楽になれるのです。

・・・・・
毅然と生きる人は
幸せです。

人の「毅然」は、
現実を揺らします。

どのような現実が来ても、
人が毅然とし続ければ、
その現実は揺れ、
そこに必ず
道が開きます。

強い者が
道を開くのではありません。
弱いからこそ
素晴らしい「毅然」が生まれ
それが
道を開くのです。

「毅然」は
誰もがもともと持ち合わせている
姿勢です。

自らの命を
輝かせる
姿勢です。

・・・・・
毅然と生きる人が
目の前の人を
ハグします。
すると、
ハグされた人は
言いようのない幸せに
満たされるでしょう。

毅然と生きる人には
愛が宿るからです。

愛とは
その人の発するパワーです。
一つに向かう
パワーです。

毅然と生きる人からは
そのパワーが
常に溢れます。
それを注がれた人は
魂までもが
満たされます。

・・・・・
毅然と生きる人は
常に笑顔です。

笑顔とは
意図的に創るものではなく、
ましてや
顔の表情のことを言うのでも
ありません。

笑ってないのに
笑っている波長が漂うのが
真の笑顔です。

真の笑顔に触れると、
多くの人が笑顔になります。
真の笑顔から
不協和音は生まれません。
それはいつでもどこでも
調和を生み出します。

人生に毅然と向かうことが
笑顔の輪を広げ
深めるのです。

ですから結局のところ、
毅然と生きる人には
素敵な現実ばかりが
現れるようになります。

・・・・・
人には弱さがあります。

しかし
弱いからこそ、
素敵な「毅然」が
生まれます。

素敵な笑顔が
生まれます。

自分を卑下したり、
同じ場所をグルグル回る
反省をし続けるよりも、
毅然と人生に向き合おう。
という意志を
持ち続けましょう。

その意志は
私達の本能に近いものですから、
誰もが
持ち続けることの
できるものです。

つづく

2012年05月30日

8次元の愛 196 〜真本音の見つけ方

普段の自分が
どのような自分であるかを
私達は知りません。

いつも自分は
どのような表情をし、
どのような雰囲気を出し、
どのような振る舞いをしているのか。

私達は自分の姿を
鏡でしか見ることはできません。
鏡とは2次元です。
またたとえ、
ビデオカメラで自分の姿を
撮ったとしても、
ビデオも2次元です。

3次元の生の自分の姿を
私達は知りません。

自分のことは
自分が一番わからない。
というのはある意味
真実です。

私達はもっともっと
自分理解に対して
真剣になった方が
良いかもしれません。

・・・・・
私達の心の奥底に向かって行くと、
そこには
私達の真本音があります。

真本音の場所は
人によりけりですが、
真本音の場所が
その人の「中心」です。

まずは
自分の「中心」を
理解しましょう。

中心は
体のどこかにあります。
私達は、
自分の真本音も反応本音も
すべての心を
体のどこかに置いています。
場所を決めています。
それが私達人間の
習性です。

真本音の場所を
見つけましょう。

そのためには
私達の「体の中心」に
まずは意識を向けます。

「体の中心」とは
おへその奥です。
私達は母親と
おへそでつながっていました。
そこが、
自分の中心であると
何となく認識しています。

その中心に
意識を向けます。

何割かの人は
そこにそのまま真本音が
あるかも知れません。

「ここにはないな」と
思う人は、
その中心よりも
上にあるか?
下にあるか?
を何となく意識してみてください。

真本音の場所とは
最も安定した場所です。
最もリラックスできる場所です。
その場所が
体の中心よりも上にあるか、
下にあるか、
直観してみてください。

例えば「上にあるな」と
思える場合は、
おへそよりも上の上半身に
意識を向け、
さらにその上半身を二つに分け、
どちらに真本音はあるだろうか?
と直観してください。

そして直観した方へ意識を向け、
さらにそこを二つに分け、・・・
というように繰り返しますと、
何となく、真本音の場所が
わかるでしょう。

真本音の場所がわかれば、
そこに意識を向け、
そこに「何があるか?」
を観てください。

例えば、
ボーッとした光がある、とか
何らかの形のようなものが観える、とか、
何も観えなくとも何かを感じる、とか。
そこにある「存在」を
特定してみてください。

それは、
真本音のメタファです。
自分の真本音を
「そのような存在」として
何となく私達は認識して
いるわけです。

メタファがわかれば、
そのメタファをいつも
意識します。

日常生活において、
真本音メタファを意識することで
自分が「原点に戻れた」とか
「ニュートラルに戻れた」とか
「自然体に戻れた」など、
居心地の良さを感じるならば、
そこにあるのは
真本音であると言ってよいでしょう。

反対に居心地の悪さや
違和感を得るならば、
真本音の場所は
別にあります。

気楽に試してみてください。

そして、
真本音の場所と
真本音のメタファが
特定できれば、
いつもそこに意識を向けながら、
「もとの自分」を
思い出してください。

「もとの自分」の状態で
すべての物事の判断・決断を
してみてください。

それができる人が、
本来の魅力を発揮できますし、
本来の人生を
歩むことができます。

・・・・・
残念ながら
私達は自分の姿を
観ながら生きることは
できません。

であるならば、
いつも自分の中心である
真本音を意識し、
真本音に基づいて
今この瞬間を
生きましょう。

そうすれば、
自分が思っている以上の
輝きを
放ちながら
私達は生きることができます。

自分のことは
自分が一番わからない。
それでいいじゃありませんか。

自分でわからないくらいの
素晴らしさ・魅力を
放てる自分でいましょう。

つづく

2012年05月29日

8次元の愛 195 〜真実を知る勇気

人生には様々なできごとが
ありますが、
そのすべてに意味はあり、
しかしそのすべての意味を
知ろう、
としてはなりません。

意味は
知ろうとするものではなく、
自然にわかる
ものです。

自然にわかるまで
何も解釈せず、
ただ、今この瞬間に
向かい続けることです。

そして
自然にわかった意味は、
宝物です。
それを自身の今のテーマとして
大切にしましょう。

・・・・・
人生のできごとに
貴賤はありません。
つまり、
このできごとは素晴らしく意味があり、
このできごとは大したことはない、
などの判断は必要ありません。
というよりも、
そういった判断こそが
本来の意味を見逃すことに
つながります。

自分が想いを込めて
行ない続けてきたことが
実は自己満足に過ぎなかったり、
自分が何も考えずにとった行動に
実は人生を左右する深い意味が
込められていたり・・・。

できごととは
現象です。
その現象そのものを
解釈しても
その奥にある真実は
観えてきません。

真実は
思いもよらぬところに
あるものですから。

・・・・・
意味とは
真実です。

真実とは
現象と真摯に向き合ってこそ
浮上するものです。
しかしそれには、
真実を受け止める
勇気が必要です。

その勇気は、
真本音で生きる人のみに
与えられるものです。

真本音で生きる人は
心が安定し、
安心し、
真実を観るだけの
心のゆとりを
常に持ち続けています。

勇気とは
ゆとりです。
そして
真のゆとりとは、
真剣に生きる人にのみ
与えられます。

・・・・・
本当のことを言いますと、
真実(意味)が先にあり、
その真実(意味)を知るために、
私達の真本音は
自らの行動を決め、
意図的に「できごと」を
起こします。

真実(意味)は最初から
私達の真本音が
よく知っているのです。

つまり
最初から自分が
知っているのです。

自分がよくわかっていることを、
自分の顕在意識が認識するために
私達は「できごと」を起こします。

すべてのできごとに
意味はあります。

そのできごとに
真摯に向き合うことで、
真実(意味)は
自然にわかります。

解釈ではなく、
ただ向き合うこと。

「とにかく私は今、
きちんと向き合おう。」

真剣にそう決めることで
私達の真本音は活性化し、
心のゆとりと勇気が生まれ、
真実(意味)を
知ることができます。

「とにかく私は今、
きちんと向き合おう。」

それが
真本音で生きる
基本です。

つづく

2012年05月23日

8次元の愛 194 〜初めてだからこそ

初めてのことです。

この文明が誕生して以来、
恐らく
初めてのことです。

意識のうねりの
大きさのことです。

進化を続けよう、
真本音の時代に入ろう、
という意志と、
このままここにいたい、
という意志が、
ぶつかり合いながら
大きなうねりを
創り出しています。

人は誰もが
新たなステージに入ろうとすれば
不安と希望が入り混じります。
それが
人類規模で起きています。
ただ、
ここまで大きなうねりとなるとは
思いませんでした。

私達はいよいよ
想定外の場所に
入ったようです。

・・・・・
私達人類を一人の人として
見立てた場合、
その心は
かなりの緊張に見舞われています。
心臓が
ドクドクと高鳴っている
状態です。

それは決して悪いことでは
ありません。
しかしあまりの緊張によって
目の前の現実が
観えなくなりすぎると
つまずかなくてもよいところで
つまずく可能性もあります。

緊張を止める必要はありませんが、
私達は今こそ、
しっかりと現実と
向き合いましょう。

人類全体の真本音は
間違いなく活性化しています。
それは、
私達一人ひとりの真本音が
活性化しているからです。

真本音の活性は
根本的な安定に
直結します。

どれだけ緊張しようとも
根本が安定していれば、
道を間違うことは
ありません。

・・・・・
人類、という書き方をすれば
そんな大袈裟な、
という印象もあるかも知れません。
しかし、
私達はもともと「一つ」です。
真本音の時代に入るということは、
「一つ」に向かうスピードが
格段に速まることを
意味します。
つまり、
一人の心と全体の心のつながりが
一気に高まります。
ですから、
今の私達が「全体意識」を持つことは
とても大切です。

一人の人間として
どう生きるか?
全体を構成する私として
どう生きるか?

その二つの視点が
大切です。
そしてその二つは
実はまったく同じことです。

・・・・・
反応本音の時代とは、
個々が別々の存在として
在り続ける時代でした。

真本音の時代とは、
「一つ」という土台の上で
別々の個性が自らを際立たせ、
その結果として調和を生み出す
時代です。
私達は、
別々の存在であり、かつ
一つでもある、という
人間の本質そのものとして
生きる時代です。

そうです。
人は、
別々であり一つであるのです。
それが
真理です。

・・・・・
想定外のうねりを前に
私達が気をつけることは、
その「うねり」を
そのまま受け止めることです。
うねりをなくそうと
しないこと。
かと言って、
うねりに飲み込まれないこと。

うねりの存在を感じながらも、
自分は自分として、
今この瞬間の一歩に
真本音で向かうことです。

すべての最善の答えは
真本音が知っています。
何よりもまず、
自分の真本音を
自分自身が信じることです。

真本音は
いつも「ここ」にあります。
私達の中心に在り続けます。
その事実こそを
いつも感じ続けられる
私達でいましょう。

つづく

2012年05月22日

8次元の愛 193 〜夢の描き方

夢を描ける人は
心の自由な人が多いですが、
夢を描くことで、
心が知らず知らずのうちに
不自由になってしまうことも
あります。

自ら描いた夢に
縛られてしまうのです。

夢とは、
実は目的では
ありません。
夢とは、
手段です。

夢の実現とは
人生の目的ではなく、
私達は自らが描いた夢をヒントに、
さらに先にあるものに
気づくことができます。

しかしそれは
さらに先にあるものに気づこうとして
気づくのではなく、
夢に向かう今この瞬間の一歩を
大切にし続けることで、
自然に「浮上」します。

夢とは
「さらにその先にあるもの」
のきっかけに過ぎません。
その夢が
どれだけ大きなもので
あったとしても、です。

そう考えることで
私達は
さらに自由に夢を描けます。
次々に
夢を描けます。
夢とはまず、
描くことに価値があります。

・・・・・
どうしても夢を描けない
という人は、
無理に描いては
なりません。

今は「描けない」とき。
今は「描かない」とき。
と、真本音が
決めているのです。

無理に描いた夢は
反応本音です。
反応本音レベルの夢は、
私達を縛るどころか
私達の人生を淀ませます。

ですから
無理をしないことです。
自然に楽しく描ける夢のみを
自らの夢としましょう。

夢を描かずに
真っ白のままで進む人生も
面白いものです。

「夢のその先」は
誰もが持っていますから、
その人にとっては
「今は、夢という手段」は
必要ないという
だけのことです。

真っ白のまま進むことで、
その人は「夢のその先」への
最善の一歩を進むことが
できます。

・・・・・
要するに。

未来を描ける人は、
躊躇なく
どんどん描きましょう。

未来を描けない人は、
真っ白のままで
今に向かいましょう。

どちらでもよいのです。

どちらも
最善の人生となります。
大切なのは、
今の自分に本当に
素直になることです。

真本音の時代とは
夢多き時代となりますが、
その夢とは
私達の自身への素直さが
生み出すものです。

素直な一人の夢は、
素直なもう一人の夢と
調和します。
一人ひとりの夢の調和は
相乗効果を起こし、
全体の大いなる夢へと
つながります。
そしてそれは
さらに「その先」へと
続きます。

・・・・・
夢の描き方は簡単です。

まずは
夢を描こう!
と決めます。

決めることに抵抗がある場合は、
ここでもうやめます。
無理をしません。

ワクワクする場合は、
紙と鉛筆を用意し、
何でもよいので
浮かぶものを書き続けます。

言葉でも
絵でも
記号でも、
何でも構いません。

描いているうちに
体の反応に意識を向け、
体の中の熱くなっている部分や
ワクワクのもと、となっている部分を
探し、
それが見つかれば、
そこを意識しながら
さらに描き続けます。

夢中になったら
止めないこと。
止まらないこと。
自分の心が
OK!
と思えるまで、
止まらないことです。

気が向くときに
それを続けます。
すると、
私達がすでに抱いている発想の扉が
開かれ、
そこから湯水のように
発想が溢れるかも知れません。

溢れ出るものを
止めない。
それが大切です。

真本音の時代に入れば、
以上のような発想も
よりやりやすくなるでしょう。
今はその練習だと思って、
少しずつ行なってみてください。

つづく

2012年05月20日

8次元の愛 192 〜永遠に向けて今から・・・

真本音による実在と、
反応本音による実在が、
私達の心の中には
混在しています。

でも、
本当のことを言いますと、
「反応本音による実在」というものは
ありません。
本当はそれも
現象の一つです。

現象。
つまりは、いつかは必ず
消えゆくもの、
です。

しかしそれを「現象」と
言ってしまいますと、
話がややこしくなりますので、
あえてそれも「実在」の一つ、
と表現します。

で、改めて。

私達の心の中にある実在によって
私達はそれを現実世界の中で
現象化します。
その現象により私達は「経験」し、
経験によって次の「実在」を
選びます。
で、
また次の現象を生み出し、
経験します。

私達はそのサイクルで
生きています。

ところが、
私達がいつも焦点を当てがちなのは
「現象」面ばかりです。
現象に対してどう対処するか?
ばかりを考えます。
残念ながら
現象とは結果に過ぎませんから、
そこに手を加えるだけでは、
本当に望む次の結果(現象)は
創り得ません。

「実在」を見つめることです。

で、冒頭の話に戻りますが、
私達の中にある実在には、
反応本音によるものと、
真本音によるものがあります。

反応本音によるものは、
正確には「実在に近い現象」ですので、
それは永遠に存在するわけでは
ありません。
心の中で、いつかは
崩れ去ります。

真本音によるものは、
そこに永遠に在り続けるもの、
それこそが
「真の実在」です。

当然のことですが、
「真の実在」とは
それだけ私達が大切にし続けているもの、
「永遠に大切にし続けたい」と
望んでいるもの
です。

その、
極めて大切なもの(真の実在)に
基づいて現象を創ることが、
私達(の魂)が真に望んでいることに
他なりません。

・・・・・
真の実在とは、
永遠に在り続けるものですから、
それは既に私達の中に
存在しています。

その存在に
気づいていない人が多いのが
これまでの時代でした。

これからは、
真の実在に気づく人の数が
一気に増えていくでしょう。
その数がある境界を超えたとき、
世の中全体に変化が起こります。
それが、
真本音の時代のスタートです。

今の流れのままに行けば、
それは恐らく来年の7月から
8月にかけて
訪れるでしょう。

・・・・・
仮設定ですが、
2013年8月1日を
真本音の時代のスタートと、
ここでは決めてしまいたいと
思います。

そうすることで
より明確に
私達は私達の為すべきことが
観えてくるでしょう。

来年の8月1日に
ちゃんと真本音の時代がスタート
できるように、
今から最善の準備を
していきます。

とは言え、
何も特別なことをするわけでは
ありません。

真に
自分らしく
生きる。

真に
望む人生の一歩一歩を
刻む。

一人ひとりが
それをするだけのことです。

「真に」というところが
重要なのは
言うまでもありません。

「真に」を実現するために、
私達は自分自身の
「真の実在」に
目を向け続けましょう。

・・・・・
次の質問を自身に投げ、
自然に浮上してくる答えと
じっくりと向き合ってみましょう。

もし、
私達に永遠の命があったとしたら、
永遠に大切にしたいものとは
何ですか?

もし、
私達に永遠の命があったとしたら、
永遠に大切にしたい生き方とは
何ですか?

もし、
私達に永遠の命があったとしたら、
自分がいることによって
永遠に生み出し続けたい価値とは
何ですか?

もし、
私達に永遠の命があったとしたら、
自分は
どのような世の中を創るために
生き続けたいですか?

もし、
私達に永遠の命があったとしたら、
自分が永遠に抱き続けたい
願いとは何ですか?

もし、
私達に永遠の命があったとしたら、
永遠に続く
自分の使命とは何だと思いますか?

それらの答えの多くは、
「真の実在」かも知れません。

もし
「これが私の真の実在だ!」
と確信できる答えに巡り合ったら、
それを最も大切にしながら、
今目の前にある現実に
向かっていきましょう。

永遠と
今を
結ぶのです。

つづく

2012年05月18日

8次元の愛 191 〜太い一本道があります

私達の目の前には、
太くてまっすぐな一本道が
あります。

なんだ、昨日言っていたことと
違うじゃないか。
と言われそうですが、
いえ、
本質的にはまったく同じことを
言っています。

私達の目の前の一本道には
何一つとして
障害も障壁も
ありません。

ちょっとした段差も、
石コロすら
ありません。

ただ私達はその道を
気持ち良く
進めばよいのです。

私達の魂(もしくは真本音)には
その道がよ〜く観えています。
私達の魂は、
その気持ちの良い道を
ただ気持ち良く素直に
進みたいだけなのです。

ところが、
こんなにはっきりしている道なのに、
なぜか私達は
それとは全然別の道を、
しかも障害や障壁もいっぱいで
曲がりくねった道を、
勝手に「道である」と思い込みながら
自分で創り、
そこを無理に
歩こうとしてしまうのです。

魂(真本音)が、
そっちじゃないよ。
ここに、気持ちの良い道があるのに。
と、どれだけ合図を送っても、
それに気づかずに
思い込みの道に進んでしまう。
そんなことを
これまでの私達は
ずっと行なってきました。

ですから昨日申し上げたのは、
そのような変な道は
もはやないということを、
ちゃんと認識しましょう、
ということでした。

そして私達が
道なきところに道を創ろうという
意志を持ち始めたその瞬間から、
本来の道、
気持ちの良い一本道が
徐々に姿を現わし始めるのです。

それこそが
実在の道。

本当の道。
本来の、
人の道です。

・・・・・
その道を進むには
本当は何の勇気も恐れも
必要ありません。

本当に、
何の障害もないのですから。

しかし、
私達は、その道を行こうとすると、
かなりの不安に襲われます。
歩き始めれば
楽しいことがわかるのに
歩き始めるまでが
怖いのです。

今、
多くのみなさんが
その状態です。
でも、
少しずつ、
本来の道を進み始める人が
増えてきました。

その数は、
約一年後から
爆発的に増加し始めるでしょう。
それが、
真本音の時代の
スタートです。

・・・・・
今の私達にとって
大切なことは、
見えなくなった道を
恐れずに
それでも一歩を踏み出し続ける
ということです。

道は見えなくとも、
次の一歩は必ず
真本音が教えてくれます。
えっ? その一歩を行くの?
とびっくりするような選択を
真本音はするかも知れません。
しかし、
それに素直に従うことです。

最初はびっくりすることでも
そんなものは
すぐに慣れます。
そして、
そちらこそが自然な一歩であったことが
すぐにわかるようになります。

私達は
不自然な一歩に
慣れ過ぎましたね。
そろそろ
もともとの歩みを
思い出すときです。

今のうちから
真本音の一歩に慣れ親しむことで、
一年後に
一気にペースアップできます。

そのスタートのときには
みんなで気持ち良く
駆け出したいものですね。

つづく

8次元の愛 190 〜道などありません

果てしなく続くと思っていた道が
思わぬところで途切れていた。
という経験はありませんか?

ずっとこの道を行けばいい、と
安心していたときにこそ、
そういうことは起こります。

歩み続けている道がなくなるのは
とても不安なことです。
喪失感も大きいでしょう。
それでも
なくなったものは
もうない。
という現実があります。

道がなくなったとしても
私達は
次の一歩を踏み出さねば
なりません。

・・・・・
道がなくなった私達に
できることは、
自ら道を創ることです。

道のないところに
道を生み出すことです。

そんな人生は
好きですか?
嫌いですか?

面白いことに
嫌いです、と答える人に限って
道がなくなったりします。

いや、どちらでもいいです。
という人には、
道がなくなる喪失感はありません。
そういう人は、
すでに
いつも道を創り続けているのでしょう。

本当のことを言えば、
道など
最初からないのです。

道があると思い込んでいた
だけなのです。
道が消えるとは、
その思い込みが消える
ということに過ぎません。

それは、
自分の思惑が通用しなくなった
ということに過ぎません。

すべての人が
本当は、
道なきところに道を
創っています。
それが
私達の人生ですね。

・・・・・
真本音の時代とは、
一人ひとり、すべての人が
自らの道を創り続けている、
という実感の強くなる時代です。

それは、
生きている実感の強くなる時代
とも言えます。
誰かの人生に自分の人生を合わせる、
ということが
ほぼなくなっていきます。

全員が
自分だけの人生を
歩みます。
(これ、ホントは
今もそうですけど。)
そして、
自分だけの人生であるという
実感が強まれば強まるほど、
他の人の人生と自分の人生は
強く深く調和します。

別々であるからこそ
調和は深まります。

・・・・・
さて、
私達の目の前には
もはや道はありません。

道があると
思い込んでいる人は
あと一年もすれば、
何事も立ちゆかなく
なってくるでしょう。

自ら道を
創るしかない状況が
一気に実在レベルでは
形成されます。

それを私達の魂は
手を叩きながら
喜んでいます。

やっと、
自由な時代になる!
と喜び勇んでいます。

魂にとっては
幸せな時代です。
その潮流は今、
生まれたばかりですが、
約一年先からは
それは一気に膨れ上がり、
大きな波となり
世の中全体を席巻します。

真本音の時代。
魂の時代。

今のうちに、
自身の魂(真本音)と
仲良くなっておくことです。
それはつまり、
本来の自分自身と
仲良くなっておくことです。
それはつまり、
自分に素直に生きる、
ということですね。

つづく

2012年05月15日

8次元の愛 189 〜完璧が大切?

物事を完璧にやり遂げよう、
という思惑は、
実は結構、私達の魂を
淀ませます。

私達人間にできないこと。

それは、
完璧にやり遂げる、
ということです。

以前にも書かせていただきましたが、
できないこと、イコール、
私達の真本音が望んでいないこと、
です。

私達の真本音は
物事を完璧にやり遂げることを
望んでいないのです。
なぜなら、
もし本当に「完璧」が成立すれば、
そこで進化が終わるからです。

つまり、この世の物事に
完璧、はありません。
一見、完璧に見えることでも
よ〜く観ると、必ずどこかに
次の進化への「不完全さ」が
ちゃんと存在しています。

人とは、
進化を求め続ける存在です。
ですから必ず、
進化への糸口を創ります。
それが人の本能であると、
言ってもよいでしょう。

・・・・・
とは言え、
完璧を目指す私達の心も
尊いものです。

さきほどと矛盾しているようですが、
両方大事なのです。

完璧を求め全力を尽くし、
しかし「完璧でない」ことにこそ
価値を見出す。
完璧を目指すからこそ
完璧でない部分が
明確になる。
ということですね。

完璧に固執し過ぎると
魂が淀みますが、
完璧を堂々と目指しながらも
実際の姿をあるがままに観つめ、
完璧でない部分を大切にする、
という姿勢は
魂を輝かせます。

両者は
ほんのわずかな違いですが、
人生を大きく左右する
大切な違いです。

・・・・・
物事が完璧にいかないのと同様、
世の中に
完璧な人もいません。

何をもって完璧と言うのか?
はさておいて、
完璧でない部分を存在承認し、
愛することは、
自分の進化・成長につながります。

私達の魂(もしくは、真本音)の
願っていることは、
完璧な人間になることでは
ありません。

自分らしさを
極めることを願っているのです。

自分らしさとは
個性です。
本来の個性とは、
完璧ではないからこそ
生まれます。

完璧ではないからこそ
人であり、
人だからこそ、
個性を極めることができ、
個性を極めようとするからこそ、
私達一人ひとりが進化をし、
世の中全体の進化と調和に
つながります。

完璧という結果に
執着するのではなく、
進化の過程(プロセス)を
楽しむことこそが、
私達人間の本来の姿です。

「私は完璧であらねばならない」
と思われている人ほど、
心と魂が疲弊しているのは
そのためです。

一歩、次の一歩、・・・と進む
今この瞬間にこそ、
私達の幸せのすべてが
織り込まれています。
それを
感じ取れる自分であるかどうか
です。

そして
それを感じ取れる人こそが、
昨日書かせていただいた
「実在の風」を
魂いっぱいに受け取ることが
できるでしょう。

つづく

2012年05月14日

8次元の愛 188 〜風を強めるのは・・・

だいぶ風が強くなってきました。

時代が変わる風です。
しかもその風は
一昨日よりも昨日、
昨日よりも今日、
そして恐らく今日よりも明日、と
驚くほどのペースで
その強さを増しています。

感性の豊かな方は
その風を感じ取り、
上手にその風に乗っています。
逆に、
上手く乗れずに、
戸惑いばかりを感じている方も
います。
そういう方には、
風の乗り方を少しお伝えすれば
すぐにコツを掴めます。

そのように
風を感じとれる人も
日に日に増えています。

・・・・・
その風は、
体で感じるものではなく、
心で感じるものでもありません。

魂で感じるものです。

その風は、
実在です。
イメージでも幻影でも空想でも
ありません。

以前にも書かせていただきましたが、
私達の前に現れるすべての現実とは
現象です。
その現象を生み出す「もと」が
実在です。

実在とは、
私達の心の中に常に存在し、
自分が今、どのような実在を
形創っているのか?を知ることで、
これからどのような現実が
自分に現れるか?が
明確になります。

この3次元世界における現象は、
実在に比べれば、
非常に薄く、浅く、弱いものに
映ります。

それほど実在とは
存在感のあるものであり、
それこそが
「実際に存在するもの」
です。
ですから、実在なのです。

現実と向き合う、とは
現象と向き合うことはもちろん、
実在とも向き合うことが
重要です。

実在と現象。
両方と向き合うことで、
両方の関係性がわかり、
自分自身がわかり、
すべてがわかります。

そして、
すべてがわかることで、
さらに次の
わからないものが
浮上します。
その
わからないものを
わかろうとすることが
さらなる進化につながります。

そうやって私達は
永遠の進化を続けます。

・・・・・
真本音の時代とは
実在の時代です。

一人ひとりが
心の中にある
現象(=いつかは消えゆくもの)と
実在(=永遠に在り続けるもの)を
しっかりと区別をしながら認識し、
その認識に基づいて
生きる時代です。

真本音とは
実在の声です。

反応本音とは
現象の声です。

その二つの区別が
とても大切です。

・・・・・
私達人類は
ゆっくりゆっくりと
時代を進んで来ましたが、
これから徐々に
現象化のスピードを上げていきます。

これまで1000年かかったことが、
10年でできる時代が
真本音の時代です。

そのためには、
現象に囚われる心から
自らを解き放つことです。
どのような現実(現象)を
目の前にしても、
常に自らの実在(真本音)に戻り、
そこから次の一歩を決める、
という生き方を続けることです。

それが楽な生き方であり、
人としての自然体です。

それができる人が
実在の風を
よ〜く感じ取れるようになります。

風は強まっています。
日に日に強まっています。

それは私達の希望です。

その風をさらに強められるのは
私達自身です。

つづく

2012年05月10日

8次元の愛 187 〜生命力が増しています

いつの間にか、もうすぐ夏が
来ようとしています。
木々には葉っぱが茂り、
生命力が溢れてきました。

しかし今、大気は不安定で
天気の移り変わりも
激しいようです。

まるで今の時代を
象徴しているかのようです。

天気の不安定さに
目を奪われると、
私達の心には不安ばかりが先立ち、
その不安に即した一歩を
踏み出してしまいます。

しかし今の私達には
確かに、若い葉っぱが
茂り始めています。
生命力が
増しています。
その事実こそを
しっかりと観るとよいでしょう。

・・・・・
私達の生命力は
増しています。

根本的な「生きる力」が
増しています。

要するに、
元気になっているのです。
魂が、です。

魂が元気になれば、
逆に、
自分自身の不健康な部分に
目が留まりやすくなります。

これまで気づかなかった
小さな傷や小さな淀みに
気づくようになります。
そしてそれが、
ストレスになります。

なんだか以前よりも
ストレスが増したみたいだ。
という人が増えています。
しかしそれは、
健康体に戻りつつある
証拠です。

ストレスとは合図です。

合図に即して
自分の心と現実を整えることで、
私達はさらに
健康体になれます。

小さなストレスに
敏感になりましょう。

・・・・・
魂の生命力が高まれば、
当然ですが、
私達の魂レベルの願いも
浮上してくるでしょう。

これまで気づかなかった
自分自身の願い抱いているもの。
それらが、ある瞬間に
ふっと思い出すかのように
浮上してきます。

それをキャッチしたら、
ぜひ、
誰よりも自分自身が
大切にしてあげましょう。

たとえそれがどれだけ
今の現実とかけ離れた願いで
あったとしても。

願いを持つのは、
人間の健康な行為であり、
特権です。

願いは自由です。

特に、揺るがぬ願い。
変わらぬ願い。
つまり真本音の願いは、
大切にすればするほど、
現実が変わり始めます。

・・・・・
5月の連休のことを
ゴールデンウィークと言いますが、
今年のそれは、
本当にゴールデンなウィークと
なりました。

今、私達は
真本音の時代への移行期にありますが、
そのプロセスにおける
大きな転換点を
越えることができたようです。

私達は
真本音の時代に、
大きく一歩を踏み出すことが
できたようです。

今後、
真本音で生きる人は
どんどんパワーを得られ、
そうでない人は、
パワーを奪われやすい、
という潮流は
さらにさらに増していくでしょう。

ずっと、
申し上げ続けていることですが、
今こそ私達は、
自分の本当に大切にしたいものと
向き合いながら、
最も「スッキリする」方向に
一歩一歩を刻んでいきましょう。

つづく

2012年04月26日

8次元の愛 186 〜思惑でなく、答えで動く

ある日、突然、
今あるものがすべて
なくなったとしたら
どうしますか?

自分の住んでいる場所も
家族や友人・知り合いも
仕事も
そして記憶ですら
なくなってしまったとしたら、
自分は
どう生きていくと思いますか?

これまでと似た人生を
改めて創っていくのでしょうか?
それとも
まったく異なる人生を
創り上げるでしょうか?

すべてがゼロになる
ということはあり得ませんが、
すべてがゼロになったと
本気で仮定したときに、
初めて観えてくる発想が
あります。

ゼロになるという恐怖に基づく
発想もあるでしょう。
現状に対する不満からの
発想もあるかも知れません。
ゼロだからこそ生まれる
希望的発想もあるかも。

いずれにしても
私達は、
すべてを手放すことは
怖い生き物です。

そして、
本当にゼロになったとき、
もしくは、それに近い精神的状況に
陥ったとき、
自分でも想定していない
思わぬ判断と行動を起こす
生き物です。

人は、
いざとなると
何をするか
わかりません。
そういった
未知の部分を
誰もが
持っています。

それが人。

ですから上記の問いを
いくら考えても、
決してたどり着かない
答えがあるのです。

・・・・・
人生は、
思惑通りには
いきません。

それは真実です。

なぜなら、
私達の真本音が
思惑通りに行かせよう、とは
決して思わないからです。

前回のブログで触れました
「人には絶対にできないこと」
の代表的なものの二つ目は、

思惑通りに生きる

ことです。

人生は、
思惑通りには
いかないのです。
思惑通りにいかない人生を
私達は
真本音で望んでいるのです。

その事実を受け止めたとき、
どう生きればよいか?
が、観えてきます。

・・・・・
思惑通りにいかないのなら、
思惑から自由になること
です。

思惑を持つから
心が淀みます。

思惑を持つから
現実を
あるがままに捉えることが
できなくなります。

思惑とは、
反応本音レベルの
狭く浅い思考です。
私達の真本音は
思惑を持ちません。

思惑を持たないことで、
本当に決めている
望む人生を
創り上げることができるのです。

・・・・・
現実は
いついかなるときも
移り変わっています。

それは
複雑怪奇
と言ってもよい現象です。

なぜ今、このような現実が
起こるのか?
その理由には
複雑に絡み合った原因が
存在しています。

そのすべてを
解釈することは
人には無理です。
ましてや、
その解釈に基づいて
次の判断をし(それを、思惑と言いますが)、
最善の決断をすることは
極めて難しいことです。

しかしその一方で、
私達の真本音は
知っています。
自分の本当の願いに向かうために、
今、この瞬間に
大切にすべきことは何か?
をです。

複雑に絡み合う現実を
極めてシンプルな眼差しで
あるがままに捉え、
自分の大切にすべきことを
大切にした
次の一歩を
淀みなく決めることができます。

そこに思惑はなく、
ただ、
「答え」
のみがあります。

今の答え、
です。

私達は、
自分自身の
今の答えに従い、
今を生きていけば
よいのです。

それを続ければ、
ある時ある瞬間から
自分自身のすべての思惑を
超えた視界が、
まるで雲が晴れるかのように
開けてきます。

雲が晴れればもう、
思惑など、
必要ありません。

私達は
行きたい方向に
行けばよいのです。

つづく

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